古代朝鮮
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15 古代朝鮮(前)
箕子朝鮮
古代朝鮮の歴史については、金富軾(きんふしき)の書いた...
しかし、『日本書紀』の年代を修正することができて、ある...
まずは、『史記』を初めとする中国の正史に登場する古代朝...
正史に朝鮮半島の国が登場するのは、箕子(きし)朝鮮が最...
「後漢書東夷伝」の序文の末尾には、箕子朝鮮について次の...
昔、箕子が殷の衰運を避けて朝鮮に移住した。それ以前の朝...
ここには、箕子の統治によって朝鮮がよく治められたと書か...
この文章は、『漢書』の「地理誌・燕地の条」にある同様の...
古代朝鮮の歴史書にはもう一つ、一然の書いた『三国遺事』...
衛氏朝鮮と辰国
「史記朝鮮伝」によれば、燕がその全盛時以来、朝鮮・真番...
BC222年に秦が燕を滅ぼすと、朝鮮は遼東郡の境域外とされ...
BC206年に秦が滅んで漢の時代になると、燕人の衛満が朝鮮...
『三国志』の「魏志韓伝」によれば、国を奪われた箕子朝鮮...
①.東夷の中国への侵入を抑える。
②.東夷の君長の朝貢を妨害しない。
ところが衛氏は約束を守りませんでした。衛氏は真番・臨屯...
ここに真番・臨屯という地名が登場するのは、真番を二つに...
「後漢書韓伝」によれば、半島南部の韓国が昔の辰国だとい...
「魏志韓伝」によれば、半島東南部の辰韓が昔の辰国だとい...
これらの史料を総合すると、準王が辰韓の地に入って住み着...
「魏志辰韓伝」によれば、辰韓には秦韓の別名があり、秦人...
彼らは秦の徐福の子孫だと思います。陳寿はこの人々を楽浪...
「後漢書?伝」によれば、?(わい)・沃沮(よくそ)・高句...
正史の中の朝鮮の歴史記事は、断片的です。そのため全体像...
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
Ⅱ古暦の巻 五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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15 古代朝鮮(後)
楽浪郡の時代
BC108年に衛氏を滅ぼした漢は、朝鮮半島に四つの郡を置き...
しかし住民の抵抗にあって、楽浪郡以外は長続きしませんで...
漢末から魏の時代には楽浪郡の南半分に帯方郡が置かれ、二...
「魏志韓伝」には、注目される記事がありました。馬韓の辰...
思い出すのは、倭の五王の主張です。倭の五王は、馬韓・秦...
ただ、倭国の韓国支配を正史で確認することはできません。...
3世紀の百済や新羅はまだ小国です。馬韓の中の伯済国が後...
4世紀になると、世界が一変します。中国では北方民族が活...
帯方郡が滅んだときには、百済が帯方郡を助けて戦ったと『...
新羅の成長もこの頃からです。中国の植民地支配という重し...
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
Ⅱ古暦の巻 五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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16 高句麗(前)
高句麗本紀1
『三国史記』の「高句麗本紀」によれば、BC37年に、朱蒙...
初め、夫余(ふよ)王の解夫婁(かいふる)がいた。宰相...
夫余の旧都に、どこからか解慕漱(かいぼそう)と自称する...
朱蒙は、母の勧めを聞いて南に移り、卒本川(渾江)に来て...
夫余王の姓は解氏とされていますが、朝鮮語では解を「へ」...
東海の浜辺の東夫余は、朝鮮半島の東海岸の?をさすと思われ...
朱蒙は諡号(おくりな)を東明といいますが、夫余の始祖も...
「高句麗本紀」によれば、BC19年に朱蒙が死亡したと書か...
『漢書』の年代を信じるなら、高句麗の初期には半年暦が使...
『三国史記』の称元法では、前王の死亡年と新王の元年は重...
高句麗は箕子の影響で、早くから中国化が進んだと思いまし...
高句麗は、2代琉璃(るり)王の時に、都を集安(吉林省)...
高句麗本紀2
「高句麗本紀」の記事は、4代の王から中国暦で書かれてお...
には、6代・7代・8代の記事が正史と大きく食い違います。...
図表20 高句麗三大王の死亡年
西暦 ⑥宮 ⑦遂成 ⑧伯固
53 7才即位 ー ー
146 100才退位 76才即位 ー
165 119才死亡 95才死亡 77才即位
179 ー ー 91才死亡
「高句麗本紀」によれば、6代太祖大王は名を宮といい、父...
7代次大王は名を遂成といい、146年に76才で即位しました。...
8代新大王は名を伯固といい、宮の末弟だといいます。165年...
長寿の王が三代続いたことも珍しいですが、それ以上に不自...
もっとも、日本の応神天皇と神功皇后のような事例もありま...
「後漢書高句麗伝」によれば、121年に宮が死んで、子の遂成...
6宮─────7遂成─────8伯固
高句麗本紀3
これより以後、「高句麗本紀」には紀年上の大きな問題はな...
8伯固──┬──抜奇
└──9伊夷模─────10位宮
上は「魏志高句麗伝」に書かれた系譜です。「高句麗本紀」...
8伯固──┬──(抜奇)
├──9故国川(伊夷模)
├──(発岐)
└──10山上(延優・位宮)─────11東川
19故国川……179~197
10山上………197~227
11東川………227~248
まず抜奇ですが、この人物が一番の問題です。両書とも抜奇...
わかりやすいのは位宮です。力が強く、乗馬に巧みで、狩や...
位宮は女王卑弥呼と同時代の人物です。景初2年(238年)に...
伊夷模は位宮の父ですから10代山上王です。「魏志高句麗伝...
抜奇は、遼東郡の公孫康が高句麗を攻めたときに、三万人を...
問題は故国川王ですが、故国川王は抜奇でしょう。正史には...
一方の伊夷模は、この事件を機に都を移して、新しい国を建...
