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  • 縄文晩期 へ行く。

● 晩 期(ばんき) 縄文文化の終着点(約3,000~2,400年前)
 この縄文時代最後の「晩期」には、関東地方以西で急速な人口減少が進む中、東北地方ではその厳しい自然条件を克服して亀ケ岡式土器様式の華麗な文化が創造される。約 3,000年前に盛行した華麗な赤彩の壺形土器、繊細な文様に包まれた注口土器そして完成された漆工芸の技術。それらは東北地方に結実した縄文文化8,000年の終着点であり、その繊細さは他の土器様式の追随を許さない。これ以降、東北縄文人たちは、ついに稲作技術を受入れ、縄文文化の伝統を底流に置きながら次の弥生時代の社会を形成していく。今から約2,400年ほど前、九州地方の北部で弥生式土器が成立してから、僅か200年足らずのことである。

|-1000|||COLOR(red):イスラエル王国&size(6){(中東-イスラエル-イスラエル)};||
|-1000|||COLOR(red):バラモン教の成立→インドのカースト制度&size(6){(南アジア-インド-インド)};||
|-1000|||アーリア人がガンジス川流域に進出&size(6){(南アジア-インド-)};||
|-1000|||とうもろこしを主とする農耕&size(6){(中南米-メキシコ-)};||
|-1000|||メキシコのオルメカ文化&size(6){(中南米-メキシコ-)};||
|-1000|||イタリア半島にインド・ヨーロッパ語族のイタリア人が侵入・定住&br;このころエトルリア人もイタリア半島に来住か&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-1000|>|>|''無文土器時代[-1000年頃-100年]&br;無文土器時代前期(-1000-700)''&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-無文土器時代)};||
|-1000|||BC10世紀頃 COLOR(blue):朝鮮半島ではこの頃、青銅器時代が始まり、支配階級の武器や装飾品として用いられた。&br;COLOR(blue):アワ、ムギ、ダイズ、イネが栽培された。&br;COLOR(blue):青銅器の武器を使用し他の部族を制服するなど勢力を拡張していった。&br;一部の地域で稲作。? 竪穴式住居。&br;COLOR(black):青銅器文化の展開・古朝鮮の発展&br;COLOR(green):青銅器文化が始まる。BC1000年頃&br;COLOR(green):水稲栽培始まる。BC10~8世紀頃&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)};||
|-1000|||COLOR(blue):BC1000頃青銅器文化の展開&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-青銅器文化)};||
|-1000|||COLOR(blue):BC1000頃古朝鮮の発展&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)};||
|-1000|||亀ヶ岡遺跡(青森県)-500&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||宇宿貝塚・草野貝塚&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||市来式土器・指宿式土器が盛ん&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||漆塗りなどの小型土器発達&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|||装身具・呪術的な道具発達&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-1000|>|>|''縄文後期→縄文晩期''&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
| | | |CENTER:&size(20){縄文晩期};&size(6){(日本-日本-)};||h
|-971|||COLOR(red):イスラエル王国のソロモン王(-932)&size(6){(中東-イスラエル-イスラエル)};||
|-928|||COLOR(red):イスラエル分裂&size(6){(中東-イスラエル-イスラエル)};||
|-920|||COLOR(red):クシュ王国の形成&size(6){(アフリカ-アフリカ-)};||
|-900|||ポリスの形成&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-900|||九州北部へ農耕が伝わる&size(6){(日本-日本-)};||
|-841|||『史記』十二諸侯年表、この年より始まる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-814|||カルタゴ建設される&size(6){(アフリカ-チュニジア-)};||
|-800|||ギリシア人の地中海進出始まる(南イタリアほか)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-800|||BC800年頃 COLOR(green):古朝鮮の実在節有り&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)};||
|-779|||幽王、褒 を娶り、政事乱れる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-776|||ギリシアで第1回オリンピア競技開催&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-776|||ポリス(都市国家)が形成される。商業都市:アテネ軍事都市:スパルタ都市:テーベ-8世紀~。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-776|||第一回オリンピックの開催。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-772|||魯国編年史『春秋』の記載始まる春秋時代始まる(~前481年)鄭の荘公、共叔段の乱を平定&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-771|||異民族の侵入によりいったん滅んだ西周の政権が洛邑に遷都して維持した政権です。しかし、その勢力は諸侯よりも小さく、各地の封国が力を持ち始めたのがこの時代です。孔子や老子などいろいろな思想が出ました。&br;周の力は完全に地に落ち、各国が領土と覇権を争って本気になった時代です。   ~前403頃春秋時代【東周】&size(6){(--)};||
|-771|||東周(B.C.771~B.C.256)&size(6){(--)};||
|-771|||幽王、犬戎に殺される諸侯、平王を擁立&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-770|||東周・・ 平王が晋・鄭・衛・秦(国名)の力を借りて周を東遷し、東周が誕生。以下25代の王が立つ。&size(6){(--)};||
|-770|||平王、 邑(洛陽)に遷都東周、始まる(~前256年)秦、諸侯に列せられる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-770|||このころより、諸侯間及び諸侯国内の抗争しだいに激化&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-770|>|>|''周の東遷→東周時代(~403)''&size(6){(東アジア-中国、周-周)};||
|-770|||春秋時代始まる(~-403)・・桓公(斉)・文公(晋)・荘王(楚)・穆公(秦)・夫差(呉)・勾践(越)()内は国名。&size(6){(東アジア-中国、斉・晋・楚・秦・呉・越-春秋時代)};||
