第2章 七世紀の倭都は筑紫ではなかった(Historical)
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[[九州王朝説批判-川村明(Historical)]]
第2章 七世紀の倭都は筑紫ではなかった
7.『隋書』俀国伝の行路記事
前章の分析により、外国史書の記事は、相手国の使者からの...
では、中国史書のどんな記事なら信用できるのであろうか。 ...
『隋書』は、唐で656年に成立した正史で、帝紀5巻、志30巻...
さて、古田氏は、俀国は九州で、その都は筑紫だという。そ...
問題の行路記事は、【資料8】ξ~φの部分であるが、このう...
(和訳) 翌年、皇帝は文林郎の裴清使を俀国に遣わした(ξ)。...
このルートを図示すると次のようになる。
百 竹 対 壱 筑 秦 ...
済 → 島 → 馬 →(大海)→ 岐 → 紫 → 王 → 余 →...
│ 〈東〉 〈東〉国 ...
│〈南〉 ...
↓ ...
[身冉]羅国 ...
つまり、対馬、一支、筑紫を経て東行し、秦王国を過ぎたあ...
しかもξの「明年」とは、直前のνに大業3年とあることから...
これは、九州王朝説にとって、決定的に不利な史料事実では...
8.「其人」は何を指すか
ところがこれに対し、古田氏は、『邪馬一国の証明』所収「...
(1) 【資料8】ρの冒頭に「其人」とある。
(2) 『隋書』の夷蛮伝から「其人」の用例を抜き出すと、全...
(3) これらのうち、ρ以外の例は、すべて「表題の国の人」を...
(4) よって、ρの「其人」も「表題の国の人」すなわち俀国の...
(5) ゆえにρ以下は俀国全体に関する記事なので、行路記事は...
(6) πの最後に出てくるのは「秦王国」である。
(7) ところが多利思北孤は「俀王」と書かれているから「秦...
(8) よって、πの最後から2番目の「竹斯国」が目的地の都で...
まわりくどい論証であるが、これを吟味しよう。
(5)で“πで行路記事が終わっている”というが、φには「既至彼...
(6)~(8)については第10節の最後に触れることにして、ここ...
(2)と(3)は事実としては正しい。しかし、「其人」の用例が...
a 國之西百餘里有畢國、可千餘家。其國無君長、安國統之。...
これは安国伝の最後の部分であり、引用部分冒頭の「国」は...
また、逆に「其国」より用例が少ない例として「其風俗」の...
b 大業十二年、遣使朝貢、後遂絶。于時南荒有丹丹・盤盤二...
これは婆利国伝の最後の部分であり、「其風俗」が「大抵相...
また、次の例もある。
c 附國南有薄縁夷、風俗亦同。西有女國。其東北連山、緜亘...
この最後に「或附附國」とある。「其風俗」の「其」が表題...
以上の例からわかるように、“「其人」ならば必ず表題の国の...
古田氏は、ρの「其人」が「表題の国の人」を意味していると...
(9) 『隋書』の著者は、各表題の国について次のように中国...
A 兵器、與中國略同。(東夷 高麗)
B 其五穀、果菜、鳥獸、物産、略與華同。(東夷 新羅)
C 毎至正月一日、必射戲飲酒。其餘節、略與華同。(東夷...
D 樂有琴・笛・琵琶・五絃。頗與中國同。(南蠻 林邑)
E 其餘兵器、與中國略同。(南蠻 婆利)
F 其器械・衣服、略與中國同。(西域 吐谷渾)
G 其風俗・政令、與華夏略同。(西域 高昌)
H 婚姻之禮、有同華夏。(西域 焉耆)
(10) 一方、ρの記事も、「其人同於華夏」とあり、中国との...
(11) よって、ρの記事は、表題の国についての説明である。
まず、(9)であるが、『隋書』の著者が、比較するのに深い興...
