「魏志韓伝」解説
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「魏志韓伝」解説 ...
一、魏志韓伝(馬韓)
二、辰韓伝
三、弁辰伝
四、魏志以前の朝鮮半島の歴史
一、魏志韓伝(馬韓)
できるだけ原文に近い文字を使用するよう心がけていますが...
韓在帯方之南東西以海為限南與倭接方可四千里有三種一曰馬韓...
「韓は帯方郡の南にある。東西は海をもって限りとなし、南は...
韓の東西は海ですが、南に海はなかった。倭と接すですから...
韓は総称で、その中に馬韓、辰韓、弁韓(弁辰)という三種...
真番は、燕に接していたといいますし、燕の南は朝鮮ですか...
馬韓在西其民土著種植知蠺桑作緜布
「馬韓は西に在る。その民は土着し、種をまき植える。蚕、桑...
大もとの民族は東胡(アルタイ系言語)につながる遊牧、あ...
各有長帥大者自名爲臣智其次為邑借散在山海間無城郭
「それぞれ指導者がいて、勢力の大きいものは自ら名乗って臣...
有爰襄國牟水國桑外國小石索國大石索國優休牟涿國臣濆沽國伯...
「爰襄(ヱンシャウ)国、牟水(ボウスヰ)国、桑外(サウグ...
魏は北方の国なので、その記録である魏志に記された文字は...
伯済国が後の百済(クダラ)の前身。卑彌国、不彌国は倭人...
大國萬餘家小國数千家揔十餘萬戸辰王治月支國
「大国は万余戸があり、小国は数千戸。全部で十余万戸。辰王...
辰韓伝には、辰韓は馬韓人の辰王に属していることが記され...
臣智或加優呼臣雲遣支報安邪踧支濆臣離兒不例拘邪秦支廉之號...
「(大指導者の)臣智は、優呼臣雲遣支報安邪踧支濆臣離兒不...
率善邑君以下の魏の官位が授けられていました。王は存在せ...
侯淮既僣號稱王爲燕亡人衛満所攻奪将其左右宮人走入海居韓地...
「(朝鮮)侯の(箕)淮は勝手に王を称していたが、燕からの...
馬韓の箕氏を滅ぼしたのは魏の楽浪、帯方二郡で、魏志三少...
韓王、箕氏の滅亡後もそれを懐かしむ支持者が残っていたよ...
燕人、衛満が箕氏から国を奪い、建てた衛氏朝鮮は漢の武帝...
桓霊之末韓濊彊盛郡縣不能制民多流入韓國建安中公孫康分屯有...
「桓帝の末と霊帝の末には韓、濊が強勢になり、郡や県は制御...
「桓霊の末」は桓帝の末と霊帝の末を合わせた表現で、霊帝...
公孫氏は領土を拡張したわけではなく、楽浪郡を分割して新...
魏、明帝の景初二年(238)六月、卑弥呼の使者、難升米が帯...
景初中明帝密遣帯方太守劉昕楽浪太守鮮于嗣越海定二郡
「景初中に、明帝は密かに帯方太守、劉昕と楽浪太守、鮮于嗣...
派遣前から帯方太守、楽浪太守に予定されていたと思われま...
東夷伝の冒頭にダイジェスト的な記述があり、「公孫淵は父...
公孫淵を誅してから潜軍を派遣したように受け取れますが、...
諸韓国臣智加賜邑君印綬其次與邑長
「諸韓国の臣智には邑君印綬を加えて賜い、それに次ぐものに...
先に記されていた魏率善邑君、帰義侯、中郎将、都尉、伯長...
其俗好衣幘下戸詣郡朝謁皆假衣幘自服印綬衣幘千有餘人
「その風俗では、衣幘(礼服と頭巾)を好む。下戸が郡を訪れ...
下戸は自分で用意する財力が無く、帯方郡から衣幘を借用し...
部従事呉林以楽浪本統韓國分割辰韓八國以與楽浪吏譯轉有異同...
「部従事の呉林は楽浪が元は韓国を統御していたという理由で...
漢代には楽浪に朝謁していたという記録に基づいたのでしょ...
戦死した弓遵の後任には、玄菟太守、王頎が転任しました。...
其俗少綱紀國邑雖有主帥邑落雑居不能善相制御無跪拜之禮居所...
