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● 後 期(こうき) 縄文文化の転機(約3,000~3,500年前)
 気候の温暖化と落葉広葉樹の恵みに支えられた縄文文化も、この時期には転機を迎える。その背景には、様々な環境変化があった。 この時期、気候は再び冷涼化の兆しを見せ、前期の“縄文海進”で数メートル高くなった海水面が次第に低下、東日本の海山の豊かな生産力も、人口の増加に伴ってそろそろ限界に近づいたのである。その結果、縄文社会は停滞期に入っていった。 土器では、東北地方では、綱取式(つなとりしき)、新地式(しんちしき)、十腰内式(とこしないしき)土器様式が盛んに作られている。しかし、前代までの活力は見られない。ただし、この時期以降、呪術的な土偶や鐸形(さなぎがた)土製品など、直接の生活用具ではない“第2の道具”が増えてくることは、当時の不安定な社会構造を反映するものとして興味深い。

|-2000|||クレタ文明(クノッソス宮殿)&size(6){(--夏)};||
|-2000|||インド=ヨーロッパ語族の大移動が始まる&size(6){(西欧-イタリア-)};||
|-2000|||アッシリア&size(6){(中東-イラク-)};||
|-2000|||ギリシア人(アカイア人)、ギリシア本土(ヘラス)に南下&br;このころクレタ島、中期青銅器時代に入る(~前1600ころ)&size(6){(欧州-ギリシア-)};||
|>|>|>|エーゲ海沿岸にエーゲ文明(クレタ/ミケーネ文明など)が栄える。その後、ポリス(都市国家)が形成されて民主政治が進められる。ギリシャ連合とペルシアの戦いの後にポリス間で大規模な争いがはじまり、エーゲ海沿岸のギリシャは衰退していく。ギリシャ時代のギリシャ文化はギリシャ文字、彫刻、パルテノン神殿。哲学ではピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど。そして、バルカン半島のマケドニア(地方のギリシャ人)のアレクサンドロス大王がエーゲ海沿岸及びペルシアを制圧する。この時に生まれた東西の融合文化はヘレニズム文化と呼ばれる。その時代の人物ではアルキメデス、ユークリッド、エラトステネス、アリスタルコスなど。アレクサンドロス大王の死後は領土争いで国が分裂する。共和政ローマはカルタゴとの地中海の覇権争いに勝利して地中海を制覇する。三頭政治を経てアウグストゥスが初代ローマ皇帝となりローマ帝国が始まる。(最盛期はヨーロッパ及び地中海沿岸全域)紀元前27年から約200年に渡る平穏な時代を「パックス=ロマーナ」(ローマの平和)と呼ぶ。その後、395年にローマは東西の2つの国に分裂する。(東ローマ帝国/西ローマ帝国)遊牧民のフン族の影響で北欧周辺のゲルマン人が南下後、東西に大移動する事により、ゲルマン人による諸国家が建国される。&size(6){(西欧-ギリシャ-)};||
|-2000|>|>|''古代ヨーロッパ-[紀元前~476年]''&size(6){(ヨーロッパ- ヨーロッパ-)};||
|-2000|||COLOR(red):古バビロニア王国&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-2000|||クレタ島を中心にクレタ文明(ミノア文明)が栄える~前1500年(クノッソス遺跡)。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-2000|||中国夏王朝(伝説)成立夏王朝・・禹―?―太康―仲康―相―少康―杼―槐-芒―泄―不降―?―?―孔甲―皋―発―癸―桀&size(6){(東アジア-中国、夏-縄文時代)};||
|-2000|||歴史書には王の系譜まで載っており、血族による皇帝制度はこの王朝から始まったとされています。最近になってやっとその存在を証明するようなものが発見されています。(- -1600)&size(6){(東アジア-中国、夏-)};||
|-2000|>|>|''新石器時代晩期-2000-1000''&size(6){(東アジア-朝鮮-縄文時代)};||
|-2000|||朝鮮あわ、きび、ひえなどを栽培。&size(6){(東アジア-朝鮮-縄文時代)};||
|-2000|||鉢・皿・土瓶など土器の形が多様化&size(6){(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-新石器時代晩期)};||
| | | |CENTER:&size(20){縄文後期};&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||h
|-2000|||前谷遺跡&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-2000|||大規模な環状貝塚&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-2000|||縄文中期→縄文後期&size(6){(日本-日本-)};||
