第5章 推古朝の謎(Historical)
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第5章 推古朝の謎
21.裴世清は有明から来た?
第2章で、七世紀の倭都は筑紫ではありえないことを論証し...
この謎を、俀国伝の行路記事を再検討することにより、“『隋...
古田氏は、『三国志』の「至」の全用例を調べて、魏志倭人...
では、この古田読みをそっくりそのまま『隋書』の場合にも...
『隋書』の夷蛮伝の中から、当該国までの行路を記述した行...
そこで、魏志倭人伝の場合に『三国志』に先行する『漢書』...
そこで、“『隋書』俀国伝の著者は、先行する『魏書』夷蛮伝...
a 經都斯麻(=対馬)國、迥在大海中。又東至一支(=壱岐)國
現実の地理では壱岐は対馬の東南であるにもかかわらず、壱...
そこでaの「東至」の起点を対馬ではなく、その直前の「大...
すると、次の主線行路は【資料8】σの「又經十餘國、達於海...
対馬
│ \(東南)
主 │ \
線 大海── 壱岐───筑紫───秦王国
行 │ (東) 傍線行路→ (東)
路 │
↓ 十余国
│
│
海岸──都
実際に地図で確かめると、対馬の南には五島列島がある。す...
つまり『隋書』の記す俀国というのは九州にあった大和とは...
ところで、一支國、竹斯國、秦王國という傍線行路の国々の...
さて、以上の解読の是非について吟味する前に、この結論を...
22.噴火に遭遇した高表仁
【資料5】『唐会要』倭国条のβに、唐の使者高表仁が倭を訪...
a 貞觀十五年十一月、使至。太宗矜其路遠、遣高表仁、持節...
b 表仁浮海數月方至。
c 《自云 路經地獄之門、
d 親見其上氣色蓊鬱、
e 又聞呼叫鎚鍛之聲、
f 甚可畏懼也。》 (唐會要 巻九十九 倭國)
これと同様な記事は、『冊府元亀』の中にも出てくる。
g 高表仁爲新州刺史。貞觀中倭國朝貢。太宗矜其道遠、詔所...
h 表仁浮海數月方至。
i 云 路經地獄之門、
j 親見其上氣色葱鬱、有烟火之状、
k 若鑪鎚號叫之聲、行者聞之、
l 莫不危懼。 (冊府元龜 巻六六...
『唐会要』のc~fに対応するi~lの部分が地の文になっ...
さて、『唐会要』のbでも『冊府元亀』hでも、「表仁浮海...
続けて『唐会要』にはdに「親(みずから)、その上の気色が...
これは高表仁が倭国に赴くとき、火山の噴火に遭遇したこと...
そして、cやiに、「門」を経た、という表現があるが、b...
つまり、この短い記事が示している事件は、“高表仁らは、倭...
日本放送協会出版『火山列島日本』カラーページ「日本活火...
中国地方 大山、三瓶山
九州地方 鶴見岳、九重山、阿蘇山、雲仙岳、霧島山、桜島、開...
南西諸島 薩摩硫黄島、口永良部島、中之島、諏訪瀬島、硫黄鳥...
しかも町田洋著「火山噴火と環境」(古今書院『火山灰考古...
ちなみに関東以北であっても、海峡の近くにある火山という...
以上によれば、高表仁の目的地たる倭都は九州にあったとい...
さて、高表仁が噴火に遭遇した火山をさらに特定できないで...
雲仙岳は、有史以来、1657年まで文献には噴火の記録がない...
ところが火山灰の発掘調査によると、それ以前の噴火の存在...
|///////////|← 紫コラ(開聞岳)貞...
平安時代・奈良時代 →| | (この貞観は...
|///////////|← 青コラ(開聞岳)
古墳時代~弥生中期 →| |
|///////////|← 暗紫ゴラ(開聞岳)
弥生時代中期~縄文後期 →| |
|///////////|← 黄コラ(開聞岳)
縄文時代後期~中期 →| |
|///////////|← 御池火山灰(霧島山)
縄文時代中期~前期 →| |
|///////////|← 池田火山灰(池田湖)
縄文時代前期 →| |
|///////////|← アカホヤ火山灰(鬼...
