日本語列島の成立
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古代日本の先進性と支那・朝鮮との関係 ...
1 日本語列島の成立
日本語は、日本周辺で話されていたアルタイ(バイカル湖南...
縄文時代から弥生時代までの約1万年間に、話し言葉として一...
朝鮮語は、ある程度日本語との類似性が認められるが、支那...
従来、戦前あるいは明治以前も含めて、日本の学者というも...
仮にそれが正しいとしたら、大陸との交流の中で、日本社会...
紀元前5世紀の春秋時代の支那の最も有名な思想家孔子は、「...
日本人(いわゆる「倭」ないし「倭人」)が、支那の歴史書...
成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯草(恢国篇第26)(成王の時、越...
成王の在位年代ははっきりわからないが、周王朝の初代武王...
日本語の起源を考えるとき、縄文時代から弥生時代にかけて...
が、縄文の火焔土器(左図)などにみられる精緻巧妙な造形美...
人類は遥か昔の猿人の時代から石器、木器、骨器などの道具...
ところが土器の製作は、その工程が著しく異なるものであり...
この非対称性について、石井匠氏(國學院大学研究開発推進...
文様は文字ではないが、「文字の様なもの」である。そこに...
石井匠氏がその著『縄文土器の文様構造』で記しているよう...
同時に、国立歴史民俗博物館が放射性炭素C14を測定して、縄...
石井匠氏は、「だが、忘れてはならないのは、大多数の土器...
現代を代表する画家である岡本太郎氏は、「この原始のたく...
岡本太郎氏が、縄文文化を「四次元との対話」と評し、考古...
そもそも文字をもつことが、特に古代において、多数の人口...
歴史的に非常に高い識字率を維持してきた日本人は、もちろ...
日本語がアルタイ系のトルコ語、モンゴル語、ツングース語...
日本語列島になった絶対的年代がいつかはわからないが、紀...
紀元前後、まだ大和朝廷による西日本統一がされていない頃...
古墳の年代測定の進歩によって大和朝廷による統一がなされ...
弥生時代(紀元前1000年頃には始まる)においても、日本語...
支那本土⇔朝鮮半島⇔日本列島は一つの文化圏とはいえないま...
従来、弥生時代とは、水稲稲作や金属器が伝えられて、渡来...
東アジアのさまざまな地域のヒト集団がそれぞれの地域で新...
弥生時代を日本列島の中だけの出来事例えば水田稲作の開始...
当然、新しい文物の交流に伴ってそれに関連した言葉が日本...
欧米の言葉を除けば、そのほとんどは支那からの輸入単語であ...
2 日本語確立期の東アジア情勢
(1) 三国史記
縄文時代すなわち紀元前1000年以前には既に日本列島は「日...
しかし、その言葉は地域間の差異が大きく、日本列島共通の...
『三国史記』は、1145年高麗17代王である仁宗の命を受け、...
(2) 朝鮮半島情勢
日本列島と同じく朝鮮半島においても、旧石器時代から人類が...
紀元前2333年、卵から生まれた檀君による「檀君朝鮮」が建...
岡田英弘氏の『日本史の誕生(筑摩書房2008)』によれば、...
支那本土が秦によって統一されると、秦はこれを遼東郡の保...
その頃朝鮮半島南部には衛氏朝鮮とは別民族による鉄器文化...
「衛氏朝鮮」の滅亡以降、朝鮮半島は小さい勢力が割拠する...
『韓国国定歴史教科書』では、百済については、紀元前18年...
紀元前後から3世紀にかけての朝鮮半島及び日本列島は、諸国...
日本列島は朝鮮半島よりは早く国家統一が進み、遅くとも3世...
後漢書東夷伝に建武中元二年(西暦57)「倭奴国、貢を奉じ...
(3) 朝鮮半島における日本列島人の勢力
後漢書東夷伝にある「建武中元二年、倭奴国奉貢朝賀使人自...
当時、支那王朝においては「金印紫綬」は一国に授与される...
素直に解釈すれば、「倭奴国」は「倭国」と南の界で接する...
『三国史記』によれば、紀元前50年「倭人が出兵し新羅の辺...
1980年代以降、韓国で前方後円墳の発見が相次いだ(下図)...
前方後円墳が集まる全羅南道を流れる榮山江流域(左図)で...
このような考古学的事実からも、倭人の朝鮮半島進出はかな...
当時の支那王朝は、朝鮮半島における高句麗と百済に対する...
(4) 新羅建国に深く関わった日本列島人(別図第1参照)
「三国史記」の第1巻は「新羅本紀」である。初代の朴赫居世...
紀元後57年、第4代の王に昔脱解(セキダッカイ)という日本列島出...
昔脱解は、倭国の東北1,000里のところにある多婆那国の国王...
朝鮮半島では聖人や賢人はしばしば卵生によって生まれると...
昔脱解のこの説話は、新羅の建国に倭人が深く関わっていた...
昔脱解は王位に就くと、瓠公を大輔に任じ国政の舵取りをさ...
『三国史記』は、新羅の正統を引き継ぎ、禅譲(これは建前...
