邪馬台国と大和朝廷
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邪馬台国と大和朝廷を推理する) もどる つぎへ 目次2へ (Ⅱ 古暦の巻 なれそめし おとことおとめ わかばもえ) (六章 邪馬台国の年代論 19・20・21・22) 22 神話の初め 古事記 高句麗王家と天皇家の家系がつながることになると、日本神話はその書き出しの部分から、すでに歴史との接点を持ってい ることがわかります。『古事記』の神話は別天つ神(ことあまつかみ)五柱(いつはしら)から始まりますが、この五人の神は、 宮(神武天皇)以前の五人の高句麗王に対応します。 五人の神は、さらに三人の神と二人の神にグループ分けされています。これは、高句麗王の初めの三代が直系相続なのに対 して、4代王は兄弟相続で、5代王はオジ・オイ相続であることに対応します。ここには直系相続を尊重する中国思想が表れ ています。 ◯別天つ神五柱(古事記) 独神(ひとりがみ)三柱 ①天御中主(あめのみなかぬし)神 ②高御産巣日(たかみむすび)神 ③神産巣日(かみむすび)神 独神(ひとりがみ)二柱 ④宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)神 ⑤天之常立(あめのとこたち)神 図表35 別天つ神五柱と本来の神世七代Ⅰ(高句麗王の時代) (別天つ神五柱) 1東明──2瑠璃─┬─3大武神──5慕本 1東明──2瑠璃─├─4閔中 1東明──2瑠璃─└──再思 1東明──2瑠璃─└── ├─1神武───2綏靖 1東明──2瑠璃─└──女性 続く神世七代(かみよななよ)では、まず二柱の独神が登場します。この二人の神は、即位しなかった再思とその妻に対応し ます。二人は宮の両親です。しかし神話では、夫婦ではなくそれぞれ独立した神とされます。 続いて五組の夫婦神が登場します。五組目がイザナギとイザナミですから、五組の夫婦神は①神武と后、②綏靖と后、③安 寧と后、④懿徳と后、⑤孝昭と后にそれぞれ対応します。ただし、③安寧と④懿徳が夫婦であることは忘れられました。その ために、懿徳を男性と見なしています。 ◯神世七代(古事記) 独神二代 a国之常立(くにのとこたち)神 b豊雲野(とよくもの)神 夫婦神五代 ①宇比智迩(うひぢに)神 妹須比智迩(いもすひぢに)神 ②角杙(つのぐひ)神 妹活杙(いもいくぐひ)神 ③意富斗能地(おおとのぢ)神 妹大斗乃辧(いもおおとのべ)神 ④於母陀流(おもだる)神 妹阿夜訶志古泥(いもあやかしこね)神 ⑤伊邪那岐(いざなき)神 妹伊邪那美(いもいざなみ)神 図表36 神世七代 ◯神世七代 a再思 ├────①神武──┬──②綏靖 b女性───────―└──────③安寧 b女性 ───────―└────── ├────⑤孝昭 b女性 ───────―└──────④懿徳 ◯本来の神世七代Ⅱ(小国の時代) ③安寧 ├────⑤孝昭──┬──⑦孝霊 ④懿徳 ├──────└──⑥孝安────⑧開化 ④懿徳 ├──────└──⑥孝安──── ├─── ④懿徳 ├──────└──⑥孝安────⑨孝元 『古事記』の神話の書き出しは、別天つ神五柱には問題がありません。しかし、神世七代は不自然です。実質四組の夫婦を 五組に間違えたことには理解の余地がありますが、王にならなかった二人を二代と数えることには抵抗があります。本来の神 世七代は、この七代のことではないと思われます。 それでは、本来の神世七代はどんなものかというと、答えは二つあります。まず、別天つ神五柱に宮と綏靖を加えた七人の 高句麗王が、神世七代Ⅰです。そして、続く安寧天皇から孝元天皇まで小国時代の七人の王が、神世七代Ⅱとなります。別天 つ神五柱と神世七代は別の時代区分法であり、見解が違うから両立も連続もしないものと思われます。 