三国志魏書
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三国志・魏書・東夷伝(1)
正確には『三国志・魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝』だが、略...
「烏丸」「鮮卑」という現在の満州からモンゴルに近い国(...
倭人に関する条(項目)を一般に「倭人伝」と表すが、同様...
このうち直接、倭・倭人について言及されるのは「倭人伝」...
しかし中国史料の『山海経』『後漢書・檀石槐伝』などには...
夫余・高句麗・東沃沮・ユウ(手偏に邑)婁・ワイ(さん...
伝名 位置 国勢 首長 歴史 風俗
夫余
フヨ 長城の北
玄菟郡から
東へ千里
※南満州
シェンヤン、
フーシュンを含む一帯 二千里四方
戸数は8万
東夷の諸国
では、最も平
原が多い。 「君王あり」と
記すが、具体
的な王名は
無い。 官に馬加・牛加・猪加・狗加
大使者・使者の七ランクがある。 漢代には漢王朝に対して朝貢し
玉壁などを賜与されていた。ただ
印には「ワイ王之印」とあり、また
国内に「ワイ城」と名付けられた
城もあるから、夫余王はもともと
はワイに居たようだ。
このことと、古老が伝えている
「我々は昔、この地に亡命してきた」という伝承とは整合する...
・跪き、手を地面に付いて物を述べる。
・古老は「昔、ここへ亡命してきた」と言う
高句麗
コウクリ 遼東の東
千里にある
※鴨緑江中流から上流の山岳地帯にある 二千里四方
戸数は3万
大山深谷が多く、良田が無い。 「王あり」と記すが、王名は無...
官に相加・対盧・沛者・古雛加・主簿
優台丞・使者
ソウ衣・先人の九ランクがある。 後漢の光武帝8(32)年の...
初めて「高句麗王」を名乗って朝貢した。
遼東を独立国にしようとした公孫氏と組んで、たびたび楽浪...
・伝承では夫余の別種だという。
・10月に天を祭り「東盟」という大会を開く
・国の東に洞くつがあり、そこに「隧神」がいるとする。
東沃沮
ヒガシ
ヨクソ 高句麗の東で、東海に面している。
※北朝鮮
咸鏡南道の一帯 戸数は5千 大君主なし。
邑落ごとに
長帥がいる。 秦末期の混乱期に、燕から亡命してきた衛満が朝...
だが漢の武帝が衛満の孫・右渠を誅殺し、四郡が置かれた際...
後漢時代になると、はじめワイに属していたが、のちに高句...
・東海に数十日流された者が、とある島に着いたが、言葉が通...
・男が居ず、女ばかりの島がある。
など、倭人の島を想わせる記述がある。
ユウ婁
ユウロウ 夫余の東北千余里
東沃沮の北の海岸沿いにある 戸数の記載無し 大君長なし。
邑落ごとに
大人がいる。 夫余に属していたが、黄初年間(220~226...
寒さがはげしいため穴居生活をしている。
操船が上手で、時に近隣を襲うことがある。
ワイ(さんずいに歳) 高句麗の東、沃沮の南、辰韓の北、東は...
※今日の北朝鮮から東沃沮と楽浪郡域を除外した領域 戸数は2...
漢が朝鮮・満州に四郡を置いて(BC108年)から、官とし...
その約100年後の武帝の元封3(BC108)年に衛氏は...
魏王朝になると渠帥は「不耐ワイ王」として半自立し、租税...
ワイ人の習俗として挙げられるのは
・山川に入会制度のようなものがあり、みだりに入れない
・同姓不婚
・疾病で人が死ぬと、その家を取り壊して建て直す。
・10月に天を祭り、昼夜にわたって歌舞飲食する
・虎を神として祭る
・厳しい刑罰が定められていて、人を殺せば死を以って償う
・・・・・・・・・ など。
(注)
戸数・・・南満州の扶余が戸数8万と圧倒的に多いのは、...
夫余条にあるように、夫余ももともとは本貫地はワ...
しかし、戸数で言えば韓は「馬韓」が10万余戸、「弁...
また、九州島に限定される倭人国では「女王国連盟...
この地に亡命・・・ワイ(北朝鮮)からの亡命。「ワイ...
このあとの時、ワイを支配していた箕子の後裔「準...
高句麗王・・・このときの高句麗王は、第三代の「大武...
箕子・・・殷王朝の最後の紂王の叔父と言われている。...
亡命の地は朝鮮北部で、おおむね「ワイ」すなわち...
後漢書・檀石塊伝では、遼河の東方に「倭の水人」...
(こ...
魏志韓伝
「魏志韓伝」は約2000字で、倭人伝より20%ほど少ないが...
倭人伝解釈との大きな違いは、馬韓、弁韓、辰韓のそれぞれ...
ここでは、まず、馬韓、弁韓、辰韓についてその概要を表で...
位置 国勢 首長 歴史 風俗
馬韓 韓半島南部の
西半分。
※韓全体は今
日の韓国にほ
ぼ重なる。
ただし現在の
ソウルおよび南
岸を除く。 55の小国に
分かれている。
大国は1万戸
小国は数千戸か
らなり、総計で10万戸余り。 各国には
長帥がいる
大国の君
主は「臣智」
といい、小国
の君主は「邑
借」という。 後漢時代は楽浪郡に
属していたが、桓帝・霊
帝の頃(147~188)、
韓とワイが非常に強盛で
郡では制御できない状態
になった。
楽浪郡民で流れて韓や
ワイに行く者が多くなった
ので、魏の明帝は以前に
滅ぼした公孫氏が置いた
帯方郡を掌握し、そこを拠
点にして韓とワイとを討伐
した(景初年間=237~
239)。 ・葬るのに槨はあるが、棺はない。
・牛馬に乗ることを知らない。
・5月に種まきを終えると、鬼神
を祭って歌舞飲食する。
・舞う時は数十人が共に舞う。
・国中の邑々には「天君」という
司祭がいる。
・諸国には「蘇塗(そと)」と呼ばれる別邑がある。その中で...
大木を立てて鈴や鼓を吊り下げ
鬼神を祭っている。
・男子の中にはときどき「文身」
が見られる。
弁韓 位置の正式な記述はない。
洛東江の中流域以南だろう
ただし最下流
の金海市あたりは、倭人国の
狗邪韓国と思われる。 12国からなる
だが、数えてみると13国ある。
辰韓も同じく
13国。
大国は4~5千家、小国は6
~7百家であり
弁・辰韓併せて
4~5万戸。 12国にはそれぞれ渠帥がいる。 弁韓はほと...
から分離した国」ともとれる。
「弁辰は辰韓と雑居す」
という表現はその意味だろうか。 ・馬韓や辰韓には無い城郭が...
