梁書
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梁書・諸夷伝・東夷条・倭(付:「北史」・「南史」)
『梁書』は唐の史官・姚思廉(ヨウ・シレン=?~637年)が父...
同じく唐代には、二十四史に含まれる『北史』『南史』『隋...
〈 梁書の描く倭人および倭国 〉
○倭は自ら太白の後と云い、俗は皆、文身す・・・で始まる倭人...
ただ、前代の『宋書』と若干違う点の見える箇所があるので...
晋の安帝の時、倭王・賛あり。賛死して弟・彌立つ。彌死し...
斉の建元中、武を「持節・都督・倭・新羅・任那・加羅・秦...
高祖即位し、武を征東(大)将軍に進めり。
(注)
太白の後・・・呉の始祖・太白の苗裔。要するに、倭人は使い...
これを「私ども倭人は呉国の末流に他ならない」と解釈する...
この「古公亶父」は「亶州(センシュウ・タンシュウ)」出...
倭王・賛、彌、済、興、武・・・いわゆる「倭の五王」だが、...
高祖即位し、武を征東(大)将軍に進めり・・・高祖は梁の初...
この記事については両論があり、一つは倭人の使者が実際に朝...
しかし後者については疑問がある。それは武帝の長男である...
だが、高祖・武帝の即位は西暦502年であり、日本書紀記載の...
ただ武烈と雄略で重なるのが和名「小泊瀬(おはつせ)」と...
○以上の「正系の倭国」の他に、『梁書』では風変わりな倭人の...
① 文身国・・・倭国の東北七千里にある。人体には野獣のよ...
② 大漢国・・・文身国の東五千里にある。兵隊はおらず、戦...
③ 扶桑国・・・南斉の永元元年(499)、倭国の僧・慧深...
「大漢国の東二万里には扶桑国がある...
(注)
文身国・・・ブンシンコク。文身とは「入れ墨」のことで、九...
倭国の東北7千里とあるが、この倭国は九州王権のことであ...
大漢国・・・ダイカンコク。文身国の東5千里にあると言うが...
扶桑国・・・フソウコク。永元元年(499)に「沙門・慧深...
いま、その当否は措かざるを得ないが、それにしても不可解...
慧深僧侶が499年に存在したとすれば、仏教は倭国には4...
この慧深の記事など信じるに値しない――というのが、現在の...
倭国の所在地を九州とすれば、地理的な整合性はおおむね得...
< 北史の概略 >
『北史』も『南史』も唐の李延寿(リ・エンジュ)の選によ...
北と南に分けたのは魏の後継の晋王朝が滅び、大陸が南朝「...
『北史』は、「魏志倭人伝」の記述を取り入れ、倭国を捉え...
だが、後半は『隋書』の倭国記事そのままといってよい。格...
< 南史の概略 >
『南史』では「宋書」の対倭国記事が詳しく載せられている...
ただし、『南史』には『梁書』に出てくる倭国の別国「文身...
(『梁書』の項、終り)
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梁書・諸夷伝・東夷条・倭(付:「北史」・「南史」)
『梁書』は唐の史官・姚思廉(ヨウ・シレン=?~637年)が父...
同じく唐代には、二十四史に含まれる『北史』『南史』『隋...
〈 梁書の描く倭人および倭国 〉
○倭は自ら太白の後と云い、俗は皆、文身す・・・で始まる倭人...
ただ、前代の『宋書』と若干違う点の見える箇所があるので...
晋の安帝の時、倭王・賛あり。賛死して弟・彌立つ。彌死し...
斉の建元中、武を「持節・都督・倭・新羅・任那・加羅・秦...
高祖即位し、武を征東(大)将軍に進めり。
(注)
太白の後・・・呉の始祖・太白の苗裔。要するに、倭人は使い...
これを「私ども倭人は呉国の末流に他ならない」と解釈する...
この「古公亶父」は「亶州(センシュウ・タンシュウ)」出...
倭王・賛、彌、済、興、武・・・いわゆる「倭の五王」だが、...
高祖即位し、武を征東(大)将軍に進めり・・・高祖は梁の初...
この記事については両論があり、一つは倭人の使者が実際に朝...
しかし後者については疑問がある。それは武帝の長男である...
だが、高祖・武帝の即位は西暦502年であり、日本書紀記載の...
ただ武烈と雄略で重なるのが和名「小泊瀬(おはつせ)」と...
○以上の「正系の倭国」の他に、『梁書』では風変わりな倭人の...
① 文身国・・・倭国の東北七千里にある。人体には野獣のよ...
② 大漢国・・・文身国の東五千里にある。兵隊はおらず、戦...
③ 扶桑国・・・南斉の永元元年(499)、倭国の僧・慧深...
「大漢国の東二万里には扶桑国がある...
(注)
文身国・・・ブンシンコク。文身とは「入れ墨」のことで、九...
倭国の東北7千里とあるが、この倭国は九州王権のことであ...
大漢国・・・ダイカンコク。文身国の東5千里にあると言うが...
扶桑国・・・フソウコク。永元元年(499)に「沙門・慧深...
いま、その当否は措かざるを得ないが、それにしても不可解...
慧深僧侶が499年に存在したとすれば、仏教は倭国には4...
この慧深の記事など信じるに値しない――というのが、現在の...
倭国の所在地を九州とすれば、地理的な整合性はおおむね得...
< 北史の概略 >
『北史』も『南史』も唐の李延寿(リ・エンジュ)の選によ...
北と南に分けたのは魏の後継の晋王朝が滅び、大陸が南朝「...
『北史』は、「魏志倭人伝」の記述を取り入れ、倭国を捉え...
だが、後半は『隋書』の倭国記事そのままといってよい。格...
< 南史の概略 >
『南史』では「宋書」の対倭国記事が詳しく載せられている...
ただし、『南史』には『梁書』に出てくる倭国の別国「文身...
(『梁書』の項、終り)
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