「その風俗は、規律が少なく、国邑(首都的集落)に統治者が...
韓王家の箕氏が滅ぼされて、五十余国ある馬韓をまとめる存...
家が墓の土盛に似ているというのですから、草屋根はなだら...
戸が上にあるというのは日本の家屋紋鏡に見られるような跳...
家族全部がそろって暮らし、倭人伝の「男の子供は父母と別...
以瓔珠爲財寶或以綴衣為飾或以縣頸垂耳不以金銀錦繍為珍
「玉に似た石や真珠(パール)を財宝となし、衣に縫い付けて...
夫餘や高句麗、濊という北方の国は金や銀で飾りますが、馬...
其人性彊勇魁頭露紒如炅兵衣布袍足履革蹻蹋
「馬韓人の性格は強く勇敢である。魁頭で、何もかぶらず髷を...
魁頭、炅兵、蹻蹋をはっきり説明できる人はいないようです...
其國中有所為及官家使築城郭諸年少勇健者皆鑿背皮以大縄貫之...
「その国中の公共事業や官家が城郭を築かせるとき、もろもろ...
解釈のむずかしいところです。背中の皮に穴をあけて大縄を...
以五月下種訖祭鬼神群聚歌舞飲酒晝夜無休其舞数十人倶起相随...
「五月に種まきが終わると鬼神を祭る。群衆は歌って舞い、酒...
舞いは「盆踊り」を連想させます。そして、その起源を遡れ...
倭人伝の裴松之注には魏略曰くとして「その習俗では正月や...
信鬼神國邑各立一人主祭天神名之天君又諸國各有別邑名之為蘇...
「鬼神を信じ、主邑では、それぞれ一人を立てて天神の祭りを...
鬼神を祭る集落があって、その領域内は神域で、世俗は通じ...
囚人や奴隷の集まり同様と記されていますが、王家の滅亡で...
無他珍寶禽獣草木略與中國同出大栗大如梨又出細尾雞其尾皆長...
「珍宝といえるようなものはない。鳥や獣、草木はだいたい中...
馬韓の動植物は中国とたいして変わりがなかった。したがっ...
中国各地から朝鮮半島に移住しています。文身という風俗を...
又有州胡在馬韓之西海中大島上其人差短小言語不與韓同皆髠頭...
「また、州胡がいて、馬韓の西海中の大島の上にいる。その人...
実際の位置は馬韓の南南西になりますが、済州島を語ったも...
耽羅(タンラ)と呼ばれたこの島が、徐福の漂着した亶洲(...
二、辰韓伝
辰韓在馬韓之東其耆老傳世自言古之亡人避秦役來適韓國馬韓割...
「辰韓は馬韓の東にある。その古老は、代々伝えて、自ら次の...
有城柵其言語不與馬韓同名國為邦弓為弧賊為寇行酒為行觴相呼...
「城柵がある。その言語は馬韓と同じではない。国(コク)を...
倭人伝と同じく城柵と書いてあります。重要建築物が木の柵...
始有六國稍分為十二國弁辰亦十二國又有小別邑各有渠帥大者名...
「始めは六国あり、じょじょに分かれて十二国になった。弁辰...
馬韓は王家が滅亡して存在しませんが、辰韓も馬韓の辰王に...
青字にした「弁辰亦十二国」という記述は、辰韓伝のついで...
有巳柢國不斯國弁辰彌離彌凍國弁辰接塗國勤耆國難彌離弥凍國...
「1巳柢(シテイ)国、2不斯(フウシ)国、1弁辰弥離弥凍...
弁辰と辰韓、あわせて二十四国。大国は四、五千家。小国は...
あわせて二十四国と書いてありますが、二十六国記されてい...
辰韓、弁辰は馬韓の西に雑居しているので、国名も入れ混ぜ...
(馬)韓伝では「辰王は月支国に治す。」となっていました...
土地肥美冝種五穀及稲暁蠶桑作縑布乗駕牛馬
「土地はよく肥えて五穀や稲を種まくのに適している。養蚕を...
五穀や稲を栽培していたということでもあります。縑(カト...
日本では、神功皇后記に、「新羅国は御馬甘(うまかい)と...
