オセアニア史(年表)
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オセアニア史(年表) おせあにあしねんぴょう 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 オセアニア史(年表) おせあにあしねんぴょう 4万~5万年前アボリジニー、オーストラリアへ渡来 B.C.3000ころインドネシア方面からメラネシアへ移住 B.C.2000ころアジア大陸、ニューギニアから西部ミクロネシアへ移住 B.C.1000ころフィジー方面から、西部ポリネシアのサモア諸島、トンガへ移住 A.D.50ころポリネシア人、サモアからマルキーズ(マルケサス諸島)に移住 350ころポリネシア人、マルキーズからタヒチ島に移住 9~14世紀マオリ人、東ポリネシアのソシエテ諸島近くからニュージーランドへ渡来 950ころトンガ、トゥイ・トンガによって全土統一 1521マジェラン、初めて太平洋横断、グアム島に到着 1567メンダーニア、ソロモン諸島へ来航 1642オランダ人タスマンがタスマニア島、ニュージーランド南島を発見 1643タスマン、フィジー諸島へ来航 1699ダンピアがオーストラリア西海岸を探検 1722ロッヘフェーン、サモア諸島とイースター島へ来航 1767ウォリス、タヒチ島へ来航 1769クックがニュージーランド南北両島を踏査、地図作成 1770クックがオーストラリア東海岸を発見、ニュー・サウス・ウェールズと命名 1774クック、ニュー・カレドニア島へ来航 1778クック、ハワイ諸島へ来航(1779年ハワイで殺害される) 1787フランス人ラ・ペルーズ、トゥトゥイラ島に到着 1788フィリップ総督引率の流刑者船団がシドニーに到着、植民地を建設 1789バウンティ号の反乱 1793イギリスの自由移民が初めてニュー・サウス・ウェールズに到着 1810カメハメハ(大王)、ハワイ全島で支配確立 1814ロンドン伝道協会のマーズデンがマオリ人にキリスト教の布教を始める 1823ニュー・サウス・ウェールズがイギリスの直轄植民地となる。オーストラリアの名称決定 1825タスマニアが独立の植民地となる 1828オランダ、ニューギニアの東経141度以西の領有宣言 1829ウェスタン・オーストラリア植民地成立 1835メルボルンへの入植が始まる 1839ニュージーランド会社、マオリ人から入植地を買収。ハワイ憲法成立 1840ワイタンギ条約調印、マオリ人は主権をイギリス国王に譲渡、ニュージーランドはイギリスの植民地となる 1840~1841エアがオーストラリア大陸横断に成功 1842フランス、タヒチ領有 1844~1845ライカートがオーストラリア北部を探検 1845ツポウ1世、トンガ王国樹立(1900年イギリス保護領) 1850オーストラリア植民地政府法成立 1851オーストラリアでゴールド・ラッシュ始まる 1852ニュージーランド憲法が成立 1853タスマニアへの流刑廃止。フランス、ニューカレドニア領有 1854第1回ニュージーランド自治会議開始 1855オーストラリアのビクトリアで中国人移民制限法成立 1856ビクトリアで八時間労働制確立 1860~1861ニュー・サウス・ウェールズでラミング・フラットの暴動 1861ニュージーランド銀行設立 1861~1877マオリ戦争 1863ニュージーランド初の鉄道がクライストチャーチ~フェリーミード間に開通 1865ニュージーランドの首都をウェリントンに移す 1867マオリ人議席が設けられる 1868オーストラリアへの流刑者移民を最終的に廃止 1874イギリス、フィジー諸島を直轄植民地とする 1876最後の純血タスマニア先住民が死亡 1879ニュージーランドで男子の普通選挙制を実施 1880メルボルンでネッド・ケリーが絞首刑となる 1881ニュージーランドで中国人移民法制定 1882ニュージーランドからイギリスへ向けて冷凍船による食肉輸出開始 1883シドニー~メルボルン間の鉄道完成 1884ニューギニア東部、ドイツとイギリスの分割領有となる。