日中戦争の真実
をテンプレートにして作成
開始行:
''日中戦争の真実''
日本は、内戦に明け暮れる中国を救おうとした
ローマ法王も、日本の行動を支持していた
&ref(china10.jpg,nolink,画像の説明);
&deco(,,small){日本兵らと遊ぶ中国人児童ら(1937年)日...
前項「中国の『正しい歴史認識』の正体」では、「夷(い ...
''中国民衆を虫けらのように殺した中国軍''
中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。...
中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺され...
たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦い...
しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害...
「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を...
と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を...
この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした...
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけで...
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の...
中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊とい...
ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週...
日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻める...
むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したもの...
つまり中国兵が中国兵を殺したのです。中国史家・黄文雄氏...
また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。ある戦...
日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったので...
&ref(china04.jpg,nolink,道端に打ち倒されていた孫文の銅像...
道端に打ち倒されていた孫文の銅像に青天白日旗をかけてあげ
る日本兵。中国の伝統文化への尊敬心から出た行為である。
現地市民の間でも、日本軍は、シナ軍よりもよっぽど信用
できるとの評価を得ていた。
''本当の人民解放軍は日本軍だった''
また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のよう...
中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように...
つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の...
それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害...
一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの...
日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組...
本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったので...
日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした...
それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しまし...
&ref(China02.JPG,nolink,画像の説明);
中国人の子供や大人と共に正月の
万歳をする日本兵たち(1938年)
すでに日中戦争が始まっていた時である。
農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みま...
日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設...
日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年まで...
これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済...
中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったので...
ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中...
&ref(china05.jpg,nolink,画像の説明);
中国人の子供を可愛がる日本兵(1938年)
''ローマ法王は日本の行動を支持した''
もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に...
日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのでは...
ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三...
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろ...
といった内容の声明を出しています。
&ref(Pius11.jpg,nolink,画像の説明);
ローマ法王ピオ11世。日本軍の行動を理解し、
全カトリック教徒に、日本軍への協力を呼びかけた
この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞...
「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうか...
と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の...
けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去...
''共栄圏をつくろうとした日本''
一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一...
日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日...
その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆...
だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中...
汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和...
ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に...
一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。...
もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指...
日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、...
それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料と...
また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入...
このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国...
しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたこ...
そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなど...
日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国...
またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、...
以前、私がこれら中国の歴史を「レムナント誌」に掲載した...
「先生は中国に関し真実を書いています。がんばってくださ...
中国人も、知っている人は知っているのです。
&ref(china01.jpg,nolink,画像の説明);
「中国無名戦士の墓」と書いた墓標の前で、慰霊祭
を行なう日本兵(1938年)。日本軍は戦闘が終わると
敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作ってきた。
中国の文化にはこのようなものはない。
''「南京大虐殺」はなかった''
今まで見てきたように、日本軍の進出は内戦の終結、平和の...
日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土...
日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・...
日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国...
南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言っ...
司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしま...
こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本...
#ref(nankin01.jpg,nolink,around,left,画像の説明);日本軍に...
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手
製の日の丸の腕章をして笑っている。
「南京大虐殺」がなかったことを如実に示す証拠写真である。
中国は、かつて日本軍は南京で三〇万人の住民を虐殺したと...
また、日本が南京に入る前にいた南京の人口は約二〇万人で...
また、日本が南京を占領したあと、逃げていた市民たちが戻...
また南京大虐殺の「証拠写真」と言われるものも、今日では...
何年か前、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、英語で...
しかしそののち、彼女が書いたことや、そこに使った写真が...
その理由として、『ロンドン・エコノミスト』はその記事の...
また、南京攻略の司令官だった松井石根大将には、こんなエ...
救助された赤子を、松井大将は温泉に入れ、毛布にくるむと...
#ref(nankin02.jpg,nolink,around,left,画像の説明);南京占領...
