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|1923|>|>|>|CENTER:SIZE(20):昭和時代(1926.12.25-1989)|h
|1923|>|>|''1、大戦に至る不穏な時代 ''(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1923|||関東大震災(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1923|||人口およそ6千万人(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1926|||01/01 国民党二全大会(アジア-中国-大正/昭和1)||
|1926|||01/30 COLOR(blue):第25代首相 若槻礼次郎①(~昭2.4.20)(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1926|||03/18 北京で反帝国主義を中心としたデモ、それが弾圧される。いわゆる「三一八事件」(アジア-中国-大正/昭和1)||
|1926|||03/20 中山艦事件(三二〇事件)(アジア-中国-大正/昭和1)||
|1926|||03/24 西北国民軍、日本艦隊を砲撃(大沽事件)(アジア-中国-大正/昭和1)||
|1926|||05/15 国民党二期二中全会にて『整理党務案』を可決(アジア-中国-大正/昭和1)||
|1926|||07/06 国民政府、『北伐宣言』を発表、北伐戦争始まる(アジア-中国-大正/昭和1)||
|1926|||09/16 馮玉祥、五原にて誓師、国民革命軍に呼応(アジア-中国-大正/昭和1)||
|1926|||12/08 対米英宣戦布告(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1926|||12/08 第二次世界大戦(世界--大正/昭和1)||
|1926|||12/25 COLOR(green):第124代 昭和天皇(アジア-日本-昭和1)||
|1926|||イギリス連邦を形成(欧州-イギリス-昭和1)||
|1926|||京都学連事件に初の治安維持法適用(アジア-日本-昭和1)||
|1926|||中国で北伐の開始(~1928)(アジア-中国-昭和1)||
|1926|>|>|12/25 ''【政治,経済】''&br;  1926年12月25日大正天皇が崩御死去し,すでに1921年以来摂政であった皇太子裕仁(ひろひと)親王が践祚(せんそ)して昭和と改元された。(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1926|>|>|12/25 ''昭和時代''&br; しょうわじだい 昭和の元号を冠した時代(1926‐89)を指すが,明治時代,大正時代のように,ある特定のイメージで語られる時代とはいえない。第2次世界大戦の敗北とその後の改革による変動があまりにも大きく,戦前と戦後とは,まったく違った時代といってもよいほどの大きな変化を遂げているからである。(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1926|>|>|12/25 ''大正時代/昭和時代(1926.12.25-1989)''(アジア-日本-大正/昭和1)||
|1927|||03/10 国民党二期三中全会(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||04/12 四一二政変、江西・広東・北京などで相次いで反共テロ(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||04/12 蒋介石を中心とする国民党、反共クーデター。いわゆる「四一二クーデーター」(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||04/18 南京国民政府成立、寧漢対立(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||04/20 COLOR(blue):第26代首相 田中義一(~昭4.7.2)(アジア-日本-昭和1)||
|1927|||05/28 国民党を中心とした北伐(広東から北京及び北方)に対抗するため、日本政府、第一次山東出兵を声明、出動命令を下す(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||07/15 七一五政変、武漢でも反共を始める。国共合作の破綻(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||07/27 国民党、共産党との決別宣言、第一次国共合作終了。(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||08/01 共産党が南昌で独自蜂起、いわゆる「南昌蜂起」。事実上の人民解放軍の建軍(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||08/01 南昌蜂起(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||アメリカのリンドバーグが大西洋横断飛行(北米-アメリカ-昭和1)||
|1927|||ジュネーブ軍縮会議 東京に地下鉄開通(アジア-日本-昭和1)||
|1927|||蒋介石の上海クーデター(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||中国で国共分裂(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||中国の蒋介石が国民政府を樹立(アジア-中国-昭和1)||
|1927|||八代~(川内経由)鹿児島間全通、鹿児島本線となる(アジア-日本-昭和1)||
|1928|||05/20 ドイツ国会選挙でナチスが12議席獲得(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1928|||06/08 北伐軍、北京へ入城。6月4日には張作霖が日本軍に爆殺される(アジア-中国-昭和1)||
|1928|||イギリスで男女平等普通選挙を実施(欧州-イギリス-昭和1)||
|1928|||イタリアでファシストが独裁体制を確立(欧州-イタリア-昭和1)||
|1928|||ソ連で第1次経済建設5か年計画に着手(欧州-ソ連-昭和1)||
|1928|||パリ不戦条約(欧州-フランス-昭和1)||
|1928|||蒋介石が国民政府主席に(アジア-中国-昭和1)||
|1928|||中国で北伐の完成(アジア-中国-昭和1)||
|1928|||張学良、東北易幟を宣言。国民政府、張学良を東北辺防司令に任命(12.29)(アジア-中国-昭和1)||
|1928|||張作霖、北京脱出するも関東軍に爆殺される、皇姑屯事件(6.3)(アジア-中国-昭和1)||
|1928|||張作霖爆殺事件(6.4)(アジア-日本/中国-昭和1)||
|1928|||06/15 南京国民政府統一宣言、直隷省を河北省に、北京を北平に改称(アジア-中国-昭和1)||
|1928|||日本軍の山東出兵、済南事件(5.3)(アジア-中国-昭和1)||
|1928|||日本政府、第二次山東出兵を決定。5月3日、済南事件を惹起(4.19)(アジア-中国-昭和1)||
|1929|||09/29 田中義一(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1929|||COLOR(blue):第27代首相 浜口雄幸(~昭6.4.14)(7.2)(アジア-日本-昭和1)||
|1929|||COLOR(blue):第31代大統領 ハーバート・クラーク・フーヴァー( - 1933.03.03)(3.4)(北米-アメリカ-昭和1)||
|1929|||COLOR(red):バチカン市国の成立(欧州-バチカン-昭和1)||
|1929|||ニューヨーク株式市場が大暴落(世界経済恐慌の勃発)(10.24) (北米-アメリカ-昭和1)||
|1929|||ニューヨーク株式市場大暴落(世界恐慌)(10.24)(北米-アメリカ-昭和1)||
|1929|||共産党大検挙(アジア-日本-昭和1)||
|1929|||国民政府、ソ連と断交(7.18)(アジア-中国/ソ連-昭和1)||
|1929|||田中義一(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1929|||田中義一内閣総辞職。浜口雄幸内閣発足(6.2)(アジア-日本-昭和1)||
|1929|||南薩鉄道全通(アジア-日本-昭和1)||
|1930|||05/   中原大戦勃発(~11月)(アジア-中国-昭和1)||
|1930|||05/20 ドイツ国会選挙でナチスが107議席獲得(5.20)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1930|||インドのガンジーが「塩の行進」(アジア-インド-昭和1)||
|1930|||ロンドン軍縮会議(アジア-日本-昭和1)||
|1930|||国民政府、第一次囲剿(12.16)(アジア-中国-昭和1)||
|1930|||12/19 国民党、蒋介石の下で共産党軍に対する包囲攻撃作戦を開始、その後1934年まで5度にわたって共産党軍を攻撃(アジア-中国-昭和1)||