I 其衣服、與高麗略同。(東夷 百濟)
J 婚娶之禮、略同於華、喪制如高麗。(〃)
K 風俗・刑政・衣服、略與高麗・百濟同。(東夷 新羅)
L 銜杯共飮、頗同突厥。(東夷 流求)
M 土多香木金寶、物産大抵與交阯同。(南蠻 林邑)
N 自餘物産多同於交阯。(南蠻 赤土)
O 官名與林邑同。(南蠻 眞臘)
P 其帳以文木爲竿、象牙・金細爲壁、状如小屋、懸金光焔、...
Q 居處器物、頗類赤土。(同上)
R 俗類眞臘、物産同於林邑。(南蠻 婆利)
S 風俗頗同突厥。(西域 吐谷渾)
T 婚姻喪制、與突厥同。(西域 康國)
U 風俗同於康國。(西域 安國)
まだあるのだが、これだけからもわかるように、『隋書』の...
さらに、この「他国との比較に関心がある」のは、なにも「...
“中国と比較されるのは表題の国に限り、他の国と比較される...
古田氏の挙げるもう一つの根拠は次のとおりである。
(12) 【資料8】ρの後半には「以て夷洲と為すも、疑ひて明...
(13) この「夷洲」を、岩波文庫『魏志倭人伝 他三篇』では...
(14) しかしこの訳では、裴世清一行は現地に来ていながら「...
(15) これは「夷洲」を台湾の意味にとったからであり、「夷...
(16) ところで「Aを以てBと為す」は「A=B」の意味であ...
(17) すると、前節dの「其」が指す対象は、「以て夷洲と為...
(18) ところが「秦王国」は「島」ではない。
(19) ゆえにρの「其」は、「島」である「俀国」を指してい...
これを吟味しよう。
まず(15)で批判されている“「夷洲」は「台湾」を意味する固...
d 又有夷洲及澶洲。(後漢書 東夷列傳 倭)
e 遣將軍衛温・諸葛直將甲士萬人、浮海求夷洲及亶洲。(三...
これらによる限り、「夷洲」は固有名詞である。さらに『後...
f 沈瑩臨海水土志曰「夷州在臨海東南、去郡二千里。土地無...
この冒頭に「沈瑩臨海水土志」とあるが、これについては、
g 臨海水土物志一巻 沈瑩撰 (隋書 志 第二十八 経...
h 臨海水土異物志一巻 沈瑩撰 (舊唐書 志 第二十六...
とあるので実在した書物である。諸橋の『大漢和』によれば、...
さて、(13)の岩波文庫本の訳であるが、確かにこの訳はおか...
しかし、この訳がおかしいのは、「夷洲」を固有名詞と見な...
また、(16)は正確には正しくない。「Aを以てBと為す」は...
従って、(12)は、正しくは「その住民は華夏(中国)にそっ...
以上で古田氏が【資料8】ρの「其」は「秦王国」を指すので...
さて、古田氏は、「其人」の問題とは別に、なおも次の理由...
(20) 【資料8】πまでは地名(固有名詞)を書いてきたのに...
(21) また、九州北岸・瀬戸内海岸と、いずれも、海岸沿いな...
(22) したがって、ρやσは行路記事には含まれず、単なる地形...
(23) 行路記事に九州の地名ばかり出てきて畿内の地名が一つ...
まず(21)であるが、後で論証するように(第10節参照)、十...
次に(20)であるが、俀王は【資料8】υによれば「郊勞」、つ...
南蛮伝の赤土国条に、次のような、中国の使者常駿の赤土国...
i 其年十月、駿等自南海郡乘舟、晝夜二旬、毎値便風、至焦...
j 東南泊陵伽鉢拔多洲、西與林邑相對、上有神祠焉。
k 又南行至師子石、自是島嶼連接。
l 又行二三日、西望見狼牙須國之山、於是南達雞籠島、至於...
m 其王遣婆羅門鳩摩羅以舶三十艘來迎、吹蠡撃鼓、以樂隋使...
n 月餘、至其都。
(隋書 列傳第四十七 南蠻 赤土)
これは俀国伝のρやτのような挿入句もなく、iからnで都に...
さて、この中のkとlに注目しよう。iで常駿らは中国の南...
しかも注目すべきは、この赤土国伝の行路記事と俀国伝の行...
