藤堂家(津藩)
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藤堂家(津藩)
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[[江戸大名公家]] 藤堂家 津藩 藤堂蔦 32万3900石 伊勢安濃郡津(三重県津市) 外様 国主 移封加減増履歴・慶長11年→伊予今治22万石・慶長13年→伊勢津・元和元年→27万900石・元和3年→32万3900石 専売品&専売開始年・米(安永頃) 椎茸(寛政8年) 江戸城詰席・大広間 伯爵 上屋敷・向柳原 人口・全領地28万7242人→享保17年(1732)現在、城下士族家数313軒→宝暦元年(1751)現在 藩祖・高虎(たかとら) 浅井長政の家臣藤堂虎高の子 母は某氏 生没・弘治2年(1556)~寛永7年(1630) 浅井、豊臣、徳川と仕官先を変えるも、江戸城普請、大坂の陣、日光東照宮普請などで功を立て、32万余石の国持ち大名となる 従四位下左近衛権少将:兼和泉守 正室・長連久の娘(連久は能登の豪族) 子女・2代高次 女子→蒲生氏郷室(氏郷は会津92万石の国主、正室は織田信長の娘、氏郷没後に子秀行は宇都宮12万石へ減知移封、関ヶ原の戦いで家康方に与し会津60万石を与えられる、が、秀行を継いだ子忠郷に継嗣なく除封となるところ母が家康の娘であったため忠郷の弟忠知の相続が許され伊予松山24万石へ減知移封、が、忠知に継嗣なく蒲生氏は除封断絶となる)、後に伊勢一身田専修寺門主堯朝室 養子吉高(丹羽長秀の三男、秀吉の弟秀長の養子から高虎の養子となるも、高虎に実子高次が生まれたため、藤堂家領内の伊賀名張に2万石[後に1万5000石]を与えられ藤堂家家臣となる、明治39年に男爵を授けられている) 養女(氏家源左衛門の娘)→生駒正俊室(正俊は17万余石高松藩主、子高俊の代に家中騒動から除封、高俊は出羽矢島へ流され1万石が堪忍料[生計費]として与えられる、その後、高俊の子高清が弟に分知したため旗本[交代寄合]として存続) 養女(従兄弟にあたる藤堂良政の娘)→小堀政一室(政一は官が遠江守であったことから小堀遠州とも呼ばれる、近江小室藩主だったが、天明期の当主政方は伏見奉行在職時の不正発覚から罷免、さらに田沼意次親派であったため意次失脚と共に除封となる、その後旗本として再興され存続) 2代・高次(たかつぐ) 高虎の子 母は正室長連久の娘 生没・慶長6年(1601)~延宝4年(1676) 家督・寛永7年(1630)相続 新田開発を進めるも、幕府への御手伝普請により財政難となる 従四位下左近衛権少将:兼和泉守 正室・姫路藩酒井忠世の娘 子女・女子→讃岐丸亀藩京極高和室 女子→陸奥磐城平藩安藤重之室 3代高久 高通(別家伊勢久居藩藩祖) 女子→陸奥磐城平藩安藤重之養女 女子→讃岐丸亀藩京極高和養女 高睦(高久養子、4代) 3代・高久(たかひさ) 高次の子 母は某氏 生没・寛永15年(1638)~元禄16年(1703) 家督・寛文9年(1669)相続 財政再建のため商工業者から冥加金を徴収する 従四位下左近衛権少将:兼和泉守 正室・姫路藩酒井忠清の娘 子女・養子高睦(4代) 養女(姫路藩酒井忠清の娘) 養女(伊勢久居藩藤堂高堅の娘) 4代・高睦(たかちか) 高次の五男 母は某氏 生没・寛文7年(1667)~宝永5年(1708) 家督・元禄16年(1703)相続 宝永の大地震など3回の地震があり、財政再建は遠のく 従四位下和泉守 正室・豊前小倉藩小笠原忠雄の娘 子女・養子高敏(5代) 5代・高敏(たかとし) 伊勢久居藩藩祖高通の長男 母は某氏 生没・元禄6年(1693)~享保13年(1728) 家督・宝永5年(1709)相続 宝永6年富士山噴火による復旧御手伝普請のため財政難さらに深まる 従四位下和泉守 正室・豊後岡藩中川久通の娘 子女・養子高治(6代) 6代・高治(たかはる) 家臣藤堂高明の子 母は某氏 生没・宝永3年(1706)~享保20年(1735) 家督・伊勢久居藩4代藩主となるも、享保13年(1728)本家相続 従四位下大学頭 正室・対馬府中藩宗義誠の娘 子女・養子高豊(7代) 高般(7代高豊養子) 女子→美作津山藩松平長孝室 