新羅の王統は、朴(バク)、昔(ソク)、金(キム)の3氏によって...
昔脱解の治世の紀元後65年の項に、「春三月、王はある夜、...
もちろん以上の話はいわば神話であってそれをそのまま受け...
(5) 古代日本の先進性(別表第1参照)
『宋書倭国伝』(439年、宋の文帝の命により編纂が始まり、...
宋の皇帝は詔を以て武(雄略天皇)を「使持節、都督倭・新...
『三国史記・新羅本紀』において、新羅が支那王朝へ朝貢し...
「使持節」とは最高の人事権を皇帝から与えられたことを示...
「都督」は「諸軍事」と合わせて使われ、最高の軍事権が付...
「上開府」または「開府」は、独自の政庁の開設を認めると...
「郡公」は、「王」、「郡王」、「国公」に次ぐ4番目の爵で、こ...
新羅は第30代文武王(在位661~681)のとき朝鮮半島を統一...
皇帝の臣民としては文官に与えられる最高の官名であり、「楽...
7世紀半ば唐の時代に完成した、隋を扱った支那の正史『隋書...
607年、聖徳太子は、「日出処天子」の文言で知られる国書を...
またその見聞記によれば、「王国(倭国)の人々は華夏人(...
『三国史記』には、倭軍がかなり頻繁に新羅を攻めたことが...
17代の奈忽王以降は神話ではなく実在したと言われている。1...
これらの記事からわかることは、誤差があったとしても侵攻...
731年が最後の日本の朝鮮半島侵攻記事である。日本側の記録...
しかし、日本と「新羅」の関係は総じて日本優位であったこと...
698年に「高句麗」の故地に「渤海」が興り、727年以降、ほ...
929年、衰退期を迎えた「新羅」は、日本への朝貢を申し出る...
紀元前後の東アジアの歴史を朝鮮半島中心に見ながら、日本...
昭和62(1987)年、司馬遼太郎はケンブリッジ大学の英国日...
〈まさしく日本列島は、太古以来、文明という光源から見れ...
他の文明から影響を受けずにいると、人類はいつまでも進歩し...
日本歴史に深い洞察を加え、過去に生きた先人たちの心、精...
山本七平が『日本人とは何か』(1989年9月PHP文庫)の中...
〈「日本人」―外国人はこの名称を付された民族に、「何か理...
山本七平もまた国際的な感覚を交えて独特の日本人論を展開...
本論はこのような1000年以上にも及ぶ日本人の固定観念への...
紀元前108年に漢の武帝が楽浪郡を設けたとき、すでに「倭人...
3 大和朝廷(律令国家)の福祉政策と交通インフラ整備
(1) 人民救済(福祉政策)(別表第2参照)
第38代天智天皇以降の律令制下での出来事を『書紀』や『続...
『続日本紀』に記された記事(第42代文武紀~第44代元明紀...
ちなみに、朝鮮半島においても、前述の『三国史記』に旱魃...
聖武天皇の後、第46代孝謙天皇(女帝)、第47代淳仁天皇、...
中央集権制の最大の弊害は、いつの時代も中央ではなく地方...
もちろん地方分権社会においてもよき領主・優れた統治者・...
日本の律令制の崩壊も官吏の腐敗によって決定的になった。...
天平16(744)年、聖武天皇は、巡察使を畿内と七道(東海、...
天平勝宝5(753)年、孝謙天皇が次のような詔を出している...
これらの『続日本紀』の記事は、律令下の地方において、中...
(2) 律令下の交通制度(別図第2参照)
大和朝廷は、地方への統制を確保するために、運輸・通信網と...
朝廷から地方国衙への命令下達や使者などの派遣ではあらゆ...
次のような場合、地方から朝廷への報告などが義務付けられ...
① 死亡などにより国司(守、介、掾、目)に欠員が発生
②烽火による通信で、誤情報を送信
③犯罪者逮捕のために、武力を発動
④謀叛などについての密告
⑤死刑囚に対する再審の発生
⑥大陸や朝鮮から日本人が帰還
⑦支那や朝鮮から帰化
⑧祥瑞(目出度い出来事)
⑨軍事に関する事項
⑩災害や疫病の発生
⑪その他緊急事態
〈道(駅路)〉
律令は、中央と地方の間の緊急的な通信・情報交換・物資輸...
となる七道を整備した。
古代の道は、ごく最近まで曲がりくねった幅の狭い自然発生...
な直線道路であり、10数キロ以上も直線区間があるという計画...
つながった道路網を整備したのである。
さらに古代道は、その幅が驚くほど広い。京畿では24~42m、...
と全国の国府が結ばれていた。これほどの道路網を整備した目...
〈駅制〉
駅制には道と駅家(別図第3参照)が必要不可欠である。駅は...
駅家は当時の地域社会においては豪華な公共施設であったら...
寺院や一部の官庁施設のほか瓦葺の建物が珍しかった古代にお...
駅制による情報伝達には、1人の使者が目的地まで赴く「専使...
