1.インドの文明
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1.インドの文明
紀元前2500年ごろ、インダス川流域で、モヘンジョ=ダロや...
生まれ、インド最初の文明であるインダス文明がおこった。イ...
ら、道路・上下水道・神殿・水浴場・住宅などがレンガでつく...
銅器、金や銀の装飾品、木綿・羊毛の織物のほか、粘土板でつ...
されたが、その文字は現在であっても解明されていないインダ...
紀元前1500年ごろ、インド=ヨーロッパ語族の遊牧民である...
部に進入し、部族社会を築いて、雷や火などの自然の神を崇拝...
「リグ=ヴェーダ」をうみだした。
紀元前1000年ごろには、アーリア人は西北からガンジス川流...
かわって鉄器を用いて森を開墾したり、木製の犂(すき)を生...
アーリア人は移動した土地で先住民と同化していく過程でヴ...
インダス文明とその都市
身分観念を生み出していった。ヴァルナ制度は、バラモンとよ...
王族や武士であるクシャトリア、農民や商人であるバイシャ、...
で、武士以下の人々はバラモンの力によって救われると信じる...
このヴァルナ制度はのちに、他の身分の集団の者と結婚した...
ようになった。
紀元前6世紀ごろ、部落社会がくずれはじめ、王の権力が強くな...
その中でマガダ国という国が強力な国となり、クシャトリアが社...
異なる新しい宗教が生まれてきた。
紀元前500年ごろ、シャカ族の王子であったガウタマ=シッタ...
批判し、仏の前では人は平等であり、バラモンの力に頼らなくて...
広めていった。
紀元前4世紀には、マケドニアのアレクサンドロス大王がイン...
感じるようになり、紀元前3世紀にアショーカ王がインド半島の...
仏教の経典を編集させて、仏教をセイロン島(現在のスリランカ)...
していった。セイロン島に伝わった仏教は上座部(小乗)仏教と...
1世紀になると、クシャーナ族がインダス川流域にクシャーナ...
も栄え、中央アジアからガンジス川中流域まで支配した。
カニシカ王は仏教を保護し、都のあったガンダーラ地方を中心...
を発展させていった。さらにアレクサンドロス大王の遠征によ...
ギリシャ彫刻の技法で仏像などがつくられ、ガンダーラ美術と...
になった。ガンダーラ美術はシルクロードを経て中国・朝鮮、さ...
4世紀にクプタ朝がおこると、再びバラモンが重んじられ、バ...
クリット語が公用語化された。
また、シヴァ神などの多くの神々を信仰する多神教であり、現...
土台となっているヒンズー教が、カースト制度とともに社会に...
は天文学や哲学を発展させ、十進法やゼロの概念を発明した。
ガンダーラの仏像
写真:東京国立博物館
2.中国の文明
紀元前6000年までには、黄河の流域ではアワなどの
雑穀が、また長江の流域では稲を中心とする農業が行
われていた。
紀元前5000年紀には黄河中流域で、彩文土器とよばれ
る彩陶文化が生まれ、長江の中流や下流でも水田施設
をもつ集落の存在が明らかにされた。
紀元前3000年紀には、集落が大きくなり、小さな国が
形成され、青銅器文化が始まっていた。
紀元前2000年紀には、現在確認できる最古の王朝で
ある殷という王朝国家が成立した。殷の都のあとである
殷墟からは王の墓をはじめ、占いなどに使われた甲骨
文字が刻まれた亀の甲や牛の骨などや青銅器が発見
された。甲骨文字は漢字のもととなった。
殷の時代の中国
●…殷文化の地域
殷に服属していた周という王朝が紀元前11世紀に殷を滅ぼし...
した。周王は一族やてがらのあった家臣を諸侯として、土地(...
な統治体制を封建体制という。
周は紀元前8世紀ごろから衰え、各地の諸侯が実力をもち、約...
前半となる紀元前5世紀末までを春秋時代、秦に統一されるまで...
春秋時代の中期以降から、鉄製の農具や牛耕が普及し、農業...
となり、氏族の統制が弱くなっていった。
さらに、戦国時代になると、周の王を無視して自分を王と名...
の七雄とよばれる7つの強国がたちならぶようになった。各国と...
貨幣が用いられるようになり、富める商人も現れた。
周の世襲的な身分制度が崩れると、個人の実力を重視する実...
有能な人材の登用が行われるようになった。特に、政治に役立...
最も影響を与えたのが、春秋時代末期にあらわれた孔子を祖と...
孔子は、親に対する「孝」など身近な家族の中の道徳に社会...
中におよぼしていけば理想的な社会ができるとした。
孔子の言行を記録した「論語」は後世にも影響を与え、孟子...
