デンマーク
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|年|月|日|人物・出来事|国|h |-10000|||旧石器時代|DNK| |-4000|||新石器時代|DNK| |-1800|||青銅器時代|DNK| |-500|||ケルト(前ローマ)鉄器時代|DNK| |1|||ローマ鉄器時代|DNK| |400|||ゲルマン鉄器時代|DNK| |793|||ヴァイキングがイングランド北部のリンディスファーン島の修道院を襲撃。|DNK| |793|||北欧ヴァイキング時代の始まり|DNK| |810|||デーン人王ゴズフレズ暗殺される。|DNK| |811|||デーン人国家とフランク王国間国境がアイダ(アイザー)川となる。|DNK| |826|||アンスガル(北欧の使徒)、デンマークへ最初のキリスト教伝道。キリスト教化失敗。|DNK| |830|||アンスガル、スウェーデンへ赴く。スウェーデンのビルカに北欧最初の教会を設立。|DNK| |850|||デンマーク最初の教会が、ユラン(ユトランド)半島のへゼビューに設立される。|DNK| |911|||ロロがノルマンディー公となる。ノルマンディー公国の成立。|DNK| |930|||ゴーム老王と息子のハーラル青歯王が共同統治を行う。|DNK| |960|||ハーラル青歯王、キリスト教に改宗する。|DNK| |1013|||スヴェン1世、イングランドを征服。|DNK| |1016|||クヌーズ1世(大王)、イングランド王となる。|DNK| |1018|||クヌーズ1世、デンマーク王となる。|DNK| |1028|||クヌーズ1世、ノルウェーを支配する。|DNK| |1028||| 「北海帝国」の成立|DNK| |1042|||ノルウェー王マグヌス善王、デンマーク王となる。 |DNK| |1047|||-1074スヴェン2世の治世。|DNK| |1103|||ルンド(現スウェーデン)に大司教座が設置される。|DNK| |1113|||-1157 内乱が続く。|DNK| |1113|||-1157 国内騒乱時代 |DNK| |1157|||ヴァルデマー1世(大王)、内乱を終わらせ、単独統治を開始。|DNK| |1167|||アブサロン、エーアソン海峡に面した小島に要塞を建築。後の首都コペンハーゲン。|DNK| |1177|||アブサロン、ルンド大司教に就任。|DNK| |1219|||ヴァルデマー2世(勝利王)、エストニアを征服。|DNK| |1219|||ダネボー(デンマーク国旗)天降伝説発生|DNK| |1223|||-1225 ヴァルデマー2世、囚われ監禁される。多くの国外領土を失う。|DNK| |1241|||ヴァルデマー2世死去。これ以降、混乱の時代となる。ユラン(ユトランド)法典制定。|DNK| |1282|||エーリク5世、デンマーク最初の「誓約書(デンマーク版マグナ・カルタ)」に署名。|DNK| |1332|||-1340 国王不在時代|DNK| |1340|||ヴァルデマー4世(再興王)即位。|DNK| |1349|||-1390黒死病(ペスト)大流行。 |DNK| |1363|||ヴァルデマー4世の娘マルグレーテ、ノルウェーのホーコン6世と結婚。|DNK| |1375|||ヴァルデマー4世死去。マルグレーテの息子オールフ(3世)、デンマーク王となる|DNK| |1380|||マルグレーテの夫ホーコン6世死去、息子オールフ3世がノルウェー王となる。|DNK| |1380|||デンマーク・ノルウェー連合王国成立(~1814)|DNK| |1387|||オールフ3世急死(17歳)。マルグレーテ、実質的な支配者|DNK| |1387|||(全権を委任されし婦人にして支配者かつデンマーク王国全土の後見人)となる。|DNK| |1397|||ポンメルンのエーリク(7世)、連合国王となる。|DNK| |1397|||カルマル連合成立。|DNK| |1412|||マルグレーテ死去。エーリク7世、単独統治を開始。