8伯固──┬──9故国川(抜奇・発岐)
└──10山上(伊夷模・延優)─────11東川(位宮)
広開土王碑文
その他の史料で「高句麗本紀」と違う記事のあるものは、広...
碑文によれば、広開土王の元年は391年で、時に、王は18才で...
問題は即位年です。1年ずれていますが、碑文の391年が正し...
また、碑文の中に次の文があります。
十七世孫国岡上広開土境平安好太王。
国岡上広開土境平安好太王というのは、王の諡号(おくりな...
ここの問題は17世です。「高句麗本紀」によれば、広開土王...
第一には、伯固王の在位がおよそ50年と長いにもかかわらず...
第二には、故国川王のあとに山上王の30年が続きますが、こ...
6宮──7遂成──8伯固──◯◯─┬─9故国川
└─◯◯──10山上──11...
図表21 高句麗王年表 ◯は修正した在位年代
代 王 名 修正しない
在位年数 元年 ~ 死亡年
1 東 明 19 ◯ 3後半~12後半
2 琉 璃 37 ◯13前半~31前半
3 大武神 27 ◯31前半~44前半
4 閔 中 5 44 ~ 48
5 慕 本 6 48 ~ 53
6 太祖大 94 ◯ 53 ~ 121
7 次 大 20 ◯121 ~ 130頃
8 新 大 15 ◯130頃~ 179
9 故国川 9 179 ~ 197
10 山 上 31 197 ~ 227
11 東 川 22 227 ~ 248
12 中 川 23 248 ~ 270
13 西 川 23 270 ~ 29
14 烽 上 9 292 ~ 300
15 美 川 32 300 ~ 331
16 故国原 41 331 ~ 371
17 小獣林 14 371 ~ 384
18 故国壌 8 ◯384 ~ 391
19 広開土 22 ◯391 ~ 412
20 長 寿 79 413 ~ 491
21 文 咨 28 492 ~ 519
22 安 蔵 13 519 ~ 531
23 安 原 15 531 ~ 545
24 陽 原 15 545 ~ 559
25 平 原 32 559 ~ 590
26 嬰 陽 29 590 ~ 618
27 栄 留 25 618 ~ 642
28 宝 蔵 27 642 ~ 668
図表22 高句麗王の修正しない系図
1東明──2琉璃─┬─3大武神──5慕本
1東 明──2琉璃─├─4閔中
1 東明──2琉璃─└─再思──┬─6太祖大
1東明──2琉璃─└─再思──├─7次大
1 東明──2琉璃─└─再思──└─8新大─┬─9故国川
1東 明──2琉璃─└─再思──└─8新大─└─10山上──┐
...
┌─────────────――――――――――――――─┘
│
└─11東川───12中川───13西川─┬─14烽上
1東 明──2琉璃─└─再思───13西川─└─◯◯――─┐
│
┌──────────────────────――――─┘
│
└─15美川───16故国原─┬─17小獣林
└─ 15美川───16故国原─└─18故国壌──┐
│
┌─────────────―――――――――─┘
│
└─19広開土──20長寿──◯◯──21文咨──┐
│
┌─────────────――――――――――─┘
│
└┬─22安蔵
─└─23安原──24陽原───25平原─┬─26嬰陽
─ 25 平 原─├─27栄留
└─24陽 原───25原 ─└──◯◯──┐
┌────┘
└──28宝蔵
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16 高句麗(後)
広開土王碑文
その他の史料で「高句麗本紀」と違う記事のあるものは、広...
碑文によれば、広開土王の元年は391年で、時に、王は18才で...
問題は即位年です。1年ずれていますが、碑文の391年が正し...
また、碑文の中に次の文があります。
十七世孫国岡上広開土境平安好太王。
国岡上広開土境平安好太王というのは、王の諡号(おくりな...
ここの問題は17世です。「高句麗本紀」によれば、広開土王...
第一には、伯固王の在位がおよそ50年と長いにもかかわらず...
第二には、故国川王のあとに山上王の30年が続きますが、こ...
6宮──7遂成──8伯固──◯◯─┬─9故国川
└─◯◯──10山上──11...
図表21 高句麗王年表 ◯は修正した在位年代
代 王 名 修正しない
在位年数 元年 ~ 死亡年
1 東 明 19 ◯ 3後半~12後半
2 琉 璃 37 ◯13前半~31前半
3 大武神 27 ◯31前半~44前半
4 閔 中 5 44 ~ 48
5 慕 本 6 48 ~ 53
6 太祖大 94 ◯ 53 ~ 121
7 次 大 20 ◯121 ~ 130頃
8 新 大 15 ◯130頃~ 179
9 故国川 9 179 ~ 197
10 山 上 31 197 ~ 227
11 東 川 22 227 ~ 248
12 中 川 23 248 ~ 270
13 西 川 23 270 ~ 29
14 烽 上 9 292 ~ 300
15 美 川 32 300 ~ 331
16 故国原 41 331 ~ 371
17 小獣林 14 371 ~ 384
18 故国壌 8 ◯384 ~ 391
19 広開土 22 ◯391 ~ 412
20 長 寿 79 413 ~ 491
21 文 咨 28 492 ~ 519
22 安 蔵 13 519 ~ 531
23 安 原 15 531 ~ 545
24 陽 原 15 545 ~ 559
25 平 原 32 559 ~ 590
26 嬰 陽 29 590 ~ 618
27 栄 留 25 618 ~ 642
28 宝 蔵 27 642 ~ 668
図表22 高句麗王の修正しない系図
1東明──2琉璃─┬─3大武神──5慕本
1東 明──2琉璃─├─4閔中
1 東明──2琉璃─└─再思──┬─6太祖大
1東明──2琉璃─└─再思──├─7次大
1 東明──2琉璃─└─再思──└─8新大─┬─9故国川
1東 明──2琉璃─└─再思──└─8新大─└─10山上──┐
...
