蠣崎・松前家
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蠣崎・松前家
蠣崎・松前家は、陸奥国田名部蠣崎村から渡ってきたとされる...
家系図
蠣崎・松前家の家系図
武将の紹介
蠣崎 季繁(かきざき すえしげ)
生年不詳~1462年5月12日
官位 修理大夫
正室 安東政季の娘
養女 安東政季の娘
蝦夷国花沢館主
1443年 陸奥国から蝦夷国に渡り、花沢館を築城した。
1456年 安東政季より上国守護を任じられる。養女を蠣崎...
1457年 6月20日 コシャマインの戦いの際、客将の蠣...
1460年 蠣崎信広に家督を継がせた。
1462年 5月12日 死亡。
蠣崎季繁の出自は不明な点が多く、若狭国の武田家の近親者や...
蠣崎 信広(かきざき のぶひろ)
1431年2月1日~1494年5月20日
幼名 彦太郎
別名 武田信広
号 清岩
官位 若狭守
正室 安東政季の娘(蠣崎季繁の養女)
娘 下国恒季室
蝦夷国勝山館主
1431年 2月1日 陸奥国の北部王家の家臣の武田家に生...
1454年 8月28日 佐々木繁綱・工藤祐長と共に安東政...
1456年 嫡男の蠣崎光広が生まれる。
1457年 6月20日 和人軍の総大将としてコシャマイン...
1459年 泊館主の小山隆政が蠣崎信広の殺害を企てている...
1460年 蠣崎季繁に気に入られてその養嗣子となった。こ...
1462年 勝山館を築城した。
1475年 樺太アイヌの首長から貢物を献上され、樺太を支...
1494年 5月20日 64歳で死亡。
異説としては、若狭国守護の武田信賢の子として若狭国小浜の...
蠣崎 光広(かきざき みつひろ)
1456年3月~1518年7月12日
幼名 彦太郎
官位 宮内少輔 若狭守
父 蠣崎信広
母 安東政季の娘
蝦夷国勝山館主
蝦夷国徳山館主
1456年 3月 蠣崎信広の長男として生まれる。
1479年 7月 長男の蠣崎義広が生まれる。
1483年 1月 次男の蠣崎高広が生まれる。
1494年 父の死にともない家督を相続。2代目当主となる...
1496年 11月 蠣崎光広に同心する館主らと連名で羽後...
1512年 4月 蝦夷国東部の村長であったショヤ・コウジ...
1513年 6月 蠣崎光広は、穏内館、松前大館を襲撃し、...
1514年 3月 松前大館に長男の蠣崎義広とともに入城し...
1515年 6月 ショヤ・コウジ兄弟を降伏すると偽って徳...
1518年 7月12日 63歳で死亡。
蠣崎 義広(かきざき よしひろ)
1479年7月~1545年8月19日
幼名 新三郎
官位 民部大輔 若狭守
号 正岩
父 蠣崎光広
娘 厚谷季政室 明石季衡室
室 薦土季成の娘
蝦夷国徳山館主
1479年 7月 蠣崎光広の長男として生まれる。
1507年 11月 長男の蠣崎季広が生まれる。
1514年 松前大館に父とともに入城した。
1518年 父の死にともない家督を相続。3代目当主となる...
1525年 アイヌの首長の一人・タナイヌ(タナサカシと伝え...
1527年 3月 タナイヌの攻撃で瀬田内館は陥落した。
1528年 5月 徳山館にタナイヌの侵入を許してしまうが...
1529年 3月26日 タナイヌに勝山館が包囲されるが、...
1531年 5月 タナイヌの娘婿のタリコナがゲリラ戦術で...
1532年 5月 夷賊が徳山館を強襲した際、厚谷重形と共...
1533年 陸奥国下北横浜で南部家に反乱を起こした杉生大...
1536年 6月23日 蠣崎義広は、タリコナの動きをつか...
1543年 小林良道を若狭へ派遣し、若狭国の武田家と音信...