・衣(食)住は辰韓と同じであり、言葉も法俗(しきたり、慣習...
・神事には若干違いがある。
・竈はすべて家の西に据えられている。
・広幅の細目の布を産出する。
辰韓 馬韓の東にある 12国からなる。 辰王。
ただし、辰韓12国は馬韓人に統治させており、実際には辰韓の...
馬韓(人)とは言葉が違い、国を「邦」、弓を「弧」、賊を...
また楽浪人のことを「阿残」と言うが、東方人(東夷)は自...
・桑と蚕からケン(糸偏に兼)布が作られる。
・牛馬に乗る
・鳥の羽で死者を送る。
・弁韓とともに鉄の産出が多く、韓は無論、倭もワイも採取に...
・銭の代わりに鉄テイ(鉄偏に延)が使用されている。
・子が生まれるとすぐにその頭を圧し、狭頭(褊頭)にする。
・男女とも倭(人)に近く、文身をしている。
・戦いは歩戦で行う。
・城柵がある。
(注)
戸数(人口)・・・馬韓が10万戸、弁韓・辰韓あわせて4~...
ただし、私見では北部九州の旧国名「筑前と豊前の一部」に...
馬韓の首長「臣智」「邑借」・・・漢字読みすれば「臣智」は...
次に「邑借」は「ユウシャク」と音読されるが、倭人語で「...
そんなバカなと思われるだろうが、馬韓条には、首長「臣智...
辰王は月支国を治む。臣智あるいは加優は(辰王を)<臣雲...
馬韓の一国であるはずの「月支国」を辰韓王である辰王が統...
まず「臣智」は馬韓の国の官(王といってよい)名だが、「...
<辰ウン(サンずいに云)ケン(糸偏に遣)翅報>
これを『謎の契丹古伝』では「シウクシフ」と読み「東の大...
<東の大王で、あやしき聖に降る(お方で)狗邪(伽耶)・秦...
と訳せ、もう少し言葉を補うと
<東の大王にして天から降臨され、伽耶(弁韓)も辰韓もしろ...
要するに、半島人の中でも少なくとも王者クラスは倭語に極...
韓とワイの強盛・・・韓でも弁韓・辰韓にまたがる地帯は鉄の...
中でも倭人の場合、半島在住の者のみならず九州島を中心と...
帯方郡の掌握・・・公孫氏が200年代初めに置いた帯方郡を...
<部従事の呉林(という事務官)が、「楽浪がもともとは諸韓...
この叛乱の後、両郡はついに韓を滅亡させた。>
と記す。魏の帯方郡掌握がいかに韓にとって大きな脅威だっ...
これに対して魏ももちろん黙ってはいない。両郡を督励して...
そこで私見では「すでに九州島に亡命していた」と見るので...
その亡命先はどこか? 糸島郡だろう。かってここは「イソ...
またこのことと、辰韓の表の「首長」にまとめてある「12...
天君・・・「テンクン」と読むか。要するに司祭者・祭祀者の...
もし「あめぎみ」なら、馬韓の方がより古い使用例であるか...
600年は例の白村江の敗戦(663年)より前であり、馬...
蘇塗・・・「ソト」。国々には「蘇塗」と呼ばれる別邑(別区...
後者は「諸亡逃げてその中に至れば、みなこれ(蘇塗)より...
「ソ」は倭語で「セ(背)」の意味かとも考える。「背」は...
城郭・城柵・・・馬韓には城柵も城郭もなく、辰韓には城柵だ...
弁韓は「城郭都市」すなわち「商業都市」だったと見てよい...
歩戦・・・歩兵による戦い。江上波夫の「騎馬民族説」は大略...
東夷人の「阿(ア)」・・・大陸中国人の言う東夷とは、山東...
この東夷の種族が自分のことを「阿(ア)」と言う、とここ...
...
魏志倭人伝・目次
魏志倭人伝は漢字で2600字という長い文書である。他の多く...
ただし倭人伝は、大きく三つの段落に分けられるので、以下...
(Ⅰ) 倭人の国々への行程
魏志倭人伝
はじめに
魏志倭人伝こそは「倭人」史料の白眉であり、2600字余りの...
この中に登場する「邪馬台国(女王国)」の場所の比定をめ...
「紀記」のような自国民が自国民のために書いた(実際は編...
最近は考古学的所見から、畿内説が有利になったと言われる...
私見では魏志倭人伝の記録のみの整合的解釈から「九州説」...
とにかく邪馬台国畿内説は「やまたい→やまと」の語呂から、...
次に述べる(Ⅰ)から、畿内説はまったく成り立たないことが...
(Ⅰ) 倭人の国々への行程―邪馬台国畿内説は成立せず
< 倭人国家群の一覧表 >
国 読み 行程 国勢 首長 官 備考
1狗邪韓国 くやかん 帯方郡から
水行7千余里 ? ? ? 戸数・首長・官はいずれも記...
2對馬国 つしま 渡海千余里 千余戸 ? 卑狗
卑奴母離 今日の対馬
3一大国 いき 渡海千余里 三千許家 ? 卑狗
卑奴母離 今日の壱岐
4末盧国 まつら 渡海千余里 四千余戸 ? 今日の唐津
5伊都国 いつ 末盧国から東南へ
陸行5百里 千余戸 ? 爾支
泄謨觚
柄渠觚 イト国とは読まない
唐津から東南へ5百里を徒歩5日行程と考え、佐賀県厳木、多...
帯方郡使はここで旅装を解いた
6奴国 な 伊都国から東南へ
陸行百里 2万余戸 ? (兄の上が凹)馬觚(しまこ)
卑奴母離 今日の佐賀市
7不彌国 ふみ 伊都国から東へ
陸行百里 千余家 ? 多模
卑奴母離 今日の佐賀県大和町
8投馬国 つま 南へ
水行20日 5万余戸 ? 彌彌
彌彌那利 今日の鹿児島と宮崎とを併せた地域
「古日向」のこと
記紀で神武天皇の子(皇子)とされる「タギシミミ」「キスミ...
9邪馬台国 やまたい 南へ
水行10日
陸行一月
郡より女王国までは
1万2千余里 7万余戸
※この数字は女王国だけではなく傘下の国家群を含めての戸数。...
彌馬升
彌馬獲支奴佳?(革に是) 今日の八女市郡域
当時の官制を見ると、トップには「いきま」すなわち「生目・...
要するに女王国は、その南部にあって侵略を狙う狗奴国への...
10斯馬国 しま ? 斯馬国以下は傍国にして遠絶なため国...
11已百支国 いおき ? 長崎県彼杵地方。「彼杵」は本来...
