大東亜戦争の真実
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大東亜戦争の真実
[これだけは知っておきたい大東亜戦争]から、抜粋致し...
尚、米国は東京裁判に対し謝罪しています(「非を認め謝罪...
本書前書きより
毎年八月十五日の終戦記念日が近づくたびに、総理の靖国神...
本書は、斯かる状況を憂い、大東亜戦争の基礎的な歴史事...
大東亜戦争以前のアジアにおける列強の勢力図
■インド
紀元前4世紀に統-国家の出現を見たインドは、16世紀にはム...
■ミャンマー
1044年にバガン王朝が全土を統一したが、13世紀の元帝国の...
■インドネシア
14世紀にはジャワ島を中心にマジャバヒト王国が勢力を拡大...
■フィリピン
大小七千余りの島を持つこの地域は、インドシナ系の民族が...
1898年には米西戦争でスペインに勝ったアメリカがフィリ...
■タイ
13世紀のスコータイ王朝が最初に民族統一国家を作り、14世...
■マレーシア
15世紀にマラッカ王国が成立したが、1511年にポルトガルに...
■インドシナ三国
中国支配にあったベトナムは、10世紀に独立政権が誕生し...
カンボジアは、9世紀のアンコール朝がカンボジア最盛期の...
■清(中国)
1662年以降、中国を支配した満州族の清は、東インド会社...
■朝鮮
14世紀に李氏が朝鮮半島を統一したが、17世紀に入ると清...
910年遂に日本は韓国を併合した。
幕末の日本を取り巻く国際情勢は?
欧米列強による植民地化の嵐がアジアを襲っていた。
嘉永六年(一八五三年)に米国から派遣された東インド艦...
当時は、欧米諸国が自らの利益のために世界各地を征服・...
アジアの大国・清は、イギリスからのアヘン輸入を禁じた...
朝鮮は清の属国でしたが、隣接する満州周辺をおさえたロ...
このようなアジアの植民地化の実態は、開国以前から日本...
日本の開国は、欧米列強のアジア征服、植民地化の激流に...
■高杉晋作が見た中国植民地化の衝撃
幕末の長州藩志士・高杉晋作は、開園後の文久二年 一八六...
「上海の形勢を観るに支那人はことごとく外国人の便...
を歩行すれば、清人皆避けてかたわらに道を譲る。...
支那に属すといえども英仏の属地というもまた可なり」
植民地化の現実を実感した高杉は、日本も国を守るため...
帰国後、高杉は、身分にとらわれず志を持った者で組織...
日清・日露戦争は日本の侵略か?
朝鮮の独立を阻み、日本の独立を脅かす、清国・ロシアと...
明治維新の後、欧米諸国の帝国主義(世界規模の植民地獲...
現在の中国は、日本の 「侵略」的意図が原因だと非難し...
地位をめぐる対立が戦争の原因です。日本にとっての最大の脅...
圏を拡大していたロシアでしたが、そのロシアが朝鮮半島へ...
そして、明治二十七年(一八九四年)、朝鮮国内で「東学...
日清戦争は日本の勝利に終わり、その講和条約によって、...
また、その十年後に起った日露戦争についても、日本の「...
ロシアは朝鮮と隣接する満州に大軍を駐留させ、日本が独...
幸い、日本の国力が尽きる前に講和が成立し、勝利した日...
なお、満州を戦場とされた清を戦争の被害者とする見方も...
■中国によって決められた朝鮮の国名
当時の朝鮮半を支配していたのは、「李氏朝鮮」でしたが、...
これは、14世紀、李成種の建国時、明(当時の中国)...
因みに、朝鮮では年号(日本では、明治とか昭和とかい...
日露戦争を評価する世界の識者たちの声
◎シャワハルラル・ネルー(イント初代首相)
「アジアの一国てある日本の勝利は アジアの全ての国々...
◎ヌルヘル・ヌレシュ(トルコ駐日大使)
「私は小学校時代 教科書で 東郷元帥は軍人としてだけ...
◎孫文(中国民族革命運動の指導者 中華民国初代大統領)
「これはアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。...
◎ハーフイス・イプラヒム(エジプトの詩人)
「白人は十字架を賭けて/勝つまては死をも辞さぬと誓い...
◎ヨゼフ・ビウスツキ(ポーラント独立運動指導者 国家元首)
「あの日露戦争はポーランドの今日をあらしめる重大なる...
私は日本が出す勝つことを期待していました」
◎レシナルト・カーニ-(元ハンプトン大学助教授 アフリカ系...
「ただ単に、ロシアをやっつけたというだけでなくて、白...
(中略)
この戦争を契機に、黒人は日本人が自分達と同じ有色人種...
◎フアン・ポイ・チャウ(へトナム独立運動の指導者)
「日本は、米国の虎やヨ一ロッパの鯨の横暴に対して貴人...
◎サヌシ・ハネ(イントネシア歴史家)
「一九〇五年に、日本がロノアを破ったことは、アジア人...
◎フィンランドの東郷ビール
ロシアの圧迫を受けていたフィンランドでは、日露戦争での...
日本と中国は何故戦うことになったのか?
日本は日中を全面戦争に導く共産主義勢力の策に嵌ま...
昭和十二年(一九三八年)七月七日、北京郊外の慮溝橋で...
この事件には、中国のもう一つの勢力である中国共産党(...
西安事件)ため、国民政府軍は、日本と戦わざるを得ない立場...
それでは、何故、北京郊外に日本軍はいたのでしょうか。...
今日中国を支配する中共政府は、慮溝橋で最初に発砲した...
ソ連・コミンテルンも「局地解決を避け、日支の全面的衝...
■「漢奸」江兆銘の真実、“和平救国”に込められた悲願
日本の傀儡・売国奴と酷評されている江兆銘。彼は、孫文...
その姿勢は、満州事変後、廣田弘毅外相を始めとする...
やがて、抗日戦争にのめり込む蒋介石とも訣をわかち...
一方日本は戦争遂行中のことでもあり、なかなか江兆...
その喜びも束の間、江兆銘は、迎撃されて受けた古傷が...
日本とアメリカは何故戦うことになったのか?
米国は、中国進出の障壁=日本を敵視し、日本人移民を...
日米両国の衝突の芽は、実は日露戦争から十年を遡る日清...
その最初は、アメリカのハワイ併合です。ハワイは今でこ...
同年更にアメリカは、スペインとの間で米西戦争を起して...
日露戦争での仲介役も、決して日本への好意だけで引き受...
特にアメリカの日本敵視が露骨に表われたのが、日露戦争...