|-770|||東周・・平王が晋・鄭・衛・秦(国名)の力を借りて周を東遷し、東周が誕生。以下25代の王が立つ。&size(6){(東アジア-中国、東周-東周)};||
|-753|||COLOR(red):王政伝説上のローマ建国の年(伝説)&size(6){(西欧-イタリア、ローマ-)};||
|-753|||カルタゴ(フェニキア人)は西地中海の貿易を独占-6世紀~。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(アフリカ-チュニジア-)};||
|-753|||ローマの建国(伝承による)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-753|||古代ローマが建国される。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-750|||COLOR(red):古代ローマが建国される&size(6){(西欧-イタリア、ローマ-)};||
|-750|||『イリアス』『オデュッセイア』の作者ホメロス在世と伝えられる&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-745|||アッシリアが全オリエントを統一し、アッシリア帝国として強大になる。&size(6){(中東-イラク-)};||
|-745|||COLOR(red):新アッシリア帝国の建設&size(6){(中東-イラク-)};||
|-725|||ギリシアのスパルタ、メッセニア征服&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-722|||春秋時代の記述、この年から始まる(B.C.722~B.C.403)&size(6){(--)};||
|-722|||アッシリア帝国がイスラエル王国を滅ぼす。&size(6){(-アッシリア、イスラエル-)};||
|-722|||COLOR(red):アッシリア帝国が北イスラエル王国を滅ぼす。&size(6){(中東-イラク、アッシリア帝国、イスラエル王国-)};||
|-719|||衛の州吁、桓公を弑す衛人、州吁を濮に殺す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-717|||鄭の荘公、陳を破る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-715|||COLOR(red):メソポタミア(イラン高原)でメディア王国が成立。&size(6){(中東-イラク、メディア王国-)};||
|-714|||鄭、大いに北戎を破る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-712|||鄭の荘公、許に入り、宋を破る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-711|2|13|庚午年01月01日 神武天皇生誕&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-707|||周の桓王、鄭を討ち大敗楚の熊通、王号を冒し、武王と称す(前704年説あり)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-700|>|>|''無文土器時代中期(-700-300)''&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-無文土器時代中期)};||
|-700|||-700年ごろ、青銅器伝わる。&br;水稲栽培はじまる&size(6){(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)};||
|-694|||斉の襄公、魯の桓公を殺す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-686|||公孫無知、斉の襄公を弑す管仲、公子糾とともに魯に奔る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-685|||斉の雍廩、公孫無知を殺し公子小白(桓公)を立てる管仲を宰相に迎える&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-681|||魯の曹沫、斉の桓公を脅して失地を回復する&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-679|||斉の桓公、斉・宋・陳・衛・鄭の諸侯と甄で会盟し、覇者を称す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-667|||斉の桓公、周王より伯(覇者)を賜る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-667|10|5|神武天皇が日向の国を出発し東征開始&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-666|||晋の驪姫、その子奚斉を立てんとし、公子申生・重耳・夷吾を逐う&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-666|3|6|神武天皇は吉備国に到着。高島宮をつくり、そこで船軍を整える&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-663|2|11|神武天皇の軍が吉備の国を出発し東征再開&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-662|3|7|神武天皇が橿原宮造営開始&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-661|9|24|神武天皇は事代主神の娘媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を召して正妃とする&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-660|||魯の慶父、 公を弑す季友、釐公を擁立して慶父を殺すこれより魯の三桓氏興る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-660|2|11|COLOR(SandyBrown):第1代神武天皇が橿原宮で即位&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-655|||晋の献公、太子申生を殺す公子重耳(のちの文公)、狄へ逃げる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-651|||斉の桓公、諸侯を葵丘に会し、桓公の覇業成る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-645|||晋の繆公、夷吾を帰国させる(晋の恵公)斉の宰相管仲没&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-643|||斉の桓公没&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-639|||宋の襄公、覇者たらんとして諸侯を会するも楚に捕らわれのち許される&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-638|||宋の襄公、楚と泓水に戦って敗れ(宋襄の仁)、翌年死す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-636|||晋の公子重耳、亡命19年ののち即位(文公)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-633|||アッシリア帝国のアッシュールパニパル王が、エジプトの首都テーベを占領。&size(6){(--)};||
|-633|||アッシリア帝国のアッシュールパニパル王が、エジプトの首都テーベを占領。&size(6){(アフリカ-エジプト、イラク-)};||