日本書紀 『日本書紀』の書き出しは、まず天地の始まりを述べてから、いきなり神世七代に続きます。別天つ神五柱は登場しませ ん。『日本書紀』の神世七代では,まず第一段に三人の男神が登場し、第二段では四組の夫婦神が登場します。あわせて神 世七代とします。 ◯神世七代(日本書紀) 第一段・男神 ①国常立尊(くにのとこたちのみこと) ②国狭槌(くにのさつち)尊 ③豊斟渟(とよくむぬ)尊 第二段・夫婦神 ④埿土煮(うひぢに)尊 沙土煮(すひぢに)尊 ⑤大戸之道(おほとのぢ)尊 大苫辺(おほとまべ)尊 ⑥面足(おもだる)尊 惶根(かしこね)尊 ⑦伊奘諾(いざなぎ)尊 伊奘冉(いざなみ)尊 第一段に現れる三神は、『古事記』の別天つ神五柱から後半の二神が脱落したものと思われます。第一段第四の一書(別 伝)では、五神が現れたとしています。これが正しい伝承です。ただし、ここでは二神のあとに三神が登場していて、順序 を間違えています。 第一段第四の一書 ①国常立(くにのとこたち)尊 ②国狭槌(くにのさつち)尊 ③天御中主(あめのみなかぬし)尊 ④高皇産霊(たかみむすび)尊 ⑤神皇産霊(かみむすび)尊 第二段では、夫婦神が四組登場します。『古事記』で検討したように、これが正しい姿ではあります。しかし、これでは天 皇が五人いたことを確認できません。ここに問題があります。ところが第二段第二の一書では、直系で五代の神が現れたとし ます。三番目と四番目の神が夫婦であることは忘れられていますが、この五代が神武天皇から孝昭天皇までの五代に対応する ことは明らかです。これも一面では正しい伝承です。 第二段第二の一書 ①国常立(くにのとこたち)尊 ②天鏡(あまのかがみ)尊 ③天万(あめよろず)尊 ④沫蕩(あわなぎ)尊 ⑤伊奘諾(いざなぎ)尊 以上のように、『日本書紀』の書き出し部分も、基本的な構成は『古事記』とほぼ同じです。それなりに史実の反映も見ら れます。しかし、神々の脱落があるため、正しい神世七代とは思えません。 宋史日本国伝 984年に東大寺の僧の奝然(ちょうねん)が宋に渡り、『王年代記』等を中国に伝えています。その内容は、『宋史』の「日 本国伝」に紹介されています。日本神話にかかわる異伝を含む貴重な史料です。それによると、初めの主を天御中主とし、 23世のナギサに至るまでみな筑紫の日向宮に都を置いたと書かれています。23世はかなり引き伸ばしており、次のような形に 理解できます。 王年代記の系譜 対応する人物 …………………………………………………………………………… ①天御中主 (朝鮮半島) 一 東明王 ②天村雲尊 后 ③天八重雲尊 二 瑠璃王 ④天弥聞尊 后 ⑤天忍勝尊 三 大武神王 ⑥贍波尊 后 ⑦万魂尊 四 閔中王 ⑧利々魂尊 后 ⑨国狭槌尊 五 慕本王 ⑩角龔魂尊 后 ⑪汲津丹尊 六 神武天皇① ⑫面垂見尊 后 ⑬国常立尊 七 綏靖天皇② ⑭天鏡尊 后 ⑮天万尊 八 安寧天皇③ ⑯沫名杵尊 懿徳天皇④ …………………………………………………………………………… ⑰伊奘諾尊 (高天原・日向) 一 孝昭天皇⑤ ⑱素戔烏尊 二 孝安天皇⑥ ⑲天照大神尊 孝霊天皇⑦ 孝元天皇⑨ ⑳天押穂耳 三 開化天皇⑧ …………………………………………………………………………… 21天彦尊 (繰り返し) 一 ニニギ(孝昭天皇) 22炎尊 二 ホデミ(孝安天皇) 23彦瀲尊 三 ナギサ(開化天皇) …………………………………………………………………………… 24神武天皇以下省略(これも実は繰り返し) これを見ると、東明王から綏靖天皇までの高句麗王の七代に后を配して、14世と数えたことがわかります。これは「神世七 代」の流れを汲む時代区分法です。しかし、次の安寧天皇と懿徳天皇も夫婦であることや、朝鮮半島に都を置いたことを考え るなら、「神世八代」という区分法があってもおかしくありません。