嫁娶禮俗男女有別以大鳥羽送死其意欲使死者飛揚
「婚姻や礼儀、風俗に男女の区別がある。大鳥の羽を使って死...
死者の魂が天に昇るというのは北方系の発想で、南方では地...
アルタイ系言語の北方系民族と、苗系言語の南方系民族、中...
國出鐵韓濊倭皆従取之諸市買皆用鐵如中国用銭又以供給二郡
「国には鉄が出て、韓、濊、倭がみな、従ってこれを取ってい...
「従って鉄を取る」というのは、やはり辰韓の許可を得てと...
俗喜歌舞飲酒有瑟其形似筑彈之亦有音曲
「その風俗では、歌舞や飲酒を喜ぶ。瑟があり、その形は筑(...
瑟は大型の琴で弦の数が多いといいますから、小型で弦数の...
兒生便以石厭其頭欲其褊今辰韓人皆褊頭男女近倭亦文便歩戰兵...
「子が生まれると石でその頭を押さえ、頭を狭くしようとする...
石で頭頂部を押さえるのか、後頭部を押さえるのか。石枕を...
三、弁辰伝
弁辰與辰韓雑居亦有城郭衣服居處與辰韓同言語法俗相似祠祭鬼...
「弁辰は辰韓と雑居する。城郭がある。衣服や住居は辰韓と同...
弁辰と辰韓は馬韓の東で雑居していました。国境を明確に定...
其瀆盧国與倭接界十二國亦有王其人形皆大衣服絜清長髪亦作廣...
「その(弁辰の)瀆盧国は倭と界を接している。十二国には王...
馬韓にも辰韓にも王はおらず、臣智という地位が最高だった...
先に書いたように、正始七年、辰韓八国を楽浪に編入しよう...
弁辰人は大柄で長髪だから、辰韓とは明らかに民族が異なっ...
四、魏志以前の朝鮮半島の歴史
中国で殷(商)が滅び、周が成立(前1066)したあと、殷の...
魏志韓伝の裴松之注には、魏略曰くとして、「昔、箕氏の後...
周が衰え、燕が王を自称した昔とは、前323年の易王の時...
この頃、燕の北方には東胡という遊牧民族が展開していまし...
「魏志倭人伝から見える日本」で明らかにしたように、自ら...
二人は父の古公が病気になった時、衡山に薬草を採りに行く...
これが漢書地理志にある楽浪海中の倭人、日本人と混同され...
「論衡」は前漢の平帝、元始元年に越常(ベトナム)が白雉...
太伯からずっと時代が下って、春秋末のことになりますが、...
倭人(呉人)がなぜ遼西周辺にいたのか? 三国史記、高句...
燕の秦開は朝鮮を攻めてその二千余里を取り、満潘汗を境界...
春秋末(B.C473)に国が滅び、呉人の一部は朝鮮半島に渡り...
魏志韓伝の裴松之注には魏略曰くとして、「秦は天下を併せ...
「房県の房山に、毛むくじゃらの毛人というのが住んでいて...
毛人は文字どおり毛むくじゃらの妖怪にされてしまいました...
宋書倭国伝に、「東に毛人五十五国を征し」という倭王武の...
始皇帝死後(前210)の混乱に乗じ、遼東に大量動員された楚...
(B.C222)秦が燕の遼東を攻め、燕を滅ぼす。楚、越も滅ぼす...
秦は遼東の外側まで領有した。(史記、朝鮮列伝)
(B.C221)秦が斉を滅ぼし中国統一(史記、秦始皇本紀)
(B.C213)始皇帝が長城を築かせる(史記、秦始皇本紀)
秦は天下を併せ、蒙恬をして長城を築かしめ遼東...
朝鮮王(箕)否が立ち、秦の侵略を恐れ服属した...
死に、その子の準が立った。(魏志韓伝、裴松之...
(B.C210)始皇帝死亡(史記、秦始皇本紀)
陳渉や項羽が決起し、天下が乱れ、燕、斉、趙の...
に逃げてきた。朝鮮王準はこの人々を西方に居住...
(魏志韓伝、裴松之...
(B.C207)秦滅亡(史記、秦始皇本紀)
( ? )長城建設のため、遼東半島に強制移住させられた楚...
