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|年|||人物|国|h
|1526|4|29|第105代 後奈良天皇||
|1573|||日本の室町幕府が滅亡 信長、足利義昭を追放|天正|
|1573|||肝付氏の大軍、末吉を攻める 義久、薩摩・大隈の兵をもって肝付氏を討つ|天正|
|1467|||戦国時代(1493 - 1573)(日本-応仁)||
|1467|||応仁の乱(→1477)  (日本-応仁)||
|1467|3|5|応仁(おうにん)(1467.3.5-1468)  (日本-応仁)||
|1468|||勝元、管領となる  (日本-応仁)||
|1469|4|28|文明(ぶんめい)(1469.4.28-1486)  (日本-文明)||
|1470|||第二尚氏王統(1470 - 1879)  (-)||
|1471|||桜島黒神村で大噴火  (日本-文明)||
|1471|||蓮如、越前に吉崎道場を創建  (日本-文明)||
|1472|||近江坂本の馬借一揆  (日本-文明)||
|1473|||細川勝元死去、義政、将軍を辞し、義尚継ぐ  (日本-文明)||
|1474|||義政、朝鮮に明の勘合符を求める  (日本-文明)||
|1476|||桜島大噴火  (日本-文明)||
|1477|||応仁の乱終結、京都焦土と化す  (日本-文明)||
|1477|||島津忠昌に背いた国久・季久が降伏する  (日本-文明)||
|1478|||幕府、忠昌に遣明使船保護を依頼する  (日本-文明)||
|1479|||蓮如、山科に本願寺を創立  (日本-文明)||
|1479|||COLOR(red):スペイン王国の成立(カスチラとアラゴンの合同)  (欧州-)||
|1480|||農民の疲弊甚だしく、各地に一揆起こる  (日本-文明)||
|1480|||幕府、島津忠昌に琉球貿易回復を催促させる  (日本-文明)||
|1480|||COLOR(red):モスクワ大公国独立   (欧州-)||
|1481|||足利義政、勘合船を朝鮮に派遣  (日本-文明)||
|1481|||琉球紋船来航  (日本-文明)||
|1483|||義政、東山に銀閣を営む  (日本-文明)||
|1483|||幕府、周璋遣明につき島津一族に警衛を命ずる  (日本-文明)||
|1484|||. 伊作久逸、飫肥の新納忠続を攻める  (日本-文明)||
|1485|||山城・大和河内土一揆(自治を実行)  (日本-文明)||
|1485|||COLOR(red):英のチューダー朝成立  (欧州-)||
|1486|||京都に徳政一揆  (日本-文明)||
|1487|||   (日本-長享)||
|1487|||孝宗弘治帝(朱祐樘)   (アジア-中国/明)||
|1487|||明・朱氏・・ 弘治帝  (アジア-中国/明)||
|1487|7|2|長享(ちょうきょう)(1487.7.2-1488)  (日本-長享)||
|1488|||加賀に一向一揆(翌年守護を自殺させる)  (日本-長享)||
|1488|||バーソロミュー=ディアスが喜望峰に達する  (アフリカ-)||
|1488|||COLOR(green):弘治帝・即位 -1505(アジア-中国/明)||
|1489|||   (日本-延徳)||
|1489|8|21|延徳(えんとく)(1489.8.21-1491)  (日本-延徳)||
|1490|||京都に土一揆  (日本-延徳)||
|1491|||北条早雲、伊豆を攻略(戦国時代始まる)  (日本-延徳)||
|1492|||   (日本-室町(戦国)時代)||
|1492|||   (日本-明応)||
|1492|||コロンブスが新大陸を到達   (北米-アメリカ)||
|1492|||コロンブスが西インド諸島に達する  (北米-アメリカ)||
|1492|7|19|明応(めいおう)(1492.7.19-1500)  (日本-明応)||
|1493|||細川政元、将軍に反す  (日本-明応)||
|1493|||└ 戦国時代(1493 - 1573)  (-)||
|1493|||応仁の乱  (-)||
|1493|||東山文化  (-)||
|1494|||「三国志演義」なる  (アジア-)||
|1494|||教皇境界線の決定  (欧州-)||
|1495|||北条早雲、大森氏を追い、小田原城に入る  (日本-明応)||
|1496|||蓮如、大阪石山別院を築く(石山本願寺)  (日本-明応)||
|1497|||カボットが北アメリカを探検  (北米-アメリカ)||
|1498|||バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見   (アジア-)||
