史料操作の方法について(Historical)
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史料操作の方法について
台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/06(木) 16:17:19
晋の泰始二年(西暦266年)倭の女王、台与が中国王朝の西晋に...
少し奇妙に感じられる事であるが、台与の後に立った男王が台...
問題はこの男王が誰かである。
結論から言うと、この人は九代開化である。以下にその論拠を...
『梁書』と『通典』の記述である。『梁書』は『復立卑彌呼宗...
『通典』は『立其宗女臺輿爲王。其後復立男王、並受中國爵命...
『魏志倭人伝』によると卑弥呼が没した後、男王が立つが国中...
問題は『魏志倭人伝』には見られない次の記述である。
『其後復立男王、並受中國爵命。』
台与が女王に擁立された後『復(また)』男王が立ち『並(な...
台与の後に立った男王が台与と並んで爵命を受けたと解釈でき...
先に『勘注系図』の八世孫建諸隅(たけもろずみ)の子、天豊...
天豊姫命を台与とする理由は次の二つである。
この人の祖父にあたる七世孫建田勢命の姉妹が卑弥呼である。...
また天豊姫命の『天(あま)』は後の海部(あまべ)と呼ばれ...
一方古事記は、旦波の大縣主、名由碁理(ゆごり)の女、竹野...
『勘注系図』によれば由碁理は八世孫建諸隅の別名である。そ...
すなわち中国史書の伝える台与は、『勘注系図』の天豊姫命で...
ここに欠史八代と称され、その実在さえ疑われる九代開化の実...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/08(土) 00:30:29
ふむふむ。
海部氏系図と記紀と中国側史料とを結び付ける際の、他の「説...
さて、『梁書』と『通典』の史料ですが、解釈に問題があると...
まず、『梁書』は、以下のようになっています。
「復立卑弥呼宗女臺與為王。其後復立男王、並受中国爵命。晋...
ここで言っている男王とは、後の賛・弥・済・興・武という所...
『通典』もほぼ同様です。
ただし、ここでは、「晉武帝太始初、遣使重譯入貢」にかかっ...
「宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帯方朝見、其後貢聘不絶。...
「日本書紀所引晋起居注」に、
「武帝泰初二年十月、倭女王遣重訳貢献」とある記事に関係し...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/08(土) 00:39:13
つまり、
『通典』の記載は、『梁書』に見える
「復立卑弥呼宗女臺與為王。其後復立男王、並受中国爵命。晋...
(ただし、今は『梁書』『晋書』『通典』だけを取り上げまし...
というわけで、曲学の徒さんの解釈は、残念ながら成立し難い...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/10(月) 00:27:29
私は全共闘世代、アジテーションが好きです。
馬鹿言っちゃいけません。通典は倭の五王にかかりません。
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/10(月) 15:03:26
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/hitorigoto/hitorigoto.htm
長くなってしまうので、「独り言」に書かせていただきました。
ご参照ください。
五世紀の話ではない。
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/17(月) 13:54:11
通典の記述
卑彌呼死、立其宗女臺輿爲王。其後復立男王、並受中國爵命。...
『卑彌呼死、立其宗女臺輿爲王』と『晉武帝太始初、遣使重譯...
記述の順序
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/17(月) 16:10:14
魏の景初三年に至り、公孫淵の誅後、卑弥呼始めて使を遣わし...
<梁書、倭伝>
梁書、倭伝は時期について、景初三年、正始中、晋の安帝の時...
晋の安帝の時より前に記された文が、倭の五王であるはずはあ...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/17(月) 21:23:07
ふむ。
つまり、曲学の徒さんは、
「通典の記述」をベースに、『梁書』を読むわけです。
私は、『通典』の「其後復立男王、並受中國爵命」が、『通典...
「しかし、ここに『晋書』の「泰始初、遣使重訳入貢」を挿入...
問題は、その記述は「歴史事実として正しいのか」ということ。
『梁書』の記述は、『通典』より「はるか前に」書かれたもの...
そこには、「泰始初」の遣使は書かれていない。『通典』の文...
(この点、「そんな記述法はあり得ない」と曲学の徒さんがお...
後代の文献が、先行する文献の成立に影響を及ぼすことはあり...
曲学の徒さんの論理に従えば、『梁書』は、『通典』よりも記...
ここで、我々の目の前に無い史料の文面を仮構して議論を続け...
私の読解では、『梁書』はそれとして、文意は明らかであり、...
残念ながら『通典』には、多少の事実誤認があるようですが、...
そうしてみれば、曲学の徒さんの読解には「無理がある」と結...
とんでもない曲解
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/18(火) 20:48:53
<後に続く「倭の五王」への「前置き」として読むことが、私は...
梁書は、倭の歴史を述べるにあたって記事の書き出しで、その...
漢霊帝光和中・・・、魏景初三年・・・正始中・・・晋安帝時...
順序は古い順から整然と書いています。
晋安帝時より前の文に晋安帝時以降の記事が含まれるはずはあ...
また通典は『齊王正始中・・・』と『晉武帝太始初・・・』の...
齊王正始中と晉武帝太始初は、何れも三世紀代の記事で、その...
文の構成を調べれば漢文の読解力がなくとも解る事です。
原典には男王も泰始初もあった
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/18(火) 21:14:24
通典が晋書と同じ原典を参照した可能性があります。
原典には「男王」も「泰始初、遣使重訳入貢」もあった。
通典が「男王」の叙述のあとに「泰始初、遣使重訳入貢」を付...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/19(水) 01:45:15
まず、『梁書』について。
(1)漢、魏世、南與朝鮮、穢貊、東與沃沮、北與夫余接。漢...
(2)(正始)六年、倹復討之、(中略)到粛慎南界、刻石紀...
この二例は、ともに高句驪伝ですが、まず、(1)では、「漢...
これは、漢と魏の時代を一括して説明した後、具体的な年次を...
次に、(2)は、「其後、復通中夏」とあり、「其後」という...
ですから、ここの「其後」は、「毋丘倹の遠征」と「永嘉乱」...
>後に続く「倭の五王」への「前置き」として読むことが、私...
という解釈は、このように『梁書』に例を持つ解釈です。
>順序は古い順から整然と書いています。
>晋安帝時より前の文に晋安帝時以降の記事が含まれるはずは...
これは、曲学の徒さんの「はずはない」という断定に対する反...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/19(水) 02:04:18
まず、訂正します。
>(晋なら)晋安帝への遣使まで遣使はありません。
安帝ではなく、元帝でした。
さて、『通典』に関しては、私は、
>私は、『通典』の「其後復立男王、並受中國爵命」が、『通...
>「しかし、ここに『晋書』の「泰始初、遣使重訳入貢」を挿...
>問題は、その記述は「歴史事実として正しいのか」というこ...
と述べており、『通典』自体の文面が、
>また通典は『齊王正始中・・・』と『晉武帝太始初・・・』...
齊王正始中と晉武帝太始初は、何れも三世紀代の記事で、その...
と読める形で書いてあると言うことは否定していません。
私が問題にしているのは、『通典』は801年の成立であり、『晋...
ましてや、『日本書紀』に引く「晋起居注」にも、「晋武帝泰...
そうした矛盾を、新しいほうの『通典』だけが犯しているので...
>通典が晋書と同じ原典を参照した可能性があります。
>原典には「男王」も「泰始初、遣使重訳入貢」もあった。
誰も見たことの無いような「原典」なるものを持ち出すには、...
>通典が「男王」の叙述のあとに「泰始初、遣使重訳入貢」を...
こちらが「憶測」で、「原典」なるものが「憶測」でないこと...
(私の「憶測」のほうは、新しい史料と古い史料で矛盾が生じ...