|-632|||晋の文公、楚を城濮に破り(春秋五大戦の一)、周王を迎え、践土に会盟して覇者となる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-632|||神渟名川耳尊(綏靖天皇)生誕&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-630|||ゾロアスター教の創始&size(6){(--)};||
|-628|||晋の文公没&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-627|||晋の襄公、秦を に破る(春秋五大戦の二)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-625|||COLOR(red):メソポタミアで新バビロニア王国が成立。&size(6){(中東-イラク-)};||
|-624|||秦の繆公(穆公)、西戎に覇をとなえる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-621|||ギリシア、最古の成文法ドラコンの法典制定&br;このころギリシアの植民運動盛ん&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-621|||秦の繆公没&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-619|1|3|神渟名川耳尊(綏靖天皇)を皇太子とする&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-618|||楚、鄭・陳を討ち、和解す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-617|||楚、宋を討たんとし、和議なる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-616|||エトルリア人の王によるローマ支配&size(6){(西欧-イタリア、ローマ-)};||
|-615|||晋、秦を河曲に破る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-609|||アッシリア帝国が完全に滅亡。&size(6){(中東-イラク-)};||
|-608|||晋、陳・宋を救って鄭を討つ&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-607|||晋の趙盾、霊公を弑す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-606|||楚の荘王、陸渾の戎を討ち、周の大夫王孫満に「鼎の軽重」を問う&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-600|||タレス、こはくの摩擦電気、磁気現象などを発見(ギリシア科学の始)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-600|||このころ老子生まれる(伝説)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-599|||陳の大夫夏徴舒、霊公を弑す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-598|||COLOR(red):新バビロニア王国が、ユダ王国を滅ぼし住民を強制移住&奴隷化(バビロン捕囚)。&size(6){(中東-イラク-)};||
|-598|||楚の荘王、陳を討って夏徴舒を殺し、夏姫を楚につれもどす&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-597|||楚の荘王、晋を?に破り、覇者となる(春秋五大戦の三)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-594|||ギリシアのアテネでソロンの改革/-593&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-594|||ソロンの改革-民衆裁判/評議会の設置など民主主義の基礎となる。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-591|||楚の荘王没&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-589|||晋、魯・衛・曹を率いて、斉を鞍に破る(春秋五大戦の四)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-588|||晋、六軍を作る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-586|||COLOR(red):ユダヤ王国滅亡&size(6){(--)};||
|-586|||バビロンの捕囚&size(6){(--)};||
|-585|3|11|第1代神武天皇が崩御127歳&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-584|9|12|神武天皇を畝傍山の東北の陵に葬った&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-581|1|8|第2代 綏靖天皇&size(6){(--)};||
|-581|1|8|COLOR(SandyBrown):第2代綏靖天皇が葛城高丘宮で即位。&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-580|1||綏靖天皇が五十鈴依媛を皇后とする。&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-579|||宋の華元の斡旋で晋・楚の和平なる(第一次和平)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-577|||磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)生誕&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-575|||晋、楚・鄭を 陵に破る(春秋五大戦の五)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-561|||ペイシストラトス、アテネの僭主となる&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-557|||シャカ(仏陀)生まれる&size(6){( - -)};||
|-557|1|7|磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)立太子。21歳&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-553|||大日本彦耜友尊(懿徳天皇)生誕&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-551|||孔子(孔丘)、魯に生まれる(公羊伝・穀梁伝では前552年)&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-550|||仏陀、孔子、老子&size(6){(--)};||
|-550|||COLOR(red):アケメネス朝ペルシアによって、メディア王国が滅亡。前539年には新バビロニアが滅亡。&size(6){(中東-イラク、ペルシャ-)};||
|-549|5|10|綏靖天皇崩御84歳&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-549|7|3|第3代 安寧天皇&size(6){(--)};||