別表第1
「三国史記」に記された倭国、倭人、日本関連記事一覧
年 王代 『三国史記』の記事 備考(日本側の記録等)
59 4 倭国と国交を結び、使者を交換 〈57〉倭奴国王後漢に...
73 4 倭人が木出島へ侵入。王は角干羽烏を派遣し、これを防...
121 6 倭人が東部辺境に侵入
122 6 王都の人たちは、倭兵が大挙して攻めて来たという流...
123 6 倭国と講和した。
173 8 倭の女王卑弥呼が使者を送って来訪させた。
193 9 倭人が大飢饉にみまわれ、食糧を求めて千余人もきた...
208 10 倭人が国境を犯したので、伊伐滄の利音に軍隊を率い...
232 11 倭人が突然侵入して金城を包囲した。王が自ら城を出...
233 11 倭軍が東部の国境を犯した。伊滄の干老が倭人と沙道...
249 12 倭人が舒弗邯の干老を殺した。
287 14 倭人が一礼部を襲い、村々に火をつけて焼き払い、千...
289 14 倭兵が攻め寄せてくるとの情報で、船を修理し、兵器...
292 14 倭兵が沙道城を攻め落とそうとした。一吉滄の大谷に...
294 14 倭兵が侵入して長峯城を攻めたが、勝てなかった。
295 14 王は重臣たちにこう言った。「倭人がしばしば我が国...
300 15 倭国と国使の交換をした。
344 16 倭国が使者を派遣して、花嫁を求めて来たが、娘はす...
345 16 倭王が国書を送ってきて、国交を断絶した。
346 16 倭軍が突然風島を襲い、辺境地帯を掠め犯した。倭軍...
364 17 倭兵が大挙して侵入してきた。王はこの報告を聞いて...
393 17 倭軍が侵入して金城を包囲し、5日も解かなかった。...
402 18 倭国と国交を結び、奈忽王(17代王)の王子未斯欣を...
405 18 倭兵が侵入して明活城を攻めたが、勝つことはできず...
〈404〉倭軍、帯方郡の故地に出兵、高句麗軍と戦う。
407 18 倭人が東部の辺境に侵入した。また南部の辺境を侵し...
408 18 王は倭人が対馬に軍営を置き、兵器や資材・食糧を貯...
415 18 倭人と風島で戦い、これに勝った。
418 19 王弟の未斯欣が倭国から逃げ帰ってきた。
431 19 倭兵が侵入して東部の辺境を侵した。ついで明活城を...
440 19 倭人が南部の辺境を侵し、住民を掠め取って逃げ去っ...
444 19 倭兵が10日間も金城を包囲し、食糧が尽きたので引き...
459 20 倭人が兵船百余艘を連ねて東海岸を襲撃し、さらに進...
462 20 倭人が襲来して、活開城を陥れ、千人を連れ去った。...
463 20 倭人が歃良城を攻めたが、勝てずに退却した。王は伐...
476 20 倭人が東部の国境地帯を侵した。王は将軍徳智に命じ...
477 20 倭人の軍隊が、五道を通って侵入したが、得るところ...
482 21 倭人が辺境を侵した。
486 21 倭人が国境地帯を侵した。
497 21 倭人が辺地を侵した。
698 32 日本国の使者がやってきた。王は崇礼殿で引見した。...
〈676〉新羅王子等入貢する。
〈689〉新羅使の無礼を責める。
731 33 日本国の兵船300艘が、海を越えてわが東部の辺境を...
742 35 日本国の使者が来たが、これを受け付けなかった。 ...
753 35 日本国の使者が来たが、彼らは傲慢でしかも無礼であ...
〈759〉新羅征討の議起こる。
802 40 均貞に大阿滄の官位を授け、仮の王子として、倭国に...
803 40 日本国と国交を開き、友好関係を結んだ。 〈780〉...
804 40 日本国が使者を派遣し、黄金300両を進上した。
806 40 日本国の使者が来たので、朝元殿で引見した。
808 40 日本国の使者が来朝した。王は正式の儀礼で彼らを鄭...
864 48 日本国の使者が来た。 〈869〉新羅人、博多に侵寇
882 49 日本国王が使者を派遣してきて、黄金300両と明珠10...
〈936〉高麗朝貢を乞うも許さず。
別表第2
『続日本紀』に記された人民救済の記事一覧
元号年 西暦 月日 記事の内容
(文武) 元 697 閏12.7 播磨、備前、備中、周防、阿波、讃...
2 698 3.7 越後で疫病が流行。医師を派遣し、薬を送った。
4.3 近江、紀伊で疫病が流行。医師を派遣し、薬を送った。
3 699 1.26 林坊に住む新羅の女・牟久売が、一度に二男・...
4 700 11.28 大倭国葛上郡の鴨君粳売が一度に、二男・一女...
12.26 大倭国に疫病が流行。医師と薬を下賜。
大宝 元 701 8.14 播磨、淡路、紀伊の水田や園地が、大風...
9.9 使いを諸国に遣わし産業を巡察させ、人民に物を施し救済。
3 703 3.17 信濃、上野の二国に疫病が流行、薬を支給。
5.16 相模国に疫病が流行、薬を支給。
7.5 災害や異変がしきりに起こって穀物が不作のため、京畿と...