1545年 8月19日 67歳で死亡。
蠣崎 高広(かきざき たかひろ)
1483年1月~1521年3月22日
幼名 二郎
法号 永快
父 蠣崎光広
蝦夷国泊館主
蝦夷国勝山館主
1483年 1月 蠣崎光広の次男として生まれる。
1509年 長男の蠣崎基広が生まれる。
1512年 泊館主であったが、父の蠣崎光広と兄の蠣崎義広...
1521年 3月22日 39歳で死亡。
蠣崎 季広(かきざき すえひろ)
1507年11月~1595年4月20日
幼名 彦太郎
官位 若狭守
号 永安
父 蠣崎義広
正室 河野季通の娘
娘 南条広継室 下国師季室 喜庭季信室 小平季遠室 厚谷...
蝦夷国徳山館主
1507年 蠣崎義広の長男として生まれる。
1531年 5月 アイヌ軍に徳山館が襲撃されたが、蠣崎季...
1539年 長男の蠣崎舜広が生まれる。
1540年 次男の明石元広が生まれる。
1545年 父の蠣崎義広が死亡した後、家督を継いだ。4代...
1546年 安東尋季の命令で羽後国檜山郡深浦郷の森山館主...
夏 1513年に破壊された大洞山法幢寺を再建し、蠣崎義広...
1548年 3月 勝山館主の蠣崎基広が謀反を起こし、家臣...
9月3日 三男の松前慶広が生まれる。
1551年 アイヌと和睦し、道南地方の交易体制の確立に成...
1556年 五男の蠣崎正広が生まれる。
1560年 松前慶広に陸奥国の浪岡北畠家に出仕させ、安東...
1561年 十男の蠣崎仲広が生まれる。
1562年 娘の南条広継室が蠣崎舜広・明石元広の毒殺の首...
1564年 十一男の蠣崎守広が生まれる。
1567年 安東愛季の命令で南部家領鹿角郡侵攻に出陣。
1578年 7月 陸奥国の浪岡北畠家を津軽為信が攻撃、安...
1581年 安東家の命令で津軽奪還作戦に参加する。蠣崎仲...
1582年 三男の松前慶広に家督を譲って隠居した。(15...
1595年 4月20日 89歳で死亡。
この頃は安東家の支配下にある1大名にすぎなかった。そのた...
蠣崎 基広(かきざき もとひろ)
1509年~1548年3月
別名 太郎
父 蠣崎高広
蝦夷国勝山館主(北海道檜山郡上ノ国町)
1509年 蠣崎高広の長男として生まれる(1501年の説...
1521年 3月 父の蠣崎高広の死後、家督を相続。勝山館...
1548年 3月 蠣崎季広が宗家の家督を継いだことに不満...
蠣崎 舜広(かきざき としひろ)
1539年~1561年4月20日
幼名 彦太郎
官位 宮内少輔
父 蠣崎季広
母 河野季通の娘
1539年 蠣崎季広の長男として生まれる。父の蠣崎季広に...
1561年 4月20日 姉の南条広継の正室に毒殺されたと...
松前 慶広(まつまえ よしひろ)
1548年9月3日~1616年10月12日
幼名 新三郎 天才丸
諡号 永泉 海翁
戒名 慶広院殿海翁永泉大居士
官位 従五位下 民部大輔 志摩守 伊豆守
別名 蠣崎 慶広
父 蠣崎季広
母 河野季通の娘
正室 村上季儀の娘
継室 斎藤実繁の娘
娘 喜庭直信室のち津軽信建室 下国広季室
蝦夷国徳山館主
蝦夷国福山館(松前城)主
1548年 9月3日 蠣崎季広の三男として大館の館山城で...
1560年 陸奥国の浪岡北畠家に出仕した。
1571年 9月3日 長男の松前盛広が生まれる。
1580年 次男の松前忠広が生まれる。
1582年 父の隠居により家督を継ぎ、5代目当主となる。...
1583年 3月 安東家の命令で羽後国比内の浅利勝頼と戦...
1586年 安東家の命令で羽後国仙北郡に弟の蠣崎正広を派...
1587年 羽後国の安東家当主の安東愛季が没すと湊城主安...
1588年 安東家の命令で湊騒動に兵を派遣した。
1590年 安東家の命令で羽後国比内に援軍として参加した...