12伊邪国 いや ? 長崎県諫早地方
13都支国 つき ? 長崎県生月島
14彌奴国 みな ? 大きな「みなと(港)」?
15好古都国 こうこつ ? 長崎県島原・口之津
16不呼国 ふこ ? ?
17姐奴国 しゃな ? ?
18對蘇国 つそ ? 佐賀県鳥栖市
19蘇奴国 そな ? ?
20呼邑国 こゆう ? 「こゆ」か?「越ゆ」とすれば渡船...
21華奴蘇奴 国 かなそな ? 佐賀県神崎郡
22鬼国 き ? 福岡県基山町
23為吾国 いご ? ?
24鬼奴国 きな ? 大分県日田市
25邪馬国 やま ? 大分県山国地方
26躬臣国 くじ ? 大分県玖珠郡
27巴利国 はり ? 福岡県杷木町
28支惟国 きい ? 福岡県三池町
29烏奴国 うな ? 熊本県菊池川中流域
「クコチヒコ(菊池彦)の「菊池国」はもう少し上流にあった。
30奴国 な 女王国の最南部。さらにその南には狗奴国がある。 ...
狗奴国とは菊池川を挟んで対峙していた国。29烏奴国と並んで...
(倭種の国) 女王国の東を渡海した所にある 何ヶ国かは...
(侏儒国) しゅじゅ 女王国の南、4千余里にある この4千...
一方、4千余里を水行とみなすと、船で4日の行程だから、八...
(裸国・黒歯国) ら・こくし 女王国から東南へ、船で一年か...
(倭地) 島に絶在し、多くの島々があり、ぐるっと周回すれ...
福岡県の南部・佐賀県・長崎県の全域を指している(女王国連...
(注)
「邪馬台国畿内説」の破綻・・・表の中の行程を見れば、どう...
郡(帯方郡)から半島南部の狗邪韓国まで7千里(余は省く)...
狗邪韓国から対馬海峡を渡って末盧国(唐津市)まで3千里・...
末盧国から伊都国まで陸行で5百里・・・・・・・・・・・・・・...
伊都国から直線ルートで奴国経由不彌国まで2百里・・・・・...
(牧健二説のように放射ルートなら百里・・・・・・・・・・...
以上から半島から不彌国まで①②③④なら1万7百里。行程で言え...
また①②③⑤ルートなら1万6百里。行程で言えば「水行十日」「陸...
このうち郡から末盧国までの1万里は水行であるから「水行十...
一方、郡(帯方郡)から女王国までは1万2千里(余は省く)...
さて、⑥から1万2千里の内の1万里は「水行十日」に当たるこ...
以上の結論は、邪馬台国は九州北岸の唐津(末盧国)に上陸...
すなわち、邪馬台国(女王国)は九州島の中に求めるしかな...
したがって女王国への行程記事「南至る、邪馬台国、女王の...
問題は「2千里」が「陸行一月」に該当するかどうかに移らな...
唐津から陸行一月(徒歩で一ヶ月)で女王国に到達する、と...
すると唐津から東南へ陸行5百里、つまり女王国までの行程2...
天気が毎日晴天なら、一日の行程は500里÷7.5=66里...
これを基に「陸行一月」の正味行程は20日ほど(倭人伝の距...
簡便法としては地図の上で、唐津から松浦川沿いに到達する...
これに該当するのは、八女市、山門郡、三池郡あたりである。
私見ではこのうち「日本書紀・景行紀」のいわゆる<筑紫遠征...
投馬国の位置・・・投馬国の行程記事は直前の不彌国のすぐあ...
しかしそこに戸数5万戸を容れることは到底不可能である。
投馬国も邪馬台国の行程同様「南至る、○○国、水行○日」とい...
そうすると投馬国へは「帯方郡から南へ水行20日」の所にあ...
そのような場所は九州島では西回りなら鹿児島、東回りなら...
南九州投馬国説には大いなる証拠がある。それは記紀の「神...
これを「神武東征造作説」論者は「南九州からの東征という...
それとも「ミミ」は投馬国の「彌彌」とは何の関係も無い、...
記紀の編纂者は史記をはじめ、中国の正史を読んでいる以上...
狗邪韓国・・・くや(かや)かん国。弁韓の最南部の国「?(...
弁韓にも辰韓にも「文身(入れ墨)をした海洋系倭人」が多...
狗奴国・・・くな国。上の表からは外したが、女王国の南に位...
王は倭人伝では「卑弥弓呼(ひみくこ)」だが、これは「卑...
この狗奴国は後に述べる「大倭(北部九州倭人連合)」と同...
「行程」の一要素である方角は「女王国の南」と記されてい...
<狗奴国=熊襲>説を唱える論者は多いが、この人たちは熊襲...
私見では狗奴国は熊本県だが、鹿児島・宮崎(古日向)は上...
古事記で両国を一括して「熊曽国」としたのは、両国に種族...
だが邪馬台国との関連では狗奴国は領土を隣接させているこ...
狗奴国が弥生時代には強い土着性を持ち、投馬国と同じ火山...
それに比べると、鹿児島の南北を貫くカルデラ火山の動きは...
これが鹿児島・宮崎南部の「曽人」をして海と海の交流つま...
倭種の国・侏儒国・裸国・黒歯国・・・東へ渡海したらやはり...
侏儒国はどうか?畿内説だと南を東に置き換えるから、その...
裸国・黒歯国はいわゆる南洋系の住民だろう。ポリネシア・...
周回すると5千里・・・原文では「参問倭地、絶在海中洲島之上...
畿内説ではこれの説明となると完全におてあげとなる。中に...
私見ではこの「周旋五千余里」を末盧国(唐津)から西九州...
壱岐、對馬、狗邪韓国を除く倭地(九州島)の上での女王国...
古事記の国生み神話で九州島(筑紫島)を筑紫国(白日別)...
異名の中の「建日向」を一般には「建・日向」(猛々しい日...
私見ではこれを「建日に向かい」と倭漢文で読む。すると「...
(Ⅱ) 倭人国の風土・国情
(Ⅱ) 倭人国の風土と国情
倭人伝では各国への行程記事のあと、風土・国情記事に移る。
ここでは主に中国との対比的な記事を取り上げて、注記してい...
・男子は大小と無く、皆、黥面し、文身す。
風俗の最初の記事である。韓伝にあった「文身する倭人に...
・古へ(いにしへ)より以来、その使いの中国に詣(いた)る...
漢代に「古へ」といえば、周王朝時代を指すという。魏の...
彼らが自称したという「大夫」は中国の官制では第五等ク...
・夏后少康の子の会稽に封ぜられるや、断髪文身し、以って蛟...
