おフランスも認めるシンプルな美しさ
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「おフランスも認めるシンプルな美しさ」、ここ重要。 2010/06/16 09:24 『史上最強のムダ知識』 P.181 そして、明治政府が樹立された頃、フランス政府が代表を立てて、「あの 国旗のデザインは、非常に美しい。500万円(当時)で、売ってくれないか」 との打診があったという。 財政難にあえいでいた明治政府は、もう少しで了承するところだったが、 外務卿の寺島宗則が大反対したために、沙汰やみになったという。 「なんでわざわざ商船規則の規定と縦横比を変えたんだろうの日章旗」に引用した文章 の続き。 「500万円(当時)で、売ってくれないか」というエピソードは、何だか眉唾の話であるよう だし、本当だとしても、言い伝えられているのはフランスではなく「イギリスが買収(当時 の500万円)を申し出て」との話。 http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の国旗 >日章旗のデザインに関する逸話 >安津素彦の著作『国旗の歴史』に、明治時代にイギリスまたはフランス、オランダが >日の丸の意匠を買い取ろうとしたという記述がある。また、この日の丸買収の話は、 >伊本俊二の著作『国旗 日の丸』では、「1874年(明治7年)の春頃にイギリスが買収 >(当時の500万円)を申し出て、寺島宗則外務卿を相手に交渉した」としている[14]。 >ただしこの説は吹浦忠正が著書『「日の丸」を科学する』の中で「真偽は不明とは >いえ、私は単なるジョークないし外交辞令上のものではなかったのではないかとほと >んど無視することにしている」[15]と結論づけている。 上で引用した Wikipedia の文章に否定派として登場する「吹浦忠正」は、ブログで以下の ようなことを書いている。 http://blog.canpan.info/fukiura/archive/6219 >「日の丸を買いに来たという話は本当か?」という質問もよく訊かれることだ。 > 英国から「日の丸」を買いたいといって来たという噂が、 > 1874(明治7)年頃に起こった。 > 噂は翌年になっても止まらなかった。「英国のパークス公使が寺島宗則外務卿に >500万円でと申し出、西郷隆盛は反対だが、伊藤博文はどう」といった類の話である。 > また、1876(明治9)年1月24日付の大阪毎日新聞がご丁寧に、「維新以来、国庫 >の窮乏に呻吟している政府は喉から手が出るほど欲しかったカネだったが、寺島外務 >卿が色をなして撥ねつけたので事が止んだ」と報道したため、この話はつとに有名に >なってしまった。 > 石井研堂の『明治事物起源』にも藤堂良駿なる人の記録として「英人賞本邦旗章、 >戯曰以5百萬元換之」などとある。 > 他方、安津素彦教授は『国旗の歴史』その他で別の話を紹介している。それは、 >1963(昭和38)年に鹿児島で島津忠重(薩摩藩第29代藩主忠義の子。斉彬の孫。 >海軍少将。「国旗日の丸の会」会長。1884~1968)が公開の場で話していたというも >ので、日清戦争後に英国からそういう話が出たということを松方正義からの話として >聞いたというのだ。 > 念のため、島津の著書『炉辺南国記』の「国歌と国旗」の章を見てみたが、そのよう >な話は全く出ていない。また、追想録『しらゆき』には近親者を含め百人を超える人々 >が島津の思い出を綴っているが、これにも見当らない。 > 安津教授は、両者は「時期の点で違いはあるが、この噂は丸々嘘ではなく、それに >類した話はあったとみてよろしいのではあるまいか」と思わせぶりに書かれた。「英国 >から日の丸を買いに来た」という話は確かに面白い話なので、今でもテレビ局から問 >合せがあったり、講演後に質問されたりするが、真偽は不明とはいえ、筆者単なる >ジョーク以上のものではなかったのではないかと軽視することにしている。a > 仮りに、ある国の国旗のデザインを買うとしてもそれは現実にどんなことを意味する >のか、また、実際問題として、仮りに、当時、英国また英国の企業が「日の丸」を使い >たかったなら、意匠登録や特許関係の条約はもとより、多国間の国際条約に何1つ >加盟していない日本のものなら何でも自由に盗用することが出来たということも考慮し >たい。 唐沢俊一の文章は、イギリスがフランスになっている以外は、上でいう「1876(明治9) 年1月24日付の大阪毎日新聞」か安津素彦の『国旗の歴史』を下敷きにしたのかなと 思わせるものである (『明治事物起源』は「戯曰」だから少し違うかな、と)。 探してみたら、唐沢俊一と同様 (?) イギリスをフランスにして言い伝えている例もあった。 