一方俀国伝では、やはり海を航行して来て、【資料8】σで陸...
最後に (23) であるが、上記の赤土国伝の行路記事の場合で...
以上で古田氏の論証が成立していないことを逐一説明した。...
9.「自竹斯国以東」の論証
本節では、竹斯(筑紫)国が俀国の都ではないことの第一の...
『隋書』俀国伝の行路記事の【資料8】τの部分に注目してみ...
a 天子に直属せず大国に附属する小国。(諸橋轍次 大漢和...
b 諸侯の支配下にある小国。(大修館 大漢語林)
実際に『隋書』夷蛮伝の全用例(問題となっている俀国伝の...
c 其南海行三月、有[身冉]牟羅國、南北千餘里、東西數百里...
d 其先附庸於百濟、後因百濟征高麗、高麗人不堪戎役、相率...
cは南海の[身冉]牟羅国が百済の附庸だ、という文章である...
いずれにせよ、以上の用例によっても、問題の「附庸」とは...
さて、問題の核心に移る。【資料8】のτに「自竹斯國以東」...
通常の感覚では、「自A以B」というとき、わざわざ起点を...
ところが、この問題について、古田氏は、「自A以B」の指...
そもそも『隋書』の話をしているのに『三国志』の例を持ち...
最初は『三国志』の次の例である。
e 自夫人以下、爵凡十二等。貴嬪・夫人、位次皇后、爵無所...
これは、後宮の女たちの順位を提示したものであり、冒頭に...
しかし、eには「貴嬪・夫人」は「爵でない」などとはどこ...
また、古田氏が『三国志』から挙げた二つ目は、次の倭人伝...
f 自女王國以北、特置一大率檢察諸國、畏憚之。(三国志 ...
古田氏は、一大率の検察対象に女王国自体は入らないから、...
g 自女王國以北、戸數・道里、可得略載。(三国志 魏書 ...
周知のとおり、女王国自身の戸数も「七万余戸」、道里も「...
最後は『隋書』の例である。
h 伏允懼、南遁於山谷間。其故地皆空、自西平臨羌城以西、...
これは、西平臨羌城、且末、祁連、雪山に四方を囲まれた吐...
しかし、別の例で考えてみよう。近畿のみを領有していた勢...
以上により、古田氏の挙げた三例は、いずれも、「自A以B...
「自A以B」の指示領域にA自身が含まれるか否かを判定す...
i 皇帝之組綬、以蒼、以青、以朱、以黄、以白、以玄、以纁...
皇帝の組綬(=佩玉や官印を付けるための組紐)が順に12色...
これは、他に解釈の余地がなく、明確に「自A以B」の指示...
しかしこの「自A以B」という熟語が「Aが指示領域に含ま...
以下で、【資料9】の「判定」欄に○を付けたもの全部につい...
まず15であるが、この直前に、後周の警衛の制として、「中...
次の29は、「自十二班以上」の説明の後に「從十一班至九班...
次の33は后妃の制度について記述したもので、この文の直前...
次の41は、「勇」というのは官位を退けられた皇太子の名前...
次の46の表現では、漢と魏が併記されており、もし「自漢・...
これが更に明確にわかるのが次の47である。「自漢・魏以来...
51は少々長いが、これは東夷の靺鞨が7つの部に分かれてい...
黒水部
\ 北
\ ↑
\ 西─┼─東
安車骨部 │
/ 南
/
/ ┌───┐
伯咄部─┤拂涅部├─號室部
│ └───┘
│
│
栗未部
\
\
\
白山部
この引用文の最後の方に「自拂涅以東、矢皆石鏃、…」とある...
次の57は、「遷徙」は移る、「相承」は次々に受け継ぐ意味...
次の60は、次のような内容である。“突厥のリーダーの摂図が...
ここに引用した部分の前後の文章から突厥のリーダーの系図...
┌─(1)伊利可汗(子ナシ)
│
├─(2)逸可汗 ─┬─(6)摂図 ──(8)雍虞閭
│ │
─┤ └─(7)處羅侯
│
├─(3)木杆可汗 ──── 大邏便
│
└─(4)佗鉢可汗 ──(5)奄羅
これを見ると、息子がいるのに息子に王位を嗣がせないで、...
