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  • data_江戸時代後期 へ行く。

|1745|||COLOR(blue):9代将軍 徳川家重&size(6){(--)};||
|1745|||京都西陣 高機織仲間成立&size(6){(--)};||
|1745|||ドレスデン和約で第二次シュレージエン戦争終結&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1745|||9代将軍徳川家重&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1745|||京都西陣高機織仲間成立&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1745|||9代目将軍徳川家重(いえしげ)1745-1760&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1745|||徳川家重が9代目将軍となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
| | | |CENTER:&size(20){江戸時代(1603 - 1868)};&size(6){(日本-日本-)};||h
|1745||>|''江戸時代後期''&size(6){(日本-日本-)};||
|1746|||長崎貿易制限強化&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1746|||銅商大坂屋が四国の立川銅山を住友に売却。前年の2万両に及ぶ赤字補填のためと思われる。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1747|||5/2COLOR(green):第116代 桃園天皇&size(6){(--)};||
|1747|||アメリカのフランクリンが電気の概念を確立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1747|||フランクリンが電気の概念を確立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1747|||ロシアからユダヤ人追放。&size(6){(イスラエルの歴史)};&size(6){(中東-イスラエル-)};||
|1747|.05.02||COLOR(SandyBrown):第116代桃園天皇&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1747|3|16|遐仁(桃園天皇)が立太子&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1747|5|2|COLOR(SandyBrown):第115代桜町天皇が退位し、遐仁が第116代桃園天皇として即位&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1748|||アーヘン和約&size(6){( - -)};||
|1748|||モンテスキューの『法の精神』なる&size(6){(--)};||
|1748|||モンテスキューの『法の精神』なる&size(6){(--)};||
|1748|||7/12寛延(かんえん)(1748.7.12-1750)&size(6){(--)};||
|1748|||フランス、モンテスキューの「法の精神」なる&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1748|||フランスのモンテスキュー(1689-1755)、『法の精神』完成&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1748|||アーヘンの和約でオーストリア継承戦争終結&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1748|||寛延&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1748|||加賀騒動-前田家のお家騒動&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1748|7|12|延享から寛延(かんえん)に改元。1751年に宝暦に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1748|7.12||寛延(かんえん)(1748.7.12-1750)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1749|||熊本藩主細川重賢の改革始まる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1750|||フランクリンが避雷針を発明&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1750|||イギリスの鉄法(植民地の金属業禁止)&size(6){(北米-アメリカ、イギリス-)};||
|1750|||1750年COLOR(blue):均役法実施&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1750|||均役法実施.奴婢以外の成年男子に軍役を課し,身役と賦役の弊害を正す&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1750|||均役法実施される&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1750|||均役法実施される&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1750|||COLOR(blue):均役法実施&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1750|||幕府、強訴・徒党・逃散仕置を再び厳禁&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1750|4|23|第115代桜町天皇崩御31歳&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1751|||10/27宝暦(ほうれき)(1751.10.27-1763)&size(6){(--)};||
|1751|||フランスのディドロ(1713-1784)、『百科全書』刊行開始(~1772)&br;このころからフランス啓蒙思想隆盛&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1751|||宝暦&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1751|||徳川吉宗没&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1751|10|27|宝暦(ほうれき)(1751.10.27-1763)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1751|10|27|寛延から宝暦(ほうれき)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1752|||琉球使節来日、将軍引見 長州藩藩政改革始まる&size(6){(--)};||
|1752|||琉球使節来日、将軍引見長州藩藩政改革始まる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1753|||ロシア、国内関税撒廃で単一国内市場の成立&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1753|||幕府薩摩藩に木曽川改修工事を命ず(55年完成)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1754|||久留米藩で大一揆 美濃で群上一揆&size(6){(--)};||
|1754|||木曽川治水工事着手 自刃者・病死者続出&size(6){(--)};||
|1754|||英仏の植民地戦争〔フレンチ・アンド・インディアン戦争(~1763)〕&size(6){(北米-アメリカ、イギリス、フランス-)};||
|1754|||久留米藩で大一揆美濃で群上一揆&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1754|||木曽川治水工事着手自刃者・病死者続出&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1754|||宝暦治水事件-治水工事で多くの薩摩藩士が自害する-久留米で一揆がおこる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1755|||. 木曽川治水工事完成 総奉行平田靭負自刃&size(6){(--)};||
|1755|||1755-1763年フレンチ・インディアン戦争イギリス vs フランス/スペイン連合による北米での覇権争い。イギリスが勝利する。講和条約はパリ条約(1763年)。&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1755|||フランスのルソー(1712-1778)、『人間不平等起源論』出版&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1755|||木曽川治水工事完成総奉行平田靭負自刃&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1755|||藩債88万両余&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1756|||武田出雲死 「仮名手本忠臣蔵」(1748初演)&size(6){(--)};||
|1756|||七年戦争(-1763年)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1756|||イギリス・フランス植民地七年戦争(~1763)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1756|||イギリス・フランス植民地七年戦争&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1756|||オーストリア・フランス・ロシアとプロイセン・イギリスの間に七年戦争始まる(~1763)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1756|||七年戦争(~1763)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1756|||武田出雲死「仮名手本忠臣蔵」(1748初演)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1757|||プラッシーの戦い&size(6){(--)};||
|1757|||プラッシーの戦い&size(6){(--)};||
|1757|||インドでプラッシーの戦い&size(6){(南アジア-インド-)};||
|1757|||ロスバハの戦い、ロイテンの戦いでプロイセン軍がフランス・オーストリア軍を破る&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1758|||フランス、ケネーの「経済表」なる(重農主義)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1758|||フランスのケネー(1694-1774)、『経済表』発表&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1758|||宝暦事件&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1758|||全国的に藩校が広まる(18世紀半ば&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1758|||宝暦事件-尊王論者の竹内式部(たきうちしきぶ)の追放&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1758|7|2|英仁(後桃園天皇)生誕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1758|9|3|江戸幕府9代将軍徳川家重の側用人・田沼意次が、加増で1万石の大名になり幕閣入り&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1759|||イギリス軍、フランス領ケベックを占領&size(6){(北米-アメリカ、イギリス、フランス-)};||
|1759|||クネルスドルフの戦いで、ロシア・オーストリア軍、プロイセン軍に勝利(七年戦争)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1759|||「東史綱目」完成.正史の間違いを批判.野史も取り入れる&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1759|||山県大弐、「柳子新論」で幕政を批判&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1759|||府中大火。消失家屋1千戸。幕府より米1万石の支援救援を受ける。幕府より朝鮮人参貿易資金8万両を借入れ。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1760|||COLOR(blue):10代将軍 徳川家治&size(6){(--)};||
|1760|||江戸連日大火 会津藩、塩専売を開始&size(6){(--)};||
|1760|||イギリスの産業革命(~1840)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1760|||このころ、イギリスで囲い込みがさかん&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1760|||イギリスの産業革命&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1760|||イギリス軍、モントリオール、デトロイトを占領&size(6){(北米-カナダ、アメリカ、イギリス-)};||
|1760|||10代将軍徳川家治&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1760|||江戸連日大火会津藩、塩専売を開始&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1760|||[田沼時代1767-1786]10代目将軍徳川家治(いえはる)1760-1786&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1760|||徳川家治が10代目将軍となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1761|||旗本・御家人の俸禄米を買い入れて米価調節をはかる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1762|||ルソーが『民約論』を著す&size(6){(--)};||
|1762|||7/27COLOR(green):第117代 後桜町天皇&size(6){(--)};||
|1762|||フランス、ルソーの「社会契約論」なる&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1762|||ルソーが『民約論』を著す&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1762|||ルソー、『社会契約論』『エミール』刊行&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1762|||1762英祖の治世に荘献世子事件起こる、精神を病んだ荘献世子が異常な行動を取り、王命により米櫃の中に閉じ込められ、餓死する&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1762|||英祖の治世に荘献世子事件起こる、精神を病んだ荘献世子が異常な行動を取り、王命により米櫃の中に閉じ込められ、餓死する&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1762|||江戸芝藩邸・守殿ともに類焼し、幕府より2万両貸付&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1762|||寺院への田畑寄進を禁止&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1762|7|12|第116代桃園天皇崩御22歳&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1762|7|27|COLOR(SandyBrown):第117代後桜町天皇&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1762|7|27|COLOR(SandyBrown):智子内親王が第117代後桜町天皇として即位&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1763|||パリ条約でフレンチ・インディアン戦争終結。カナダ、イギリス領となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1763|||パリ条約で七年戦争終結、イギリス・フランス講和&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1763|||フベルトゥスブルク条約で、プロイセン・オーストリア講和&br;このころイギリスに産業革命始まる&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1763|||パリ条約でフレンチ・インディアン戦争終結。カナダ、イギリス領となる&size(6){(北米-カナダ、フランス、イギリス-)};||
|1763|||七年戦争終結(パリ条約、フベルツスブルグ和約)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1763|||パリの条約~英仏講和&size(6){(西欧-フランス、イギリス-)};||
|1763|||パリの条約~英仏講和&size(6){(西欧-フランス、イギリス-)};||
|1763|||1763年朝鮮通信使が日本からサツマイモを持ち帰り、朝鮮で食糧対策の一環として取り入れられた。&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1763|||さつまいも日本より伝来&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1763|||朝鮮通信使が日本からサツマイモを持ち帰り、朝鮮で食糧対策の一環として取り入れられた。&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1763|||COLOR(blue):さつまいもの伝来&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1763|||5年間の格別緊縮を令する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1763|||江戸神田に朝鮮人参座創設&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1764|||6/2明和(めいわ)(1764.6.2-1771)&size(6){(--)};||
|1764|||アメリカ、砂糖条例&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1764|||イギリス、砂糖法と通貨条例発布。北米植民地でイギリス製品をボイコット&size(6){(北米-アメリカ、イギリス-)};||
|1764|||イギリスのハーグリーブス、ジェニー紡績機を発明&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1764|||明和&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1764|||武蔵・下野に百姓一揆&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1764|6|2|明和(めいわ)(1764.6.2-1771)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1764|6|2|宝暦から明和(めいわ)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1764|10||民間所有であった北方の曽木、土々呂銅山、目平銅山を藩営として借り上げる。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1764|12|17|伝馬騒動。人馬不足時に補助をするよう指定される「助郷」の増設に反対する信濃・上野などの農民数万人が蜂起。幕府は助郷増設を中止&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1765|||五匁銀新鋳 オランダ船からはじめて金銀銭を輸入&size(6){(--)};||
|1765|||ニューヨーク農民の反乱&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1765|||印紙税法がイギリス議会通過。バージニア決議(印紙税法に抗議)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1765|||イギリス、ワットが蒸気機関を改良&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1765|||イギリスのワットが蒸気機関を改良&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1765|||このころイギリスに産業革命&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1765|||このころイギリスに産業革命&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1765|||イギリス、ワットの蒸気機関改良&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1765|||五匁銀新鋳オランダ船からはじめて金銀銭を輸入&size(6){(日本-日本、オランダ-江戸時代)};||
|1766|||イギリス政府、印紙税法を撤回&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1767|||明和事件 田沼意次、側用人になる&size(6){(--)};||