そもそも、『魏略』に求める根拠も不明ですが。の回答
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/17(月) 11:38:59
立其宗女臺輿爲王。魏略云「倭人自謂太伯之後。」
通典のこの部分は魏略を見ている。
Re: そもそも、『魏略』に求める根拠も不明ですが。の回答
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/17(月) 21:28:39
『魏略』を見ていない、とは言っていません。
>通典のこの部分は魏略を見ている。
と仰いますが、私に言わせれば、引用された個所は、
「倭人自謂太伯之後」だけが『魏略』に拠って書かれた、と『...
逆に言えば、少なくとも「立其宗女臺輿爲王」は、「『魏略』...
それは、別の史料を下敷きに書かれたものかもしれませんし、...
これを「其後復立男王、並受中国爵命」が「『魏略』に書かれ...
その史料操作に疑問
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/01(火) 15:29:17
貴兄の>『新しい史料と古い史料で矛盾が生じていれば古い史...
まったく説得力ありません。
こうゆう史料操作が誤認を生んでいる。
たとえば室町時代のことを書いた、江戸末期に成立した歴史書...
このような思い込みが、誤認を生んでいると私が考える例があ...
後漢書倭伝は魏志倭人伝を参考にして、書かれたと言う説です。
したがって魏志倭人伝の記述を、後漢書倭伝より重要視する説...
たとえば「鬼道」という文字を取り上げて卑弥呼はシャーマン...
また魏志は帯方郡から狗邪韓国までを、七千余里としますが後...
さらに魏志は〔到其北岸狗邪韓国〕とし狗邪韓国は倭国の北と...
また魏志は当時、倭の30ヶ国ばかりと交渉を持つているとし...
後漢書倭伝の原典は魏志倭人ではないというのが私の説です。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/3-2gokannsyo.htm
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/06(日) 00:45:51
>まったく説得力ありません。
>こうゆう史料操作が誤認を生んでいる。
>たとえば室町時代のことを書いた、江戸末期に成立した歴史...
一般論に転化したいのなら、この喩えは、問題があります。
私は、『梁書』や『北史』が、こと3世紀の事情について優れた...
正しく喩えるなら、江戸時代の歴史書と現代の歴史書で書いて...
それは、江戸時代の歴史書は間違っていない、と言いたいので...
しかしながら、その指摘は「現代の歴史書にこう書かれている...
今なら判明している考古学的調査であるとか、当時は知られて...
もしも、『通典』のほうが、『梁書』の頃よりも三世紀倭国に...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/06(日) 01:08:39
>それでは次の文の成立はどちらが先
>次に示す文は魏志倭人伝と後漢書倭伝の比較である。
>事鬼道□能以□惑衆(魏志)
>事鬼神道能以妖惑衆(後漢書)
>倭国□乱、相攻伐歴年□□(魏志)
>倭国大乱、相攻伐歴年主無(後漢書)
>これだけの類似は、この文の元は同じと考えられる。
>では魏志から後漢書の文が派生したのか?。
>前者から後者を派生させるためには相当意図的に創作しない...
>だが、もともと原文は『事鬼神道能以妖惑衆』で『神』や『...
>後漢書は魏志倭人伝の元となった史料を、直接もしくは間接...
>決して後漢書倭伝の原典は魏志倭人伝ではない。
http://6207.teacup.com/stromdorf/bbs
における曲学の徒さんの書き込みより。
『梁書』と『通典』に関しても同じことを仰っていますね。
つまり、『梁書』と『通典』は同じ史料を参照しているのであ...
肝心なことは、曲学の徒さんの言う「史料」なるものは、どこ...
『三国志』が、原史料を「中途半端に」引用して、原文面の一...
『魏略』との関係はよく取りざたされていますが、『魏略』に...
(『三国志』と『後漢書』はともに我々の前に存在しています...
誰も見ることの出来ないようなものを都合よく仕立て上げてそ...
まずは、それを示すことが必要なのです。
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/06(日) 01:18:34
最後にもう一つ。
『史記』と『漢書』の類似についても、同じことを仰るのでし...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/10(木) 16:40:57
論点を単純化したい。
(1)後漢書倭伝の引用元は魏志倭人伝であるか否か?
(2)後漢書倭伝と魏志倭人伝では明らかに異なる記述がある...
たとえば次の一文です。
魏志の『旧(もと)は百国あまりの国があり、漢の時代に朝見...
後漢書の『凡(おおよそ)百国あまり。武帝が朝鮮を滅ぼして...
原典という言葉が正しくなければ引用したという言葉で結構で...
もし范曄が他の資料を参照して、魏志倭人伝を校訂したという...
史書が成立した年代の後先だけでは情報の正否は判断できない
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/10(木) 22:55:55
魏志倭人伝には、後漢書倭伝が伝える57年の奴国朝貢の記事...
成立の遅れる史書の記述は信用できないと河西さんはお考えで...
後に成立した史書が、先に成立した史書より古い資料を参照し...
通典の記事が梁書によるという確かな証拠でもあるのですか?。
先に成立した史書を採用すべきとい根拠は何ですか?。
また梁書の記述と通典の記述はなんら矛盾しておりません。こ...
> 『史記』と『漢書』の類似についても、同じことを仰るので...
読んだ事がないので解りません。
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/11(金) 11:03:11
曲学の徒さんは、私の主張を誤解されているようです。
>もし范曄が他の資料を参照して、魏志倭人伝を校訂したとい...
私は、そのような論をたてたつもりはありません。
私は、単に「范曄が『魏志倭人伝』を参考にして、『後漢書』...
『魏志倭人伝』と『後漢書』に違いがありますが、その違いが...
同じことを、『梁書』と『通典』の間でも言っており、
>この文面をよく見てみましょう。基本的な文章の流れは、『...
しかしながら、全く同じではありません。最初の部分は、『梁...
同じように、「其後復立男王、並受中国爵命」の後ろも、より...
(独り言、2005.1.10)
私はこうも述べています。
>それ以外の史料に求めるのなら(『魏略』でも本質的には同...
>これは、「可能性がある」程度では、説として成立すること...
(同前)
>もし范曄が他の資料を参照して、魏志倭人伝を校訂したとい...
全く同じことを、「范曄は『魏志倭人伝』以外の史料を「引用...
ましてや、そういう「主張」を背景に『梁書』のような『通典...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/11(金) 11:20:39
>通典の記事が梁書によるという確かな証拠でもあるのですか?
確固たる証拠はありません。
しかし、私は、『梁書』と『通典』の記述が似ているという史...
私が述べているのは、『梁書』と『通典』の関係についてであ...
曲学の徒さんの論に出てくるのは、『梁書』と『通典』と「両...
だから、「可能性がある」程度では、論として成立しない、と...
曲学の徒さん、
あなたにはその第三の史料が「見えている」ようですから、
>これだけ短い文章です。要約、抜粋の仕方の違いでしょう。
と確定した事実のように述べることが出来るかもしれませんが...
見ることが出来ないから、「要約の仕方が違う」のかどうか、...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/11(金) 11:22:31
>また梁書の記述と通典の記述はなんら矛盾しておりません。
少なくとも『梁書』には、「男王が晋の武帝に遣使した」とは...
私が言っているのは、「『梁書』に書いてもいないのに、「男...
『通典』を前提せずに『梁書』を読めば、
>次に、『梁書』です。これは、唐代の成立です。当然のこと...
>引用した部分のうち、問題の「其後復立男王、並受中国爵命...
>で、後ろは、「倭の五王」の記事です。『梁書』からみて、...
>ところで、「倭の五王」は男王です。そして彼らは、「なら...
>『梁書』における「其後復立男王、並受中国爵命」とは、そ...
(独り言)
と読まざるを得ません。
「男王が武帝に遣使した」とは書いておらず、後ろに続くのは...
にも関わらず、曲学の徒さんは、『梁書』を別の解釈で読むべ...
『梁書』が書かれたときには存在もしていなかった史料を元に...
それが方法として間違っている、といっているのです。
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/14(月) 13:38:33
先の書き込みに関連するが新しいスレッドをたてたい。また少...
