土岐家(沼田藩)
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土岐家(沼田藩)
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[[江戸大名公家]] 土岐家 沼田藩 土岐桔梗 3万5000石 上野利根郡沼田(群馬県沼田市 ) 譜代 城主 移封加減増履歴 ・下総守谷1万石・元和3年→摂津高槻2万石・元和5年→下総の内1万石・寛永5年→出羽上山2万5000石・元禄4年→3万5000石・元禄5年→摂津河内越前の内3万5000石・宝永5年→摂津河内越前播磨の内3万5000石・正徳2年→駿河田中3万5000石 ・ 享保15年→摂津河内播磨美作の内3万5000石・寛保2年→上野沼田 江戸城詰席・帝鑑之間 子爵 上屋敷・江戸見坂 参勤・参府12月、帰国8月 人口・天和元年(1681)の沼田真田家除封時の総計4万7177人(7歳以上)、家数1万3715軒 藩祖・定義(さだよし) 土岐定政の次男(定政は初め菅沼を姓として家康に仕えていたが後に土岐に復す、下総守谷に1万石を領有) 母は鳥居元忠の娘(元忠は関ヶ原の初戦伏見城攻防戦で奮戦し討死、徳川十六神将の一人、子孫は壬生藩鳥居家) 生没・天正8年(1580)~元和5年(1619) 家督・慶長2年(1597)相続 従五位下山城守 正室・高島藩諏訪頼水の娘 子女・2代頼行 2代・頼行(よりゆき) 定義長男 母は正室諏訪頼水の娘 生没・慶長13年(1608)~貞享元年(1684) 家督・元和5年(1619)相続 従五位下山城守 正室・伊丹康勝の娘(甲斐徳美藩主、子孫は発狂から除封) 子女・3代頼殷 3代・頼殷(よりたか) 頼行次男 母は某氏 生没・寛永18年(1641)~享保7年(1722) 家督・延宝6年(1678)相続 従四位下伊予守 正徳3年(1713)隠居 正室・西郷延員の娘(延員は安房東条藩主、不行跡から減知され旗本として存続、西郷家は将軍秀忠の生母西郷局の実家) 継室・丹後田辺藩牧野親成の娘 子女・4代頼稔 4代・頼稔(よりとし) 頼殷長男 母は某氏 生没・元禄8年(1695)~延享元年(1744) 家督・正徳3年(1713)相続 寛保2年(1742)老中 従四位下侍従兼丹後守 正室・島原藩松平忠雄の娘 子女・5代頼熙 定経(頼熙養子、6代) 女子→棚倉藩松平康福室 女子→大洲藩加藤泰温室 女子→日出藩木下俊泰室 女子→芝村藩織田輔宜室 5代・頼熙(よりおき) 頼稔長男 母は某氏 生没・享保4年(1719)~宝暦5年(1755) 家督・延享元年(1744)相続 従五位下伊予守 正室・豊後府内藩松平近貞の娘 継室・椎谷藩堀直恒の娘 子女・養子定経(6代) 6代・定経(さだつね) 頼稔五男 母は某氏 生没・享保13年(1728)~天明2年(1782) 家督・宝暦5年(1755)相続 従四位下美濃守 正室・なし 子女・7代頼寛 定吉(頼寛養子、8代) 定富(定吉養子、9代) 頼布(定富養子、10代) 女子→浜松藩井上正定室 女子→今治藩松平定剛室 7代・頼寛(よりひろ) 定経次男 母は某氏 生没・明和元年(1764)~天明2年(1782) 家督・天明2年(1782)相続 従五位下伊予守 正室・なし 子女・養子定吉(8代) 8代・定吉(さだよ) 6代定経の三男 母は某氏 生没・明和3年(1766)~天明6年(1786) 家督・天明2年(1782)相続 従五位下美濃守 正室・なし 子女・養子定富(9代) 9代・定富(さだとみ) 6代定経の五男 母は某氏 