事実、今でも各地に八王子の地名や神社がありますが、 それはこのためだと思われます。 八王子の区分法を採用した人々は、おそらく女王の存在を認めなかったことでしょう。日向三代のケースと同じです。した がってこの人々は、都を移した孝昭天皇(イザナギ)に時代の画期を認め、八王子の後には日向三代が続くと考えたことでし ょう。 このように見ると、古代の人々は時代をいくつかに区分して、歴史を理解したことがわかります。ただ、時代の区分法には 見解の相違があったため、複数の区分法がありました。区分法は、少なくとも三つありました。『古事記』でも『日本書紀』 でもこのことを理解しきれずに、誤解を含んだ記述になりました。複数の区分法を一つにまとめてしまったのです。 ①.神武天皇に画期を認める。 別天つ神五柱 ⇒⇒ 神武天皇 ②.高句麗・小国・大和朝廷の時代に分ける。 神世七代Ⅰ ⇒⇒ 神世七代Ⅱ ⇒⇒ 崇神天皇 ③.朝鮮半島・九州・大和朝廷の時代に分ける。 八王子 ⇒⇒ 日向三代 ⇒⇒ 崇神天皇 三つの区分法の中では、①だけが神武天皇に画期を認めています。したがって、神武天皇以後の在位年数を伝えた人々は、 ①の区分法を取る人々だったと考えてよいでしょう。 『王年代記』は、アマテラス2世と3世を同一視するなど、基本的な構成は『古事記』や『日本書紀』と同じです。『王年 代記」のユニークなところは、イザナギに続いてスサノオを配したことです。孝安天皇はスサノオであると考えたのは、まさ にこの系譜を見たからでした。一般的には、史実とは無縁とされることの多い日本神話ですが、歴史上の定点を押さえて読む と、神話と歴史の接点が見えて史実が浮かび上がります。 神話の書き出しを、天地の分かれや生命誕生について語る世界化成神話と捉える見方もありますが、日本神話は多重神話と 見るべきでしょう。建国神話の上に、古い世界化成神話を重ねていると見たほうが良いと思います。 藤原氏の系図 天皇家の系図が復元できると、そこで得た方法を活用して、他の氏族の系譜についても理解の糸口を発見できます。例とし て、藤原氏の『尊卑分脈』を取り上げます。 藤原氏の系図を見るときのポイントは二つあります。一つは、10代アメノコヤネ(天児屋根命)の存在です。藤原氏が氏神 とする春日大社にはアメノコヤネが祭られていますから、事実上の先祖はアメノコヤネです。この神は、天孫降臨のときに皇 孫ニニギに従ったとされます。 二つ目は、21代雷(いかづち)大臣の存在です。雷大臣は仲哀朝の人物とされますから、この人物を歴史上の定点として利 用してみます。仮に一世代25年として時代をさかのぼると、アメノコヤネは1世紀終わりごろの人物となり、神武天皇の時代 と一致します。 これによって、アメノコヤネは神武天皇の時代に地位を築いたことがわかります。このことは、天孫降臨の主人公が、実は ニニギではなく神武天皇であることを再確認させます。同時に、アメノコヤネ以後の藤原氏(中臣氏)の系図は、修正しなく てもそのまま信用できることを示します。 問題はアメノコヤネ以前の系図です。こちらは信用しないほうが良さそうです。アメノコヤネ以前の系図は、『日本書紀』 が成立したあとで、日本神話とのすりあわせによって創作されたと思われるからです。 『日本書紀』の系譜では、まず神世七代があって、その7代がイザナギです。そのあとにスサノオ・オシホミミと続き、天 孫降臨のニニギは10代にあたります。 一方、『尊卑分脈』の系図では、天御中主から直系で7代が津速魂で、そのあとに市千魂、居々登魂と続き、10代が天孫降 臨のアメノコヤネになります。 ニニギとアメノコヤネが、共に10代として一致することが気に入りません。『日本書紀』の初めの部分は誤解に基づいてお り、しかも人物は重複して登場します。