慶雲 元 704 3.19 信濃国に疫病が流行、薬を支給。
4.19 讃岐国が飢饉のため物資を支給。
4.27 備中、備後、安芸、阿波の稲苗が損害を受けたので、物...
5.16 武蔵国が飢饉のため物資を支給。
6.11 河内国の古市郡の高屋連薬女が男の三つ子を産んだので...
7.19 京内の80歳上の高齢者に物資を支給。
10.5 大雨や日照りのために作柄が悪いので、今年の課役と田...
12.20 伊豆、伊賀の二国に疫病が流行、医師を派遣し、薬を支...
2 705 8.11 日照りが10日以上も続いたため、大赦を行った...
12.27 20の国々で飢饉や疫病が発生、それぞれに医師や薬を送...
3 706 閏1.5 京、畿内、紀伊、因幡、三河、駿河などの国々...
2.14 山背国相楽郡の鴨首形名という女が6人の子を3回に分け...
2.26 河内、摂津、出雲、安芸、紀伊、讃岐、伊予の七カ国で...
3.13 右京の人、日置須太売が三つ子の男の子を出産。衣服、...
5.16 美濃国の村国連等志売が三つ子の女の子を出産。籾40石...
5.21 畿内で長雨のため稲苗が損なわれたので、籾を無利息で...
4 707 12.4 伊予国に疫病が流行、薬を支給。 和銅(元明)
和銅 元 708 2.1 讃岐国に疫病が流行、薬を支給。
3.2 山背、備前の二国に疫病が流行、薬を支給。
3.27 美濃国安八郡の国造千代の妻如是女が一度に3人の男の子...
1) 世界各地の農業社会では、その初期の頃から、播種期に種...
2) 古代の太めの糸で織られた絹織物。疋は布の大きさの単位...
3) 成人男子に対する人頭税。繊維製品の納入(正調)が基本...
4) 成人男子に対する人頭税。元来は、京へ上って労役が課せ...
5) 宮中で雑事に携わる役人
和銅
(元明) 元 708 7.7 但馬、伯耆の二国に疫病が流行、薬を...
7.14 隠岐国に長雨と大風があったので、物資を支給。
2 709 1.21 下総国に疫病が流行、薬を支給。
3.4 隠岐国の飢饉に物資を支給。
6.9 上総、越中の二国に疫病が流行、薬を支給。
6.26 紀伊国に疫病が流行、薬を支給。
3 710 2.11 信濃国に疫病が流行、薬を支給。
4 711 4.5 大倭、佐渡の二国に飢饉、両国に物資を支給。
5.7 尾張国に疫病が流行、医師を派遣し薬を支給。
7.5 山背国相楽郡の狛部宿禰奈売が三つ子の男の子を出産。絁...
5 712 2.19 京、畿内の高齢者、男女やもめ、孤児、独居老...
5.4 駿河国に疫病が流行、薬を支給。
6 713 2.23 志摩国に疫病が流行、薬を支給。
3.19 大倭国に疫病が流行、薬を支給。
4.23 讃岐国が飢饉、物資を支給。
11.1 伊賀、伊勢、尾張、三河、出羽などの国が大風で秋の収...
7 714 5.27 土佐国の物部毛虫咩という女が三つ子を出産。...
10.1 美濃、武蔵、下野、伯耆、播磨、伊予の六国に大風があ...
霊亀 元 715 5.1 丹波、丹後の二国が飢饉。税稲も無利息...
12.11 常陸国久慈郡の占部御蔭女が三つ子の男の子を出産、食...
参考文献一覧表
№ 文献名 著者等 発行者等
1 日本語の歴史1 亀井孝ほか 平凡社
2 日本人ルーツの謎を解く 長浜浩明 展転社
3 日韓がタブーにする歴史 室谷克実 新潮社
4 倭国伝 全訳注:藤堂明保他 講談社
5 四書五経入門 竹内照夫 平凡社
6 縄文土器の研究 小林達雄 学生社
7 縄文土器の文様構造 石井匠 アム・プロモーション
8 縄文の思考 小林達雄 筑摩書房
9 古代朝鮮と倭族 鳥越憲三郎 中央公論新社
10 日本の古代道路を探す 中村太一 平凡社
11 三国史記(1、2) 金富軾 平凡社
12 論語 訳注:貝塚茂樹 中央公論新社
13 魏志倭人伝・後漢書倭伝 石原道博編訳 岩波書店
14 日本書紀(全五巻) 井上光貞ほか校注 岩波書店
15 古事記 倉野憲司校注 岩波書店
16 続日本紀(全五巻) 宇治谷孟校注 講談社
17 日本人とは何か 山本七平 PHP研究所
18 韓国の中学校歴史教科書 三橋広夫訳 明石書店
19 ウィキペディア ― ― ― ―
新羅王統系譜 別図第1
古代の主要道概図 別図第2
別図第3
播磨国布勢駅家想像図
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http://aikoku-tochigi.com/report/report%20_h25_03.html
終了行:
古代日本の先進性と支那・朝鮮との関係 ...