生没・安永3年(1743)~寛政2年(1760) 家督・天明6年(1760)相続 正室・なし 子女・養子頼布(10代) 10代・頼布(よりのぶ) 6代定経の七男 母は某氏 生没・安永4年(1775)~天保8年(1837) 家督・寛政2年(1790)相続 従五位下美濃守 文化10年(1813)隠居 正室・島原藩松平忠祇の娘 子女・養子頼潤(11代) 11代・頼潤(よりみつ) 福山藩阿部正倫の五男 母は某氏 生没・天明8年(1788)~文政9年(1826) 家督・文化10年(1813)相続 従五位下山城守 正室・久留米藩有馬頼貴の娘 子女・頼寧(頼功養子、13代) 女子→12代頼功室 養子頼功(12代) 12代・頼功(よりかつ) 飯田藩堀親長の九男 母は某氏 生没・享和3年(1803)~天保14年(1843) 家督・文政9年(1826)相続 従五位下山城守 天保11年(1840)隠居 正室・頼潤の娘 子女・女子→13代頼寧養女 女子→横須賀藩西尾忠受室 養子頼寧(13代) 13代・頼寧(よりやす) 11代頼潤の五男 生没・文政10年(1827)~弘化4年(1847) 家督・天保11年(1840)相続 正室・飯田藩堀親寚の養女(三春藩秋田孝季の娘) 子女・養子頼之(14代) 養女(12代頼功の娘)→14代頼之室 14代・頼之(よりゆき) 桑名藩松平定永の10男 母は正室蜂須賀治昭の娘 生没・文政9年(1826)~明治6年(1873) 家督・弘化4年(1847)相続 従五位下山城守 慶応3年(1867)隠居 正室・頼寧の養女 子女・15代頼知 女子→大原重朝室、後に離縁 女子→一関藩田村宗顕室 15代・頼知(よりおき) 頼之長男 生没・嘉永2年(1849)~明治44年(1911) 家督・慶応3年(1867)相続 従五位下隼人正 正室・丹波亀山藩松平信義の娘
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[[江戸大名公家]] 土岐家 沼田藩 土岐桔梗 3万5000石 上野利根郡沼田(群馬県沼田市 ) 譜代 城主 移封加減増履歴 ・下総守谷1万石・元和3年→摂津高槻2万石・元和5年→下総の内1万石・寛永5年→出羽上山2万5000石・元禄4年→3万5000石・元禄5年→摂津河内越前の内3万5000石・宝永5年→摂津河内越前播磨の内3万5000石・正徳2年→駿河田中3万5000石 ・ 享保15年→摂津河内播磨美作の内3万5000石・寛保2年→上野沼田 江戸城詰席・帝鑑之間 子爵 上屋敷・江戸見坂 参勤・参府12月、帰国8月 人口・天和元年(1681)の沼田真田家除封時の総計4万7177人(7歳以上)、家数1万3715軒 藩祖・定義(さだよし) 土岐定政の次男(定政は初め菅沼を姓として家康に仕えていたが後に土岐に復す、下総守谷に1万石を領有) 母は鳥居元忠の娘(元忠は関ヶ原の初戦伏見城攻防戦で奮戦し討死、徳川十六神将の一人、子孫は壬生藩鳥居家) 生没・天正8年(1580)~元和5年(1619) 家督・慶長2年(1597)相続 従五位下山城守 正室・高島藩諏訪頼水の娘 子女・2代頼行 2代・頼行(よりゆき) 定義長男 母は正室諏訪頼水の娘 生没・慶長13年(1608)~貞享元年(1684) 家督・元和5年(1619)相続 従五位下山城守 正室・伊丹康勝の娘(甲斐徳美藩主、子孫は発狂から除封) 子女・3代頼殷 3代・頼殷(よりたか) 頼行次男 母は某氏 生没・寛永18年(1641)~享保7年(1722) 家督・延宝6年(1678)相続 従四位下伊予守 正徳3年(1713)隠居 