1591年 奥州再仕置軍に参加して九戸政実の乱と奥州の一...
1592年 文禄の役が始まると、大阪に赴いた。
1593年 1月5日 肥前国名護屋の朝鮮遠征軍の本営で豊...
1594年 四男の松前由広が生まれる。
1596年 五男の松前次広が生まれる。
1598年 豊臣秀吉が死亡すると、徳川家康に通じた。
1599年 11月 姓を蠣崎から松前に改めた。松前藩初代...
1600年 福山館の築城を開始する。七男の松前景広が生ま...
1604年 1月27日 徳川家康に系譜と蝦夷地図を献上し...
1606年 八男の松前安広が生まれる。8月 新城の福山館...
1607年 九男の松前満広が生まれる。
1610年 花山院忠長が女官と密通した罪で蝦夷国に配流さ...
1614年 12月26日 四男の松前由広を豊臣家に通じた...
1615年 5月 大阪の陣には、将軍の徳川秀忠の近習で次...
1616年 5月 剃髪して海翁と号した。
10月12日 69歳で死亡。
比内地方の浅利家解体など宗家・安東家(愛季)の勢力拡大に...
隋良(ずいりょう)
生没年不詳
父 蠣崎季広
蠣崎季広の四男として生まれる。
蠣崎家の菩提寺を法源寺から法憧寺に移したため、法源寺との...
蠣崎 定広(かきざき さだひろ)
生没年不詳
別名 左近大夫 右近大夫 蠣崎 信広
受領名 但馬守
父 蠣崎季広
娘 杉山左内室
蠣崎季広の七男として生まれる。
兄で松前藩主の松前慶広を補佐し、甥の松前利広が謀反を画策...
蠣崎 包広(かきざき かねひろ)
生没年不詳
別名 与三郎 典三郎
父 蠣崎季広
蠣崎季広の八男として生まれる。早世。
蠣崎 仲広(かきざき なかひろ)
1561年~1581年3月6日
別名 助五郎
父 蠣崎季広
1561年 蠣崎季広の十男として生まれる。
1581年 3月6日 羽後国の安東家の出陣要請に従い出羽...
松前 盛広(まつまえ もりひろ)
1571年9月3日~1608年1月21日
幼名、松房丸 甚五郎
別名 松前 守広 蠣崎 盛広
官位 従五位下 若狭守
父 松前慶広
母 村上季儀の娘
正室 下国直季の娘
1571年 9月3日 松前慶広の長男として生まれる。
1587年 三関広久と共に熊野参詣と称して上洛し、中央政...
1592年 文禄の役には、父の松前慶広と共に肥前国名護屋...
1598年 長男の松前公広が生まれる。
1600年 1月 家督相続されるが、実権は、松前慶広が握...
1601年 5月 従五位下・若狭守に叙任される。
1605年 江戸で病気を患う。
1608年 1月21日 静養するも38歳で死亡。
松前 忠広(まつまえ ただひろ)
1580年~1617年7月29日
幼名 武蔵丸 甚平次 甚五郎
別名 蠣崎 忠広
官位 従五位下 隼人正
父 松前慶広
母 村上季儀の娘
1580年 松前慶広の次男として生まれる。
1599年 11月 父の松前慶広と共に大阪城西の丸で徳川...
1604年 将軍家に請われて徳川秀忠に仕えることとなり、...
1610年 従五位下・隼人正に叙任され、下野国結城領に千...
1615年 5月 大阪夏の陣に出陣し、戦功を上げる。 1...
1617年 7月29日 将軍の徳川秀忠に供奉して上洛の途...
武勇に優れ、特に弓が得意であった。和歌も詠んでいた。
松前 利広(まつまえ としひろ)
生没年不詳
幼名 竜丸
別名 松前 行広 南部利広
受領名 長門守
父 松前慶広
室 蠣崎吉広の娘
松前慶広の三男として生まれる。
元服してから陸奥国の南部家に出仕して、後に南部利直の養子...
1618年 7月26日 父の松前慶広の死亡後、幼い松前公...
医術に長けていた。
松前 由広(まつまえ よしひろ)
1594年~1614年12月26日
幼名 綱丸 数馬介
別名 松前 種広
父 松前慶広
1594年 松前慶広の四男として生まれる。当初、兄の松前...