7代・高豊(たかとよ) 家臣藤堂高武の子 母は某氏 生没・正徳3年(1713)~明和6年(1769) 家督・伊勢久居藩5代藩主となるも、享保20年(1735)本家相続 利根川・鬼怒川や日光の御手伝普請をする 従四位下左近衛権少将兼和泉守 正室・陸奥磐城平藩安藤信友の養女 子女・養女(家臣藤堂高武の娘)→一身田専修寺門主宣若円超室、後に安房勝山藩酒井忠大室 養子高般(6代高治の次男、病没) 高嶷(9代) 高朶(伊勢久居藩8代藩主) 高悠(8代) 高興(伊勢久居藩9代藩主) 女子→伊予大洲藩加藤泰候室 8代・高悠(たかなが) 高豊四男 母は某氏 生没・宝暦元年(1751)~明和7年(1770) 家督・明和6年(1769)相続 従四位下和泉守 正室・なし 子女・養子高嶷(9代) 9代・高嶷(たかさど) 高豊の子 母は某氏 生没・寛保3年(1743)~文化3年(1806) 家督・伊勢久居藩7代藩主となるも、明和7年(1770)本家相続 財政再建を急いだため、藩史上最大規模の一揆が発生する 従四位下和泉守 正室・豊後岡藩中川久貞の娘 子女・女子→土佐藩山内豊策室 高兌(10代) 女子→近江三上藩遠藤胤統室 女子→美作津山藩松平康乂室 高邁(伊勢久居藩13代) 高允 高秭(伊勢久居藩14代) 女子→播磨小野藩一柳末周室 利徳(足守藩木下利徽養子) 10代・高兌(たかさわ) 高嶷の子 母は某氏 生没・天明元年(1781)~文政7年(1824) 家督・伊勢久居藩12代藩主となるも、文化3年(1806)本家相続 藩財政再建に取り組み、中興の名君と称される 従四位下和泉守 正室・摂津高槻藩永井直進の娘 子女・11代高猷 久昭(豊後岡藩中川久教養子) 11代・高猷(たかゆき) 高兌の子 母は某氏 生没・文化10年(1813)~明治28年(1895) 家督・文政8年(1825)相続 幕末、日和見を決めるも鳥羽・伏見で薩長に加担する、明治2年賞典禄2万石が下賜され、さらに同年箱館の戦功で3年間3000石が給される 正二位和泉守 正室・9代高嶷の子高允の娘 子女・高潔 長知(福岡藩黒田長溥養子) 安斐(竜野藩脇坂安宅養子)
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[[江戸大名公家]] 藤堂家 津藩 藤堂蔦 32万3900石 伊勢安濃郡津(三重県津市) 外様 国主 移封加減増履歴・慶長11年→伊予今治22万石・慶長13年→伊勢津・元和元年→27万900石・元和3年→32万3900石 専売品&専売開始年・米(安永頃) 椎茸(寛政8年) 江戸城詰席・大広間 伯爵 上屋敷・向柳原 人口・全領地28万7242人→享保17年(1732)現在、城下士族家数313軒→宝暦元年(1751)現在 藩祖・高虎(たかとら) 浅井長政の家臣藤堂虎高の子 母は某氏 生没・弘治2年(1556)~寛永7年(1630) 浅井、豊臣、徳川と仕官先を変えるも、江戸城普請、大坂の陣、日光東照宮普請などで功を立て、32万余石の国持ち大名となる 従四位下左近衛権少将:兼和泉守 正室・長連久の娘(連久は能登の豪族) 子女・2代高次 女子→蒲生氏郷室(氏郷は会津92万石の国主、正室は織田信長の娘、氏郷没後に子秀行は宇都宮12万石へ減知移封、関ヶ原の戦いで家康方に与し会津60万石を与えられる、が、秀行を継いだ子忠郷に継嗣なく除封となるところ母が家康の娘であったため忠郷の弟忠知の相続が許され伊予松山24万石へ減知移封、が、忠知に継嗣なく蒲生氏は除封断絶となる)、後に伊勢一身田専修寺門主堯朝室 養子吉高(丹羽長秀の三男、秀吉の弟秀長の養子から高虎の養子となるも、高虎に実子高次が生まれたため、藤堂家領内の伊賀名張に2万石[後に1万5000石]を与えられ藤堂家家臣となる、明治39年に男爵を授けられている) 養女(氏家源左衛門の娘)→生駒正俊室(正俊は17万余石高松藩主、子高俊の代に家中騒動から除封、高俊は出羽矢島へ流され1万石が堪忍料[生計費]として与えられる、その後、高俊の子高清が弟に分知したため旗本[交代寄合]として存続) 養女(従兄弟にあたる藤堂良政の娘)→小堀政一室(政一は官が遠江守であったことから小堀遠州とも呼ばれる、近江小室藩主だったが、天明期の当主政方は伏見奉行在職時の不正発覚から罷免、さらに田沼意次親派であったため意次失脚と共に除封となる、その後旗本として再興され存続) 