後漢書倭伝と三国志倭人の条(魏志倭人伝)には相互に類似す...
対応する文の比較を次の書き込みページに示す。Aとする上段が...
この比較を行ってあらためて驚いた。
両者の間に完全に一致する文は一つも無いのである。極めて良...
もはや多言を要しない。
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用していないし、参照もしていな...
さらにこの比較を行って次のことが解る。
後漢書倭伝と魏志倭人伝の対応する箇所は、単語と構文の類似...
魏志倭人伝に記述が無い次の二つの記述を他の資料から引用し...
『國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國』
『建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自大夫倭國之極南界也光武...
これについては別の機会に詳述したい。
後漢書倭伝と魏志倭人伝の比較(その1)
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/14(月) 13:43:40
上段後漢書、下段三国志
(1A)倭在韓東南大海中依山島(山カンムリ+鳥)為居凡百余...
(1B)倭人在帯方東南大海之中依山島為国邑旧百余国漢時有朝...
(2A)國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國
(魏志倭人伝に対応する文なし。)
(3A)楽浪郡徼去其國萬二千里
(3B)自郡至女王国万二千余里
(4A)去其西北界狗邪韓國七千余里
(4B)到其北岸狗邪韓国七千余里
(5A)其地大較在稽東冶之東
(5B)計其道里当在会稽東冶之東
(6A)土宜禾稲麻紵蠶桑知織績為謙(糸ヘン+兼)布
(6B)種禾稲紵麻蚕桑緝績出細紵謙(糸ヘン+兼)緜
(7A)出白珠青玉其山有丹
(7B)出真珠青玉其山有丹
(8A)土氣温□冬夏生菜茹
(8B)倭地温暖冬夏食生菜
(9A)無牛馬虎豹羊鵲
(9B)其地無牛馬虎豹羊鵲
(10A)其兵有矛楯木弓竹矢或以骨為鏃
(10B)兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鉄鏃或骨鏃
(11A)男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差
(11B)諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差
(12A)其男衣皆横幅結束相連女人被髪屈介(糸+介)衣如單被...
(12B)其衣横幅但結束相連略無縫婦人被髪屈介作衣如単被穿...
(13A)並以丹朱□身如中國之用粉也(□=土ヘン+分)
(13B)以朱丹塗其身体如中国用粉也。
(14A)有城屋室父母兄弟異處
(14B)有屋室父母兄弟臥息異処
(15A)唯会同男女無別
(15B)其会同坐起父子男女無別
(16A)食飲以手而用邊(竹カンムリ+邊)豆
(16B)食飲用邊豆手食
(17A)多壽考至百余歳者甚衆
(17B)其人寿考或百年或八九十年
(18A)國多女子大人皆有四五妻其余或兩或三女人不淫不妬忌
(18B)其俗国大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不淫不忌
(19A)又俗不盗竊少爭訟犯法者没其妻子重者滅其門族
(19B)不盗竊少諍訟其犯法軽者没其妻子重者没其門戸及宗族
(20A)其死停喪十余日家人哭泣不進酒食而等類就歌舞為楽
(20B)始死停喪十余日当時不食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒
(21A)灼骨以卜用決吉凶
(21B)靱輒灼骨而卜以占吉凶
(22A)行來度海令一人不櫛沐不食肉不近婦人名曰持衰若在塗...
(22B)其行来渡海中国詣恒使一人不梳頭不去幾蝨衣服垢汚不...
後漢書倭伝と魏志倭人伝の比較(その2)
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/14(月) 13:51:43
(23A)建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自大夫倭國之極南界...
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
(魏志倭人伝に対応する文なし)
(24A)桓霊間倭國大亂更相攻伐歴年無主
(24B)倭国乱相攻伐歴年
(25A)有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是...
(25B)乃共立一女子為王名曰卑弥呼事鬼道能惑衆年已長大無...
(26A)侍婢千人少有見者唯有男子一人給飲食傳辭語居處宮室...
(26B)有男弟佐治国自為王以来少有見者以婢千人自侍唯有男...
(27A)自女王國東度海千余里至狗奴國雖皆倭種而不屬女王
(27B)女王国東渡海千余里復有国皆倭種
(28A)自女王國南四千余里至侏儒國人長三四尺
(28B)又有株儒国在其南人長三四尺去女王四千余里
(29A)自侏儒東南船行一年至裸國黒齒國使譯所傳極於此矣
(29B)又有裸国黒歯国復在其東南船行一年可至
(30A)会稽海外有東□(魚+是)人分二十國又有夷洲壇(三ス...
傳言秦始皇遣方士徐福将童男女數千人入海求蓬莱神仙不得徐福...
(魏志倭人伝に対応する文無し)
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/15(火) 22:59:32
>両者の間に完全に一致する文は一つも無いのである。極めて...
もはや多言を要しない。
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用していないし、参照もしていな...
この結論に至る理由がよく分かりませんね。
「引用していない」なら分かります。
【引用】
古人の言や他人の文章、また他人の説や事例などを自分の文章...
「古典の例を―する」
字句に違いがありますから、ね。
でも「参考にしていない」とどうして言い切れるのかまったく...
【参考】
(1)考えをまとめたり、物事を決める際に、手がかりや助けとす...
「前例を―にする」
(2)種々の資料などを利用し、考えること。また、その資料。
「ご―までに」「欧米の書籍を広く―する時間を要する/社会百面...
曲学の徒さんがこまめに「引用」してくださいましたが、30項...
どうして「その可能性は絶対に無い」と言い切らねばならない...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/15(火) 23:11:45
もう一点、不可思議な点があります。
>後漢書倭伝と魏志倭人伝の対応する箇所は、単語と構文の類...
この推測は、おそらく「後漢書のほうが原典に近い」といいた...
『後漢書』と「原典」は同一文面であると考えていますか?
それはなぜですか?『後漢書』のほうが情報が多いから?
同一文面で無いと考えているなら、全ての部分について、「原...
曲学の徒さんのご意見の前提には、『魏志』も『後漢書』も「...
しかし、それは、根拠のあることでしょうか。
複数の、しかも、行政上の文書であったり外交文書であったり...
曲学の徒さん、あなたが文章を書く時、「常に何か一つの原典...
旅行記でも日記でも、「資料」となるものは、旅行記なら観光...
こうした可能性の全てをイキナリ通り越して、「見ていない」...
ですから、私は、曲学の徒さんの説が正しいとはとても思えな...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/16(水) 14:00:41
>「引用していない」なら分かります。
解っていただければ幸いです。
それでは後漢書倭伝は何を引用した?。それとも范曄のまった...
これだけ似た単語や構文で構成される、原典を異にする複数の...
参照したならなぜまったく違う事を書いた?
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/16(水) 14:13:28
凡百余國自武帝滅朝鮮使譯通於漢者三十許國
旧百余国漢時有朝見者今使訳所通三十国
楽浪郡徼去其國萬二千里
自(帯方)郡至女王国万二千余里
参照したなら范曄は何でこんなに違う事を書いた?。
河西さんの見解は?
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/16(水) 23:32:30
>私は、単に「范曄が『魏志倭人伝』を参考にして、『後漢書...
>『魏志倭人伝』と『後漢書』に違いがありますが、その違い...
すでに述べていることですが、以上のように考えます。
我々の目の前には、『魏志倭人伝』と『後漢書倭伝』は、似て...
>それでは後漢書倭伝は何を引用した?。
何か一つの書を「引用」して書かれた、と曲学の徒さんが結論...
私が歴史書を書くとすれば、複数の史料を基にし、自らの作文...
『魏志倭人伝』に似ていると言うことは、『魏志倭人伝』を参...
それは、別に「引用」ではないのですから、元の文章と「同じ...
そうではなく、『魏志倭人伝』以外の何かを「引用」した、と...