「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」
(右上) 治療を受けている中国傷病兵
(左上)日本軍将兵の情に食欲を満たす投降兵
(真ん中)中国人のお店で買い物をする日本兵ら
(右下)山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐
(左下)南京城内でくつろぐ中国人市民ら
''満州は中国の領土ではない''
つぎに、満州のことをみてみましょう。朝鮮半島の北隣、現...
満州というのは、もともと中国に清朝をうち建てた満州族(...
中国で「義和団の乱」(北清事変・一九〇〇年)が起きたと...
日本は日露戦争に勝利し、満州からロシアを追放すると共に...
日本はこのとき、満州における鉄道の権利と、遼東半島の租...
しかし、満州は当時、盗賊の跋扈する無法地帯であり、今日...
この満州には、張作霖の一家が統治者として支配していまし...
「張作霖一家が三千万民衆から搾取した収入は、南京政府の...
と書いています。さらに張の親子は、条約を無視して満州の...
これが満州事変です。これは日本軍の武力侵略の第一歩であ...
「軍費を捻出するために広大肥沃な満州の土地を荒らし、民...
と言われたほど、ひどい搾取を行なっていたからでした。
当時の諸外国の反応も、日本の行動はやむを得なかったとし...
「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準から...
と記述しています。当時のイギリス陸軍の元師も、
「彼ら(日本)はひどい挑発を受けてきた。……彼らが満州で...
と述べました。
さて、そののちこの満州の地に、日本の指導によって「満州...
清朝が滅亡したとき、日本の公使観に溥儀が逃げてきたので...
それで日本は、その希望を受け、満州に満州国を建国したの...
&ref(SinkyoMansyu.jpg,nolink,画像の説明);
満州国の首都・新京。
すばらしい国造りが進んだ。
中国は、日本によるこの満州国建国も、「中国の領土への侵...
かつて清朝打倒の革命運動を主導した孫文のビジョンにも、...
「満州は中国の領土ではない」
と公言していた時期があります。ところがその後、蒋介石の...
人々の中には、
「満州は清朝の皇帝の故郷だったのなら、やはり満州は中国...
というかたもいるかもしれません。しかし、たとえば元の時...
また、かつてインドネシアはオランダに支配されました。で...
''奇跡の国・満州国''
清朝が滅びたとき、満州人の皇帝が満州に自分の国家を建て...
そこには建国以降、年間一〇〇万人を超える人々がなだれこ...
一九三二年の建国時に約三〇〇〇万人だった満州の人口は、...
満州国では「五族協和」をかかげていました。いろいろな民...
「五族協和といっても、実際は日本が指導した国で、その中...
という批判もあるでしょう。けれども、これは満州国がひと...
そうした中、日本がリーダー的な役割をすることが求められ...
&ref(ShinkyoManshu2.jpg,nolink,画像の説明);
満州国の新京・日本橋町。満州国は、周囲からみると別天地で...
様々な民族が年間100万人以上なだれ込み、共に国造りに励...
かつて盗賊的な軍閥に支配され、搾取にあえいでいたこの地...
政府の財政も確立されました。貨幣の統一もわずか二年間で...
首都・新京は、じつに先進的な百万人都市として建設されま...
日本はそこに学校を建て、教育を普及させるとともに、病院...
しかし全体的にみれば、そこは搾取や略奪のない、生命・財...
もし日本が敗戦することなく、満州国が存続していたら、満...
しかし日本の敗戦後、満州国は中国の一部(東北部)とされ...
''日本の道義的行動''
今までみてきたように、日中戦争とは、中国人からの度重な...
日本は中国を「侵略」したというより、同じアジアの同胞で...
日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同...
それは、実際もう少しで可能だったでしょう。しかし、日米...
それでも、日本がアジア各国に与えた独立心は、やがて育ち...
「大日本帝国は、八〇年にして人類史に計り知れない貢献を...
日本ほど、アジアの独立と繁栄のために貢献した国は、他に...
その過程で、悪戦苦闘はありました。日本は中国において一...
かつて日本の明治維新を成功させたのは、武士たちの力でし...
一方、中国の革命家たちに共通するのは、すさまじいばかり...
このとき、自分が生き残るためには民衆の命さえも顧みませ...