┌─────────────――――――――――――――─┘
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└─11東川───12中川───13西川─┬─14烽上
1東 明──2琉璃─└─再思───13西川─└─◯◯――─┐
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└─15美川───16故国原─┬─17小獣林
└─ 15美川───16故国原─└─18故国壌──┐
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└─19広開土──20長寿──◯◯──21文咨──┐
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└┬─22安蔵
─└─23安原──24陽原───25平原─┬─26嬰陽
─ 25 平 原─├─27栄留
└─24陽 原───25原 ─└──◯◯──┐
┌────┘
└──28宝蔵
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
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17 百済(前)
百済本紀
「百済本紀」の本文によると、始祖は朱蒙の子の温祚(おん...
しかし「百済本紀」は、兄の沸流を始祖とする別伝も紹介し...
本文では百済王を高句麗初代の朱蒙の子孫としますが、別伝...
「百済本紀」の紀年を修正するときには、313年が歴史上の定...
「高句麗本紀」の15代美川(びせん)王の条によれば、313年...
「百済本紀」の9代責稽(せきけい)王元年の条によれば、...
結論を言うと、13代近肖古(きんしょうこ)王のときに中国...
この修正によれば、百済の建国は165年前半になります。百済...
その温祚王のときに、百済が馬韓を滅ぼしたとありますが、...
2代多婁(たろう)王の6年の条には、この年に初めて稲田...
9代責稽王は、322年(修正年)に漢人と貊(はく)の侵入を...
楽浪郡は、やがて高句麗の手中に帰しました。334年に故国原...
一方、帯方郡を吸収した百済もまた、中国風の制度・文化を...
干支について
『日本書紀』は、百済から伝わった歴史書を用いて日韓関係...
『日本書紀』の紀年では、神功皇后は3世紀の人で、4世紀...
『日本書紀』は、編者舎人親王らの悪戦苦闘する様子がうか...
そこで二人を同時代の人とするために、『日本書紀』では近...
それでは干支(えと)とは何かといえば、十干と十二支から...
十二支は、子(し)丑(ちゅう)寅(いん)卯(ぼう)辰(...
以上のことを毎年繰り返すと、干と支の組み合わせが60通り...
たとえば、2009年は、60年かける33あまり29年です。29年は...
4甲子(コウシ・きのえね) 34甲午(コウゴ・きのえうま)
5乙丑(オツチュウ・きのとうし) 35乙未(オツミ・きのとひ...
6丙寅(ヘイイン・ひのえとら) 36丙申(ヘイシン・ひのえさ...
7丁卯(テイボウ・ひのとう) 37丁酉(テイユウ・ひのととり)
8戊辰(ボシン・つちのえたつ) 38戊戌(ボシュツ・つちのえ...
9己巳(キシ・つちのとみ) 39己亥(キガイ・つちのとい)
10庚午(コウゴ・かねのえうま) 40庚子(コウシ・かねのえね)
11辛未(シンミ・かねのとひつじ) 41辛丑(シンチュウ・かね...
12壬申(ジンシン・みずのえさる) 42壬寅(ジンイン・みずの...
13癸酉(キユウ・みずのととり) 43癸卯(キボウ・みずのとう)
14甲戌(コウシュツ・きのえいぬ) 44甲辰(コウシン・きのえ...
15乙亥(オツガイ・きのとい) 45乙巳(オツシ・きのとみ)
16丙子(ヘイシ・ひのえね) 46丙午(ヘイゴ・ひのえうま)
17丁丑(テイチュウ・ひのとうし) 47丁未(テイミ・ひのとひ...
18戊寅(ボイン・つちのえとら) 48戊申(ボシン・つちのえさ...
19己卯(キボウ・つちのとう) 49己酉(キユウ・つちのととり)
20庚辰(コウシン・かねのえたつ) 50庚戌(コウシュツ・かね...
21辛巳(シンシ・かねのとみ) 51辛亥(シンガイ・かねのとい)
22壬午(ジンゴ・みずのえうま) 52壬子(ジンシ・みずのえね)
23癸未(キミ・みずのとひつじ) 53癸丑(キチュウ・みずのと...
24甲申(コウシン・きのえさる) 54甲寅(コウイン・きのえと...
25乙酉(オツユウ・きのととり) 55乙卯(オツボウ・きのとう)
26丙戌(ヘイシュツ・ひのえいぬ) 56丙辰(へイシン・ひのえ...
27丁亥(テイガイ・ひのとい) 57丁巳(テイシ・ひのとみ)
28戊子(ボシ・つちのえね) 58戊午(ボゴ・つちのえうま)
29己丑(キチュウ・つちのとうし) 59己未(キミ・つちのとひ...
30庚寅(コウイン・かねのえとら) 60庚申(コウシン・かねの...
31辛卯(シンボウ・かねのとう) 61辛酉(シンユウ・かねのと...
32壬辰(ジンシン・みずのえたつ) 62壬戌(ジンシュツ・みず...
33癸巳(キシ・みずのとみ) 63癸亥(キガイ・みずのとい)
コラム 和風の読み方の解説 例・甲子(コウシ・きのえ...
き………五行説の木・火・土・金属・水のうちの一つ。
の………格助詞の「の」
え………「え」は年上の意味(例 えひめ)。一般に兄を当てる。
「と」は年下の意味、正しくは「おと」(例 おと...
一般に弟・乙を当てる。
「えおと」が訛って、「えと」で、「兄・弟」の意...
後に干支・十二支の意味に転用された。
ね………ね(鼠)・うし(牛)・とら(虎)・う(兎)
・たつ(竜)・み(蛇)・うま(馬)・ひつじ(羊)
・さる(猿)・とり(鳥)・いぬ(犬)・い(猪)
のうちの一つ。
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17 百済(中)
腆支王の謎
『日本書紀』には、4世紀の近肖古王から6世紀の威徳王に...
120年の繰り上がりを修正すると、『日本書紀』には欠けたと...
まず腆支(てんし)王の死亡年に問題があります。『日本書...