する。
( ? )遼東半島東方に逃れた楚人は濊(カイ)を建国
山海経、海内北経には「葢国は巨燕の南、倭の北にあり。倭...
(B.C202)漢が興る。漢は盧綰を燕王と為し、朝鮮と燕は浿水...
(魏志...
( ? )濊は、漢初期に濊王の印を授けられる。(推定)
朝鮮民族の祖、檀君は太伯山(妙香山)に降った天帝の子が...
夫餘は祖先が授けられたという「濊王之印」を持つ(魏志夫...
(B.C195)衛氏朝鮮の建国
燕王、盧綰が漢に叛き匈奴へ逃亡。燕人衛満は椎...
り朝鮮に亡命した。朝鮮王、準のところへ行き、...
収め朝鮮をまもる垣根にすることを求め説得した...
に任じ、百里の土地を与えて、西辺を守るよう命...
増えてくると人を遣り、詐って、漢兵が十道から...
入りたいと告げた。遂に都に還って準を攻めた。...
なかった。(魏志韓伝、裴松之注の魏略逸文)
(B.C195)韓の建国
朝鮮王準は左右の宮人を引き連れ、走って海に入...
した。(魏志韓伝)
漢初期、朝鮮王の(箕)準は燕人、衛満に敗れ、南方に逃れ...
遼東から朝鮮に逃れていた楚人、越人が韓に移動した。韓は...
衛満は王険(浿水の東、史記索隠注。平壌)に都を置いた。...
元朔元年(B.C127)匈奴が遼西に入って太守を殺し、漁陽、雁...
人を殺したり掠ったりした。将軍、衛青を...
李息は代から出て、首を取ったり虜にした...
二十八万人が降服し蒼海郡と為した。(漢...
元朔三年(B.C129)蒼海郡を廃止した。
匈奴と濊(薉)が連係していたのかどうか、漢は遼西、遼東...
朝鮮王の右渠が朝見したことはなかったし、真番や辰国が天...
このころ辰国(辰韓)がすでに存在していたことになります...
元封二年(B.C109)武帝が朝鮮を攻める。
元封三年(B.C108)衛氏朝鮮が滅び、真番、臨屯、楽浪、玄菟...
武帝の東方進出(元朔年間または元封年間)に押され、武帝...
夫餘王の名に解夫婁、解慕漱があり、夫餘から分かれた高句...
夫餘の古老は、「古の亡人(昔、逃がれてきた人間)」だと...
この記述にある「国」を夫餘と解せば、国内を移動しただけ...
「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国を為す。歳時を以って...
楽浪郡成立後なので、武帝以降のことです。日本に居住して...
漢の昭帝の始元五年(B.C81年)臨屯、真番郡を廃止し、楽浪...
後、時期不明ですが、楽浪郡東部の単単大山領以西は楽浪郡...
前漢末期に朱蒙が夫餘から逃れ、高句麗を建国。朱蒙(鄒牟...
裴松之の記す魏略逸文(魏志夫餘伝注)は、夫餘が北夷の高...
光武帝時代に高句麗が朝貢しており、その始祖伝承が後漢に...
高句麗二代目、瑠璃明王(類利)の異母弟、温祚が馬韓に入...
この国名は馬韓五十国の一つ、伯済国として魏志韓伝に現れ...
(新の)王莽は、高句麗兵を徴発し胡を攻めようとしたが、...
三国史記、高句麗本紀はこれを否定し、殺されたのは将軍だ...
王莽の地皇年間(20~23)のことですが、辰韓に誘拐された...
王莽からのち、光武帝が後漢を建国するまで、辺境は乱れ、...
後漢の光武六年、辺郡が省かれて、東部都尉は廃止され、土...
高句麗本紀、
大武神王十五年(A.D32)使を派遣して漢に入り朝貢。光武帝は...
活させた。建武八年のことである。
二十年(A.D37)王は楽浪(崔氏)を襲いこれを滅ぼし...
二十七年(A.D44)漢光武帝は兵を派遣し、海を渡り、...
県と為した。薩水(清川江)以南が...
辰韓人は秦の労役を逃れて馬韓に入ったとき、馬韓が東の土...
弁辰も同じ経路で、時を同じくして移動していたと思われ、...
魏、蜀、呉、三国時代の版図は大ざっぱですが右図のように...