日本人移民排斥と並行して、アメリカは対日戦争計画「オ...
日本はアメリカとの協調を第一として、これらの要求を受...
■ペリーの星条旗を揚げた、艦船ミズリー号での降伏文書調印式
昭和二十年(一九四五年)九月二日、日本の降伏文書調印式...
アメリカは、大西洋岸に位置する十三州による建国以...
そして、この「明白な運命」の前に立ちはだかったの...
中国との和平は何故失敗したのか?
日中和平の妨害と石油供給のストップで、日本を追い詰...
日本は、中国との紛争(支那事変)を早期に収拾しようと...
昭和十二年(一九三七年)七月に支那事変が起きると、そ...
同時期に日米交渉が始まりますが、既に戦争を決意してい...
この時、日本は石油を殆どアメリカからの輸入に頼ってい...
しかし、それに対してアメリカは、満州を含む中国大陸全...
■日本軍人の書いたルーズベルト大統領への手紙(ルーズベルト...
小笠原諸島の硫黄島は、米軍が進攻したマリアナ諸島と日本...
その激戦の最中、三月二十六日に米軍が収容した日本...
その手紙は四月四日に米本国に打電されましたが、そ...
市丸少将は、戦争に至るまで日本を追い詰めたアメリ...
市丸少将の手紙は、玉砕するまで戦い抜く日本軍将兵...
中国との和平は失敗した!
共産主義インターナショナルは、
各国を戦争に誘導し、革命をもたらそうとした
支那事変勃発や日米交渉時の首相を務めた近衛文麿は、後に...
ロシア革命後の一九一九年 (大正八年)、コミンテルン...
コミンテルンは一九二八年(昭和三年)第六回大会で帝国...
この戦略が具体化されたのが、支那事変です。コミンテル...
一方、日本国内では、徹底した取り締まりにあって日本共...
ゾルゲはナチス党員で駐日ドイツ大使の私設情報官ですが...
ゾルゲらの活動は、昭和十六年(一九四一年)十月に摘発...
■戦争拡大のために暗躍した日米の共産主義者
ソ連のスパイ=ゾルゲに協力して摘発・処刑された尾崎秀美...
彼は、支那事変が始まった昭和十二年の「中央公輸一...
また、昭和十三年には「改造」や「中央公輸」で日中...
ハリー・デクスター・ホワイトは、ルーズベルト政権...
大アジア主義は侵略の思想か?
アジア諸民族の独立を願い、連携を求め続けてきた日本...
「大アジア主義」といえば、「日本のアジア侵略を正当化...
欧米列強のアジア侵出に対し、日本では既に幕末より多く...
こうしたアジア団結の思想を世界に向って呼びかけたのは...
これは岡倉一人ではなく、日本人共通の心情でした。「脱...
こうした日本民間に脈々と流れる「大アジア主義」の思想...
■人種平等を訴えた日本-国際連盟委員会での奮闘実らず
第一次大戦最中の一九一八年(大正七年)、アメリカのウィ...
そこで日本もこれに呼応し、第一次大戦の講和会報に...
逆に、植民地を支配する欧米諸国にとってははなはだ...
結局、ウィルソンが提唱した「民族自決」は欧米人の間...
人種の平等が国際社会の原則となるのは、日本がアジア...
何故大東亜戦争と呼ぶのか?
戦争の呼称に込められた、人種平等・民族独立の理想...
さきの大戦を大東亜戦争と呼ぶのは、昭和十六年十二月十...
なお、大東亜戦争に支那事変を含めるとは、昭和十二年七...
ここにいう「大東亜新秩序」とは、昭和十三年十一月に発...
わが国は、もともと自存自衛のためにやむなく米英との戦...
この大東亜戦争という呼称のもとに、幾百万の日本の青年...
■「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の違いは?
日本が正式に決定した「大東亜戦争」は陸軍が提案したもの...
しかし、今日広く使われている「太平洋戦争」は、海軍...
敗戦後、日本を占領した連合軍は昭和二十年十二月十五...
占領軍が提供した「太平洋戦争史」なるものは、この...
「大東亜戦争」を否定し、「太平洋戦争」を無批判に使...
なお、一部で使われている「アジア太平洋戦争」なる用...
■[マスコミ堕落論]の「日本=連合国(国連)自治区説...
GHQは、略称であって、それだけでは総司令部という意...
通称GHQにおいては、同盟国となつているのは、終戦直後で...
言うまでもないが、現日本国憲法は、マッカーサー主導の...
時代の推移で現在の連合国(国連)加盟国193国のすべてと...
とはいえ、5カ国あるということは、5カ国それぞれに国益...
昭和27年(1952年)4月28日は我が国が主権を回復した...
日本の、反日マスコミを含む国内反日勢力は世界的に見て...
それは一国に限ったことではない。きわめて分裂的で、マ...
そして、そこには日本だけがないのである。日本の国益は...
憲法が連合国(国連)憲法なら、列島は連合国(国連)の...
そして、これは憲法というよりやはり条約に近いかたちで...
実は、彼らに内政干渉しているつもりなどさらさらないの...
この仮説がもちろんやや強引なファンタジーであることは...
現行憲法は変えなければならない。やはりこれは悪夢だか...
日本が負けたからアジア諸国は独立できたのか?
人材育成と占領地域の独立を着実に実現させていった日...
日本が戦時中に占領した地域は、戦後、次々と独立を獲得し...
日本は、欧米の植民地にされていたアジア諸国の独立を助け...
これを受けて同年八月にビルマが、十月にはフィリピンが独...
結局、日本が戦時中に占領したアジア地域で独立容認が決定...
このことからも、日本は決してマレーシアを植民地にするつ...
残るは、日本が統治する朝鮮と台湾です。この両地域につい...
このような事実から類推すると、もし日本が戦争に勝って...
■独立するアジアの国々
昭和18年(1943)
1月 江兆銘の中国南京政府に、日本の全ての特殊権益を...
8月 ビルマ(現ミャンマー)独立。
10月 フィリピン独立。
自由インド仮政府成立。
11月 大東亜会議開催。
昭和20年(1945)
3月 ベトナム、カンボジア独立。
4月 ラオス独立。
7月 インドネシアの独立を決定。
8月 終戦
■インド独立の英雄チャンドラ・ボースの遺骨を守った蓮光寺
インドの独立のために英国と戦うボースが、台湾で飛行...
日本が独立を回復し、蓮光寺の住職はボースの遺骨の...
インドの人たちは未だに、ボースの生存を信じており...