この件について、『日本書紀』に興味深い記事があります。...
百済の直支王(ときわう)薨(みまか)りぬ。即ち子久爾...
この記事のポイントは、直支王が亡くなった時に、幼少の太...
「百済本紀」では腆支王の子は久爾辛王で、久爾辛王の子を...
百済では、女王久爾辛の存在を中国に対して隠し通し、さも...
そこで、腆支王から毘有王までの年代については「百済本紀...
18腆支王
├────20毘有王─────21蓋鹵王
19久爾辛王
次に蓋鹵王以後の七代については、年代は「百済本紀」が正...
次に、前半の枕流(ちんりゅう)王と辰斯(しんし)王の二...
図表23 百済王の比較年表
代 王 名 百済本紀
元年~死亡年
日本書紀
元年~死亡年
13 近肖古 346~375 ~255
14 近仇首 375~384 256~264
15 枕 流 384~385 264~265
16 辰 斯 385~392 265~272
17 腆 支 392~405 272~285
18 阿 華 405~420 285~294
19 久爾辛 420~427 294~
20 毘 有 427~455 記載漏れ
21 蓋 鹵 455~475 ~475
22 文 周 475~477 477~
23 三 斤 477~479 ~479
24 東 城 479~501 479~502
25 武 寧 501~523 502~523
26 聖 523~554 524~554
27 威 徳 554~598 557~
図表24 百済王の比較系図
◯百済本紀
13近肖古───14近仇首─┬─15枕流───17阿華──┐
└─16辰斯 │
┌────────────―――――――――――――――┘
│ 別伝に
│ 18腆支───────────20毘有──
│
└───18腆支───19久爾辛───20毘有──┐
│
┌────────────―――――─────――┘
│
└─┬─21蓋鹵─―─22文周─―─23三斤
│
└──◯◯──―─24東城─―─25武寧──┐
│
┌─────――┘
└─26聖──27威徳
◯日本書紀
13近肖古───14近仇首─┬─15枕流──┐
└─16辰斯 │
│
┌────────────―――――――――┘
│
└─17阿華───18腆支─19久爾辛──┐
│
┌────────────――――――――┘
│
└─(20毘有)
┌─女性─┬─21蓋鹵──25武寧──26聖──27威徳
│ │
│ └──◯◯───24東城
│
└─22文周───23三斤
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
Ⅱ古暦の巻 五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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17 百済(後)
百済と倭国(倭の五王まで)
「百済本紀」には日本の記事はわずかしかありませんが、『...
『日本書紀』によれば、366年に倭国と百済の国交が開始され...
「百済本紀」によると、369年に百済は高句麗の侵入を撃退し...
「百済本紀」によれば、372年に百済は南朝の東晋に朝貢しま...
高句麗に広開土王が現れた4世紀末から5世紀初めにかけて...
この時期の新羅では、高句麗と倭国の両方に人質を送り、危...
百済は、397年に太子の腆支を倭国に送りました。403年には...
475年には、高句麗の長寿王が百済の都を攻略し、滅亡の危機...
百済と倭国(倭の五王以後)
継体天皇の時代には、百済は倭国から馬韓地方の割譲を受け...
551年には、聖明王が、高句麗と不和になっていた新羅と同盟...
欽明天皇の23年(562年)の条のよれば、大伴狭手彦(おおと...
しかし553年になると、百済が高句麗の平壌を攻めた留守を新...
7世紀になると、百済にも武王という軍事的天才が現れて、...
参考 従来、4世紀には百済が馬韓を支配したとされていまし...
現在の全羅南道・栄山江流域は、原三国時代には馬韓の領域...
4~5世紀の全羅南道・栄山江流域を中心とした地域に,百済...
図表25 百済王の年表
代 王 名 修正しない
在位年数 修正した
元年 ~ 死亡年
1 温 祚 46 165前半~187後半
2 多 婁 50 187後半~212前半
3 己 婁 52 212前半~237後半
4 蓋 婁 39 237後半~256後半
5 肖 古 49 256後半~280後半
6 仇 首 21 280後半~290後半
7 沙 伴 1 290後半~290後半
8 古 爾 53 290後半~316後半
9 責 稽 13 316後半~322後半
10 汾 西 7 322後半~325後半
11 比 流 41 325後半~345後半
12 契 3 345後半~346後半
13 近肖古 30 346 ~ 375
14 近仇首 10 375 ~ 384
15 枕 流 2 384 ~ 385
16 辰 斯 8 385 ~ 392
17 阿 華 14 392 ~ 405
18 腆 支 16 405 ~ 420
19 久爾辛 8 420 ~ 427
20 毘 有 29 427 ~ 455
21 蓋 鹵 21 455 ~ 475
22 文 周 3 475 ~ 477
23 三 斤 3 477 ~ 479
24 東 城 23 479 ~ 501
25 武 寧 23 501 ~ 523
26 聖 32 523 ~ 554
27 威 徳 45 554 ~ 598
28 恵 2 598 ~ 599
29 法 2 599 ~ 600
30 武 42 600 ~ 641
31 義 慈 20 641 ~ 660
図表26 修正しない百済王の系図
1温祚──2多婁──3己婁───4蓋婁──┐
│
┌───――――――――――――――――┘
│
└┬─5肖古───6仇首─┬─7沙伴
│ └─11比流───13近肖古─┐
└─8古爾───9責稽───10汾西───12契 │
...
┌─────────────────────――――――┘
│
└─14近仇首─┬─15枕流───17阿華──18腆支─┐
└─16辰斯 │
...
┌──────────────―――――――――─―――┘
└─19久爾辛─┐
│
┌─――――――┘
│
└─20毘有─┬─21蓋鹵───22文周───23三斤
└──◯◯────24東城───25武寧─┐
...
┌─────────────――――――――――――――┘
└─26聖─┬─27威徳
└─28恵───29法──30武──31義慈
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15 古代朝鮮(前)
箕子朝鮮
古代朝鮮の歴史については、金富軾(きんふしき)の書いた...