|1767|||イギリス議会、タウンゼンド法発布&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1767|||スペイン植民地でイエズス会を追放&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1767|||北米植民地でイギリス製品不輸入運動始まる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1767|||フランス、囲い込み運動許可&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1767|||ギリシア・モンテネグロ・ボスニア、トルコに反抗&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1767|||明和事件田沼意次、側用人になる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1767|||田沼意次(たぬまおきつぐ)が側用人となる-明和事件(めいわじけん)-尊王論者の山県大弐・藤井右門を処刑&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1767|7|1|?徳川家治が田沼意次を側用人とする&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1768|||マサチューセッツ回状、各植民地会議に回送&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1768|||イギリスのアークライト、水力紡績機を発明&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1768|||第一次ロシア・トルコ戦争始まる(~1774)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1768|||7年間の厳重倹約を達する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1768|||佐渡に一揆おこる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1768|2|19|英仁親王(後桃園天皇)立太子&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1769|||ジェームズ・ワット(スコットランド)、新方式の蒸気機関を開発 - 産業革命&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1769|||青木昆陽・賀茂真淵死&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1769|8|18|江戸幕府10代将軍徳川家治の側用人・田沼意次が老中格に就任&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1770|||11/24COLOR(green):第118代 後桃園天皇&size(6){(--)};||
|1770|||ジェームズ・クック(スコットランド人)シドニー(豪)に上陸し領有宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1770|||ボストン虐殺事件&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1770|||高札により、徒党・強訴・逃散の密告を奨励&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1770|11|24|COLOR(SandyBrown):第118代後桃園天皇&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1770|11|24|COLOR(SandyBrown):第117代後桜町天皇が退位し、英仁親王が第118代後桃園天皇として即位&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1771|||ロシア船、阿波などに漂着&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1771|8|15|兼仁(光格天皇)生誕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1772|||第一回ポーランド分割が始まる&size(6){(--)};||
|1772|||11/16安永(あんえい)(1772.11.16-1780)&size(6){(--)};||
|1772|||田沼意次老中となる 江戸大火・大水害&size(6){(--)};||
|1772|||プロシア・ロシア・オーストリア間で第一回ポーランド分割が始まる&size(6){(東欧-ポーランド、プロシア・ロシア・オーストリア-)};||
|1772|||プロイセン・オーストリア・ロシアによる第一次ポーランド分割&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1772|||RIGHT:COLOR(green):老中田沼意次、田沼時代が始まる''1772''&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1772|||田沼意次老中となる江戸大火・大水害&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1772|||田沼意次が老中となる(重商主義的政策、株仲間の激励など)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1772|11|16|安永(あんえい)(1772.11.16-1781)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1772|11|16|明和から安永(あんえい)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1773|||アメリカ、ボストン茶会事件&size(6){(--)};||
|1773|||ボストン茶会事件&size(6){(--)};||
|1773|||伊勢尾張水害 大原騒動 (飛騨の百姓一揆}&size(6){(--)};||
|1773|||ロシアでプガチョフの乱(~1775)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1773|||伊勢尾張水害大原騒動(飛騨の百姓一揆}&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1773|||秋田藩は平賀源内と吉田利兵衛の二人を招き銀絞りを試みる。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1773|12|16|アメリカ、ボストン茶会事件 - イギリス本国からの茶法に対する反発&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1774|||イギリス、ケベック法制定、ケベック植民地の境界および統治原則定まる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1774|||フィラデルフィアで第1回大陸会議&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1774|||第一回大陸会議 - 各植民地代表による会議。イギリスに抗議&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1774|||イギリス、ボストン港閉鎖&size(6){(北米-アメリカ、イギリス-)};||
|1774|||ドイツ、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」なる&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1774|||フランス、ルイ16世即位(~1792)。チュルゴー、財政総監就任&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1774|||個人の家での刑罰「濫刑」や,男性器を切り取る「鯨刺」禁止&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1774|||杉田玄白らの「解体新書」なる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1774|||南蛮吹は当時幕府の統制化にあったが、秋田藩は秘密裏に平賀源内を招き銀抽出を試みるが失敗、江戸藩邸御用人太田伊太夫を通じて大坂屋に協力を要請。加護山に銀絞所を創業。。(豪商大阪屋久左衛門HP)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1774|||杉田玄白が医学書(ターヘル・アナトミア)の翻訳「解体新書」ができる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1775|||アメリカ独立戦争(~1783)&size(6){(--)};||
|1775|||アメリカ、独立戦争勃発(~1783)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1775|||アメリカ独立戦争1775-1783年イギリスとアメリカ東部沿岸(13植民地)の戦争。独立の原因はイギリス本国から13植民地に対しての政策の失敗。(砂糖法、印紙法、タウンゼンド諸法、茶法など)イギリスの敗因は「フランス、スペイン、オランダがアメリカに援助」「アメリカ領土が広大」「アメリカとイギリス間の距離が遠い」などが挙げられる。&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1775|||アメリカ独立革命始まる(~1783)。4-19レキシントンの戦い。5-10第2回大陸会議(フィラデルフィア)。6-15ワシントン総司令官となる。6-16~17バンカー・ヒルの戦い&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1775|||アメリカ独立戦争 ~1783年&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1775|||再度の7年間倹約を令する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1775|||参勤供衆の員数を制限&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1776|||COLOR(red):アメリカ、独立宣言&size(6){(--)};||
|1776|||イギリス、アダム=スミスの「国富論」なる(自由放任主義)&size(6){(--)};||
|1776|||イギリスのアダム・スミスが『国富論』を著す&size(6){(--)};||
|1776|||1-15トマス・ペイン『コモン・センス』発刊&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1776|||(7.4)アメリカ独立宣言発布 。&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1776|||7-4アメリカ独立宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1776|||イギリスのアダム・スミス(1723-1790)、『国富論』成る(自由放任主義)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1776|||フランス、賦役とギルドの廃止&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1776|||1776年COLOR(blue):奎章閣設置&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1776|||昌徳宮の北苑に奎章閣設置.文芸の中心機関となる&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1776|||COLOR(blue):奎章閣設置&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1776|||朝鮮私貿易断絶のため、対馬藩に手当金給付&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1776|||平賀源内がエレキテル(静電気発生装置)を復元する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1776|||朝鮮貿易のうち私貿易の断絶を申告し、幕府より毎年1万2千両の給付を受ける。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1776|7|4|アメリカ独立宣言 - 大陸会議により独立宣言が採択される&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1777|||信濃に百姓一揆 三原山大噴火&size(6){(--)};||
|1777|||10-17サラトガの戦い。11-15大陸会議、連合規約草案採択&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1777|||フランスの化学者ラボアジエ、燃焼理論の確立&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1777|||信濃に百姓一揆三原山大噴火&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1778|||フランスがアメリカ側で参戦。スペインやオランダもその後2年以内にアメリカ側に付いた&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1778|||米仏同盟締結&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1778|||フランス、アメリカの独立を承認し、イギリスに開戦&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1778|||フランスの啓蒙思想家ボルテール没(1694~)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1778|||ロシア船、国後島来て、松前氏に通商要求&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1779|||11/25COLOR(green):第119代 光格天皇&size(6){(--)};||
|1779|||スペイン、対イギリス宣戦布告&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1779|||イギリスのクロンプトン、ミュール紡績機発明&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1779|||桜島噴火、死者150人余&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1779|||松前藩、ロシア船の通商要求を拒否&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1779|10|29|第118代後桃園天皇崩御&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1779|11|21|平賀源内が門弟2人の誤殺容疑で投獄&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1779|11|25|COLOR(SandyBrown):第119代光格天皇&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1779|11|25|COLOR(SandyBrown):兼仁親王が第119代光格天皇として即位&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1780|||富山商人の売薬行商を禁止する 薬園署を設置&size(6){(--)};||
|1780|||マサチューセッツ憲法制定(奴隷の即時廃止を規定)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1780|||ペルーでインカ帝国末裔トゥパク・アマルの反乱(~1782)&size(6){(中南米-ペルー、インカ帝国-)};||
|1780|||大阪に銀座、江戸・京都・大阪に真鋳座解説&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1780|||富山商人の売薬行商を禁止する薬園署を設置&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1780|||幕府への返金延期を承諾される。総額15万2千両余。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1780|12|18|平賀源内歿&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1781|||4/2天明(てんめい)(1781.4.2-1788)&size(6){(--)};||
|1781|||3連合規約各州が批准&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1781|||8-30~10-19ヨークタウンの戦いで植民地軍、イギリス軍を追い込み、事実上独立戦争終結&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1781|||北米銀行設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1781|||ドイツ、カントの「純粋理性批判」なる&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1781|||ドイツの哲学者カント(1724-1804)の『純粋理性批判』出る&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1781|||天明&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1781|4|2|安永から天明(てんめい)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1781|4.2||天明(てんめい)(1781.4.2-1788)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1782|||「四庫全書」なる&size(6){(--)};||
|1782|||「四庫全書」なる&size(6){(--)};||
|1782|||印旙沼の開墾を開始  天明の大飢饉(→1787)&size(6){(--)};||
|1782|||英米仮条約&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1782|||RIGHT:COLOR(green):天明の大飢饉(~87)''1782''&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1782|||印旙沼の開墾を開始天明の大飢饉(→1787)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1782|||天明の大飢饉-1787年の天明の打ちこわしに発展--1788&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1783|||パリ条約(イギリスがアメリカの独立を承認)&size(6){(--)};||
|1783|||浅間山大噴火 田沼意次の子意知、若年寄になる&size(6){(--)};||
|1783|||ノース・ウェスト会社設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1783|||パリ条約-「アメリカ合衆国」として正式独立 イギリスより領土割譲&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1783|||パリ条約で英領カナダと米との国境決定&size(6){(北米-イギリス、アメリカ、カナダ-)};||
|1783|||COLOR(red):パリ条約調印。イギリス、アメリカ合衆国の独立を承認&size(6){(西欧-フランス、イギリス、アメリカ-)};||