|1930|||昭和恐慌 (自殺者1万5千人)(アジア-日本-昭和1)||
|1930|||浜口雄幸首相狙撃され、重症を負う。(11.14)(アジア-日本-昭和1)||
|1930|||牧口常三郎と戸田城聖が、創価学会の母体である創価教育学会を設立。(11.18)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||01/02 海部俊樹(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||04/   国民政府、第二次囲剿(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||07/01 国民政府、第三次囲剿(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||08/26 濱口雄幸(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||COLOR(blue):第28代首相 若槻礼次郎②(~昭6.12.13)(4.14)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||COLOR(blue):第29代首相 犬養毅(~昭7.5.16)(12.13)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||ジャニー喜多川、ジャニーズ事務所社長(10.23)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||スペインが共和政となる(欧州-スペイン-昭和1)||
|1931|||愛新覚羅溥儀、日本の特務機関により 天津脱出(11.10)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||海部俊樹(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||九一八事変(9.18)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||犬養毅内閣発足(12.14)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||国民政府、『国民に告げる書』発表(9.23)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||国民政府、『国民会議組織法』を発布(4.)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||国民政府、国民会議招集、『中華民国訓政時期約法草案』制定(5.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||若槻礼次郎内閣総辞職(12.11)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||若槻礼次郎内閣発足(6.14)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||蒋介石、下野発表(12.15)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||中華ソビエト共和国建国。(11.7)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||中国共産党が中華ソビエト臨時政府を樹立(主席は毛沢東)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||日本、犬養毅内閣誕生(12.13)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||浜口雄幸内閣総辞職(6.2)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||平凡社が「大百科事典」を刊行開始。(11.25)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||万宝山事件(7.2)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||満州事変勃発(9.18)(アジア-日本-昭和1)||
|1931|||柳条湖事件を機に、日本軍が東北侵略、いわゆる「満州事変」(9.18)(アジア-中国-昭和1)||
|1931|||濱口雄幸(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||『のらくろ上等兵』島崎藤村『夜明け前』(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||05/16 犬養毅(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||06/   国民政府、第四次囲剿(アジア-中国-昭和1)||
|1932|||COLOR(blue):第30代首相 斎藤実(~昭9.7.8)(5.26)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||COLOR(red):日本、「満州国」成立(3.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1932|||アメリカでフランクリン=ルーズベルトが大統領となる(北米-アメリカ-昭和1)||
|1932|||オタワ協定(イギリス連邦がブロック経済体制を形成)(欧州-イギリス-昭和1)||
|1932|||ドイツ国会選挙でナチスが第一党230議席獲得(7.31)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1932|||ドイツ大統領選挙、ヒンデンブルグ1位、ヒトラー2位(3.13)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1932|||ヒンデンブルグとの決選選挙でヒトラー敗れる(4.10)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1932|||フジ子・ヘミング、ピアニスト(12.5)(--昭和1)||
|1932|||リットン調査団が国際連盟へ報告(アジア-)(アジア-満州-昭和1)||
|1932|||一二八事変(1.28)(アジア-中国-昭和1)||
|1932|||犬養毅(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||国際連盟のリットン調査団入京(2.29)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||国防婦人会、大阪で発足(3.18)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||上海事変 満州国成立 五・一五事件(5.15)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||斉藤実内閣発足(5.26)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||第一次上海事変勃発(1.28)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||日中間で『上海停戦協定』締結(5.5)(アジア-中国-昭和1)||
|1932|||日中間で停戦協定の調印(5.5)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||日豊本線全通(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||日本が満州国の建国を宣言(2.)(アジア-満州-昭和1)||
|1932|||日本で五・一五事件海軍青年将校らが犬養毅を暗殺。犬養毅内閣総辞職(5.15)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||日本軍、上海に侵攻。いわゆる「上海事変」あるいは「一二八事変」(1.28)(アジア-中国-昭和1)||
|1932|||満州国建国、溥儀が執政に就任(2.)(アジア-中国-昭和1)||
|1932|||満州国建国宣言(3.1)(アジア-日本-昭和1)||
|1932|||溥儀満州国執政に就任(3.9)(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||03/27 日本、国際連盟を脱退(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||COLOR(blue):ナチス党のヒットラーが首相に就任(1.30)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1933|||COLOR(blue):第32代大統領 フランクリン・デラーノ・ローズヴェルト( - 1945.04.12)(3.4)(北米-アメリカ-昭和1)||
|1933|||COLOR(red):シャムで立憲君主政が成立(アジア-シャム-昭和1)||