しかし、『日本書紀』の年代を修正することができて、ある...
まずは、『史記』を初めとする中国の正史に登場する古代朝...
正史に朝鮮半島の国が登場するのは、箕子(きし)朝鮮が最...
「後漢書東夷伝」の序文の末尾には、箕子朝鮮について次の...
昔、箕子が殷の衰運を避けて朝鮮に移住した。それ以前の朝...
ここには、箕子の統治によって朝鮮がよく治められたと書か...
この文章は、『漢書』の「地理誌・燕地の条」にある同様の...
古代朝鮮の歴史書にはもう一つ、一然の書いた『三国遺事』...
衛氏朝鮮と辰国
「史記朝鮮伝」によれば、燕がその全盛時以来、朝鮮・真番...
BC222年に秦が燕を滅ぼすと、朝鮮は遼東郡の境域外とされ...
BC206年に秦が滅んで漢の時代になると、燕人の衛満が朝鮮...
『三国志』の「魏志韓伝」によれば、国を奪われた箕子朝鮮...
①.東夷の中国への侵入を抑える。
②.東夷の君長の朝貢を妨害しない。
ところが衛氏は約束を守りませんでした。衛氏は真番・臨屯...
ここに真番・臨屯という地名が登場するのは、真番を二つに...
「後漢書韓伝」によれば、半島南部の韓国が昔の辰国だとい...
「魏志韓伝」によれば、半島東南部の辰韓が昔の辰国だとい...
これらの史料を総合すると、準王が辰韓の地に入って住み着...
「魏志辰韓伝」によれば、辰韓には秦韓の別名があり、秦人...
彼らは秦の徐福の子孫だと思います。陳寿はこの人々を楽浪...
「後漢書?伝」によれば、?(わい)・沃沮(よくそ)・高句...
正史の中の朝鮮の歴史記事は、断片的です。そのため全体像...
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
Ⅱ古暦の巻 五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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15 古代朝鮮(後)
楽浪郡の時代
BC108年に衛氏を滅ぼした漢は、朝鮮半島に四つの郡を置き...
しかし住民の抵抗にあって、楽浪郡以外は長続きしませんで...
漢末から魏の時代には楽浪郡の南半分に帯方郡が置かれ、二...
「魏志韓伝」には、注目される記事がありました。馬韓の辰...
思い出すのは、倭の五王の主張です。倭の五王は、馬韓・秦...
ただ、倭国の韓国支配を正史で確認することはできません。...
3世紀の百済や新羅はまだ小国です。馬韓の中の伯済国が後...
4世紀になると、世界が一変します。中国では北方民族が活...
帯方郡が滅んだときには、百済が帯方郡を助けて戦ったと『...
新羅の成長もこの頃からです。中国の植民地支配という重し...
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
Ⅱ古暦の巻 五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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16 高句麗(前)
高句麗本紀1
『三国史記』の「高句麗本紀」によれば、BC37年に、朱蒙...
初め、夫余(ふよ)王の解夫婁(かいふる)がいた。宰相...
夫余の旧都に、どこからか解慕漱(かいぼそう)と自称する...
朱蒙は、母の勧めを聞いて南に移り、卒本川(渾江)に来て...
夫余王の姓は解氏とされていますが、朝鮮語では解を「へ」...
東海の浜辺の東夫余は、朝鮮半島の東海岸の?をさすと思われ...
朱蒙は諡号(おくりな)を東明といいますが、夫余の始祖も...
「高句麗本紀」によれば、BC19年に朱蒙が死亡したと書か...
『漢書』の年代を信じるなら、高句麗の初期には半年暦が使...
『三国史記』の称元法では、前王の死亡年と新王の元年は重...
高句麗は箕子の影響で、早くから中国化が進んだと思いまし...
高句麗は、2代琉璃(るり)王の時に、都を集安(吉林省)...
高句麗本紀2
「高句麗本紀」の記事は、4代の王から中国暦で書かれてお...
には、6代・7代・8代の記事が正史と大きく食い違います。...
図表20 高句麗三大王の死亡年
西暦 ⑥宮 ⑦遂成 ⑧伯固
53 7才即位 ー ー
146 100才退位 76才即位 ー
165 119才死亡 95才死亡 77才即位
179 ー ー 91才死亡
「高句麗本紀」によれば、6代太祖大王は名を宮といい、父...
7代次大王は名を遂成といい、146年に76才で即位しました。...
8代新大王は名を伯固といい、宮の末弟だといいます。165年...
長寿の王が三代続いたことも珍しいですが、それ以上に不自...
もっとも、日本の応神天皇と神功皇后のような事例もありま...
「後漢書高句麗伝」によれば、121年に宮が死んで、子の遂成...
6宮─────7遂成─────8伯固
高句麗本紀3
これより以後、「高句麗本紀」には紀年上の大きな問題はな...
8伯固──┬──抜奇
└──9伊夷模─────10位宮
上は「魏志高句麗伝」に書かれた系譜です。「高句麗本紀」...
8伯固──┬──(抜奇)
├──9故国川(伊夷模)
├──(発岐)
└──10山上(延優・位宮)─────11東川
19故国川……179~197
10山上………197~227
11東川………227~248
まず抜奇ですが、この人物が一番の問題です。両書とも抜奇...
わかりやすいのは位宮です。力が強く、乗馬に巧みで、狩や...
位宮は女王卑弥呼と同時代の人物です。景初2年(238年)に...
伊夷模は位宮の父ですから10代山上王です。「魏志高句麗伝...
抜奇は、遼東郡の公孫康が高句麗を攻めたときに、三万人を...
問題は故国川王ですが、故国川王は抜奇でしょう。正史には...
一方の伊夷模は、この事件を機に都を移して、新しい国を建...
8伯固──┬──9故国川(抜奇・発岐)
└──10山上(伊夷模・延優)─────11東川(位宮)
広開土王碑文
その他の史料で「高句麗本紀」と違う記事のあるものは、広...