彼は最も賢明で公正な指導者として、知られていた。しかし...
最後にビルマ、インドネシア、マレイシア、フィリピ...
■独立の意志を貫いたシアヌーク国王
日本軍を「解放者」と讃える映画も制作
カンボジアで最も著名な人物、前国王ノロドム・シアヌーク...
一九四五年三月シアヌーク殿下は、日本軍の支援によりカン...
この時の日本軍の姿は、シアヌーク殿下に強い印象を残した...
一九四五年(昭和二十年)八月、日本の敗戦でカンボジアに...
殿下はアメリカなど諸国を歴訪してカンボジアの独立を国際...
■インドネシア独立に命を捧げた日本軍人
-オランダとの戦いで一〇〇〇人が戦死
インドネシアがオランダの植民地となったのは一六〇五年、...
日本軍はオランダ人によって幽閉されていた独立運動家を解...
このインドネシア独立の戦いに参加して亡くなった日本人は...
このため、スカルノ大統領は、インドネシア独立の日付を日...
※皇紀とは初代天皇神武天皇がご即位された年を第一年とする日...
■日本のために中立を貰いた独立チベット
米英の要求を断固拒否
今日、チベットは中国の領土して扱われています。しかし、...
大東亜戦争の間チベットはいずれの側にも加担せず、中立を...
チベットのこの姿勢は、日本が劣勢に立たされてからも貫か...
現在、インドに逃れた元首ダライ・ラマ法王を中心とした亡...
本当の終戦の日はいつか?
サンフランシスコ講和条約(昭和27年)まで戦争は続い...
昭和二十七年(一九五二年)四月二十八日、サンフランシ...
では、八月十五日とは、いかなる日なのでしょうか。昭和...
また、昭和三十二年(一九五七年)制定の引揚者給付金等...
終戦から六十年が経ち、平成の御代になつた今でも、天皇...
■上野動物園の象-日本とインドの友好の絆
戦争中、上野動物園では米軍の爆撃で檻が壊され猛獣や大型...
では、戦後どうやって再び上野動物園に象が飼われる...
それは、独立間もないインドが、欧米の植民地から解...
インドの独立記念日(ナショナルデー)は八月十五日で...
満州事変は日本の侵略行為なのか?
激しさを増す排日、侮日事件に対し関東軍が反撃...
昭和六年(一九三一年)、関東軍参謀・石原莞爾陸軍大佐を...
これに対し、国際連盟はリットン調査団を派遣して満州事変...
しかし、リットン報告書は、決して日本を一方的に非難して...
わが国は、日露戦争の勝利の結果、明治三十八年(一九〇五...
ところが、満州の経済覇権を目指した米国は、当時の満州の...
さらに、中国統一を目指していた蒋介石の中国国民党の北伐...
こうした在満州の日本人の生命.財産の危機に直面した日本...
■石原莞爾の「五族協和」の理想
満州事変を主導した石原発育は、満州を日本領にしようとい...
彼は、覚書の中で「新たに建設さるる満州は、支那の...
石原は満州建国後まもなく日本に帰国したため、彼の...
南京大虐殺は本当にあったのか?
証拠の殆んどが伝聞に過ぎず、当時国際問題とした外国...
日本の残虐行為の代名詞のようになっている「南京大虐殺」...
中国が主張する虐殺の根拠の一つに、「一晩で五万七四一...
また、当時南京に残留していた欧米人たちが残した証言や...
一方、この安全区委員会のメンバーの中には、個人として...
南京陥落後の市街の様子については、当時の日本の新聞が「...
■「南京事件」-残された論点 [冤罪、南京大虐殺へ]
一般市民を大量に虐殺したという意味での「南京大虐殺」は...
便衣兵とは、軍服を脱いで一般市民に紛れ込んだ中国...
「ハーグ陸戦法規」によれば便衣兵は不法戦闘員であ...
また、投降兵とは降伏してきた兵士のことで、これを...
捕虜とするかどうかは、現場での判断が優先されます...
特攻は狂気の作戦か?
民間人を巻き込む自爆テロとは全く異なる特攻隊員の崇...
レイテ沖海戦さなかの昭和十九年十月二十日、世界戦史上類...
当時の日本はガダルカナル島・グアム島・サイパン島などを...
特攻は強制ではなく、あくまでも志願制という建て前でした...
「私は自己の人生は人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩ん...
二〇〇一年 (平成十三年) 九月十一日、ニューヨークの...
しかし、彼らの行為は自らが神に召される為に罪のない民衆...
市島さんの遺書、遺詠からも明らかなように、特攻隊の勇士...
特攻隊は航空の他、水中特攻、陸上特攻隊が編成され、六九...
■特攻の「生みの親」大西瀧治郎中将の遺書
特攻隊出撃を書初に命令した大西中将(第一航空艦隊司令長...
しかし、特攻が始められた昭和十九年十月頃には、もは...
特攻隊の出撃は終戦まで続けられ、米軍に大きな恐怖を...
遺書には次のようにあります。 「特攻隊の英才に申す...
最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。
吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。
次に一般青壮年に告ぐ。(中略)
諸氏は国の寶(たから)なり。
平時に処し、猶は克く特攻精神を堅持し、
日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ...
日本軍は沖縄県民に集団自決を命じたのか?
軍は住民の自決申し出を拒否し、生き延びるよう説得。
沖縄には、昭和二十年三月下旬に米軍が上陸し、六月下旬ま...
慶良問諸島では多くの住民が集団自決を遂げましたが、これ...
慶良問諸島の渡嘉敷島で約三百三十名の住民が集団自決した...
しかし、渡嘉敷島の集団自決については、曽野綾子氏が生き...
集団自決は、敵軍からの虐殺・凌辱を避けるため、住民たち...
また、座間味島についても、これが全くの虚構であったこと...
しかし、このような真相が明らかにされているにもかかわら...
平成十七年、赤松氏の遺族と梅澤氏は大江氏と岩波書店を相...
■沖縄県民斯く戦へり
昭和二十年(一九四五)三月二十三日、米軍は、戦艦十隻、...
火力や兵力で勝っていた米軍は、次第に日本軍を圧迫...
海軍の太田少将は、守備隊の最期に当たり、沖縄県民...
連合国軍の残虐行為はなかったのか?
多くの残虐行為が戦勝国ゆえに不問に付された。
イギリス軍の日本軍捕虜に対する虐待行為は、会田雄次著の...
また、アメリカ軍の残虐行為については、昭和二年(一九二...
日本軍兵士が捕虜になる事が少なかったのは、昭和十六年に...