|1933|||ドイツ、国際連盟を脱退(10.24)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1933|||ドイツで新党結成が禁止、ナチスがドイツ唯一の政党となる(7.14)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1933|||ドイツにヒトラー内閣が成立(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1933|||ドイツ国会選挙でナチスが288議席獲得(3.5)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1933|||ナチスのユダヤ人迫害が始まる(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1933|||ニュー・ディール政策はじまる(北米-アメリカ-昭和1)||
|1933|||関東軍、万里の長城を越え華北へ侵攻(5.7)(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||国際連盟総会、リットン報告書を承認「満州国」を否定(2.24)(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||国民政府、第五次囲剿(10.2)(アジア-中国-昭和1)||
|1933|||山本權兵衞(12.8)(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||中国人の抗日運動が激化(アジア-中国-昭和1)||
|1933|||塘沽停戦協定成立(5.31)(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||藤子・F・不二雄、漫画家(+ 1996年)(12.1)(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||日中間で『塘沽協定』締結(2.31)(アジア-中国-昭和1)||
|1933|||日本軍、山海関を越え、華北に侵攻。5月31日、塘沽停戦条約(1.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1933|||日本軍、熱河侵攻(2.17)(アジア-中国-昭和1)||
|1933|||日本政府国際連盟脱退を通告(2.27)(アジア-日本-昭和1)||
|1933|||福建省に、抗日反蒋介石の中華人民共和国革命政府が成立。1934年1月13日に終結(11.20)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||COLOR(blue):第31代首相 岡田啓介(~昭11.3.9)(7.8)(アジア-日本-昭和1)||
|1934|||COLOR(red):アメリカがキューバの独立を承認(北米-アメリカ/キューバ-昭和1)||
|1934|||インドのネールが国民会議派の指導者となる(アジア-インド-昭和1)||
|1934|||ソビエト連邦が国際連盟に加入し常任理事国となる(欧州-ソ連-昭和1)||
|1934|||ドイツに総統ヒトラー(~1945)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1934|||ドイツ大統領死去により、ヒトラー首相、大統領を兼務(8.19)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1934|||ワシントン軍縮条約破棄(アジア-日本-昭和1)||
|1934|||岡田啓介内閣発足(7.8)(アジア-日本-昭和1)||
|1934|||共産党、「全国民衆に告ぐるの書」。反日統一戦線の結成を呼びかける(4.10)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||共産党、長征を開始(10.21)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||康徳帝愛新覚羅溥儀(アジア-満州-昭和1)||
|1934|||江西省瑞金の共産党軍主力、長征。1935年10月に陝西省延安へ(10.25)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||国民政府と日本が満州国通車協議で合意(5.)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||国民党四期五中全会、安寧攘外策を提出(12.10)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||蒋介石の対日政策を示す論文、「敵か友か」発表(10.)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||斉藤実内閣総辞職(7.3)(アジア-日本-昭和1)||
|1934|||中国紅軍が長征を開始(~1935)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||日本の天羽外務省情報部長、列強の対中援助をけん制(天羽声明)(4.17)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||米倉斉加年(生)・俳優、演出家、画家-2014(7.10)(アジア-日本-昭和1)||
|1934|||満州国が帝制を開始、溥儀が皇帝(3.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1934|||満州国帝政実施(3.1)(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||08/24 羽田孜(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||イタリア、エチオピアに侵入、エチオピア戦争(10.3)(欧州-イタリア/エチオピア-昭和1)||
|1935|||イタリア、エチオピアに侵入、エチオピア戦争(アフリカ)(10.3)(欧州-イタリア/エチオピア-昭和1)||
|1935|||イタリアがエチオピアを侵略・エチオピア戦争(~1936)(アフリカ)(欧州-イタリア/エチオピア-昭和1)||
|1935|||チチ・ロドリゲス、ゴルファー(10.24)(--昭和1)||
|1935|||ドイツベルサイユ条約を破棄、再軍備を宣言(3.16)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1935|||ペルシャが国号をイランに改称(中東-イラン-昭和1)||
|1935|||ユダヤ人弾圧を定めた独ニュルンベルグ法公布(9.15)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1935|||羽田孜(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||株式会社大阪野球倶楽部(大阪タイガース、現在の阪神タイガース)創立(-日本)(12.10)(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||共産党、遵義会議開催(1.15)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||共産党、八一宣言(8.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||共産党が八一宣言、抗日統一戦線の結成を呼びかける(8.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||国民政府、満州国との通郵を決定(1.10)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||国民党五期一中全会、蒋介石が行政院院長を兼任(12.2)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||国民党四期六中全会、汪精衛暗殺未遂事件(11.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||鹿児島市中央卸売市場開設 鹿児島放送局開設(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||第1回芥川賞(8.10)(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||長征途上の共産党、貴州省遵義で政治局拡大会議、毛沢東の軍事的指導権が確立(1.8)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||天皇機関説問題化(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||土肥原=秦徳純協定が成立(6.27)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||日本、河北五省自治計画を発表(9.)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||日本、冀東防共自治委員会設立、後、委員会から政府に(11.24)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||日本軍の侵略に反対する北京の各大学生がデモ、いわゆる「一二九運動」(12.9)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||梅津=何応欽協定が成立(6.10)(アジア-中国-昭和1)||