|1498|||バスコダ=ガマがアフリカ南端を周りカリカットに達する  (アフリカ-)||
|1500|||アーカンソー州、16世紀半ば以降ミシシッピ川中流の西岸に広がる領域はスペインとフランスが支配権を握っていた  (北米-アメリカ/アーカンソー州)||
|1500|||幕府、初めて撰銭を禁ず(撰銭令)  (日本-明応)||
|1500|10|25|COLOR(green):第104代 後柏原天皇  (日本-)||
|1501|||   (日本-文亀)||
|1501|||朝廷、幕府に即位礼の費用を求める  (日本-文亀)||
|1501|||アメリゴ=ベスプッチがブラジル沿岸を南下  (欧州/南米-/ブラジル)||
|1501|2|29|文亀(ぶんき)(1501.2.29-1503)  (日本-文亀)||
|1503|||幕府、勘合符を朝鮮に求める  (日本-文亀)||
|1504|||   (日本-永正)||
|1504|||京都に土一揆、幕府徳政令を承認  (日本-永正)||
|1504|2|3|永正(えいしょう)(1504.2.3-1520)  (日本-永正)||
|1506|||加賀・能登一向宗徒、越前守護と争う  (日本-永正)||
|1506|||島津忠昌、肝付兼久を討つ  (日本-永正)||
|1506|||イタリアのセント・ピーター寺院が完成   (欧州-)||
|1506|||COLOR(green):明・朱氏・・ 武宗正徳帝(朱厚照)・即位 -1521(アジア-中国/明)||
|1507|||大内義興、義稙を奉じて上洛を企てる  (日本-永正)||
|1508|||. 島津忠昌清水城にて自殺  (日本-永正)||
|1508|||ミケランジェロがシスチン礼拝堂壁画に着手  (欧州-)||
|1509|||対馬島民、朝鮮を侵す  (日本-永正)||
|1509|||エラスムスの「痴愚神礼賛」なる  (欧州-)||
|1510|||この年以降薩摩・大隈・日向の三国乱れる  (日本-永正)||
|1510|||三浦の乱  (日本-永正)||
|1510|||ポルトガルがインドのゴアを占領  (アジア-)||
|1511|||山城の土一揆、徳政を要求  (日本-永正)||
|1512|||対馬の宗氏、朝鮮と壬申約定を締結す  (日本-永正)||
|1513|||マキャベリの「君主論」なる  (欧州-)||
|1515|||蝦夷の乱平定(1513→)  (日本-永正)||
|1516|||島津忠隆、備中の三宅国秀を坊津で討つ  (日本-永正)||
|1516|||幕府、大内氏に遣明船を管理させる  (日本-永正)||
|1516|||トマス=モアの「ユートピア」なる  (欧州-)||
|1517|||今川氏親、遠江国引間城に斯波義凌逵を攻略  (日本-永正)||
|1517|||ルターの「95か条の意見書」  (欧州-)||
|1517|||ルター宗教改革   (-)||
|1518|||忠隆、書を琉球王に送る 琉球王尚真、薩摩へ来航  (日本-永正)||
|1519|||マゼランの一行が世界周航に出発(~1522)  (欧州-)||
|1519|||レオナルド=ダ=ヴィンチが死去  (欧州-)||
|1519|||マゼラン船隊が世界一周(~1522)   (-)||
|1520|||京畿に土一揆、幕府徳政令を発す  (日本-永正)||
|1520|||細川氏、遣明船を種子島で建造  (日本-永正)||
|1520|10|29|フェルディナンド・マゼランがマゼラン海峡を「発見」。   (-)||
|1521|||   (日本-大永)||
|1521|||足利義晴、征夷大将軍となる  (日本-大永)||
|1521|||琉球紋船到来 種子島忠時、使節を那覇に遣わす  (日本-大永)||
|1521|||世宗嘉靖帝(朱厚熜)   (アジア-中国/明)||
|1521|||明・朱氏・・ 嘉靖帝  (アジア-中国/明)||
|1521|||コルテスがメキシコを占領  (欧州/南米-アメリカ)||
|1521|8|23|大永(だいえい)(1521.8.23-1527)  (日本-大永)||
|1522|||大内義興、義稙を報じて上洛を企てる  (日本-大永)||
|1522|||COLOR(green):嘉靖帝・即位 -1567(アジア-中国/明)||
|1523|||細川高国・大内義興の各使者、明の寧波にて争う 細川高国、島津忠朝・種子島氏に遣明船警護を依頼  (日本-大永)||
|1523|||このころ倭寇  (日本-)||
|1524|||北条氏綱、江戸城を奪取  (日本-大永)||
|1524|||ドイツ農民戦争(~1525)   (欧州-)||