これは、日本の武士たちの戦いの様子とは大きく違います。...
しかし中国の内戦では、革命家は民間人の死体を山ほどつく...
蒋介石といえば、戦後、連合国の会議において、列強による...
賠償請求権を放棄してくれたことは、日本にとってありがた...
また、日本は戦後台湾に莫大な資産をそのまま残し、蒋介石...
蒋介石は戦後、共産軍に負けて台湾にのがれたとき、そこで...
''中国人の詐道''
この生き残りのためには、様々な策略が練られます。有名な...
「日本人は『誠』の民族であり、中国人は『詐』(だますこ...
と述べています。戦乱がたえず、虐殺が日常茶飯事だった中...
この奸智は、昔も今も中国人の気質として続いています。か...
残念ながら、それは今も変わりません。中国共産党は現在も...
近代以降の中国では、むかし孔子や孟子が説いた道徳は力を...
もともと聖人の出る国というのは、乱れた国なのです。キリ...
シャカが生まれたインドは、カースト制というひどい階級差...
乱れた国だからこそ、世界的な聖人が現われたのです。中国...
「良心ある人は社会から疎外され孤立する」
という諺が生きているほどです。
ある日本人が中国に旅行に行ったときのことでした。町の商...
「だんな、うちの商品はみな本物です。他の店にはニセモノ...
と言いました。そんな言葉を、どの商店に入っても言われる...
さらに中国政府は、中国共産党がいかに人民にやさしく、日...
また中国の歴史教科書には、元の時代の中国が日本を侵略し...
中国は歴史の国です。とはいえ、中国の歴史は常に「勝てば...
勝った者が善玉であり、負けた者は悪玉とされ、負けた者に...
もっとも、中国人のすべてがそうだということではありませ...
私自身、中国系アメリカ人や、中国系日本人の友人、中国に...
クリスチャンも、こうした中国の実情に無知ではいられませ...
中国は今もアジアの不安定要因の一つです。私たちは、中国...
久保有政著
----
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi05.htm
終了行:
''日中戦争の真実''
日本は、内戦に明け暮れる中国を救おうとした
ローマ法王も、日本の行動を支持していた
&ref(china10.jpg,nolink,画像の説明);
&deco(,,small){日本兵らと遊ぶ中国人児童ら(1937年)日...
前項「中国の『正しい歴史認識』の正体」では、「夷(い ...
''中国民衆を虫けらのように殺した中国軍''
中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。...
中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺され...
たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦い...
しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害...
「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を...
と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を...
この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした...
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけで...
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の...
中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊とい...
ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週...
日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻める...
むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したもの...
つまり中国兵が中国兵を殺したのです。中国史家・黄文雄氏...
また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。ある戦...
日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったので...
&ref(china04.jpg,nolink,道端に打ち倒されていた孫文の銅像...
道端に打ち倒されていた孫文の銅像に青天白日旗をかけてあげ
る日本兵。中国の伝統文化への尊敬心から出た行為である。
現地市民の間でも、日本軍は、シナ軍よりもよっぽど信用
できるとの評価を得ていた。
''本当の人民解放軍は日本軍だった''
また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のよう...
中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように...
つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の...
それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害...
一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの...
日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組...
本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったので...
日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした...
それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しまし...
&ref(China02.JPG,nolink,画像の説明);
中国人の子供や大人と共に正月の
万歳をする日本兵たち(1938年)
すでに日中戦争が始まっていた時である。
農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みま...
日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設...
日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年まで...
これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済...
中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったので...
ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中...
&ref(china05.jpg,nolink,画像の説明);
中国人の子供を可愛がる日本兵(1938年)
''ローマ法王は日本の行動を支持した''
もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に...
日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのでは...
ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三...
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろ...
といった内容の声明を出しています。
&ref(Pius11.jpg,nolink,画像の説明);
ローマ法王ピオ11世。日本軍の行動を理解し、
全カトリック教徒に、日本軍への協力を呼びかけた
この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞...
「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうか...