そのような系譜につじつまを合わせた系譜など信用すべきでないでしょう。確かなこ とは、アメノコヤネが藤原氏の遠祖であり、神武天皇の時代に地位を気づいたことなのです。 図表37 藤原氏の略系図 1天御中主──(2)──(3)──(4)──(5)──(6) ┠→ 1世紀 1天御中主 ──(2)──(3)──(4)──(5)──(6)──7津速魂──8市千魂──┐ 1天御中主 ──(2)──(3)──(4)──(5)──(6)──7津速魂──居々登魂──│ ┌─────────────────――――――――――――――――――――――――――┘ │ │─10天児屋根 ┠→ 2世紀 ──(12)──(13)──(┠→ 3世紀 └─9居々登魂──10天児屋根──(11)──(12)──(13)──(14)──(15)─┐ └─10天児屋根 ──(11)──(12)──(13)──(14)──(15)──(167)─│ ┌────────────────―――――――――――――――――――――――――――――┘ │ │─(18) ┠→ 4世紀 4世紀 ──(20)──21雷22) └─(16)──(17)──(18)──(19)──(20)──21雷大臣──(22)──┐ └─(18)──(19)──(20)──21雷大臣 ──(22)──(24)──(25)─│ ┌─――――――――――――――――――――――――――――───────────────┘ │ │┠→ 5世紀 ┠→ 6世紀 └─(23)──(24)──(25)──26黒田大連──27常盤大連──28可多能祐大連─┐ └─(18)──(19)──(20)──21雷大臣──(22(25 )│ ┌─――――――――――――――――――────────―────────────────┘ │ │┠→ 7世紀 └─29御食子──30藤原鎌足──
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邪馬台国と大和朝廷を推理する) もどる つぎへ 目次2へ (Ⅱ 古暦の巻 なれそめし おとことおとめ わかばもえ) (六章 邪馬台国の年代論 19・20・21・22) 22 神話の初め 古事記 高句麗王家と天皇家の家系がつながることになると、日本神話はその書き出しの部分から、すでに歴史との接点を持ってい ることがわかります。『古事記』の神話は別天つ神(ことあまつかみ)五柱(いつはしら)から始まりますが、この五人の神は、 宮(神武天皇)以前の五人の高句麗王に対応します。 五人の神は、さらに三人の神と二人の神にグループ分けされています。これは、高句麗王の初めの三代が直系相続なのに対 して、4代王は兄弟相続で、5代王はオジ・オイ相続であることに対応します。ここには直系相続を尊重する中国思想が表れ ています。 ◯別天つ神五柱(古事記) 独神(ひとりがみ)三柱 ①天御中主(あめのみなかぬし)神 ②高御産巣日(たかみむすび)神 ③神産巣日(かみむすび)神 独神(ひとりがみ)二柱 ④宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)神 ⑤天之常立(あめのとこたち)神 図表35 別天つ神五柱と本来の神世七代Ⅰ(高句麗王の時代) (別天つ神五柱) 1東明──2瑠璃─┬─3大武神──5慕本 1東明──2瑠璃─├─4閔中 1東明──2瑠璃─└──再思 1東明──2瑠璃─└── ├─1神武───2綏靖 1東明──2瑠璃─└──女性 続く神世七代(かみよななよ)では、まず二柱の独神が登場します。この二人の神は、即位しなかった再思とその妻に対応し ます。二人は宮の両親です。しかし神話では、夫婦ではなくそれぞれ独立した神とされます。 続いて五組の夫婦神が登場します。