(少なくとも私は他の書物を引用した、と言うつもりは毛頭あ...
それは、なぜ、何を根拠に、そう結論付けるのでしょうか。
>こうした可能性の全てをイキナリ通り越して、「見ていない...
>ですから、私は、曲学の徒さんの説が正しいとはとても思え...
とは、そのことを言っています。
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/16(水) 23:52:47
>凡百余國自武帝滅朝鮮使譯通於漢者三十許國
>旧百余国漢時有朝見者今使訳所通三十国
>楽浪郡徼去其國萬二千里
>自(帯方)郡至女王国万二千余里
>参照したなら范曄は何でこんなに違う事を書いた?。
結論付けて述べることは出来ませんが、想像することは容易い...
どちらも、『魏志』ではなく『後漢書』だからです。
魏志の「旧」は、「漢」のことを指していると読むことは可能...
ところが、范曄は『後漢書』を書いているわけですから、「漢...
「今」も同じです。范曄は、「宋」の時代に、「後漢」のこと...
帯方郡を楽浪郡徼(徼は「国境の塞」)に変えたのも、「漢」...
そうだとすれば、范曄が文面を変えた理由もうなずけます。
もちろん、決定的な証拠はありませんけど、ね。
別に、こうした変更は奇妙なことではない、と思います。
この違いは?
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/19(土) 09:06:29
もう少し河西さんのお説を拝聴したい。
この違いをどのように説明されますか?
(4A)西北界狗邪韓國
(4B)北岸狗邪韓国
狗邪韓国は倭の西北それとも北。現在の地図をみれば西北の方...
(6A)土宜禾稲麻紵蚕桑知織績為謙布
(6B)種禾稲紵麻蚕桑緝績出細紵謙緜
あえて別の表現をしなくともそのまま書き写せばよさそうなも...
(7A)出白珠青玉其山有丹
(7B)出真珠青玉其山有丹
白珠なら水晶玉、水晶の小玉なら三世紀の古墳から大量に出土...
(8A)生菜茹
(8B)食生菜
なぜ生菜を食べるが生菜を茹るになる。後者を訂正するような...
(14A)有城屋室
(14B)有屋室
(24A)相攻伐歴年無主
(24B)相攻伐歴年
(25A)事鬼神道
(25B)事鬼道
(26A)居處宮室樓觀城柵皆持兵守衛法俗嚴峻
(26B)居処宮室楼観城柵厳設常有人持兵守衛
范曄は魏志倭人伝を参照しながら「城」「無主」「神」「法俗...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/20(日) 17:37:30
何度も申し上げていますが、
>>私は、単に「范曄が『魏志倭人伝』を参考にして、『後漢...
>>『魏志倭人伝』と『後漢書』に違いがありますが、その違...
>すでに述べていることですが、以上のように考えます。
>我々の目の前には、『魏志倭人伝』と『後漢書倭伝』は、似...
違いがある、という事実に対して、「都合が悪くて、何か理由...
>(6A)土宜禾稲麻紵蚕桑知織績為謙布
>(6B)種禾稲紵麻蚕桑緝績出細紵謙緜
>あえて別の表現をしなくともそのまま書き写せばよさそうな...
別の表現をしても、しなくても、どちらでもかまわないです。
范曄は「参考にした」のであって「引用」したのではない、と...
曲学の徒さんの「仮定」なら、『魏志』の側が、「原典」を「...
「原典」なるものを想定するなら、
1.『魏志』が書き換え
2.『後漢書』が書き換え
3.『魏志』も『後漢書』も書き換え
という全ての可能性があるにも拘らず、です。
この違いに関して、「原典」に何とかいており、『魏志』ある...
私は、「想像はたやすい」と言いましたが、所詮は想像ですか...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/20(日) 17:43:32
1.この推測は、おそらく「後漢書のほうが原典に近い」とい...
『後漢書』と「原典」は同一文面であると考えていますか?
それはなぜですか?『後漢書』のほうが情報が多いから?
2.曲学の徒さんのご意見の前提には、『魏志』も『後漢書』...
しかし、それは、根拠のあることでしょうか。
3.何か一つの書を「引用」して書かれた、と曲学の徒さんが...
宙ぶらりんになったままの質問を箇条書きにしておきました。
回答待ってます。
後漢書倭伝が魏志倭人伝を参照していない理由
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/21(月) 16:19:54
理由。
(1)後漢書倭伝には魏志倭人伝に書いてない事が書いてある。
(2)明らかに意味の異なる文がある。
(3)ひとつとして完全に一致する文はない。
(4)魏志倭人伝には後漢書がまったく触れない記述が多々あ...
(5)次の例は後者から前者が派生したとは考えにくい。
有城屋室と有屋室
相攻伐歴年無主と相攻伐歴年
鬼神道と鬼道
しかし両者は無関係ではありえない。
これらの事うまく説明するには後漢書倭伝が魏志倭人伝を引用...
もちろん後漢書倭伝も魏志倭人伝も引用、抜粋、省略があり原...
またすべてが後漢書が正しく魏志倭人伝が誤りとも出来ない。
私が後漢書倭伝が参照した資料は一つだけではないかと推測す...
その内
『國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國』の『大倭』の語の使...
『国国有市交易有無使大倭監之』の『大倭』と同じ意味として...
また魏志倭人伝には見られない
『建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自大夫倭國之極南界也光武...
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見』にしても魏...
『漢時有朝見者』である。
范曄は後漢の歴史を著そうとした。もし魏志倭人伝を参照した...
しかし魏の歴史を著そうとした人にとって、後漢時代の情報は...
もちろんすべて私の仮説に過ぎない。范曄が見たという資料で...
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用し、范曄が他の資料や独自の考...
その結果范曄は、魏志倭人伝を参照したという結論に立たれる...
論争はここで打ち止めにする。
論争の原点
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/21(月) 17:07:21
そもそもこの論争を吹っかけたのは、成立年代の遅れる資料の...
魏志倭人伝と異なる後漢書倭伝の記述は、すべて信頼できない...
同じく通典と梁書では、梁書に記述が無ければ通典の記事は信...
レベルの高い論争ができたと感謝しています。
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/21(月) 21:33:05
ふむ。
私が何に「噛み付いた」のかも、お答えしておきましょう。
>そもそもこの論争を吹っかけたのは、成立年代の遅れる資料...
>魏志倭人伝と異なる後漢書倭伝の記述は、すべて信頼できな...
>同じく通典と梁書では、梁書に記述が無ければ通典の記事は...
完全に一般化してしまえば、「信頼できることもあるし出来な...
証明を伴う判断には、デフォルトと言うか、基礎的な考えとい...
これを「無いとは言えない」などと言ってしまっては、およそ...
歴史学の場合、同じように、「古いほうの史料を信用しておく...
しかし、そのとき必要なのは、「完膚なきまでの証明」です。
ましてや、「存在が証明されないような「原典」」を前提すべ...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/21(月) 21:33:19
曲学の徒さん、
私は、「いつ、如何なる時も『梁書』より『通典』のほうが史...
つまり、「『通典』のほうが『梁書』よりも真実を伝えている...
でも、それは、当たり前のことであり、実は、そんな可能性は...
ですから、曲学の徒さんがそれ(そんな当たり前のこと)を「...
私が見るに、曲学の徒さんは、『通典』の記述をヒントに、「...
私の、曲学の徒さんの動機に関する憶測が正しいかどうかは、...
別の言い方をすれば、曲学の徒さん、
「同じく通典と梁書では、梁書に記述が無ければ通典の記事は...
私がこれに対して、「信用できることもある」と当たり前に答...
このようなことは、私にとって当然のことと思えます。
ですから、先のような「動機」を想定せずにはいられないので...
終了行:
[[古代史の論点(Historical)]]
#menu(menu_Historical)
史料操作の方法について
台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/06(木) 16:17:19
晋の泰始二年(西暦266年)倭の女王、台与が中国王朝の西晋に...
