第一章(Historical)
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第一章
一
まず、九州王朝説そのものの成立をここで振り返ってみたい。...
古田がその出発点としたのは、言うまでもなく『魏志倭人伝』...
わたしたちの守りとおしてきたのは、ほかでもない。『三...
後代の手で原文を変更してしまったり、後代の頭で”水増し...
到着点は出発点である。わたしたちは今、いたった地点か...
この、わたしたちの行きとおす道は、「邪馬壹国」の山頂...
もはや鳥瞰図は完成し、論証はふたたび自動的に展開され...
そして第二著(古田武彦『失われた九州王朝』朝日新聞社、一...
”陳寿を信じとおす”わたしは前の本の序文でそう言った。...
だから、この研究方法はそのまま『三国志』以外の中国史...
そのとき、わたしには一つの掟があった。それは、これま...
こうして、『魏志倭人伝』を出発した古田武彦は、次に『後漢...
『失われた九州王朝』の冒頭に「連鎖の論理」と銘打った序章...
なぜなら、すでに『「邪馬台国」はなかった』において”卑...
この原点に「前一~二世紀より七世紀までの倭国は同一王...
実のところ、古田の九州王朝説は、ここで八~九割近く完成し...
一つの仮説を立て、それが多くの現象(歴史学では史料事...
まさにそれを古田は実践してきた。誤解してはいけない。九州...
二
さて、古田武彦の記紀に対する態度を見ておこう。倭の五王と...
津田史学からの批判以来、つぎのような見地がわが国の古...
(中略)
今、わたしが問題にしようとしているのは、この旧辞部分...
古田の記紀への眼差しは、『失われた九州王朝』の時点では、...
これ(雄略記の呉人渡来記事―河西注)が六代を通じて、中...
(中略)
そして何よりもこの六代は、対外的に平穏そのものだ。外...
(中略)
結局ここでも”なにせ記紀の説話は……”という「万能の史料...
古田が最後に述べている「万能の史料不信論」とはどういうこ...
古田は既に、『失われた九州王朝』において、記紀が国外史料...
(倭の五王の比定をめぐる不審を挙げて―河西注)これでも...
要するにこういうことだ。一致しているかどうかを判定する為...
戦後史学は、いったい、史料的には何を基準としているのだろ...
三
古田の記紀に対する目は両義的だ。第一義は偽りの書、第二義...
しかし、『盗まれた神話』における古田の記紀に対する言説は...
津田史学の基本命題によれば、”『記・紀』の記事は、原則...
”『記・紀』の神話・説話群の語るところは、多く史実では...
彼によると、”『古事記』は一人の天才的作者の創作”であ...
(中略)
つまり、簡単にいえば、”『古事記』は全くのお話(文学作...
(中略)
このような事実を前にするとき、一見奇想天外な川副理論...
『記・紀』説話と史実との完璧な切り離し、それが彼にお...
だが、果たしてこれでいいのだろうか。〈同〉
これを、古田の記紀へ対する態度の変更と見るべきではない。...
これに対し、古田のとった立場は、記紀の説話そのものが、史...
『記・紀』の神話や説話は史実だろうか?いいかえれば史...
この問いに答えるために、わたしはここに「未証説話」(...
(中略)
だが、それ以前やそれ以外の伝承も、それと同じく史実で...
古田は、記紀の説話を、それ自身としては、「史実である」と...
古田の記紀説話解釈のポイントは、今までの記紀解釈の持つ、...
また津田は、日向の古墳群をもって、「日向=皇室発祥地...
「もし日向に古墳を遺したものが皇室と特殊の関係がある...
右の津田の言葉の中には、”神武はすでに日向において他の...
たしかに、神武はこの地(日向)の一豪族の娘と結婚して...
古田にとって、記紀は、天皇家の非道をも、赤裸々に告白する...
それは、崇神や応神だけを史的実在とした。したがってそ...
しかし、一番の問題は”なんの目的で”に答えることだ。”な...
これに対して戦後史学の回答は、本質的に”家系を飾るため...
わたしがたじろがず、見つめるのはこの一点である。天皇...
しかるに、戦後史学はいいつづけてきた。”いや、そのよう...
古田は、戦後史学のとってきた解釈が、実のところ、当人たち...
このような見方と、「記紀の盗用説」は全く別の態度のように...
このような「盗用説」へ古田を向かわせたものは、「百済系三...
そういうわけで、記紀に対する古田の態度は、やはり両義的な...