夏は夏王朝のこと。殷王朝の前代で、『史記』の「三表」...
その子で会稽地方の王として下った者が、断髪し、文身し...
すぐ上の「周王朝時代に越人と倭人が朝貢していた」とい...
・その死するや、棺ありて、槨無し。土を封じて塚を作る。
古墳時代の竪穴式納棺を想わせる一文である。陳寿が倭人...
・その人寿考にして、あるいは百年、あるいは八、九十年なり。
寿考は長寿の意味。百歳生きる人もあり、8,90歳まで...
この百や8,90歳は2倍年歴であり、実際にはその半分の...
その考えの前提にある「倭人は2倍年歴を採用していた」と...
・国々に市ありて、有る無しを交易す。大倭をしてこれを監せ...
国家間で市場取り引きが盛んだったようだ。その交易を監...
この大倭を一般には「倭の大人」とするが、そんなもので...
では、大倭とは何か?ずばり言えば、九州北部(おおむね...
「大倭」は『旧事本紀』巻十「国造本紀」の前文に登場す...
・女王国以北は特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国これ...
一大率は「ある種の大きな率」で、「率」は指揮官・帥の...
この司令部を誰が置いたのかについては2説がある。一つ...
まず、後者について言うと、これはいただけない。なぜな...
では前者の一般説でよいか?
これもいただけない。女王国が置いたのならやはり女王国...
では、どこが置いたのだろうか?私見ではそれは「大倭」...
それではどうして倭人伝はその経緯を書かなかったのだろ...
それは単純な理由である。つまり魏と「大倭」とは国交が...
・その国、もとまた男子を以って王と為せり。住まること七、...
この一文で注意しなければならないのは「その国」と「倭...
紛争中でまだ男王が統治していた頃、九州島の中の一国で...
そんな気運を察したのか、戦争当事国からは外れていた卑...
これ以降、卑弥呼の国は「アマツヒツギノヒメミコのおわ...
邪馬台)」としてとりいれられたものと見る。
また、卑弥呼の国はけっして九州島全体の頂点に立ったわ...
卑弥呼が後世に残したものは何と言っても「アマツヒ(天...
(Ⅲ) 卑弥呼の死と宗女・台与の擁立
(Ⅲ) 卑弥呼の死 と宗女・台与の擁立
行程記事と風土記事を除くと、あとは卑弥呼が魏に初めて朝...
ここではその10年間の事績を表にあらわし、そのあと注記を...
< 景初2年(238)から正始8年(247)に至る女王国の年...
紀年
(西暦) 記 事 備 考
景初2年
(238年) 6月:卑弥呼、遣使する。使者は難升米(大夫)と都...
12月:魏の明帝、証書および金印紫綬などを下賜する。
(使者の二人にも位記と銀印が下賜された)
翌年の1月、明帝死亡。後継は斉王。 朝貢品:男女生口10人、...
下賜品:錦布類、銅鏡百枚その他
正始元年
(240年) 帯方郡太守キュウジュン、部下のテイシュンらに一...
女王、上表文によって答謝する。
正始4年
(243年) 倭王、貢献する。使者は伊聲耆(大夫)、掖邪狗ら8...
(伊聲耆・掖邪狗らも位記と銀印が下賜された) 朝貢品...
正始6年
(245年) 難升米が黄幢(コウドウ)を授かる。 ただし黄幢は...
正始8年
(247年) 殺害された帯方郡太守キュウジュンの後継者オウキ...
後継に男王が立つも国中が承服せず、内乱に陥り、戦死者が...
そこで卑弥呼の宗女(一族の娘)で歳が13才という台与を擁...
張政は布告して台与を告諭する。台与は掖邪狗ら20名に張政...
卑弥呼の墓:大きな高塚で、直径が百 余歩...
朝貢品:生口30人(男女)、白珠五千、 孔青大句...
(注)
金印紫綬・・・卑弥呼がもらった「親魏倭王」の金印。倭人が...
卑弥呼の場合、この親魏倭王印が発見されれば、おそらくそ...
難升米・都市牛利・・・あとに登場する伊聲耆・掖邪狗・載斯...
倭語ではどう読むのか?
難升米を私見では「なしおみ」と読む。「難=な=奴」と捉...
都市牛利・伊聲耆の倭音も意味も分からないが、次の掖邪狗...
最後の載斯烏越(さいしうえ)も難しいが、私見では「烏越...
何とも心もとないが、これらの官僚はすべて邪馬台国および...
銅鏡百枚・・・邪馬台国畿内論者が考古資料として必ず持ち出...
しかし、今日、景初年号を含むこの三角縁神獣鏡は百枚どこ...
日本列島で卑弥呼時代の景初年号を持つ鏡には他に「画文帯...
ただ卑弥呼の鏡かどうかは別として、三角縁神獣鏡は大和地...
黄幢・・・コウドウ。幢幡(トウハン)とも言い、戦闘を指揮...
これが邪馬台国に与えられたということは、女王国への特別...
私見では魏の属国になったとは思わないが、対狗奴国戦を有...
「大倭」が女王国を保護国化しているのなら「大倭」が狗奴...
詳しくは韓伝を見てもらうことにし、そのわけを簡略に言え...
卑弥呼以って死す・・・狗奴国との戦いが熾烈になり、ついに...
ということは、張政としては、現下の戦争状態は卑弥呼のよ...
したがって卑弥呼の死は一種の刑死となる。張政の命令で誰...
「卑弥呼以って死す」の「以って」を「すでに」と解釈する...
卑弥呼の墓が高塚(おそらく円墳)で、直径が百余歩(一歩...
宗女・台与・・・卑弥呼の死後、すぐに男王が立ったが、国中...
「台」は邪馬台国の「台」と同じく倭人伝の原文では「壹(...
また『隋書』では大和を「耶麻堆の後裔だろう」としている...
さて台与が女王となった経緯は、皮肉にも卑弥呼が擁立され...
それなら初めから女王を立てれば戦闘などせずに済むものを―...
邪馬台国の千人が戦死したという内紛も、いや内紛こそ考え...
それでも男王が立てられたのは張政ら魏王朝の意向だろう。...
かくして邪馬台国では再び女王が擁立されて「国中がついに...
台与が王位に就いて最初の仕事は、張政らを本国に送り届け...
生口は男女30人。白珠5千個(おそらく今の真珠)、孔青大...
白珠(真珠)の5千個というのは、女王国連盟が西九州の海岸...
・・・・・倭人伝の記事はここを以って終わる。
※台与のヤマタイ女王国はその後どうなったであろうか?
結論から言うと、その後約20年は安泰であったが、つ...
