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[[天皇家]]

武烈天皇は仁賢天皇の第六皇子で、母は春日大郎女。倭泊瀬列城宮で即位して18歳で崩御している。「日本書紀」によればその暴虐ぶりが伝えられているが、実際は時期天皇の継体を正当化するための言い訳にすぎないとの見方が正しいのではないかと思われる。
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
名前 	第25代 武烈天皇(ぶれつてんのう)  小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせわかさざき)
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
親族 	父親 	仁賢天皇(にんけんてんのう) 	母親 	春日大娘皇女(かすがのおおいらつめ)
  	皇后 	春日娘子(かすがのいらつめ) 	  	  	  	  	 
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
皇居 	泊瀬列城宮(はつせのなみき)---桜井市出雲

陵墓  	陵名  	傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)
  	現陵は自然丘陵をあたかも前方後円墳のように石垣が巡っているが丘陵上部にも古墳らしきものは見当たらないということだ。
前王廟陵記(1696)では、武烈天皇陵の存在は未詳であるとされている。
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
略歴(5世紀)(6世紀)
489-己巳-仁賢02年 	生誕
498-戊寅-仁賢11年08月08日 	父仁賢天皇が崩御
この月、影媛(物部の娘)を娶ろうとしたが、平群真鳥(へぐりのまとり)の息子鮪(しび)と通じていたことを知りこれを殺してしまう。
498-戊寅-仁賢11年11月11日 	大伴金村連(おおとものかなむらのむらじ)に命じて鮪の父である大臣の平群真鳥(へぐりのまとり)を討つ
498-戊寅-仁賢11年12月 	都を泊瀬列城宮(はつせのなみき)に定め、大伴金村連を大連(おおむらじ)とし即位する
499-己卯-武烈01年03月02日 	春日娘子(かすがのいらつめ)を皇后とする
500-庚辰-武烈02年09月 	妊婦の腹を割いて胎児を見る(書紀記述)
501-辛蛇-武烈03年10月 	人の生爪を抜いて山芋を掘らせる(書紀記述)
506-丙戌-武列8年12月8日 	泊瀬列城宮で崩御 18歳
508-戊子-継体02年10月03日 	傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)に葬られる

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