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第一章
一
まず、九州王朝説そのものの成立をここで振り返ってみたい。...
古田がその出発点としたのは、言うまでもなく『魏志倭人伝』...
わたしたちの守りとおしてきたのは、ほかでもない。『三...
後代の手で原文を変更してしまったり、後代の頭で”水増し...
到着点は出発点である。わたしたちは今、いたった地点か...
この、わたしたちの行きとおす道は、「邪馬壹国」の山頂...
もはや鳥瞰図は完成し、論証はふたたび自動的に展開され...
そして第二著(古田武彦『失われた九州王朝』朝日新聞社、一...
”陳寿を信じとおす”わたしは前の本の序文でそう言った。...
だから、この研究方法はそのまま『三国志』以外の中国史...
そのとき、わたしには一つの掟があった。それは、これま...
こうして、『魏志倭人伝』を出発した古田武彦は、次に『後漢...
『失われた九州王朝』の冒頭に「連鎖の論理」と銘打った序章...
なぜなら、すでに『「邪馬台国」はなかった』において”卑...
この原点に「前一~二世紀より七世紀までの倭国は同一王...
実のところ、古田の九州王朝説は、ここで八~九割近く完成し...
一つの仮説を立て、それが多くの現象(歴史学では史料事...
まさにそれを古田は実践してきた。誤解してはいけない。九州...
二
さて、古田武彦の記紀に対する態度を見ておこう。倭の五王と...
津田史学からの批判以来、つぎのような見地がわが国の古...
(中略)
今、わたしが問題にしようとしているのは、この旧辞部分...
古田の記紀への眼差しは、『失われた九州王朝』の時点では、...
これ(雄略記の呉人渡来記事―河西注)が六代を通じて、中...
(中略)
そして何よりもこの六代は、対外的に平穏そのものだ。外...
(中略)
結局ここでも”なにせ記紀の説話は……”という「万能の史料...
古田が最後に述べている「万能の史料不信論」とはどういうこ...
古田は既に、『失われた九州王朝』において、記紀が国外史料...
(倭の五王の比定をめぐる不審を挙げて―河西注)これでも...
要するにこういうことだ。一致しているかどうかを判定する為...
戦後史学は、いったい、史料的には何を基準としているのだろ...
三
古田の記紀に対する目は両義的だ。第一義は偽りの書、第二義...
しかし、『盗まれた神話』における古田の記紀に対する言説は...
津田史学の基本命題によれば、”『記・紀』の記事は、原則...
”『記・紀』の神話・説話群の語るところは、多く史実では...
彼によると、”『古事記』は一人の天才的作者の創作”であ...
(中略)
つまり、簡単にいえば、”『古事記』は全くのお話(文学作...
(中略)
このような事実を前にするとき、一見奇想天外な川副理論...
『記・紀』説話と史実との完璧な切り離し、それが彼にお...
だが、果たしてこれでいいのだろうか。〈同〉
これを、古田の記紀へ対する態度の変更と見るべきではない。...
これに対し、古田のとった立場は、記紀の説話そのものが、史...
『記・紀』の神話や説話は史実だろうか?いいかえれば史...
この問いに答えるために、わたしはここに「未証説話」(...
(中略)
だが、それ以前やそれ以外の伝承も、それと同じく史実で...
古田は、記紀の説話を、それ自身としては、「史実である」と...
古田の記紀説話解釈のポイントは、今までの記紀解釈の持つ、...
また津田は、日向の古墳群をもって、「日向=皇室発祥地...
「もし日向に古墳を遺したものが皇室と特殊の関係がある...
右の津田の言葉の中には、”神武はすでに日向において他の...
たしかに、神武はこの地(日向)の一豪族の娘と結婚して...
古田にとって、記紀は、天皇家の非道をも、赤裸々に告白する...
それは、崇神や応神だけを史的実在とした。したがってそ...
しかし、一番の問題は”なんの目的で”に答えることだ。”な...
これに対して戦後史学の回答は、本質的に”家系を飾るため...
わたしがたじろがず、見つめるのはこの一点である。天皇...
しかるに、戦後史学はいいつづけてきた。”いや、そのよう...
古田は、戦後史学のとってきた解釈が、実のところ、当人たち...
このような見方と、「記紀の盗用説」は全く別の態度のように...
このような「盗用説」へ古田を向かわせたものは、「百済系三...
そういうわけで、記紀に対する古田の態度は、やはり両義的な...
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