碑文によれば、広開土王の元年は391年で、時に、王は18才で...
問題は即位年です。1年ずれていますが、碑文の391年が正し...
また、碑文の中に次の文があります。
十七世孫国岡上広開土境平安好太王。
国岡上広開土境平安好太王というのは、王の諡号(おくりな...
ここの問題は17世です。「高句麗本紀」によれば、広開土王...
第一には、伯固王の在位がおよそ50年と長いにもかかわらず...
第二には、故国川王のあとに山上王の30年が続きますが、こ...
6宮──7遂成──8伯固──◯◯─┬─9故国川
└─◯◯──10山上──11...
図表21 高句麗王年表 ◯は修正した在位年代
代 王 名 修正しない
在位年数 元年 ~ 死亡年
1 東 明 19 ◯ 3後半~12後半
2 琉 璃 37 ◯13前半~31前半
3 大武神 27 ◯31前半~44前半
4 閔 中 5 44 ~ 48
5 慕 本 6 48 ~ 53
6 太祖大 94 ◯ 53 ~ 121
7 次 大 20 ◯121 ~ 130頃
8 新 大 15 ◯130頃~ 179
9 故国川 9 179 ~ 197
10 山 上 31 197 ~ 227
11 東 川 22 227 ~ 248
12 中 川 23 248 ~ 270
13 西 川 23 270 ~ 29
14 烽 上 9 292 ~ 300
15 美 川 32 300 ~ 331
16 故国原 41 331 ~ 371
17 小獣林 14 371 ~ 384
18 故国壌 8 ◯384 ~ 391
19 広開土 22 ◯391 ~ 412
20 長 寿 79 413 ~ 491
21 文 咨 28 492 ~ 519
22 安 蔵 13 519 ~ 531
23 安 原 15 531 ~ 545
24 陽 原 15 545 ~ 559
25 平 原 32 559 ~ 590
26 嬰 陽 29 590 ~ 618
27 栄 留 25 618 ~ 642
28 宝 蔵 27 642 ~ 668
図表22 高句麗王の修正しない系図
1東明──2琉璃─┬─3大武神──5慕本
1東 明──2琉璃─├─4閔中
1 東明──2琉璃─└─再思──┬─6太祖大
1東明──2琉璃─└─再思──├─7次大
1 東明──2琉璃─└─再思──└─8新大─┬─9故国川
1東 明──2琉璃─└─再思──└─8新大─└─10山上──┐
...
┌─────────────――――――――――――――─┘
│
└─11東川───12中川───13西川─┬─14烽上
1東 明──2琉璃─└─再思───13西川─└─◯◯――─┐
│
┌──────────────────────――――─┘
│
└─15美川───16故国原─┬─17小獣林
└─ 15美川───16故国原─└─18故国壌──┐
│
┌─────────────―――――――――─┘
│
└─19広開土──20長寿──◯◯──21文咨──┐
│
┌─────────────――――――――――─┘
│
└┬─22安蔵
─└─23安原──24陽原───25平原─┬─26嬰陽
─ 25 平 原─├─27栄留
└─24陽 原───25原 ─└──◯◯──┐
┌────┘
└──28宝蔵
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16 高句麗(後)
広開土王碑文
その他の史料で「高句麗本紀」と違う記事のあるものは、広...
碑文によれば、広開土王の元年は391年で、時に、王は18才で...
問題は即位年です。1年ずれていますが、碑文の391年が正し...
また、碑文の中に次の文があります。
十七世孫国岡上広開土境平安好太王。
国岡上広開土境平安好太王というのは、王の諡号(おくりな...
ここの問題は17世です。「高句麗本紀」によれば、広開土王...
第一には、伯固王の在位がおよそ50年と長いにもかかわらず...
第二には、故国川王のあとに山上王の30年が続きますが、こ...
6宮──7遂成──8伯固──◯◯─┬─9故国川
└─◯◯──10山上──11...
図表21 高句麗王年表 ◯は修正した在位年代
代 王 名 修正しない
在位年数 元年 ~ 死亡年
1 東 明 19 ◯ 3後半~12後半
2 琉 璃 37 ◯13前半~31前半
3 大武神 27 ◯31前半~44前半
4 閔 中 5 44 ~ 48
5 慕 本 6 48 ~ 53
6 太祖大 94 ◯ 53 ~ 121
7 次 大 20 ◯121 ~ 130頃
8 新 大 15 ◯130頃~ 179
9 故国川 9 179 ~ 197
10 山 上 31 197 ~ 227
11 東 川 22 227 ~ 248
12 中 川 23 248 ~ 270
13 西 川 23 270 ~ 29
14 烽 上 9 292 ~ 300
15 美 川 32 300 ~ 331
16 故国原 41 331 ~ 371
17 小獣林 14 371 ~ 384
18 故国壌 8 ◯384 ~ 391
19 広開土 22 ◯391 ~ 412
20 長 寿 79 413 ~ 491
21 文 咨 28 492 ~ 519
22 安 蔵 13 519 ~ 531
23 安 原 15 531 ~ 545
24 陽 原 15 545 ~ 559
25 平 原 32 559 ~ 590
26 嬰 陽 29 590 ~ 618
27 栄 留 25 618 ~ 642
28 宝 蔵 27 642 ~ 668
図表22 高句麗王の修正しない系図
1東明──2琉璃─┬─3大武神──5慕本
1東 明──2琉璃─├─4閔中
1 東明──2琉璃─└─再思──┬─6太祖大
1東明──2琉璃─└─再思──├─7次大
1 東明──2琉璃─└─再思──└─8新大─┬─9故国川
1東 明──2琉璃─└─再思──└─8新大─└─10山上──┐
...