|1783|||ロシア、クリム・ハン国を併合&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1783|||外城郷士の称をやめ、郷士と称す&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1783|||浅間山大噴火田沼意次の子意知、若年寄になる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1783|||浅間山が噴火する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1783|7|6|浅間山が大噴火。死者約2万人&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1783|12|16|天明の大飢饉の為、江戸幕府が翌年から7年間の検約令を布告&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1784|||ボストン銀行、ニューヨーク銀行設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1784|||1784李承薫が天主教の書籍を持ち込む&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1784|||李承薫、北京で洗礼を受けて帰国、伝道を行う&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1784|||李承薫,北京で西洋の神父より洗礼を受け帰国,天主教伝道&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1784|||李承薫が天主教の書籍を持ち込む&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1784|||李承薫、北京で洗礼を受けて帰国、伝道を行う&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1784|||COLOR(blue):李承薫の%%天主教%%カトリック伝道&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1784|||田沼意知、佐野政言に暗殺される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1785|||アメリカで土地条例制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1785|||イギリスのカートライト、力織機を発明&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1785|||COLOR(blue):「大典通編」完成&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1785|||幕吏山口鉄五郎、蝦夷地調査に出発&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1785|||蝦夷地調査隊を派遣する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1785|||義功死去するも、偽装によって藩主の死を秘す。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1786|||アメリカ、マサチューセッツ州で農民の反乱(シェイズの反乱)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1786|||(5.1)フィガロの結婚初演。(W・A・モーツァルト)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1786|||1786年COLOR(blue):西学禁止&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1786|||西学(天主教)禁じる&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1786|||西学が禁止される&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1786|||西学が禁止される&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1786|||COLOR(blue):西学を禁じる&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1786|||水害・風害・田畑被害多く、死傷者を出す&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1786|||田沼意次罷免&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1786|5.|1|フィガロの結婚初演。(W・A・モーツァルト)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1786|5|5|江戸幕府の命を受けた最上徳内が日本人として初めて択捉島に上陸&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1787|||COLOR(blue):11代将軍 徳川家斉&size(6){(--)};||
|1787|||アメリカ憲法成立&size(6){(--)};||
|1787|||アメリカ憲法成立 - 共和制/三権分立/連邦制の憲法が制定する&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1787|||アメリカで憲法制定会議開かれる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1787|||アメリカで憲法制定会議開かれる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1787|||フランス、カロンヌが名士会を召集&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1787|||第二次ロシア・トルコ戦争始まる(~1792)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1787|||ベルギーでブラバント革命起こる(~1790)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1787|||RIGHT:COLOR(green):寛政の改革&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1787|||米価騰貴し、江戸・大阪の町民騒乱&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1787|||寛政の改革(かんせいのかいかく)--1793&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1787|||11代目将軍徳川家斉(いえなり)1787-1837&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1787|||徳川家斉が11代目将軍となる-松平定信が老中筆頭となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1787|6|19|松平定信が老中首座となり幕府財政の建て直しなどの「寛政の改革」に着手&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1787|7|23|二宮尊徳(金次郎)生誕。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1787|9|17|アメリカ合衆国憲法採択&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1787|12|7|米国でデラウェアが1番目の州となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1788|||アメリカ合衆国憲法成立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1788|||ギボンの「ローマ帝国衰亡史」が完成&size(6){(ローマ)};&size(6){(西欧-イタリア、ローマ-)};||
|1788|||フランス、パリ高等法院と政府の対立。各地で暴動。ネッケル、再度財政総監に就任&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1788|||老忠松平定信、将軍補佐となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1789|||4/30COLOR(blue):第1代大統領 ジョージ・ワシントン( - 1797.03.03)&size(6){(--)};||
|1789|||1/25寛政(かんせい)(1789.1.25-1800)&size(6){(--)};||
|1789|||棄捐令(旗本・御家人の負債免除) 倹約令5ケ年延長&size(6){(--)};||
|1789|||COLOR(blue):ジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領、就任&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1789|||フェデラリスト党(ハミルトン)成立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1789|||(4.30)初代大統領に大陸軍司令官であったジョージ・ワシントン就任&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1789|||(7.14)フランス革命 8月26日に人権宣言( - 1794年)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1789|||フランス革命&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|||1フランスのシエイエス、『第三身分とは何か』を発表〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|||6-17第三身分による国民議会成立〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|||6-20テニスコートの誓い、バスチーユ牢獄襲撃〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|||8-4封建的諸制度の廃止宣言〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|||8-26議会、人権宣言を裁決〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|||10-5パリ市民、ベルサイユ行進〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|||ベルギーのリエージュで革命(~1791)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1789|||テュルヌーの戦いで、ベルギー義勇軍がオーストリア軍を撃破&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1789|||寛政&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1789|||棄捐令(旗本・御家人の負債免除)倹約令5ケ年延長&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1789|||薩摩邸類焼(京都大火・皇居・二条城)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1789|||囲米の制(かこいまいのせい)-飢饉などに備えて穀物を備蓄-棄捐令(きえんれい)-旗本・御家人は札差からの借金帳消し・軽減-奢侈禁止令(しゃしきんしれい)-贅沢の禁止-クナシリ・メナシの戦い-蝦夷東部で起きたアイヌ人と倭人の戦い&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1789||25|天明から寛政(かんせい)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1789|1|25|寛政(かんせい)(1789.1.25-1800)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1789|04|30|COLOR(blue):米初代大統領ジョージ・ワシントン就任(-1797.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1789|4|30|初代大統領に大陸軍司令官であったジョージ・ワシントン就任&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1789|5|5|三部会召集〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1789|7|14|フランス革命8月26日に人権宣言(-1794年)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1789|9|16|江戸幕府が旗本・御家人救済の為に「棄捐令」を発布。札差の借金を破毀・年賦返済&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1790|||フランス、国有財産売却決議、貴族の称号廃止&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1790|||フランス、メートル法の制定作業開始&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1790|||ベルギー合州共和国成立、オーストリア軍がブリュッセルを占領&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1790|||2年間人別・牛馬・船出銀賦課&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1790|||寛政異学の禁&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1790|||寛政異学の禁(かんせいいがくのきん)-湯島聖堂(昌平坂学問所)では朱子学以外の講義を禁止。役人登用試験も朱子学のみとする。-人足寄場(にんそくよせば)を設置-軽犯罪者などの職業訓練所-猿屋町会所を設置-棄捐令による札差の救済機関&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1790|5|24|寛政異学の禁。老中主座・松平定信が朱子学以外の学問を異学として湯島聖堂での教授を禁止&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1790|7|21|浦上一番崩れ。肥前国浦上村の村民19人がキリシタンとして初めて検挙&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1791|||ハミルトン、製造工業に関する報告書を提出&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1791|||合衆国銀行設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1791|||合衆国憲法修正(権利宣言付加)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1791|||ハイチで奴隷反乱&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1791|||ハミルトン、製造工業に関する報告書を提出&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1791|||合衆国銀行設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1791|||合衆国憲法修正(権利宣言付加)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1791|||「自由・平等・博愛」を掲げるフランス議会が、ユダヤ人に平等の権利を認め、ナポレオンがゲットーを解体し始める。&br;解放されたユダヤ人たちは一世代のうちに、政治家、将軍、前衛的な知識人・芸術家となる。&size(6){(イスラエルの歴史)};&size(6){(中東-イスラエル-)};||
|1791|||ハイチで奴隷反乱&size(6){(中南米-ハイチ-)};||
|1791|||6-20国王のバレンヌ逃亡〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1791|||9「1791年憲法」制定〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1791|||10-2立法議会成立〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1791|||8プロイセン・オーストリア皇帝、革命阻止のピルニッツ宣言&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1791|||1791辛亥通共政策(商業における自由売買を決める)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1791|||辛亥通共政策(商業における自由売買を決める)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1791|||異国船渡来のさいの処置を指令&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1791|||大和名所圖會が発行される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1791|||七分積金制-町入用(町費)を節減してその7割を積み立てする-風紀対策で入れ込み湯(混浴)が禁止される-米国商船のレイディ・ワシントン号が和歌山県串本町に寄港&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1792|||フランス、第1次共和政&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1792|||3ジロンド派内閣成立〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1792|||4国民議会対オーストリア宣戦〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1792|||8-10パリ市民、チュイルリー宮襲撃、ルイ16世を幽閉(八月十日事件)〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1792|||9-20国民公会開催、王政廃止〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1792|||ヤーシ条約でロシア・トルコ戦争講和&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1792|||ロシア使節ラクスマン、根室に来航&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1792|||薬園奉行を置く&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1792|||林子平(はやししへい)の政論書「海国兵談」が出版禁止となる-ロシアのラクスマンが通商を要求するが幕府は拒否する-尊号事件(そんごうじけん)-朝廷と幕府の間での尊号問題&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1792|2|10|雲仙岳の主峰・普賢岳が噴火&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1793|||英国、マッカートニ派遣&size(6){(--)};||
|1793|||高山彦九郎自殺 林子平獄死&size(6){(--)};||
|1793|||アメリカのホイットニー、綿繰機を発明&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1793|||マッケンジー、ロッキー山脈を横断して太平洋岸に到達&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1793|||逃亡奴隷法制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1793|||フランス、ルイ16世処刑、マリー=アントワネット処刑&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1793|||1-21ルイ16世処刑〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1793|||3-10革命裁判所設立。〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1793|||4公安委員会設立〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1793|||6ジャコバン派の恐怖政治。共和国憲法制定〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1793|||7-13マラー暗殺〔フランス革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1793|||第二次ポーランド分割&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1793|||2-3ピット(小)対仏大同盟提唱&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1793|||高山彦九郎自殺林子平獄死&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1793|||幕府の命による辺要の防備体制を整える(遠見番所)。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1794|||ペンシルベニアでウィスキーの反乱&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1794|||フランス、ロベス=ピエール処刑&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1794|||7-27フランス、テルミドールの反動、翌日ロベスピエールら処刑&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1794|||4-5ダントン処刑&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1794|||ポーランドでコシチューシコの独立運動、ロシア軍が鎮圧&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1794|||倹約令10ケ年延長&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1795|||清・愛新覚羅氏・・ 仁宗・嘉慶帝&size(6){(--)};||
|1795|||8-22フランス、共和暦三年の憲法制定。10国民公会解散。総裁政府成立(~99)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1795|||第三次ポーランド分割&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1795|||COLOR(SandyBrown):清・愛新覚羅氏・・仁宗睿皇帝(嘉慶帝、顒琰)&size(6){(東アジア-清-)};||
|1795|7|17|圓山應擧歿(画家)<数え63歳>&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1796|||白蓮教徒の乱(~1804)&size(6){(--)};||
|1796|||白蓮教徒の乱&size(6){(--)};||
|1796|||COLOR(green):嘉慶帝・即位 -1820&size(6){(--)};||
|1796|||アヘン輸入の禁止&size(6){(--)};||
|1796|||嘉慶帝即位&size(6){(--)};||
|1796|||仁宗睿皇帝(嘉慶帝、&#38994;&#29744;)&size(6){(--)};||