1610年頃 父の松前慶広が豊臣家との誼を捨て、徳川家に...
1612年 母の冥福を祈るべく紀州高野山に詣でた際、大阪...
1614年 3月 松前由広の近臣に罪があり、奉行の小林良...
12月 松前由広が小林良勝を仇討ちしてしまう。
12月26日 大坂方に内通していたとの嫌疑をかけられ、父...
松前 次広(まつまえ つぐひろ)
1596年~1606年2月29日
幼名 天亀丸 伝十郎
父 松前慶広
1596年 松前慶広の五男として生まれる。
1606年 2月29日 元服した後は加賀国の前田家に仕え...
休之(やすゆき)
生没年不詳
父 松前慶広
松前慶広の六男として生まれる。
専念寺の住職を務めて、権僧都になる。
松前 安広(まつまえ やすひろ)
1606年~1668年7月8日
幼名 石丸 勘五郎 市正
別名 松前 政広 松前 右衛門 自休
父 松前慶広
正室 片倉重長の娘
仙台藩医。
1606年 松前慶広の八男として生まれる。
1609年 伊達政宗に出仕して市正と称す。
1623年 陸前国栗原郡清原村と江刺郡小田代に二千石を領...
1629年 伊達政宗の命により、片倉重長の娘を妻に迎える...
晩年は自休と号する。
1668年 7月8日 病死。63歳。
松前安広が仙台藩に使えた理由は、旗本である親族に会いに行...
松前 満広(まつまえ みつひろ)
1607年~1624年7月19日
幼名 長次郎
父 松前慶広
1607年 松前慶広の九男として生まれる。
1624年 18歳で死亡。
松前 公広(まつまえ きんひろ)
1598年~1641年7月8日
幼名 竹松丸 甚五郎
別名 松前 茂広 松前 武広
官位 従五位下 志摩守
父 松前盛広
母 下国直季の娘
正室 大炊御門経頼の娘
側室 蠣崎守広の娘
娘 松前広維室 蛎崎清広室 松前広林室 新井田成政室
蝦夷国福山館(松前城)主(北海道松前郡松前町)
1598年 松前盛広の長男として、松前の徳山城で生まれる。
1614年 従五位下・志摩守に叙位・任官する。
1616年 10月 祖父の松前慶広が死去したため、家督を...
1617年 東部曽津己の礼髭村(または礼比計と表記した)と...
1618年 幕府に砂金を献上したが、幕府側は金産出に関す...
1620年 福山城の城下町を整備する。
1622年 次男の松前氏広が生まれる。
1627年 三男の松前泰広が生まれる。
1629年 四男の松前広諶が生まれる。
1630年頃 商業知行制という松前藩独特の制度を実施した。
1631年 五男の松前幸広が生まれる。
1635年 村上広儀を樺太・南千島巡察に派遣した。
1637年 3月 火事のために福山城が焼失してしまったう...
1639年 福山城を修造した。幕府のキリシタン取締りの命...
1641年 7月8日 44歳で死亡。
松前 兼広(まつまえ かねひろ)
1615年~1626年6月24日
別名 松前 右兵衛
父 松前公広
1615年 松前公広の長男として生まれる。
1626年 6月24日 病死した。12歳。
松前 氏広(まつまえ うじひろ)
1622年~1648年8月25日
幼名 弁之助
別名 主殿
父 松前公広
母 大炊御門経頼の娘
正室 蠣崎友広の娘
娘 松前広守室
蝦夷国福山館(松前城)主(北海道松前郡松前町)
1622年 松前公広の次男として、蝦夷福山館で生まれる。
1626年 兄の松前兼広が早世したために世継となる。
1638年 徳川家光に拝謁した。
1641年 7月 父の死亡により家督を相続、3代藩主とな...
1643年 長男の松前高広が生まれる。アイヌのヘナウケの...
7月 幕命により「松前系図伝」を幕府に献上。
1644年 ウスケシ(一説にへナウケ)による乱が瀬田内で...
