倭国
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倭・倭人が現われる最も古い時代を記した中国の書に、後漢の...
○周時、天下太平にして、越裳、白雉を献じ、倭人、鬯艸を貢す。
○暢草は倭より献ず。
○成王の時、越常、雉を献じ、倭人暢を貢す。
また戦国時代から後漢時代まで何度も加筆されて成ったとい...
○蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す。
『論衡』にみられる周の成王は紀元前1100年頃の王で、...
『山海経』の倭についても、倭を日本列島内に限定すると不...
私も、これらの倭・倭人記事は日本列島内のことではなく、...
このような中で、日本列島を中心として活動するようになっ...
○樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以時來献見云。(『漢...
○倭在韓東南大海中、依山島爲居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使...
○倭人在帶方東南大海中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見...
○倭人在帶方東南大海中、依山島爲國・・・舊有百餘小國相接。...
○倭國在高驪東南大海中。(『宋書』)
○倭國在帶方東南大海島中。(『南斉書』)
○倭・・・去帶方萬二千餘里。(『梁書』)
○倭國在百濟新羅東南、水陸三千里、於大海中依山島而居。魏時...
○倭國其先所出及所在、事詳北史。(『南史』)
○俀國在百濟新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。魏...
○倭國・・・去京師一萬四千里、在新羅東南大海中。依山島而居...
一見してわかるように、これらの記事は、倭と呼ばれる人た...
『魏志』倭人伝(『三国志』「魏書」烏丸鮮卑東夷伝倭人条...
○男子無大小皆黥面文身。
○男子皆露紒、以木緜招頭。其衣横幅、但結束相連略無縫。婦人...
男子はみな顔や体に入墨をし、服は横幅の広いものをただ束...
日本文化の特徴である高床式住居、鳥居、『魏志』倭人伝が...
『漢書』から『旧唐書』まで、中国の史書は倭国を倭人の国...
『魏志』倭人伝は、240年頃倭国の都は邪馬壹国にあり、...
ところで倭国の範囲というのは限定できるのだろうか。倭国...
○其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下、...
○有阿蘇山。
ここでは方角がキーポイントになってくる。この記事の後、...
○經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國・・・
とある。この記事は対馬から壱岐に行くときのものであり、こ...
この「東」を「南」と読むことについて、原文改定ではない...
また「有阿蘇山」について、倭国は九州から関東にまで及ん...
『隋書』のこれらの記事は、俀国すなわち倭国が九州島であ...
邪馬台国探しに『魏志』倭人伝は引っ張りだこであるが、卑...
○經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國、又東至...
「東至一支國」の「東」はすでにみたように「南」を意味す...
○我夷人、僻在海隅、不聞禮義、是以稽留境内、不即相見。
俀王は「私は夷人であり、礼義がわからない。そこで境内にし...
この『隋書』の存在によって、俀国すなわち倭国は九州島で...
それではこのあと、倭国はどうなったのだろうか。『旧唐書...
○東西五月行、南北三月行。世與中國通。・・・四面小島五十餘...
○貞觀五年・・・又遣新州刺史高表仁持節往撫之。表仁無綏遠之...
○至二十二年、又附新羅奉表、以通起居。
「東西五月行、南北三月行」は『隋書』と同じ書き方であり、...
ここで時代を遡って、後漢の光武帝から金印を賜った委奴国...
○建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀。・・・倭國之極南界也。光武...
○安帝永初元年、倭國王帥升等献生口百六十人、願請見。
建武中元二年(57)に光武帝より賜った印綬は金印紫綬で...
建武中元二年の朝貢は倭の代表である倭奴国だった。しかし...
2世紀末になると、倭国は乱れ歴年王がいなかったという。...
○其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年、乃共...
と書く。卑弥呼が共立される前は「本亦以男子爲王」とあるよ...
倭人の国は1世紀中頃、九州博多湾周辺地域を最南部として...
この2世紀末の倭国乱の結果、倭国の覇権は倭奴国から邪馬...