|1935|||梅津・何応欽協定成立河北省に対する日本の要求を中国側が承認(6.10)(アジア-日本-昭和1)||
|1935|||反日機運高まり、汪兆銘狙撃事件起こる(11.1)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||02/29 反乱部隊帰順(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||07/16 福田康夫(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||2・26事件、陸軍青年将校らが軍・政府要人を襲撃(2.26)(アジア-日本/中国-昭和1)||
|1936|||COLOR(blue):第32代首相 廣田弘毅内閣誕生(~昭12.2.2)(3.9)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||アーカンソー州、人口6万人に達し、アメリカの25番目の州として正式加盟(北米-アメリカ-昭和1)||
|1936|||スペインで内乱(フランコ将軍、~1939)(欧州-スペイン-昭和1)||
|1936|||スペイン内戦始まる(7.17)(欧州-スペイン-昭和1)||
|1936|||ソ連でスターリン憲法を制定(欧州-ソ連-昭和1)||
|1936|||ドイツ軍、ラインラントに進駐(3.7)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1936|||岡田啓介内閣総辞職(2.28)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||広田弘毅内閣発足(3.9)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||高橋是清(2.26)(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||国会議事堂落成。(11.7)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||国民政府、『国民大会組織法』を公布(5.14)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||国民政府、『中華民国憲法草案』発表(5.5)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||国民政府、延安の共産党に対して再び囲剿を開始(10.22)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||国民政府、全国各界救国連合会幹部を逮捕、いわゆる「抗日七君子事件」(11.23)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||国民党五期二中全会、国防会議開催を決定(7.10)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||国民党第5期2中全会開催、共産党から抗日を呼びかける書簡が届く(8.25)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||山口崇、俳優(11.17)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||山崎拓、政治家(12.11)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||西安事件(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||西安事件、蒋介石が西安で張学良軍に監禁される(12.12)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||西安事変、張学良が蒋介石を拘禁し、抗日統一を迫る(12.12)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||台風襲来、被害甚大(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||大山のぶ代、声優、俳優(10.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||第2回芥川賞(3.12)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||中国で西安事件(国共内戦の停止)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||張学良・楊虎城、西安事件を発動(12.12)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||二・二六事件  吉川英治『宮本武蔵』(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||日独防共協定(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||日独防共協定調印(11.25)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||日本、廣田弘毅内閣誕生(3.9)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||日本広田外相、対華三原則を発表(1.21)(アジア-中国-昭和1)||
|1936|||齋藤實(2.26)(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1936|||綏遠事件起こる(11.12)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||05/31 林銑十郎内閣総辞職(5.31)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||06/04 第1次近衛文磨内閣発足(6.4)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||06/25 小渕恵三(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||07/14 森喜朗(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||07/29 橋本龍太郎(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||07・07 廬溝橋事件、北平(北京)郊外の廬溝橋で日中両軍が武力衝突(7.7)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||08・13 第二次上海事変、日中全面戦争(支那事変)に発展(8.13)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||08・24 国民精神総動員実施要綱が決定(8.24)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||09・23 第二次国共作成立、国民党と共産党による抗日統一戦線の結成(9.23)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||11・06 日独防共協定にイタリアが参加(11.6)(アジア-日本/イタリア-昭和1)||
|1937|||12・11 イタリア、国際連盟を脱退(12.11)(欧州-イタリア-昭和1)||
|1937|||12・13 日本軍、南京を占領虐殺事件を起こす(12.13)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||COLOR(blue):第33代首相 林銑十郎(~昭12.6.4)(2.2)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||COLOR(blue):第34代首相 近衛文麿①(~昭14.1.5)(6.4)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||ドイツの飛行船「ヒンデンブルグ号」が炎上(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1937|||ドイツ空軍、スペインのゲルニカを空爆(4.26)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1937|||共産党、日本との徹底抗戦を全国に呼びかける(7.8)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||橋本龍太郎(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||広田弘毅内閣総辞職(1.23)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||抗日民族統一戦線、正式に設立。国民党と共産党との再度の合作。第二次国共合作(9.22)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||国共両党、抗日のための合作に関する協議始まる。(~6月)(2.)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||国際連盟脱退(欧州-イタリア-昭和1)||
