三好義継
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三好義継
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三好義継(みよし よしつぐ) 1551~1573 ○熊王丸 重存 義重 左京大夫 ◇父:十河一存 養父:三好長慶 室:足利義晴女 子:三好中務少輔義兼、義茂、長元? 叔父三好長慶の長男義興死去により、その養子となり、1564年三好三人衆に担がれ家督を嗣ぐが、傀儡に過ぎなかった。翌年三人衆、松永久秀らと結び、13代将軍足利義輝を殺害した。その後、三人衆、久秀の両者にいいように担がれ転々とするが、15代将軍足利義昭を奉じて入京した織田信長に降伏し、河内半国を安堵された。1572年、久秀と共に信長に反逆し、義昭を河内・若江城に匿ったことから、翌年信長の将佐久間信盛に攻められ、家老野間左橘兵衛の裏切りに遭って自害。
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三好義継(みよし よしつぐ) 1551~1573 ○熊王丸 重存 義重 左京大夫 ◇父:十河一存 養父:三好長慶 室:足利義晴女 子:三好中務少輔義兼、義茂、長元? 叔父三好長慶の長男義興死去により、その養子となり、1564年三好三人衆に担がれ家督を嗣ぐが、傀儡に過ぎなかった。翌年三人衆、松永久秀らと結び、13代将軍足利義輝を殺害した。その後、三人衆、久秀の両者にいいように担がれ転々とするが、15代将軍足利義昭を奉じて入京した織田信長に降伏し、河内半国を安堵された。1572年、久秀と共に信長に反逆し、義昭を河内・若江城に匿ったことから、翌年信長の将佐久間信盛に攻められ、家老野間左橘兵衛の裏切りに遭って自害。
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