|1796|||ワシントン、告別演説で海外の紛争への不介入と中立を主張&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1796|||公有地法制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1796|||ナポレオン戦争(~1815)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1796|||清で白蓮教の乱(~1804)&size(6){(東アジア-清-)};||
|1796|||1796正祖による水原城(華城)建設、(朝鮮後半の全盛期)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1796|||正祖による水原城(華城)建設、(朝鮮後半の全盛期)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1796|||英人ブロートン日本沿岸測量のため室蘭に来航&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1797|||3/4COLOR(blue):第2代大統領 ジョン・アダムズ( - 1801.03.03)&size(6){(--)};||
|1797|||山本正誼、島津国史を編纂 享和2年完成&size(6){(--)};||
|1797|||山本正誼、島津国史を編纂享和2年完成&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1797|||宝暦暦を廃し、寛政暦を使用&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1797|||異国船が近海に出没。釜山倭館(和館)にも兵を置く。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1797|3|4|COLOR(blue):第2代大統領ジョン・アダムズ(-1801.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1798|||外人法、治安法他制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1798|||ナポレオン、パレスチナ侵攻に失敗。&size(6){(イスラエルの歴史)};&size(6){(中東-イスラエル-)};||
|1798|||フランス、ナポレオンのエジプト遠征(~1799)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1798|||本居宜長の「古事記伝」なる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1798|||本居宣長の注釈書「古事記伝」ができる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1799|||イタリアのボルタが電池を発明&size(6){(--)};||
|1799|||ワシントン没(1733~)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1799|||イタリアのボルタが電池を発明&size(6){(西欧-イタリア-)};||
|1799|||第2回対仏大同盟&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1799|||ナポレオン、ブリュメール一八日のクーデター。統領政府成立、ナポレオン第一統領に&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1799|||幕府、蝦夷地直営を開始&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1800|||スペイン、フランスにルイジアナを割譲&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1800|||ワシントン、合衆国首府となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1800|||イタリアの物理学者ボルタ、電池の発明を発表&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1800|||18世紀中国を経由してカトリックが入ってくる。朝鮮内部では、王朝が強力に推進してきた儒教との対比で、容認派と反対派との抗争が起こり、朝鮮王朝は、1791年、ついにカトリック弾圧を実施した。そして、これを皮切りに、以後数次にわたり、カトリック弾圧が断行され、多くの犠牲者も出した。このカトリック弾圧に対しては、19世紀になってからも、西洋諸国からの強力な抗議・干渉が、高まって行く。&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1800|||18世紀中国を経由してカトリックが入ってくる。朝鮮内部では、王朝が強力に推進してきた儒教との対比で、容認派と反対派との抗争が起こり、朝鮮王朝は、1791年、ついにカトリック弾圧を実施した。そして、これを皮切りに、以後数次にわたり、カトリック弾圧が断行され、多くの犠牲者も出した。このカトリック弾圧に対しては、19世紀になってからも、西洋諸国からの強力な抗議・干渉が、高まって行く。&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1800|||18世紀末中国を経由してカトリックが入ってくる。朝鮮内部では、王朝が強力に推進してきた儒教との対比で、容認派と反対派との抗争が起こり、朝鮮王朝は、1791年、ついにカトリック弾圧を実施した。そして、これを皮切りに、以後数次にわたり、カトリック弾圧が断行され、多くの犠牲者も出した。このカトリック弾圧に対しては、19世紀になってからも、西洋諸国からの強力な抗議・干渉が、高まって行く。&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1800|||伊能忠敬、蝦夷地を測量&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1800|||浜之市新田竣工&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1800|2|21|恵仁(仁孝天皇)生誕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1800|4|19|伊能忠敬が蝦夷地測量のため江戸を出発&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1801|||3/4COLOR(blue):第3代大統領 トマス・ジェファーソン( - 1809.03.03)&size(6){(--)};||
|1801|||2/5享和(きょうわ)(1801.2.5-1803)&size(6){(--)};||
|1801|||ジェファソン、アメリカ第3代大統領に就任(~1809)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1801|||リチャード・トレビシック(イングランド)蒸気自動車試作&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1801|||イギリス、アイルランド併合&size(6){(西欧-イギリス、アイルランド-)};||
|1801|||ナポレオン、オーストリアとリュネビル条約調印&size(6){(中欧-オーストリア-)};||
|1801|||教皇ピウス7世とナポレオンの政教協約&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1801|||ロシア、アレクサンドル1世即位(~1825)&size(6){(中欧-ロシア-)};||
|1801|||日本統治時代&br;19世紀末、日本は日清戦争に勝利し、台湾の統治権を得ました。これ以後約50年間、台湾は日本の植民地となりました。日本の統治に対して、当初は台湾住民の抵抗が強く、約5年間続いた紛争では、1万人以上の台湾人が戦死したり虐殺されるなどしました。&br;台湾に対する日本の植民地政策は、植民地経営での欧米との対抗意識や、南進政策もあり、道路、鉄道、港湾、上下水道、電気、通信などのインフラの整備や、教育の普及、治安の維持に注力するもので、そのレベルは当時の日本本土を上回るものでした。&br;台湾人は二等国民とされ、日本人や朝鮮人らと差別されましたが、こうした植民地政策により、台湾の公共インフラや教育水準はこの時期に飛躍的に向上し、経済的にも発展しました。&br;日本統治時代は、台湾人の日本同化政策により、台湾での学校教育は日本語で行われたため、この時代に学校教育を受けた世代は、日本語を話すことができます。&size(6){(東アジア-台湾-)};||
|1801|||アメリカン・ドリームリンカーン(大統領)、ロックフェラー(石油王)、モルガン(銀行王)、カーネギー(鉄鋼王)、フォード(自動車王)、ハリマン(鉄道王)、ピューリツァー(新聞王)など多数。&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1801|||1801年COLOR(blue):辛酉迫害&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1801|||辛酉邪獄(天主教徒[カトリック]と中国人神父の殺害)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1801|||辛酉迫害(辛酉邪獄)、天主教に寛大であった時派への弾圧&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1801|||COLOR(blue):辛酉迫害&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1801|||享和&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1801|||白糖製造人を大島に派遣して白糖を試製させる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1801|||百姓・町人に対する名字・帯刀の許可禁止&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1801|2|5|辛酉革命の為、享和[きょうわ/きやうわ]に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1801|2.5||享和(きょうわ)(1801.2.5-1803)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1801|3|4|COLOR(blue):第3代大統領トマス・ジェファーソン(-1809.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1802|||アミアンの和約でフランス・イギリスの講和成る&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1802|||COLOR(red):ベトナムの阮朝が成立&size(6){(東南アジア-ベトナム-)};||
|1802|||ナポレオン、終身執政となる&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1802|||蝦夷奉行(のちの函館奉行)を創設&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1802|||十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」ができる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1803|||アーカンソー州、ルイジアナ購入でアメリカ合衆国の領土に&size(6){(--)};||
|1803|||ケベック近辺に最初の製紙工場建設&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1803|||アメリカ、ルイジアナをフランスより買収&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1803|||アメリカ、フランスから1500万ドルでルイジアナを購入&size(6){(北米-アメリカ、フランス-)};||
|1803|||アメリカ船、長崎にきたり通商を求む&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1804|||2/11文化(ぶんか)(1804.2.11-1817)&size(6){(--)};||
|1804|||ナポレオン皇帝が即位&size(6){(--)};||
|1804|||鉄製レール上を走る蒸気機関車を製作する&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1804|||ハイチ、フランスから独立、ラテンアメリカ最初の独立国となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1804|||ハイチ、フランスから独立、ラテンアメリカ最初の独立国となる&size(6){(中南米-ハイチ、フランス-)};||
|1804|||フランス、ナポレオン法典の公布&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1804|||COLOR(SandyBrown):フランス、ナポレオン法典公布。ナポレオン皇帝が即位(~1814)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1804|||1804《純祖の治世、安東金氏による権勢政治(~1863年)》、士林派の終焉&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1804|||《純祖の治世、安東金氏による権勢政治(~1863年)》、士林派の終焉&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1804|||文化&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1804|||ロシア使節、長崎にきたり貿易を求む&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1804|||秋田藩営となっていた阿仁銅山は荒廃がすすみ藩は再び大坂屋に経営交代を要請する。大坂屋は手代彦兵衛,儀兵衛らを派遣、阿仁小沢山、八盛銅山、院内銀山、藤琴鉛山の経営を再開する。秋田藩は大阪屋彦兵衛に御峠拝領と50石の扶持を与え厚遇した。(豪商大阪屋久左衛門HP)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1804|||ロシアのレザノフが通商を要求するが幕府は拒否する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1804|2|11|甲子革令の為、文化[ぶんか/ぶんくわ]に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1804|2.11||文化(ぶんか)(1804.2.11-1817)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1804|5|17|豊臣秀吉の醍醐の花見を題材とした『太閤五女花見之図』が幕府の禁忌に触れるとして喜多川歌麿が手鎖50日の刑に処せられる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1805|||ネルソンのイギリス艦隊、フランス・スペイン連合艦隊を破る〔トラファルガーの海戦〕&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1805|||ドイツの作家・詩人シラー没(1759~)&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1805|||オーストリア、フランスとプレスブルクの和約&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1805|||第3回対仏大同盟成立&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1805|||アウステルリッツの戦い(三帝会戦)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1805|||斉宜、藩政改革の方針を示す&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1805|||百姓の武芸稽古禁止&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1805|10|13|華岡青洲が日本初の麻酔薬を使った手術に成功&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1806|||COLOR(red):ナポレオンを盟主にライン同盟成立、神聖ローマ帝国滅亡&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1806|||ナポレオン、ベルリン勅令で大陸封鎖開始&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1806|||第三次ロシア・トルコ戦争始まる(~1812)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1806|||江戸芝の大火&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1806|||鹿児島市田上川をつけかえて新川とする&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1807|||函館奉行廃止 西蝦夷地を幕府直轄とする&size(6){(--)};||
|1807|||フルトンの汽船クラーモント号、ハドソン川を往復航行&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1807|||ドイツの哲学者フィヒテ(1762-1814)、『ドイツ国民に告ぐ』の講演&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1807|||ティルジット条約。ワルシャワ公国成立&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1807|||プロイセン王国でシュタインの改革、農奴解放&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1807|||函館奉行廃止西蝦夷地を幕府直轄とする&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1807|8|17|ロバート・フルトン(米)、外輪式蒸気船を開発、ハドソン川で試運転に成功&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1807|8|19|富岡八幡祭の人出で隅田川にかかる永代橋が崩落。死者1500人以上&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1808|||12/22ベートーヴェンの交響曲第5番・第6番がウィーンで初演。&size(6){(--)};||
|1808|||アメリカでアフリカ奴隷の輸入禁止&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1808|||マディソン、アメリカ第4代大統領に当選(在任1809~1817)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1808|||リオ・デ・ジャネイロ、ポルトガルの臨時首府となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1808|||ポルトガル政府、ブラジル亡命&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1808|||ポルトガル政府、ブラジル亡命&size(6){(中南米-ブラジル-)};||
|1808|||スペイン独立戦争&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1808|||ロシア、スウェーデンと戦う(~1809)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1808|||ロシア、フィンランドに侵入&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1808|||間宮林蔵、樺太を探検&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1808|||秩父季保・樺山久言、自刃を命ぜられる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1808|||幕府隠密の間宮林蔵が樺太を探検して間宮海峡を発見-フェートン号事件-イギリス船の補給要求-江戸湾岸に砲台を建設する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1808|12|22|ベートーヴェンの交響曲第5番・第6番がウィーンで初演。&size(6){(--)};||
|1809|||3/4COLOR(blue):第4代大統領 ジェームズ・マディソン( - 1817.03.03)&size(6){(--)};||
|1809|||メキシコ、エクアドルで独立運動始まる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1809|||モントリオール・ケベック間に蒸気船運航&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1809|||モントリオール・ケベック間に蒸気船運航&size(6){(北米-カナダ-)};||