次の61で、軒轅とは『史記』に出てくる五帝の一人黄帝のこ...
最後の62と63は、やや屁理屈のようではあるが、天や地自身...
以上で以BにAが含まれる例全ての解説が終わった。
ここで、唯一×の付いている40の例について補足する。この「...
また、?の付いている例として注意を要するのが58の「自西...
ところが実はこれには正当な理由がある。『隋書』の次の記...
j 發自敦煌、至于西海、凡爲三道。各有襟帯。
北道從伊吾、經蒲類海鐵勒部、突厥可汗庭、度北流河水、至...
其中道從高昌、焉耆、龜茲、疏勒、度葱嶺、又經鏺汗、蘇対...
其南道從鄯善、于闐、朱倶波、唱槃陀、度葱嶺、又經護密、...
(列傳第三十ニ 裴矩)
すなわち敦煌から西海に至るルートが3通りあるというので...
以上の長々しい検証の結果、『隋書』では、「自A以B」と...
以上の結果と、俀国伝の「自竹斯國以東、皆附庸於俀」の一...
k 竹斯(筑紫)国自身も俀の附庸(属領・植民地)である。
属領の中に本国の都があるはずがないから、竹斯(筑紫)国が...
10.「国」の中の「国」
本節では俀国の都が筑紫でないことのもう一つの証明を行う。
現代の日本では、「国」の下の行政単位は都道府県であり、...
まず最初に『三国志』の東夷伝ではどうなっているであろう...
a 又有小水貊。句麗作國、依大水而居、西安平縣北有小水南...
b 沃沮諸縣皆爲侯國。(東沃沮)
c 韓在帶方之南、…。有爰襄國、…、月支國、…。辰王治月支...
d 從郡至倭、…歴韓國乍南乍東、…至末盧國、…南至邪馬壹國...
aは高句麗伝の中で、高句麗の別種が小水の辺に小水貊とい...
これに対し、はっきり「国の中に国がある」ことを示してい...
またdの中に倭国という表現が出て来るが、この倭国の中に...
以上で3世紀の『三国志』の夷蛮伝では国の中に国が存在し...
これに対し、7世紀の『隋書』の夷蛮伝ではどうであろうか...
今問題となっている5の俀国伝の例を除けば、夷蛮伝の中の...
したがって、5の俀国伝に出てくる[身冉]羅国、都斯麻国、...
また、都の名については、4は「波羅檀洞」、5は「邪靡堆...
本節の最後に、宿題にしていた第8節の(6)~(8)について触...
11.『翰苑』倭国条の証言
【資料8】τには「自竹斯國以東、皆附庸於俀」とあるが、こ...
『翰苑』は、中国で書かれた書物でありながら、当の中国で...
翰苑巻第□ 張楚金撰 雍公叡注
蕃夷部
匈奴 烏桓 鮮卑 夫餘
三韓 高麗 新羅 百濟
肅愼 倭國 南蠻 西南蠻
兩越 西羌 西域 後敍
目次最後の「後敍」は張楚金自身による後書きであるが、そ...
a 敍曰「余以大唐顯慶五年三月十二日癸丑、晝寢于并州太原...
すなわち『翰苑』は唐の顕慶5(660)年からそう隔たらないう...
さて、『翰苑』の倭国条の全文を【資料11】に掲げておいた...
さて、この中で、本文のηに「邪届伊都、傍連斯馬」とある。...
理由として挙げられた「隣接する国をすべて書かなければな...
このηが「何」の位置を指しているのか、それを実証的に確か...
b 地隣遼碣、境接敦煌。(鮮卑)
c 南接(句)驪、東隣肅愼。(夫餘)
d 南届倭人、北隣穢貊。(三韓)
e 境連穢貊、地接夫餘。(高麗)
f 地惣任那。(新羅)
g 西據安城、南隣巨海。(百濟)
h 北窮弱水、南界沃沮。(肅愼)
これらを見ると、いずれもその国の首都の位置を説明してい...