1648年 8月25日 江戸藩邸において死亡。27歳。
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蠣崎・松前家
蠣崎・松前家は、陸奥国田名部蠣崎村から渡ってきたとされる...
家系図
蠣崎・松前家の家系図
武将の紹介
蠣崎 季繁(かきざき すえしげ)
生年不詳~1462年5月12日
官位 修理大夫
正室 安東政季の娘
養女 安東政季の娘
蝦夷国花沢館主
1443年 陸奥国から蝦夷国に渡り、花沢館を築城した。
1456年 安東政季より上国守護を任じられる。養女を蠣崎...
1457年 6月20日 コシャマインの戦いの際、客将の蠣...
1460年 蠣崎信広に家督を継がせた。
1462年 5月12日 死亡。
蠣崎季繁の出自は不明な点が多く、若狭国の武田家の近親者や...
蠣崎 信広(かきざき のぶひろ)
1431年2月1日~1494年5月20日
幼名 彦太郎
別名 武田信広
号 清岩
官位 若狭守
正室 安東政季の娘(蠣崎季繁の養女)
娘 下国恒季室
蝦夷国勝山館主
1431年 2月1日 陸奥国の北部王家の家臣の武田家に生...
1454年 8月28日 佐々木繁綱・工藤祐長と共に安東政...
1456年 嫡男の蠣崎光広が生まれる。
1457年 6月20日 和人軍の総大将としてコシャマイン...
1459年 泊館主の小山隆政が蠣崎信広の殺害を企てている...
1460年 蠣崎季繁に気に入られてその養嗣子となった。こ...
1462年 勝山館を築城した。
1475年 樺太アイヌの首長から貢物を献上され、樺太を支...
1494年 5月20日 64歳で死亡。
異説としては、若狭国守護の武田信賢の子として若狭国小浜の...
蠣崎 光広(かきざき みつひろ)
1456年3月~1518年7月12日
幼名 彦太郎
官位 宮内少輔 若狭守
父 蠣崎信広
母 安東政季の娘
蝦夷国勝山館主
蝦夷国徳山館主
1456年 3月 蠣崎信広の長男として生まれる。
1479年 7月 長男の蠣崎義広が生まれる。
1483年 1月 次男の蠣崎高広が生まれる。
1494年 父の死にともない家督を相続。2代目当主となる...
1496年 11月 蠣崎光広に同心する館主らと連名で羽後...
1512年 4月 蝦夷国東部の村長であったショヤ・コウジ...
1513年 6月 蠣崎光広は、穏内館、松前大館を襲撃し、...
1514年 3月 松前大館に長男の蠣崎義広とともに入城し...
1515年 6月 ショヤ・コウジ兄弟を降伏すると偽って徳...
1518年 7月12日 63歳で死亡。
蠣崎 義広(かきざき よしひろ)
1479年7月~1545年8月19日
幼名 新三郎
官位 民部大輔 若狭守
号 正岩
父 蠣崎光広
娘 厚谷季政室 明石季衡室
室 薦土季成の娘
蝦夷国徳山館主
1479年 7月 蠣崎光広の長男として生まれる。
1507年 11月 長男の蠣崎季広が生まれる。
1514年 松前大館に父とともに入城した。
1518年 父の死にともない家督を相続。3代目当主となる...
1525年 アイヌの首長の一人・タナイヌ(タナサカシと伝え...
1527年 3月 タナイヌの攻撃で瀬田内館は陥落した。
1528年 5月 徳山館にタナイヌの侵入を許してしまうが...
1529年 3月26日 タナイヌに勝山館が包囲されるが、...
1531年 5月 タナイヌの娘婿のタリコナがゲリラ戦術で...
1532年 5月 夷賊が徳山館を強襲した際、厚谷重形と共...
1533年 陸奥国下北横浜で南部家に反乱を起こした杉生大...
1536年 6月23日 蠣崎義広は、タリコナの動きをつか...
1543年 小林良道を若狭へ派遣し、若狭国の武田家と音信...