http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/ca7fa148dec872bdf1dd5bb87d011ddd > えー、案内に立たれたのは、かなり年配の自衛官の方だったのですが、国旗掲揚 >ポールのところで、日の丸のお話になりました。「日の丸が国旗と決められたのは、 >いつのことで、だれが決めたのでしょう? わかる人いませんか」と、問われて、この >私が、黙っているはずがありません。「はーい。幕末に江戸幕府が、島津斉彬の建言 >によって」とはりきって答えたのですが、はずれ。もしかすると、と思ってはいました >が、正解は「平成11年の国旗国歌法の成立によって」だったんですね。まあ、国内法 >のことをいうなら、そうなんですけれども。 > > それはいいんですけど、続けて自衛官が次のようにいわれたもので、目が点になり >ました。 > 「日の丸は、実にすばらしいデザインで、明治3年にフランスが、ぜひゆずってくれと >言ったほど。時の外務卿、寺島宗則がガンとして断った」 > え、えーと、明治3年にはまだ、寺島は外務卿ではなかったはずですが、まあ、それ >もどうでもいいんですが、フランスが日の丸をゆずってくれって、普仏戦争の最中にい >いい??? え、ええええっ??? 伝説にしても、ウートレー公使じゃありえなさげ >で、もしかしてモンブラン伯爵??? これも、モンブラン伝説なんですかねえ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/寺島宗則 >1873年、参議兼外務卿。西南戦争後の政府の財政難から税権回復を目指し、1879 >年には諸外国との条約改正に臨み、アメリカとの交渉は良好に進むがイギリスの反 >対やドイツ船へスペリア号事件などもあって条約改正への希望を挫折せざるを得なく >なり、外務卿を辞職。その後、外交官を辞職し、元老院議官、枢密院副議長、枢密顧 >問官などを務める。 唐沢俊一は、同じページの表題に以下のように書いている。 『史上最強のムダ知識』 P.181 日本の国旗は、おフランスも認める シンプルな美しさを持っていたのだ。 どうせならイギリスより「おフランス」に認められたことにしたい――といった心理がはたらく のだろうか。
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「おフランスも認めるシンプルな美しさ」、ここ重要。 2010/06/16 09:24 『史上最強のムダ知識』 P.181 そして、明治政府が樹立された頃、フランス政府が代表を立てて、「あの 国旗のデザインは、非常に美しい。500万円(当時)で、売ってくれないか」 との打診があったという。 財政難にあえいでいた明治政府は、もう少しで了承するところだったが、 外務卿の寺島宗則が大反対したために、沙汰やみになったという。 「なんでわざわざ商船規則の規定と縦横比を変えたんだろうの日章旗」に引用した文章 の続き。 「500万円(当時)で、売ってくれないか」というエピソードは、何だか眉唾の話であるよう だし、本当だとしても、言い伝えられているのはフランスではなく「イギリスが買収(当時 の500万円)を申し出て」との話。 http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の国旗 >日章旗のデザインに関する逸話 >安津素彦の著作『国旗の歴史』に、明治時代にイギリスまたはフランス、オランダが >日の丸の意匠を買い取ろうとしたという記述がある。また、この日の丸買収の話は、 >伊本俊二の著作『国旗 日の丸』では、「1874年(明治7年)の春頃にイギリスが買収 >(当時の500万円)を申し出て、寺島宗則外務卿を相手に交渉した」としている[14]。 >ただしこの説は吹浦忠正が著書『「日の丸」を科学する』の中で「真偽は不明とは >いえ、私は単なるジョークないし外交辞令上のものではなかったのではないかとほと >んど無視することにしている」[15]と結論づけている。 上で引用した Wikipedia の文章に否定派として登場する「吹浦忠正」は、ブログで以下の ようなことを書いている。 http://blog.canpan.info/fukiura/archive/6219 >「日の丸を買いに来たという話は本当か?」という質問もよく訊かれることだ。 > 英国から「日の丸」を買いたいといって来たという噂が、 > 1874(明治7)年頃に起こった。 > 噂は翌年になっても止まらなかった。「英国のパークス公使が寺島宗則外務卿に >500万円でと申し出、西郷隆盛は反対だが、伊藤博文はどう」といった類の話である。 > また、1876(明治9)年1月24日付の大阪毎日新聞がご丁寧に、「維新以来、国庫 >の窮乏に呻吟している政府は喉から手が出るほど欲しかったカネだったが、寺島外務 >卿が色をなして撥ねつけたので事が止んだ」と報道したため、この話はつとに有名に >なってしまった。 > 石井研堂の『明治事物起源』にも藤堂良駿なる人の記録として「英人賞本邦旗章、 >戯曰以5百萬元換之」などとある。 > 他方、安津素彦教授は『国旗の歴史』その他で別の話を紹介している。それは、 >1963(昭和38)年に鹿児島で島津忠重(薩摩藩第29代藩主忠義の子。斉彬の孫。 >海軍少将。「国旗日の丸の会」会長。1884~1968)が公開の場で話していたというも >ので、日清戦争後に英国からそういう話が出たということを松方正義からの話として >聞いたというのだ。 > 念のため、島津の著書『炉辺南国記』の「国歌と国旗」の章を見てみたが、そのよう >な話は全く出ていない。また、追想録『しらゆき』には近親者を含め百人を超える人々 >が島津の思い出を綴っているが、これにも見当らない。 > 安津教授は、両者は「時期の点で違いはあるが、この噂は丸々嘘ではなく、それに >類した話はあったとみてよろしいのではあるまいか」と思わせぶりに書かれた。「英国 >から日の丸を買いに来た」という話は確かに面白い話なので、今でもテレビ局から問 >合せがあったり、講演後に質問されたりするが、真偽は不明とはいえ、筆者単なる >ジョーク以上のものではなかったのではないかと軽視することにしている。a > 仮りに、ある国の国旗のデザインを買うとしてもそれは現実にどんなことを意味する >のか、また、実際問題として、仮りに、当時、英国また英国の企業が「日の丸」を使い >たかったなら、意匠登録や特許関係の条約はもとより、多国間の国際条約に何1つ >加盟していない日本のものなら何でも自由に盗用することが出来たということも考慮し >たい。 唐沢俊一の文章は、イギリスがフランスになっている以外は、上でいう「1876(明治9) 年1月24日付の大阪毎日新聞」か安津素彦の『国旗の歴史』を下敷きにしたのかなと 思わせるものである (『明治事物起源』は「戯曰」だから少し違うかな、と)。 探してみたら、唐沢俊一と同様 (?) イギリスをフランスにして言い伝えている例もあった。 http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/ca7fa148dec872bdf1dd5bb87d011ddd > えー、案内に立たれたのは、かなり年配の自衛官の方だったのですが、国旗掲揚 >ポールのところで、日の丸のお話になりました。「日の丸が国旗と決められたのは、 >いつのことで、だれが決めたのでしょう? わかる人いませんか」と、問われて、この >私が、黙っているはずがありません。「はーい。幕末に江戸幕府が、島津斉彬の建言 >によって」とはりきって答えたのですが、はずれ。もしかすると、と思ってはいました >が、正解は「平成11年の国旗国歌法の成立によって」だったんですね。まあ、国内法 >のことをいうなら、そうなんですけれども。 > > それはいいんですけど、続けて自衛官が次のようにいわれたもので、目が点になり >ました。 > 「日の丸は、実にすばらしいデザインで、明治3年にフランスが、ぜひゆずってくれと >言ったほど。時の外務卿、寺島宗則がガンとして断った」 > え、えーと、明治3年にはまだ、寺島は外務卿ではなかったはずですが、まあ、それ >もどうでもいいんですが、フランスが日の丸をゆずってくれって、普仏戦争の最中にい >いい??? え、ええええっ??? 伝説にしても、ウートレー公使じゃありえなさげ >で、もしかしてモンブラン伯爵??? これも、モンブラン伝説なんですかねえ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/寺島宗則 >1873年、参議兼外務卿。西南戦争後の政府の財政難から税権回復を目指し、1879 >年には諸外国との条約改正に臨み、アメリカとの交渉は良好に進むがイギリスの反 >対やドイツ船へスペリア号事件などもあって条約改正への希望を挫折せざるを得なく >なり、外務卿を辞職。その後、外交官を辞職し、元老院議官、枢密院副議長、枢密顧 >問官などを務める。 唐沢俊一は、同じページの表題に以下のように書いている。 『史上最強のムダ知識』 P.181 日本の国旗は、おフランスも認める シンプルな美しさを持っていたのだ。 どうせならイギリスより「おフランス」に認められたことにしたい――といった心理がはたらく のだろうか。
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