東亜古代史研究所
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一、魏志韓伝(馬韓)
二、辰韓伝
三、弁辰伝
四、魏志以前の朝鮮半島の歴史
一、魏志韓伝(馬韓)
できるだけ原文に近い文字を使用するよう心がけていますが...
韓在帯方之南東西以海為限南與倭接方可四千里有三種一曰馬韓...
「韓は帯方郡の南にある。東西は海をもって限りとなし、南は...
韓の東西は海ですが、南に海はなかった。倭と接すですから...
韓は総称で、その中に馬韓、辰韓、弁韓(弁辰)という三種...
真番は、燕に接していたといいますし、燕の南は朝鮮ですか...
馬韓在西其民土著種植知蠺桑作緜布
「馬韓は西に在る。その民は土着し、種をまき植える。蚕、桑...
大もとの民族は東胡(アルタイ系言語)につながる遊牧、あ...
各有長帥大者自名爲臣智其次為邑借散在山海間無城郭
「それぞれ指導者がいて、勢力の大きいものは自ら名乗って臣...
有爰襄國牟水國桑外國小石索國大石索國優休牟涿國臣濆沽國伯...
「爰襄(ヱンシャウ)国、牟水(ボウスヰ)国、桑外(サウグ...
魏は北方の国なので、その記録である魏志に記された文字は...
伯済国が後の百済(クダラ)の前身。卑彌国、不彌国は倭人...
大國萬餘家小國数千家揔十餘萬戸辰王治月支國
「大国は万余戸があり、小国は数千戸。全部で十余万戸。辰王...
辰韓伝には、辰韓は馬韓人の辰王に属していることが記され...
臣智或加優呼臣雲遣支報安邪踧支濆臣離兒不例拘邪秦支廉之號...
「(大指導者の)臣智は、優呼臣雲遣支報安邪踧支濆臣離兒不...
率善邑君以下の魏の官位が授けられていました。王は存在せ...
侯淮既僣號稱王爲燕亡人衛満所攻奪将其左右宮人走入海居韓地...
「(朝鮮)侯の(箕)淮は勝手に王を称していたが、燕からの...
馬韓の箕氏を滅ぼしたのは魏の楽浪、帯方二郡で、魏志三少...
韓王、箕氏の滅亡後もそれを懐かしむ支持者が残っていたよ...
燕人、衛満が箕氏から国を奪い、建てた衛氏朝鮮は漢の武帝...
桓霊之末韓濊彊盛郡縣不能制民多流入韓國建安中公孫康分屯有...
「桓帝の末と霊帝の末には韓、濊が強勢になり、郡や県は制御...
「桓霊の末」は桓帝の末と霊帝の末を合わせた表現で、霊帝...
公孫氏は領土を拡張したわけではなく、楽浪郡を分割して新...
魏、明帝の景初二年(238)六月、卑弥呼の使者、難升米が帯...
景初中明帝密遣帯方太守劉昕楽浪太守鮮于嗣越海定二郡
「景初中に、明帝は密かに帯方太守、劉昕と楽浪太守、鮮于嗣...
派遣前から帯方太守、楽浪太守に予定されていたと思われま...
東夷伝の冒頭にダイジェスト的な記述があり、「公孫淵は父...
公孫淵を誅してから潜軍を派遣したように受け取れますが、...
諸韓国臣智加賜邑君印綬其次與邑長
「諸韓国の臣智には邑君印綬を加えて賜い、それに次ぐものに...
先に記されていた魏率善邑君、帰義侯、中郎将、都尉、伯長...
其俗好衣幘下戸詣郡朝謁皆假衣幘自服印綬衣幘千有餘人
「その風俗では、衣幘(礼服と頭巾)を好む。下戸が郡を訪れ...
下戸は自分で用意する財力が無く、帯方郡から衣幘を借用し...
部従事呉林以楽浪本統韓國分割辰韓八國以與楽浪吏譯轉有異同...
「部従事の呉林は楽浪が元は韓国を統御していたという理由で...
漢代には楽浪に朝謁していたという記録に基づいたのでしょ...
戦死した弓遵の後任には、玄菟太守、王頎が転任しました。...
其俗少綱紀國邑雖有主帥邑落雑居不能善相制御無跪拜之禮居所...