|1937|||国民政府、南京から重慶に遷都を発表、抗戦継続の意思表明(10.30)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||国民党五期三中全会、共産党との合作を協議(2.15)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||国民党第5期3中全会開催、西安事変を通じて、抗日統一に歩み寄りを示す(2.14)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||史上最大の戦艦「大和」、呉海軍工廠で起工(11.4)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||小林カツ代、料理研究家(10.24)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||小渕恵三(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||蒋介石、共産党の合法的地位と国共合作を承認(9.23)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||蒋介石が廬山談話。対日抗戦の意思を表明(7.17)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||森喜朗(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||戦前(7.06.)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||中国で第2次国共合作(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||中国工農紅軍、国民革命軍第八路軍に改称(8.25)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||南京陥落、南京事件(12.13)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||日中戦争開始(アジア-日本/中国-昭和1)||
|1937|||日独伊防共協定(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||日本、近衛文麿(第一次)内閣誕生(6.4)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||日本軍、上海への攻撃を開始(8.13)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||日本軍、上海への進攻開始(8.13)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||日本軍が南京を占領(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||日本軍が南京を占領。いわゆる「南京大虐殺」が引き起こされる(12.13)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||日本軍の傀儡として、「中華民国臨時政府」が北京に成立(12.14)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突、いわゆる「盧溝橋事件」あるいは「七七事件」。日中全面戦争へ(7.7)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||林銑十郎内閣発足(2.2)(アジア-日本-昭和1)||
|1937|||廬溝橋事件(日中全面戦争へ)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||盧溝橋にて日中両軍衝突、七七事件(7.7)(アジア-中国-昭和1)||
|1937|||盧溝橋事件(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||(1.14)細川護煕(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||04・01 国家総動員法公布(4.1)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||05/   毛沢東、『持久戦論』発表(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||07・11 張鼓峰事件(日ソ両軍が張鼓峰で武力衝突)(7.11)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||12・20 汪兆銘、重慶を脱出し、仏印のハノイに到着(12.20)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||12・30 汪兆銘、対日和平声明を発表(12.30)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||シーラカンスがインド洋のカルムナ川河口付近で発見された。(12.22)(アジア-インド-昭和1)||
|1938|||チェスター・F・カールソン、電子複写方式(ゼログラフィ、コピー機、レーザープリンタの原理)を発明。(10.28)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||ドイツ、オーストリアを併合(3.13)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1938|||ドイツがオーストリア併合を宣言(欧州-ドイツ/オーストリア-昭和1)||
|1938|||ヒトラー、ドイツ国防軍を掌握(2.4)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1938|||ミュンヘン会議(ドイツのズデーテン併合を承認)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1938|||ミュンヘン会談(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1938|||英仏独伊4ヶ国デミュンヘン協定調印、ドイツ、チェコスロバキアのズデーテン地方を併合(9.30)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1938|||火野葦平『麦と兵隊』M・ミッチェル『風と共に去りぬ』(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||国家総動員法公布(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||細川護煕(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||台児荘で、国民政府軍と日本軍が戦闘、4月7日までで、日本軍を撃破(3.23)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||台風襲来、死者277人・行方不明177人(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||中国国民政府に対して和平交渉の 打ち切りを通告(第一次近衛声明)(1.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||張鼓峰事件(朝鮮北端で日ソ両軍が衝突)(アジア-)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||日本、国民政府を交渉相手にしないと明言、いわゆる「近衛声明」(1.16)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||日本、第一次近衛声明を発表(1.)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||日本で国家総動員法施行(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||日本軍が広東を占領(10.21)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||日本軍が武漢を占領(10.25)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||日本軍の傀儡として、「中華民国維新政府」が南京に成立(3.28)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||日本政府、第三次近衛声明発表(12.)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||日本政府、第二次近衛声明発表(11.)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||武昌で、国民党臨時全国代表大会開催、抗戦建国綱領を採択(3.29)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||望月三起也、漫画家(12.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1938|||毛沢東、延安の抗日戦争研究会で持久戦論を報告(5.19)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||汪精衛、重慶を脱出して日本に投降(12.)(アジア-中国-昭和1)||
