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名前  	第22代 清寧天皇(せいねいてんのう) 白髪武広国押稚日本根子尊(しらがたけひろくにおしわかやまとねこ)
										
親族 	父親 	雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)
	母親 	葛城韓媛(かつらぎのからひめ)
	皇后 	なし
										
皇居 	磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)---現在の桜井市池ノ内付近

略歴(5世紀)
444-甲申-允恭33年 	生誕
生まれながらにして白髪だったという。
478-戊午-雄略22年01月01日 	立太子
479-己未-雄略23年08月07日 	父帝雄略天皇が崩御
480-庚申-清寧01年01月15日 	即位
480-庚申-清寧01年10月09日 	雄略天皇を丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ) に葬る
481-辛酉-清寧02年11月 	大嘗祭(おおにえのまつり)(だいじょうさい)の供え物を調えるため播磨の国に遣わしていた伊予来目部小楯が明石郡で偶然に市辺押磐皇子の子である億計(おけ)と弘計(をけ)の兄弟を発見
482-壬戌-清寧03年04月07日 	億計を皇太子とし弘計を皇子とする
484-甲子-清寧05年1月16日 	甕栗宮で崩御
体が弱かった清寧は心やさしく民を慈しむ天皇であったという。
484-甲子-清寧05年11月09日 	河内の坂門原陵(さかどのはらのみささぎ)に葬られる

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