終了行:
三国志・魏書・東夷伝(1)
正確には『三国志・魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝』だが、略...
「烏丸」「鮮卑」という現在の満州からモンゴルに近い国(...
倭人に関する条(項目)を一般に「倭人伝」と表すが、同様...
このうち直接、倭・倭人について言及されるのは「倭人伝」...
しかし中国史料の『山海経』『後漢書・檀石槐伝』などには...
夫余・高句麗・東沃沮・ユウ(手偏に邑)婁・ワイ(さん...
伝名 位置 国勢 首長 歴史 風俗
夫余
フヨ 長城の北
玄菟郡から
東へ千里
※南満州
シェンヤン、
フーシュンを含む一帯 二千里四方
戸数は8万
東夷の諸国
では、最も平
原が多い。 「君王あり」と
記すが、具体
的な王名は
無い。 官に馬加・牛加・猪加・狗加
大使者・使者の七ランクがある。 漢代には漢王朝に対して朝貢し
玉壁などを賜与されていた。ただ
印には「ワイ王之印」とあり、また
国内に「ワイ城」と名付けられた
城もあるから、夫余王はもともと
はワイに居たようだ。
このことと、古老が伝えている
「我々は昔、この地に亡命してきた」という伝承とは整合する...
・跪き、手を地面に付いて物を述べる。
・古老は「昔、ここへ亡命してきた」と言う
高句麗
コウクリ 遼東の東
千里にある
※鴨緑江中流から上流の山岳地帯にある 二千里四方
戸数は3万
大山深谷が多く、良田が無い。 「王あり」と記すが、王名は無...
官に相加・対盧・沛者・古雛加・主簿
優台丞・使者
ソウ衣・先人の九ランクがある。 後漢の光武帝8(32)年の...
初めて「高句麗王」を名乗って朝貢した。
遼東を独立国にしようとした公孫氏と組んで、たびたび楽浪...
・伝承では夫余の別種だという。
・10月に天を祭り「東盟」という大会を開く
・国の東に洞くつがあり、そこに「隧神」がいるとする。
東沃沮
ヒガシ
ヨクソ 高句麗の東で、東海に面している。
※北朝鮮
咸鏡南道の一帯 戸数は5千 大君主なし。
邑落ごとに
長帥がいる。 秦末期の混乱期に、燕から亡命してきた衛満が朝...
だが漢の武帝が衛満の孫・右渠を誅殺し、四郡が置かれた際...
後漢時代になると、はじめワイに属していたが、のちに高句...
・東海に数十日流された者が、とある島に着いたが、言葉が通...
・男が居ず、女ばかりの島がある。
など、倭人の島を想わせる記述がある。
ユウ婁
ユウロウ 夫余の東北千余里
東沃沮の北の海岸沿いにある 戸数の記載無し 大君長なし。
邑落ごとに
大人がいる。 夫余に属していたが、黄初年間(220~226...
寒さがはげしいため穴居生活をしている。
操船が上手で、時に近隣を襲うことがある。
ワイ(さんずいに歳) 高句麗の東、沃沮の南、辰韓の北、東は...
※今日の北朝鮮から東沃沮と楽浪郡域を除外した領域 戸数は2...
漢が朝鮮・満州に四郡を置いて(BC108年)から、官とし...
その約100年後の武帝の元封3(BC108)年に衛氏は...
魏王朝になると渠帥は「不耐ワイ王」として半自立し、租税...
ワイ人の習俗として挙げられるのは
・山川に入会制度のようなものがあり、みだりに入れない
・同姓不婚
・疾病で人が死ぬと、その家を取り壊して建て直す。
・10月に天を祭り、昼夜にわたって歌舞飲食する
・虎を神として祭る
・厳しい刑罰が定められていて、人を殺せば死を以って償う
・・・・・・・・・ など。
(注)
戸数・・・南満州の扶余が戸数8万と圧倒的に多いのは、...
夫余条にあるように、夫余ももともとは本貫地はワ...
しかし、戸数で言えば韓は「馬韓」が10万余戸、「弁...
また、九州島に限定される倭人国では「女王国連盟...
この地に亡命・・・ワイ(北朝鮮)からの亡命。「ワイ...
このあとの時、ワイを支配していた箕子の後裔「準...
高句麗王・・・このときの高句麗王は、第三代の「大武...
箕子・・・殷王朝の最後の紂王の叔父と言われている。...
亡命の地は朝鮮北部で、おおむね「ワイ」すなわち...
後漢書・檀石塊伝では、遼河の東方に「倭の水人」...
(こ...
魏志韓伝
「魏志韓伝」は約2000字で、倭人伝より20%ほど少ないが...
倭人伝解釈との大きな違いは、馬韓、弁韓、辰韓のそれぞれ...
ここでは、まず、馬韓、弁韓、辰韓についてその概要を表で...
位置 国勢 首長 歴史 風俗
馬韓 韓半島南部の
西半分。
※韓全体は今
日の韓国にほ
ぼ重なる。
ただし現在の
ソウルおよび南
岸を除く。 55の小国に
分かれている。
大国は1万戸
小国は数千戸か
らなり、総計で10万戸余り。 各国には
長帥がいる
大国の君
主は「臣智」
といい、小国
の君主は「邑
借」という。 後漢時代は楽浪郡に
属していたが、桓帝・霊
帝の頃(147~188)、
韓とワイが非常に強盛で
郡では制御できない状態
になった。
楽浪郡民で流れて韓や
ワイに行く者が多くなった
ので、魏の明帝は以前に
滅ぼした公孫氏が置いた
帯方郡を掌握し、そこを拠
点にして韓とワイとを討伐
した(景初年間=237~
239)。 ・葬るのに槨はあるが、棺はない。
・牛馬に乗ることを知らない。
・5月に種まきを終えると、鬼神
を祭って歌舞飲食する。
・舞う時は数十人が共に舞う。
・国中の邑々には「天君」という
司祭がいる。
・諸国には「蘇塗(そと)」と呼ばれる別邑がある。その中で...
大木を立てて鈴や鼓を吊り下げ
鬼神を祭っている。
・男子の中にはときどき「文身」
が見られる。
弁韓 位置の正式な記述はない。
洛東江の中流域以南だろう
ただし最下流
の金海市あたりは、倭人国の
狗邪韓国と思われる。 12国からなる
だが、数えてみると13国ある。
辰韓も同じく
13国。
大国は4~5千家、小国は6
~7百家であり
弁・辰韓併せて
4~5万戸。 12国にはそれぞれ渠帥がいる。 弁韓はほと...
から分離した国」ともとれる。
「弁辰は辰韓と雑居す」
という表現はその意味だろうか。 ・馬韓や辰韓には無い城郭が...