リンドバーグの批判が、彼の特殊な体験にとどまるものでは...
こうした残虐行為が、戦場の兵士たちに限定されるのではな...
■ポツダム宣言の前日に発せられた原爆投下指令
昭和二十年(一九四五年)七月二十六日、日本の降伏を求め...
しかし、鈴木首相は「黙殺」という言葉は使っておら...
また、トルーマンは、ポツダム宣言に、草案段階では...
アメリカの占領政策の意図は?
二度と米国に刃向かわないよう日本人の精神的無力化を...
占領軍 (連合軍最高司令部=GHQ)は日本の降伏後、サンフ...
占領軍による宣伝政策は 「ウォー・ギルト・インフォメー...
まず、占領の初期においては、全ての新聞通信社等の記事は...
占領中期になると、事前検閲は事後検閲に徐々に移行するよ...
また、占領軍は、報道機関の検閲と併わせて私信の開封も行...
国際法上の戦争は、昭和二十年八月十五日をもって終了した...
■新聞発刊停止命令を受けた朝日新聞
日本を占領した連合軍は、自らの残虐行為を日本人の目から...
この発行中止以降、朝日新聞は、占領軍の意向に忠実な...
日本人の贖罪意識はいかにして形成されたのか?
占領軍が徹底した言論統制の下、日本軍の「残虐行為...
日本人の贖罪意識の形成に大きな役割を果たしたものは、占...
この作戦は、敗戦後間もない日本人の心に戦争を起こした国...
日本人に贖罪意識を植えつけるこのプログラムは、昭和二十...
「太平洋戦争史」は、連載終了後、高山書院より発刊され、...
こうした宣伝政策は、日本人に贖罪意識が植え付けられるま...
このプログラムによって、占領軍は日本人から自国の歴史に...
■占領軍検閲の実態:「マニラ虐殺」と相殺された「長崎の鐘」
昭和二十四年に出版され、その年の内に九万五千部以上とい...
昭和二十二年、占領軍の検閲当局に提出された「長崎...
その条件とは、フィリピンをめぐる日米の激戦下で起...
今日、日本が最初に悪いことをしたのだから原爆を落...
「残虐な日本人のイメージは何故世界に広まったのか?
中国の反日ネットワークによる国際宣伝と日本の無為...
最近、米国の知日派と言われる人々までもが「過去の戦争犯...
しかしこれは、在米中国人グループによる意図的なキャンペ...
彼らは米国の元捕虜団体や韓国系組織、ユダヤ系組織と連携...
この組織の背後にあるのが、中国政府です。中国は冷戦後の...
こうした組織的な反日宣伝により、日本の過去の「悪行」が...
■化学兵器を地中に遺棄したのは本当に日本か?
現在、中国国土の地中に遺棄された化学兵器(毒ガス弾)約...
しかし、この化学兵器を遺棄したのは本当に日本軍な...
けれども、この問題が取り上げられた平成三年当時の...
ところが、最近の研究・調査により、これらの化学兵...
マッカーサーが対日観を変えた理由は?
朝鮮戦争を契機に、共産主義の脅威に気づいた米国。
マッカーサーは東京裁判を開廷させ、大東亜戦争を「侵略戦...
「日本が持つ莫大な労働力のためには、その職場が必要であっ...
日本人は工場を建て、労働者もいたが、原材料がなかった。
実際に日本には蚕以外の原産品は無かった。
綿花、羊毛、石油、錫、ゴム、その他アジアの大地にはある多...
日本人は、もしこれらの原料供給が止められたら、
一千万から一千二百万人の失業者が出ることを恐れた。
それ故に日本が戦争に乗り出した大きな目的は、
自衛のためであった」(⇒[マッカーサ証言]) この演...
マッカーサーは、昭和二十年に日本を占領した直後から、戦...
その一方で、獄中にあった共産主義者らを解放するなどし...
また、本国アメリカで多くの共産主義者を政治の中枢から追...
また、日本国憲法で日本に非武装を突きつけた張本人のマッ...
マッカーサーの豹変は、戦前から戦後にかけて、アメリカが...
■張作霖爆殺はソ連(共産党)の仕業?明らかになりつつある現...
昭和三年(一九二八年)、満州を支配する軍閥張作霖が乗る...
ところが、平成十八年(二〇〇六年)に邦訳が出たユ...
「日本軍犯行説」の最大の根拠は、事件当時関東軍高...
この手配を実際にまとめたのは、同じく拘禁されてい...
現在、旧ソ連の携密資料の公開が進められていますが、...
アジア共通の歴史認識は可能か?
安易な妥協を求めず、日本の立場を時間をかけて説明...
アジアに共通の歴史教科書を作ろう、という動きがあります...
また、ドイツが戦後、ポーランドやフランスと国際教科書対...
実際、平成十七年(二〇〇五年)には「日中韓三国共通歴史...
しかし、ドイツとポーランド、フランスとの教科書対話では...
『未来をひらく歴史』は、日本、中国、韓国の学者が「ナシ...
例えば、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」など、少なくとも...
しかも、それほど日本側が妥協をしたにもかかわらず、完全...
そもそも中国の教科書は国定から検定制度に移行したとは言...
もっとも、お互いが完全に歴史認識を一致させたり、共通の...
平成十八年十二月から始まった日中歴史共同研究は、中国側...
補足:大東亜戦争への概略
大東亜戦争は、露西亜革命に始まる共産主義者による策略...
◆ABCD包囲陣
共産党に後押しされ、英米の支援を頼って際限の.ない抗日...
また一方、米国が支那事変と独英戦争に参戦するのを防止す...
◆東条内閣の和平努力
陸海軍を押えて御前会議決定を練り直すことができるのは皇...
東条首相はこの御意向を体して、内閣発足するや連日、政府...
の問題についても新しい譲歩を含むものであった。東京裁判の...
米国はマジックと呼ばれる暗号解読にょって、甲乙両案の内...
◆開戦を決めたハル・ノート
ハル・ノート、それは「日本は支那と仏印より一切の兵力と...
◆ 結 び
大東亜戦争に至る歴史には、二つの大きな流れを中心に整理...
一つは、わが大陸政策と、門戸開放主義を理念とする米国極...
さて、わが近代史を回顧するとき、ロシア革命以後は、防...
その共産主義体制が、今やソ連と東欧、パルト三国を中心に...
開戦から半世紀、我々が眼前に見る世界潮流の動きは、大東...
(付記)大東亜戦争に至る歴史を更に詳しく知りたい方は、拙...