1 日本語列島の成立
日本語は、日本周辺で話されていたアルタイ(バイカル湖南...
縄文時代から弥生時代までの約1万年間に、話し言葉として一...
朝鮮語は、ある程度日本語との類似性が認められるが、支那...
従来、戦前あるいは明治以前も含めて、日本の学者というも...
仮にそれが正しいとしたら、大陸との交流の中で、日本社会...
紀元前5世紀の春秋時代の支那の最も有名な思想家孔子は、「...
日本人(いわゆる「倭」ないし「倭人」)が、支那の歴史書...
成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯草(恢国篇第26)(成王の時、越...
成王の在位年代ははっきりわからないが、周王朝の初代武王...
日本語の起源を考えるとき、縄文時代から弥生時代にかけて...
が、縄文の火焔土器(左図)などにみられる精緻巧妙な造形美...
人類は遥か昔の猿人の時代から石器、木器、骨器などの道具...
ところが土器の製作は、その工程が著しく異なるものであり...
この非対称性について、石井匠氏(國學院大学研究開発推進...
文様は文字ではないが、「文字の様なもの」である。そこに...
石井匠氏がその著『縄文土器の文様構造』で記しているよう...
同時に、国立歴史民俗博物館が放射性炭素C14を測定して、縄...
石井匠氏は、「だが、忘れてはならないのは、大多数の土器...
現代を代表する画家である岡本太郎氏は、「この原始のたく...
岡本太郎氏が、縄文文化を「四次元との対話」と評し、考古...
そもそも文字をもつことが、特に古代において、多数の人口...
歴史的に非常に高い識字率を維持してきた日本人は、もちろ...
日本語がアルタイ系のトルコ語、モンゴル語、ツングース語...
日本語列島になった絶対的年代がいつかはわからないが、紀...
紀元前後、まだ大和朝廷による西日本統一がされていない頃...
古墳の年代測定の進歩によって大和朝廷による統一がなされ...
弥生時代(紀元前1000年頃には始まる)においても、日本語...
支那本土⇔朝鮮半島⇔日本列島は一つの文化圏とはいえないま...
従来、弥生時代とは、水稲稲作や金属器が伝えられて、渡来...
東アジアのさまざまな地域のヒト集団がそれぞれの地域で新...
弥生時代を日本列島の中だけの出来事例えば水田稲作の開始...
当然、新しい文物の交流に伴ってそれに関連した言葉が日本...
欧米の言葉を除けば、そのほとんどは支那からの輸入単語であ...
2 日本語確立期の東アジア情勢
(1) 三国史記
縄文時代すなわち紀元前1000年以前には既に日本列島は「日...
しかし、その言葉は地域間の差異が大きく、日本列島共通の...
『三国史記』は、1145年高麗17代王である仁宗の命を受け、...
(2) 朝鮮半島情勢
日本列島と同じく朝鮮半島においても、旧石器時代から人類が...
紀元前2333年、卵から生まれた檀君による「檀君朝鮮」が建...
岡田英弘氏の『日本史の誕生(筑摩書房2008)』によれば、...
支那本土が秦によって統一されると、秦はこれを遼東郡の保...
その頃朝鮮半島南部には衛氏朝鮮とは別民族による鉄器文化...
「衛氏朝鮮」の滅亡以降、朝鮮半島は小さい勢力が割拠する...
『韓国国定歴史教科書』では、百済については、紀元前18年...
紀元前後から3世紀にかけての朝鮮半島及び日本列島は、諸国...
日本列島は朝鮮半島よりは早く国家統一が進み、遅くとも3世...
後漢書東夷伝に建武中元二年(西暦57)「倭奴国、貢を奉じ...
(3) 朝鮮半島における日本列島人の勢力
後漢書東夷伝にある「建武中元二年、倭奴国奉貢朝賀使人自...
当時、支那王朝においては「金印紫綬」は一国に授与される...
素直に解釈すれば、「倭奴国」は「倭国」と南の界で接する...
『三国史記』によれば、紀元前50年「倭人が出兵し新羅の辺...
1980年代以降、韓国で前方後円墳の発見が相次いだ(下図)...
前方後円墳が集まる全羅南道を流れる榮山江流域(左図)で...
このような考古学的事実からも、倭人の朝鮮半島進出はかな...
当時の支那王朝は、朝鮮半島における高句麗と百済に対する...
(4) 新羅建国に深く関わった日本列島人(別図第1参照)
「三国史記」の第1巻は「新羅本紀」である。初代の朴赫居世...
紀元後57年、第4代の王に昔脱解(セキダッカイ)という日本列島出...
昔脱解は、倭国の東北1,000里のところにある多婆那国の国王...
朝鮮半島では聖人や賢人はしばしば卵生によって生まれると...
昔脱解のこの説話は、新羅の建国に倭人が深く関わっていた...
昔脱解は王位に就くと、瓠公を大輔に任じ国政の舵取りをさ...
『三国史記』は、新羅の正統を引き継ぎ、禅譲(これは建前...