・衣(食)住は辰韓と同じであり、言葉も法俗(しきたり、慣習...
・神事には若干違いがある。
・竈はすべて家の西に据えられている。
・広幅の細目の布を産出する。
辰韓 馬韓の東にある 12国からなる。 辰王。
ただし、辰韓12国は馬韓人に統治させており、実際には辰韓の...
馬韓(人)とは言葉が違い、国を「邦」、弓を「弧」、賊を...
また楽浪人のことを「阿残」と言うが、東方人(東夷)は自...
・桑と蚕からケン(糸偏に兼)布が作られる。
・牛馬に乗る
・鳥の羽で死者を送る。
・弁韓とともに鉄の産出が多く、韓は無論、倭もワイも採取に...
・銭の代わりに鉄テイ(鉄偏に延)が使用されている。
・子が生まれるとすぐにその頭を圧し、狭頭(褊頭)にする。
・男女とも倭(人)に近く、文身をしている。
・戦いは歩戦で行う。
・城柵がある。
(注)
戸数(人口)・・・馬韓が10万戸、弁韓・辰韓あわせて4~...
ただし、私見では北部九州の旧国名「筑前と豊前の一部」に...
馬韓の首長「臣智」「邑借」・・・漢字読みすれば「臣智」は...
次に「邑借」は「ユウシャク」と音読されるが、倭人語で「...
そんなバカなと思われるだろうが、馬韓条には、首長「臣智...
辰王は月支国を治む。臣智あるいは加優は(辰王を)<臣雲...
馬韓の一国であるはずの「月支国」を辰韓王である辰王が統...
まず「臣智」は馬韓の国の官(王といってよい)名だが、「...
<辰ウン(サンずいに云)ケン(糸偏に遣)翅報>
これを『謎の契丹古伝』では「シウクシフ」と読み「東の大...
<東の大王で、あやしき聖に降る(お方で)狗邪(伽耶)・秦...
と訳せ、もう少し言葉を補うと
<東の大王にして天から降臨され、伽耶(弁韓)も辰韓もしろ...
要するに、半島人の中でも少なくとも王者クラスは倭語に極...
韓とワイの強盛・・・韓でも弁韓・辰韓にまたがる地帯は鉄の...
中でも倭人の場合、半島在住の者のみならず九州島を中心と...
帯方郡の掌握・・・公孫氏が200年代初めに置いた帯方郡を...
<部従事の呉林(という事務官)が、「楽浪がもともとは諸韓...
この叛乱の後、両郡はついに韓を滅亡させた。>
と記す。魏の帯方郡掌握がいかに韓にとって大きな脅威だっ...
これに対して魏ももちろん黙ってはいない。両郡を督励して...
そこで私見では「すでに九州島に亡命していた」と見るので...
その亡命先はどこか? 糸島郡だろう。かってここは「イソ...
またこのことと、辰韓の表の「首長」にまとめてある「12...
天君・・・「テンクン」と読むか。要するに司祭者・祭祀者の...
もし「あめぎみ」なら、馬韓の方がより古い使用例であるか...
600年は例の白村江の敗戦(663年)より前であり、馬...
蘇塗・・・「ソト」。国々には「蘇塗」と呼ばれる別邑(別区...
後者は「諸亡逃げてその中に至れば、みなこれ(蘇塗)より...
「ソ」は倭語で「セ(背)」の意味かとも考える。「背」は...
城郭・城柵・・・馬韓には城柵も城郭もなく、辰韓には城柵だ...
弁韓は「城郭都市」すなわち「商業都市」だったと見てよい...
歩戦・・・歩兵による戦い。江上波夫の「騎馬民族説」は大略...
東夷人の「阿(ア)」・・・大陸中国人の言う東夷とは、山東...
この東夷の種族が自分のことを「阿(ア)」と言う、とここ...
...
魏志倭人伝・目次
魏志倭人伝は漢字で2600字という長い文書である。他の多く...
ただし倭人伝は、大きく三つの段落に分けられるので、以下...
(Ⅰ) 倭人の国々への行程
魏志倭人伝
はじめに
魏志倭人伝こそは「倭人」史料の白眉であり、2600字余りの...
この中に登場する「邪馬台国(女王国)」の場所の比定をめ...
「紀記」のような自国民が自国民のために書いた(実際は編...
最近は考古学的所見から、畿内説が有利になったと言われる...
私見では魏志倭人伝の記録のみの整合的解釈から「九州説」...
とにかく邪馬台国畿内説は「やまたい→やまと」の語呂から、...
次に述べる(Ⅰ)から、畿内説はまったく成り立たないことが...
(Ⅰ) 倭人の国々への行程―邪馬台国畿内説は成立せず
< 倭人国家群の一覧表 >
国 読み 行程 国勢 首長 官 備考
1狗邪韓国 くやかん 帯方郡から
水行7千余里 ? ? ? 戸数・首長・官はいずれも記...
2對馬国 つしま 渡海千余里 千余戸 ? 卑狗
卑奴母離 今日の対馬
3一大国 いき 渡海千余里 三千許家 ? 卑狗
卑奴母離 今日の壱岐
4末盧国 まつら 渡海千余里 四千余戸 ? 今日の唐津
5伊都国 いつ 末盧国から東南へ
陸行5百里 千余戸 ? 爾支
泄謨觚
柄渠觚 イト国とは読まない
唐津から東南へ5百里を徒歩5日行程と考え、佐賀県厳木、多...
帯方郡使はここで旅装を解いた
6奴国 な 伊都国から東南へ
陸行百里 2万余戸 ? (兄の上が凹)馬觚(しまこ)
卑奴母離 今日の佐賀市
7不彌国 ふみ 伊都国から東へ
陸行百里 千余家 ? 多模
卑奴母離 今日の佐賀県大和町
8投馬国 つま 南へ
水行20日 5万余戸 ? 彌彌
彌彌那利 今日の鹿児島と宮崎とを併せた地域
「古日向」のこと
記紀で神武天皇の子(皇子)とされる「タギシミミ」「キスミ...
9邪馬台国 やまたい 南へ
水行10日
陸行一月
郡より女王国までは
1万2千余里 7万余戸
※この数字は女王国だけではなく傘下の国家群を含めての戸数。...
彌馬升
彌馬獲支奴佳?(革に是) 今日の八女市郡域
当時の官制を見ると、トップには「いきま」すなわち「生目・...
要するに女王国は、その南部にあって侵略を狙う狗奴国への...
10斯馬国 しま ? 斯馬国以下は傍国にして遠絶なため国...
11已百支国 いおき ? 長崎県彼杵地方。「彼杵」は本来...