┌─────────────――――――――――――――─┘
│
└─11東川───12中川───13西川─┬─14烽上
1東 明──2琉璃─└─再思───13西川─└─◯◯――─┐
│
┌──────────────────────――――─┘
│
└─15美川───16故国原─┬─17小獣林
└─ 15美川───16故国原─└─18故国壌──┐
│
┌─────────────―――――――――─┘
│
└─19広開土──20長寿──◯◯──21文咨──┐
│
┌─────────────――――――――――─┘
│
└┬─22安蔵
─└─23安原──24陽原───25平原─┬─26嬰陽
─ 25 平 原─├─27栄留
└─24陽 原───25原 ─└──◯◯──┐
┌────┘
└──28宝蔵
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17 百済(前)
百済本紀
「百済本紀」の本文によると、始祖は朱蒙の子の温祚(おん...
しかし「百済本紀」は、兄の沸流を始祖とする別伝も紹介し...
本文では百済王を高句麗初代の朱蒙の子孫としますが、別伝...
「百済本紀」の紀年を修正するときには、313年が歴史上の定...
「高句麗本紀」の15代美川(びせん)王の条によれば、313年...
「百済本紀」の9代責稽(せきけい)王元年の条によれば、...
結論を言うと、13代近肖古(きんしょうこ)王のときに中国...
この修正によれば、百済の建国は165年前半になります。百済...
その温祚王のときに、百済が馬韓を滅ぼしたとありますが、...
2代多婁(たろう)王の6年の条には、この年に初めて稲田...
9代責稽王は、322年(修正年)に漢人と貊(はく)の侵入を...
楽浪郡は、やがて高句麗の手中に帰しました。334年に故国原...
一方、帯方郡を吸収した百済もまた、中国風の制度・文化を...
干支について
『日本書紀』は、百済から伝わった歴史書を用いて日韓関係...
『日本書紀』の紀年では、神功皇后は3世紀の人で、4世紀...
『日本書紀』は、編者舎人親王らの悪戦苦闘する様子がうか...
そこで二人を同時代の人とするために、『日本書紀』では近...
それでは干支(えと)とは何かといえば、十干と十二支から...
十二支は、子(し)丑(ちゅう)寅(いん)卯(ぼう)辰(...
以上のことを毎年繰り返すと、干と支の組み合わせが60通り...
たとえば、2009年は、60年かける33あまり29年です。29年は...
4甲子(コウシ・きのえね) 34甲午(コウゴ・きのえうま)
5乙丑(オツチュウ・きのとうし) 35乙未(オツミ・きのとひ...
6丙寅(ヘイイン・ひのえとら) 36丙申(ヘイシン・ひのえさ...
7丁卯(テイボウ・ひのとう) 37丁酉(テイユウ・ひのととり)
8戊辰(ボシン・つちのえたつ) 38戊戌(ボシュツ・つちのえ...
9己巳(キシ・つちのとみ) 39己亥(キガイ・つちのとい)
10庚午(コウゴ・かねのえうま) 40庚子(コウシ・かねのえね)
11辛未(シンミ・かねのとひつじ) 41辛丑(シンチュウ・かね...
12壬申(ジンシン・みずのえさる) 42壬寅(ジンイン・みずの...
13癸酉(キユウ・みずのととり) 43癸卯(キボウ・みずのとう)
14甲戌(コウシュツ・きのえいぬ) 44甲辰(コウシン・きのえ...
15乙亥(オツガイ・きのとい) 45乙巳(オツシ・きのとみ)
16丙子(ヘイシ・ひのえね) 46丙午(ヘイゴ・ひのえうま)
17丁丑(テイチュウ・ひのとうし) 47丁未(テイミ・ひのとひ...
18戊寅(ボイン・つちのえとら) 48戊申(ボシン・つちのえさ...
19己卯(キボウ・つちのとう) 49己酉(キユウ・つちのととり)
20庚辰(コウシン・かねのえたつ) 50庚戌(コウシュツ・かね...
21辛巳(シンシ・かねのとみ) 51辛亥(シンガイ・かねのとい)
22壬午(ジンゴ・みずのえうま) 52壬子(ジンシ・みずのえね)
23癸未(キミ・みずのとひつじ) 53癸丑(キチュウ・みずのと...
24甲申(コウシン・きのえさる) 54甲寅(コウイン・きのえと...
25乙酉(オツユウ・きのととり) 55乙卯(オツボウ・きのとう)
26丙戌(ヘイシュツ・ひのえいぬ) 56丙辰(へイシン・ひのえ...
27丁亥(テイガイ・ひのとい) 57丁巳(テイシ・ひのとみ)
28戊子(ボシ・つちのえね) 58戊午(ボゴ・つちのえうま)
29己丑(キチュウ・つちのとうし) 59己未(キミ・つちのとひ...
30庚寅(コウイン・かねのえとら) 60庚申(コウシン・かねの...
31辛卯(シンボウ・かねのとう) 61辛酉(シンユウ・かねのと...
32壬辰(ジンシン・みずのえたつ) 62壬戌(ジンシュツ・みず...
33癸巳(キシ・みずのとみ) 63癸亥(キガイ・みずのとい)
コラム 和風の読み方の解説 例・甲子(コウシ・きのえ...
き………五行説の木・火・土・金属・水のうちの一つ。
の………格助詞の「の」
え………「え」は年上の意味(例 えひめ)。一般に兄を当てる。
「と」は年下の意味、正しくは「おと」(例 おと...
一般に弟・乙を当てる。
「えおと」が訛って、「えと」で、「兄・弟」の意...
後に干支・十二支の意味に転用された。
ね………ね(鼠)・うし(牛)・とら(虎)・う(兎)
・たつ(竜)・み(蛇)・うま(馬)・ひつじ(羊)
・さる(猿)・とり(鳥)・いぬ(犬)・い(猪)
のうちの一つ。
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
Ⅱ古暦の巻 五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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17 百済(中)
腆支王の謎
『日本書紀』には、4世紀の近肖古王から6世紀の威徳王に...
120年の繰り上がりを修正すると、『日本書紀』には欠けたと...