縄文時代早期(後半) →| |
|///////////|← (桜島)
縄文時代早期(前半) →| |
|///////////|← 薩摩火山灰(桜島)...
縄文草創期~細石器 →| |
|///////////|← (桜島)
旧石器時代(西丸尾遺跡) →| | 姶良Tn火山灰
|///////////|← 入戸火砕流(姶良カ...
旧石器時代(上場遺跡) →| |
|///////////|← 阿多溶結凝灰岩(阿...
これによると、古墳時代~弥生中期の層と、平安時代・奈良...
23.倭国九州説の疑問点
さて、第21節と第22節は、一見俀国伝と推古紀の矛盾を見事...
まず、第21節の俀国熊本平野説であるが、このような古田読...
また、「至」の用法を、夷蛮伝だけで帰納してよいかどうか...
a 戊申、車駕至京師。(隋書 煬帝上 大業五年二月条)
これは「至」に動詞が先行していないが、車駕が京師に到着...
b 丁卯、上至東都。己丑、還京師。(隋書 煬帝下 大業十...
ここで「上」は天子の意味で、「至」には動詞が先行してい...
c 東北至新羅、西渡海至越州、南渡海至倭國、北渡海至高麗...
この例では、隣接する国々の説明なのに「渡海至」のように...
また、第22節の高表仁の来倭記事について言えば、仮に高表...
さらにこの説の大きな問題点は、第20節で述べた帰国年次を...
この説のとおりだとすると、推古紀と『隋書』による限り、...
24.推古紀の年次のずれ
古田氏は、『邪馬壹国の方法』所収「日本書紀の史料批判」...
推古紀において、次のような史料事実がある。
a 中国の使者裴世清の官職が、『隋書』では文林郎、推古紀...
b 裴世清は、推古紀では国書を持参したが、『隋書』では国...
c 推古紀では、中国のことを、隋代についても一貫して「唐...
d 舒明3(631)年条には百済王の義慈が登場するが、この年...
e 推古17(609)年条には「呉国」に乱有りと書かれているが...
f 推古16年8月条に裴世清が持参した中国皇帝の国書の中に...
これらの史料事実から、古田氏は次のような仮説を立てた。
g 推古紀から舒明紀にかけて、『日本書紀』の紀年は実際の...
従って、例えば推古16年の実年代は、608年ではなく620年と...
確かにこう仮定すると、まずdやeの矛盾は解消する。なぜ...
また、推古16年も、620年、つまり中国は唐の高祖の時代であ...
また、cの持つ意味を調べるため、推古紀の中から中国の呼...
この結果、俀国伝の裴世清来朝と推古紀の裴世清来朝は別事...
実は、仮定gは新たな矛盾を引き起こすのである。【資料21...
h 其王高建武、即前王高元異母弟也。武徳二年、遣使來朝。...
五年、賜建武書曰、「朕恭膺宝命、…」。於是、建武、悉捜括...
七年、……。
(舊唐書 高麗)
hの太字部分によれば、武徳5(622)年から次の記事の年次で...
それでは、推古紀の年代にずれがないとしたら、a~fの事...
まずcであるが、【資料21】のα~οを注意深く眺めると、そ...
i 推古紀では、原則として中国のことを「唐」と呼んでいる...
つまり、“推古紀では、中国の国号を、外国人が喋った部分は...
では、なぜ『日本書紀』の編纂者は、わざわざそんな編纂当...
なお、γとξでは、直接引用中でありながら「唐」と書かれて...
次に、fについて調べよう。古田氏は「日本書紀の史料批判...
確かにfにいうとおり、裴世清の持参した国書に出てくる「...
なお、古田氏は、寶命(=天命)を欽承(=受ける)できるのは...
次にeを検討しよう。ここでいう推古17(609)年条の「呉国」...
さて、dやeは確かに年代のずれがあると思われるが、これ...
j 大唐遣高表仁、送三田耜、共泊于對馬。(舒明紀4年8月...
