三国志呉書
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三国志・呉書(付・魏略、廣志)
三国志「呉書」
『三国志』は中国正史のひとつで、魏(のちに晋)の史官で...
また、支配地であった朝鮮半島の帯方郡を通じて、倭人との...
その一方で、「呉書」においては「倭人」の登場はなく、た...
ここでは、それを取り上げるが、極く短い物なので、付録と...
<三国志・呉書・巻二・呉主伝・孫権条>
黄竜二(230)年の春三月、(中略)、孫権は将軍・衛...
「秦の始皇帝は、神仙の術を持つ徐福に、童男童女数千人...
その住んでいる所は果てしなく遠く、将軍らはついに亶洲...
(注)
孫権・・・そんけん。三国時代の呉(222~280)の初代...
夷洲および亶洲・・・いしゅう及びたんしゅう。
夷洲は台湾説が有力だが、上の条では、亶洲だけが海中にあ...
上の条の最後の部分「夷洲には行き付いて、数千人が帰って...
亶洲は明確に島であるとしてあるから、九州島をはじめ日本...
<魏略(逸文)>
「魏略」は魏志の種本といわれている。陳寿とはぼ同時代に...
倭は帯方の東南大海中に在り、山島に依って国を為す。海...
(前略)
女王の南、また狗奴国有り。男子を以って王と為す。その...
(注)
海を渡ること千里・・・倭人の中心地が九州島か畿内かで大き...
自ら太白の後という・・・ここでは「呉の太白の後裔」と言わ...
そんなこと有り得ぬ、と言われるだろうが、『史記』「周本...
そのことで注目しなければならないのはこれら三兄弟の父の...
夏后小康・・・夏王朝(BC1800頃~1500頃)の6代目。倭人伝...
<廣志(逸文)・・・翰苑の引用による>
翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂)...
倭国の東南陸行五百里、伊都国にいたる。又、南、邪馬...
(注)
伊邪分国・・・「分」は「久」の誤り。隋書の「流求国伝」に...
ただ、隋書の「夷邪久国」には布製の甲があるくらいだから...
「布が無いので革を衣服の代用としている」という表現が何を...
...
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三国志・呉書(付・魏略、廣志)
三国志「呉書」
『三国志』は中国正史のひとつで、魏(のちに晋)の史官で...
また、支配地であった朝鮮半島の帯方郡を通じて、倭人との...
その一方で、「呉書」においては「倭人」の登場はなく、た...
ここでは、それを取り上げるが、極く短い物なので、付録と...
<三国志・呉書・巻二・呉主伝・孫権条>
黄竜二(230)年の春三月、(中略)、孫権は将軍・衛...
「秦の始皇帝は、神仙の術を持つ徐福に、童男童女数千人...
その住んでいる所は果てしなく遠く、将軍らはついに亶洲...
(注)
孫権・・・そんけん。三国時代の呉(222~280)の初代...
夷洲および亶洲・・・いしゅう及びたんしゅう。
夷洲は台湾説が有力だが、上の条では、亶洲だけが海中にあ...
上の条の最後の部分「夷洲には行き付いて、数千人が帰って...
亶洲は明確に島であるとしてあるから、九州島をはじめ日本...
<魏略(逸文)>
「魏略」は魏志の種本といわれている。陳寿とはぼ同時代に...
倭は帯方の東南大海中に在り、山島に依って国を為す。海...
(前略)
女王の南、また狗奴国有り。男子を以って王と為す。その...
(注)
海を渡ること千里・・・倭人の中心地が九州島か畿内かで大き...
自ら太白の後という・・・ここでは「呉の太白の後裔」と言わ...
そんなこと有り得ぬ、と言われるだろうが、『史記』「周本...
そのことで注目しなければならないのはこれら三兄弟の父の...
夏后小康・・・夏王朝(BC1800頃~1500頃)の6代目。倭人伝...
<廣志(逸文)・・・翰苑の引用による>
翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂)...
倭国の東南陸行五百里、伊都国にいたる。又、南、邪馬...
(注)
伊邪分国・・・「分」は「久」の誤り。隋書の「流求国伝」に...
ただ、隋書の「夷邪久国」には布製の甲があるくらいだから...
「布が無いので革を衣服の代用としている」という表現が何を...
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