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http://bewithgods.com/hope/jiji/daitouwa.html
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大東亜戦争の真実
[これだけは知っておきたい大東亜戦争]から、抜粋致し...
尚、米国は東京裁判に対し謝罪しています(「非を認め謝罪...
本書前書きより
毎年八月十五日の終戦記念日が近づくたびに、総理の靖国神...
本書は、斯かる状況を憂い、大東亜戦争の基礎的な歴史事...
大東亜戦争以前のアジアにおける列強の勢力図
■インド
紀元前4世紀に統-国家の出現を見たインドは、16世紀にはム...
■ミャンマー
1044年にバガン王朝が全土を統一したが、13世紀の元帝国の...
■インドネシア
14世紀にはジャワ島を中心にマジャバヒト王国が勢力を拡大...
■フィリピン
大小七千余りの島を持つこの地域は、インドシナ系の民族が...
1898年には米西戦争でスペインに勝ったアメリカがフィリ...
■タイ
13世紀のスコータイ王朝が最初に民族統一国家を作り、14世...
■マレーシア
15世紀にマラッカ王国が成立したが、1511年にポルトガルに...
■インドシナ三国
中国支配にあったベトナムは、10世紀に独立政権が誕生し...
カンボジアは、9世紀のアンコール朝がカンボジア最盛期の...
■清(中国)
1662年以降、中国を支配した満州族の清は、東インド会社...
■朝鮮
14世紀に李氏が朝鮮半島を統一したが、17世紀に入ると清...
910年遂に日本は韓国を併合した。
幕末の日本を取り巻く国際情勢は?
欧米列強による植民地化の嵐がアジアを襲っていた。
嘉永六年(一八五三年)に米国から派遣された東インド艦...
当時は、欧米諸国が自らの利益のために世界各地を征服・...
アジアの大国・清は、イギリスからのアヘン輸入を禁じた...
朝鮮は清の属国でしたが、隣接する満州周辺をおさえたロ...
このようなアジアの植民地化の実態は、開国以前から日本...
日本の開国は、欧米列強のアジア征服、植民地化の激流に...
■高杉晋作が見た中国植民地化の衝撃
幕末の長州藩志士・高杉晋作は、開園後の文久二年 一八六...
「上海の形勢を観るに支那人はことごとく外国人の便...
を歩行すれば、清人皆避けてかたわらに道を譲る。...
支那に属すといえども英仏の属地というもまた可なり」
植民地化の現実を実感した高杉は、日本も国を守るため...
帰国後、高杉は、身分にとらわれず志を持った者で組織...
日清・日露戦争は日本の侵略か?
朝鮮の独立を阻み、日本の独立を脅かす、清国・ロシアと...
明治維新の後、欧米諸国の帝国主義(世界規模の植民地獲...
現在の中国は、日本の 「侵略」的意図が原因だと非難し...
地位をめぐる対立が戦争の原因です。日本にとっての最大の脅...
圏を拡大していたロシアでしたが、そのロシアが朝鮮半島へ...
そして、明治二十七年(一八九四年)、朝鮮国内で「東学...
日清戦争は日本の勝利に終わり、その講和条約によって、...
また、その十年後に起った日露戦争についても、日本の「...
ロシアは朝鮮と隣接する満州に大軍を駐留させ、日本が独...
幸い、日本の国力が尽きる前に講和が成立し、勝利した日...
なお、満州を戦場とされた清を戦争の被害者とする見方も...
■中国によって決められた朝鮮の国名
当時の朝鮮半を支配していたのは、「李氏朝鮮」でしたが、...
これは、14世紀、李成種の建国時、明(当時の中国)...
因みに、朝鮮では年号(日本では、明治とか昭和とかい...
日露戦争を評価する世界の識者たちの声
◎シャワハルラル・ネルー(イント初代首相)
「アジアの一国てある日本の勝利は アジアの全ての国々...
◎ヌルヘル・ヌレシュ(トルコ駐日大使)
「私は小学校時代 教科書で 東郷元帥は軍人としてだけ...
◎孫文(中国民族革命運動の指導者 中華民国初代大統領)
「これはアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。...
◎ハーフイス・イプラヒム(エジプトの詩人)
「白人は十字架を賭けて/勝つまては死をも辞さぬと誓い...
◎ヨゼフ・ビウスツキ(ポーラント独立運動指導者 国家元首)
「あの日露戦争はポーランドの今日をあらしめる重大なる...
私は日本が出す勝つことを期待していました」
◎レシナルト・カーニ-(元ハンプトン大学助教授 アフリカ系...
「ただ単に、ロシアをやっつけたというだけでなくて、白...
(中略)
この戦争を契機に、黒人は日本人が自分達と同じ有色人種...
◎フアン・ポイ・チャウ(へトナム独立運動の指導者)
「日本は、米国の虎やヨ一ロッパの鯨の横暴に対して貴人...
◎サヌシ・ハネ(イントネシア歴史家)
「一九〇五年に、日本がロノアを破ったことは、アジア人...
◎フィンランドの東郷ビール
ロシアの圧迫を受けていたフィンランドでは、日露戦争での...
日本と中国は何故戦うことになったのか?
日本は日中を全面戦争に導く共産主義勢力の策に嵌ま...
昭和十二年(一九三八年)七月七日、北京郊外の慮溝橋で...
この事件には、中国のもう一つの勢力である中国共産党(...
西安事件)ため、国民政府軍は、日本と戦わざるを得ない立場...
それでは、何故、北京郊外に日本軍はいたのでしょうか。...
今日中国を支配する中共政府は、慮溝橋で最初に発砲した...
ソ連・コミンテルンも「局地解決を避け、日支の全面的衝...
■「漢奸」江兆銘の真実、“和平救国”に込められた悲願
日本の傀儡・売国奴と酷評されている江兆銘。彼は、孫文...
その姿勢は、満州事変後、廣田弘毅外相を始めとする...
やがて、抗日戦争にのめり込む蒋介石とも訣をわかち...
一方日本は戦争遂行中のことでもあり、なかなか江兆...
その喜びも束の間、江兆銘は、迎撃されて受けた古傷が...
日本とアメリカは何故戦うことになったのか?
米国は、中国進出の障壁=日本を敵視し、日本人移民を...
日米両国の衝突の芽は、実は日露戦争から十年を遡る日清...
その最初は、アメリカのハワイ併合です。ハワイは今でこ...
同年更にアメリカは、スペインとの間で米西戦争を起して...
日露戦争での仲介役も、決して日本への好意だけで引き受...
特にアメリカの日本敵視が露骨に表われたのが、日露戦争...