すなわち高表仁の来朝記事がdの翌年に存在する。従って、...
k 『日本書紀』では、百済関係の記事に年次のずれがあった...
従って、dやeの年代がずれているからといって、eの前年...
次にbであるが、要するに、もし推古紀と俀国伝の裴世清来...
l 『隋書』の俀国は九州王朝であり、当時の大和朝廷は日本...
すなわち、独立した伝がないのだから、その国への国書につ...
さて、最後に残ったaであるが、これについては、池田温氏...
m 文林郎が散官もしくは学芸文筆の名誉職なのに比し、鴻臚...
つまり、裴世清は両官職を兼務していたというわけである。...
25.丈六光銘の証言
前節では、推古紀と俀国伝の数々の矛盾の理由を一挙に解決...
この「丈六光銘曰」以下の部分には、「廣庭天皇」すなわち...
さて、この丈六光銘は『日本書紀』とは独立な史料価値を持...
その一。【資料23】のγを見ればわかるように、丈六光銘には...
その二。丈六光銘には蘇我稲目と馬子の名が出て来るが、そ...
その三。δの段落には当の丈六仏がγの明年の己巳年、すなわ...
その四。推古紀では裴世清は唐の使者と書かれているが、丈...
さて、この丈六光銘には、戊辰年に大隨國の使者裴世清がや...
ところが、これに対して古田氏は、『元興寺伽藍縁起并流記...
しかし実は、この「隨」という文字は、以下に述べるように...
諸橋大漢和によれば、隋の国号は本来は隨であり、文帝が全...
a 壬辰、以柱國隨國公楊忠爲大司空。(周書 紀第五 武帝...
b 隋國公楊堅・廣寧侯薛廻…。(周書 紀第六 武帝下 建...
これらによれば、この562~575年の間に国号を隨から隋に改...
ところが、宮崎市定氏の同論文によると、王昶著『金石萃編...
そこで、孫引きの危険を避けるため、隋代の金石文について...
以上で、丈六光銘は書紀とは独立の史料価値をもつことがわ...
以上長々と論じてきたように、“『隋書』の俀国は九州にあっ...
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第5章 推古朝の謎
21.裴世清は有明から来た?
第2章で、七世紀の倭都は筑紫ではありえないことを論証し...
この謎を、俀国伝の行路記事を再検討することにより、“『隋...
古田氏は、『三国志』の「至」の全用例を調べて、魏志倭人...
では、この古田読みをそっくりそのまま『隋書』の場合にも...
『隋書』の夷蛮伝の中から、当該国までの行路を記述した行...
そこで、魏志倭人伝の場合に『三国志』に先行する『漢書』...
そこで、“『隋書』俀国伝の著者は、先行する『魏書』夷蛮伝...
a 經都斯麻(=対馬)國、迥在大海中。又東至一支(=壱岐)國
現実の地理では壱岐は対馬の東南であるにもかかわらず、壱...
そこでaの「東至」の起点を対馬ではなく、その直前の「大...
すると、次の主線行路は【資料8】σの「又經十餘國、達於海...
対馬
│ \(東南)
主 │ \
線 大海── 壱岐───筑紫───秦王国
行 │ (東) 傍線行路→ (東)
路 │
↓ 十余国
│
│
海岸──都
実際に地図で確かめると、対馬の南には五島列島がある。す...
つまり『隋書』の記す俀国というのは九州にあった大和とは...
ところで、一支國、竹斯國、秦王國という傍線行路の国々の...
さて、以上の解読の是非について吟味する前に、この結論を...
22.噴火に遭遇した高表仁
【資料5】『唐会要』倭国条のβに、唐の使者高表仁が倭を訪...
a 貞觀十五年十一月、使至。太宗矜其路遠、遣高表仁、持節...
b 表仁浮海數月方至。
c 《自云 路經地獄之門、
d 親見其上氣色蓊鬱、
e 又聞呼叫鎚鍛之聲、
f 甚可畏懼也。》 (唐會要 巻九十九 倭國)
これと同様な記事は、『冊府元亀』の中にも出てくる。
g 高表仁爲新州刺史。貞觀中倭國朝貢。太宗矜其道遠、詔所...
h 表仁浮海數月方至。
i 云 路經地獄之門、
j 親見其上氣色葱鬱、有烟火之状、
k 若鑪鎚號叫之聲、行者聞之、
l 莫不危懼。 (冊府元龜 巻六六...