すなわち、伊都や斯馬は倭国の領域には含まれていないので...
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第2章 七世紀の倭都は筑紫ではなかった
7.『隋書』俀国伝の行路記事
前章の分析により、外国史書の記事は、相手国の使者からの...
では、中国史書のどんな記事なら信用できるのであろうか。 ...
『隋書』は、唐で656年に成立した正史で、帝紀5巻、志30巻...
さて、古田氏は、俀国は九州で、その都は筑紫だという。そ...
問題の行路記事は、【資料8】ξ~φの部分であるが、このう...
(和訳) 翌年、皇帝は文林郎の裴清使を俀国に遣わした(ξ)。...
このルートを図示すると次のようになる。
百 竹 対 壱 筑 秦 ...
済 → 島 → 馬 →(大海)→ 岐 → 紫 → 王 → 余 →...
│ 〈東〉 〈東〉国 ...
│〈南〉 ...
↓ ...
[身冉]羅国 ...
つまり、対馬、一支、筑紫を経て東行し、秦王国を過ぎたあ...
しかもξの「明年」とは、直前のνに大業3年とあることから...
これは、九州王朝説にとって、決定的に不利な史料事実では...
8.「其人」は何を指すか
ところがこれに対し、古田氏は、『邪馬一国の証明』所収「...
(1) 【資料8】ρの冒頭に「其人」とある。
(2) 『隋書』の夷蛮伝から「其人」の用例を抜き出すと、全...
(3) これらのうち、ρ以外の例は、すべて「表題の国の人」を...
(4) よって、ρの「其人」も「表題の国の人」すなわち俀国の...
(5) ゆえにρ以下は俀国全体に関する記事なので、行路記事は...
(6) πの最後に出てくるのは「秦王国」である。
(7) ところが多利思北孤は「俀王」と書かれているから「秦...
(8) よって、πの最後から2番目の「竹斯国」が目的地の都で...
まわりくどい論証であるが、これを吟味しよう。
(5)で“πで行路記事が終わっている”というが、φには「既至彼...
(6)~(8)については第10節の最後に触れることにして、ここ...
(2)と(3)は事実としては正しい。しかし、「其人」の用例が...
a 國之西百餘里有畢國、可千餘家。其國無君長、安國統之。...
これは安国伝の最後の部分であり、引用部分冒頭の「国」は...
また、逆に「其国」より用例が少ない例として「其風俗」の...
b 大業十二年、遣使朝貢、後遂絶。于時南荒有丹丹・盤盤二...
これは婆利国伝の最後の部分であり、「其風俗」が「大抵相...
また、次の例もある。
c 附國南有薄縁夷、風俗亦同。西有女國。其東北連山、緜亘...
この最後に「或附附國」とある。「其風俗」の「其」が表題...
以上の例からわかるように、“「其人」ならば必ず表題の国の...
古田氏は、ρの「其人」が「表題の国の人」を意味していると...
(9) 『隋書』の著者は、各表題の国について次のように中国...
A 兵器、與中國略同。(東夷 高麗)
B 其五穀、果菜、鳥獸、物産、略與華同。(東夷 新羅)
C 毎至正月一日、必射戲飲酒。其餘節、略與華同。(東夷...
D 樂有琴・笛・琵琶・五絃。頗與中國同。(南蠻 林邑)
E 其餘兵器、與中國略同。(南蠻 婆利)
F 其器械・衣服、略與中國同。(西域 吐谷渾)
G 其風俗・政令、與華夏略同。(西域 高昌)
H 婚姻之禮、有同華夏。(西域 焉耆)
(10) 一方、ρの記事も、「其人同於華夏」とあり、中国との...
(11) よって、ρの記事は、表題の国についての説明である。
まず、(9)であるが、『隋書』の著者が、比較するのに深い興...
I 其衣服、與高麗略同。(東夷 百濟)
J 婚娶之禮、略同於華、喪制如高麗。(〃)
K 風俗・刑政・衣服、略與高麗・百濟同。(東夷 新羅)
L 銜杯共飮、頗同突厥。(東夷 流求)
M 土多香木金寶、物産大抵與交阯同。(南蠻 林邑)
N 自餘物産多同於交阯。(南蠻 赤土)
O 官名與林邑同。(南蠻 眞臘)
P 其帳以文木爲竿、象牙・金細爲壁、状如小屋、懸金光焔、...