|1938|||汪兆銘が重慶を脱出し、ハノイで抗戦の停止を主張(12.27)(アジア-中国-昭和1)||
|1939|||04・07 イタリア、アルバニアを占領・併合(4.7)(欧州-イタリア-昭和1)||
|1939|||05・14 ノモンハン事件(満蒙国境で関東軍とモンゴル・ソ連軍が武力衝突)(5.14)(アジア-日本/ソ連-昭和1)||
|1939|||06・16 国民精神総動員委員会、ネオンの全廃長髪、パーマの禁止などを決定、(6.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||08・23 独ソ不可侵条約モスクワで調印(8.23)(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1939|||08・24 英仏、対ポーランド相互援助条約に調印(8.24)(欧州-イギリス/フランス/ポーランド-昭和1)||
|1939|||08・28 平沼騏一郎内閣総辞職(8.28)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||08・30 阿部信行内閣発足、山本五十六中将、連合艦隊司令長官に就任(8.30)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||09・01 ドイツ軍、ポーランドに侵攻、第二次世界大戦勃発(9.1)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1939|||09・01 初の興亜奉公日(ネオンの消灯、飲食店休業等。以後、毎月1日実施)(9.1)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||09・03 英仏、ドイツに宣戦布告(9.3)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1939|||09・17 ソ連軍、東部ポーランドに侵攻開始(9.17)(欧州-ソ連/ポーランド-昭和1)||
|1939|||09・27 ワルシャワ陥落(9.27)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1939|||09・28 独ソ友好条約(ポーランド分割協定)調印(9.28)(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1939|||10・01 ポーランド軍降伏(10.1)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1939|||COLOR(blue):第35代首相 平沼騏一郎(~昭14.8.30)(1.5)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||COLOR(blue):第36代首相 阿部信行(~昭15.1.16)(8.30)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||アメリカ通商条約破棄通告(アジア-日本/アメリカ-昭和1)||
|1939|||イタリアがアルバニアを併合(欧州-イタリア-昭和1)||
|1939|||シャムが国号をタイと改称(アジア-タイ-昭和1)||
|1939|||ソ連軍がフィンランドに侵入(欧州-ソ連/フィンランド-昭和1)||
|1939|||ソ連軍がポーランドに侵入(欧州-ソ連/ポーランド-昭和1)||
|1939|||ティナ・ターナー、歌手(11.26)(--昭和1)||
|1939|||ドイツがチェコスロバキアを保護国化(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1939|||ドイツがポーランドに進撃(第2次世界大戦が始まる、~1945)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1939|||ドイツ軍、チェコ進入(チェコスロバキア解体)(3.15)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1939|||ノモンハン事件(満蒙国境で日本軍とソ連軍が衝突)(アジア-)(アジア-日本/ソ連-昭和1)||
|1939|||フランコ軍マドリッド入城(スペイン内戦終結)(3.28)(欧州-スペイン-昭和1)||
|1939|||共産党、抗戦時期施政綱領を発表(4.4)(アジア-中国-昭和1)||
|1939|||五月みどり、歌手(10.21)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||台風襲来、被害甚大(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||第1次近衛文磨内総辞職(1.4)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||第二次世界大戦が始まる(~1945)(世界--昭和1)||
|1939|||独ソ不可侵条約(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1939|||独ソ不可侵条約の成立(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1939|||内田裕也、ミュージシャン、俳優(11.17)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||平沼騏一郎内閣発足(1.5)(アジア-日本-昭和1)||
|1939|||汪精衛、上海にて独自の国民党六全大会を開催(8.)(アジア-中国-昭和1)||
|1940|||(11.24)西園寺公望(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||(9.20)麻生太郎(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||04・09 ドイツ軍、ノルウェーを攻撃、デンマーク占領(4.9)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||05・10 ドイツ軍、西ヨーロッパで総攻撃開始、チャーチル、英首相に就任(5.10)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||05・13 オランダ女王・政府、イギリスへ亡命(5.13)(欧州-イギリス-昭和1)||
|1940|||05・15 オランダ軍降伏(5.15)(欧州-オランダ-昭和1)||
|1940|||05・27 英軍、北仏ダンケルクから撤退開始(5.27)(欧州-イギリス/フランス-昭和1)||
|1940|||05・28 ベルギー国王降伏(政府はイギリスへ亡命)(5.28)(欧州-イギリス-昭和1)||
|1940|||06・10 ノルウェー降伏、イタリア、英仏に宣戦布告(6.10)(欧州-イタリア-昭和1)||
|1940|||06・14 ドイツ軍、パリ無血入城(6.14)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||06・22 フランス降伏(6.22)(欧州-フランス-昭和1)||
|1940|||07・02 仏政府、ヴィシーに移転(主席・ペタン元帥)(7.2)(欧州-フランス-昭和1)||
|1940|||08・08 ドイツ軍、英本土爆撃開始(8.8)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||09・13 イタリア軍、エジプトヘ侵入(9.13)(欧州-イタリア-昭和1)||
|1940|||COLOR(blue):第37代首相 米内光政(~昭15.7.22)(1.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||COLOR(blue):第38代首相 近衛文麿②(~昭16.7.18)(7.22)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||イギリスでチャーチル内閣成立(欧州-イギリス-昭和1)||
|1940|||ジョン・レノン、元ビートルズ、ミュージシャン(+ 1980年)(10.9)(欧州-イギリス-昭和1)||
|1940|||ソ連がリトニア・ラトビア・エストニアを併合(欧州-ソ連/リトニア/ラトビア/エストニア-昭和1)||