|-549|7|3|COLOR(SandyBrown):第3代安寧天皇が即位&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-549|10|11|綏靖天皇を桃花鳥田丘上陵に葬る。&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-547|||安寧天皇が片塩の浮穴宮に遷都する。&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-546|||宋の向戌の提唱で、晋・楚・秦以下13ヵ国間に和平なる(第二次和平)以後、40年間、休戦&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-546|1|5|安寧天皇が渟名底仲媛命を皇后にする。&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-542|||このころ子路(仲由)生まれる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-539|||COLOR(red):新バビロニアが滅亡。&size(6){(中東-イラン、ペルシャ-)};||
|-539|||COLOR(red):ペルシャ帝国の建設&size(6){(中東-イラン、ペルシャ-)};||
|-538|1|1|大日本彦耜友尊(懿徳天皇)立太子&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-537|||魯の三桓氏、国軍を三分して私軍とす&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-536|||鄭の宰相子産、中国最初の成文法「刑書」を鼎に鋳る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-535|||このころ孫子(孫武)生まれる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-530|||ギリシアのピタゴラス、南イタリアで活躍&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-525|||アケメネス朝ペルシアのカンビュセス2世、エジプトを征服。全オリエントの統一。&size(6){(アフリカ-エジプト、イラク、ペルシャ-)};||
|-525|||エジプトがペルシャに占領される&size(6){(アフリカ-エジプト、ペルシャ-)};||
|-522|||楚の平王、伍奢とその子伍尚を殺す伍尚の弟伍員(伍子胥)、呉に奔る&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-521|||このころ顔回(顔淵)生まれる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-520|||このころ子貢(端木賜)生まれる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-517|||魯の昭公、三桓氏に攻められ、斉に亡命孔子、斉に往く&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-515|||呉の公子光(闔廬)、王僚を弑して立つ&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-511|||呉、伍子胥の計を用いて楚を侵す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-511|12|6|安寧天皇崩御(磯城津彦玉手看尊)(天皇(3代))<67歳>&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-510|2|4|COLOR(SandyBrown):第4代懿徳天皇が即位&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-510|8|1|安寧天皇を御蔭井上陵(みほとのいのえのみささぎ)に葬る&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-509|||共和政エトルリア人の王が追放され、貴族共和政がはじまる。&size(6){(西欧-イタリア、ローマ-)};||
|-509|||ローマ王政倒れ、共和政となる(伝承による)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-509|||古代ローマが共和政ローマとなる。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-509|1|5|懿徳天皇が、軽の曲峡宮に遷都。&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-509|2|11|懿徳天皇が天豊津媛を皇后とする。&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-508|||(陶片追放創始)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-508|||COLOR(red):アテネの民主制成立&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-508|||アテネでクレイステネスの民主改革/-507&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-508|||クレイステネスの改革-民主政治を進める。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-506|||呉、柏挙に楚を破り、呉軍、楚都郢にはいる斉の晏嬰没&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-506|||観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)生誕&size(6){(日本-日本-縄文時代)};||
|-505|||越、呉を侵す楚の申包胥、秦軍の救援を得て楚を救う呉、敗退す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-505|||魯、季桓氏の家臣陽虎の専制始まるこのころ、陽虎、孔子を招聘&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-505|||このころ曾子(曾参)生まれる&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-500|||イオニア植民市のポリスがペルシアに反抗〔イオニアの反乱〕、ペルシア戦争始まる(~前450/449)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-500|||ペルシア戦争(マラトンの戦い/サラミスの海戦など)ギリシャ連合軍vsペルシア(ギリシャ勝利)~前449年。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等]&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|-500|||魯、斉と夾谷に会盟し、孔子随行す&size(6){(東アジア-中国-)};||
|-500|||菜畑遺跡で水田稲作&br;水田稲作が広まる&br;青銅器と鉄器が大陸から伝わる&size(6){(日本-日本-縄文時代 → 弥生時代)};||
|-500|>|>|''縄文晩期→弥生前期''&size(6){(日本-日本-)};||
| | | |CENTER:&size(20){弥生前期};&size(6){(日本-日本-)};||
|-500|||BGCOLOR(lightgray):弥生前期紀元前1世紀、石器は減少し、鉄製工具普及。&br;鉄製の刃の鍬・鋤を使用&br;乾田の開発&br;邪馬台国連合の形成(『魏志』倭人伝)&br;大型の墳丘墓出現&size(6){(日本-日本-)};||

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