まず腆支(てんし)王の死亡年に問題があります。『日本書...
この件について、『日本書紀』に興味深い記事があります。...
百済の直支王(ときわう)薨(みまか)りぬ。即ち子久爾...
この記事のポイントは、直支王が亡くなった時に、幼少の太...
「百済本紀」では腆支王の子は久爾辛王で、久爾辛王の子を...
百済では、女王久爾辛の存在を中国に対して隠し通し、さも...
そこで、腆支王から毘有王までの年代については「百済本紀...
18腆支王
├────20毘有王─────21蓋鹵王
19久爾辛王
次に蓋鹵王以後の七代については、年代は「百済本紀」が正...
次に、前半の枕流(ちんりゅう)王と辰斯(しんし)王の二...
図表23 百済王の比較年表
代 王 名 百済本紀
元年~死亡年
日本書紀
元年~死亡年
13 近肖古 346~375 ~255
14 近仇首 375~384 256~264
15 枕 流 384~385 264~265
16 辰 斯 385~392 265~272
17 腆 支 392~405 272~285
18 阿 華 405~420 285~294
19 久爾辛 420~427 294~
20 毘 有 427~455 記載漏れ
21 蓋 鹵 455~475 ~475
22 文 周 475~477 477~
23 三 斤 477~479 ~479
24 東 城 479~501 479~502
25 武 寧 501~523 502~523
26 聖 523~554 524~554
27 威 徳 554~598 557~
図表24 百済王の比較系図
◯百済本紀
13近肖古───14近仇首─┬─15枕流───17阿華──┐
└─16辰斯 │
┌────────────―――――――――――――――┘
│ 別伝に
│ 18腆支───────────20毘有──
│
└───18腆支───19久爾辛───20毘有──┐
│
┌────────────―――――─────――┘
│
└─┬─21蓋鹵─―─22文周─―─23三斤
│
└──◯◯──―─24東城─―─25武寧──┐
│
┌─────――┘
└─26聖──27威徳
◯日本書紀
13近肖古───14近仇首─┬─15枕流──┐
└─16辰斯 │
│
┌────────────―――――――――┘
│
└─17阿華───18腆支─19久爾辛──┐
│
┌────────────――――――――┘
│
└─(20毘有)
┌─女性─┬─21蓋鹵──25武寧──26聖──27威徳
│ │
│ └──◯◯───24東城
│
└─22文周───23三斤
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(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
Ⅱ古暦の巻 五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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17 百済(後)
百済と倭国(倭の五王まで)
「百済本紀」には日本の記事はわずかしかありませんが、『...
『日本書紀』によれば、366年に倭国と百済の国交が開始され...
「百済本紀」によると、369年に百済は高句麗の侵入を撃退し...
「百済本紀」によれば、372年に百済は南朝の東晋に朝貢しま...
高句麗に広開土王が現れた4世紀末から5世紀初めにかけて...
この時期の新羅では、高句麗と倭国の両方に人質を送り、危...
百済は、397年に太子の腆支を倭国に送りました。403年には...
475年には、高句麗の長寿王が百済の都を攻略し、滅亡の危機...
百済と倭国(倭の五王以後)
継体天皇の時代には、百済は倭国から馬韓地方の割譲を受け...
551年には、聖明王が、高句麗と不和になっていた新羅と同盟...
欽明天皇の23年(562年)の条のよれば、大伴狭手彦(おおと...
しかし553年になると、百済が高句麗の平壌を攻めた留守を新...
7世紀になると、百済にも武王という軍事的天才が現れて、...
参考 従来、4世紀には百済が馬韓を支配したとされていまし...
現在の全羅南道・栄山江流域は、原三国時代には馬韓の領域...
4~5世紀の全羅南道・栄山江流域を中心とした地域に,百済...
図表25 百済王の年表
代 王 名 修正しない
在位年数 修正した
元年 ~ 死亡年
1 温 祚 46 165前半~187後半
2 多 婁 50 187後半~212前半
3 己 婁 52 212前半~237後半
4 蓋 婁 39 237後半~256後半
5 肖 古 49 256後半~280後半
6 仇 首 21 280後半~290後半
7 沙 伴 1 290後半~290後半
8 古 爾 53 290後半~316後半
9 責 稽 13 316後半~322後半
10 汾 西 7 322後半~325後半
11 比 流 41 325後半~345後半
12 契 3 345後半~346後半
13 近肖古 30 346 ~ 375
14 近仇首 10 375 ~ 384
15 枕 流 2 384 ~ 385
16 辰 斯 8 385 ~ 392
17 阿 華 14 392 ~ 405
18 腆 支 16 405 ~ 420
19 久爾辛 8 420 ~ 427
20 毘 有 29 427 ~ 455
21 蓋 鹵 21 455 ~ 475
22 文 周 3 475 ~ 477
23 三 斤 3 477 ~ 479
24 東 城 23 479 ~ 501
25 武 寧 23 501 ~ 523
26 聖 32 523 ~ 554
27 威 徳 45 554 ~ 598
28 恵 2 598 ~ 599
29 法 2 599 ~ 600
30 武 42 600 ~ 641
31 義 慈 20 641 ~ 660
図表26 修正しない百済王の系図
1温祚──2多婁──3己婁───4蓋婁──┐
│
┌───――――――――――――――――┘
│
└┬─5肖古───6仇首─┬─7沙伴
│ └─11比流───13近肖古─┐
└─8古爾───9責稽───10汾西───12契 │
...
┌─────────────────────――――――┘
│
└─14近仇首─┬─15枕流───17阿華──18腆支─┐
└─16辰斯 │
...
┌──────────────―――――――――─―――┘
└─19久爾辛─┐
│
┌─――――――┘
│
└─20毘有─┬─21蓋鹵───22文周───23三斤
└──◯◯────24東城───25武寧─┐
...
┌─────────────――――――――――――――┘
└─26聖─┬─27威徳
└─28恵───29法──30武──31義慈
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