|1940|||デンマークがナチス・ドイツに占領される状況の下、英軍に占領される。(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||ドイツ軍がノルウェーに侵入(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||ドイツ軍がパリに入城(親独ビシー政権が成立)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||ドイツ軍がベルギー・オランダ・ルクセンブルグに侵入(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1940|||ブルース・リー、俳優(11.27)(--昭和1)||
|1940|||ペレ、サッカー選手(10.25)(--昭和1)||
|1940|||ルーズベルト、米大統領に当選(3選)(11.5)(北米-アメリカ-昭和1)||
|1940|||阿部信行内閣総辞職(1.14)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||共産党軍(八路軍)が「百団大戦」を実行、日本軍に反撃(8.20)(アジア-中国-昭和1)||
|1940|||西園寺公望(没)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||台風来襲、被害甚大(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||日独伊三国軍事同盟(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||日独伊三国同盟ベルリンで調印(9.27)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||日本、大東亜共栄圏構想を発表(7.)(アジア-中国-昭和1)||
|1940|||日本で紀元2600年祝典(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||日本軍、北部仏印進駐(9.23)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||日本軍が北部仏印へ進駐(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||日本軍の傀儡として、首班に汪兆銘を迎え、「中華民国政府」設立(3.30)(アジア-中国-昭和1)||
|1940|||百団大戦(8.)(アジア-中国-昭和1)||
|1940|||米・みそ・マッチなど10品目に切符制導入される(4.24)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||米内光政内閣総辞職(7.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||09/20 麻生太郎(生)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||毛沢東、『新民主主義論』発表(1.)(アジア-中国-昭和1)||
|1940|||汪精衛、南京に国民政府樹立、「汪偽政権」(3.)(アジア-中国-昭和1)||
|1940|||汪兆銘、南京に新中国政府(中央政府)樹立(3.30)(アジア-日本-昭和1)||
|1940|||汪兆銘の南京「政府」、日本との間に日華基本条約を結ぶ(11.30)(アジア-中国-昭和1)||
|1941|||07/12 英ソ間で相互援助協定調印(欧州-イギリス/ソ連-昭和1)||
|1941|||1.8 東条英機陸相、『戦陣訓』を示達(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||10.16 ソ連政府、モスクワからクイビシェフに移転(欧州-ソ連-昭和1)||
|1941|||10.16 第3次近衛文磨内閣総辞職(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||10.18 COLOR(blue):第40代首相 東条英機(~昭19.7.22)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||10.2 ドイツ軍、モスクワ総攻撃(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||11.26 米政府、「ハルノート」を提示(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||11.5 富野由悠季、アニメーション監督(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.1 御前会議、対米英蘭開戦を決定(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.1 日本軍、グァム島ギルバート諸島のマキン島・タワラ島を占領、マレー沖海戦(飛行機が単独で戦闘航行中の戦艦を沈めた最初の海戦)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.1 米領フィリピン上空で航空戦(フィリピンの戦いの開始)。(アジア-フィリピン-昭和1)||
|1941|||12.11 独伊、アメリカに宣戦布告(欧州/北米-ドイツ/イタリア/アメリカ-昭和1)||
|1941|||12.16 戦艦「大和」竣工(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.19 ヒトラー、独陸軍最高司令官に就任(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||12.2 大本営、戦艦アリゾナを主標的とした真珠湾攻撃を訓電発令。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.2 日本軍、ミンダナオ島ダバオを占領(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.22 日本軍、第14軍主力、ルソン島リンガエン湾に上陸(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.23 ワシントンでルーズベルト米大統領、チャーチル英首相によるアルカディア戦争指導会議開催(~42年1・14)(北米-アメリカ-昭和1)||
|1941|||12.23 海軍陸戦隊、ウェーク島占領(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.25 12月25日 日本軍、香港島を制圧、香港のイギリス軍降伏。(欧州-イギリス-昭和1)||
|1941|||12.25 第23軍、香港占領。香港の英軍降伏(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.5 ソ連軍反攻開始、モスクワのドイツ軍を撃退(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1941|||12.8 オランダ、日本に宣戦布告。(アジア-日本/オランダ-昭和1)||
|1941|||12.8 ヒトラー、モスクワ攻撃中止を指令(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||12.8 開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)が発せられる。&br;ワード号事件&br;真珠湾を攻撃、対米英開戦&br;太平洋戦争(大東亜戦争)開戦。(~1945)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.8 日本軍、英領マレー半島のコタバル、タイ南部のパタニとシンゴラ(ソンクラ)に上陸(マレー作戦の開始)。広東省から英領香港攻撃開始(香港の戦い)。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.9 ・日本時間午前2時30分、侘美支隊、マレー半島コタバルに上陸開始・日本時間午前3時19分、第1航空歓待、真珠湾奇襲攻撃を開始・日本時間午前4時20分、野村大使・来栖特使、ハル米国務長官に最後通達を手交米・英日本に宣戦布告(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12.9 中華民国国民政府、日独伊に宣戦布告。(アジア-中国/日本/ドイツ/イタリア-昭和1)||
|1941|||12/01 マレー沖海戦。グアムの戦い。日本軍、ルソン島北部(アパリ、ビガン)上陸。グアム、タラワ、マキン占領。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/08 治安維持法、真珠湾攻撃。三木清『人生論ノート』(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/11 日本軍、ウェーク島攻略失敗(ウェーク島の戦い)。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/12 ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、対米宣戦布告(欧州-ハンガリー/ルーマニア/ブルガリア/アメリカ-昭和1)||