「その風俗は、規律が少なく、国邑(首都的集落)に統治者が...
韓王家の箕氏が滅ぼされて、五十余国ある馬韓をまとめる存...
家が墓の土盛に似ているというのですから、草屋根はなだら...
戸が上にあるというのは日本の家屋紋鏡に見られるような跳...
家族全部がそろって暮らし、倭人伝の「男の子供は父母と別...
以瓔珠爲財寶或以綴衣為飾或以縣頸垂耳不以金銀錦繍為珍
「玉に似た石や真珠(パール)を財宝となし、衣に縫い付けて...
夫餘や高句麗、濊という北方の国は金や銀で飾りますが、馬...
其人性彊勇魁頭露紒如炅兵衣布袍足履革蹻蹋
「馬韓人の性格は強く勇敢である。魁頭で、何もかぶらず髷を...
魁頭、炅兵、蹻蹋をはっきり説明できる人はいないようです...
其國中有所為及官家使築城郭諸年少勇健者皆鑿背皮以大縄貫之...
「その国中の公共事業や官家が城郭を築かせるとき、もろもろ...
解釈のむずかしいところです。背中の皮に穴をあけて大縄を...
以五月下種訖祭鬼神群聚歌舞飲酒晝夜無休其舞数十人倶起相随...
「五月に種まきが終わると鬼神を祭る。群衆は歌って舞い、酒...
舞いは「盆踊り」を連想させます。そして、その起源を遡れ...
倭人伝の裴松之注には魏略曰くとして「その習俗では正月や...
信鬼神國邑各立一人主祭天神名之天君又諸國各有別邑名之為蘇...
「鬼神を信じ、主邑では、それぞれ一人を立てて天神の祭りを...
鬼神を祭る集落があって、その領域内は神域で、世俗は通じ...
囚人や奴隷の集まり同様と記されていますが、王家の滅亡で...
無他珍寶禽獣草木略與中國同出大栗大如梨又出細尾雞其尾皆長...
「珍宝といえるようなものはない。鳥や獣、草木はだいたい中...
馬韓の動植物は中国とたいして変わりがなかった。したがっ...
中国各地から朝鮮半島に移住しています。文身という風俗を...
又有州胡在馬韓之西海中大島上其人差短小言語不與韓同皆髠頭...
「また、州胡がいて、馬韓の西海中の大島の上にいる。その人...
実際の位置は馬韓の南南西になりますが、済州島を語ったも...
耽羅(タンラ)と呼ばれたこの島が、徐福の漂着した亶洲(...
二、辰韓伝
辰韓在馬韓之東其耆老傳世自言古之亡人避秦役來適韓國馬韓割...
「辰韓は馬韓の東にある。その古老は、代々伝えて、自ら次の...
有城柵其言語不與馬韓同名國為邦弓為弧賊為寇行酒為行觴相呼...
「城柵がある。その言語は馬韓と同じではない。国(コク)を...
倭人伝と同じく城柵と書いてあります。重要建築物が木の柵...
始有六國稍分為十二國弁辰亦十二國又有小別邑各有渠帥大者名...
「始めは六国あり、じょじょに分かれて十二国になった。弁辰...
馬韓は王家が滅亡して存在しませんが、辰韓も馬韓の辰王に...
青字にした「弁辰亦十二国」という記述は、辰韓伝のついで...
有巳柢國不斯國弁辰彌離彌凍國弁辰接塗國勤耆國難彌離弥凍國...
「1巳柢(シテイ)国、2不斯(フウシ)国、1弁辰弥離弥凍...
弁辰と辰韓、あわせて二十四国。大国は四、五千家。小国は...
あわせて二十四国と書いてありますが、二十六国記されてい...
辰韓、弁辰は馬韓の西に雑居しているので、国名も入れ混ぜ...
(馬)韓伝では「辰王は月支国に治す。」となっていました...
土地肥美冝種五穀及稲暁蠶桑作縑布乗駕牛馬
「土地はよく肥えて五穀や稲を種まくのに適している。養蚕を...
五穀や稲を栽培していたということでもあります。縑(カト...
日本では、神功皇后記に、「新羅国は御馬甘(うまかい)と...