日本人移民排斥と並行して、アメリカは対日戦争計画「オ...
日本はアメリカとの協調を第一として、これらの要求を受...
■ペリーの星条旗を揚げた、艦船ミズリー号での降伏文書調印式
昭和二十年(一九四五年)九月二日、日本の降伏文書調印式...
アメリカは、大西洋岸に位置する十三州による建国以...
そして、この「明白な運命」の前に立ちはだかったの...
中国との和平は何故失敗したのか?
日中和平の妨害と石油供給のストップで、日本を追い詰...
日本は、中国との紛争(支那事変)を早期に収拾しようと...
昭和十二年(一九三七年)七月に支那事変が起きると、そ...
同時期に日米交渉が始まりますが、既に戦争を決意してい...
この時、日本は石油を殆どアメリカからの輸入に頼ってい...
しかし、それに対してアメリカは、満州を含む中国大陸全...
■日本軍人の書いたルーズベルト大統領への手紙(ルーズベルト...
小笠原諸島の硫黄島は、米軍が進攻したマリアナ諸島と日本...
その激戦の最中、三月二十六日に米軍が収容した日本...
その手紙は四月四日に米本国に打電されましたが、そ...
市丸少将は、戦争に至るまで日本を追い詰めたアメリ...
市丸少将の手紙は、玉砕するまで戦い抜く日本軍将兵...
中国との和平は失敗した!
共産主義インターナショナルは、
各国を戦争に誘導し、革命をもたらそうとした
支那事変勃発や日米交渉時の首相を務めた近衛文麿は、後に...
ロシア革命後の一九一九年 (大正八年)、コミンテルン...
コミンテルンは一九二八年(昭和三年)第六回大会で帝国...
この戦略が具体化されたのが、支那事変です。コミンテル...
一方、日本国内では、徹底した取り締まりにあって日本共...
ゾルゲはナチス党員で駐日ドイツ大使の私設情報官ですが...
ゾルゲらの活動は、昭和十六年(一九四一年)十月に摘発...
■戦争拡大のために暗躍した日米の共産主義者
ソ連のスパイ=ゾルゲに協力して摘発・処刑された尾崎秀美...
彼は、支那事変が始まった昭和十二年の「中央公輸一...
また、昭和十三年には「改造」や「中央公輸」で日中...
ハリー・デクスター・ホワイトは、ルーズベルト政権...
大アジア主義は侵略の思想か?
アジア諸民族の独立を願い、連携を求め続けてきた日本...
「大アジア主義」といえば、「日本のアジア侵略を正当化...
欧米列強のアジア侵出に対し、日本では既に幕末より多く...
こうしたアジア団結の思想を世界に向って呼びかけたのは...
これは岡倉一人ではなく、日本人共通の心情でした。「脱...
こうした日本民間に脈々と流れる「大アジア主義」の思想...
■人種平等を訴えた日本-国際連盟委員会での奮闘実らず
第一次大戦最中の一九一八年(大正七年)、アメリカのウィ...
そこで日本もこれに呼応し、第一次大戦の講和会報に...
逆に、植民地を支配する欧米諸国にとってははなはだ...
結局、ウィルソンが提唱した「民族自決」は欧米人の間...
人種の平等が国際社会の原則となるのは、日本がアジア...
何故大東亜戦争と呼ぶのか?
戦争の呼称に込められた、人種平等・民族独立の理想...
さきの大戦を大東亜戦争と呼ぶのは、昭和十六年十二月十...
なお、大東亜戦争に支那事変を含めるとは、昭和十二年七...
ここにいう「大東亜新秩序」とは、昭和十三年十一月に発...
わが国は、もともと自存自衛のためにやむなく米英との戦...
この大東亜戦争という呼称のもとに、幾百万の日本の青年...
■「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の違いは?
日本が正式に決定した「大東亜戦争」は陸軍が提案したもの...
しかし、今日広く使われている「太平洋戦争」は、海軍...
敗戦後、日本を占領した連合軍は昭和二十年十二月十五...
占領軍が提供した「太平洋戦争史」なるものは、この...
「大東亜戦争」を否定し、「太平洋戦争」を無批判に使...
なお、一部で使われている「アジア太平洋戦争」なる用...
■[マスコミ堕落論]の「日本=連合国(国連)自治区説...
GHQは、略称であって、それだけでは総司令部という意...
通称GHQにおいては、同盟国となつているのは、終戦直後で...
言うまでもないが、現日本国憲法は、マッカーサー主導の...
時代の推移で現在の連合国(国連)加盟国193国のすべてと...
とはいえ、5カ国あるということは、5カ国それぞれに国益...
昭和27年(1952年)4月28日は我が国が主権を回復した...
日本の、反日マスコミを含む国内反日勢力は世界的に見て...
それは一国に限ったことではない。きわめて分裂的で、マ...
そして、そこには日本だけがないのである。日本の国益は...
憲法が連合国(国連)憲法なら、列島は連合国(国連)の...
そして、これは憲法というよりやはり条約に近いかたちで...
実は、彼らに内政干渉しているつもりなどさらさらないの...
この仮説がもちろんやや強引なファンタジーであることは...
現行憲法は変えなければならない。やはりこれは悪夢だか...
日本が負けたからアジア諸国は独立できたのか?
人材育成と占領地域の独立を着実に実現させていった日...
日本が戦時中に占領した地域は、戦後、次々と独立を獲得し...
日本は、欧米の植民地にされていたアジア諸国の独立を助け...
これを受けて同年八月にビルマが、十月にはフィリピンが独...
結局、日本が戦時中に占領したアジア地域で独立容認が決定...
このことからも、日本は決してマレーシアを植民地にするつ...
残るは、日本が統治する朝鮮と台湾です。この両地域につい...
このような事実から類推すると、もし日本が戦争に勝って...
■独立するアジアの国々
昭和18年(1943)
1月 江兆銘の中国南京政府に、日本の全ての特殊権益を...
8月 ビルマ(現ミャンマー)独立。
10月 フィリピン独立。
自由インド仮政府成立。
11月 大東亜会議開催。
昭和20年(1945)
3月 ベトナム、カンボジア独立。
4月 ラオス独立。
7月 インドネシアの独立を決定。
8月 終戦
■インド独立の英雄チャンドラ・ボースの遺骨を守った蓮光寺
インドの独立のために英国と戦うボースが、台湾で飛行...
日本が独立を回復し、蓮光寺の住職はボースの遺骨の...
インドの人たちは未だに、ボースの生存を信じており...
彼は最も賢明で公正な指導者として、知られていた。しかし...