1545年 8月19日 67歳で死亡。
蠣崎 高広(かきざき たかひろ)
1483年1月~1521年3月22日
幼名 二郎
法号 永快
父 蠣崎光広
蝦夷国泊館主
蝦夷国勝山館主
1483年 1月 蠣崎光広の次男として生まれる。
1509年 長男の蠣崎基広が生まれる。
1512年 泊館主であったが、父の蠣崎光広と兄の蠣崎義広...
1521年 3月22日 39歳で死亡。
蠣崎 季広(かきざき すえひろ)
1507年11月~1595年4月20日
幼名 彦太郎
官位 若狭守
号 永安
父 蠣崎義広
正室 河野季通の娘
娘 南条広継室 下国師季室 喜庭季信室 小平季遠室 厚谷...
蝦夷国徳山館主
1507年 蠣崎義広の長男として生まれる。
1531年 5月 アイヌ軍に徳山館が襲撃されたが、蠣崎季...
1539年 長男の蠣崎舜広が生まれる。
1540年 次男の明石元広が生まれる。
1545年 父の蠣崎義広が死亡した後、家督を継いだ。4代...
1546年 安東尋季の命令で羽後国檜山郡深浦郷の森山館主...
夏 1513年に破壊された大洞山法幢寺を再建し、蠣崎義広...
1548年 3月 勝山館主の蠣崎基広が謀反を起こし、家臣...
9月3日 三男の松前慶広が生まれる。
1551年 アイヌと和睦し、道南地方の交易体制の確立に成...
1556年 五男の蠣崎正広が生まれる。
1560年 松前慶広に陸奥国の浪岡北畠家に出仕させ、安東...
1561年 十男の蠣崎仲広が生まれる。
1562年 娘の南条広継室が蠣崎舜広・明石元広の毒殺の首...
1564年 十一男の蠣崎守広が生まれる。
1567年 安東愛季の命令で南部家領鹿角郡侵攻に出陣。
1578年 7月 陸奥国の浪岡北畠家を津軽為信が攻撃、安...
1581年 安東家の命令で津軽奪還作戦に参加する。蠣崎仲...
1582年 三男の松前慶広に家督を譲って隠居した。(15...
1595年 4月20日 89歳で死亡。
この頃は安東家の支配下にある1大名にすぎなかった。そのた...
蠣崎 基広(かきざき もとひろ)
1509年~1548年3月
別名 太郎
父 蠣崎高広
蝦夷国勝山館主(北海道檜山郡上ノ国町)
1509年 蠣崎高広の長男として生まれる(1501年の説...
1521年 3月 父の蠣崎高広の死後、家督を相続。勝山館...
1548年 3月 蠣崎季広が宗家の家督を継いだことに不満...
蠣崎 舜広(かきざき としひろ)
1539年~1561年4月20日
幼名 彦太郎
官位 宮内少輔
父 蠣崎季広
母 河野季通の娘
1539年 蠣崎季広の長男として生まれる。父の蠣崎季広に...
1561年 4月20日 姉の南条広継の正室に毒殺されたと...
松前 慶広(まつまえ よしひろ)
1548年9月3日~1616年10月12日
幼名 新三郎 天才丸
諡号 永泉 海翁
戒名 慶広院殿海翁永泉大居士
官位 従五位下 民部大輔 志摩守 伊豆守
別名 蠣崎 慶広
父 蠣崎季広
母 河野季通の娘
正室 村上季儀の娘
継室 斎藤実繁の娘
娘 喜庭直信室のち津軽信建室 下国広季室
蝦夷国徳山館主
蝦夷国福山館(松前城)主
1548年 9月3日 蠣崎季広の三男として大館の館山城で...
1560年 陸奥国の浪岡北畠家に出仕した。
1571年 9月3日 長男の松前盛広が生まれる。
1580年 次男の松前忠広が生まれる。
1582年 父の隠居により家督を継ぎ、5代目当主となる。...
1583年 3月 安東家の命令で羽後国比内の浅利勝頼と戦...
1586年 安東家の命令で羽後国仙北郡に弟の蠣崎正広を派...
1587年 羽後国の安東家当主の安東愛季が没すと湊城主安...
1588年 安東家の命令で湊騒動に兵を派遣した。
1590年 安東家の命令で羽後国比内に援軍として参加した...