|-2000|||大湯環状列石(秋田県)-1000&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1894|||COLOR(red):アモリ人がバビロン第1王朝(バニロニア)を建国。古バビロニア王国&size(6){(中東-イラク-)};||
|-1813|||COLOR(red):古アッシリア王国&size(6){(中東-イラク-)};||
|-1800|||チャビン文明&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|-1800|||ハムラビ法典制定&size(6){(中東-イラク-)};||
|-1800|||エジプトの第2中間期&size(6){(アフリカ-エジプト-)};||
|-1792|||COLOR(SandyBrown):バビロニアでハンブラビ王が即位。ハンブラビ法典の編纂。&size(6){(中東-イラク-)};||
|-1751|||商王朝(殷)(B.C.1751~B.C.1023)&size(6){(東アジア-中国、商-)};||
|-1711|||湯、諸侯を率いて夏の桀王を殺し、天子の位につく殷、始まる(金徳・白・西)&size(6){(東アジア-中国、殷-)};||
|-1700|||COLOR(red):殷王朝成立&size(6){(東アジア-中国、殷-殷)};||
|-1680|||COLOR(red):ヒッタイト古王国&size(6){(--)};||
|-1600|||神権政治が行われていた伝説の王朝だと言われてきましたが、今世紀に入ってからの殷墟の発掘で実在が確かめられました。また、甲骨文から、この王朝の約1000年後に書かれた、司馬遷の「史記」が極めて正確だったことも確認されました。&br;なお殷という名前は最後の首都名で、王朝の正式名称は商です。この国の人たちが亡国の民となり、各地に散って、仕方なく危険な流通業を始めたことから、その仕事を商業というようになりました。&size(6){(--)};||
|-1600|||クレタ島、後期青銅器時代に入る(~前1100ころ)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1595|||COLOR(red):古バビロニア王国滅亡&size(6){(中東-イラク-)};||
|-1570|||COLOR(red):エジプトの新王国時代&size(6){(アフリカ-エジプト-)};||
|-1550|||COLOR(red):ミタンニ王国&size(6){(--)};||
|-1500|||アーリア人がインドのパンジャブ地方へ進入&size(6){(南アジア-インド-)};||
|-1500|||エーゲ海のサントリニ島で火山爆発&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1500|||ミケーネ文明が栄える(アカイア人)。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1500|||COLOR(red):殷王朝の成立&size(6){(東アジア-中国、殷-殷)};||
|-1500|||-1500年ごろ、中国より農耕伝わる。&size(6){(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮、殷-)};||
|-1450|||クレタ文明滅亡&size(6){(西欧-イタリア-)};||
|-1450|||ギリシャのミケーネ文明&size(6){(西欧-ギリシャ-)};||
|-1400|||ギリシア、ミケーネ文明栄える(エーゲ文明)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1400|||殷王朝の遷都&size(6){(東アジア-中国、殷-殷)};||
|-1364|||アマルナ文化&size(6){(アフリカ-アフリカ-)};||
|-1364|||エジプトのイクナトン&size(6){(アフリカ-エジプト-)};||
|-1300|||メキシコのオルメカ文明&size(6){(中南米-メキシコ-)};||
|-1300|||ギリシア人、エーゲ海・小アジア西岸に植民活動&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1300|||トロヤ戦争-ギリシャ連合軍vsトロヤ王国(ギリシャ勝利)-13世紀。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1300|||黄河文明の繁栄&size(6){(東アジア-中国、殷-殷)};||
|-1300|||BC1300年頃 COLOR(green):無文土器が作られる。&size(6){(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)};||
|-1270|||COLOR(red):ミタンニ王国の滅亡&size(6){(--)};||