少し奇妙に感じられる事であるが、台与の後に立った男王が台...
問題はこの男王が誰かである。
結論から言うと、この人は九代開化である。以下にその論拠を...
『梁書』と『通典』の記述である。『梁書』は『復立卑彌呼宗...
『通典』は『立其宗女臺輿爲王。其後復立男王、並受中國爵命...
『魏志倭人伝』によると卑弥呼が没した後、男王が立つが国中...
問題は『魏志倭人伝』には見られない次の記述である。
『其後復立男王、並受中國爵命。』
台与が女王に擁立された後『復(また)』男王が立ち『並(な...
台与の後に立った男王が台与と並んで爵命を受けたと解釈でき...
先に『勘注系図』の八世孫建諸隅(たけもろずみ)の子、天豊...
天豊姫命を台与とする理由は次の二つである。
この人の祖父にあたる七世孫建田勢命の姉妹が卑弥呼である。...
また天豊姫命の『天(あま)』は後の海部(あまべ)と呼ばれ...
一方古事記は、旦波の大縣主、名由碁理(ゆごり)の女、竹野...
『勘注系図』によれば由碁理は八世孫建諸隅の別名である。そ...
すなわち中国史書の伝える台与は、『勘注系図』の天豊姫命で...
ここに欠史八代と称され、その実在さえ疑われる九代開化の実...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/08(土) 00:30:29
ふむふむ。
海部氏系図と記紀と中国側史料とを結び付ける際の、他の「説...
さて、『梁書』と『通典』の史料ですが、解釈に問題があると...
まず、『梁書』は、以下のようになっています。
「復立卑弥呼宗女臺與為王。其後復立男王、並受中国爵命。晋...
ここで言っている男王とは、後の賛・弥・済・興・武という所...
『通典』もほぼ同様です。
ただし、ここでは、「晉武帝太始初、遣使重譯入貢」にかかっ...
「宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帯方朝見、其後貢聘不絶。...
「日本書紀所引晋起居注」に、
「武帝泰初二年十月、倭女王遣重訳貢献」とある記事に関係し...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/08(土) 00:39:13
つまり、
『通典』の記載は、『梁書』に見える
「復立卑弥呼宗女臺與為王。其後復立男王、並受中国爵命。晋...
(ただし、今は『梁書』『晋書』『通典』だけを取り上げまし...
というわけで、曲学の徒さんの解釈は、残念ながら成立し難い...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/10(月) 00:27:29
私は全共闘世代、アジテーションが好きです。
馬鹿言っちゃいけません。通典は倭の五王にかかりません。
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/10(月) 15:03:26
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/hitorigoto/hitorigoto.htm
長くなってしまうので、「独り言」に書かせていただきました。
ご参照ください。
五世紀の話ではない。
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/17(月) 13:54:11
通典の記述
卑彌呼死、立其宗女臺輿爲王。其後復立男王、並受中國爵命。...
『卑彌呼死、立其宗女臺輿爲王』と『晉武帝太始初、遣使重譯...
記述の順序
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/17(月) 16:10:14
魏の景初三年に至り、公孫淵の誅後、卑弥呼始めて使を遣わし...
<梁書、倭伝>
梁書、倭伝は時期について、景初三年、正始中、晋の安帝の時...
晋の安帝の時より前に記された文が、倭の五王であるはずはあ...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/17(月) 21:23:07
ふむ。
つまり、曲学の徒さんは、
「通典の記述」をベースに、『梁書』を読むわけです。
私は、『通典』の「其後復立男王、並受中國爵命」が、『通典...
「しかし、ここに『晋書』の「泰始初、遣使重訳入貢」を挿入...
問題は、その記述は「歴史事実として正しいのか」ということ。
『梁書』の記述は、『通典』より「はるか前に」書かれたもの...
そこには、「泰始初」の遣使は書かれていない。『通典』の文...
(この点、「そんな記述法はあり得ない」と曲学の徒さんがお...
後代の文献が、先行する文献の成立に影響を及ぼすことはあり...
曲学の徒さんの論理に従えば、『梁書』は、『通典』よりも記...
ここで、我々の目の前に無い史料の文面を仮構して議論を続け...
私の読解では、『梁書』はそれとして、文意は明らかであり、...
残念ながら『通典』には、多少の事実誤認があるようですが、...
そうしてみれば、曲学の徒さんの読解には「無理がある」と結...
とんでもない曲解
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/18(火) 20:48:53
<後に続く「倭の五王」への「前置き」として読むことが、私は...
梁書は、倭の歴史を述べるにあたって記事の書き出しで、その...
漢霊帝光和中・・・、魏景初三年・・・正始中・・・晋安帝時...
順序は古い順から整然と書いています。
晋安帝時より前の文に晋安帝時以降の記事が含まれるはずはあ...
また通典は『齊王正始中・・・』と『晉武帝太始初・・・』の...
齊王正始中と晉武帝太始初は、何れも三世紀代の記事で、その...
文の構成を調べれば漢文の読解力がなくとも解る事です。
原典には男王も泰始初もあった
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/18(火) 21:14:24
通典が晋書と同じ原典を参照した可能性があります。
原典には「男王」も「泰始初、遣使重訳入貢」もあった。
通典が「男王」の叙述のあとに「泰始初、遣使重訳入貢」を付...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/19(水) 01:45:15
まず、『梁書』について。
(1)漢、魏世、南與朝鮮、穢貊、東與沃沮、北與夫余接。漢...
(2)(正始)六年、倹復討之、(中略)到粛慎南界、刻石紀...
この二例は、ともに高句驪伝ですが、まず、(1)では、「漢...
これは、漢と魏の時代を一括して説明した後、具体的な年次を...
次に、(2)は、「其後、復通中夏」とあり、「其後」という...
ですから、ここの「其後」は、「毋丘倹の遠征」と「永嘉乱」...
>後に続く「倭の五王」への「前置き」として読むことが、私...
という解釈は、このように『梁書』に例を持つ解釈です。
>順序は古い順から整然と書いています。
>晋安帝時より前の文に晋安帝時以降の記事が含まれるはずは...
これは、曲学の徒さんの「はずはない」という断定に対する反...
Re: 台与と並んで爵位を受けた男王
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/19(水) 02:04:18
まず、訂正します。
>(晋なら)晋安帝への遣使まで遣使はありません。
安帝ではなく、元帝でした。
さて、『通典』に関しては、私は、
>私は、『通典』の「其後復立男王、並受中國爵命」が、『通...
>「しかし、ここに『晋書』の「泰始初、遣使重訳入貢」を挿...
>問題は、その記述は「歴史事実として正しいのか」というこ...
と述べており、『通典』自体の文面が、
>また通典は『齊王正始中・・・』と『晉武帝太始初・・・』...
齊王正始中と晉武帝太始初は、何れも三世紀代の記事で、その...
と読める形で書いてあると言うことは否定していません。
私が問題にしているのは、『通典』は801年の成立であり、『晋...
ましてや、『日本書紀』に引く「晋起居注」にも、「晋武帝泰...
そうした矛盾を、新しいほうの『通典』だけが犯しているので...
>通典が晋書と同じ原典を参照した可能性があります。
>原典には「男王」も「泰始初、遣使重訳入貢」もあった。
誰も見たことの無いような「原典」なるものを持ち出すには、...
>通典が「男王」の叙述のあとに「泰始初、遣使重訳入貢」を...
こちらが「憶測」で、「原典」なるものが「憶測」でないこと...
(私の「憶測」のほうは、新しい史料と古い史料で矛盾が生じ...
