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[[天皇家]]

名前  	毛人  豊浦大臣(とゆらのおおおみ)  蘇我蝦夷(そがのえみし)
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 
親族 	父 	蘇我馬子(そがのうまこ)
  	  	  	  	  	  	  	  	  	  	 

略歴(7世紀)
626- 丙戌-推古34年05月20日 	父蘇我馬子歿(76歳だったと思われる)
642- 壬寅-皇極01年01月15日 	皇極天皇即位
大臣はこれまでどおり蘇我蝦夷であったが、実際の執務はすでに息子の入鹿が行っていたようだ。
642- 壬寅-皇極01年02月22日 	高麗・百済の客を難波の郡で饗応
642- 壬寅-皇極01年09月19日 	皇極天皇に板蓋宮の建設を命じられる

642-壬寅-皇極01年
この年蝦夷は今木(御所市東南)に双墓を造り大きい方を自分の墓とし小さい方を入鹿の墓とした。このとき使役した部民が聖徳太子養育のため定められた部民であったため上宮大娘姫(過密宮のいらつめ)(聖徳太子の母)は怒る
643- 壬寅-皇極01年10月06日 	病気のため出仕せず紫冠(大臣の位)を子の入鹿に授けた
643- 壬寅-皇極01年11月01日 	天皇位を争って敗れた聖徳太子の子・山背大兄王を蘇我入鹿が急襲する。一時は生駒に逃れる
643- 壬寅-皇極01年11月11日 	山背大兄王を自殺に追い込む
644- 甲辰-皇極03年11月 	蝦夷、入鹿が甘樫岡に邸宅を建てる。蝦夷の家を上の御門、入鹿の家を谷の御門と呼び、子供達を王子(みこ)と呼ぶ
645- 乙巳-皇極04年06月12日 	子の入鹿が中大兄らの手により斬られ屍が届けられる。
645- 乙巳-皇極04年06月12日 	国記、天皇記、珍宝を殺される前に焼き自害。ただ国記だけは船史恵尺によって持ち出され中大兄に届けられる。

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