終了行:
倭・倭人が現われる最も古い時代を記した中国の書に、後漢の...
○周時、天下太平にして、越裳、白雉を献じ、倭人、鬯艸を貢す。
○暢草は倭より献ず。
○成王の時、越常、雉を献じ、倭人暢を貢す。
また戦国時代から後漢時代まで何度も加筆されて成ったとい...
○蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す。
『論衡』にみられる周の成王は紀元前1100年頃の王で、...
『山海経』の倭についても、倭を日本列島内に限定すると不...
私も、これらの倭・倭人記事は日本列島内のことではなく、...
このような中で、日本列島を中心として活動するようになっ...
○樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以時來献見云。(『漢...
○倭在韓東南大海中、依山島爲居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使...
○倭人在帶方東南大海中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見...
○倭人在帶方東南大海中、依山島爲國・・・舊有百餘小國相接。...
○倭國在高驪東南大海中。(『宋書』)
○倭國在帶方東南大海島中。(『南斉書』)
○倭・・・去帶方萬二千餘里。(『梁書』)
○倭國在百濟新羅東南、水陸三千里、於大海中依山島而居。魏時...
○倭國其先所出及所在、事詳北史。(『南史』)
○俀國在百濟新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。魏...
○倭國・・・去京師一萬四千里、在新羅東南大海中。依山島而居...
一見してわかるように、これらの記事は、倭と呼ばれる人た...
『魏志』倭人伝(『三国志』「魏書」烏丸鮮卑東夷伝倭人条...
○男子無大小皆黥面文身。
○男子皆露紒、以木緜招頭。其衣横幅、但結束相連略無縫。婦人...
男子はみな顔や体に入墨をし、服は横幅の広いものをただ束...
日本文化の特徴である高床式住居、鳥居、『魏志』倭人伝が...
『漢書』から『旧唐書』まで、中国の史書は倭国を倭人の国...
『魏志』倭人伝は、240年頃倭国の都は邪馬壹国にあり、...
ところで倭国の範囲というのは限定できるのだろうか。倭国...
○其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下、...
○有阿蘇山。
ここでは方角がキーポイントになってくる。この記事の後、...
○經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國・・・
とある。この記事は対馬から壱岐に行くときのものであり、こ...
この「東」を「南」と読むことについて、原文改定ではない...
また「有阿蘇山」について、倭国は九州から関東にまで及ん...
『隋書』のこれらの記事は、俀国すなわち倭国が九州島であ...
邪馬台国探しに『魏志』倭人伝は引っ張りだこであるが、卑...
○經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國、又東至...
「東至一支國」の「東」はすでにみたように「南」を意味す...
○我夷人、僻在海隅、不聞禮義、是以稽留境内、不即相見。
俀王は「私は夷人であり、礼義がわからない。そこで境内にし...
この『隋書』の存在によって、俀国すなわち倭国は九州島で...
それではこのあと、倭国はどうなったのだろうか。『旧唐書...
○東西五月行、南北三月行。世與中國通。・・・四面小島五十餘...
○貞觀五年・・・又遣新州刺史高表仁持節往撫之。表仁無綏遠之...
○至二十二年、又附新羅奉表、以通起居。
「東西五月行、南北三月行」は『隋書』と同じ書き方であり、...
ここで時代を遡って、後漢の光武帝から金印を賜った委奴国...
○建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀。・・・倭國之極南界也。光武...
○安帝永初元年、倭國王帥升等献生口百六十人、願請見。
建武中元二年(57)に光武帝より賜った印綬は金印紫綬で...
建武中元二年の朝貢は倭の代表である倭奴国だった。しかし...
2世紀末になると、倭国は乱れ歴年王がいなかったという。...
○其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年、乃共...
と書く。卑弥呼が共立される前は「本亦以男子爲王」とあるよ...
倭人の国は1世紀中頃、九州博多湾周辺地域を最南部として...
この2世紀末の倭国乱の結果、倭国の覇権は倭奴国から邪馬...
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