そもそも、『魏略』に求める根拠も不明ですが。の回答
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/01/17(月) 11:38:59
立其宗女臺輿爲王。魏略云「倭人自謂太伯之後。」
通典のこの部分は魏略を見ている。
Re: そもそも、『魏略』に求める根拠も不明ですが。の回答
投稿者:Kawa 投稿日:2005/01/17(月) 21:28:39
『魏略』を見ていない、とは言っていません。
>通典のこの部分は魏略を見ている。
と仰いますが、私に言わせれば、引用された個所は、
「倭人自謂太伯之後」だけが『魏略』に拠って書かれた、と『...
逆に言えば、少なくとも「立其宗女臺輿爲王」は、「『魏略』...
それは、別の史料を下敷きに書かれたものかもしれませんし、...
これを「其後復立男王、並受中国爵命」が「『魏略』に書かれ...
その史料操作に疑問
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/01(火) 15:29:17
貴兄の>『新しい史料と古い史料で矛盾が生じていれば古い史...
まったく説得力ありません。
こうゆう史料操作が誤認を生んでいる。
たとえば室町時代のことを書いた、江戸末期に成立した歴史書...
このような思い込みが、誤認を生んでいると私が考える例があ...
後漢書倭伝は魏志倭人伝を参考にして、書かれたと言う説です。
したがって魏志倭人伝の記述を、後漢書倭伝より重要視する説...
たとえば「鬼道」という文字を取り上げて卑弥呼はシャーマン...
また魏志は帯方郡から狗邪韓国までを、七千余里としますが後...
さらに魏志は〔到其北岸狗邪韓国〕とし狗邪韓国は倭国の北と...
また魏志は当時、倭の30ヶ国ばかりと交渉を持つているとし...
後漢書倭伝の原典は魏志倭人ではないというのが私の説です。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/3-2gokannsyo.htm
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/06(日) 00:45:51
>まったく説得力ありません。
>こうゆう史料操作が誤認を生んでいる。
>たとえば室町時代のことを書いた、江戸末期に成立した歴史...
一般論に転化したいのなら、この喩えは、問題があります。
私は、『梁書』や『北史』が、こと3世紀の事情について優れた...
正しく喩えるなら、江戸時代の歴史書と現代の歴史書で書いて...
それは、江戸時代の歴史書は間違っていない、と言いたいので...
しかしながら、その指摘は「現代の歴史書にこう書かれている...
今なら判明している考古学的調査であるとか、当時は知られて...
もしも、『通典』のほうが、『梁書』の頃よりも三世紀倭国に...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/06(日) 01:08:39
>それでは次の文の成立はどちらが先
>次に示す文は魏志倭人伝と後漢書倭伝の比較である。
>事鬼道□能以□惑衆(魏志)
>事鬼神道能以妖惑衆(後漢書)
>倭国□乱、相攻伐歴年□□(魏志)
>倭国大乱、相攻伐歴年主無(後漢書)
>これだけの類似は、この文の元は同じと考えられる。
>では魏志から後漢書の文が派生したのか?。
>前者から後者を派生させるためには相当意図的に創作しない...
>だが、もともと原文は『事鬼神道能以妖惑衆』で『神』や『...
>後漢書は魏志倭人伝の元となった史料を、直接もしくは間接...
>決して後漢書倭伝の原典は魏志倭人伝ではない。
http://6207.teacup.com/stromdorf/bbs
における曲学の徒さんの書き込みより。
『梁書』と『通典』に関しても同じことを仰っていますね。
つまり、『梁書』と『通典』は同じ史料を参照しているのであ...
肝心なことは、曲学の徒さんの言う「史料」なるものは、どこ...
『三国志』が、原史料を「中途半端に」引用して、原文面の一...
『魏略』との関係はよく取りざたされていますが、『魏略』に...
(『三国志』と『後漢書』はともに我々の前に存在しています...
誰も見ることの出来ないようなものを都合よく仕立て上げてそ...
まずは、それを示すことが必要なのです。
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/06(日) 01:18:34
最後にもう一つ。
『史記』と『漢書』の類似についても、同じことを仰るのでし...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/10(木) 16:40:57
論点を単純化したい。
(1)後漢書倭伝の引用元は魏志倭人伝であるか否か?
(2)後漢書倭伝と魏志倭人伝では明らかに異なる記述がある...
たとえば次の一文です。
魏志の『旧(もと)は百国あまりの国があり、漢の時代に朝見...
後漢書の『凡(おおよそ)百国あまり。武帝が朝鮮を滅ぼして...
原典という言葉が正しくなければ引用したという言葉で結構で...
もし范曄が他の資料を参照して、魏志倭人伝を校訂したという...
史書が成立した年代の後先だけでは情報の正否は判断できない
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/10(木) 22:55:55
魏志倭人伝には、後漢書倭伝が伝える57年の奴国朝貢の記事...
成立の遅れる史書の記述は信用できないと河西さんはお考えで...
後に成立した史書が、先に成立した史書より古い資料を参照し...
通典の記事が梁書によるという確かな証拠でもあるのですか?。
先に成立した史書を採用すべきとい根拠は何ですか?。
また梁書の記述と通典の記述はなんら矛盾しておりません。こ...
> 『史記』と『漢書』の類似についても、同じことを仰るので...
読んだ事がないので解りません。
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/11(金) 11:03:11
曲学の徒さんは、私の主張を誤解されているようです。
>もし范曄が他の資料を参照して、魏志倭人伝を校訂したとい...
私は、そのような論をたてたつもりはありません。
私は、単に「范曄が『魏志倭人伝』を参考にして、『後漢書』...
『魏志倭人伝』と『後漢書』に違いがありますが、その違いが...
同じことを、『梁書』と『通典』の間でも言っており、
>この文面をよく見てみましょう。基本的な文章の流れは、『...
しかしながら、全く同じではありません。最初の部分は、『梁...
同じように、「其後復立男王、並受中国爵命」の後ろも、より...
(独り言、2005.1.10)
私はこうも述べています。
>それ以外の史料に求めるのなら(『魏略』でも本質的には同...
>これは、「可能性がある」程度では、説として成立すること...
(同前)
>もし范曄が他の資料を参照して、魏志倭人伝を校訂したとい...
全く同じことを、「范曄は『魏志倭人伝』以外の史料を「引用...
ましてや、そういう「主張」を背景に『梁書』のような『通典...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/11(金) 11:20:39
>通典の記事が梁書によるという確かな証拠でもあるのですか?
確固たる証拠はありません。
しかし、私は、『梁書』と『通典』の記述が似ているという史...
私が述べているのは、『梁書』と『通典』の関係についてであ...
曲学の徒さんの論に出てくるのは、『梁書』と『通典』と「両...
だから、「可能性がある」程度では、論として成立しない、と...
曲学の徒さん、
あなたにはその第三の史料が「見えている」ようですから、
>これだけ短い文章です。要約、抜粋の仕方の違いでしょう。
と確定した事実のように述べることが出来るかもしれませんが...
見ることが出来ないから、「要約の仕方が違う」のかどうか、...
Re: その史料操作に疑問
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/11(金) 11:22:31
>また梁書の記述と通典の記述はなんら矛盾しておりません。
少なくとも『梁書』には、「男王が晋の武帝に遣使した」とは...
私が言っているのは、「『梁書』に書いてもいないのに、「男...
『通典』を前提せずに『梁書』を読めば、
>次に、『梁書』です。これは、唐代の成立です。当然のこと...
>引用した部分のうち、問題の「其後復立男王、並受中国爵命...
>で、後ろは、「倭の五王」の記事です。『梁書』からみて、...
>ところで、「倭の五王」は男王です。そして彼らは、「なら...
>『梁書』における「其後復立男王、並受中国爵命」とは、そ...
(独り言)
と読まざるを得ません。
「男王が武帝に遣使した」とは書いておらず、後ろに続くのは...
にも関わらず、曲学の徒さんは、『梁書』を別の解釈で読むべ...
『梁書』が書かれたときには存在もしていなかった史料を元に...
それが方法として間違っている、といっているのです。
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/14(月) 13:38:33
先の書き込みに関連するが新しいスレッドをたてたい。また少...
