聖徳太子
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聖徳太子
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[[天皇家]] 名前 聖徳太子、厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ) 親族 父=用明天皇(ようめいてんのう) 母=穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后 妃=膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ) 略歴(06世紀)(07世紀) 572-壬辰-敏達01年 生誕 母穴穂部間人が厩(うまや)の戸にあたった拍子に難なく出産した。太子は生まれてまもなくものを言ったという。 593-癸丑-推古01年4月10日 皇太子となり、推古天皇の摂政に就任 595-乙卯-推古03年05月10日 高麗の僧、慧慈(えじ)が帰化した。太子は慧慈を師とする。 596-丙辰-推古04年11月 法興寺落成 601-辛酉-推古09年02月 斑鳩に宮を建てる。(住み始めるのは推古13年10月) 603-癸亥-推古11年11月1日 秦河勝に仏像を授ける。秦河勝は京都・太秦に蜂岡寺(広隆寺)を造営 603-癸亥-推古11年12月5日 冠位12階の制定 大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、の12階。階毎に色が決まっていた。 604-甲子-推古12年01月01日 諸臣に冠位を授ける 604-甲子-推古12年04月03日 憲法17条を発表 605-乙丑-推古13年10月 斑鳩の宮に移る 606-丙寅-推古14年07月以下不詳 推古天皇の命により勝鬘経の講義を3 日間にわたって行う 620-庚辰-推古28年以下不詳 自分の墓所を造営する 620-庚辰-推古28年12月01日 蘇我馬子らとともに『天皇記』『国記』を編纂 621-辛巳-推古29年02月05日 薨去
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[[天皇家]] 名前 聖徳太子、厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ) 親族 父=用明天皇(ようめいてんのう) 母=穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后 妃=膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ) 略歴(06世紀)(07世紀) 572-壬辰-敏達01年 生誕 母穴穂部間人が厩(うまや)の戸にあたった拍子に難なく出産した。太子は生まれてまもなくものを言ったという。 593-癸丑-推古01年4月10日 皇太子となり、推古天皇の摂政に就任 595-乙卯-推古03年05月10日 高麗の僧、慧慈(えじ)が帰化した。太子は慧慈を師とする。 596-丙辰-推古04年11月 法興寺落成 601-辛酉-推古09年02月 斑鳩に宮を建てる。(住み始めるのは推古13年10月) 603-癸亥-推古11年11月1日 秦河勝に仏像を授ける。秦河勝は京都・太秦に蜂岡寺(広隆寺)を造営 603-癸亥-推古11年12月5日 冠位12階の制定 大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、の12階。階毎に色が決まっていた。 604-甲子-推古12年01月01日 諸臣に冠位を授ける 604-甲子-推古12年04月03日 憲法17条を発表 605-乙丑-推古13年10月 斑鳩の宮に移る 606-丙寅-推古14年07月以下不詳 推古天皇の命により勝鬘経の講義を3 日間にわたって行う 620-庚辰-推古28年以下不詳 自分の墓所を造営する 620-庚辰-推古28年12月01日 蘇我馬子らとともに『天皇記』『国記』を編纂 621-辛巳-推古29年02月05日 薨去
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