|DNK| |1429|||エーリク7世、エーアソン海峡通行税を導入。|DNK| |1439|||ポンメルンのエーリク(7世)廃位され、バイエルンのクリストファ(3世)即位。|DNK| |1448|||クリストファ3世死去。クリスチャン1世即位。|DNK| |1448|||(オレンボー朝の始まり。)|DNK| |1460|||クリスチャン1世、シュレスヴィヒ公爵兼ホルシュタイン伯爵となる。|DNK| |1471|||クリスチャン1世、ブルンケベリの戦いに敗北。|DNK| |1479|||コペンハーゲン大学創設。|DNK| |1497|||-1501ハンス王、スウェーデンを征服し、連合を修復。|DNK| |1520|||ストックホルムの虐殺|DNK| |1523|||・4クリスチャン2世、ネーデルラントに亡命。 |DNK| |1523|||・6 スウェーデン独立、カルマル連合の崩壊|DNK| |1526|||ハンス・タウセンがヴィボーで新教の説教を始める。|DNK| |1534|||-1536伯爵戦争|DNK| |1536|||クリスチャン3世、宗教改革を断行。|DNK| |1537|||・8 クリスチャン3世の戴冠式|DNK| |1550|||「クリスチャン3世欽定訳聖書」刊行される。(訳者:クリスチャン・ペーターセン他)|DNK| |1563|||-1570北方7年戦争|DNK| |1584|||クロンボー城完成。|DNK| |1588|||フレゼリク2世が死去、クリスチャン4世が即位するが、|DNK| |1588|||未成年のため王国顧問会議が摂政として政府を率いる。|DNK| |1596|||クリスチャン4世、親政を開始する。|DNK| |1611|||-1613カルマル戦争|DNK| |1616|||クリスチャン4世、東インド会社設立。 |DNK| |1625|||クリスチャン4世、30年戦争(1618~1648)に介入。 |DNK| |1626|||デンマーク軍、ドイツで大敗北を喫す。|DNK| |1627|||ヴァレンシュタイン率いるドイツ皇帝軍、ユラン(ユトランド)半島を征服。|DNK| |1643|||-1645トシュテンソン戦争。デンマーク敗北。|DNK| |1645|||ブレムセブロー講和条約締結。ゴッドランド島などスウェーデンへ割譲。|DNK| |1648|||クリスチャン4世死去。フレゼリク3世即位。 |DNK| |1657|||-1658第1次カール・グスタヴ(スウェーデン王)戦争。 |DNK| |1658|||ロスキレ講和条約締結。スコーネ(ボーンホルムを含む)をスウェーデンに割譲。|DNK| |1658|||その後、戦争再開される。(第2次カール・グスタヴ戦争) |DNK| |1660|||・5コペンハーゲン講和条約。 現在の国境線ほぼ確立。|DNK| |1660|||・9コペンハーゲンで身分制議会召集される。(4身分制)|DNK| |1660|||・10・3世襲君主制導入決定。(これまでは王国顧問会議が決定。)|DNK| |1661|||国王法成立により、絶対王政成立|DNK| |1675|||-1679 スコーネ戦争|DNK| |1683|||クリスチャン5世の「デンマーク法」(統一法)制定。 |DNK| |1700|||-1720(大)北方戦争|DNK| |1720|||フレゼリクスボーの和約|DNK| |1728|||コペンハーゲン大火|DNK| |1733|||土地緊縛制度導入|DNK| |1770|||ストルーエンセが政治の実権を握る。(16ヶ月)|DNK| |1784|||フレゼリク皇太子、父王クリスチャン7世の摂政となる。(~1808)|DNK| |1788|||土地緊縛制度廃止|DNK| |1807|||イギリス艦隊によるコペンハーゲン砲撃。|DNK| |1807|||デンマーク海軍、イギリスに持ち去られる。デンマークはフランスと同盟。|DNK| |1813|||国家財政の破産宣言。 |DNK| |1814|||キール条約締結。ノルウェーをスウェーデンへ譲渡。学校法成立、義務教育開始。