|1525|||. 島津忠良、武具を琉球王に贈る  (日本-大永)||
|1526|||幕府、徳政を行う  (日本-大永)||
|1526|||琉球王尚真、島津忠良に絹糸を贈る  (日本-大永)||
|1526|||COLOR(red):インドにムガール帝国が成立(~1858)   (アジア-インド)||
|1526|4|29|COLOR(green):第105代 後奈良天皇  (日本-)||
|1527|||帖佐地頭島津昌久、加治木地頭伊地知重貞とともに背く  忠良、加治木・帖佐を陥し、昌久を誅す  (日本-大永)||
|1528|||   (日本-享禄)||
|1528|||細川・大内の使者、明の寧波で争う  (日本-享録)||
|1528|8|2|享禄(きょうろく)(1528.8.2-1531)  (日本-享禄)||
|1529|||大内義隆、島津忠朝に対明貿易復活斡旋を依頼  (日本-享録)||
|1529|||天 竺人、周防に来着、眼鏡・望遠鏡を伝える  (日本-享録)||
|1529|||王陽明の死  (アジア-)||
|1530|||大内氏、遣明船を種子島で建造  (日本-享録)||
|1530|||幕府、徳政令を発布  (日本-享録)||
|1531|||明が一条鞭法を実施  (アジア-中国/明)||
|1531|||加賀に一向一揆  (日本-享録)||
|1532|||   (日本-天文)||
|1532|||島津忠朝、北郷忠相とともに伊東義祐を高城に破る  (日本-天文)||
|1532|||法華一揆、山科本願寺を焼く  (日本-天文)||
|1532|7|29|天文(てんぶん)(1532.7.29-1554)  (日本-天文)||
|1533|||石見の大森銀山を開発  (日本-天文)||
|1533|||忠良、南郷城を攻め桑波田孫六を殺す  (日本-天文)||
|1533|||インカ帝国、滅亡   (南米-インカ帝国)||
|1533|||ロシアのイワン4世(雷帝)即位  (欧州-)||
|1534|||紀伊に惣国一揆成立  (日本-天文)||
|1534|||イエズス会(耶蘇会)成立   (欧州-)||
|1534|||イギリス国教会の成立  (欧州-)||
|1535|||勝久、実久と谷山で戦い敗北  (日本-天文)||
|1536|||天文法華の乱  (日本-天文)||
|1537|||今川義元、武田信虎と同盟し北条氏綱と絶交  (日本-天文)||
|1537|||忠良、実久と紫原に戦う  (日本-天文)||
|1538|||国府台の戦い…北条氏綱、足利義明を破る  (日本-天文)||
|1538|||インドでナーナク(シーク教の創始者)死亡  (アジア-)||
|1539|||貴久、実久軍を紫原に破る  (日本-天文)||
|1539|||陸奥会津に百姓一揆  (日本-天文)||
|1540|||諸国に悪疫流行  (日本-天文)||
|1540|||明船、種子島竹崎浦へ漂着  (日本-天文)||
|1541|||ポルトガル船、豊後に漂着  (日本-天文)||
|1541|||貴久、伊集院忠郎に樺山氏を助けさせる  (日本-天文)||
|1541|||島津忠広・北郷忠相ら樺山幸久を攻める  (日本-天文)||
|1541|||カルビンが宗教改革を開始  (欧州-)||
|1542|||今川義元、織田信秀と戦う  (日本-天文)||
|1542|||忠良・貴久、北原祐兼と結ぶ 島津忠広、北郷忠孝肝付軍と戦う  (日本-天文)||
|1542|||フランシスコ=ザビエルがゴアに来る  (アジア-)||
|1543|||ポルトガル船種子島に、鉄砲伝来  (日本-天文)||
|1543|||コペルニクスの「天体の回転について」発刊  (欧州-)||
|1543|||日本の種子島にポルトガル人が漂着(鉄砲の伝来)  (日本-)||
|1543|||コペルニクスが「地動説」を唱える   (-)||
|1544|||ポルトガル船、薩摩に貿易を求める  (日本-天文)||
|1546|||ポルトガル船薩摩領内に来航  (日本-天文)||
|1546|||北条氏康、扇谷上杉氏を破る  (日本-天文)||
|1547|||大内義隆、最後の遣明船を出す  (日本-天文)||
|1548|||斎藤利政、織田信秀と和睦し、娘を信長の妻に  (日本-天文)||
|1549|||ザビエル鹿児島に上陸 キリスト教伝来  (日本-天文)||
|1550|||ポルトガル船、はじめて平戸に入港  (日本-天文)||
|1550|||貴久、伊集院より鹿児島に移り、内城を築造して居城  (日本-天文)||
|1551|||ポルトガル船、豊後に来航  (日本-天文)||
|1552|||ポルトガル船鹿児島に来航  (日本-天文)||
|1552|||関東管領上杉憲政、越後長尾影虎を頼る  (日本-天文)||
|1553|||川中島の戦  (日本-天文)||
|1553|||ブルボン朝  (欧州-)||
|1554|||祁答院・入来院・蒲生ら連合して島津氏に背く  (日本-天文)||
|1554|||武田信玄、今川義元と結び北条氏康と戦う  (日本-天文)||
|1555|||   (日本-弘治)||
|1555|||貴久軍、祁答院良重を破る  (日本-弘治)||
|1555|||織田信長清洲へ入城 元就、陶晴賢を厳島で破る  (日本-弘治)||
|1555|||アウグスブルグの宗教和議  (欧州-)||
|1555|10|23|弘治(こうじ)(1555.10.23-1557)  (日本-弘治)||
|1556|||結城政勝「結城家法度」制定  (日本-弘治)||
|1556|||島津忠将ら蒲生を攻める 貴久南林寺を建立  (日本-弘治)||
|1556|||島津忠親、肝付氏の大崎城を粉砕  (日本-弘治)||
|1556|||アクバル大帝が即位(~1605)   ( -)||
|1557|||蒲生範清降る  (日本-弘治)||
|1557|||豊後府内にイエズス会の病院設立  (日本-弘治)||
|1557|10|27|COLOR(green):第106代 正親町天皇  (日本-)||
|1558|||   (日本-永禄)||
|1558|||肝付氏、北郷時久を討つ  (日本-永録)||
|1558|||イギリスのエリザベス1世女王が即位(~1603)   (欧州-)||
|1558|2|28|永禄(えいろく)(1558.2.28-1569)  (日本-永禄)||
|1559|||上杉謙信、将軍義輝に謁す  (日本-永録)||
|1560|||ポルトガル船2艘島津領に来航  (日本-永録)||
|1560|||桶狭間の戦 信長今川義元を破る  (日本-永録)||
|1561|||影虎、関東管領となり上杉氏を継ぐ  (日本-永録)||
|1562|||徳川家康、織田信長と同盟  (日本-永録)||
|1562|||北原氏に内紛ありついに自滅  (日本-永録)||
|1562|||フランスのユグノー戦争はじまる(~1598)  (欧州-)||
|1563|||貴久、伊東氏と戦い敗北  (日本-永録)||
|1563|||三河国一向一揆  (日本-永録)||
|1565|||三好、松永ら将軍義輝を殺す  (日本-永録)||
|1566|||伊東義祐、三の山で義久・義弘と戦う  (日本-永録)||
|1566|||尼子義久、毛利元就に降る  (日本-永録)||
|1566|||穆宗隆慶帝(朱載垕)   (アジア-中国/明)||
|1566|||明・朱氏・・ 隆慶帝  (アジア-中国/明)||
|1566|||グレシャムがロンドン取引所を設立  (欧州-)||
|1567|||義久、菱刈氏を攻め馬越城を陥す  (日本-永録)||
|1567|||信長、斎藤竜興の稲葉山城を陥落させ岐阜城と改め入城  (日本-永録)||
|1567|||COLOR(green):隆慶帝・即位 -1572(アジア-中国/明)||
|1568|||信長入洛 全国の関所を撤廃  (日本-永録)||
|1569|||貴久・義久、大口城を攻める  (日本-永録)||
|1569|||信長、撰銭令 信長内裏を修復  (日本-永録)||
|1570|||明で「西遊記」なる  (アジア-中国/明)||
|1570|||   (日本-元亀)||
|1570|||姉川の戦…信長・家康、朝井・朝倉連合軍を破る  (日本-元亀)||
|1570|4|23|元亀(げんき)(1570.4.23-1572)  (日本-元亀)||
|1571|||肝付氏の兵船、鹿児島を襲う  (日本-元亀)||
|1571|||信長、比叡山延暦寺を焼き打ち  (日本-元亀)||
|1571|||(スペイン・ベネチアVSオスマン=トルコ)  (欧州-)||
|1571|||スペイン人がフィリピン群島を占領し、マニラ市をつくる   (欧州-)||
|1571|||レパントの海戦  (欧州-)||
|1572|||三方ケ原の戦  (日本-元亀)||
|1572|||島津兵、肝付兵を破る  (日本-元亀)||
|1572|||明・朱氏・・ 神宗万暦帝(朱翊鈞)   (アジア-中国/明)||
|1572|||フランスでセント・バーソロミュー事件(バーソロミューの大虐殺)   (欧州-)||
|1573|**|**|室町時代→安土桃山時代(1573 - 1603)  (日本-安土桃山時代)||

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