嫁娶禮俗男女有別以大鳥羽送死其意欲使死者飛揚
「婚姻や礼儀、風俗に男女の区別がある。大鳥の羽を使って死...
死者の魂が天に昇るというのは北方系の発想で、南方では地...
アルタイ系言語の北方系民族と、苗系言語の南方系民族、中...
國出鐵韓濊倭皆従取之諸市買皆用鐵如中国用銭又以供給二郡
「国には鉄が出て、韓、濊、倭がみな、従ってこれを取ってい...
「従って鉄を取る」というのは、やはり辰韓の許可を得てと...
俗喜歌舞飲酒有瑟其形似筑彈之亦有音曲
「その風俗では、歌舞や飲酒を喜ぶ。瑟があり、その形は筑(...
瑟は大型の琴で弦の数が多いといいますから、小型で弦数の...
兒生便以石厭其頭欲其褊今辰韓人皆褊頭男女近倭亦文便歩戰兵...
「子が生まれると石でその頭を押さえ、頭を狭くしようとする...
石で頭頂部を押さえるのか、後頭部を押さえるのか。石枕を...
三、弁辰伝
弁辰與辰韓雑居亦有城郭衣服居處與辰韓同言語法俗相似祠祭鬼...
「弁辰は辰韓と雑居する。城郭がある。衣服や住居は辰韓と同...
弁辰と辰韓は馬韓の東で雑居していました。国境を明確に定...
其瀆盧国與倭接界十二國亦有王其人形皆大衣服絜清長髪亦作廣...
「その(弁辰の)瀆盧国は倭と界を接している。十二国には王...
馬韓にも辰韓にも王はおらず、臣智という地位が最高だった...
先に書いたように、正始七年、辰韓八国を楽浪に編入しよう...
弁辰人は大柄で長髪だから、辰韓とは明らかに民族が異なっ...
四、魏志以前の朝鮮半島の歴史
中国で殷(商)が滅び、周が成立(前1066)したあと、殷の...
魏志韓伝の裴松之注には、魏略曰くとして、「昔、箕氏の後...
周が衰え、燕が王を自称した昔とは、前323年の易王の時...
この頃、燕の北方には東胡という遊牧民族が展開していまし...
「魏志倭人伝から見える日本」で明らかにしたように、自ら...
二人は父の古公が病気になった時、衡山に薬草を採りに行く...
これが漢書地理志にある楽浪海中の倭人、日本人と混同され...
「論衡」は前漢の平帝、元始元年に越常(ベトナム)が白雉...
太伯からずっと時代が下って、春秋末のことになりますが、...
倭人(呉人)がなぜ遼西周辺にいたのか? 三国史記、高句...
燕の秦開は朝鮮を攻めてその二千余里を取り、満潘汗を境界...
春秋末(B.C473)に国が滅び、呉人の一部は朝鮮半島に渡り...
魏志韓伝の裴松之注には魏略曰くとして、「秦は天下を併せ...
「房県の房山に、毛むくじゃらの毛人というのが住んでいて...
毛人は文字どおり毛むくじゃらの妖怪にされてしまいました...
宋書倭国伝に、「東に毛人五十五国を征し」という倭王武の...
始皇帝死後(前210)の混乱に乗じ、遼東に大量動員された楚...
(B.C222)秦が燕の遼東を攻め、燕を滅ぼす。楚、越も滅ぼす...
秦は遼東の外側まで領有した。(史記、朝鮮列伝)
(B.C221)秦が斉を滅ぼし中国統一(史記、秦始皇本紀)
(B.C213)始皇帝が長城を築かせる(史記、秦始皇本紀)
秦は天下を併せ、蒙恬をして長城を築かしめ遼東...
朝鮮王(箕)否が立ち、秦の侵略を恐れ服属した...
死に、その子の準が立った。(魏志韓伝、裴松之...
(B.C210)始皇帝死亡(史記、秦始皇本紀)
陳渉や項羽が決起し、天下が乱れ、燕、斉、趙の...
に逃げてきた。朝鮮王準はこの人々を西方に居住...
(魏志韓伝、裴松之...
(B.C207)秦滅亡(史記、秦始皇本紀)
( ? )長城建設のため、遼東半島に強制移住させられた楚...
する。
( ? )遼東半島東方に逃れた楚人は濊(カイ)を建国
山海経、海内北経には「葢国は巨燕の南、倭の北にあり。倭...