と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の...
けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去...
''共栄圏をつくろうとした日本''
一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一...
日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日...
その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆...
だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中...
汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和...
ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に...
一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。...
もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指...
日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、...
それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料と...
また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入...
このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国...
しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたこ...
そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなど...
日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国...
またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、...
以前、私がこれら中国の歴史を「レムナント誌」に掲載した...
「先生は中国に関し真実を書いています。がんばってくださ...
中国人も、知っている人は知っているのです。
&ref(china01.jpg,nolink,画像の説明);
「中国無名戦士の墓」と書いた墓標の前で、慰霊祭
を行なう日本兵(1938年)。日本軍は戦闘が終わると
敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作ってきた。
中国の文化にはこのようなものはない。
''「南京大虐殺」はなかった''
今まで見てきたように、日本軍の進出は内戦の終結、平和の...
日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土...
日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・...
日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国...
南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言っ...
司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしま...
こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本...
#ref(nankin01.jpg,nolink,around,left,画像の説明);日本軍に...
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手
製の日の丸の腕章をして笑っている。
「南京大虐殺」がなかったことを如実に示す証拠写真である。
中国は、かつて日本軍は南京で三〇万人の住民を虐殺したと...
また、日本が南京に入る前にいた南京の人口は約二〇万人で...
また、日本が南京を占領したあと、逃げていた市民たちが戻...
また南京大虐殺の「証拠写真」と言われるものも、今日では...
何年か前、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、英語で...
しかしそののち、彼女が書いたことや、そこに使った写真が...
その理由として、『ロンドン・エコノミスト』はその記事の...
また、南京攻略の司令官だった松井石根大将には、こんなエ...
救助された赤子を、松井大将は温泉に入れ、毛布にくるむと...
#ref(nankin02.jpg,nolink,around,left,画像の説明);南京占領...
「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」
(右上) 治療を受けている中国傷病兵
(左上)日本軍将兵の情に食欲を満たす投降兵
(真ん中)中国人のお店で買い物をする日本兵ら
(右下)山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐
(左下)南京城内でくつろぐ中国人市民ら
''満州は中国の領土ではない''
つぎに、満州のことをみてみましょう。朝鮮半島の北隣、現...
満州というのは、もともと中国に清朝をうち建てた満州族(...
中国で「義和団の乱」(北清事変・一九〇〇年)が起きたと...
日本は日露戦争に勝利し、満州からロシアを追放すると共に...
日本はこのとき、満州における鉄道の権利と、遼東半島の租...
しかし、満州は当時、盗賊の跋扈する無法地帯であり、今日...
この満州には、張作霖の一家が統治者として支配していまし...
「張作霖一家が三千万民衆から搾取した収入は、南京政府の...
と書いています。さらに張の親子は、条約を無視して満州の...
これが満州事変です。これは日本軍の武力侵略の第一歩であ...
「軍費を捻出するために広大肥沃な満州の土地を荒らし、民...
と言われたほど、ひどい搾取を行なっていたからでした。
当時の諸外国の反応も、日本の行動はやむを得なかったとし...
「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準から...
と記述しています。当時のイギリス陸軍の元師も、
「彼ら(日本)はひどい挑発を受けてきた。……彼らが満州で...
と述べました。
さて、そののちこの満州の地に、日本の指導によって「満州...
清朝が滅亡したとき、日本の公使観に溥儀が逃げてきたので...
それで日本は、その希望を受け、満州に満州国を建国したの...
&ref(SinkyoMansyu.jpg,nolink,画像の説明);
満州国の首都・新京。
すばらしい国造りが進んだ。
中国は、日本によるこの満州国建国も、「中国の領土への侵...
かつて清朝打倒の革命運動を主導した孫文のビジョンにも、...
「満州は中国の領土ではない」
と公言していた時期があります。ところがその後、蒋介石の...
人々の中には、
「満州は清朝の皇帝の故郷だったのなら、やはり満州は中国...
というかたもいるかもしれません。しかし、たとえば元の時...
また、かつてインドネシアはオランダに支配されました。で...