|-1260|||モーゼの出エジプト&size(6){(アフリカ-エジプト-)};||
|-1200|||COLOR(red):ヒッタイト新王国滅亡&size(6){(--)};||
|-1200|||リグ・ヴェーダの集大成&size(6){(--)};||
|-1200|||フェニキアの繁栄&size(6){(アフリカ-チュニジア-)};||
|-1200|||トロイア戦争&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1150|||ギリシャにドーリア人南下&size(6){(西欧-ギリシャ-)};||
|-1122|||''箕子朝鮮[-1122-194]''&br;COLOR(red):中国の殷(いん)の賢人、箕子が、箕子朝鮮を建国する。&br;COLOR(black):''箕子朝鮮(?~BC194)''&br;中国の殷(いん)の賢人、箕子(キジャ)が、檀君の王位を継ぎ、箕子(キジャ)朝鮮を建国する。首都は平壌である。箕子朝鮮は、BC194年まで、40世あまり続くことになるが、檀君朝鮮同様、神話・伝説の時代である。&br;BC4世紀COLOR(blue):満州遼寧を中心に、満州と朝鮮半島をつなぐ広い地域を統治する国家に発展した。&br; 鉄器が普及し始めた。?~BC194年に登場するのが箕子(きし)朝鮮。この王朝に関しても、まだ実在の確認はされていませんが「史記」や「漢書」によれば、殷の箕子が建国したということになっています。&size(6){(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮、箕子朝鮮-)};||
|-1100|||ギリシア人の一派ドーリス人、ギリシア本土に侵入&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1090|||エジプトの末期王朝時代&size(6){(アフリカ-エジプト-)};||
|-1071|||紂王、妲己を寵愛する&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-1070|||伯夷・叔斉、このころ周に往く&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-1070|||COLOR(red):''周王朝成立''(華北を統一)&size(6){(東アジア-中国、周-周)};||
|-1070|||COLOR(red):箕氏朝鮮の誕生(伝説)&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-箕子朝鮮)};||
|-1068|||西伯昌(周の文王)、?里に幽閉される&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-1056|||周の文王没&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-1050|||COLOR(red):周王朝による華北の統一&size(6){(東アジア-中国、周-周)};||
|-1050|||周王朝(西周)・・周(西周)王朝の系図・武王発―成王誦―康王釗―昭王瑕―穆王満―共王―懿王―孝王辟方―夷王燮―厲王胡――共和時代――宣王静―幽王宮涅&size(6){(東アジア-中国、周-周)};||
|-1050|||周王朝(西周)・・部族「周」の系図・棄―不―鞠―公劉―慶節―皇僕―差弗―何某―公非―高圉―亜圉―公叔祖類―古公亶父―季歴―昌&size(6){(東アジア-中国、周-周)};||
|-1050|||太公望が武王を助けて天下をとったのがこの王朝です。諸侯を世襲制にし、税や軍役の義務を負わせる封建制度を確立し、『礼』を政治の中心に置く、礼政一致の政体を採りました。  ~前771周【西周】&size(6){(東アジア-中国、周-)};||
|-1050|||周王朝(西周)・・ 周(西周)王朝の系図・武王発―成王誦―康王釗―昭王瑕―穆王満―共王―懿王―孝王辟方―夷王燮―厲王胡――共和時代――宣王静―幽王宮涅&size(6){(東アジア-中国、周-)};||
|-1050|||周王朝(西周)・・ 部族「周」の系図・棄―不―鞠 ―公劉―慶節―皇僕―差弗―何某―公非―高圉― 亜圉―公叔祖類―古公亶父―季歴―昌&size(6){(東アジア-中国、周-)};||
|-1050|||商王朝(殷)・・ 部族「商」の系図・契―昭明―相土―昌若―曹圉―冥―王亥 ―王恒― 上甲微―報丙―報丁―示壬―示癸―湯&size(6){(東アジア-中国、周-)};||
|-1050|||商王朝(殷)・・ 商(殷)王朝の系図・湯―太丁―外丙―仲壬―太甲―沃丁―太庚―小甲―雍己―太戊―仲丁―外壬―河亶甲―祖乙(中宗)―祖辛―沃甲―祖丁―南庚―陽甲―盤庚―小辛―小乙―武丁(高宗)―祖甲―康丁―武乙―文丁―帝乙―帝辛(紂)&size(6){(東アジア-中国、殷-)};||