|1809|||沖永良部・与論島旱魃&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1809|||江戸伊勢町に米会所設立&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1809|3|4|COLOR(blue):第4代大統領ジェームズ・マディソン(-1817.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1809|3|24|恵仁親王(仁孝天皇)が立太子&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1809|5|17|間宮林蔵が樺太に単身で渡り樺太が島であることを立証。間宮海峡と名附けられる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1810|||スペイン領植民地で独立運動激化&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1810|||プロイセンでハルデンベルクの改革。フンボルト、ベルリン大学を創立&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1810|||伊能忠敬の領内測量着手&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1810|||大坂の富商人14名に御用金賦課&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1811|||ベネズエラ、パラグアイ、エクアドルの独立宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1811|||合衆国銀行廃止&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1811|||イギリスでラッダイト運動が起こる&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1811|||イギリスでラダイト運動起こる&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1811|||イタリアのアボガドロ、気体に関する仮説発表&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1811|||洪景来の乱(~1812地方差別に反発した一揆)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||COLOR(blue):洪景来の乱&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||洪景来の乱(~1812地方差別に反発した一揆)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||洪景来の乱&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||最後の朝鮮通信使,対馬に来着&size(6){(対馬)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||没落両班,洪景来の乱.農民とともに平安道で起こる&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||洪景来の乱&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||COLOR(blue):洪景来の乱&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1811|||ゴローニン事件-ロシア船の艦長であるゴローニンを抑留&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1811|||朝鮮信使の江戸参礼を改め、聘礼式を府中(厳原)において行う。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1811|7||COLOR(red):1811年7月 - ベネズエラの議会がスペインから独立を宣言&size(6){(--)};||
|1811|8||COLOR(red):1811年8月 - パラグアイがスペインから独立を宣言&size(6){(--)};||
|1812|||ナポレオンのロシア遠征&size(6){(--)};||
|1812|||1812年-1841年ロシア,北カリフォルニアに、前進基地としてのロス砦建設&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||ベネズエラの独立運動失敗&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||一八一二年戦争(~1814)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||1812年-1814年米英戦争 - 第二の独立戦争(アメリカの勝利)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||1812年 - 1814年 米英戦争&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||1812年 - 1841年 ロシア,北カリフォルニアに、前進基地としてのロス砦建設&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||アメリカ軍のカナダ遠征失敗&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||ベネズエラの独立運動失敗&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||一八一二年戦争(~1814)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1812|||アメリカ軍のカナダ遠征失敗&size(6){(北米-カナダ、アメリカ-)};||
|1812|||ドイツ、ヘーゲルの「論理学」&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1812|||ナポレオンのロシア、モスクワ遠征&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1812|||ロシア船、高田屋嘉兵衛を国後沖合で捕らえる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1812|||紀伊国名所圖會の初編、二編が発行される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1813|||ライプチヒの戦&size(6){(--)};||
|1813|||ライプチヒの戦&size(6){(--)};||
|1813|||メキシコ独立宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1813|||コロンビア独立宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1813|||コロンビア独立宣言&size(6){(中南米-コロンビア-)};||
|1813|||プロイセン、ロシアと結んでフランスに宣戦〔解放戦争(~1814)〕。ライプツィヒの戦いで、連合軍、ナポレオンを破る&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1813|||第6回対仏大同盟&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1813|||倹約年限を7年間延長&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1813|||信濃善光寺で打ち壊し&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1813|||伊能忠敬の測量隊19名府中に到着。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1813|11|2|第117代後桜町天皇崩御74歳&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1814|||スチブンソンが蒸気機関車を発明&size(6){(--)};||
|1814|||ナポレオン失脚、ウィーン会議開催&size(6){(--)};||
|1814|||ガン条約で一八一二年戦争終結&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1814|||ジャクソン、クリーク・インディアンを破る&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1814|||ジョージ・スチーブンソン(イングランド)、蒸気機関車「ブリュヘル号」の運転に成功&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1814|||ガン条約で一八一二年戦争終結&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1814|||イギリスのスチブンソンが蒸気機関車を発明&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1814|||イギリスのスティーブンソン、蒸気機関車試運転&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1814|||フランス、ナポレオン退位。ルイ18世即位(~1824)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1814|||ナポレオンがエルバ島へ流される、ウイーン会議&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1814|||ナポレオン失脚、ウィーン会議開催&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1814|||オーストリア外相メッテルニヒの発案でウィーン会議(~1815)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1814|||ギリシアで秘密結社ヘタイリア・フィリケ結成&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1814|||滝沢馬琴「南総里美八犬伝」刊行しはじめる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1814|4|11|小林一茶が24歳年下の菊と結婚&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1815|||神聖同盟が成立&size(6){(--)};||
|1815|||ワーテルローの戦い&size(6){(--)};||
|1815|||神聖同盟が成立&size(6){(--)};||
|1815|||ワーテルローの戦 ~ナポレオンがセント・ヘレナへ流される&size(6){(--)};||
|1815|||メキシコ独立運動失敗&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1815|||ブラジル、ポルトガル同一憲法下の王国となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1815|||イギリス、穀物法制定&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1815|||オーストリア・ロシア・プロイセン・イギリスの四国同盟成立(五国同盟)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1815|||ドイツ連邦成立(~1866)&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1815|||ブラジル、ポルトガル同一憲法下の王国となる&size(6){(中南米-ブラジル-)};||
|1815|||ナポレオンのエルバ島脱出、ワーテルローの戦い、ナポレオンがセントヘレナ島へ流される&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1815|||ワーテルローの戦~ナポレオンがセント・ヘレナへ流される&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1815|||ナポレオンの百日天下。ワーテルローの戦いでナポレオン惨敗&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1815|||COLOR(SandyBrown):ロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱による神聖同盟成立(~1825)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1815|||セルビアの反トルコ独立運動始まる&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1816|||英国、アーマスト派遣&size(6){(--)};||
|1816|||美濃・伊勢など普請高割用金7万7664両を課せられる  徳之島母間村、百姓一揆 琉球飢饉、餓死者1563人&size(6){(--)};||
|1816|||合衆国第二国立銀行設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1816|||アルゼンチン独立宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1816|||合衆国第二国立銀行設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1816|||美濃・伊勢など普請高割用金7万7664両を課せられる徳之島母間村、百姓一揆琉球飢饉、餓死者1563人&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1816|||百姓の衣服、次第に贅沢となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1817|||3/4COLOR(blue):第5代大統領 ジェームズ・モンロー( - 1825.03.03)&size(6){(--)};||
|1817|||3/22COLOR(green):第120代 仁孝天皇&size(6){(--)};||
|1817|||ミシシッピ州の合衆国編入&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1817|||ドイツ、ワルトブルク祭を契機に全ドイツ・ブルシェンシャフト成立&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1817|||イギリス船、浦賀に来航&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1817|||易地聘礼の行賞として肥前筑前他に2万石の加増あり。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1817|.03.22||COLOR(SandyBrown):第120代仁孝天皇&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1817|3|4|COLOR(blue):第5代大統領ジェームズ・モンロー(-1825.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1817|3|22|COLOR(SandyBrown):第119代光格天皇が退位し、恵仁親王が第120代仁孝天皇として即位&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1818|||4/22文政(ぶんせい)(1818.4.22-1829)&size(6){(--)};||
|1818|||チリ、スペインから独立宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1818|||四国同盟にフランス参加、五国同盟成立&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1818|||文政&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1818|||伊能忠敬死&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1818|4|22|文化から文政(ぶんせい)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1818|4.22||文政(ぶんせい)(1818.4.22-1829)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1819|||アーカンソー州、アメリカの準州となる&size(6){(--)};||
|1819|||倹約年限を明年以後5年間年限延長 大島稀有の大風&size(6){(--)};||
|1819|||フロリダ購入(スペインより)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1819|||ボリーバルの指導のもとにコロンビア共和国独立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1819|||アメリカ、フロリダをスペインより買収&size(6){(北米-アメリカ、スペイン-)};||
|1819|||イギリスで穀物法廃止運動抑圧〔ピータールー事件〕&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1819|||ボリーバルの指導のもとにコロンビア共和国独立&size(6){(中南米-コロンビア-)};||
|1819|||イギリスがシンガポールを占領&size(6){(東南アジア-シンガポール、イギリス-)};||
|1819|||ドイツ、カールスバートの決議&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1819|||倹約年限を明年以後5年間年限延長大島稀有の大風&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1819|||塙保己一「群書類従」完成&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1820|||清・愛新覚羅氏・・ 宣宗・道光帝&size(6){(--)};||
|1820|||宣宗成皇帝(道光帝、旻寧)&size(6){(--)};||
|1820|||アメリカ、ミズーリ協定で奴隷州と自由州の境界画定 - 北緯36度30分以北の新州は奴隷制を認めない&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1820|||スペイン、自由主義憲法を採択、新大陸の独立運動に影響を与える&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1820|||メキシコ第二革命&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1820|||スペインでリエゴの革命起こる(~1823)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1820|||イタリア、カルボナリ党の共和主義運動&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1820|||COLOR(SandyBrown):清・愛新覚羅氏・・宣宗成皇帝(道光帝、旻寧)&size(6){(東アジア-清-)};||
|1821|||諸国、風水害 蝦夷地を松前氏に返還&size(6){(--)};||
|1821|||道光帝即位&size(6){(--)};||
|1821|||COLOR(green):道光帝・即位 -1850&size(6){(--)};||
|1821|||新ハドソン湾会社設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1821|||サン・マルティン、ペルーの独立を宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1821|||メキシコ、イトゥルビデのもとに独立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1821|||ギリシア独立戦争始まる(~1829)&size(6){(西欧-ギリシア-)};||
|1821|||COLOR(red):サン・マルティン、ペルーの独立を宣言、スペインから独立&size(6){(中南米-ペルー-)};||
|1821|||メキシコ、イトゥルビデのもとにスペインから独立&size(6){(中南米-メキシコ、スペイン-)};||
|1821|||諸国、風水害蝦夷地を松前氏に返還&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1821|||伊能忠敬(いのうただたか)による日本地図「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」ができる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1821|7|10|伊能忠敬が測量を始め門弟らが完成させた『大日本沿海輿地全図』を幕府に献上&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1822|||COLOR(red):ブラジルの独立宣言&size(6){(北米--)};||
|1822|||COLOR(red):ブラジルの独立宣言&size(6){(--)};||
|1822|||ブラジル、ドン・ペドロ皇子のもとにポルトガルより独立、ブラジル帝国となる(~1889)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1822|||ブラジル、ドン・ペドロ皇子のもとにポルトガルより独立、ブラジル帝国となる(~1889)&size(6){(中南米-ブラジル-)};||
|1822|||シャンポリオンがヒエログリフの解読を発表&size(6){(アジア-、フランス-フランス)};||
|1822|||ギリシア、国民議会を開き憲法公布&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1822|||ベローナ会議でスペイン、ギリシア問題を討議&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1822|||鹿児島下町大火&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1822|||鹿児島下町大火&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1822|||小田原藩主大久保忠真、二宮尊徳を登用&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1822|9||COLOR(red):1822年9月 - ブラジルがポルトガル(ブラガンサ王朝)から独立を宣言&size(6){(--)};||
|1823|||アメリカの大統領モンローがモンロー宣言&size(6){(--)};||