2代・高次(たかつぐ) 高虎の子 母は正室長連久の娘 生没・慶長6年(1601)~延宝4年(1676) 家督・寛永7年(1630)相続 新田開発を進めるも、幕府への御手伝普請により財政難となる 従四位下左近衛権少将:兼和泉守 正室・姫路藩酒井忠世の娘 子女・女子→讃岐丸亀藩京極高和室 女子→陸奥磐城平藩安藤重之室 3代高久 高通(別家伊勢久居藩藩祖) 女子→陸奥磐城平藩安藤重之養女 女子→讃岐丸亀藩京極高和養女 高睦(高久養子、4代) 3代・高久(たかひさ) 高次の子 母は某氏 生没・寛永15年(1638)~元禄16年(1703) 家督・寛文9年(1669)相続 財政再建のため商工業者から冥加金を徴収する 従四位下左近衛権少将:兼和泉守 正室・姫路藩酒井忠清の娘 子女・養子高睦(4代) 養女(姫路藩酒井忠清の娘) 養女(伊勢久居藩藤堂高堅の娘) 4代・高睦(たかちか) 高次の五男 母は某氏 生没・寛文7年(1667)~宝永5年(1708) 家督・元禄16年(1703)相続 宝永の大地震など3回の地震があり、財政再建は遠のく 従四位下和泉守 正室・豊前小倉藩小笠原忠雄の娘 子女・養子高敏(5代) 5代・高敏(たかとし) 伊勢久居藩藩祖高通の長男 母は某氏 生没・元禄6年(1693)~享保13年(1728) 家督・宝永5年(1709)相続 宝永6年富士山噴火による復旧御手伝普請のため財政難さらに深まる 従四位下和泉守 正室・豊後岡藩中川久通の娘 子女・養子高治(6代) 6代・高治(たかはる) 家臣藤堂高明の子 母は某氏 生没・宝永3年(1706)~享保20年(1735) 家督・伊勢久居藩4代藩主となるも、享保13年(1728)本家相続 従四位下大学頭 正室・対馬府中藩宗義誠の娘 子女・養子高豊(7代) 高般(7代高豊養子) 女子→美作津山藩松平長孝室 7代・高豊(たかとよ) 家臣藤堂高武の子 母は某氏 生没・正徳3年(1713)~明和6年(1769) 家督・伊勢久居藩5代藩主となるも、享保20年(1735)本家相続 利根川・鬼怒川や日光の御手伝普請をする 従四位下左近衛権少将兼和泉守 正室・陸奥磐城平藩安藤信友の養女 子女・養女(家臣藤堂高武の娘)→一身田専修寺門主宣若円超室、後に安房勝山藩酒井忠大室 養子高般(6代高治の次男、病没) 高嶷(9代) 高朶(伊勢久居藩8代藩主) 高悠(8代) 高興(伊勢久居藩9代藩主) 女子→伊予大洲藩加藤泰候室 8代・高悠(たかなが) 高豊四男 母は某氏 生没・宝暦元年(1751)~明和7年(1770) 家督・明和6年(1769)相続 従四位下和泉守 正室・なし 子女・養子高嶷(9代) 9代・高嶷(たかさど) 高豊の子 母は某氏 生没・寛保3年(1743)~文化3年(1806) 家督・伊勢久居藩7代藩主となるも、明和7年(1770)本家相続 財政再建を急いだため、藩史上最大規模の一揆が発生する 従四位下和泉守 正室・豊後岡藩中川久貞の娘 子女・女子→土佐藩山内豊策室 高兌(10代) 女子→近江三上藩遠藤胤統室 女子→美作津山藩松平康乂室 高邁(伊勢久居藩13代) 高允 高秭(伊勢久居藩14代) 女子→播磨小野藩一柳末周室 利徳(足守藩木下利徽養子) 10代・高兌(たかさわ) 高嶷の子 母は某氏 生没・天明元年(1781)~文政7年(1824) 家督・伊勢久居藩12代藩主となるも、文化3年(1806)本家相続 藩財政再建に取り組み、中興の名君と称される 従四位下和泉守 正室・摂津高槻藩永井直進の娘 子女・11代高猷 久昭(豊後岡藩中川久教養子) 11代・高猷(たかゆき) 高兌の子 母は某氏 生没・文化10年(1813)~明治28年(1895) 家督・文政8年(1825)相続 幕末、日和見を決めるも鳥羽・伏見で薩長に加担する、明治2年賞典禄2万石が下賜され、さらに同年箱館の戦功で3年間3000石が給される 正二位和泉守 正室・9代高嶷の子高允の娘 子女・高潔 長知(福岡藩黒田長溥養子) 安斐(竜野藩脇坂安宅養子)
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