Q 居處器物、頗類赤土。(同上)
R 俗類眞臘、物産同於林邑。(南蠻 婆利)
S 風俗頗同突厥。(西域 吐谷渾)
T 婚姻喪制、與突厥同。(西域 康國)
U 風俗同於康國。(西域 安國)
まだあるのだが、これだけからもわかるように、『隋書』の...
さらに、この「他国との比較に関心がある」のは、なにも「...
“中国と比較されるのは表題の国に限り、他の国と比較される...
古田氏の挙げるもう一つの根拠は次のとおりである。
(12) 【資料8】ρの後半には「以て夷洲と為すも、疑ひて明...
(13) この「夷洲」を、岩波文庫『魏志倭人伝 他三篇』では...
(14) しかしこの訳では、裴世清一行は現地に来ていながら「...
(15) これは「夷洲」を台湾の意味にとったからであり、「夷...
(16) ところで「Aを以てBと為す」は「A=B」の意味であ...
(17) すると、前節dの「其」が指す対象は、「以て夷洲と為...
(18) ところが「秦王国」は「島」ではない。
(19) ゆえにρの「其」は、「島」である「俀国」を指してい...
これを吟味しよう。
まず(15)で批判されている“「夷洲」は「台湾」を意味する固...
d 又有夷洲及澶洲。(後漢書 東夷列傳 倭)
e 遣將軍衛温・諸葛直將甲士萬人、浮海求夷洲及亶洲。(三...
これらによる限り、「夷洲」は固有名詞である。さらに『後...
f 沈瑩臨海水土志曰「夷州在臨海東南、去郡二千里。土地無...
この冒頭に「沈瑩臨海水土志」とあるが、これについては、
g 臨海水土物志一巻 沈瑩撰 (隋書 志 第二十八 経...
h 臨海水土異物志一巻 沈瑩撰 (舊唐書 志 第二十六...
とあるので実在した書物である。諸橋の『大漢和』によれば、...
さて、(13)の岩波文庫本の訳であるが、確かにこの訳はおか...
しかし、この訳がおかしいのは、「夷洲」を固有名詞と見な...
また、(16)は正確には正しくない。「Aを以てBと為す」は...
従って、(12)は、正しくは「その住民は華夏(中国)にそっ...
以上で古田氏が【資料8】ρの「其」は「秦王国」を指すので...
さて、古田氏は、「其人」の問題とは別に、なおも次の理由...
(20) 【資料8】πまでは地名(固有名詞)を書いてきたのに...
(21) また、九州北岸・瀬戸内海岸と、いずれも、海岸沿いな...
(22) したがって、ρやσは行路記事には含まれず、単なる地形...
(23) 行路記事に九州の地名ばかり出てきて畿内の地名が一つ...
まず(21)であるが、後で論証するように(第10節参照)、十...
次に(20)であるが、俀王は【資料8】υによれば「郊勞」、つ...
南蛮伝の赤土国条に、次のような、中国の使者常駿の赤土国...
i 其年十月、駿等自南海郡乘舟、晝夜二旬、毎値便風、至焦...
j 東南泊陵伽鉢拔多洲、西與林邑相對、上有神祠焉。
k 又南行至師子石、自是島嶼連接。
l 又行二三日、西望見狼牙須國之山、於是南達雞籠島、至於...
m 其王遣婆羅門鳩摩羅以舶三十艘來迎、吹蠡撃鼓、以樂隋使...
n 月餘、至其都。
(隋書 列傳第四十七 南蠻 赤土)
これは俀国伝のρやτのような挿入句もなく、iからnで都に...
さて、この中のkとlに注目しよう。iで常駿らは中国の南...
しかも注目すべきは、この赤土国伝の行路記事と俀国伝の行...
一方俀国伝では、やはり海を航行して来て、【資料8】σで陸...