12伊邪国 いや ? 長崎県諫早地方
13都支国 つき ? 長崎県生月島
14彌奴国 みな ? 大きな「みなと(港)」?
15好古都国 こうこつ ? 長崎県島原・口之津
16不呼国 ふこ ? ?
17姐奴国 しゃな ? ?
18對蘇国 つそ ? 佐賀県鳥栖市
19蘇奴国 そな ? ?
20呼邑国 こゆう ? 「こゆ」か?「越ゆ」とすれば渡船...
21華奴蘇奴 国 かなそな ? 佐賀県神崎郡
22鬼国 き ? 福岡県基山町
23為吾国 いご ? ?
24鬼奴国 きな ? 大分県日田市
25邪馬国 やま ? 大分県山国地方
26躬臣国 くじ ? 大分県玖珠郡
27巴利国 はり ? 福岡県杷木町
28支惟国 きい ? 福岡県三池町
29烏奴国 うな ? 熊本県菊池川中流域
「クコチヒコ(菊池彦)の「菊池国」はもう少し上流にあった。
30奴国 な 女王国の最南部。さらにその南には狗奴国がある。 ...
狗奴国とは菊池川を挟んで対峙していた国。29烏奴国と並んで...
(倭種の国) 女王国の東を渡海した所にある 何ヶ国かは...
(侏儒国) しゅじゅ 女王国の南、4千余里にある この4千...
一方、4千余里を水行とみなすと、船で4日の行程だから、八...
(裸国・黒歯国) ら・こくし 女王国から東南へ、船で一年か...
(倭地) 島に絶在し、多くの島々があり、ぐるっと周回すれ...
福岡県の南部・佐賀県・長崎県の全域を指している(女王国連...
(注)
「邪馬台国畿内説」の破綻・・・表の中の行程を見れば、どう...
郡(帯方郡)から半島南部の狗邪韓国まで7千里(余は省く)...
狗邪韓国から対馬海峡を渡って末盧国(唐津市)まで3千里・...
末盧国から伊都国まで陸行で5百里・・・・・・・・・・・・・・...
伊都国から直線ルートで奴国経由不彌国まで2百里・・・・・...
(牧健二説のように放射ルートなら百里・・・・・・・・・・...
以上から半島から不彌国まで①②③④なら1万7百里。行程で言え...
また①②③⑤ルートなら1万6百里。行程で言えば「水行十日」「陸...
このうち郡から末盧国までの1万里は水行であるから「水行十...
一方、郡(帯方郡)から女王国までは1万2千里(余は省く)...
さて、⑥から1万2千里の内の1万里は「水行十日」に当たるこ...
以上の結論は、邪馬台国は九州北岸の唐津(末盧国)に上陸...
すなわち、邪馬台国(女王国)は九州島の中に求めるしかな...
したがって女王国への行程記事「南至る、邪馬台国、女王の...
問題は「2千里」が「陸行一月」に該当するかどうかに移らな...
唐津から陸行一月(徒歩で一ヶ月)で女王国に到達する、と...
すると唐津から東南へ陸行5百里、つまり女王国までの行程2...
天気が毎日晴天なら、一日の行程は500里÷7.5=66里...
これを基に「陸行一月」の正味行程は20日ほど(倭人伝の距...
簡便法としては地図の上で、唐津から松浦川沿いに到達する...
これに該当するのは、八女市、山門郡、三池郡あたりである。
私見ではこのうち「日本書紀・景行紀」のいわゆる<筑紫遠征...
投馬国の位置・・・投馬国の行程記事は直前の不彌国のすぐあ...
しかしそこに戸数5万戸を容れることは到底不可能である。
投馬国も邪馬台国の行程同様「南至る、○○国、水行○日」とい...
そうすると投馬国へは「帯方郡から南へ水行20日」の所にあ...
そのような場所は九州島では西回りなら鹿児島、東回りなら...
南九州投馬国説には大いなる証拠がある。それは記紀の「神...
これを「神武東征造作説」論者は「南九州からの東征という...
それとも「ミミ」は投馬国の「彌彌」とは何の関係も無い、...
記紀の編纂者は史記をはじめ、中国の正史を読んでいる以上...
狗邪韓国・・・くや(かや)かん国。弁韓の最南部の国「?(...
弁韓にも辰韓にも「文身(入れ墨)をした海洋系倭人」が多...
狗奴国・・・くな国。上の表からは外したが、女王国の南に位...
王は倭人伝では「卑弥弓呼(ひみくこ)」だが、これは「卑...
この狗奴国は後に述べる「大倭(北部九州倭人連合)」と同...
「行程」の一要素である方角は「女王国の南」と記されてい...
<狗奴国=熊襲>説を唱える論者は多いが、この人たちは熊襲...
私見では狗奴国は熊本県だが、鹿児島・宮崎(古日向)は上...
古事記で両国を一括して「熊曽国」としたのは、両国に種族...
だが邪馬台国との関連では狗奴国は領土を隣接させているこ...
狗奴国が弥生時代には強い土着性を持ち、投馬国と同じ火山...
それに比べると、鹿児島の南北を貫くカルデラ火山の動きは...
これが鹿児島・宮崎南部の「曽人」をして海と海の交流つま...
倭種の国・侏儒国・裸国・黒歯国・・・東へ渡海したらやはり...
侏儒国はどうか?畿内説だと南を東に置き換えるから、その...
裸国・黒歯国はいわゆる南洋系の住民だろう。ポリネシア・...
周回すると5千里・・・原文では「参問倭地、絶在海中洲島之上...
畿内説ではこれの説明となると完全におてあげとなる。中に...
私見ではこの「周旋五千余里」を末盧国(唐津)から西九州...
壱岐、對馬、狗邪韓国を除く倭地(九州島)の上での女王国...
古事記の国生み神話で九州島(筑紫島)を筑紫国(白日別)...
異名の中の「建日向」を一般には「建・日向」(猛々しい日...
私見ではこれを「建日に向かい」と倭漢文で読む。すると「...
(Ⅱ) 倭人国の風土・国情
(Ⅱ) 倭人国の風土と国情
倭人伝では各国への行程記事のあと、風土・国情記事に移る。
ここでは主に中国との対比的な記事を取り上げて、注記してい...
・男子は大小と無く、皆、黥面し、文身す。
風俗の最初の記事である。韓伝にあった「文身する倭人に...
・古へ(いにしへ)より以来、その使いの中国に詣(いた)る...
漢代に「古へ」といえば、周王朝時代を指すという。魏の...
彼らが自称したという「大夫」は中国の官制では第五等ク...
・夏后少康の子の会稽に封ぜられるや、断髪文身し、以って蛟...