''奇跡の国・満州国''
清朝が滅びたとき、満州人の皇帝が満州に自分の国家を建て...
そこには建国以降、年間一〇〇万人を超える人々がなだれこ...
一九三二年の建国時に約三〇〇〇万人だった満州の人口は、...
満州国では「五族協和」をかかげていました。いろいろな民...
「五族協和といっても、実際は日本が指導した国で、その中...
という批判もあるでしょう。けれども、これは満州国がひと...
そうした中、日本がリーダー的な役割をすることが求められ...
&ref(ShinkyoManshu2.jpg,nolink,画像の説明);
満州国の新京・日本橋町。満州国は、周囲からみると別天地で...
様々な民族が年間100万人以上なだれ込み、共に国造りに励...
かつて盗賊的な軍閥に支配され、搾取にあえいでいたこの地...
政府の財政も確立されました。貨幣の統一もわずか二年間で...
首都・新京は、じつに先進的な百万人都市として建設されま...
日本はそこに学校を建て、教育を普及させるとともに、病院...
しかし全体的にみれば、そこは搾取や略奪のない、生命・財...
もし日本が敗戦することなく、満州国が存続していたら、満...
しかし日本の敗戦後、満州国は中国の一部(東北部)とされ...
''日本の道義的行動''
今までみてきたように、日中戦争とは、中国人からの度重な...
日本は中国を「侵略」したというより、同じアジアの同胞で...
日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同...
それは、実際もう少しで可能だったでしょう。しかし、日米...
それでも、日本がアジア各国に与えた独立心は、やがて育ち...
「大日本帝国は、八〇年にして人類史に計り知れない貢献を...
日本ほど、アジアの独立と繁栄のために貢献した国は、他に...
その過程で、悪戦苦闘はありました。日本は中国において一...
かつて日本の明治維新を成功させたのは、武士たちの力でし...
一方、中国の革命家たちに共通するのは、すさまじいばかり...
このとき、自分が生き残るためには民衆の命さえも顧みませ...
これは、日本の武士たちの戦いの様子とは大きく違います。...
しかし中国の内戦では、革命家は民間人の死体を山ほどつく...
蒋介石といえば、戦後、連合国の会議において、列強による...
賠償請求権を放棄してくれたことは、日本にとってありがた...
また、日本は戦後台湾に莫大な資産をそのまま残し、蒋介石...
蒋介石は戦後、共産軍に負けて台湾にのがれたとき、そこで...
''中国人の詐道''
この生き残りのためには、様々な策略が練られます。有名な...
「日本人は『誠』の民族であり、中国人は『詐』(だますこ...
と述べています。戦乱がたえず、虐殺が日常茶飯事だった中...
この奸智は、昔も今も中国人の気質として続いています。か...
残念ながら、それは今も変わりません。中国共産党は現在も...
近代以降の中国では、むかし孔子や孟子が説いた道徳は力を...
もともと聖人の出る国というのは、乱れた国なのです。キリ...
シャカが生まれたインドは、カースト制というひどい階級差...
乱れた国だからこそ、世界的な聖人が現われたのです。中国...
「良心ある人は社会から疎外され孤立する」
という諺が生きているほどです。
ある日本人が中国に旅行に行ったときのことでした。町の商...
「だんな、うちの商品はみな本物です。他の店にはニセモノ...
と言いました。そんな言葉を、どの商店に入っても言われる...
さらに中国政府は、中国共産党がいかに人民にやさしく、日...
また中国の歴史教科書には、元の時代の中国が日本を侵略し...
中国は歴史の国です。とはいえ、中国の歴史は常に「勝てば...
勝った者が善玉であり、負けた者は悪玉とされ、負けた者に...
もっとも、中国人のすべてがそうだということではありませ...
私自身、中国系アメリカ人や、中国系日本人の友人、中国に...
クリスチャンも、こうした中国の実情に無知ではいられませ...
中国は今もアジアの不安定要因の一つです。私たちは、中国...
久保有政著
----
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi05.htm
ページ名: