満州放棄論
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[研究論文]
石橋湛山の“満州放棄論”
増田 弘 (本学国際社会学部教授)
(一)
日本は「(アジアなど)弱小国に対して、この『取る』態度を...
しかし当時、日本国民の間では満州を「20 億の国帑(国家財...
これに対して『新報』の湛山は、大正初期以降、中国の革命...
(二)
湛山が持論の満州放棄論を完成させるのは、第一次世界大戦...
i)政治・外交の論点
なぜ日本は満州を政治・外交上放棄しなければならないのか...
しかし現実に中国内部は分裂・抗争し、混乱を重ねているで...
は成功しえないなどと断ずるは軽率極った事である」、日本の...
でさえ、その安定に 10 年を要した、中国は日本の 30 倍近い...
気を永く持ち、中国人の政治的希望を第一に尊重し、無理に...
ii)経済の論点
では経済上なぜ満州を放棄すべきか。湛山は当時の日本人の...
識、すなわち日本は天然資源に乏しく領土が狭いため、資源豊...
国の領土を奪取して併合するほかに国家発展の途はない、との...
全面的に否定した。つまり、植民地を領有しても日本人が期待...
どの利益をもたらしていない、と主張した。同時に多くの資料...
のデータを用いてこの事実を解明した。たとえば、1920 年の日...
出入総額を朝鮮・台湾・関東州の三植民地と、米・英・インド...
すると、三植民地との貿易総額は 9 億 1500 万円であるが、米...
億 3800 万円、英国とは 3 億 3000 万円、インドとは 5 億 87...
幅に上回っており、日本の経済的自立という観点からすれば後...
がはるかに重要であり、しかも満州などが石炭、鉄、石油、綿...
工業上必要な原料の十分な供給地ではない点を示した。こうし...
は日本人が当然視する植民地必要論を「幻想である」と断言し...
ある。人道的倫理をオブラートで包み隠しながら、一般国民に...
易く、いわばソロバン勘定の損得で植民地の無益さを説いたわ...
−49−増田 弘
る。
では今後日本は中国に対してどのような経済貿易政策を取るべ...
湛山は、日本が急速に中国の「富源」を開発し、中国経済の発...
道などインフラ)を促すことであり、そのためには中国全土を機...
等主義の下に列国に開放し、欧米先進諸国の無限の資本と優秀...
力を最大限に中国に導入させ活動させることであり、そうすれ...
の中国貿易は一層増大し、これに刺激されてわが商工業は興隆...
ずであると主張したのである。
iii)人口・移民の論点
ではなぜ人口・移民の観点から満州は不要なのか。湛山は「領...
狭く、人口が膨張する状況では海外移民は不可欠である」との...
常識的見解を誤った考え方として斥けた。なぜか。今日では工...
達し、貿易が活発となり、食料はたとえ国内で生産しなくとも...
に大市場が控えており、必需品の獲得は自由自在であるからで...
この見地から、マルサス的な人口過剰論に基づく“移民必要論”...
陥を突いた。たとえば 1918 年時点で、外地に住む日本人は総...
に満たないのに対して、日本の総人口はその間の 13 年間に 94...
加し、6000 万人に達している。わずか 80 万人のために 6000 ...
福や人的活用を忘れてはならない、と論じたのである。
iv)軍事の論点
では軍事上ないし国防上なぜ満州を放棄した方がよいのか。す...
湛山は、世界各国民の利害関係が今や錯綜してきたため、文明...
戦争が不可能となりつつあるとのノーマン・エンジェル(Norman
Angell)の学説を積極的に肯定した。ところが現実のわが国は、...
領土や賠償金の獲得など儲かるものとの旧来の戦争観に基づい...
−50−石橋湛山の“満州放棄論”
政策をとり、満州はじめアジア大陸への支配強化を図っている...
は日中関係を悪化させると同時に、日米対決を深め、日米軍拡...
生み、ひいては日米戦争の危険をもたらすなど憂うべき状況と...
いた。
湛山の立場からすれば、軍備を整える必要は、他国を侵略する...
他国に侵略される恐れがあるかの二つの場合以外にはなく、も...
を侵略する意図もなく、他国から侵略される恐れもないならば...
以上の兵力は、海陸ともに用はないはずであった。しかし、も...
がわが国を侵略する恐れがあるとすれば、
「我海外領土に対してであろ
う。...戦争勃発の危険の最も多いのは、寧ろ支那又はシベリヤ...
...茲に戦争が起れば、起る」と湛山は予想した。とすれば、わ...
中国またはシベリアへの野心を捨てて、満州や台湾・朝鮮・樺...
も不要であるといった大胆な態度に出れば、戦争は絶対に起ら...
他国から侵略されることも決してないと断言するのである。
v)国際関係の論点
では国際関係上、なぜ日本は満州を放棄しなければならないの...
それは日本が国際的孤立を深めているからである。パリ平和会...
の日本を取り巻く極東情勢は、湛山の眼には一層厳しいものと...
いた。1920(大正 9)年 1 月 24 日号社説「日米衝突の危険」で...
日米間に戦争が起りえるかと問えば皆笑うだろうが、
「日米両国の間に
支那を取入れて見る時は、両国の関係は、頗る色彩を改めて来...
支那の独立統一の運動は、先ず此脅威(日本の帝国主義的野心)...
抗し、其圧迫を掃い除けることが、一大要件だ。...そこへ米国...
って来る。...米国が支那の此統一運動の味方として、援助者と...
参加して来る。...若し一朝、日支の間に、愈よ火蓋が切られる...
米国は日本を第二の独逸となし、人類の平和を攪乱する極東の...
−51−増田 弘
義を妥当さねばならぬと、公然宣言して、日本討伐軍を起し来...
ぬか」と、すでに 21 年も前に日米開戦の危険を予告した。
しかし日米両国は戦ってはならない、と湛山は強調する。なぜ...
戦争は勝敗に関係なく双方に利益をもたらさないからであり、...
済・貿易上アメリカは日本にとってどこよいも重要な国である...
では日米開戦を回避する方法とは何か。湛山は、1太平洋上の軍...
撤廃する、2日本は日英同盟を廃止し、イギリスのための「東洋...
犬」から脱却する、3日米対立の根幹となっている満州などの中...
権をすべて放棄し、開放することを提言した。そうすれば日米...
回避させ、ひいては日本の国際的孤立状態からも脱することが...
と説いたのである。
(三)
最後に、湛山が満州事変以降の軍部の動きと、石原莞爾の満州...
論をどのように認識していたかを論じたい。1931 年 9 月、石...
軍が満蒙掌握のために決起した柳条湖事件に対して、湛山は「...
力行使によって満蒙問題の根本的解決は困難である」と主張し...
の行動はたとえ法制上正しくても、政治的には「左様な乱暴」...
れてはたまらない、内閣の意図しない海外出兵が実施されたら...
の危険此上も無い」と陸軍を非難した。ところが石原らは満州...
成功し、清朝の廃帝溥儀を担ぎ出して満州独立国家の建設に乗...
た。すると湛山は、石原らが唱える東亜連盟構想や「五族協和...
楽土」のスローガンなど、日本で実現できないことを他国で実...
るはずがなく、単なる「空想」であると切り捨てた。そして新...
誕生すると、
「甚だ不自然の経過」による国家が「今後の満蒙を健全に
経営し得べしとは信じ得ない」と真っ向から否認した。
−52−石橋湛山の“満州放棄論”
湛山の予想は的中した。満州国はわずか 13 年でその命脈が尽...
かりでなく、結局満州問題を起因にして日米開戦となり、日本...
かつてない国難に直面する。しかし日本は奇跡の復活を遂げる...
れ、日本は満州など植民地なしに経済大国として復活を遂げた...
忘れてはならない。ここに湛山が長年掲げた小日本主義に基づ...
放棄論の正しさもまた歴史上に証明されたわけである。
追記 本稿は『歴史読本、特集石原莞爾と満州帝国』2009 年 9 ...
(新人物往来社)に掲載されたものの転載である。なお同月号は ...
2 月に単行本『石原莞爾と満州帝国』として同社より出版され...
−53−Tanzan Ishibashi’s Views on the Abolishment of
Manchuria
MASUDA Hiroshi
Faculty of Social Sciences
Toyo Eiwa University
This article is aimed to clarify the distinguished views on
Manchuria expressed by Tanzan Ishibashi, who was a famous
liberal journalist of the Oriental Economist (Toyo Keizai
Shinposha) during the period 1912-1946 and who served as
Japanese prime minister in 1956-57. Ishibashi and the Ori...
Economist had incessantly argued since the early 1910s that
Japan should abolish all colonies, including Manchuria, K...
and Taiwan, as soon as possible, even though it could be
considered natural for the Japanese government and military
forces to possess colonies in a so-called age of imperial...
context, Ishibashi not only criticized the military activ...
Kwantong army led by Lieutenant Colonel Kanji Ishihara and
Colonel Seishiro Inagaki beginning in September 18, 1931 ...
denied the foundation of Manchukuo, the puppet government
controlled by the Kwantong army. Although this state last...
just thirteen years until the end of the Pacific war on A...
1945, it is meaningful to recognize that Ishibashi’s view...
“Little Japanese-ism” were not necessary inappropriate in...
development process of the postwar period.
−54−
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[研究論文]
石橋湛山の“満州放棄論”
増田 弘 (本学国際社会学部教授)
(一)
日本は「(アジアなど)弱小国に対して、この『取る』態度を...
しかし当時、日本国民の間では満州を「20 億の国帑(国家財...
これに対して『新報』の湛山は、大正初期以降、中国の革命...
(二)
湛山が持論の満州放棄論を完成させるのは、第一次世界大戦...
i)政治・外交の論点
なぜ日本は満州を政治・外交上放棄しなければならないのか...
しかし現実に中国内部は分裂・抗争し、混乱を重ねているで...
は成功しえないなどと断ずるは軽率極った事である」、日本の...
でさえ、その安定に 10 年を要した、中国は日本の 30 倍近い...
気を永く持ち、中国人の政治的希望を第一に尊重し、無理に...
ii)経済の論点
では経済上なぜ満州を放棄すべきか。湛山は当時の日本人の...
識、すなわち日本は天然資源に乏しく領土が狭いため、資源豊...
国の領土を奪取して併合するほかに国家発展の途はない、との...
全面的に否定した。つまり、植民地を領有しても日本人が期待...
どの利益をもたらしていない、と主張した。同時に多くの資料...
のデータを用いてこの事実を解明した。たとえば、1920 年の日...
出入総額を朝鮮・台湾・関東州の三植民地と、米・英・インド...
すると、三植民地との貿易総額は 9 億 1500 万円であるが、米...
億 3800 万円、英国とは 3 億 3000 万円、インドとは 5 億 87...
幅に上回っており、日本の経済的自立という観点からすれば後...
がはるかに重要であり、しかも満州などが石炭、鉄、石油、綿...
工業上必要な原料の十分な供給地ではない点を示した。こうし...
は日本人が当然視する植民地必要論を「幻想である」と断言し...
ある。人道的倫理をオブラートで包み隠しながら、一般国民に...
易く、いわばソロバン勘定の損得で植民地の無益さを説いたわ...
−49−増田 弘
る。
では今後日本は中国に対してどのような経済貿易政策を取るべ...
湛山は、日本が急速に中国の「富源」を開発し、中国経済の発...
道などインフラ)を促すことであり、そのためには中国全土を機...
等主義の下に列国に開放し、欧米先進諸国の無限の資本と優秀...
力を最大限に中国に導入させ活動させることであり、そうすれ...
の中国貿易は一層増大し、これに刺激されてわが商工業は興隆...
ずであると主張したのである。
iii)人口・移民の論点
ではなぜ人口・移民の観点から満州は不要なのか。湛山は「領...
狭く、人口が膨張する状況では海外移民は不可欠である」との...
常識的見解を誤った考え方として斥けた。なぜか。今日では工...
達し、貿易が活発となり、食料はたとえ国内で生産しなくとも...
に大市場が控えており、必需品の獲得は自由自在であるからで...
この見地から、マルサス的な人口過剰論に基づく“移民必要論”...
陥を突いた。たとえば 1918 年時点で、外地に住む日本人は総...
に満たないのに対して、日本の総人口はその間の 13 年間に 94...
加し、6000 万人に達している。わずか 80 万人のために 6000 ...
福や人的活用を忘れてはならない、と論じたのである。
iv)軍事の論点
では軍事上ないし国防上なぜ満州を放棄した方がよいのか。す...
湛山は、世界各国民の利害関係が今や錯綜してきたため、文明...
戦争が不可能となりつつあるとのノーマン・エンジェル(Norman
Angell)の学説を積極的に肯定した。ところが現実のわが国は、...
領土や賠償金の獲得など儲かるものとの旧来の戦争観に基づい...
−50−石橋湛山の“満州放棄論”
政策をとり、満州はじめアジア大陸への支配強化を図っている...
は日中関係を悪化させると同時に、日米対決を深め、日米軍拡...
生み、ひいては日米戦争の危険をもたらすなど憂うべき状況と...
いた。
湛山の立場からすれば、軍備を整える必要は、他国を侵略する...
他国に侵略される恐れがあるかの二つの場合以外にはなく、も...
を侵略する意図もなく、他国から侵略される恐れもないならば...
以上の兵力は、海陸ともに用はないはずであった。しかし、も...
がわが国を侵略する恐れがあるとすれば、
「我海外領土に対してであろ
う。...戦争勃発の危険の最も多いのは、寧ろ支那又はシベリヤ...
...茲に戦争が起れば、起る」と湛山は予想した。とすれば、わ...
中国またはシベリアへの野心を捨てて、満州や台湾・朝鮮・樺...
も不要であるといった大胆な態度に出れば、戦争は絶対に起ら...
他国から侵略されることも決してないと断言するのである。
v)国際関係の論点
では国際関係上、なぜ日本は満州を放棄しなければならないの...
それは日本が国際的孤立を深めているからである。パリ平和会...
の日本を取り巻く極東情勢は、湛山の眼には一層厳しいものと...
いた。1920(大正 9)年 1 月 24 日号社説「日米衝突の危険」で...
日米間に戦争が起りえるかと問えば皆笑うだろうが、
「日米両国の間に
支那を取入れて見る時は、両国の関係は、頗る色彩を改めて来...
支那の独立統一の運動は、先ず此脅威(日本の帝国主義的野心)...
抗し、其圧迫を掃い除けることが、一大要件だ。...そこへ米国...
って来る。...米国が支那の此統一運動の味方として、援助者と...
参加して来る。...若し一朝、日支の間に、愈よ火蓋が切られる...
米国は日本を第二の独逸となし、人類の平和を攪乱する極東の...
−51−増田 弘
義を妥当さねばならぬと、公然宣言して、日本討伐軍を起し来...
ぬか」と、すでに 21 年も前に日米開戦の危険を予告した。
しかし日米両国は戦ってはならない、と湛山は強調する。なぜ...
戦争は勝敗に関係なく双方に利益をもたらさないからであり、...
済・貿易上アメリカは日本にとってどこよいも重要な国である...
では日米開戦を回避する方法とは何か。湛山は、1太平洋上の軍...
撤廃する、2日本は日英同盟を廃止し、イギリスのための「東洋...
犬」から脱却する、3日米対立の根幹となっている満州などの中...
権をすべて放棄し、開放することを提言した。そうすれば日米...
回避させ、ひいては日本の国際的孤立状態からも脱することが...
と説いたのである。
(三)
最後に、湛山が満州事変以降の軍部の動きと、石原莞爾の満州...
論をどのように認識していたかを論じたい。1931 年 9 月、石...
軍が満蒙掌握のために決起した柳条湖事件に対して、湛山は「...
力行使によって満蒙問題の根本的解決は困難である」と主張し...
の行動はたとえ法制上正しくても、政治的には「左様な乱暴」...
れてはたまらない、内閣の意図しない海外出兵が実施されたら...
の危険此上も無い」と陸軍を非難した。ところが石原らは満州...
成功し、清朝の廃帝溥儀を担ぎ出して満州独立国家の建設に乗...
た。すると湛山は、石原らが唱える東亜連盟構想や「五族協和...
楽土」のスローガンなど、日本で実現できないことを他国で実...
るはずがなく、単なる「空想」であると切り捨てた。そして新...
誕生すると、
「甚だ不自然の経過」による国家が「今後の満蒙を健全に
経営し得べしとは信じ得ない」と真っ向から否認した。
−52−石橋湛山の“満州放棄論”
湛山の予想は的中した。満州国はわずか 13 年でその命脈が尽...
かりでなく、結局満州問題を起因にして日米開戦となり、日本...
かつてない国難に直面する。しかし日本は奇跡の復活を遂げる...
れ、日本は満州など植民地なしに経済大国として復活を遂げた...
忘れてはならない。ここに湛山が長年掲げた小日本主義に基づ...
放棄論の正しさもまた歴史上に証明されたわけである。
追記 本稿は『歴史読本、特集石原莞爾と満州帝国』2009 年 9 ...
(新人物往来社)に掲載されたものの転載である。なお同月号は ...
2 月に単行本『石原莞爾と満州帝国』として同社より出版され...
−53−Tanzan Ishibashi’s Views on the Abolishment of
Manchuria
MASUDA Hiroshi
Faculty of Social Sciences
Toyo Eiwa University
This article is aimed to clarify the distinguished views on
Manchuria expressed by Tanzan Ishibashi, who was a famous
liberal journalist of the Oriental Economist (Toyo Keizai
Shinposha) during the period 1912-1946 and who served as
Japanese prime minister in 1956-57. Ishibashi and the Ori...
Economist had incessantly argued since the early 1910s that
Japan should abolish all colonies, including Manchuria, K...
and Taiwan, as soon as possible, even though it could be
considered natural for the Japanese government and military
forces to possess colonies in a so-called age of imperial...
context, Ishibashi not only criticized the military activ...
Kwantong army led by Lieutenant Colonel Kanji Ishihara and
Colonel Seishiro Inagaki beginning in September 18, 1931 ...
denied the foundation of Manchukuo, the puppet government
controlled by the Kwantong army. Although this state last...
just thirteen years until the end of the Pacific war on A...
1945, it is meaningful to recognize that Ishibashi’s view...
“Little Japanese-ism” were not necessary inappropriate in...
development process of the postwar period.
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