新羅の王統は、朴(バク)、昔(ソク)、金(キム)の3氏によって...
昔脱解の治世の紀元後65年の項に、「春三月、王はある夜、...
もちろん以上の話はいわば神話であってそれをそのまま受け...
(5) 古代日本の先進性(別表第1参照)
『宋書倭国伝』(439年、宋の文帝の命により編纂が始まり、...
宋の皇帝は詔を以て武(雄略天皇)を「使持節、都督倭・新...
『三国史記・新羅本紀』において、新羅が支那王朝へ朝貢し...
「使持節」とは最高の人事権を皇帝から与えられたことを示...
「都督」は「諸軍事」と合わせて使われ、最高の軍事権が付...
「上開府」または「開府」は、独自の政庁の開設を認めると...
「郡公」は、「王」、「郡王」、「国公」に次ぐ4番目の爵で、こ...
新羅は第30代文武王(在位661~681)のとき朝鮮半島を統一...
皇帝の臣民としては文官に与えられる最高の官名であり、「楽...
7世紀半ば唐の時代に完成した、隋を扱った支那の正史『隋書...
607年、聖徳太子は、「日出処天子」の文言で知られる国書を...
またその見聞記によれば、「王国(倭国)の人々は華夏人(...
『三国史記』には、倭軍がかなり頻繁に新羅を攻めたことが...
17代の奈忽王以降は神話ではなく実在したと言われている。1...
これらの記事からわかることは、誤差があったとしても侵攻...
731年が最後の日本の朝鮮半島侵攻記事である。日本側の記録...
しかし、日本と「新羅」の関係は総じて日本優位であったこと...
698年に「高句麗」の故地に「渤海」が興り、727年以降、ほ...
929年、衰退期を迎えた「新羅」は、日本への朝貢を申し出る...
紀元前後の東アジアの歴史を朝鮮半島中心に見ながら、日本...
昭和62(1987)年、司馬遼太郎はケンブリッジ大学の英国日...
〈まさしく日本列島は、太古以来、文明という光源から見れ...
他の文明から影響を受けずにいると、人類はいつまでも進歩し...
日本歴史に深い洞察を加え、過去に生きた先人たちの心、精...
山本七平が『日本人とは何か』(1989年9月PHP文庫)の中...
〈「日本人」―外国人はこの名称を付された民族に、「何か理...
山本七平もまた国際的な感覚を交えて独特の日本人論を展開...
本論はこのような1000年以上にも及ぶ日本人の固定観念への...
紀元前108年に漢の武帝が楽浪郡を設けたとき、すでに「倭人...
3 大和朝廷(律令国家)の福祉政策と交通インフラ整備
(1) 人民救済(福祉政策)(別表第2参照)
第38代天智天皇以降の律令制下での出来事を『書紀』や『続...
『続日本紀』に記された記事(第42代文武紀~第44代元明紀...
ちなみに、朝鮮半島においても、前述の『三国史記』に旱魃...
聖武天皇の後、第46代孝謙天皇(女帝)、第47代淳仁天皇、...
中央集権制の最大の弊害は、いつの時代も中央ではなく地方...
もちろん地方分権社会においてもよき領主・優れた統治者・...
日本の律令制の崩壊も官吏の腐敗によって決定的になった。...
天平16(744)年、聖武天皇は、巡察使を畿内と七道(東海、...
天平勝宝5(753)年、孝謙天皇が次のような詔を出している...
これらの『続日本紀』の記事は、律令下の地方において、中...
(2) 律令下の交通制度(別図第2参照)
大和朝廷は、地方への統制を確保するために、運輸・通信網と...
朝廷から地方国衙への命令下達や使者などの派遣ではあらゆ...
次のような場合、地方から朝廷への報告などが義務付けられ...
① 死亡などにより国司(守、介、掾、目)に欠員が発生
②烽火による通信で、誤情報を送信
③犯罪者逮捕のために、武力を発動
④謀叛などについての密告
⑤死刑囚に対する再審の発生
⑥大陸や朝鮮から日本人が帰還
⑦支那や朝鮮から帰化
⑧祥瑞(目出度い出来事)
⑨軍事に関する事項
⑩災害や疫病の発生
⑪その他緊急事態
〈道(駅路)〉
律令は、中央と地方の間の緊急的な通信・情報交換・物資輸...
となる七道を整備した。
古代の道は、ごく最近まで曲がりくねった幅の狭い自然発生...
な直線道路であり、10数キロ以上も直線区間があるという計画...
つながった道路網を整備したのである。
さらに古代道は、その幅が驚くほど広い。京畿では24~42m、...
と全国の国府が結ばれていた。これほどの道路網を整備した目...
〈駅制〉
駅制には道と駅家(別図第3参照)が必要不可欠である。駅は...
駅家は当時の地域社会においては豪華な公共施設であったら...
寺院や一部の官庁施設のほか瓦葺の建物が珍しかった古代にお...
駅制による情報伝達には、1人の使者が目的地まで赴く「専使...