|DNK| |1814|||デンマーク・ノルウェー連合王国崩壊|DNK| |1834|||身分制地方議会制導入。|DNK| |1848|||憲法制定を請願する市民デモ。国王受諾。絶対王政崩壊|DNK| |1848|||第1次スレースヴィ(シュレスヴィヒ)戦争勃発(~1850)|DNK| |18496|6|5|自由主義憲法の制定。立憲君主政に|DNK| |1863|||ホルシュタイン・ラウエンブルクに、独自の憲法を与えるという「3月特許状」公布。|DNK| |1863|||ドイツ、特許状撤回を要求。デンマーク・スレースヴィのための憲法(11月憲法)可決。|DNK| |1863|||署名せずにフレゼリク7世死去。新王クリスチャン9世署名。 |DNK| |1864|||・2・1 プロイセン・オーストリア連合軍、デンマークへ侵入。 第2次スレースヴィ戦争勃発。|DNK| |1864|||・10・30ウィーン条約締結。これによって3公爵領全てを失う。|DNK| |1870|||連合左翼党結成。|DNK| |1872|||連合左翼党、下院にて過半数議席獲得。|DNK| |1876|||デンマーク社会民主党結成される。|DNK| |1884|||社会民主党が下院ではじめて議席獲得。|DNK| |1891|||救貧法制定|DNK| |1905|||急進左翼党結成|DNK| |1914|||-1918第1次世界大戦。デンマーク、中立を維持。|DNK| |1915|||憲法修正。女性参政権確立。右翼党が保守国民党と改名。|DNK| |1917|||国民投票により、デンマーク領西インド諸島をアメリカへ売却決定。|DNK| |1918|||アイスランド独立、デンマークと同君連合へ。|DNK| |1920|||住民投票で、北部スレースヴィ(シュレスヴィヒ)がデンマークに復帰。 |DNK| |1924|||最初の社会民主党政権誕生。(スタイニング内閣)|DNK| |1939|||・6 ドイツと不可侵条約締結。|DNK| |1939|||・9 第2次世界大戦勃発。|DNK| |1940|||・4・9 ドイツ、デンマークを占領|DNK| |1941|||外相スカヴェニウス、ベルリンで反コミンテルン協定に署名。|DNK| |1942|||非合法新聞「自由デンマーク」、発行開始。 |DNK| |1942|||・9電報危機。ブール首相辞任、スカヴェニウスが首相就任。|DNK| |1943|||ドイツ占領軍、戒厳令発布。スカヴェニウス内閣総辞職。|DNK| |1943|||レジスタンス全国中央組織「自由評議会」発足。 |DNK| |1944|||人民ストライキ発生。|DNK| |1944|||アイスランド、大戦後の同君連合解消を宣言。|DNK| |1945|||1945・5・5デンマーク、連合軍により解放される。ブール、再び首相に任名される。|DNK| |1945|||1945・5・5ボーンホルム島は約1年間ロシアに占領される。|DNK| |1948|||フェロー諸島自治獲得|DNK| |1949|||NATO(北大西洋条約機構)に参加。|DNK| |1953|||憲法改正。1院制となる。北欧会議結成。medノルウェー・スウェーデン・アイスランド|DNK| |1956|||北欧会議にフィンランド参加。|DNK| |1958|||社会主義人民党結成。|DNK| |1960|||ヨーロッパ自由貿易連合に加盟。|DNK| |1968||| 「若者の蜂起」|DNK| |1972|||マルグレーテ2世即位。国民投票でEC加盟を承認。 |DNK| |1979|||グリーンランド、自治を獲得。|DNK| |1982|||1901以来の保守系内閣誕生。|DNK| |1985|||グリーンランド、ECから離脱。|DNK| |1992|||国民投票により、マーストリヒト条約批准拒否。 |DNK| |1993|||保守系内閣総辞職、国民投票によりマーストリヒト条約批准。 |DNK| |2000|||国民投票により、ユーロ導入拒否。|DNK|
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|年|月|日|人物・出来事|国|h |-10000|||旧石器時代|DNK| |-4000|||新石器時代|DNK| |-1800|||青銅器時代|DNK| |-500|||ケルト(前ローマ)鉄器時代|DNK| |1|||ローマ鉄器時代|DNK| |400|||ゲルマン鉄器時代|DNK| |793|||ヴァイキングがイングランド北部のリンディスファーン島の修道院を襲撃。|DNK| |793|||北欧ヴァイキング時代の始まり|DNK| |810|||デーン人王ゴズフレズ暗殺される。|DNK| |811|||デーン人国家とフランク王国間国境がアイダ(アイザー)川となる。|DNK| |826|||アンスガル(北欧の使徒)、デンマークへ最初のキリスト教伝道。キリスト教化失敗。|DNK| |830|||アンスガル、スウェーデンへ赴く。スウェーデンのビルカに北欧最初の教会を設立。|DNK| |850|||デンマーク最初の教会が、ユラン(ユトランド)半島のへゼビューに設立される。|DNK| |911|||ロロがノルマンディー公となる。ノルマンディー公国の成立。|DNK| |930|||ゴーム老王と息子のハーラル青歯王が共同統治を行う。|DNK| |960|||ハーラル青歯王、キリスト教に改宗する。|DNK| |1013|||スヴェン1世、イングランドを征服。|DNK| |1016|||クヌーズ1世(大王)、イングランド王となる。|DNK| |1018|||クヌーズ1世、デンマーク王となる。|DNK| |1028|||クヌーズ1世、ノルウェーを支配する。|DNK| |1028||| 「北海帝国」の成立|DNK| |1042|||ノルウェー王マグヌス善王、デンマーク王となる。 |DNK| |1047|||-1074スヴェン2世の治世。|DNK| |1103|||ルンド(現スウェーデン)に大司教座が設置される。|DNK| |1113|||-1157 内乱が続く。|DNK| |1113|||-1157 国内騒乱時代 |DNK| |1157|||ヴァルデマー1世(大王)、内乱を終わらせ、単独統治を開始。|DNK| |1167|||アブサロン、エーアソン海峡に面した小島に要塞を建築。後の首都コペンハーゲン。|DNK| |1177|||アブサロン、ルンド大司教に就任。|DNK| |1219|||ヴァルデマー2世(勝利王)、エストニアを征服。|DNK| |1219|||ダネボー(デンマーク国旗)天降伝説発生|DNK| |1223|||-1225 ヴァルデマー2世、囚われ監禁される。多くの国外領土を失う。|DNK| |1241|||ヴァルデマー2世死去。これ以降、混乱の時代となる。ユラン(ユトランド)法典制定。|DNK| |1282|||エーリク5世、デンマーク最初の「誓約書(デンマーク版マグナ・カルタ)」に署名。|DNK| |1332|||-1340 国王不在時代|DNK| |1340|||ヴァルデマー4世(再興王)即位。|DNK| |1349|||-1390黒死病(ペスト)大流行。 |DNK| |1363|||ヴァルデマー4世の娘マルグレーテ、ノルウェーのホーコン6世と結婚。|DNK| |1375|||ヴァルデマー4世死去。マルグレーテの息子オールフ(3世)、デンマーク王となる|DNK| |1380|||マルグレーテの夫ホーコン6世死去、息子オールフ3世がノルウェー王となる。|DNK| |1380|||デンマーク・ノルウェー連合王国成立(~1814)|DNK| |1387|||オールフ3世急死(17歳)。マルグレーテ、実質的な支配者|DNK| |1387|||(全権を委任されし婦人にして支配者かつデンマーク王国全土の後見人)となる。|DNK| |1397|||ポンメルンのエーリク(7世)、連合国王となる。|DNK| |1397|||カルマル連合成立。|DNK| |1412|||マルグレーテ死去。エーリク7世、単独統治を開始。|DNK| |1429|||エーリク7世、エーアソン海峡通行税を導入。|DNK| |1439|||ポンメルンのエーリク(7世)廃位され、バイエルンのクリストファ(3世)即位。|DNK| |1448|||クリストファ3世死去。クリスチャン1世即位。|DNK| |1448|||(オレンボー朝の始まり。)|DNK| |1460|||クリスチャン1世、シュレスヴィヒ公爵兼ホルシュタイン伯爵となる。|DNK| |1471|||クリスチャン1世、ブルンケベリの戦いに敗北。|DNK| |1479|||コペンハーゲン大学創設。|DNK| |1497|||-1501ハンス王、スウェーデンを征服し、連合を修復。|DNK| |1520|||ストックホルムの虐殺|DNK| |1523|||・4クリスチャン2世、ネーデルラントに亡命。 |DNK| |1523|||・6 スウェーデン独立、カルマル連合の崩壊|DNK| |1526|||ハンス・タウセンがヴィボーで新教の説教を始める。|DNK| |1534|||-1536伯爵戦争|DNK| |1536|||クリスチャン3世、宗教改革を断行。|DNK| |1537|||・8 クリスチャン3世の戴冠式|DNK| |1550|||「クリスチャン3世欽定訳聖書」刊行される。(訳者:クリスチャン・ペーターセン他)|DNK| |1563|||-1570北方7年戦争|DNK| |1584|||クロンボー城完成。|DNK| |1588|||フレゼリク2世が死去、クリスチャン4世が即位するが、|DNK| |1588|||未成年のため王国顧問会議が摂政として政府を率いる。|DNK| |1596|||クリスチャン4世、親政を開始する。|DNK| |1611|||-1613カルマル戦争|DNK| |1616|||クリスチャン4世、東インド会社設立。 |DNK| |1625|||クリスチャン4世、30年戦争(1618~1648)に介入。 |DNK| |1626|||デンマーク軍、ドイツで大敗北を喫す。|DNK| |1627|||ヴァレンシュタイン率いるドイツ皇帝軍、ユラン(ユトランド)半島を征服。|DNK| |1643|||-1645トシュテンソン戦争。デンマーク敗北。|DNK| |1645|||ブレムセブロー講和条約締結。ゴッドランド島などスウェーデンへ割譲。|DNK| |1648|||クリスチャン4世死去。フレゼリク3世即位。 |DNK| |1657|||-1658第1次カール・グスタヴ(スウェーデン王)戦争。 |DNK| |1658|||ロスキレ講和条約締結。スコーネ(ボーンホルムを含む)をスウェーデンに割譲。|DNK| |1658|||その後、戦争再開される。(第2次カール・グスタヴ戦争) |DNK| |1660|||・5コペンハーゲン講和条約。 現在の国境線ほぼ確立。|DNK| |1660|||・9コペンハーゲンで身分制議会召集される。(4身分制)|DNK| |1660|||・10・3世襲君主制導入決定。(これまでは王国顧問会議が決定。)|DNK| |1661|||国王法成立により、絶対王政成立|DNK| |1675|||-1679 スコーネ戦争|DNK| |1683|||クリスチャン5世の「デンマーク法」(統一法)制定。 |DNK| |1700|||-1720(大)北方戦争|DNK| |1720|||フレゼリクスボーの和約|DNK| |1728|||コペンハーゲン大火|DNK| |1733|||土地緊縛制度導入|DNK| |1770|||ストルーエンセが政治の実権を握る。(16ヶ月)|DNK| |1784|||フレゼリク皇太子、父王クリスチャン7世の摂政となる。(~1808)|DNK| |1788|||土地緊縛制度廃止|DNK| |1807|||イギリス艦隊によるコペンハーゲン砲撃。|DNK| |1807|||デンマーク海軍、イギリスに持ち去られる。デンマークはフランスと同盟。|DNK| |1813|||国家財政の破産宣言。 |DNK| |1814|||キール条約締結。ノルウェーをスウェーデンへ譲渡。学校法成立、義務教育開始。|DNK| |1814|||デンマーク・ノルウェー連合王国崩壊|DNK| |1834|||身分制地方議会制導入。|DNK| |1848|||憲法制定を請願する市民デモ。国王受諾。絶対王政崩壊|DNK| |1848|||第1次スレースヴィ(シュレスヴィヒ)戦争勃発(~1850)|DNK| |18496|6|5|自由主義憲法の制定。立憲君主政に|DNK| |1863|||ホルシュタイン・ラウエンブルクに、独自の憲法を与えるという「3月特許状」公布。|DNK| |1863|||ドイツ、特許状撤回を要求。デンマーク・スレースヴィのための憲法(11月憲法)可決。|DNK| |1863|||署名せずにフレゼリク7世死去。新王クリスチャン9世署名。 |DNK| |1864|||・2・1 プロイセン・オーストリア連合軍、デンマークへ侵入。 第2次スレースヴィ戦争勃発。|DNK| |1864|||・10・30ウィーン条約締結。これによって3公爵領全てを失う。|DNK| |1870|||連合左翼党結成。|DNK| |1872|||連合左翼党、下院にて過半数議席獲得。|DNK| |1876|||デンマーク社会民主党結成される。|DNK| |1884|||社会民主党が下院ではじめて議席獲得。|DNK| |1891|||救貧法制定|DNK| |1905|||急進左翼党結成|DNK| |1914|||-1918第1次世界大戦。デンマーク、中立を維持。|DNK| |1915|||憲法修正。女性参政権確立。右翼党が保守国民党と改名。|DNK| |1917|||国民投票により、デンマーク領西インド諸島をアメリカへ売却決定。|DNK| |1918|||アイスランド独立、デンマークと同君連合へ。|DNK| |1920|||住民投票で、北部スレースヴィ(シュレスヴィヒ)がデンマークに復帰。 |DNK| |1924|||最初の社会民主党政権誕生。(スタイニング内閣)|DNK| |1939|||・6 ドイツと不可侵条約締結。|DNK| |1939|||・9 第2次世界大戦勃発。|DNK| |1940|||・4・9 ドイツ、デンマークを占領|DNK| |1941|||外相スカヴェニウス、ベルリンで反コミンテルン協定に署名。|DNK| |1942|||非合法新聞「自由デンマーク」、発行開始。 |DNK| |1942|||・9電報危機。ブール首相辞任、スカヴェニウスが首相就任。|DNK| |1943|||ドイツ占領軍、戒厳令発布。スカヴェニウス内閣総辞職。|DNK| |1943|||レジスタンス全国中央組織「自由評議会」発足。 |DNK| |1944|||人民ストライキ発生。|DNK| |1944|||アイスランド、大戦後の同君連合解消を宣言。|DNK| |1945|||1945・5・5デンマーク、連合軍により解放される。ブール、再び首相に任名される。|DNK| |1945|||1945・5・5ボーンホルム島は約1年間ロシアに占領される。|DNK| |1948|||フェロー諸島自治獲得|DNK| |1949|||NATO(北大西洋条約機構)に参加。|DNK| |1953|||憲法改正。1院制となる。北欧会議結成。medノルウェー・スウェーデン・アイスランド|DNK| |1956|||北欧会議にフィンランド参加。|DNK| |1958|||社会主義人民党結成。|DNK| |1960|||ヨーロッパ自由貿易連合に加盟。|DNK| |1968||| 「若者の蜂起」|DNK| |1972|||マルグレーテ2世即位。国民投票でEC加盟を承認。 |DNK| |1979|||グリーンランド、自治を獲得。|DNK| |1982|||1901以来の保守系内閣誕生。|DNK| |1985|||グリーンランド、ECから離脱。|DNK| |1992|||国民投票により、マーストリヒト条約批准拒否。 |DNK| |1993|||保守系内閣総辞職、国民投票によりマーストリヒト条約批准。 |DNK| |2000|||国民投票により、ユーロ導入拒否。|DNK|
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