ドイツ、ビスマーク諸島領有 1885マーシャル諸島、ドイツの保護領となる 1886第1回オーストラリア連邦会議開会 1888イースター島、チリ領となる。ナウルがドイツの保護領となる 1891ゴーギャン、タヒチに渡る 1892イギリス、ギルバート諸島とエリス諸島(現、ツバル)を保護領化 1893ニュージーランドで世界初の女性参政権成立 1896オーストラリアで8時間労働制ほぼ確立 1897ニュージーランドで8時間労働制実施 1898オーストラリア連邦会議で憲法草案作成。アメリカ、ハワイ併合、グアム島領有 1899オーストラリア、ニュージーランドがブーア戦争に参戦。ドイツ、スペインよりカロリン諸島、マリアナ諸島(グアムをのぞく)を買収 1900トンガ、イギリスの保護領になる 1901オーストラリア連邦成立。植民制限法制定 1902ニュージーランドで労働者災害保障法 1904オーストラリアで世界初の労働党内閣成立 1905イギリス領のパプア、オーストラリア領となる 1906ニュー・ヘブリデスでの英仏共同統治始まる 1907ニュージーランド、イギリスの自治領となる 1908オーストラリアの首都をキャンベラに決定(1927年に正式に首都となる) 1912オーストラリア連邦銀行開業 1913ニュージーランドで労働争議調停法制定 1914オーストラリア、ニュージーランド、第一次世界大戦に参戦 1917オーストラリア大陸横断鉄道完成 1920国際連盟、ニューギニア、ビスマーク諸島をオーストラリアの、ミクロネシアを日本の、西サモア(現、サモア)をニュージーランドの委任統治領とする 1922日本、パラオ諸島のコロール島に南洋庁を設置 1926イギリス帝国会議がオーストラリア、ニュージーランドなどの内政・外交の自治権を宣言 1927オーストラリア連邦会議がメルボルンからキャンベラに移る 1929西サモアでマウ運動のデモを弾圧、流血事件となる 1930世界恐慌(大恐慌)の影響がオーストラリア、ニュージーランドにも及び始める 1932シドニー・ハーバー・ブリッジ完成 1933日本、国際連盟脱退、委任統治領を南群島として併合 1934オーストラリア~イギリス間の定期航空開始 1935ニュージーランド初の労働党内閣誕生 1938ニュージーランドで社会改革法成立、週40時間労働を法制化 1939オーストラリア、ニュージーランド、第二次世界大戦に参戦 1941日本軍、グアム島占領 1942オーストラリア、ウェストミンスター憲章を批准 1944マリアナ沖海戦 1945テニアン島から広島へ向けB-29発進 1946ニューギニア島とビスマーク諸島がオーストラリアの、西サモアがニュージーランドの信託統治領となる 1947オーストラリア、ニュージーランド、米英仏蘭とともに南太平洋委員会(1998年太平洋共同体と名称変更)を結成 1949パプアとニューギニアをオーストラリアが統治 1950オーストラリア、ニュージーランド、朝鮮戦争に派兵 1951オーストラリア、ニュージーランド、アメリカが太平洋安全保障条約(アンザス条約)に調印 1953ニュージーランドのヒラリーがエベレスト山に初登頂 1954オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア条約機構(SEATO)に加盟。アメリカ、ビキニ環礁で核実験 1956メルボルンで第16回オリンピック大会開催 1957オーストラリア、日本と通商協定を結ぶ 1958ニュージーランド、日本と通商協定を結ぶ 1959ハワイ、アメリカの50番目の州となる 1962西サモア独立 1964オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム戦争へ派兵 1967国民投票でアボリジニーに市民権 1968ナウル独立 1970大陸横断鉄道(シドニー~パース)開通。フィジー独立。トンガ独立 1971フィジー初代首相カミセセ・マラの提唱で南太平洋諸国の政治・外交・経済を集約する国際協力組織南太平洋フォーラム(SPF)発足 1972ニュージーランドで賃金平等法制定 1973南太平洋経済協力機構設立 1975ニュージーランド総選挙で労働党敗北。パプア・ニューギニア独立。非核太平洋会議 1976オーストラリア、インドシナ難民受入れ開始 1977南太平洋フォーラム漁業機関発足 1978ソロモン諸島独立。ツバル独立。パラオ、マーシャル、ミクロネシア連邦がアメリカとのヒロ協定に調印 1979オーストラリアでエスニック・ラジオ放送開始。キリバス独立。110か国が集まりポナペ会議(第2回非核太平洋会議) 1980オーストラリア、ニュージーランドと南太平洋フォーラム加盟国間で南太平洋地域貿易経済協力協定締結 1981パラオ自治共和国政府発足、憲法に世界初の非核条項を入れる 1982マーシャル諸島、アメリカとの自由連合協定に調印 1983オーストラリア総選挙で労働党大勝、ホーク政権成立 1984ニュージーランド総選挙で労働党勝利、ロンギ政権成立、非核政策をとってアメリカと関係悪化 1985フランス情報部員、オークランド入港中のグリーンピースの船を爆破。南太平洋フォーラム、ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)採択 1986マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦がアメリカとの自由連合に移行。北マリアナ諸島がアメリカの自治領に移行 1987ニュージーランドで「非核地帯・軍縮・軍備管理法」成立 1988オーストラリア建国200年祭、アボリジニー反対デモ 1989キャンベラでアジア太平洋経済協力閣僚会議(APEC)開催 1990マオリ人の権利回復要求強まる。オーストラリア、ニュージーランドが単一経済圏を発足 1992ホニアラで第23回SPF会議、日本のプルトニウム輸送に抗議 1993キーティング豪首相、エリザベス女王との会談で共和制への移行を表明。キーティング豪首相、APEC非公式首脳会議欠席のマレーシア首相マハティールを非難 1994ASEAN地域フォーラム(バンコク)に、オーストラリア、ニュージーランド、パプア・ニューギニア参加。パラオ共和国独立 1995ニュージーランド政府が「ウィタンギ・トリビューナル」(土地裁判所)を設け、5月にマオリに土地1万5700haの返還、補償金1億7000万NZドルの支払い決定 1996南太平洋海域環境プログラム(SPREP)は1997年を「太平洋サンゴ礁年」とし、同海域のサンゴ礁を保護する運動を展開することを決議 1997パプア・ニューギニアのチャン首相が革命軍との衝突に英国の傭兵を派遣、これが問題化し閣僚が停職。西サモア、国名をサモアと改称 1998フィジーで新憲法施行。南太平洋委員会、太平洋共同体と名称変更 1999南太平洋フォーラム、太平洋諸島フォーラム(PIF)と名称変更。PIF加盟国、太平洋地域貿易協定(PARTA)締結 2000太平洋・島サミット、宮崎で開催。フィジーで政権交代を要求するクーデター発生。オーストラリア、シドニーでオリンピック開催 2001PIF加盟国、自由貿易協定(FTA)の締結を原則合意 2002ナウル、中国と国交を樹立し、台湾との外交関係を断交(2005年5月、台湾と国交回復) 2003太平洋・島サミット、沖縄で開催。キリバス、台湾と外交関係を樹立、これに対し中国はキリバスと断交。ソロモンにPIF加盟国の警察・軍隊によるソロモン地域支援ミッション(RAMSI)が派遣され、治安状況が改善 2004オーストラリア・アメリカ間、FTA締結に合意(2005年1月発効) 2005第1回東アジアサミットにオーストラリア、ニュージーランドが参加 2006日豪友好協力基本条約署名30周年を記念し、日豪交流年に制定 2007日豪両政府、「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名。日豪経済連携協定(EPA)締結交渉開始。