|1823|||COLOR(blue):アメリカの大統領モンローがモンロー宣言 - ヨーロッパ諸国の紛争に干渉しない&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1823|||メキシコで共和派の反乱&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1823|||中央アメリカ連邦成立(メキシコから分離)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1823|||アメリカ、モンロー宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1823|||ベートーベンの「第9交響曲」なる&size(6){(西欧-ドイツ-ドイツ)};||
|1823|||フランス軍、マドリードに侵入、スペインのリエゴ革命失敗&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1823|||オランダ医師、シーボルト、長崎に着任&size(6){(日本-日本、オランダ-江戸時代)};||
|1824|||イギリス船員、常陸に上陸  関東・奥羽水害&size(6){(--)};||
|1824|||メキシコ共和政憲法制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1824|||イギリスで団結禁止法廃止、労働組合結成公認&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1824|||ドイツの化学者ウェーラー、尿素を合成&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1824|||フランス、シャルル10世即位(~1830)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1824|||イギリス船員、常陸に上陸関東・奥羽水害&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1824|||イギリス捕鯨船宝島に上陸し、牧牛略奪事件を起こす&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1824|||イギリスの捕鯨船が常陸大津浜・薩摩宝島に上陸して乱暴する-シーボルトが鳴滝塾(蘭学)をつくる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1825|||ロシアでデカブリストの乱&size(6){(--)};||
|1825|||3/4COLOR(blue):第6代大統領 ジョン・クィンシー・アダムズ( - 1829.03.03)&size(6){(--)};||
|1825|||ボリビア独立宣言&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1825|||ロシアでデカブリストの乱&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1825|||ロシアでデカブリストの乱起こる&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1825|||デカブリトスの乱&size(6){(欧州-ヨーロッパ、ロシア-ロシア)};||
|1825|||RIGHT:COLOR(green):異国船打払令''1825''&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1825|||阿久根郷士、宇治におもむき製茶法を伝習す&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1825|||異国船打払令&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1825|||異国船打払令-中国とオランダ船以外は砲撃などの武力で追い払う&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1825|3|4|COLOR(blue):第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズ(-1829.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1825|7|26|江戸中村座で鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1826|||重豪・斉彬らシーボルトと会談 喜界島甘藷不作&size(6){(--)};||
|1826|||ボリーバルの提唱により第1回米州諸国会議開催〔パナマ会議〕(アメリカは不参加)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1826|||ドイツの物理学者オーム、オームの法則発見&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1826|||重豪・斉彬らシーボルトと会談喜界島甘藷不作&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1827|||オームが「オームの法則」を発表&size(6){(--)};||
|1827|||ギリシア独立戦争に関するロンドン条約でイギリス・フランス・ロシア調停案作成、トルコ拒否&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1827|||イギリス・フランス・ロシア連合艦隊、トルコ・エジプトの連合艦隊を破る〔ナバリノの海戦〕&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1827|||ドイツのオームが「オームの法則」を発表&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1827|||ドイツの音楽家ベートーベン没(1770~)&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1827|||藩債500万両に及び、側用人調所広郷に財政改革を命じる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1827|||頼山陽「日本外史」を定信に呈する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1827|1|1|ジョン(中浜)万次郎生誕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1828|||ウルグアイ、イギリスの仲裁により独立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1828|||イギリス、審査法廃止&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1828|||第四次ロシア・トルコ戦争(~1829)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1828|||ポルトガルでミゲル1世のクーデター&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1828|||シーボルト事件&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1828|||シーボルト事件-シーボルトが帰国時に禁制の日本地図を所持&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1829|||3/4COLOR(blue):第7代大統領 アンドリュー・ジャクソン( - 1837.03.03)&size(6){(--)};||
|1829|||ジャクソン、アメリカ第7代大統領に就任(~1837)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1829|||イギリス、カトリック教徒解放令成立&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1829|||アドリアノープルの和でロシア・トルコ講和&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1829|||ロンドン議定書でギリシアの独立承認&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1829|||桐野太兵衛、大隈・桜島・垂水に続き、頴娃・指宿で製糖を始める&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1829|||江戸大火(巳丑の大火)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1829|3|4|COLOR(blue):第7代大統領アンドリュー・ジャクソン(-1837.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1829|5|13|松平定信歿&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1830|||フランスに七月革命&size(6){(--)};||
|1830|||ベルギーが独立&size(6){(--)};||
|1830|||12/1天保(てんぽう)(1830.12.1-1843)&size(6){(--)};||
|1830|||COLOR(red):ベルギーが独立&size(6){(--)};||
|1830|||インディアン強制移住法制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1830|||先住民(インディアン)強制移住法(1838年チェロキー族以下5部族6万人、涙の移住)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1830|||南米独立運動の指導者ボリーバル没(1783~)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1830|||大コロンビア分解し、コロンビア、エクアドル、ベネズエラに分立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1830|||イギリス、マンチェスター―リバプール間に鉄道開通&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1830|||大コロンビア分解し、コロンビア、エクアドル、ベネズエラに分立&size(6){(北米-コロンビア、エクアドル、ベネズエラ-)};||
|1830|||フランス、7月革命&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1830|||フランス、七月革命でルイ・フィリップ即位(~1848)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1830|||COLOR(red):ベルギーが独立&size(6){(西欧-ベルギー-)};||
|1830|||ベルギーに革命起こり、オランダからの独立宣言&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1830|||ポーランドでロシアからの独立運動(~1831)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1830|||天保&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1830|||伊勢お蔭参り流行&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1830|||重豪・斉彬、調所広郷に朱印の書を付し、10年間に50万両貯蓄・古証文回収などを命ずる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1830|8|4|吉田松陰生誕。(思想家,兵学家,松下村塾を開塾)[1859年歿]&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1830|12|1|天保(てんぽう)(1830.12.1-1843)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1830|12|10|文政から天保(てんぽう)に改元。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1831|||ナット・ターナーの反乱&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1831|||イギリスのファラデー、電磁誘導の法則を発見(ファラデーの法則)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1831|||ドイツの哲学者ヘーゲル没(1770~)&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1831|||独立後の初代ベルギー国王にレオポルト1世即位(~1865)&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1831|||イタリア、カルボナリ党の立憲革命、オーストリア軍に制圧され、マッツィーニの青年イタリア党結成&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1831|||天主教朝鮮教区設置&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1831|||COLOR(blue):カトリック朝鮮教区設置&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1831|||防長一揆&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1831|||葛飾北斎による「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」ができる-防長大一揆-長州藩で発生した一揆&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1831|2|8|大坂・安治川に土砂が溜った為、江戸幕府が諸町に川浚えの触れを発布。浚った土砂で天保山を造成&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1831|6|14|統仁(孝明天皇)生誕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1831|8|7|十返舍一九歿。(戯作家『東海道中膝栗毛』)<数え67歳>&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1832|||イギリス、第1次選挙法改正&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1832|||イギリス、グレー内閣による第一次選挙法改正&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1832|||エジプトがトルコに宣戦(東方問題)&size(6){(アフリカ-エジプト-)};||
|1832|||ドイツのゲーテ没(1749~)&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1832|||ポーランド、ロシアに併合される&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1832|||イギリス船、アートマス号が来航して通商を求める&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1832|||イギリス船ロード・アーマスト号来航し通商を求める&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1832|||イギリス船、アートマス号が来航して通商を求める&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1832|||英国商船来航し、通商をもとめる&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮、イギリス-)};||
|1832|||イギリス船、次々と那覇に漂着&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1832|||天保二朱金鋳造&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1832|8|19|鼠小僧次郎吉が鈴ヶ森刑場で処刑される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1833|||アメリカで関税法改正&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1833|||アメリカ奴隷制廃止協会の設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1833|||アメリカ奴隷制反対協会設立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1833|||メキシコ、サンタ・アナ大統領の独裁体制に入る(~1855)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1833|||アメリカで関税法改正&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1833|||メキシコ、サンタ・アナ大統領の独裁体制に入る(~1855)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1833|||イギリス、工場法制定&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1833|||イギリス、一般工場法成立&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1833|||ロシア・トルコ間のウンキアル・スケレッシ条約でトルコ、ロシア艦隊のダーダネルス海峡通過を認む&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1833|||このころ、清でアヘン貿易が拡大&size(6){(東アジア-清-)};||
|1833|||雨害で大島凶作&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1833|||天保の飢饉(→1839)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1833|||天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)-飢饉--1839&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1833|||歌川広重による「東海道五十三次」ができる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1834|||英国東インド会社、中国貿易独占廃止&size(6){(--)};||
|1834|||アメリカでホイッグ党結成&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1834|||パピノー、「92か条の決議」を発表&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1834|||イギリス、全国労働組合連合成立&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1834|||ドイツ関税同盟の実施&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1834|||全ドイツを覆う関税同盟成立&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1834|||水野忠那、老中となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1834|||大島飢饉続き、救銀再び下付&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1834|||水野忠邦が老中となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1834|||朝鮮の凶作及び王城焼失により貿易途絶し、幕府より1万両を借入れ。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1835|||アメリカのモールスが電信機を発明&size(6){(--)};||
|1835|||2/25松方正義 (生)&size(6){(--)};||
|1835|||美濃百姓一揆 天保銭を鋳造&size(6){(--)};||
|1835|||アメリカのモールスが電信機を発明&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1835|||アメリカのモース、電信機を発明&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1835|||薩摩藩今和泉領主、島津忠剛長女一子(かつこ、後の篤姫)生まれる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1835|||美濃百姓一揆天保銭を鋳造&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1835|2|25|松方正義(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1835|10|2|華岡清州没&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1836|||テキサス、メキシコより独立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1836|||イギリス、ロンドン労働者協会結成&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1836|||甲斐・三河・陸奥の農民暴動&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1836|||幕府へ謝恩として金10万両を納める&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|||3/4COLOR(blue):第8代大統領 マーティン・ヴァン・ビューレン( - 1841.03.03)&size(6){(--)};||
|1837|||COLOR(blue):12代将軍 徳川家慶&size(6){(--)};||