|-1050|||商王朝(殷)・・商(殷)王朝の系図・湯―太丁―外丙―仲壬―太甲―沃丁―太庚―小甲―雍己―太戊―仲丁―外壬―河亶甲―祖乙(中宗)―祖辛―沃甲―祖丁―南庚―陽甲―盤庚―小辛―小乙―武丁(高宗)―祖甲―康丁―武乙―文丁―帝乙―帝辛(紂)&size(6){(東アジア-中国、殷、周-周)};||
|-1050|||商王朝(殷)・・部族「商」の系図・契―昭明―相土―昌若―曹圉―冥―王亥―王恒―上甲微―報丙―報丁―示壬―示癸―湯&size(6){(東アジア-中国、殷、周-周)};||
|-1047|||比干殺され、箕子捕らわれ、微子殷を去る&size(6){(東アジア-中国、殷、周-)};||
|-1046|||周の武王、太公望・周公旦・召公 らと殷を討つ 紂王自殺 周(西周)、始まる(火徳・赤・南)&size(6){(東アジア-中国、殷、周-)};||
|-1045|||(~1006年)魯、燕、衛、晋、曹、蔡、呉、陳、宋、斉、楚の諸侯、成立&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-1043|||武王没成王即位し、周公旦が摂政となる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-1043|||周公旦を疑い、紂王の子武庚と、周公の兄弟菅叔鮮・蔡叔度が反乱を起こす(三監の乱)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-1023|||周王朝(西周)(B.C.1023~B.C.771)&size(6){(東アジア-中国、周-)};||
|-1000|||COLOR(red):イスラエル王国&size(6){(中東-イスラエル-イスラエル)};||
|-1000|||COLOR(red):バラモン教の成立→インドのカースト制度&size(6){(南アジア-インド-インド)};||
|-1000|||アーリア人がガンジス川流域に進出&size(6){(南アジア-インド-)};||
|-1000|||とうもろこしを主とする農耕&size(6){(中南米-メキシコ-)};||
|-1000|||メキシコのオルメカ文化&size(6){(中南米-メキシコ-)};||
|-1000|||イタリア半島にインド・ヨーロッパ語族のイタリア人が侵入・定住&br;このころエトルリア人もイタリア半島に来住か&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1000|>|>|''無文土器時代[-1000年頃-100年]&br;無文土器時代前期(-1000-700)''&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-無文土器時代)};||
|-1000|||BC10世紀頃 COLOR(blue):朝鮮半島ではこの頃、青銅器時代が始まり、支配階級の武器や装飾品として用いられた。&br;COLOR(blue):アワ、ムギ、ダイズ、イネが栽培された。&br;COLOR(blue):青銅器の武器を使用し他の部族を制服するなど勢力を拡張していった。&br;一部の地域で稲作。? 竪穴式住居。&br;COLOR(black):青銅器文化の展開・古朝鮮の発展&br;COLOR(green):青銅器文化が始まる。BC1000年頃&br;COLOR(green):水稲栽培始まる。BC10~8世紀頃&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)};||
|-1000|||COLOR(blue):BC1000頃青銅器文化の展開&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-青銅器文化)};||
|-1000|||COLOR(blue):BC1000頃古朝鮮の発展&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)};||
|-1000|||亀ヶ岡遺跡(青森県)-500&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||宇宿貝塚・草野貝塚&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||市来式土器・指宿式土器が盛ん&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||漆塗りなどの小型土器発達&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||装身具・呪術的な道具発達&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|>|>|''縄文後期→縄文晩期''&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
| | | |CENTER:&size(20){縄文晩期};&size(6){(日本-日本-)};||

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