オーストラリア総選挙で野党労働党が与党保守連合に勝利、11年ぶりに政権奪還を果たし、ビン・ラッドが首相に就任 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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オセアニア史(年表) おせあにあしねんぴょう 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 オセアニア史(年表) おせあにあしねんぴょう 4万~5万年前アボリジニー、オーストラリアへ渡来 B.C.3000ころインドネシア方面からメラネシアへ移住 B.C.2000ころアジア大陸、ニューギニアから西部ミクロネシアへ移住 B.C.1000ころフィジー方面から、西部ポリネシアのサモア諸島、トンガへ移住 A.D.50ころポリネシア人、サモアからマルキーズ(マルケサス諸島)に移住 350ころポリネシア人、マルキーズからタヒチ島に移住 9~14世紀マオリ人、東ポリネシアのソシエテ諸島近くからニュージーランドへ渡来 950ころトンガ、トゥイ・トンガによって全土統一 1521マジェラン、初めて太平洋横断、グアム島に到着 1567メンダーニア、ソロモン諸島へ来航 1642オランダ人タスマンがタスマニア島、ニュージーランド南島を発見 1643タスマン、フィジー諸島へ来航 1699ダンピアがオーストラリア西海岸を探検 1722ロッヘフェーン、サモア諸島とイースター島へ来航 1767ウォリス、タヒチ島へ来航 1769クックがニュージーランド南北両島を踏査、地図作成 1770クックがオーストラリア東海岸を発見、ニュー・サウス・ウェールズと命名 1774クック、ニュー・カレドニア島へ来航 1778クック、ハワイ諸島へ来航(1779年ハワイで殺害される) 1787フランス人ラ・ペルーズ、トゥトゥイラ島に到着 1788フィリップ総督引率の流刑者船団がシドニーに到着、植民地を建設 1789バウンティ号の反乱 1793イギリスの自由移民が初めてニュー・サウス・ウェールズに到着 1810カメハメハ(大王)、ハワイ全島で支配確立 1814ロンドン伝道協会のマーズデンがマオリ人にキリスト教の布教を始める 1823ニュー・サウス・ウェールズがイギリスの直轄植民地となる。オーストラリアの名称決定 1825タスマニアが独立の植民地となる 1828オランダ、ニューギニアの東経141度以西の領有宣言 1829ウェスタン・オーストラリア植民地成立 1835メルボルンへの入植が始まる 1839ニュージーランド会社、マオリ人から入植地を買収。ハワイ憲法成立 1840ワイタンギ条約調印、マオリ人は主権をイギリス国王に譲渡、ニュージーランドはイギリスの植民地となる 1840~1841エアがオーストラリア大陸横断に成功 1842フランス、タヒチ領有 1844~1845ライカートがオーストラリア北部を探検 1845ツポウ1世、トンガ王国樹立(1900年イギリス保護領) 1850オーストラリア植民地政府法成立 1851オーストラリアでゴールド・ラッシュ始まる 1852ニュージーランド憲法が成立 1853タスマニアへの流刑廃止。フランス、ニューカレドニア領有 1854第1回ニュージーランド自治会議開始 1855オーストラリアのビクトリアで中国人移民制限法成立 1856ビクトリアで八時間労働制確立 1860~1861ニュー・サウス・ウェールズでラミング・フラットの暴動 1861ニュージーランド銀行設立 1861~1877マオリ戦争 1863ニュージーランド初の鉄道がクライストチャーチ~フェリーミード間に開通 1865ニュージーランドの首都をウェリントンに移す 1867マオリ人議席が設けられる 1868オーストラリアへの流刑者移民を最終的に廃止 1874イギリス、フィジー諸島を直轄植民地とする 1876最後の純血タスマニア先住民が死亡 1879ニュージーランドで男子の普通選挙制を実施 1880メルボルンでネッド・ケリーが絞首刑となる 1881ニュージーランドで中国人移民法制定 1882ニュージーランドからイギリスへ向けて冷凍船による食肉輸出開始 1883シドニー~メルボルン間の鉄道完成 1884ニューギニア東部、ドイツとイギリスの分割領有となる。ドイツ、ビスマーク諸島領有 1885マーシャル諸島、ドイツの保護領となる 1886第1回オーストラリア連邦会議開会 1888イースター島、チリ領となる。