|1837|||アメリカ、最初の周期的恐慌起こる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1837|||カナダで自治要求の反乱&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1837|||イギリスのビクトリア女王即位(~1901)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1837|||イギリス、ビクトリア女王即位(~1901)&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1837|||カナダで自治要求の反乱&size(6){(北米-カナダ-)};||
|1837|||RIGHT:COLOR(green):大塩平八郎の乱''1837''&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1837|||12代将軍徳川家慶&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|||モリソン号事件&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|||生田万の乱&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|||大塩平八郎の乱&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|||12代目将軍徳川家慶(いえよし)1837-1853&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|||大塩平八郎の乱-天保の大飢饉の影響により大塩平八郎が反乱-生田万の乱(いくたよろずのらん)-飢饉の影響により生田万が反乱-モリソン号事件-アメリカ船を日本が砲撃&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|||徳川家慶が12代目将軍となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1837|3|4|COLOR(blue):第8代大統領マーティン・ヴァン・ビューレン(-1841.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1838|||4/22山縣有朋 (生)&size(6){(--)};||
|1838|||2/16大隈重信 (生)&size(6){(--)};||
|1838|||ホンジュラス、ニカラグア、中央アメリカ連邦より独立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1838|||イギリス、チャーチスト運動がおこる&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1838|||イギリスでチャーティスト運動始まる&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1838|||イギリス、穀物法反対同盟結成&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1838|||長州藩の村田清風、藩政改革に着手&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1838|||緒方洪庵が適塾(蘭学)を開く。門下生は福沢諭吉・大村益次郎など&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1838|2|16|大隈重信(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1838|4|22|山縣有朋(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1838|10|26|天理教開教。大和・山辺郡の庄屋の妻・中山みきが神がかりし信仰生活に入る&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1839|||6/3林則徐の「虎門銷煙」(~25日)&size(6){(--)};||
|1839|||グアテマラ独立し、中央アメリカ連邦解体&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1839|||イギリスにチャーチスト運動が起こる&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1839|||イギリスにチャーチスト運動が起こる&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1839|||オスマン・トルコ帝国、ユダヤ人に市民権を与える。&size(6){(イスラエルの歴史)};&size(6){(中東-イスラエル-)};||
|1839|||1839己亥迫害(漢城の天主教徒の弾圧)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1839|||己亥邪獄.フランス人神父と信者多数処刑&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1839|||己亥迫害(漢城の天主教徒の弾圧)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1839|||斥邪綸音公布.民衆に公式にカトリック教を禁じる教書を下す&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1839|||已亥迫害&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1839|||COLOR(blue):己亥迫害&deco(blue,paleturquoise,9){国史年表};&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1839|||蛮社の獄…渡辺崋山・高野長英逮捕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1839|||蛮社の獄-高野長英、渡辺崋山らが鎖国政策を批判して捕縛&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1839|||郷村給人中の功労者に本家瓦葦を許す。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1839|5|14|蛮社の獄。渡辺崋山や高野長英らが逮捕される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1839|12|18|江戸幕府が渡辺崋山に蟄居、高野長英に永牢を命じる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1840|||アヘン戦争(~1842)&size(6){(アジア--)};||
|1840|||6/21アヘン戦争始まる&size(6){(--)};||
|1840|||10/16黒田清隆 (生)&size(6){(--)};||
|1840|||清・イギリス間にアヘン戦争(~1842) &size(6){(--)};||
|1840|||連合法(カナダ法)イギリス議会を通過、上下カナダ統一、イギリス最初の自治植民地となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1840|||清・イギリス間にアヘン戦争&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1840|||イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセン間のロンドン条約で、エジプトに対し北部シリア、クレタ島、メッカ、メディナをトルコに返還することを要求&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1840|||連合法(カナダ法)イギリス議会を通過、上下カナダ統一、イギリス最初の自治植民地となる&size(6){(北米-カナダ、イギリス-)};||
|1840|||アンデルセンの「絵のない絵本」なる&size(6){(欧州-ヨーロッパ、デンマーク-デンマーク)};||
|1840|||清・イギリス間にアヘン戦争(~1842)&size(6){(東アジア-清-)};||
|1840|||財政改革ほぼ成功し、営繕用途500万両・藩庫金50万両貯蓄&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1840|||遠山景元(遠山の金さん)が江戸町奉行となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1840|||オランダ船入港し、アヘン戦争を報ず&size(6){(日本-日本、オランダ-江戸時代)};||
|1840|3|14|統仁(孝明天皇)が立太子&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1840|10|16|黒田清隆(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1840|11|19|第119代光格天皇崩御70歳&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1841|||マイヤーが「エネルギー保存の法則」を発見&size(6){(--)};||
|1841|||9/2伊藤博文 (生)&size(6){(--)};||
|1841|||4/6COLOR(blue):第10代大統領 ジョン・タイラー( - 1845.03.03)&size(6){(--)};||
|1841|||3/4COLOR(blue):第9代大統領 ウィリアム・ヘンリー・ハリソン( - 1841.04.04)&size(6){(--)};||
|1841|||1/25穿鼻仮条約締結&size(6){(--)};||
|1841|||水野忠邦、改革に着手 株仲間の禁止&size(6){(--)};||
|1841|||エルサルバドル独立&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1841|||イギリス・フランス・プロイセン・オーストリア・ロシアとトルコ協定〔ロンドン条約〕&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1841|||ドイツのマイヤーが「エネルギー保存の法則」を発見&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1841|||水野忠邦、改革に着手株仲間の禁止&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1841|||島津久風に洋式砲術を谷山塩屋で試験させる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1841|||-1843-天保の改革(てんぽうのかいかく)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1841|||株仲間解散令-株仲間(カルテル)を解散させる-奢侈禁止令-贅沢の禁止&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1841|||この頃より府中の各所に防火壁を築く。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1841|.04.06||COLOR(blue):第10代大統領ジョン・タイラー(-1845.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1841|3|4|COLOR(blue):第9代大統領ウィリアム・ヘンリー・ハリソン(-1841.04.04)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1841|9|2|伊藤博文(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1841|12|13|江戸幕府が「株仲間解散令」を発布&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1842|||8/29南京条約締結、アヘン戦争の終結&size(6){(--)};||
|1842|||異国船薪水令を下す 棄捐令&size(6){(--)};||
|1842|||南京条約 →香港島をイギリスに割譲 &size(6){(--)};||
|1842|||ウェブスター‐アシュバートン条約でアメリカ・カナダの国境画定&size(6){(北米-アメリカ、カナダ-)};||
|1842|||南京条約 →香港島をイギリスに割譲&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1842|||南京条約→香港島をイギリスに割譲&size(6){(東アジア-清、香港、イギリス-)};||
|1842|||異国船薪水令を下す棄捐令&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1842|||曾木川疎水工事着手・翌年完成&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1842|||滝沢馬琴による読本「南総里見八犬伝」ができる-薪水給与令(しんすいきゅうよれい)-外国船の補給を許可する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1842|7|24|「天保薪水令」布告。1825年の「異国船打払令」を廃止しそれ以前の、薪水を与えて退去させる「異国船取扱令」に戻す&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1842|8|20|滝沢馬琴が長篇小説『南総里見八犬伝』98巻を完成。完成まで28年&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1842|10|6|江戸幕府が二宮尊徳を利根川の水利土木調査の為の御普請役格に登用&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1843|||10/8虎門条約締結&size(6){(--)};||
|1843|||''上知令(あげちれい)''&br;・・・・・行き詰まりかけた改革を推進しようと1843(天保14)年水野忠邦は江戸城と大阪城の10里(約40Km)四方を直轄地としてこの地域に領地を持つ大名や旗本に代わりの土地を与えて転封させようとしました。肥沃な私領と低い幕領との交換により幕府財政の増収を図るとともに各種の所領が入り組んでいる江戸・大坂周辺の幕領を集中させて支配力の強化と共に、あわせて江戸湾の入口の三浦半島と房総半島の防備を強化しようとしたものです。&size(6){(--)};||
|1843|||水野忠那老中失脚 阿部正弘、老中首座となる&size(6){(--)};||
|1843|||上地令 平田篤胤死&size(6){(--)};||
|1843|||オレゴンへの大量移住開始&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1843|||メキシコでサンタ・アナの独裁的憲法制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1843|||オコネルのアイルランド解放運動&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1843|||イギリス艦八重山に来たり測量、宮古島にも来航&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1843|||上地令平田篤胤死&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1843|||水野忠那老中失脚阿部正弘、老中首座となる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1843|||-1852-イギリス・フランス・オランダ・アメリカ船が来航して通商などを要求するが幕府は拒否する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1843|||人返しの法-都市部に居住していた農民を故郷に返す-上知令-江戸・大阪の領地を幕府の直轄地にする計画。失敗&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1843|||幕府、信使聘礼地を大坂に変更する旨を対馬藩に通知。&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-)};||
|1843|8|20|蘭学者佐藤泰然が佐倉に順天堂を創立。順天堂大学の前身&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1844|||電信機が実用化される&size(6){(北米--)};||
|1844|||12/2弘化(こうか)(1844.12.2-1847)&size(6){(--)};||
|1844|||アメリカでモースの電信機実用化&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1844|||ドミニカ共和国成立&size(6){(北米-アメリカ、ドミニカ-)};||
|1844|||弘化&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1844|||フランス艦那覇に来たり、通信・貿易・布教を求める&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1844|||オランダ、国書を持つて開国を勧告&size(6){(日本-日本、オランダ-江戸時代)};||
|1844|12|2|弘化(こうか)(1844.12.2-1847)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1844|12|2|天保から弘化(こうか)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1845|||3/4COLOR(blue):第11代大統領 ジェームズ・ノックス・ポーク( - 1849.03.03)&size(6){(--)};||
|1845|||アメリカのテキサス併合&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1845|||メキシコで自由主義者の反乱&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1845|||オレゴン併合&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1845|||イギリスの軍艦サマラン号が済州島と西海岸を不法に測量する&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1845|||開国を拒絶&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1845|||新上橋架設&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1845|||阿部正弘が老中筆頭となる-外国船対策に海防掛(かいぼうがかり)を常設する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1845|3|4|COLOR(blue):第11代大統領ジェームズ・ノックス・ポーク(-1849.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1845|12|29|米国でテキサスが28番目に州となる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||2/13COLOR(green):第121代 孝明天皇&size(6){(--)};||
|1846|||米墨(メキシコ)戦争はじまる(~1848)&size(6){(--)};||
|1846|||アメリカ、カリフォルニア占領&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||ペンシルベニア鉄道認可&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||年米国海軍ビドル提督率いる軍艦2隻が浦賀水道に来航し通商を打診&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||1846-1848年アメリカ・メキシコ戦争アメリカが勝利。アメリカ西部をメキシコから割譲。&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||オレゴン協定でアメリカ・カナダの境界画定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||ペンシルベニア鉄道認可&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||メキシコ戦争(~1848)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||年 米国海軍ビドル提督率いる軍艦2隻が浦賀水道に来航し通商を打診&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||年~48年 米墨戦争の結果メキシコよりカリフォルニア割譲、西海岸にまで領土拡張&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1846|||オレゴン境界紛争 - アメリカ西北部を併合オレゴン協定でアメリカ・カナダの境界画定&size(6){(北米-アメリカ、カナダ-)};||
|1846|||イギリス、ピール内閣が穀物法を廃止&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1846|||1846丙午迫害(天主教徒の漢江畔での処刑)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1846|||フランス軍,カトリック教弾圧に抗議し忠清道に入り書簡を渡す&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1846|||丙午迫害(天主教徒の漢江畔での処刑)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1846|||西田橋架設&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1846|||アメリカ、通商を要求、拒絶&size(6){(日本-日本、アメリカ-江戸時代)};||
|1846|2|13|COLOR(SandyBrown):統仁親王が第121代孝明天皇として即位&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1846|5|27|アメリカの東インド艦隊司令長官ビッドルが浦賀に来航し通商を要求。幕府は拒否&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1846|8|15|第120代仁孝天皇崩御&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1847|||11/28桂太郎 (生)&size(6){(--)};||