五組目がイザナギとイザナミですから、五組の夫婦神は①神武と后、②綏靖と后、③安 寧と后、④懿徳と后、⑤孝昭と后にそれぞれ対応します。ただし、③安寧と④懿徳が夫婦であることは忘れられました。その ために、懿徳を男性と見なしています。 ◯神世七代(古事記) 独神二代 a国之常立(くにのとこたち)神 b豊雲野(とよくもの)神 夫婦神五代 ①宇比智迩(うひぢに)神 妹須比智迩(いもすひぢに)神 ②角杙(つのぐひ)神 妹活杙(いもいくぐひ)神 ③意富斗能地(おおとのぢ)神 妹大斗乃辧(いもおおとのべ)神 ④於母陀流(おもだる)神 妹阿夜訶志古泥(いもあやかしこね)神 ⑤伊邪那岐(いざなき)神 妹伊邪那美(いもいざなみ)神 図表36 神世七代 ◯神世七代 a再思 ├────①神武──┬──②綏靖 b女性───────―└──────③安寧 b女性 ───────―└────── ├────⑤孝昭 b女性 ───────―└──────④懿徳 ◯本来の神世七代Ⅱ(小国の時代) ③安寧 ├────⑤孝昭──┬──⑦孝霊 ④懿徳 ├──────└──⑥孝安────⑧開化 ④懿徳 ├──────└──⑥孝安──── ├─── ④懿徳 ├──────└──⑥孝安────⑨孝元 『古事記』の神話の書き出しは、別天つ神五柱には問題がありません。しかし、神世七代は不自然です。実質四組の夫婦を 五組に間違えたことには理解の余地がありますが、王にならなかった二人を二代と数えることには抵抗があります。本来の神 世七代は、この七代のことではないと思われます。 それでは、本来の神世七代はどんなものかというと、答えは二つあります。まず、別天つ神五柱に宮と綏靖を加えた七人の 高句麗王が、神世七代Ⅰです。そして、続く安寧天皇から孝元天皇まで小国時代の七人の王が、神世七代Ⅱとなります。別天 つ神五柱と神世七代は別の時代区分法であり、見解が違うから両立も連続もしないものと思われます。 日本書紀 『日本書紀』の書き出しは、まず天地の始まりを述べてから、いきなり神世七代に続きます。別天つ神五柱は登場しませ ん。『日本書紀』の神世七代では,まず第一段に三人の男神が登場し、第二段では四組の夫婦神が登場します。あわせて神 世七代とします。 ◯神世七代(日本書紀) 第一段・男神 ①国常立尊(くにのとこたちのみこと) ②国狭槌(くにのさつち)尊 ③豊斟渟(とよくむぬ)尊 第二段・夫婦神 ④埿土煮(うひぢに)尊 沙土煮(すひぢに)尊 ⑤大戸之道(おほとのぢ)尊 大苫辺(おほとまべ)尊 ⑥面足(おもだる)尊 惶根(かしこね)尊 ⑦伊奘諾(いざなぎ)尊 伊奘冉(いざなみ)尊 第一段に現れる三神は、『古事記』の別天つ神五柱から後半の二神が脱落したものと思われます。第一段第四の一書(別 伝)では、五神が現れたとしています。これが正しい伝承です。ただし、ここでは二神のあとに三神が登場していて、順序 を間違えています。 第一段第四の一書 ①国常立(くにのとこたち)尊 ②国狭槌(くにのさつち)尊 ③天御中主(あめのみなかぬし)尊 ④高皇産霊(たかみむすび)尊 ⑤神皇産霊(かみむすび)尊 第二段では、夫婦神が四組登場します。『古事記』で検討したように、これが正しい姿ではあります。しかし、これでは天 皇が五人いたことを確認できません。ここに問題があります。ところが第二段第二の一書では、直系で五代の神が現れたとし ます。三番目と四番目の神が夫婦であることは忘れられていますが、この五代が神武天皇から孝昭天皇までの五代に対応する ことは明らかです。これも一面では正しい伝承です。 第二段第二の一書 ①国常立(くにのとこたち)尊 ②天鏡(あまのかがみ)尊 ③天万(あめよろず)尊 ④沫蕩(あわなぎ)尊 ⑤伊奘諾(いざなぎ)尊 以上のように、『日本書紀』の書き出し部分も、基本的な構成は『古事記』とほぼ同じです。それなりに史実の反映も見ら れます。