最後にビルマ、インドネシア、マレイシア、フィリピ...
■独立の意志を貫いたシアヌーク国王
日本軍を「解放者」と讃える映画も制作
カンボジアで最も著名な人物、前国王ノロドム・シアヌーク...
一九四五年三月シアヌーク殿下は、日本軍の支援によりカン...
この時の日本軍の姿は、シアヌーク殿下に強い印象を残した...
一九四五年(昭和二十年)八月、日本の敗戦でカンボジアに...
殿下はアメリカなど諸国を歴訪してカンボジアの独立を国際...
■インドネシア独立に命を捧げた日本軍人
-オランダとの戦いで一〇〇〇人が戦死
インドネシアがオランダの植民地となったのは一六〇五年、...
日本軍はオランダ人によって幽閉されていた独立運動家を解...
このインドネシア独立の戦いに参加して亡くなった日本人は...
このため、スカルノ大統領は、インドネシア独立の日付を日...
※皇紀とは初代天皇神武天皇がご即位された年を第一年とする日...
■日本のために中立を貰いた独立チベット
米英の要求を断固拒否
今日、チベットは中国の領土して扱われています。しかし、...
大東亜戦争の間チベットはいずれの側にも加担せず、中立を...
チベットのこの姿勢は、日本が劣勢に立たされてからも貫か...
現在、インドに逃れた元首ダライ・ラマ法王を中心とした亡...
本当の終戦の日はいつか?
サンフランシスコ講和条約(昭和27年)まで戦争は続い...
昭和二十七年(一九五二年)四月二十八日、サンフランシ...
では、八月十五日とは、いかなる日なのでしょうか。昭和...
また、昭和三十二年(一九五七年)制定の引揚者給付金等...
終戦から六十年が経ち、平成の御代になつた今でも、天皇...
■上野動物園の象-日本とインドの友好の絆
戦争中、上野動物園では米軍の爆撃で檻が壊され猛獣や大型...
では、戦後どうやって再び上野動物園に象が飼われる...
それは、独立間もないインドが、欧米の植民地から解...
インドの独立記念日(ナショナルデー)は八月十五日で...
満州事変は日本の侵略行為なのか?
激しさを増す排日、侮日事件に対し関東軍が反撃...
昭和六年(一九三一年)、関東軍参謀・石原莞爾陸軍大佐を...
これに対し、国際連盟はリットン調査団を派遣して満州事変...
しかし、リットン報告書は、決して日本を一方的に非難して...
わが国は、日露戦争の勝利の結果、明治三十八年(一九〇五...
ところが、満州の経済覇権を目指した米国は、当時の満州の...
さらに、中国統一を目指していた蒋介石の中国国民党の北伐...
こうした在満州の日本人の生命.財産の危機に直面した日本...
■石原莞爾の「五族協和」の理想
満州事変を主導した石原発育は、満州を日本領にしようとい...
彼は、覚書の中で「新たに建設さるる満州は、支那の...
石原は満州建国後まもなく日本に帰国したため、彼の...
南京大虐殺は本当にあったのか?
証拠の殆んどが伝聞に過ぎず、当時国際問題とした外国...
日本の残虐行為の代名詞のようになっている「南京大虐殺」...
中国が主張する虐殺の根拠の一つに、「一晩で五万七四一...
また、当時南京に残留していた欧米人たちが残した証言や...
一方、この安全区委員会のメンバーの中には、個人として...
南京陥落後の市街の様子については、当時の日本の新聞が「...
■「南京事件」-残された論点 [冤罪、南京大虐殺へ]
一般市民を大量に虐殺したという意味での「南京大虐殺」は...
便衣兵とは、軍服を脱いで一般市民に紛れ込んだ中国...
「ハーグ陸戦法規」によれば便衣兵は不法戦闘員であ...
また、投降兵とは降伏してきた兵士のことで、これを...
捕虜とするかどうかは、現場での判断が優先されます...
特攻は狂気の作戦か?
民間人を巻き込む自爆テロとは全く異なる特攻隊員の崇...
レイテ沖海戦さなかの昭和十九年十月二十日、世界戦史上類...
当時の日本はガダルカナル島・グアム島・サイパン島などを...
特攻は強制ではなく、あくまでも志願制という建て前でした...
「私は自己の人生は人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩ん...
二〇〇一年 (平成十三年) 九月十一日、ニューヨークの...
しかし、彼らの行為は自らが神に召される為に罪のない民衆...
市島さんの遺書、遺詠からも明らかなように、特攻隊の勇士...
特攻隊は航空の他、水中特攻、陸上特攻隊が編成され、六九...
■特攻の「生みの親」大西瀧治郎中将の遺書
特攻隊出撃を書初に命令した大西中将(第一航空艦隊司令長...
しかし、特攻が始められた昭和十九年十月頃には、もは...
特攻隊の出撃は終戦まで続けられ、米軍に大きな恐怖を...
遺書には次のようにあります。 「特攻隊の英才に申す...
最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。
吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。
次に一般青壮年に告ぐ。(中略)
諸氏は国の寶(たから)なり。
平時に処し、猶は克く特攻精神を堅持し、
日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ...
日本軍は沖縄県民に集団自決を命じたのか?
軍は住民の自決申し出を拒否し、生き延びるよう説得。
沖縄には、昭和二十年三月下旬に米軍が上陸し、六月下旬ま...
慶良問諸島では多くの住民が集団自決を遂げましたが、これ...
慶良問諸島の渡嘉敷島で約三百三十名の住民が集団自決した...
しかし、渡嘉敷島の集団自決については、曽野綾子氏が生き...
集団自決は、敵軍からの虐殺・凌辱を避けるため、住民たち...
また、座間味島についても、これが全くの虚構であったこと...
しかし、このような真相が明らかにされているにもかかわら...
平成十七年、赤松氏の遺族と梅澤氏は大江氏と岩波書店を相...
■沖縄県民斯く戦へり
昭和二十年(一九四五)三月二十三日、米軍は、戦艦十隻、...
火力や兵力で勝っていた米軍は、次第に日本軍を圧迫...
海軍の太田少将は、守備隊の最期に当たり、沖縄県民...
連合国軍の残虐行為はなかったのか?
多くの残虐行為が戦勝国ゆえに不問に付された。
イギリス軍の日本軍捕虜に対する虐待行為は、会田雄次著の...
また、アメリカ軍の残虐行為については、昭和二年(一九二...
日本軍兵士が捕虜になる事が少なかったのは、昭和十六年に...