|1847|||アメリカ軍、メキシコ占領&size(6){(北米-アメリカ、メキシコ-)};||
|1847|||イギリス、婦人と少年の10時間労働を定めた工場法成る&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1847|||高麗橋架設&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1847|||相模・安房・上総の沿岸防備を強化&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1847|5|8|越後・信濃で大地震。倒潰家屋3万4千戸、死者1万2千人以上&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1847|11|28|桂太郎(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1848|||2/28嘉永(かえい)(1848.2.28-1853)&size(6){(--)};||
|1848|||アメリカでゴールド=ラッシュ&size(6){(--)};||
|1848|||フランスで二月革命&size(6){(--)};||
|1848|||アメリカ、カリフォルニアで金鉱発見でゴールドラッシュ - カリフォルニアに金採掘者が殺到&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1848|||ドイツ三月革命亡命者、アメリカに大量流入&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1848|||年 カリフォルニアで金鉱発見 ゴールドラッシュ&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1848|||ドイツ三月革命亡命者、アメリカに大量流入&size(6){(北米-アメリカ、ドイツ-)};||
|1848|||メキシコ戦争終結。メキシコはテキサス、ニュー・メキシコ、カリフォルニアを割譲&size(6){(北米-アメリカ、メキシコ-)};||
|1848|||イタリア、シチリアで憲法要求の革命&size(6){(西欧-イタリア-)};||
|1848|||ドイツで三月革命&size(6){(西欧-ドイツ-ドイツ)};||
|1848|||ドイツ、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1848|||コシュートのハンガリー革命(~1849)&size(6){(東欧-ハンガリー-)};||
|1848|||フランスに二月革命&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1848|||2-22フランスでパリ市民蜂起。2-24ルイ・フィリップ退位。2-25共和政宣言、第二共和政成立。6-23~26六月事件。12ルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)大統領就任〔二月革命〕&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1848|||マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1848|||3-13ウィーン市民蜂起。メッテルニヒ亡命。3-18ベルリン市民蜂起。5-18フランクフルト国民議会召集。6以降オーストリア軍の反革命〔三月革命〕&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1848|||二月革命、三月革命の影響を受け、各国で革命運動激化。サルデーニャ王国、オーストリア軍に宣戦布告〔イタリア・オーストリア戦争〕&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1848|||チャーティスト、国民請願署名運動&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1848|||武之橋架設.&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1848|2|28|嘉永(かえい)(1848.2.28-1853)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1848|2|28|西国三十三ヵ所名勝圖會が発行される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1848|2|28|弘化から嘉永(かえい)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1848|3|4|対馬の海を異国船が通過&size(6){(対馬)};&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1848|3|25|異国船5隻の乗員が津軽の藤島村に上陸。食事を請うて去る。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1849|||3/5COLOR(blue):第12代大統領 ザカリー・テーラー( - 1850.07.09)&size(6){(--)};||
|1849|||10/23西園寺公望 (生)&size(6){(--)};||
|1849|||アメリカ艦長崎 イギリス艦浦賀に来る&size(6){(--)};||
|1849|||アメリカ、ハワイと和親条約&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1849|||イギリスのリビングストンがアフリカを探検&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1849|||イギリスのリビングストンがアフリカを探検&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1849|||イギリス、航海法廃止&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1849|||フランクフルト国民議会、プロイセン王をドイツ皇帝に推したが王拒否。議会解散&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
|1849|||イタリアのマッツィーニ、ローマ共和国政府樹立&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1849|||イタリア、ノバーラの戦いでサルデーニャ、オーストリア軍に敗北。ビットリオ・エマヌエレ2世即位&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1849|||アメリカ艦長崎イギリス艦浦賀に来る&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1849|||玉江橋架設&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1849|3|5|COLOR(blue):第12代大統領ザカリー・テーラー(-1850.07.09)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1849|4|8|イギリスの測量線マリーナ号が浦賀にやってくる。&size(6){(日本-日本、イギリス-江戸時代)};||
|1849|4|9|マリーナ号が江戸湾の測量を行う。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1849|10|23|西園寺公望(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1849|11|7|緒方洪庵が大坂に種痘を行う為の除痘所を開設&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1850|||洪秀全、広西省に挙兵&size(6){(--)};||
|1850|||洪秀全、広西省に挙兵&size(6){(--)};||
|1850|||7/9COLOR(blue):第13代大統領 ミラード・フィルモア( - 1853.03.03)&size(6){(--)};||
|1850|||3/9咸豊帝即位&size(6){(--)};||
|1850|||2/25道光帝崩御&size(6){(--)};||
|1850|||2/14清浦奎吾 (生)&size(6){(--)};||
|1850|||11/4洪秀全、拝上帝会を率いて金田村にて蜂起、太平天国へ&size(6){(--)};||
|1850|||清・愛新覚羅氏・・ 文宗・咸豊帝&size(6){(--)};||
|1850|||文宗顕皇帝(咸豊帝、奕&#35421;)&size(6){(--)};||
|1850|||アメリカで逃亡奴隷法制定&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1850|||パナマ地峡に関する英米条約&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1850|||イギリスのユダヤ人モンテフィオーレ卿、エルサレム城外のユダヤ人定住地に援助を与える。&size(6){(イスラエルの歴史)};&size(6){(中東-イスラエル-)};||
|1850|||COLOR(SandyBrown):清・愛新覚羅氏・・文宗顕皇帝(咸豊帝、奕&#35421;)&size(6){(東アジア-清-)};||
|1850|||天保山砲台完成&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1850|2|14|清浦奎吾(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1850|6|27|小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)生誕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1850|7|9|COLOR(blue):第13代大統領ミラード・フィルモア(-1853.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1850|12|21|長岡忠次郎(国定忠治)が磔[はりつけ]の刑に処せられる&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1851|||常平倉を設置 島津斉彬薩摩藩主となる、製錬所を設ける&size(6){(--)};||
|1851|||COLOR(green):咸豊帝・即位 -1861&size(6){(--)};||
|1851|||アメリカのシンガー、足踏み式のミシンを発明&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1851|||19世紀中頃アメリカの北部は商工業、南部は奴隷を使用した農業が盛んとなる&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1851|||フランス、ルイ・ナポレオンのクーデター&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1851|||天王(洪秀全&size(6){(東アジア-中国、太平天国-太平天国)};||
|1851|||十組問屋再興・株仲間の再興許可&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1851|||常平倉を設置島津斉彬薩摩藩主となる、製錬所を設ける&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1851|||太平天国の乱(~1864)&size(6){(日本-日本-)};||
|1851|1|3|ジョン万次郎(中浜万次郎)がアメリカ船に乗って10年ぶりに日本に帰国&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1851|2|2|島津斉彬が薩摩藩主に就任&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1852|||2/5寺内正毅 (生)&size(6){(--)};||
|1852|||12/2ナポレオン3世がフランス皇帝に即位。&size(6){(--)};||
|1852|||10/15山本權兵衞 (生)&size(6){(--)};||
|1852|||アメリカ、ストウ夫人の「アンクル=トムの小屋」出版&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1852|||ストー夫人の『アンクル・トムの小屋』出版&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1852|||フランス第2帝政(ルイ=ナポレオン)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1852|||COLOR(red):ルイ・ナポレオン、ナポレオン3世となり、第二帝政成立(~1870)&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1852|||イタリア、カブールがサルデーニャ王国首相就任&size(6){(欧州-ヨーロッパ-)};||
|1852|||仁徳天皇陵の整備が行われる。&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1852|2|5|寺内正毅(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1852|9|22|睦仁(明治天皇)生誕&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1852|10|15|山本權兵衞(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1852|12|2|COLOR(SandyBrown):ナポレオン3世がフランス皇帝に即位。&size(6){(西欧-フランス-)};||
|1853|||3/4COLOR(blue):第14代大統領 フランクリン・ピアース( - 1857.03.03)&size(6){(--)};||
|1853|||3/19大平軍、南京占領。&size(6){(--)};||
|1853|||3/この年より捻軍の乱起こる(~1868年)&size(6){(--)};||
|1853|||1/8曽国藩、故郷湖南で募兵、湘軍の始まり&size(6){(--)};||
|1853|||COLOR(blue):13代将軍 徳川家定&size(6){(--)};||
|1853|||イギリス・フランス・トルコがロシアと戦う(クリミア戦争 ~1856)&size(6){(--)};||
|1853|||日本へアメリカの使節ペリーが浦賀来航&size(6){(--)};||
|1853|||クリミア戦争勃発(~1856)&size(6){(--)};||
|1853|||アメリカ、アリゾナ南部を買収&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1853|||年 7月8日(嘉永6年6月3日)  - ペリー提督らの黒船、浦賀へ来航  &size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1853|||ロシア黒海艦隊、トルコ艦隊を全滅。ロシアとイギリス・フランス・トルコ・サルデーニャ・プロイセン連合軍の戦争始まる〔第三次ロシア・トルコ戦争=クリミア戦争(~1856)〕&size(6){(西欧-イギリス-)};||
|1853|||イギリス・フランス・トルコがロシアと戦う(クリミア戦争~1856)&size(6){(西欧-イギリス、フランス、トルコ、ロシア-)};||
|1853|||ロールマン(独)が、立体視の「アナグリフ」を考案。右目用・左目用別々に赤青での合成画像。実は古い技術。&size(6){(テレビ)};&size(6){(西欧-ドイツ-)};||
| | | |CENTER:&size(20){テレビの歴史};&size(6){(テレビ)};&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1853|||島津斉彬の養女篤姫、江戸薩摩藩邸に入る&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1853|||-11-黒船来航による対策の為に幕府はアメリカから帰国したジョン万次郎を旗本の身分で登用する&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1853|3||西国33ヵ所名所圖會が発行される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1853|3|4|COLOR(blue):第14代大統領フランクリン・ピアース(-1857.03.03)&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1853|6||アメリカのペリーが4隻の黒船で浦賀(神奈川三浦半島)に来航して開国の要求する。幕府の返答は翌年とする&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1853|7|8|RIGHT:COLOR(green):日本へアメリカの使節ペリー提督らの黒船が浦賀に来航''1853''(嘉永6年6月3日)&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1853|8|28|黒船から江戸湾を防衛する為、品川沖に沿岸砲台「御台場」の築城を開始&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1853|10||[幕末1853-1867]13代目将軍徳川家定(いえさだ)1853-1858&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1853|11|7|江戸幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を普請役格に登用&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854||| &size(6){(--)};||
|1854|||7/27高橋是清 (生)&size(6){(--)};||
|1854|||3/雲南にて回教徒の乱(~1873年)&size(6){(--)};||
|1854|||11/27安政(あんせい)(1854.11.27-1859)&size(6){(--)};||
|1854|||ペリー再来 日米・日英・日露和親条約&size(6){(--)};||
|1854|||カンザス・ネブラスカ法 - 2つの州の奴隷制を住民投票で決定する&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1854|||カンザス・ネブラスカ法制定、ミズーリ協定廃止&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1854|||カンザス・ネブラスカ法制定、ミズーリ協定廃止&size(6){(北米-アメリカ-)};||
|1854|||カナダ・アメリカ互恵通商条約締結&size(6){(北米-アメリカ、カナダ-)};||
|1854|||1854米国ペリー艦隊、基隆に寄港。&size(6){(東アジア-台湾-)};||
|1854|||RIGHT:COLOR(green):日米和親条約締結''1854''&size(6){(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)};||
|1854|||ペリー再来日米・日英・日露和親条約&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|||熔鉱炉竣工&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|||-08-日英和親条約-長崎・箱館の開港及び補給など&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|||-11-04-安政東海地震-東海地震&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|||-11-05-安政南海地震-南海地震&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|||-12-日露和親条約-国境線、箱館・下田・長崎の開港及び補給など&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|||江戸時代(1603 - 1868)&size(6){(日本-日本-)};||
|1854|||''江戸時代末期''&size(6){(日本-日本-)};||
|1854|2|3|江戸幕府が、横浜沖に再来したペリー艦隊の黒船の見物禁止を布告&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|3|3|江戸幕府と米国使節ペリーが横浜で「日米和親条約」(神奈川条約)に調印。鎖国が解除&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|3|3|日米和親条約-下田・箱館(函館)の開港及び補給など(鎖国廃止)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|3|28|下田踏海-吉田松陰と金子重之輔がペリー船で密航計画&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|7|27|高橋是清(生)&size(6){(日本-日本-)};||
|1854|11|4|駿河湾でM8.4の嘉永大地震。死者1万人以上。東海道が断絶。伊豆下田に碇泊中のロシア艦ディアナ号が津波で大破&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|11|27|嘉永から安政(あんせい)(1854.11.27-1860)に改元&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|12|21|「日露和親条約」締結。日本とロシアの国境が択捉島と得撫(ウルップ)島の間に確定し樺太が雑居地に(新暦1855年2月7日)&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|12|23|安政東海大地震M8.4と推定される&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||
|1854|12|24|東海地震から32時間後・・・安政南海地震推定M8.4&size(6){(日本-日本-江戸時代)};||

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