後漢書倭伝と三国志倭人の条(魏志倭人伝)には相互に類似す...
対応する文の比較を次の書き込みページに示す。Aとする上段が...
この比較を行ってあらためて驚いた。
両者の間に完全に一致する文は一つも無いのである。極めて良...
もはや多言を要しない。
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用していないし、参照もしていな...
さらにこの比較を行って次のことが解る。
後漢書倭伝と魏志倭人伝の対応する箇所は、単語と構文の類似...
魏志倭人伝に記述が無い次の二つの記述を他の資料から引用し...
『國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國』
『建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自大夫倭國之極南界也光武...
これについては別の機会に詳述したい。
後漢書倭伝と魏志倭人伝の比較(その1)
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/14(月) 13:43:40
上段後漢書、下段三国志
(1A)倭在韓東南大海中依山島(山カンムリ+鳥)為居凡百余...
(1B)倭人在帯方東南大海之中依山島為国邑旧百余国漢時有朝...
(2A)國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國
(魏志倭人伝に対応する文なし。)
(3A)楽浪郡徼去其國萬二千里
(3B)自郡至女王国万二千余里
(4A)去其西北界狗邪韓國七千余里
(4B)到其北岸狗邪韓国七千余里
(5A)其地大較在稽東冶之東
(5B)計其道里当在会稽東冶之東
(6A)土宜禾稲麻紵蠶桑知織績為謙(糸ヘン+兼)布
(6B)種禾稲紵麻蚕桑緝績出細紵謙(糸ヘン+兼)緜
(7A)出白珠青玉其山有丹
(7B)出真珠青玉其山有丹
(8A)土氣温□冬夏生菜茹
(8B)倭地温暖冬夏食生菜
(9A)無牛馬虎豹羊鵲
(9B)其地無牛馬虎豹羊鵲
(10A)其兵有矛楯木弓竹矢或以骨為鏃
(10B)兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鉄鏃或骨鏃
(11A)男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差
(11B)諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差
(12A)其男衣皆横幅結束相連女人被髪屈介(糸+介)衣如單被...
(12B)其衣横幅但結束相連略無縫婦人被髪屈介作衣如単被穿...
(13A)並以丹朱□身如中國之用粉也(□=土ヘン+分)
(13B)以朱丹塗其身体如中国用粉也。
(14A)有城屋室父母兄弟異處
(14B)有屋室父母兄弟臥息異処
(15A)唯会同男女無別
(15B)其会同坐起父子男女無別
(16A)食飲以手而用邊(竹カンムリ+邊)豆
(16B)食飲用邊豆手食
(17A)多壽考至百余歳者甚衆
(17B)其人寿考或百年或八九十年
(18A)國多女子大人皆有四五妻其余或兩或三女人不淫不妬忌
(18B)其俗国大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不淫不忌
(19A)又俗不盗竊少爭訟犯法者没其妻子重者滅其門族
(19B)不盗竊少諍訟其犯法軽者没其妻子重者没其門戸及宗族
(20A)其死停喪十余日家人哭泣不進酒食而等類就歌舞為楽
(20B)始死停喪十余日当時不食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒
(21A)灼骨以卜用決吉凶
(21B)靱輒灼骨而卜以占吉凶
(22A)行來度海令一人不櫛沐不食肉不近婦人名曰持衰若在塗...
(22B)其行来渡海中国詣恒使一人不梳頭不去幾蝨衣服垢汚不...
後漢書倭伝と魏志倭人伝の比較(その2)
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/14(月) 13:51:43
(23A)建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自大夫倭國之極南界...
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
(魏志倭人伝に対応する文なし)
(24A)桓霊間倭國大亂更相攻伐歴年無主
(24B)倭国乱相攻伐歴年
(25A)有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是...
(25B)乃共立一女子為王名曰卑弥呼事鬼道能惑衆年已長大無...
(26A)侍婢千人少有見者唯有男子一人給飲食傳辭語居處宮室...
(26B)有男弟佐治国自為王以来少有見者以婢千人自侍唯有男...
(27A)自女王國東度海千余里至狗奴國雖皆倭種而不屬女王
(27B)女王国東渡海千余里復有国皆倭種
(28A)自女王國南四千余里至侏儒國人長三四尺
(28B)又有株儒国在其南人長三四尺去女王四千余里
(29A)自侏儒東南船行一年至裸國黒齒國使譯所傳極於此矣
(29B)又有裸国黒歯国復在其東南船行一年可至
(30A)会稽海外有東□(魚+是)人分二十國又有夷洲壇(三ス...
傳言秦始皇遣方士徐福将童男女數千人入海求蓬莱神仙不得徐福...
(魏志倭人伝に対応する文無し)
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/15(火) 22:59:32
>両者の間に完全に一致する文は一つも無いのである。極めて...
もはや多言を要しない。
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用していないし、参照もしていな...
この結論に至る理由がよく分かりませんね。
「引用していない」なら分かります。
【引用】
古人の言や他人の文章、また他人の説や事例などを自分の文章...
「古典の例を―する」
字句に違いがありますから、ね。
でも「参考にしていない」とどうして言い切れるのかまったく...
【参考】
(1)考えをまとめたり、物事を決める際に、手がかりや助けとす...
「前例を―にする」
(2)種々の資料などを利用し、考えること。また、その資料。
「ご―までに」「欧米の書籍を広く―する時間を要する/社会百面...
曲学の徒さんがこまめに「引用」してくださいましたが、30項...
どうして「その可能性は絶対に無い」と言い切らねばならない...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/15(火) 23:11:45
もう一点、不可思議な点があります。
>後漢書倭伝と魏志倭人伝の対応する箇所は、単語と構文の類...
この推測は、おそらく「後漢書のほうが原典に近い」といいた...
『後漢書』と「原典」は同一文面であると考えていますか?
それはなぜですか?『後漢書』のほうが情報が多いから?
同一文面で無いと考えているなら、全ての部分について、「原...
曲学の徒さんのご意見の前提には、『魏志』も『後漢書』も「...
しかし、それは、根拠のあることでしょうか。
複数の、しかも、行政上の文書であったり外交文書であったり...
曲学の徒さん、あなたが文章を書く時、「常に何か一つの原典...
旅行記でも日記でも、「資料」となるものは、旅行記なら観光...
こうした可能性の全てをイキナリ通り越して、「見ていない」...
ですから、私は、曲学の徒さんの説が正しいとはとても思えな...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/16(水) 14:00:41
>「引用していない」なら分かります。
解っていただければ幸いです。
それでは後漢書倭伝は何を引用した?。それとも范曄のまった...
これだけ似た単語や構文で構成される、原典を異にする複数の...
参照したならなぜまったく違う事を書いた?
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/16(水) 14:13:28
凡百余國自武帝滅朝鮮使譯通於漢者三十許國
旧百余国漢時有朝見者今使訳所通三十国
楽浪郡徼去其國萬二千里
自(帯方)郡至女王国万二千余里
参照したなら范曄は何でこんなに違う事を書いた?。
河西さんの見解は?
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/16(水) 23:32:30
>私は、単に「范曄が『魏志倭人伝』を参考にして、『後漢書...
>『魏志倭人伝』と『後漢書』に違いがありますが、その違い...
すでに述べていることですが、以上のように考えます。
我々の目の前には、『魏志倭人伝』と『後漢書倭伝』は、似て...
>それでは後漢書倭伝は何を引用した?。
何か一つの書を「引用」して書かれた、と曲学の徒さんが結論...
私が歴史書を書くとすれば、複数の史料を基にし、自らの作文...
『魏志倭人伝』に似ていると言うことは、『魏志倭人伝』を参...
それは、別に「引用」ではないのですから、元の文章と「同じ...
そうではなく、『魏志倭人伝』以外の何かを「引用」した、と...