夏は夏王朝のこと。殷王朝の前代で、『史記』の「三表」...
その子で会稽地方の王として下った者が、断髪し、文身し...
すぐ上の「周王朝時代に越人と倭人が朝貢していた」とい...
・その死するや、棺ありて、槨無し。土を封じて塚を作る。
古墳時代の竪穴式納棺を想わせる一文である。陳寿が倭人...
・その人寿考にして、あるいは百年、あるいは八、九十年なり。
寿考は長寿の意味。百歳生きる人もあり、8,90歳まで...
この百や8,90歳は2倍年歴であり、実際にはその半分の...
その考えの前提にある「倭人は2倍年歴を採用していた」と...
・国々に市ありて、有る無しを交易す。大倭をしてこれを監せ...
国家間で市場取り引きが盛んだったようだ。その交易を監...
この大倭を一般には「倭の大人」とするが、そんなもので...
では、大倭とは何か?ずばり言えば、九州北部(おおむね...
「大倭」は『旧事本紀』巻十「国造本紀」の前文に登場す...
・女王国以北は特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国これ...
一大率は「ある種の大きな率」で、「率」は指揮官・帥の...
この司令部を誰が置いたのかについては2説がある。一つ...
まず、後者について言うと、これはいただけない。なぜな...
では前者の一般説でよいか?
これもいただけない。女王国が置いたのならやはり女王国...
では、どこが置いたのだろうか?私見ではそれは「大倭」...
それではどうして倭人伝はその経緯を書かなかったのだろ...
それは単純な理由である。つまり魏と「大倭」とは国交が...
・その国、もとまた男子を以って王と為せり。住まること七、...
この一文で注意しなければならないのは「その国」と「倭...
紛争中でまだ男王が統治していた頃、九州島の中の一国で...
そんな気運を察したのか、戦争当事国からは外れていた卑...
これ以降、卑弥呼の国は「アマツヒツギノヒメミコのおわ...
邪馬台)」としてとりいれられたものと見る。
また、卑弥呼の国はけっして九州島全体の頂点に立ったわ...
卑弥呼が後世に残したものは何と言っても「アマツヒ(天...
(Ⅲ) 卑弥呼の死と宗女・台与の擁立
(Ⅲ) 卑弥呼の死 と宗女・台与の擁立
行程記事と風土記事を除くと、あとは卑弥呼が魏に初めて朝...
ここではその10年間の事績を表にあらわし、そのあと注記を...
< 景初2年(238)から正始8年(247)に至る女王国の年...
紀年
(西暦) 記 事 備 考
景初2年
(238年) 6月:卑弥呼、遣使する。使者は難升米(大夫)と都...
12月:魏の明帝、証書および金印紫綬などを下賜する。
(使者の二人にも位記と銀印が下賜された)
翌年の1月、明帝死亡。後継は斉王。 朝貢品:男女生口10人、...
下賜品:錦布類、銅鏡百枚その他
正始元年
(240年) 帯方郡太守キュウジュン、部下のテイシュンらに一...
女王、上表文によって答謝する。
正始4年
(243年) 倭王、貢献する。使者は伊聲耆(大夫)、掖邪狗ら8...
(伊聲耆・掖邪狗らも位記と銀印が下賜された) 朝貢品...
正始6年
(245年) 難升米が黄幢(コウドウ)を授かる。 ただし黄幢は...
正始8年
(247年) 殺害された帯方郡太守キュウジュンの後継者オウキ...
後継に男王が立つも国中が承服せず、内乱に陥り、戦死者が...
そこで卑弥呼の宗女(一族の娘)で歳が13才という台与を擁...
張政は布告して台与を告諭する。台与は掖邪狗ら20名に張政...
卑弥呼の墓:大きな高塚で、直径が百 余歩...
朝貢品:生口30人(男女)、白珠五千、 孔青大句...
(注)
金印紫綬・・・卑弥呼がもらった「親魏倭王」の金印。倭人が...
卑弥呼の場合、この親魏倭王印が発見されれば、おそらくそ...
難升米・都市牛利・・・あとに登場する伊聲耆・掖邪狗・載斯...
倭語ではどう読むのか?
難升米を私見では「なしおみ」と読む。「難=な=奴」と捉...
都市牛利・伊聲耆の倭音も意味も分からないが、次の掖邪狗...
最後の載斯烏越(さいしうえ)も難しいが、私見では「烏越...
何とも心もとないが、これらの官僚はすべて邪馬台国および...
銅鏡百枚・・・邪馬台国畿内論者が考古資料として必ず持ち出...
しかし、今日、景初年号を含むこの三角縁神獣鏡は百枚どこ...
日本列島で卑弥呼時代の景初年号を持つ鏡には他に「画文帯...
ただ卑弥呼の鏡かどうかは別として、三角縁神獣鏡は大和地...
黄幢・・・コウドウ。幢幡(トウハン)とも言い、戦闘を指揮...
これが邪馬台国に与えられたということは、女王国への特別...
私見では魏の属国になったとは思わないが、対狗奴国戦を有...
「大倭」が女王国を保護国化しているのなら「大倭」が狗奴...
詳しくは韓伝を見てもらうことにし、そのわけを簡略に言え...
卑弥呼以って死す・・・狗奴国との戦いが熾烈になり、ついに...
ということは、張政としては、現下の戦争状態は卑弥呼のよ...
したがって卑弥呼の死は一種の刑死となる。張政の命令で誰...
「卑弥呼以って死す」の「以って」を「すでに」と解釈する...
卑弥呼の墓が高塚(おそらく円墳)で、直径が百余歩(一歩...
宗女・台与・・・卑弥呼の死後、すぐに男王が立ったが、国中...
「台」は邪馬台国の「台」と同じく倭人伝の原文では「壹(...
また『隋書』では大和を「耶麻堆の後裔だろう」としている...
さて台与が女王となった経緯は、皮肉にも卑弥呼が擁立され...
それなら初めから女王を立てれば戦闘などせずに済むものを―...
邪馬台国の千人が戦死したという内紛も、いや内紛こそ考え...
それでも男王が立てられたのは張政ら魏王朝の意向だろう。...
かくして邪馬台国では再び女王が擁立されて「国中がついに...
台与が王位に就いて最初の仕事は、張政らを本国に送り届け...
生口は男女30人。白珠5千個(おそらく今の真珠)、孔青大...
白珠(真珠)の5千個というのは、女王国連盟が西九州の海岸...
・・・・・倭人伝の記事はここを以って終わる。
※台与のヤマタイ女王国はその後どうなったであろうか?
結論から言うと、その後約20年は安泰であったが、つ...
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