別表第1
「三国史記」に記された倭国、倭人、日本関連記事一覧
年 王代 『三国史記』の記事 備考(日本側の記録等)
59 4 倭国と国交を結び、使者を交換 〈57〉倭奴国王後漢に...
73 4 倭人が木出島へ侵入。王は角干羽烏を派遣し、これを防...
121 6 倭人が東部辺境に侵入
122 6 王都の人たちは、倭兵が大挙して攻めて来たという流...
123 6 倭国と講和した。
173 8 倭の女王卑弥呼が使者を送って来訪させた。
193 9 倭人が大飢饉にみまわれ、食糧を求めて千余人もきた...
208 10 倭人が国境を犯したので、伊伐滄の利音に軍隊を率い...
232 11 倭人が突然侵入して金城を包囲した。王が自ら城を出...
233 11 倭軍が東部の国境を犯した。伊滄の干老が倭人と沙道...
249 12 倭人が舒弗邯の干老を殺した。
287 14 倭人が一礼部を襲い、村々に火をつけて焼き払い、千...
289 14 倭兵が攻め寄せてくるとの情報で、船を修理し、兵器...
292 14 倭兵が沙道城を攻め落とそうとした。一吉滄の大谷に...
294 14 倭兵が侵入して長峯城を攻めたが、勝てなかった。
295 14 王は重臣たちにこう言った。「倭人がしばしば我が国...
300 15 倭国と国使の交換をした。
344 16 倭国が使者を派遣して、花嫁を求めて来たが、娘はす...
345 16 倭王が国書を送ってきて、国交を断絶した。
346 16 倭軍が突然風島を襲い、辺境地帯を掠め犯した。倭軍...
364 17 倭兵が大挙して侵入してきた。王はこの報告を聞いて...
393 17 倭軍が侵入して金城を包囲し、5日も解かなかった。...
402 18 倭国と国交を結び、奈忽王(17代王)の王子未斯欣を...
405 18 倭兵が侵入して明活城を攻めたが、勝つことはできず...
〈404〉倭軍、帯方郡の故地に出兵、高句麗軍と戦う。
407 18 倭人が東部の辺境に侵入した。また南部の辺境を侵し...
408 18 王は倭人が対馬に軍営を置き、兵器や資材・食糧を貯...
415 18 倭人と風島で戦い、これに勝った。
418 19 王弟の未斯欣が倭国から逃げ帰ってきた。
431 19 倭兵が侵入して東部の辺境を侵した。ついで明活城を...
440 19 倭人が南部の辺境を侵し、住民を掠め取って逃げ去っ...
444 19 倭兵が10日間も金城を包囲し、食糧が尽きたので引き...
459 20 倭人が兵船百余艘を連ねて東海岸を襲撃し、さらに進...
462 20 倭人が襲来して、活開城を陥れ、千人を連れ去った。...
463 20 倭人が歃良城を攻めたが、勝てずに退却した。王は伐...
476 20 倭人が東部の国境地帯を侵した。王は将軍徳智に命じ...
477 20 倭人の軍隊が、五道を通って侵入したが、得るところ...
482 21 倭人が辺境を侵した。
486 21 倭人が国境地帯を侵した。
497 21 倭人が辺地を侵した。
698 32 日本国の使者がやってきた。王は崇礼殿で引見した。...
〈676〉新羅王子等入貢する。
〈689〉新羅使の無礼を責める。
731 33 日本国の兵船300艘が、海を越えてわが東部の辺境を...
742 35 日本国の使者が来たが、これを受け付けなかった。 ...
753 35 日本国の使者が来たが、彼らは傲慢でしかも無礼であ...
〈759〉新羅征討の議起こる。
802 40 均貞に大阿滄の官位を授け、仮の王子として、倭国に...
803 40 日本国と国交を開き、友好関係を結んだ。 〈780〉...
804 40 日本国が使者を派遣し、黄金300両を進上した。
806 40 日本国の使者が来たので、朝元殿で引見した。
808 40 日本国の使者が来朝した。王は正式の儀礼で彼らを鄭...
864 48 日本国の使者が来た。 〈869〉新羅人、博多に侵寇
882 49 日本国王が使者を派遣してきて、黄金300両と明珠10...
〈936〉高麗朝貢を乞うも許さず。
別表第2
『続日本紀』に記された人民救済の記事一覧
元号年 西暦 月日 記事の内容
(文武) 元 697 閏12.7 播磨、備前、備中、周防、阿波、讃...
2 698 3.7 越後で疫病が流行。医師を派遣し、薬を送った。
4.3 近江、紀伊で疫病が流行。医師を派遣し、薬を送った。
3 699 1.26 林坊に住む新羅の女・牟久売が、一度に二男・...
4 700 11.28 大倭国葛上郡の鴨君粳売が一度に、二男・一女...
12.26 大倭国に疫病が流行。医師と薬を下賜。
大宝 元 701 8.14 播磨、淡路、紀伊の水田や園地が、大風...
9.9 使いを諸国に遣わし産業を巡察させ、人民に物を施し救済。
3 703 3.17 信濃、上野の二国に疫病が流行、薬を支給。
5.16 相模国に疫病が流行、薬を支給。
7.5 災害や異変がしきりに起こって穀物が不作のため、京畿と...