しかし、神々の脱落があるため、正しい神世七代とは思えません。 宋史日本国伝 984年に東大寺の僧の奝然(ちょうねん)が宋に渡り、『王年代記』等を中国に伝えています。その内容は、『宋史』の「日 本国伝」に紹介されています。日本神話にかかわる異伝を含む貴重な史料です。それによると、初めの主を天御中主とし、 23世のナギサに至るまでみな筑紫の日向宮に都を置いたと書かれています。23世はかなり引き伸ばしており、次のような形に 理解できます。 王年代記の系譜 対応する人物 …………………………………………………………………………… ①天御中主 (朝鮮半島) 一 東明王 ②天村雲尊 后 ③天八重雲尊 二 瑠璃王 ④天弥聞尊 后 ⑤天忍勝尊 三 大武神王 ⑥贍波尊 后 ⑦万魂尊 四 閔中王 ⑧利々魂尊 后 ⑨国狭槌尊 五 慕本王 ⑩角龔魂尊 后 ⑪汲津丹尊 六 神武天皇① ⑫面垂見尊 后 ⑬国常立尊 七 綏靖天皇② ⑭天鏡尊 后 ⑮天万尊 八 安寧天皇③ ⑯沫名杵尊 懿徳天皇④ …………………………………………………………………………… ⑰伊奘諾尊 (高天原・日向) 一 孝昭天皇⑤ ⑱素戔烏尊 二 孝安天皇⑥ ⑲天照大神尊 孝霊天皇⑦ 孝元天皇⑨ ⑳天押穂耳 三 開化天皇⑧ …………………………………………………………………………… 21天彦尊 (繰り返し) 一 ニニギ(孝昭天皇) 22炎尊 二 ホデミ(孝安天皇) 23彦瀲尊 三 ナギサ(開化天皇) …………………………………………………………………………… 24神武天皇以下省略(これも実は繰り返し) これを見ると、東明王から綏靖天皇までの高句麗王の七代に后を配して、14世と数えたことがわかります。これは「神世七 代」の流れを汲む時代区分法です。しかし、次の安寧天皇と懿徳天皇も夫婦であることや、朝鮮半島に都を置いたことを考え るなら、「神世八代」という区分法があってもおかしくありません。事実、今でも各地に八王子の地名や神社がありますが、 それはこのためだと思われます。 八王子の区分法を採用した人々は、おそらく女王の存在を認めなかったことでしょう。日向三代のケースと同じです。した がってこの人々は、都を移した孝昭天皇(イザナギ)に時代の画期を認め、八王子の後には日向三代が続くと考えたことでし ょう。 このように見ると、古代の人々は時代をいくつかに区分して、歴史を理解したことがわかります。ただ、時代の区分法には 見解の相違があったため、複数の区分法がありました。区分法は、少なくとも三つありました。『古事記』でも『日本書紀』 でもこのことを理解しきれずに、誤解を含んだ記述になりました。複数の区分法を一つにまとめてしまったのです。 ①.神武天皇に画期を認める。 別天つ神五柱 ⇒⇒ 神武天皇 ②.高句麗・小国・大和朝廷の時代に分ける。 神世七代Ⅰ ⇒⇒ 神世七代Ⅱ ⇒⇒ 崇神天皇 ③.朝鮮半島・九州・大和朝廷の時代に分ける。 八王子 ⇒⇒ 日向三代 ⇒⇒ 崇神天皇 三つの区分法の中では、①だけが神武天皇に画期を認めています。したがって、神武天皇以後の在位年数を伝えた人々は、 ①の区分法を取る人々だったと考えてよいでしょう。 『王年代記』は、アマテラス2世と3世を同一視するなど、基本的な構成は『古事記』や『日本書紀』と同じです。『王年 代記」のユニークなところは、イザナギに続いてスサノオを配したことです。孝安天皇はスサノオであると考えたのは、まさ にこの系譜を見たからでした。一般的には、史実とは無縁とされることの多い日本神話ですが、歴史上の定点を押さえて読む と、神話と歴史の接点が見えて史実が浮かび上がります。 神話の書き出しを、天地の分かれや生命誕生について語る世界化成神話と捉える見方もありますが、日本神話は多重神話と 見るべきでしょう。建国神話の上に、古い世界化成神話を重ねていると見たほうが良いと思います。 