斉明天皇
の編集
Top
/
斉明天皇
-- 雛形とするページ --
(no template pages)
[[天皇家]] 名前 第37代 斉明天皇(さいめいてんのう) 第35代皇極天皇と同一人物 宝皇女(たから)、天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめ) 親族 父親 茅渟王(ちぬ) 母親 吉備姫王(きびひめ) 配偶者 高向王、舒明天皇(じょめいてんのう) 子 葛城皇子(かずらきのみこ)天智天皇 間人皇子(はしひとのひめみこ)孝徳天皇の皇后 大海皇子(おおあまのみこ)天武天皇 皇居 飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)、飛鳥川原宮、後飛鳥岡本宮、両槻宮(天宮) 陵墓 陵名 越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ) 古墳 車木ケンノウ古墳 円丘(径約45m) 所在 奈良県高市郡高取町車木 略歴(6世紀)(7世紀) 645-乙巳-大化01年06月14日 皇極天皇として退位 654-甲寅-白雉05年10月10日 孝徳天皇が崩御 655-乙卯-斉明01年01月03日 板蓋宮で斉明天皇として即位 655-乙卯-斉明01年冬 板蓋宮が火災で川原宮に移る。 656-丙辰-斉明02年 後飛鳥岡本宮(明日香村雷丘あたり)に移る。 多武峰(とうのみね)の丘の上に周りを取り巻く垣を築き両槻宮を造営。 また、この年吉野宮も造営。 岡本宮火災 658-戊馬-斉明04年10月15日 紀の湯(白浜)へ行幸 658-戊馬-斉明04年11月05日 有間皇子謀反 658-戊馬-斉明04年11月11日 有間皇子絞首刑となる 659-己未-斉明05年01月03日 紀の湯から帰る 660-庚午-斉明06年12月24日 難波宮に入る 661-辛酉-斉明07年01月06日 百済救済のため筑紫に向け出航 661-辛酉-斉明07年03月25日 長津に到着 661-辛酉-斉明07年07月24日 朝倉宮で崩御 68才
タイムスタンプを変更しない
[[天皇家]] 名前 第37代 斉明天皇(さいめいてんのう) 第35代皇極天皇と同一人物 宝皇女(たから)、天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめ) 親族 父親 茅渟王(ちぬ) 母親 吉備姫王(きびひめ) 配偶者 高向王、舒明天皇(じょめいてんのう) 子 葛城皇子(かずらきのみこ)天智天皇 間人皇子(はしひとのひめみこ)孝徳天皇の皇后 大海皇子(おおあまのみこ)天武天皇 皇居 飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)、飛鳥川原宮、後飛鳥岡本宮、両槻宮(天宮) 陵墓 陵名 越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ) 古墳 車木ケンノウ古墳 円丘(径約45m) 所在 奈良県高市郡高取町車木 略歴(6世紀)(7世紀) 645-乙巳-大化01年06月14日 皇極天皇として退位 654-甲寅-白雉05年10月10日 孝徳天皇が崩御 655-乙卯-斉明01年01月03日 板蓋宮で斉明天皇として即位 655-乙卯-斉明01年冬 板蓋宮が火災で川原宮に移る。 656-丙辰-斉明02年 後飛鳥岡本宮(明日香村雷丘あたり)に移る。 多武峰(とうのみね)の丘の上に周りを取り巻く垣を築き両槻宮を造営。 また、この年吉野宮も造営。 岡本宮火災 658-戊馬-斉明04年10月15日 紀の湯(白浜)へ行幸 658-戊馬-斉明04年11月05日 有間皇子謀反 658-戊馬-斉明04年11月11日 有間皇子絞首刑となる 659-己未-斉明05年01月03日 紀の湯から帰る 660-庚午-斉明06年12月24日 難波宮に入る 661-辛酉-斉明07年01月06日 百済救済のため筑紫に向け出航 661-辛酉-斉明07年03月25日 長津に到着 661-辛酉-斉明07年07月24日 朝倉宮で崩御 68才
テキスト整形のルールを表示する