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[[天皇家]]

第24代 仁賢天皇は顕宗天皇の実兄。父市辺押磐皇子が雄略天皇に殺害されて、身の危険を感じて弟の弘計王とともに丹波に逃れ、さらに播磨に身を潜めているところを見出され、清寧天皇より正式に皇位継承者として迎えられた。
清寧天皇の死後、皇位を弘計(顕宗天皇)に譲り弟が没すると即位した。
父の仇である雄略天皇の娘春日大娘(かすがのおおいらつめ)皇女を皇后としている。
名前 	第24代 仁賢天皇(にんけんてんのう) 億計尊(おけ)、大脚(おおし)、嶋郎(しまのいらつこ)
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
親族 	父親 	市辺押磐王(いちのへのおしはおう)
  	母親 	蟻臣荑媛(ありのおりはえひめ)
  	皇后 	春日大娘皇女(かすがのおおいらつめ)(武烈天皇の母)
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
皇居 	石上広高宮(いそのかみのひろたか)
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
陵墓 	陵名 	埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)
  	古墳 	野中ボケ山古墳
  	形状 	前方後円墳、堀
  	所在 	大阪府藤井寺市青山三丁目

略歴(5世紀)
449- 己丑-允恭38年 	生誕
456- 丙申-安康03年10月01日 	父市辺之忍歯王(いちのへのおしはおう)は皇位を約束されていたが雄略天皇の謀略で殺される。
身に危害が及ぶのを恐れ、弟の弘計と共に丹波国与謝郡に避け、さらに播磨へ身を隠していた。
481- 辛酉-清寧02年11月 	大嘗祭(おおにえのまつり)(だいじょうさい)の供え物を調えるため播磨の国に遣わされていた伊予来目部小楯 に明石郡で偶然に発見される。
482- 壬戌-清寧03年04月07日 	立太子
484- 甲子-清寧05年1月16日 	清寧天皇が甕栗宮で崩御
485- 乙丑-顕宗01年1月1日 	弟の弘計に皇位を譲り、弘計が顕宗天皇として即位。億計はそのまま皇太子である。
487- 丁卯-顕宗03年4月25日 	顕宗天皇が八釣宮で崩御
488- 戊辰-仁賢01年01月05日 	石上広高宮(いそのかみのひろたか)で即位
489- 己巳-仁賢02年02月02日 	春日大娘皇女を皇后とする。
489- 己巳-仁賢02年10月03日 	顕宗天皇を傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)に葬る
494-- 仁賢07年01月03日 	小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせわかさざき)(武烈天皇)を皇太子とする。
498- 戊寅-仁賢11年08月08日 	崩御(50歳)
498- 戊寅-仁賢11年11月05日 	埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)に葬られる。



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