ナウルがドイツの保護領となる 1891ゴーギャン、タヒチに渡る 1892イギリス、ギルバート諸島とエリス諸島(現、ツバル)を保護領化 1893ニュージーランドで世界初の女性参政権成立 1896オーストラリアで8時間労働制ほぼ確立 1897ニュージーランドで8時間労働制実施 1898オーストラリア連邦会議で憲法草案作成。アメリカ、ハワイ併合、グアム島領有 1899オーストラリア、ニュージーランドがブーア戦争に参戦。ドイツ、スペインよりカロリン諸島、マリアナ諸島(グアムをのぞく)を買収 1900トンガ、イギリスの保護領になる 1901オーストラリア連邦成立。植民制限法制定 1902ニュージーランドで労働者災害保障法 1904オーストラリアで世界初の労働党内閣成立 1905イギリス領のパプア、オーストラリア領となる 1906ニュー・ヘブリデスでの英仏共同統治始まる 1907ニュージーランド、イギリスの自治領となる 1908オーストラリアの首都をキャンベラに決定(1927年に正式に首都となる) 1912オーストラリア連邦銀行開業 1913ニュージーランドで労働争議調停法制定 1914オーストラリア、ニュージーランド、第一次世界大戦に参戦 1917オーストラリア大陸横断鉄道完成 1920国際連盟、ニューギニア、ビスマーク諸島をオーストラリアの、ミクロネシアを日本の、西サモア(現、サモア)をニュージーランドの委任統治領とする 1922日本、パラオ諸島のコロール島に南洋庁を設置 1926イギリス帝国会議がオーストラリア、ニュージーランドなどの内政・外交の自治権を宣言 1927オーストラリア連邦会議がメルボルンからキャンベラに移る 1929西サモアでマウ運動のデモを弾圧、流血事件となる 1930世界恐慌(大恐慌)の影響がオーストラリア、ニュージーランドにも及び始める 1932シドニー・ハーバー・ブリッジ完成 1933日本、国際連盟脱退、委任統治領を南群島として併合 1934オーストラリア~イギリス間の定期航空開始 1935ニュージーランド初の労働党内閣誕生 1938ニュージーランドで社会改革法成立、週40時間労働を法制化 1939オーストラリア、ニュージーランド、第二次世界大戦に参戦 1941日本軍、グアム島占領 1942オーストラリア、ウェストミンスター憲章を批准 1944マリアナ沖海戦 1945テニアン島から広島へ向けB-29発進 1946ニューギニア島とビスマーク諸島がオーストラリアの、西サモアがニュージーランドの信託統治領となる 1947オーストラリア、ニュージーランド、米英仏蘭とともに南太平洋委員会(1998年太平洋共同体と名称変更)を結成 1949パプアとニューギニアをオーストラリアが統治 1950オーストラリア、ニュージーランド、朝鮮戦争に派兵 1951オーストラリア、ニュージーランド、アメリカが太平洋安全保障条約(アンザス条約)に調印 1953ニュージーランドのヒラリーがエベレスト山に初登頂 1954オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア条約機構(SEATO)に加盟。アメリカ、ビキニ環礁で核実験 1956メルボルンで第16回オリンピック大会開催 1957オーストラリア、日本と通商協定を結ぶ 1958ニュージーランド、日本と通商協定を結ぶ 1959ハワイ、アメリカの50番目の州となる 1962西サモア独立 1964オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム戦争へ派兵 1967国民投票でアボリジニーに市民権 1968ナウル独立 1970大陸横断鉄道(シドニー~パース)開通。フィジー独立。トンガ独立 1971フィジー初代首相カミセセ・マラの提唱で南太平洋諸国の政治・外交・経済を集約する国際協力組織南太平洋フォーラム(SPF)発足 1972ニュージーランドで賃金平等法制定 1973南太平洋経済協力機構設立 1975ニュージーランド総選挙で労働党敗北。パプア・ニューギニア独立。