|1941|||12/12 日本軍、香港九龍市を制圧、英軍は香港島へ逃走。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/15 日本軍、ペナン島占領。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/16 日本軍、マレー半島アロールスター占領。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/16 日本軍、北ボルネオ(コタキナバル)に上陸。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/20 日本軍、フィリピンミンダナオ島ダバオに上陸。(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||12/21 日本政府、タイと攻守同盟を締結(日泰同盟)。(アジア-日本/タイ-昭和1)||
|1941|||2.15 ロンメル将軍、独北アフリカ方面軍司令官に就任(ドイツ軍、北アフリカ戦線に参戦)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||3.11 ルーズベルト米大統領、武器貸与法に署名(北米-アメリカ-昭和1)||
|1941|||4.1 小学校を「国民学校」に改称(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||4.13 日ソ中立条約、モスクワで調印(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||4.16 ハル米国務長官との間で日米交渉が正式に決まる(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||4.6 ドイツ軍、ユーゴスラビア、ギリシャに侵攻(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||4.6 大都市で米穀配給通帳制、外食券制実施(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||6.22 ドイツ軍、ソ連に奇襲攻撃(独ソ戦が始まる)(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1941|||7.12 英ソ間で相互援助協定調印(欧州-イギリス/ソ連-昭和1)||
|1941|||7.16 第2次近衛文磨内閣総辞職(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||7.18 COLOR(blue):第39代首相 近衛文麿③(~昭16.10.18)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||7.2 関東軍特種演習(関特演)発動(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||7.23 南部仏印進駐に対する、日・仏間の細目協定成立(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||7.25 米政府、在米日本資産を凍結(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||7.28 日本軍、南部仏印進駐(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||8.1 米政府、対日石油輸出を前面禁止(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||8.14 太平洋憲章(米英共同宣言)発表(欧州--昭和1)||
|1941|||8.14 大西洋憲章(欧州--昭和1)||
|1941|||9.15 ドイツ軍、レニングラード(ペテルブルグ)包囲(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||9.19 ドイツ軍、キエフ占領(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||COLOR(blue):第39代首相 近衛文麿③(~昭16.10.18)(7.18)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||COLOR(blue):第40代首相 東条英機(~昭19.7.22)(10.18)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||ソ連政府、モスクワからクイビシェフに移転(10.16)(欧州-ソ連-昭和1)||
|1941|||ドイツがソ連に宣戦(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1941|||ドイツ軍、キエフ占領(9.19)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||ドイツ軍、ソ連に奇襲攻撃(独ソ戦が始まる)(6.22)(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1941|||ドイツ軍、モスクワ総攻撃(10.2)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||ドイツ軍、ユーゴスラビア、ギリシャに侵攻(4.6)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||ドイツ軍、レニングラード(ペテルブルグ)包囲(9.15)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||04/06 ドイツ軍がユーゴスラビア・ギリシャを席捲(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||ハル米国務長官との間で日米交渉が正式に決まる(4.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||ルーズベルト米大統領、武器貸与法に署名(3.11)(北米-アメリカ-昭和1)||
|1941|||ロンメル将軍、独北アフリカ方面軍司令官に就任(ドイツ軍、北アフリカ戦線に参戦)(2.15)(欧州-ドイツ-昭和1)||
|1941|||07/02 関東軍特種演習(関特演)発動(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||10/07 雁屋哲、漫画原作者(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||小学校を「国民学校」に改称(4.1)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||太平洋憲章(米英共同宣言)発表(8.14)(欧州-アメリカ/イギリス-昭和1)||
|1941|||12/01 太平洋戦争が始まる(~1945)(欧州--昭和1)||
|1941|||太平洋戦争開始(12.1)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||台風来襲、被害甚大 大政翼賛会県支部発足(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||08/14 大西洋憲章(欧州--昭和1)||
|1941|||大都市で米穀配給通帳制、外食券制実施(4.6)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||第2次近衛文磨内閣総辞職(7.16)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||10/16 第3次近衛文磨内閣総辞職(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||東条英機陸相、『戦陣訓』を示達(1.8)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||06/22 独ソ開戦(欧州-ドイツ/ソ連-昭和1)||
|1941|||南部仏印進駐に対する、日・仏間の細目協定成立(7.23)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||日ソ中立条約、モスクワで調印(4.13)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||日本軍、南部仏印進駐(7.28)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||04/06 配給通帳制実施(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||富野由悠季、アニメーション監督(11.5)(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||11/26 米政府、「ハルノート」を提示(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||07/25 米政府、在米日本資産を凍結(アジア-日本-昭和1)||
|1941|||08/01 米政府、対日石油輸出を前面禁止(アジア-日本-昭和1)||

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