『唐会要』のc~fに対応するi~lの部分が地の文になっ...
さて、『唐会要』のbでも『冊府元亀』hでも、「表仁浮海...
続けて『唐会要』にはdに「親(みずから)、その上の気色が...
これは高表仁が倭国に赴くとき、火山の噴火に遭遇したこと...
そして、cやiに、「門」を経た、という表現があるが、b...
つまり、この短い記事が示している事件は、“高表仁らは、倭...
日本放送協会出版『火山列島日本』カラーページ「日本活火...
中国地方 大山、三瓶山
九州地方 鶴見岳、九重山、阿蘇山、雲仙岳、霧島山、桜島、開...
南西諸島 薩摩硫黄島、口永良部島、中之島、諏訪瀬島、硫黄鳥...
しかも町田洋著「火山噴火と環境」(古今書院『火山灰考古...
ちなみに関東以北であっても、海峡の近くにある火山という...
以上によれば、高表仁の目的地たる倭都は九州にあったとい...
さて、高表仁が噴火に遭遇した火山をさらに特定できないで...
雲仙岳は、有史以来、1657年まで文献には噴火の記録がない...
ところが火山灰の発掘調査によると、それ以前の噴火の存在...
|///////////|← 紫コラ(開聞岳)貞...
平安時代・奈良時代 →| | (この貞観は...
|///////////|← 青コラ(開聞岳)
古墳時代~弥生中期 →| |
|///////////|← 暗紫ゴラ(開聞岳)
弥生時代中期~縄文後期 →| |
|///////////|← 黄コラ(開聞岳)
縄文時代後期~中期 →| |
|///////////|← 御池火山灰(霧島山)
縄文時代中期~前期 →| |
|///////////|← 池田火山灰(池田湖)
縄文時代前期 →| |
|///////////|← アカホヤ火山灰(鬼...
縄文時代早期(後半) →| |
|///////////|← (桜島)
縄文時代早期(前半) →| |
|///////////|← 薩摩火山灰(桜島)...
縄文草創期~細石器 →| |
|///////////|← (桜島)
旧石器時代(西丸尾遺跡) →| | 姶良Tn火山灰
|///////////|← 入戸火砕流(姶良カ...
旧石器時代(上場遺跡) →| |
|///////////|← 阿多溶結凝灰岩(阿...
これによると、古墳時代~弥生中期の層と、平安時代・奈良...
23.倭国九州説の疑問点
さて、第21節と第22節は、一見俀国伝と推古紀の矛盾を見事...
まず、第21節の俀国熊本平野説であるが、このような古田読...
また、「至」の用法を、夷蛮伝だけで帰納してよいかどうか...
a 戊申、車駕至京師。(隋書 煬帝上 大業五年二月条)
これは「至」に動詞が先行していないが、車駕が京師に到着...
b 丁卯、上至東都。己丑、還京師。(隋書 煬帝下 大業十...
ここで「上」は天子の意味で、「至」には動詞が先行してい...
c 東北至新羅、西渡海至越州、南渡海至倭國、北渡海至高麗...
この例では、隣接する国々の説明なのに「渡海至」のように...
また、第22節の高表仁の来倭記事について言えば、仮に高表...
さらにこの説の大きな問題点は、第20節で述べた帰国年次を...
この説のとおりだとすると、推古紀と『隋書』による限り、...
24.推古紀の年次のずれ
古田氏は、『邪馬壹国の方法』所収「日本書紀の史料批判」...
推古紀において、次のような史料事実がある。
a 中国の使者裴世清の官職が、『隋書』では文林郎、推古紀...
b 裴世清は、推古紀では国書を持参したが、『隋書』では国...
c 推古紀では、中国のことを、隋代についても一貫して「唐...
d 舒明3(631)年条には百済王の義慈が登場するが、この年...
e 推古17(609)年条には「呉国」に乱有りと書かれているが...
f 推古16年8月条に裴世清が持参した中国皇帝の国書の中に...