正室・西郷延員の娘(延員は安房東条藩主、不行跡から減知され旗本として存続、西郷家は将軍秀忠の生母西郷局の実家) 継室・丹後田辺藩牧野親成の娘 子女・4代頼稔 4代・頼稔(よりとし) 頼殷長男 母は某氏 生没・元禄8年(1695)~延享元年(1744) 家督・正徳3年(1713)相続 寛保2年(1742)老中 従四位下侍従兼丹後守 正室・島原藩松平忠雄の娘 子女・5代頼熙 定経(頼熙養子、6代) 女子→棚倉藩松平康福室 女子→大洲藩加藤泰温室 女子→日出藩木下俊泰室 女子→芝村藩織田輔宜室 5代・頼熙(よりおき) 頼稔長男 母は某氏 生没・享保4年(1719)~宝暦5年(1755) 家督・延享元年(1744)相続 従五位下伊予守 正室・豊後府内藩松平近貞の娘 継室・椎谷藩堀直恒の娘 子女・養子定経(6代) 6代・定経(さだつね) 頼稔五男 母は某氏 生没・享保13年(1728)~天明2年(1782) 家督・宝暦5年(1755)相続 従四位下美濃守 正室・なし 子女・7代頼寛 定吉(頼寛養子、8代) 定富(定吉養子、9代) 頼布(定富養子、10代) 女子→浜松藩井上正定室 女子→今治藩松平定剛室 7代・頼寛(よりひろ) 定経次男 母は某氏 生没・明和元年(1764)~天明2年(1782) 家督・天明2年(1782)相続 従五位下伊予守 正室・なし 子女・養子定吉(8代) 8代・定吉(さだよ) 6代定経の三男 母は某氏 生没・明和3年(1766)~天明6年(1786) 家督・天明2年(1782)相続 従五位下美濃守 正室・なし 子女・養子定富(9代) 9代・定富(さだとみ) 6代定経の五男 母は某氏 生没・安永3年(1743)~寛政2年(1760) 家督・天明6年(1760)相続 正室・なし 子女・養子頼布(10代) 10代・頼布(よりのぶ) 6代定経の七男 母は某氏 生没・安永4年(1775)~天保8年(1837) 家督・寛政2年(1790)相続 従五位下美濃守 文化10年(1813)隠居 正室・島原藩松平忠祇の娘 子女・養子頼潤(11代) 11代・頼潤(よりみつ) 福山藩阿部正倫の五男 母は某氏 生没・天明8年(1788)~文政9年(1826) 家督・文化10年(1813)相続 従五位下山城守 正室・久留米藩有馬頼貴の娘 子女・頼寧(頼功養子、13代) 女子→12代頼功室 養子頼功(12代) 12代・頼功(よりかつ) 飯田藩堀親長の九男 母は某氏 生没・享和3年(1803)~天保14年(1843) 家督・文政9年(1826)相続 従五位下山城守 天保11年(1840)隠居 正室・頼潤の娘 子女・女子→13代頼寧養女 女子→横須賀藩西尾忠受室 養子頼寧(13代) 13代・頼寧(よりやす) 11代頼潤の五男 生没・文政10年(1827)~弘化4年(1847) 家督・天保11年(1840)相続 正室・飯田藩堀親寚の養女(三春藩秋田孝季の娘) 子女・養子頼之(14代) 養女(12代頼功の娘)→14代頼之室 14代・頼之(よりゆき) 桑名藩松平定永の10男 母は正室蜂須賀治昭の娘 生没・文政9年(1826)~明治6年(1873) 家督・弘化4年(1847)相続 従五位下山城守 慶応3年(1867)隠居 正室・頼寧の養女 子女・15代頼知 女子→大原重朝室、後に離縁 女子→一関藩田村宗顕室 15代・頼知(よりおき) 頼之長男 生没・嘉永2年(1849)~明治44年(1911) 家督・慶応3年(1867)相続 従五位下隼人正 正室・丹波亀山藩松平信義の娘
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