(B.C202)漢が興る。漢は盧綰を燕王と為し、朝鮮と燕は浿水...
(魏志...
( ? )濊は、漢初期に濊王の印を授けられる。(推定)
朝鮮民族の祖、檀君は太伯山(妙香山)に降った天帝の子が...
夫餘は祖先が授けられたという「濊王之印」を持つ(魏志夫...
(B.C195)衛氏朝鮮の建国
燕王、盧綰が漢に叛き匈奴へ逃亡。燕人衛満は椎...
り朝鮮に亡命した。朝鮮王、準のところへ行き、...
収め朝鮮をまもる垣根にすることを求め説得した...
に任じ、百里の土地を与えて、西辺を守るよう命...
増えてくると人を遣り、詐って、漢兵が十道から...
入りたいと告げた。遂に都に還って準を攻めた。...
なかった。(魏志韓伝、裴松之注の魏略逸文)
(B.C195)韓の建国
朝鮮王準は左右の宮人を引き連れ、走って海に入...
した。(魏志韓伝)
漢初期、朝鮮王の(箕)準は燕人、衛満に敗れ、南方に逃れ...
遼東から朝鮮に逃れていた楚人、越人が韓に移動した。韓は...
衛満は王険(浿水の東、史記索隠注。平壌)に都を置いた。...
元朔元年(B.C127)匈奴が遼西に入って太守を殺し、漁陽、雁...
人を殺したり掠ったりした。将軍、衛青を...
李息は代から出て、首を取ったり虜にした...
二十八万人が降服し蒼海郡と為した。(漢...
元朔三年(B.C129)蒼海郡を廃止した。
匈奴と濊(薉)が連係していたのかどうか、漢は遼西、遼東...
朝鮮王の右渠が朝見したことはなかったし、真番や辰国が天...
このころ辰国(辰韓)がすでに存在していたことになります...
元封二年(B.C109)武帝が朝鮮を攻める。
元封三年(B.C108)衛氏朝鮮が滅び、真番、臨屯、楽浪、玄菟...
武帝の東方進出(元朔年間または元封年間)に押され、武帝...
夫餘王の名に解夫婁、解慕漱があり、夫餘から分かれた高句...
夫餘の古老は、「古の亡人(昔、逃がれてきた人間)」だと...
この記述にある「国」を夫餘と解せば、国内を移動しただけ...
「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国を為す。歳時を以って...
楽浪郡成立後なので、武帝以降のことです。日本に居住して...
漢の昭帝の始元五年(B.C81年)臨屯、真番郡を廃止し、楽浪...
後、時期不明ですが、楽浪郡東部の単単大山領以西は楽浪郡...
前漢末期に朱蒙が夫餘から逃れ、高句麗を建国。朱蒙(鄒牟...
裴松之の記す魏略逸文(魏志夫餘伝注)は、夫餘が北夷の高...
光武帝時代に高句麗が朝貢しており、その始祖伝承が後漢に...
高句麗二代目、瑠璃明王(類利)の異母弟、温祚が馬韓に入...
この国名は馬韓五十国の一つ、伯済国として魏志韓伝に現れ...
(新の)王莽は、高句麗兵を徴発し胡を攻めようとしたが、...
三国史記、高句麗本紀はこれを否定し、殺されたのは将軍だ...
王莽の地皇年間(20~23)のことですが、辰韓に誘拐された...
王莽からのち、光武帝が後漢を建国するまで、辺境は乱れ、...
後漢の光武六年、辺郡が省かれて、東部都尉は廃止され、土...
高句麗本紀、
大武神王十五年(A.D32)使を派遣して漢に入り朝貢。光武帝は...
活させた。建武八年のことである。
二十年(A.D37)王は楽浪(崔氏)を襲いこれを滅ぼし...
二十七年(A.D44)漢光武帝は兵を派遣し、海を渡り、...
県と為した。薩水(清川江)以南が...
辰韓人は秦の労役を逃れて馬韓に入ったとき、馬韓が東の土...
弁辰も同じ経路で、時を同じくして移動していたと思われ、...
魏、蜀、呉、三国時代の版図は大ざっぱですが右図のように...
東亜古代史研究所
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