藤原氏の系図 天皇家の系図が復元できると、そこで得た方法を活用して、他の氏族の系譜についても理解の糸口を発見できます。例とし て、藤原氏の『尊卑分脈』を取り上げます。 藤原氏の系図を見るときのポイントは二つあります。一つは、10代アメノコヤネ(天児屋根命)の存在です。藤原氏が氏神 とする春日大社にはアメノコヤネが祭られていますから、事実上の先祖はアメノコヤネです。この神は、天孫降臨のときに皇 孫ニニギに従ったとされます。 二つ目は、21代雷(いかづち)大臣の存在です。雷大臣は仲哀朝の人物とされますから、この人物を歴史上の定点として利 用してみます。仮に一世代25年として時代をさかのぼると、アメノコヤネは1世紀終わりごろの人物となり、神武天皇の時代 と一致します。 これによって、アメノコヤネは神武天皇の時代に地位を築いたことがわかります。このことは、天孫降臨の主人公が、実は ニニギではなく神武天皇であることを再確認させます。同時に、アメノコヤネ以後の藤原氏(中臣氏)の系図は、修正しなく てもそのまま信用できることを示します。 問題はアメノコヤネ以前の系図です。こちらは信用しないほうが良さそうです。アメノコヤネ以前の系図は、『日本書紀』 が成立したあとで、日本神話とのすりあわせによって創作されたと思われるからです。 『日本書紀』の系譜では、まず神世七代があって、その7代がイザナギです。そのあとにスサノオ・オシホミミと続き、天 孫降臨のニニギは10代にあたります。 一方、『尊卑分脈』の系図では、天御中主から直系で7代が津速魂で、そのあとに市千魂、居々登魂と続き、10代が天孫降 臨のアメノコヤネになります。 ニニギとアメノコヤネが、共に10代として一致することが気に入りません。『日本書紀』の初めの部分は誤解に基づいてお り、しかも人物は重複して登場します。そのような系譜につじつまを合わせた系譜など信用すべきでないでしょう。確かなこ とは、アメノコヤネが藤原氏の遠祖であり、神武天皇の時代に地位を気づいたことなのです。 図表37 藤原氏の略系図 1天御中主──(2)──(3)──(4)──(5)──(6) ┠→ 1世紀 1天御中主 ──(2)──(3)──(4)──(5)──(6)──7津速魂──8市千魂──┐ 1天御中主 ──(2)──(3)──(4)──(5)──(6)──7津速魂──居々登魂──│ ┌─────────────────――――――――――――――――――――――――――┘ │ │─10天児屋根 ┠→ 2世紀 ──(12)──(13)──(┠→ 3世紀 └─9居々登魂──10天児屋根──(11)──(12)──(13)──(14)──(15)─┐ └─10天児屋根 ──(11)──(12)──(13)──(14)──(15)──(167)─│ ┌────────────────―――――――――――――――――――――――――――――┘ │ │─(18) ┠→ 4世紀 4世紀 ──(20)──21雷22) └─(16)──(17)──(18)──(19)──(20)──21雷大臣──(22)──┐ └─(18)──(19)──(20)──21雷大臣 ──(22)──(24)──(25)─│ ┌─――――――――――――――――――――――――――――───────────────┘ │ │┠→ 5世紀 ┠→ 6世紀 └─(23)──(24)──(25)──26黒田大連──27常盤大連──28可多能祐大連─┐ └─(18)──(19)──(20)──21雷大臣──(22(25 )│ ┌─――――――――――――――――――────────―────────────────┘ │ │┠→ 7世紀 └─29御食子──30藤原鎌足──
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