これらの史料事実から、古田氏は次のような仮説を立てた。
g 推古紀から舒明紀にかけて、『日本書紀』の紀年は実際の...
従って、例えば推古16年の実年代は、608年ではなく620年と...
確かにこう仮定すると、まずdやeの矛盾は解消する。なぜ...
また、推古16年も、620年、つまり中国は唐の高祖の時代であ...
また、cの持つ意味を調べるため、推古紀の中から中国の呼...
この結果、俀国伝の裴世清来朝と推古紀の裴世清来朝は別事...
実は、仮定gは新たな矛盾を引き起こすのである。【資料21...
h 其王高建武、即前王高元異母弟也。武徳二年、遣使來朝。...
五年、賜建武書曰、「朕恭膺宝命、…」。於是、建武、悉捜括...
七年、……。
(舊唐書 高麗)
hの太字部分によれば、武徳5(622)年から次の記事の年次で...
それでは、推古紀の年代にずれがないとしたら、a~fの事...
まずcであるが、【資料21】のα~οを注意深く眺めると、そ...
i 推古紀では、原則として中国のことを「唐」と呼んでいる...
つまり、“推古紀では、中国の国号を、外国人が喋った部分は...
では、なぜ『日本書紀』の編纂者は、わざわざそんな編纂当...
なお、γとξでは、直接引用中でありながら「唐」と書かれて...
次に、fについて調べよう。古田氏は「日本書紀の史料批判...
確かにfにいうとおり、裴世清の持参した国書に出てくる「...
なお、古田氏は、寶命(=天命)を欽承(=受ける)できるのは...
次にeを検討しよう。ここでいう推古17(609)年条の「呉国」...
さて、dやeは確かに年代のずれがあると思われるが、これ...
j 大唐遣高表仁、送三田耜、共泊于對馬。(舒明紀4年8月...
すなわち高表仁の来朝記事がdの翌年に存在する。従って、...
k 『日本書紀』では、百済関係の記事に年次のずれがあった...
従って、dやeの年代がずれているからといって、eの前年...
次にbであるが、要するに、もし推古紀と俀国伝の裴世清来...
l 『隋書』の俀国は九州王朝であり、当時の大和朝廷は日本...
すなわち、独立した伝がないのだから、その国への国書につ...
さて、最後に残ったaであるが、これについては、池田温氏...
m 文林郎が散官もしくは学芸文筆の名誉職なのに比し、鴻臚...
つまり、裴世清は両官職を兼務していたというわけである。...
25.丈六光銘の証言
前節では、推古紀と俀国伝の数々の矛盾の理由を一挙に解決...
この「丈六光銘曰」以下の部分には、「廣庭天皇」すなわち...
さて、この丈六光銘は『日本書紀』とは独立な史料価値を持...
その一。【資料23】のγを見ればわかるように、丈六光銘には...
その二。丈六光銘には蘇我稲目と馬子の名が出て来るが、そ...
その三。δの段落には当の丈六仏がγの明年の己巳年、すなわ...
その四。推古紀では裴世清は唐の使者と書かれているが、丈...
さて、この丈六光銘には、戊辰年に大隨國の使者裴世清がや...
ところが、これに対して古田氏は、『元興寺伽藍縁起并流記...
しかし実は、この「隨」という文字は、以下に述べるように...
諸橋大漢和によれば、隋の国号は本来は隨であり、文帝が全...
a 壬辰、以柱國隨國公楊忠爲大司空。(周書 紀第五 武帝...
b 隋國公楊堅・廣寧侯薛廻…。(周書 紀第六 武帝下 建...
これらによれば、この562~575年の間に国号を隨から隋に改...
ところが、宮崎市定氏の同論文によると、王昶著『金石萃編...
そこで、孫引きの危険を避けるため、隋代の金石文について...
以上で、丈六光銘は書紀とは独立の史料価値をもつことがわ...
以上長々と論じてきたように、“『隋書』の俀国は九州にあっ...
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