最後に (23) であるが、上記の赤土国伝の行路記事の場合で...
以上で古田氏の論証が成立していないことを逐一説明した。...
9.「自竹斯国以東」の論証
本節では、竹斯(筑紫)国が俀国の都ではないことの第一の...
『隋書』俀国伝の行路記事の【資料8】τの部分に注目してみ...
a 天子に直属せず大国に附属する小国。(諸橋轍次 大漢和...
b 諸侯の支配下にある小国。(大修館 大漢語林)
実際に『隋書』夷蛮伝の全用例(問題となっている俀国伝の...
c 其南海行三月、有[身冉]牟羅國、南北千餘里、東西數百里...
d 其先附庸於百濟、後因百濟征高麗、高麗人不堪戎役、相率...
cは南海の[身冉]牟羅国が百済の附庸だ、という文章である...
いずれにせよ、以上の用例によっても、問題の「附庸」とは...
さて、問題の核心に移る。【資料8】のτに「自竹斯國以東」...
通常の感覚では、「自A以B」というとき、わざわざ起点を...
ところが、この問題について、古田氏は、「自A以B」の指...
そもそも『隋書』の話をしているのに『三国志』の例を持ち...
最初は『三国志』の次の例である。
e 自夫人以下、爵凡十二等。貴嬪・夫人、位次皇后、爵無所...
これは、後宮の女たちの順位を提示したものであり、冒頭に...
しかし、eには「貴嬪・夫人」は「爵でない」などとはどこ...
また、古田氏が『三国志』から挙げた二つ目は、次の倭人伝...
f 自女王國以北、特置一大率檢察諸國、畏憚之。(三国志 ...
古田氏は、一大率の検察対象に女王国自体は入らないから、...
g 自女王國以北、戸數・道里、可得略載。(三国志 魏書 ...
周知のとおり、女王国自身の戸数も「七万余戸」、道里も「...
最後は『隋書』の例である。
h 伏允懼、南遁於山谷間。其故地皆空、自西平臨羌城以西、...
これは、西平臨羌城、且末、祁連、雪山に四方を囲まれた吐...
しかし、別の例で考えてみよう。近畿のみを領有していた勢...
以上により、古田氏の挙げた三例は、いずれも、「自A以B...
「自A以B」の指示領域にA自身が含まれるか否かを判定す...
i 皇帝之組綬、以蒼、以青、以朱、以黄、以白、以玄、以纁...
皇帝の組綬(=佩玉や官印を付けるための組紐)が順に12色...
これは、他に解釈の余地がなく、明確に「自A以B」の指示...
しかしこの「自A以B」という熟語が「Aが指示領域に含ま...
以下で、【資料9】の「判定」欄に○を付けたもの全部につい...
まず15であるが、この直前に、後周の警衛の制として、「中...
次の29は、「自十二班以上」の説明の後に「從十一班至九班...
次の33は后妃の制度について記述したもので、この文の直前...
次の41は、「勇」というのは官位を退けられた皇太子の名前...
次の46の表現では、漢と魏が併記されており、もし「自漢・...
これが更に明確にわかるのが次の47である。「自漢・魏以来...
51は少々長いが、これは東夷の靺鞨が7つの部に分かれてい...
黒水部
\ 北
\ ↑
\ 西─┼─東
安車骨部 │
/ 南
/
/ ┌───┐
伯咄部─┤拂涅部├─號室部
│ └───┘
│
│
栗未部
\
\
\
白山部
この引用文の最後の方に「自拂涅以東、矢皆石鏃、…」とある...
次の57は、「遷徙」は移る、「相承」は次々に受け継ぐ意味...
次の60は、次のような内容である。“突厥のリーダーの摂図が...
ここに引用した部分の前後の文章から突厥のリーダーの系図...
┌─(1)伊利可汗(子ナシ)
│
├─(2)逸可汗 ─┬─(6)摂図 ──(8)雍虞閭
│ │
─┤ └─(7)處羅侯
│
├─(3)木杆可汗 ──── 大邏便
│
└─(4)佗鉢可汗 ──(5)奄羅
これを見ると、息子がいるのに息子に王位を嗣がせないで、...