リンドバーグの批判が、彼の特殊な体験にとどまるものでは...
こうした残虐行為が、戦場の兵士たちに限定されるのではな...
■ポツダム宣言の前日に発せられた原爆投下指令
昭和二十年(一九四五年)七月二十六日、日本の降伏を求め...
しかし、鈴木首相は「黙殺」という言葉は使っておら...
また、トルーマンは、ポツダム宣言に、草案段階では...
アメリカの占領政策の意図は?
二度と米国に刃向かわないよう日本人の精神的無力化を...
占領軍 (連合軍最高司令部=GHQ)は日本の降伏後、サンフ...
占領軍による宣伝政策は 「ウォー・ギルト・インフォメー...
まず、占領の初期においては、全ての新聞通信社等の記事は...
占領中期になると、事前検閲は事後検閲に徐々に移行するよ...
また、占領軍は、報道機関の検閲と併わせて私信の開封も行...
国際法上の戦争は、昭和二十年八月十五日をもって終了した...
■新聞発刊停止命令を受けた朝日新聞
日本を占領した連合軍は、自らの残虐行為を日本人の目から...
この発行中止以降、朝日新聞は、占領軍の意向に忠実な...
日本人の贖罪意識はいかにして形成されたのか?
占領軍が徹底した言論統制の下、日本軍の「残虐行為...
日本人の贖罪意識の形成に大きな役割を果たしたものは、占...
この作戦は、敗戦後間もない日本人の心に戦争を起こした国...
日本人に贖罪意識を植えつけるこのプログラムは、昭和二十...
「太平洋戦争史」は、連載終了後、高山書院より発刊され、...
こうした宣伝政策は、日本人に贖罪意識が植え付けられるま...
このプログラムによって、占領軍は日本人から自国の歴史に...
■占領軍検閲の実態:「マニラ虐殺」と相殺された「長崎の鐘」
昭和二十四年に出版され、その年の内に九万五千部以上とい...
昭和二十二年、占領軍の検閲当局に提出された「長崎...
その条件とは、フィリピンをめぐる日米の激戦下で起...
今日、日本が最初に悪いことをしたのだから原爆を落...
「残虐な日本人のイメージは何故世界に広まったのか?
中国の反日ネットワークによる国際宣伝と日本の無為...
最近、米国の知日派と言われる人々までもが「過去の戦争犯...
しかしこれは、在米中国人グループによる意図的なキャンペ...
彼らは米国の元捕虜団体や韓国系組織、ユダヤ系組織と連携...
この組織の背後にあるのが、中国政府です。中国は冷戦後の...
こうした組織的な反日宣伝により、日本の過去の「悪行」が...
■化学兵器を地中に遺棄したのは本当に日本か?
現在、中国国土の地中に遺棄された化学兵器(毒ガス弾)約...
しかし、この化学兵器を遺棄したのは本当に日本軍な...
けれども、この問題が取り上げられた平成三年当時の...
ところが、最近の研究・調査により、これらの化学兵...
マッカーサーが対日観を変えた理由は?
朝鮮戦争を契機に、共産主義の脅威に気づいた米国。
マッカーサーは東京裁判を開廷させ、大東亜戦争を「侵略戦...
「日本が持つ莫大な労働力のためには、その職場が必要であっ...
日本人は工場を建て、労働者もいたが、原材料がなかった。
実際に日本には蚕以外の原産品は無かった。
綿花、羊毛、石油、錫、ゴム、その他アジアの大地にはある多...
日本人は、もしこれらの原料供給が止められたら、
一千万から一千二百万人の失業者が出ることを恐れた。
それ故に日本が戦争に乗り出した大きな目的は、
自衛のためであった」(⇒[マッカーサ証言]) この演...
マッカーサーは、昭和二十年に日本を占領した直後から、戦...
その一方で、獄中にあった共産主義者らを解放するなどし...
また、本国アメリカで多くの共産主義者を政治の中枢から追...
また、日本国憲法で日本に非武装を突きつけた張本人のマッ...
マッカーサーの豹変は、戦前から戦後にかけて、アメリカが...
■張作霖爆殺はソ連(共産党)の仕業?明らかになりつつある現...
昭和三年(一九二八年)、満州を支配する軍閥張作霖が乗る...
ところが、平成十八年(二〇〇六年)に邦訳が出たユ...
「日本軍犯行説」の最大の根拠は、事件当時関東軍高...
この手配を実際にまとめたのは、同じく拘禁されてい...
現在、旧ソ連の携密資料の公開が進められていますが、...
アジア共通の歴史認識は可能か?
安易な妥協を求めず、日本の立場を時間をかけて説明...
アジアに共通の歴史教科書を作ろう、という動きがあります...
また、ドイツが戦後、ポーランドやフランスと国際教科書対...
実際、平成十七年(二〇〇五年)には「日中韓三国共通歴史...
しかし、ドイツとポーランド、フランスとの教科書対話では...
『未来をひらく歴史』は、日本、中国、韓国の学者が「ナシ...
例えば、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」など、少なくとも...
しかも、それほど日本側が妥協をしたにもかかわらず、完全...
そもそも中国の教科書は国定から検定制度に移行したとは言...
もっとも、お互いが完全に歴史認識を一致させたり、共通の...
平成十八年十二月から始まった日中歴史共同研究は、中国側...
補足:大東亜戦争への概略
大東亜戦争は、露西亜革命に始まる共産主義者による策略...
◆ABCD包囲陣
共産党に後押しされ、英米の支援を頼って際限の.ない抗日...
また一方、米国が支那事変と独英戦争に参戦するのを防止す...
◆東条内閣の和平努力
陸海軍を押えて御前会議決定を練り直すことができるのは皇...
東条首相はこの御意向を体して、内閣発足するや連日、政府...
の問題についても新しい譲歩を含むものであった。東京裁判の...
米国はマジックと呼ばれる暗号解読にょって、甲乙両案の内...
◆開戦を決めたハル・ノート
ハル・ノート、それは「日本は支那と仏印より一切の兵力と...
◆ 結 び
大東亜戦争に至る歴史には、二つの大きな流れを中心に整理...
一つは、わが大陸政策と、門戸開放主義を理念とする米国極...
さて、わが近代史を回顧するとき、ロシア革命以後は、防...
その共産主義体制が、今やソ連と東欧、パルト三国を中心に...
開戦から半世紀、我々が眼前に見る世界潮流の動きは、大東...
(付記)大東亜戦争に至る歴史を更に詳しく知りたい方は、拙...
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http://bewithgods.com/hope/jiji/daitouwa.html
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