1591年 奥州再仕置軍に参加して九戸政実の乱と奥州の一...
1592年 文禄の役が始まると、大阪に赴いた。
1593年 1月5日 肥前国名護屋の朝鮮遠征軍の本営で豊...
1594年 四男の松前由広が生まれる。
1596年 五男の松前次広が生まれる。
1598年 豊臣秀吉が死亡すると、徳川家康に通じた。
1599年 11月 姓を蠣崎から松前に改めた。松前藩初代...
1600年 福山館の築城を開始する。七男の松前景広が生ま...
1604年 1月27日 徳川家康に系譜と蝦夷地図を献上し...
1606年 八男の松前安広が生まれる。8月 新城の福山館...
1607年 九男の松前満広が生まれる。
1610年 花山院忠長が女官と密通した罪で蝦夷国に配流さ...
1614年 12月26日 四男の松前由広を豊臣家に通じた...
1615年 5月 大阪の陣には、将軍の徳川秀忠の近習で次...
1616年 5月 剃髪して海翁と号した。
10月12日 69歳で死亡。
比内地方の浅利家解体など宗家・安東家(愛季)の勢力拡大に...
隋良(ずいりょう)
生没年不詳
父 蠣崎季広
蠣崎季広の四男として生まれる。
蠣崎家の菩提寺を法源寺から法憧寺に移したため、法源寺との...
蠣崎 定広(かきざき さだひろ)
生没年不詳
別名 左近大夫 右近大夫 蠣崎 信広
受領名 但馬守
父 蠣崎季広
娘 杉山左内室
蠣崎季広の七男として生まれる。
兄で松前藩主の松前慶広を補佐し、甥の松前利広が謀反を画策...
蠣崎 包広(かきざき かねひろ)
生没年不詳
別名 与三郎 典三郎
父 蠣崎季広
蠣崎季広の八男として生まれる。早世。
蠣崎 仲広(かきざき なかひろ)
1561年~1581年3月6日
別名 助五郎
父 蠣崎季広
1561年 蠣崎季広の十男として生まれる。
1581年 3月6日 羽後国の安東家の出陣要請に従い出羽...
松前 盛広(まつまえ もりひろ)
1571年9月3日~1608年1月21日
幼名、松房丸 甚五郎
別名 松前 守広 蠣崎 盛広
官位 従五位下 若狭守
父 松前慶広
母 村上季儀の娘
正室 下国直季の娘
1571年 9月3日 松前慶広の長男として生まれる。
1587年 三関広久と共に熊野参詣と称して上洛し、中央政...
1592年 文禄の役には、父の松前慶広と共に肥前国名護屋...
1598年 長男の松前公広が生まれる。
1600年 1月 家督相続されるが、実権は、松前慶広が握...
1601年 5月 従五位下・若狭守に叙任される。
1605年 江戸で病気を患う。
1608年 1月21日 静養するも38歳で死亡。
松前 忠広(まつまえ ただひろ)
1580年~1617年7月29日
幼名 武蔵丸 甚平次 甚五郎
別名 蠣崎 忠広
官位 従五位下 隼人正
父 松前慶広
母 村上季儀の娘
1580年 松前慶広の次男として生まれる。
1599年 11月 父の松前慶広と共に大阪城西の丸で徳川...
1604年 将軍家に請われて徳川秀忠に仕えることとなり、...
1610年 従五位下・隼人正に叙任され、下野国結城領に千...
1615年 5月 大阪夏の陣に出陣し、戦功を上げる。 1...
1617年 7月29日 将軍の徳川秀忠に供奉して上洛の途...
武勇に優れ、特に弓が得意であった。和歌も詠んでいた。
松前 利広(まつまえ としひろ)
生没年不詳
幼名 竜丸
別名 松前 行広 南部利広
受領名 長門守
父 松前慶広
室 蠣崎吉広の娘
松前慶広の三男として生まれる。
元服してから陸奥国の南部家に出仕して、後に南部利直の養子...
1618年 7月26日 父の松前慶広の死亡後、幼い松前公...
医術に長けていた。
松前 由広(まつまえ よしひろ)
1594年~1614年12月26日
幼名 綱丸 数馬介
別名 松前 種広
父 松前慶広
1594年 松前慶広の四男として生まれる。当初、兄の松前...