次の61で、軒轅とは『史記』に出てくる五帝の一人黄帝のこ...
最後の62と63は、やや屁理屈のようではあるが、天や地自身...
以上で以BにAが含まれる例全ての解説が終わった。
ここで、唯一×の付いている40の例について補足する。この「...
また、?の付いている例として注意を要するのが58の「自西...
ところが実はこれには正当な理由がある。『隋書』の次の記...
j 發自敦煌、至于西海、凡爲三道。各有襟帯。
北道從伊吾、經蒲類海鐵勒部、突厥可汗庭、度北流河水、至...
其中道從高昌、焉耆、龜茲、疏勒、度葱嶺、又經鏺汗、蘇対...
其南道從鄯善、于闐、朱倶波、唱槃陀、度葱嶺、又經護密、...
(列傳第三十ニ 裴矩)
すなわち敦煌から西海に至るルートが3通りあるというので...
以上の長々しい検証の結果、『隋書』では、「自A以B」と...
以上の結果と、俀国伝の「自竹斯國以東、皆附庸於俀」の一...
k 竹斯(筑紫)国自身も俀の附庸(属領・植民地)である。
属領の中に本国の都があるはずがないから、竹斯(筑紫)国が...
10.「国」の中の「国」
本節では俀国の都が筑紫でないことのもう一つの証明を行う。
現代の日本では、「国」の下の行政単位は都道府県であり、...
まず最初に『三国志』の東夷伝ではどうなっているであろう...
a 又有小水貊。句麗作國、依大水而居、西安平縣北有小水南...
b 沃沮諸縣皆爲侯國。(東沃沮)
c 韓在帶方之南、…。有爰襄國、…、月支國、…。辰王治月支...
d 從郡至倭、…歴韓國乍南乍東、…至末盧國、…南至邪馬壹國...
aは高句麗伝の中で、高句麗の別種が小水の辺に小水貊とい...
これに対し、はっきり「国の中に国がある」ことを示してい...
またdの中に倭国という表現が出て来るが、この倭国の中に...
以上で3世紀の『三国志』の夷蛮伝では国の中に国が存在し...
これに対し、7世紀の『隋書』の夷蛮伝ではどうであろうか...
今問題となっている5の俀国伝の例を除けば、夷蛮伝の中の...
したがって、5の俀国伝に出てくる[身冉]羅国、都斯麻国、...
また、都の名については、4は「波羅檀洞」、5は「邪靡堆...
本節の最後に、宿題にしていた第8節の(6)~(8)について触...
11.『翰苑』倭国条の証言
【資料8】τには「自竹斯國以東、皆附庸於俀」とあるが、こ...
『翰苑』は、中国で書かれた書物でありながら、当の中国で...
翰苑巻第□ 張楚金撰 雍公叡注
蕃夷部
匈奴 烏桓 鮮卑 夫餘
三韓 高麗 新羅 百濟
肅愼 倭國 南蠻 西南蠻
兩越 西羌 西域 後敍
目次最後の「後敍」は張楚金自身による後書きであるが、そ...
a 敍曰「余以大唐顯慶五年三月十二日癸丑、晝寢于并州太原...
すなわち『翰苑』は唐の顕慶5(660)年からそう隔たらないう...
さて、『翰苑』の倭国条の全文を【資料11】に掲げておいた...
さて、この中で、本文のηに「邪届伊都、傍連斯馬」とある。...
理由として挙げられた「隣接する国をすべて書かなければな...
このηが「何」の位置を指しているのか、それを実証的に確か...
b 地隣遼碣、境接敦煌。(鮮卑)
c 南接(句)驪、東隣肅愼。(夫餘)
d 南届倭人、北隣穢貊。(三韓)
e 境連穢貊、地接夫餘。(高麗)
f 地惣任那。(新羅)
g 西據安城、南隣巨海。(百濟)
h 北窮弱水、南界沃沮。(肅愼)
これらを見ると、いずれもその国の首都の位置を説明してい...
すなわち、伊都や斯馬は倭国の領域には含まれていないので...
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