非核太平洋会議 1976オーストラリア、インドシナ難民受入れ開始 1977南太平洋フォーラム漁業機関発足 1978ソロモン諸島独立。ツバル独立。パラオ、マーシャル、ミクロネシア連邦がアメリカとのヒロ協定に調印 1979オーストラリアでエスニック・ラジオ放送開始。キリバス独立。110か国が集まりポナペ会議(第2回非核太平洋会議) 1980オーストラリア、ニュージーランドと南太平洋フォーラム加盟国間で南太平洋地域貿易経済協力協定締結 1981パラオ自治共和国政府発足、憲法に世界初の非核条項を入れる 1982マーシャル諸島、アメリカとの自由連合協定に調印 1983オーストラリア総選挙で労働党大勝、ホーク政権成立 1984ニュージーランド総選挙で労働党勝利、ロンギ政権成立、非核政策をとってアメリカと関係悪化 1985フランス情報部員、オークランド入港中のグリーンピースの船を爆破。南太平洋フォーラム、ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)採択 1986マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦がアメリカとの自由連合に移行。北マリアナ諸島がアメリカの自治領に移行 1987ニュージーランドで「非核地帯・軍縮・軍備管理法」成立 1988オーストラリア建国200年祭、アボリジニー反対デモ 1989キャンベラでアジア太平洋経済協力閣僚会議(APEC)開催 1990マオリ人の権利回復要求強まる。オーストラリア、ニュージーランドが単一経済圏を発足 1992ホニアラで第23回SPF会議、日本のプルトニウム輸送に抗議 1993キーティング豪首相、エリザベス女王との会談で共和制への移行を表明。キーティング豪首相、APEC非公式首脳会議欠席のマレーシア首相マハティールを非難 1994ASEAN地域フォーラム(バンコク)に、オーストラリア、ニュージーランド、パプア・ニューギニア参加。パラオ共和国独立 1995ニュージーランド政府が「ウィタンギ・トリビューナル」(土地裁判所)を設け、5月にマオリに土地1万5700haの返還、補償金1億7000万NZドルの支払い決定 1996南太平洋海域環境プログラム(SPREP)は1997年を「太平洋サンゴ礁年」とし、同海域のサンゴ礁を保護する運動を展開することを決議 1997パプア・ニューギニアのチャン首相が革命軍との衝突に英国の傭兵を派遣、これが問題化し閣僚が停職。西サモア、国名をサモアと改称 1998フィジーで新憲法施行。南太平洋委員会、太平洋共同体と名称変更 1999南太平洋フォーラム、太平洋諸島フォーラム(PIF)と名称変更。PIF加盟国、太平洋地域貿易協定(PARTA)締結 2000太平洋・島サミット、宮崎で開催。フィジーで政権交代を要求するクーデター発生。オーストラリア、シドニーでオリンピック開催 2001PIF加盟国、自由貿易協定(FTA)の締結を原則合意 2002ナウル、中国と国交を樹立し、台湾との外交関係を断交(2005年5月、台湾と国交回復) 2003太平洋・島サミット、沖縄で開催。キリバス、台湾と外交関係を樹立、これに対し中国はキリバスと断交。ソロモンにPIF加盟国の警察・軍隊によるソロモン地域支援ミッション(RAMSI)が派遣され、治安状況が改善 2004オーストラリア・アメリカ間、FTA締結に合意(2005年1月発効) 2005第1回東アジアサミットにオーストラリア、ニュージーランドが参加 2006日豪友好協力基本条約署名30周年を記念し、日豪交流年に制定 2007日豪両政府、「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名。日豪経済連携協定(EPA)締結交渉開始。オーストラリア総選挙で野党労働党が与党保守連合に勝利、11年ぶりに政権奪還を果たし、ビン・ラッドが首相に就任 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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