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**旧石器時代 [#hd3dd435]

打製石器を使用し、狩猟採集を生業としていた人類最初の文化段階。
 旧石器時代(パレオリシック Palaeolithic)は、人類が打製石器を中心とした道具を使い、狩猟・採集を生業とし、まだ土器・磨製石器・金属器を知らなかった段階。人類の出現から、約1万年前の新石器文化の出現まで、ほとんどすべてが旧石器時代に属する。 → 新石器時代

***旧石器の発見 [#ff1a628a]
 ひとびとが旧石器時代を意識するようになったのは、1838年北フランスでブーシェ=ド=ペルトという人(専門の考古学者ではなく税関の役人であった)が洪積世の地層から絶滅種の動物化石と一緒に石器を発見したことに始まる(洪積世に人類が生存したという彼の説は当時は受け入れられず、彼は財産をなげうって研究を自費出版したが学会はそれを無視した。ようやく15年後の1853年にイギリスの学会で認められた。)。<伊藤嘉昭『人間の起源』紀伊国屋新書>

***旧石器時代の命名 [#qacf5ef6]
 イギリス人ジョン=ラボックがド=ペルトの発見した文化が磨製石器と土器を伴わないことからそれまでの「石器時代」の概念を二つに分け、「旧石器時代」と名付けた。現在では世界各地でその遺跡、遺物、化石人骨が見つかっており、研究が進んでいる。

***日本の旧石器文化 [#h67b39ff]
 日本での旧石器文化の発見も同じような経緯があった。1949年相沢忠洋という戦争から復員してきた青年が群馬県岩宿の洪積世の地層から黒曜石の石器を発見した。それまで日本には旧石器文化は存在しないとされていたが、この素人の青年の発見によってその後各地で旧石器遺跡が発見された。その後、長い間、この文化は「プレ縄文文化」とか「先土器文化」「無土器時代」などといわれ、旧石器時代という断定は避けられてきたが、現在では日本列島上にも旧石器文化が存在したことは広く認められ、日本史の教科書でも「日本の旧石器時代」として説明されている。しかし、それがいつごろまで遡るかについては2000年に旧石器偽造事件が発覚したこともあって、再検討が迫られている(下のEisode参照)。

***Episode ピルトダウン人 [#q5a940a2]
 イギリスでも20世紀に、ピルトダウンでサルとヒトの中間の化石人骨が発見され、学会ははじめそれを信じ、人類学の大発見とされた。ところが、後になってその化石は偽造された物であることが判明、学会が大騒ぎになるという事件が起きている。

***Episode 日本の旧石器偽造事件 [#x1f8510e]
 日本では、1980から90年代にかけて東北地方を中心に、前期旧石器時代の北京原人と同じ時期の遺跡だ、というのをやはり独力で考古学を学んだ人物が次々に発見してマスコミも取り上げ、日本の旧石器文化はその前期までさかのぼるとされるようになり、日本史の教科書に載るまでになった。つぎつぎと旧石器遺跡を発見した考古学者は、「神の手」と言われ、大新聞の一面トップで報じられるような発掘を連発した。ところが2000年、それがまったくの偽物で、実は発掘前に密かに石器を埋めておいたものであったことが、毎日新聞のスクープで発覚し、大騒ぎになった。その学者(?)もねつ造を認め、彼が発見したという遺跡はいずれも国指定をはずされ、教科書から削除された。こうして日本の前期旧石器文化の研究は振り出しに戻ってしまった。

#table_edit(data_旧石器時代, 1n)



旧石器時代 2000.2.27 1部加筆

旧石器時代は三時代に区分されている
前期旧石器時代(約250万~15万年前)は猿人や原人の段階、中期旧石器時代(15万~3万5000年前)は旧人の段階、後期旧石器時代(約3万5000~1万年前)は新人の段階に、それぞれ当てられている。
旧石器時代は地質年代で見た場合、第三紀鮮新世末から第四紀更新世(洪積世)に属し、それは200万年前から1万年前の間に4回の氷期を数えると言う、大氷河時代でもあった。
4回の氷期-ギュンツ・ミンデル・リス・ウルムの各氷期をいう。
更新生の初期には地殻変動によって日本列島の骨格が出来始め、東アジア大陸との間に日本海が広がったが、東シナ海北部では陸続きだった。
その後、氷河期の海面降下のため、二万年前のウルム氷期には現在より約100メートルも海面は下がっていた。
当時の日本列島は亜寒帯から冷温帯気候に属し、気温は現在より四~七度低かった。
更新生はまた、火山活動が活発な時期で、富士山や浅間山が噴火し、関東ローム層を代表とする火山灰層を堆積した。
日本列島の最古の時代を表すのに、先土器時代と言う用語を使ってきたが、それは縄文土器時代に先立つ日本独自の文化段階という意味で使われてきたが、現在では世界史的視野で石器文化を位置付ける旧石器文化(時代)と言う用語が、広く使われている。