(少なくとも私は他の書物を引用した、と言うつもりは毛頭あ...
それは、なぜ、何を根拠に、そう結論付けるのでしょうか。
>こうした可能性の全てをイキナリ通り越して、「見ていない...
>ですから、私は、曲学の徒さんの説が正しいとはとても思え...
とは、そのことを言っています。
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/16(水) 23:52:47
>凡百余國自武帝滅朝鮮使譯通於漢者三十許國
>旧百余国漢時有朝見者今使訳所通三十国
>楽浪郡徼去其國萬二千里
>自(帯方)郡至女王国万二千余里
>参照したなら范曄は何でこんなに違う事を書いた?。
結論付けて述べることは出来ませんが、想像することは容易い...
どちらも、『魏志』ではなく『後漢書』だからです。
魏志の「旧」は、「漢」のことを指していると読むことは可能...
ところが、范曄は『後漢書』を書いているわけですから、「漢...
「今」も同じです。范曄は、「宋」の時代に、「後漢」のこと...
帯方郡を楽浪郡徼(徼は「国境の塞」)に変えたのも、「漢」...
そうだとすれば、范曄が文面を変えた理由もうなずけます。
もちろん、決定的な証拠はありませんけど、ね。
別に、こうした変更は奇妙なことではない、と思います。
この違いは?
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/19(土) 09:06:29
もう少し河西さんのお説を拝聴したい。
この違いをどのように説明されますか?
(4A)西北界狗邪韓國
(4B)北岸狗邪韓国
狗邪韓国は倭の西北それとも北。現在の地図をみれば西北の方...
(6A)土宜禾稲麻紵蚕桑知織績為謙布
(6B)種禾稲紵麻蚕桑緝績出細紵謙緜
あえて別の表現をしなくともそのまま書き写せばよさそうなも...
(7A)出白珠青玉其山有丹
(7B)出真珠青玉其山有丹
白珠なら水晶玉、水晶の小玉なら三世紀の古墳から大量に出土...
(8A)生菜茹
(8B)食生菜
なぜ生菜を食べるが生菜を茹るになる。後者を訂正するような...
(14A)有城屋室
(14B)有屋室
(24A)相攻伐歴年無主
(24B)相攻伐歴年
(25A)事鬼神道
(25B)事鬼道
(26A)居處宮室樓觀城柵皆持兵守衛法俗嚴峻
(26B)居処宮室楼観城柵厳設常有人持兵守衛
范曄は魏志倭人伝を参照しながら「城」「無主」「神」「法俗...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/20(日) 17:37:30
何度も申し上げていますが、
>>私は、単に「范曄が『魏志倭人伝』を参考にして、『後漢...
>>『魏志倭人伝』と『後漢書』に違いがありますが、その違...
>すでに述べていることですが、以上のように考えます。
>我々の目の前には、『魏志倭人伝』と『後漢書倭伝』は、似...
違いがある、という事実に対して、「都合が悪くて、何か理由...
>(6A)土宜禾稲麻紵蚕桑知織績為謙布
>(6B)種禾稲紵麻蚕桑緝績出細紵謙緜
>あえて別の表現をしなくともそのまま書き写せばよさそうな...
別の表現をしても、しなくても、どちらでもかまわないです。
范曄は「参考にした」のであって「引用」したのではない、と...
曲学の徒さんの「仮定」なら、『魏志』の側が、「原典」を「...
「原典」なるものを想定するなら、
1.『魏志』が書き換え
2.『後漢書』が書き換え
3.『魏志』も『後漢書』も書き換え
という全ての可能性があるにも拘らず、です。
この違いに関して、「原典」に何とかいており、『魏志』ある...
私は、「想像はたやすい」と言いましたが、所詮は想像ですか...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/20(日) 17:43:32
1.この推測は、おそらく「後漢書のほうが原典に近い」とい...
『後漢書』と「原典」は同一文面であると考えていますか?
それはなぜですか?『後漢書』のほうが情報が多いから?
2.曲学の徒さんのご意見の前提には、『魏志』も『後漢書』...
しかし、それは、根拠のあることでしょうか。
3.何か一つの書を「引用」して書かれた、と曲学の徒さんが...
宙ぶらりんになったままの質問を箇条書きにしておきました。
回答待ってます。
後漢書倭伝が魏志倭人伝を参照していない理由
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/21(月) 16:19:54
理由。
(1)後漢書倭伝には魏志倭人伝に書いてない事が書いてある。
(2)明らかに意味の異なる文がある。
(3)ひとつとして完全に一致する文はない。
(4)魏志倭人伝には後漢書がまったく触れない記述が多々あ...
(5)次の例は後者から前者が派生したとは考えにくい。
有城屋室と有屋室
相攻伐歴年無主と相攻伐歴年
鬼神道と鬼道
しかし両者は無関係ではありえない。
これらの事うまく説明するには後漢書倭伝が魏志倭人伝を引用...
もちろん後漢書倭伝も魏志倭人伝も引用、抜粋、省略があり原...
またすべてが後漢書が正しく魏志倭人伝が誤りとも出来ない。
私が後漢書倭伝が参照した資料は一つだけではないかと推測す...
その内
『國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國』の『大倭』の語の使...
『国国有市交易有無使大倭監之』の『大倭』と同じ意味として...
また魏志倭人伝には見られない
『建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自大夫倭國之極南界也光武...
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見』にしても魏...
『漢時有朝見者』である。
范曄は後漢の歴史を著そうとした。もし魏志倭人伝を参照した...
しかし魏の歴史を著そうとした人にとって、後漢時代の情報は...
もちろんすべて私の仮説に過ぎない。范曄が見たという資料で...
後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用し、范曄が他の資料や独自の考...
その結果范曄は、魏志倭人伝を参照したという結論に立たれる...
論争はここで打ち止めにする。
論争の原点
投稿者:曲学の徒 投稿日:2005/02/21(月) 17:07:21
そもそもこの論争を吹っかけたのは、成立年代の遅れる資料の...
魏志倭人伝と異なる後漢書倭伝の記述は、すべて信頼できない...
同じく通典と梁書では、梁書に記述が無ければ通典の記事は信...
レベルの高い論争ができたと感謝しています。
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/21(月) 21:33:05
ふむ。
私が何に「噛み付いた」のかも、お答えしておきましょう。
>そもそもこの論争を吹っかけたのは、成立年代の遅れる資料...
>魏志倭人伝と異なる後漢書倭伝の記述は、すべて信頼できな...
>同じく通典と梁書では、梁書に記述が無ければ通典の記事は...
完全に一般化してしまえば、「信頼できることもあるし出来な...
証明を伴う判断には、デフォルトと言うか、基礎的な考えとい...
これを「無いとは言えない」などと言ってしまっては、およそ...
歴史学の場合、同じように、「古いほうの史料を信用しておく...
しかし、そのとき必要なのは、「完膚なきまでの証明」です。
ましてや、「存在が証明されないような「原典」」を前提すべ...
Re: 後漢書倭伝は魏志倭人伝を引用も参照もしていない。
投稿者:Kawa 投稿日:2005/02/21(月) 21:33:19
曲学の徒さん、
私は、「いつ、如何なる時も『梁書』より『通典』のほうが史...
つまり、「『通典』のほうが『梁書』よりも真実を伝えている...
でも、それは、当たり前のことであり、実は、そんな可能性は...
ですから、曲学の徒さんがそれ(そんな当たり前のこと)を「...
私が見るに、曲学の徒さんは、『通典』の記述をヒントに、「...
私の、曲学の徒さんの動機に関する憶測が正しいかどうかは、...
別の言い方をすれば、曲学の徒さん、
「同じく通典と梁書では、梁書に記述が無ければ通典の記事は...
私がこれに対して、「信用できることもある」と当たり前に答...
このようなことは、私にとって当然のことと思えます。
ですから、先のような「動機」を想定せずにはいられないので...
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