慶雲 元 704 3.19 信濃国に疫病が流行、薬を支給。
4.19 讃岐国が飢饉のため物資を支給。
4.27 備中、備後、安芸、阿波の稲苗が損害を受けたので、物...
5.16 武蔵国が飢饉のため物資を支給。
6.11 河内国の古市郡の高屋連薬女が男の三つ子を産んだので...
7.19 京内の80歳上の高齢者に物資を支給。
10.5 大雨や日照りのために作柄が悪いので、今年の課役と田...
12.20 伊豆、伊賀の二国に疫病が流行、医師を派遣し、薬を支...
2 705 8.11 日照りが10日以上も続いたため、大赦を行った...
12.27 20の国々で飢饉や疫病が発生、それぞれに医師や薬を送...
3 706 閏1.5 京、畿内、紀伊、因幡、三河、駿河などの国々...
2.14 山背国相楽郡の鴨首形名という女が6人の子を3回に分け...
2.26 河内、摂津、出雲、安芸、紀伊、讃岐、伊予の七カ国で...
3.13 右京の人、日置須太売が三つ子の男の子を出産。衣服、...
5.16 美濃国の村国連等志売が三つ子の女の子を出産。籾40石...
5.21 畿内で長雨のため稲苗が損なわれたので、籾を無利息で...
4 707 12.4 伊予国に疫病が流行、薬を支給。 和銅(元明)
和銅 元 708 2.1 讃岐国に疫病が流行、薬を支給。
3.2 山背、備前の二国に疫病が流行、薬を支給。
3.27 美濃国安八郡の国造千代の妻如是女が一度に3人の男の子...
1) 世界各地の農業社会では、その初期の頃から、播種期に種...
2) 古代の太めの糸で織られた絹織物。疋は布の大きさの単位...
3) 成人男子に対する人頭税。繊維製品の納入(正調)が基本...
4) 成人男子に対する人頭税。元来は、京へ上って労役が課せ...
5) 宮中で雑事に携わる役人
和銅
(元明) 元 708 7.7 但馬、伯耆の二国に疫病が流行、薬を...
7.14 隠岐国に長雨と大風があったので、物資を支給。
2 709 1.21 下総国に疫病が流行、薬を支給。
3.4 隠岐国の飢饉に物資を支給。
6.9 上総、越中の二国に疫病が流行、薬を支給。
6.26 紀伊国に疫病が流行、薬を支給。
3 710 2.11 信濃国に疫病が流行、薬を支給。
4 711 4.5 大倭、佐渡の二国に飢饉、両国に物資を支給。
5.7 尾張国に疫病が流行、医師を派遣し薬を支給。
7.5 山背国相楽郡の狛部宿禰奈売が三つ子の男の子を出産。絁...
5 712 2.19 京、畿内の高齢者、男女やもめ、孤児、独居老...
5.4 駿河国に疫病が流行、薬を支給。
6 713 2.23 志摩国に疫病が流行、薬を支給。
3.19 大倭国に疫病が流行、薬を支給。
4.23 讃岐国が飢饉、物資を支給。
11.1 伊賀、伊勢、尾張、三河、出羽などの国が大風で秋の収...
7 714 5.27 土佐国の物部毛虫咩という女が三つ子を出産。...
10.1 美濃、武蔵、下野、伯耆、播磨、伊予の六国に大風があ...
霊亀 元 715 5.1 丹波、丹後の二国が飢饉。税稲も無利息...
12.11 常陸国久慈郡の占部御蔭女が三つ子の男の子を出産、食...
参考文献一覧表
№ 文献名 著者等 発行者等
1 日本語の歴史1 亀井孝ほか 平凡社
2 日本人ルーツの謎を解く 長浜浩明 展転社
3 日韓がタブーにする歴史 室谷克実 新潮社
4 倭国伝 全訳注:藤堂明保他 講談社
5 四書五経入門 竹内照夫 平凡社
6 縄文土器の研究 小林達雄 学生社
7 縄文土器の文様構造 石井匠 アム・プロモーション
8 縄文の思考 小林達雄 筑摩書房
9 古代朝鮮と倭族 鳥越憲三郎 中央公論新社
10 日本の古代道路を探す 中村太一 平凡社
11 三国史記(1、2) 金富軾 平凡社
12 論語 訳注:貝塚茂樹 中央公論新社
13 魏志倭人伝・後漢書倭伝 石原道博編訳 岩波書店
14 日本書紀(全五巻) 井上光貞ほか校注 岩波書店
15 古事記 倉野憲司校注 岩波書店
16 続日本紀(全五巻) 宇治谷孟校注 講談社
17 日本人とは何か 山本七平 PHP研究所
18 韓国の中学校歴史教科書 三橋広夫訳 明石書店
19 ウィキペディア ― ― ― ―
新羅王統系譜 別図第1
古代の主要道概図 別図第2
別図第3
播磨国布勢駅家想像図
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http://aikoku-tochigi.com/report/report%20_h25_03.html
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