|>|>|地質年代|>|氷河年代|文化・人類|単位万年前|h
|第三紀|>|鮮新世|>|ドナウ氷期|前期旧石器時代&br;(猿人・原人段階)&br; -250万年~-15万年前&br;北京原人 -60万年&br;秩父原人 -50万年|200|
|第四紀|更新世|前期|>|間氷期|~|150|
|~|~|~|>|ギュンツ氷期|~|100|
|~|~|中期|>|間氷期|~||
|~|~|~|>|ミンデル氷期|~|50|
|~|~|~|>|間氷期|~||
|~|~|~|>|リス氷期|中期旧石器時代(旧人段階)&br; -15万年~-3万5千年前|15|
|~|~|後期|ウルム氷期|間氷期|~||
|~|~|~|~|亜氷期Ⅰ|~|7|
|~|~|~|~|間氷期|~|4.5|
|~|~|~|~|亜氷期Ⅱ|後期旧石器時代(新人段階)&br; -3万5千年~-1万年前|3.3|
|~|~|~|~|間氷期|~|2.9|
|~|~|~|~|亜氷期Ⅲ|~|2.2|
|~|~|~|~|亜氷期Ⅳ|~|1.65|
|~|>|完新世|>|後氷期|新石器時代&br; (縄文時代)|1.3|

&deco(#990000,,){以上の出典は「100問100答・日本の歴史2・原始・古代」より};
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200910030143.html

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旧石器時代

日本の歴史の始まりは、旧石器時代から紹介していきましょう。現在、何をするにも困らない便利な世の中に暮らしている私たちからしてみれば、石器を使って生活していた時代が不便そうで、自分だったら無理だと思う人もいるかもしれませんが、その時代時代に合わせた暮らしぶりをしたでしょうし、テレビやラジオがなくても、他の地域との情報の共有や伝達ができなくても、困らずに生活していけたのでしょう。
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旧石器時代の始まり

日本列島に人類が住み始めるのと共に、旧石器時代が始まります。日本列島に人類がいたという足跡は、20~30万年前までになると言われていますが、確実なものが出土していないため、年代が確認できるものとしては約35,000年前からになります。

日本列島のおおよその形ができつつあったのが約500万年前で、ユーラシア大陸と陸続きになっていました。度重なる火山の噴火による地殻変動や氷期と間氷期を繰り返していた氷河期時代の地形の変化によって、13,000~12,000年前には大陸から離れて、現在の日本列島になったと言われています。
大陸から渡った旧石器人

こうしてユーラシア大陸と陸続きだった頃、様々な動物が宗谷や津軽、対馬、朝鮮などの海峡を渡ってきたと考えられ、それらの動物を追って、旧石器人も渡ってきたと考えられています。氷河期に大陸と繋がっていた北海道には、マンモス動物群が宗谷から渡り、マンモスを追って、後期旧石器人が渡ってきた可能性が高いと言われているのです。一方、本州や四国、九州、琉球には新しい動物が入ってくることはなく、そのため後期旧石器人も入ってきませんでした。これらの地域には、古くからの固有種が多く残ることになったのは、このためです。
旧石器の発掘

縄文時代より以前の時代は、遺跡や遺物が長いこと発見されなかったために、日本列島に人類は住んでいなかったと考えられていました。ところが、群馬県で旧石器が発見されたのを皮切りに、日本での旧石器時代の調査が始まり、30,000年前から12,000年前の後期旧石器時代の遺跡が、日本列島で4,000箇所も確認されました。
前期・中期旧石器の捏造

後期旧石器の遺跡は数多く発見されていましたが、それ以前のものがなく、後期旧石器時代以前の人類居住はなかったのではないかとする中、東北地方を中心に、次々と前期・中期旧石器時代が日本にあったとする証拠が出土しました。それまでの常識を覆す成果とされましたが、中心人物の藤村新一(現在は違う名字を名乗っている)が発掘現場に石器を埋めているところを撮影され、旧石器発掘捏造を報じられたことにより、前期・中期旧石器時代の確実となる遺跡は今のところ存在しないということになりました。
旧石器時代の暮らしぶり

旧石器時代の遺跡は、見晴らしの良い台地や丘陵、高原などにあることが多く、生活の拠点となる場所の遺跡や、獲ってきた獲物の解体場、石器製作場などの遺跡が見つかっています。ですが、定住していたとする住居の遺跡が少ないことから、一つの場所に定住せず、一定の場所の中を移動しながら猟などをして生活していたと考えられます。
住居

旧石器時代の住居の多くは、洞窟や大きな岩の陰などを上手に利用していたことが知られていますが、そんな中で、竪穴式住居も見つかっています。20,000年以上前の木を組み木にして、皮や草で覆って作られていて、囲炉裏で火を使っていたことも色の変化で分かっています。また、こうした住居の他にも、土坑墓も見つかっていて、生前身につけていたものや、石器や玉などが副葬品として発見されています。
石器・食料

後期旧石器時代には、石を連続的に打ち剥がす、石刃技法という方法で作られたナイフ型石器が数多く出土しています。木や骨を軸にしてくくりつけ、切ったり突いたりするのに使われていたと考えられています。旧石器時代には、狩猟を行って食料としていました。遺跡からは牛やナウマンゾウ、鹿、イノシシ、ウサギなどの骨が発見されています。
骨が少ないわけ

旧石器時代の人骨が少ないわけは、日本の土壌が火山灰による酸性土壌であることが多く、遺跡に人骨が残る例が少ないのです。数少ない旧石器時代の人骨や獣骨は、歴史を知る上での貴重な資料と言えるでしょう。

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