1610年頃 父の松前慶広が豊臣家との誼を捨て、徳川家に...
1612年 母の冥福を祈るべく紀州高野山に詣でた際、大阪...
1614年 3月 松前由広の近臣に罪があり、奉行の小林良...
12月 松前由広が小林良勝を仇討ちしてしまう。
12月26日 大坂方に内通していたとの嫌疑をかけられ、父...
松前 次広(まつまえ つぐひろ)
1596年~1606年2月29日
幼名 天亀丸 伝十郎
父 松前慶広
1596年 松前慶広の五男として生まれる。
1606年 2月29日 元服した後は加賀国の前田家に仕え...
休之(やすゆき)
生没年不詳
父 松前慶広
松前慶広の六男として生まれる。
専念寺の住職を務めて、権僧都になる。
松前 安広(まつまえ やすひろ)
1606年~1668年7月8日
幼名 石丸 勘五郎 市正
別名 松前 政広 松前 右衛門 自休
父 松前慶広
正室 片倉重長の娘
仙台藩医。
1606年 松前慶広の八男として生まれる。
1609年 伊達政宗に出仕して市正と称す。
1623年 陸前国栗原郡清原村と江刺郡小田代に二千石を領...
1629年 伊達政宗の命により、片倉重長の娘を妻に迎える...
晩年は自休と号する。
1668年 7月8日 病死。63歳。
松前安広が仙台藩に使えた理由は、旗本である親族に会いに行...
松前 満広(まつまえ みつひろ)
1607年~1624年7月19日
幼名 長次郎
父 松前慶広
1607年 松前慶広の九男として生まれる。
1624年 18歳で死亡。
松前 公広(まつまえ きんひろ)
1598年~1641年7月8日
幼名 竹松丸 甚五郎
別名 松前 茂広 松前 武広
官位 従五位下 志摩守
父 松前盛広
母 下国直季の娘
正室 大炊御門経頼の娘
側室 蠣崎守広の娘
娘 松前広維室 蛎崎清広室 松前広林室 新井田成政室
蝦夷国福山館(松前城)主(北海道松前郡松前町)
1598年 松前盛広の長男として、松前の徳山城で生まれる。
1614年 従五位下・志摩守に叙位・任官する。
1616年 10月 祖父の松前慶広が死去したため、家督を...
1617年 東部曽津己の礼髭村(または礼比計と表記した)と...
1618年 幕府に砂金を献上したが、幕府側は金産出に関す...
1620年 福山城の城下町を整備する。
1622年 次男の松前氏広が生まれる。
1627年 三男の松前泰広が生まれる。
1629年 四男の松前広諶が生まれる。
1630年頃 商業知行制という松前藩独特の制度を実施した。
1631年 五男の松前幸広が生まれる。
1635年 村上広儀を樺太・南千島巡察に派遣した。
1637年 3月 火事のために福山城が焼失してしまったう...
1639年 福山城を修造した。幕府のキリシタン取締りの命...
1641年 7月8日 44歳で死亡。
松前 兼広(まつまえ かねひろ)
1615年~1626年6月24日
別名 松前 右兵衛
父 松前公広
1615年 松前公広の長男として生まれる。
1626年 6月24日 病死した。12歳。
松前 氏広(まつまえ うじひろ)
1622年~1648年8月25日
幼名 弁之助
別名 主殿
父 松前公広
母 大炊御門経頼の娘
正室 蠣崎友広の娘
娘 松前広守室
蝦夷国福山館(松前城)主(北海道松前郡松前町)
1622年 松前公広の次男として、蝦夷福山館で生まれる。
1626年 兄の松前兼広が早世したために世継となる。
1638年 徳川家光に拝謁した。
1641年 7月 父の死亡により家督を相続、3代藩主とな...
1643年 長男の松前高広が生まれる。アイヌのヘナウケの...
7月 幕命により「松前系図伝」を幕府に献上。
1644年 ウスケシ(一説にへナウケ)による乱が瀬田内で...
1648年 8月25日 江戸藩邸において死亡。27歳。
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