や日本にも伝えられた。
彩陶土器
殷時代の石彫
殷・周時代の青銅器
春秋時代の青銅器
戦国時代の青銅器 漢時代の青銅器 後漢時代の青銅器
写真:東京国立博物館
戦国の七雄であった秦が紀元前221年に中国を統一し、王は皇...
始皇帝となった。
始皇帝は、国を36(のちに48)の郡に分け、そのもとに県を...
管理に治めさせる郡県制を行い、中央集権化をすすめた。
さらに、文字や貨幣、ものさし・ます・はかりなどの度量衡...
の統制も行った。
中国北方のモンゴル高原に、匈奴(きょうど)とよばれる遊...
万里の長城
写真:TAGSANさん
「写真素材 フォトライブラリー」
に侵入してきたので、始皇帝は万里の長城を築き、その侵入を...
しかし、民衆は長城や陵墓などの土木工事に加え、戦争や重...
り、秦は統一してからわずか15年で滅んだ。
秦が滅亡してから、庶民出身の劉邦と名門出身の項羽がそれ...
して漢王朝をたて、高祖の位についた。
高祖は長安に都をたて、紀元前2世紀後半の武帝のときに、北...
ベトナム中部、東方は朝鮮北部まで支配し、楽浪郡などの4つの...
しかし、領土の拡大とともに財政が悪化し、塩・鉄・酒など...
行ったが失敗し、武帝の死後はその外戚が実権を握って新とい...
新は実情とあわない政治や改革を行ったので、まもなく倒れ...
光武帝となった。これ以降の漢を後漢といい、以前の漢を前漢...
政治を行った。
漢の時代には製紙技術が改良され、木や竹に書かれていた文...
は書物がつくられるようになった。重要な書物として、武帝の...
班固がまとめた「漢書」が代表的である。「漢書」の巻28の地...
南朝宋の時代につくられた歴史書「後漢書」の東夷伝には、倭...
が残されている。
◆漢書・地理志
それ楽浪海中に倭人あり。分れて百余国となる。歳時をもっ...
◆後漢書・東夷伝
建武中元二年(57年)、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人...
光武、賜ふに印綬をもってす。
また漢の時代には、絹織物や漆器・
陶器などの手工業が発達し、それに
ともない商業もさかんになっていった。
前漢の武帝が中央アジアを支配する
と、砂漠のオアシス都市をむすんで西
アジアやインドへの交通路が開け、
この交通路をシルクロード(絹の道)
とよび、絹織物がローマ帝国まで運ば
れ、馬やぶどうなどが中国にもたらさ
れた。インドでおこった仏教は1世紀ご
ろにこの道を通って中国に伝わった。
2世紀ごろの世界とシルクロード
後漢は、こののち官僚と側近との争いや、張角を指導者とす...
軍事集団が割拠し、220年、後漢は滅んだ。
3.南北アメリカ大陸の古代文明
氷河時代、ベーリング海峡とアジアは地続き
であった。このため、モンゴロイド系と考えられ
る人々が移住し、のちにヨーロッパの人々から
はインディオまたはインディアンとよばれ、アメ
リカ大陸の先住民となった。
インディアンたちは北アメリカで狩猟と採集を
中心とする文化を発展させていった。
また中央アメリカのメキシコ高原や南アメリカ
のアンデス高地では紀元前2000年紀からトウ
モロコシなどを栽培する農耕文化が発展して
いった。
メキシコ湾岸で、紀元前1000年ごろまでに
はオルメカ文明が成立し、4世紀から9世紀に
かけては中央アメリカのユカタン半島でマヤの
都市国家が栄えた。マヤ文明は二十進法や、
暦・絵文字、ピラミッド状の建築物など独自な
文明を発達させた。 アメリカの古代文明
メキシコ高原では、紀元前2世紀にテオティワカン文明が
生まれ、そこに12世紀にアステカ人が進出し、ピラミッド型
の神殿や絵文字を発達させ、14世紀にはテノテチティトラン
を首都とする王国をたてた。
紀元前1000年ごろ、アンデス高地北部にチャビン文化が
成立し、その後はいろいろな王国があらわれ、15世紀後半
にエクアドルからチリにかけてインカ帝国があらわれた。
インカ帝国は、石造建築に優れ、マチュ=ピチュの遺跡を
マチュ=ピチュの遺跡
写真:ゆきんこさん、Sakakiさん
「写真素材 フォトライブラリー」
残した。また灌漑施設による農業も行われていたが、文字はな...
古代のアメリカ文明は、金・銀・青銅器など金属器は使用し...
馬や車もなかったのが特徴である。
確認問題
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1.インドの文明
紀元前2500年ごろ、インダス川流域で、モヘンジョ=ダロや...
生まれ、インド最初の文明であるインダス文明がおこった。イ...
ら、道路・上下水道・神殿・水浴場・住宅などがレンガでつく...
銅器、金や銀の装飾品、木綿・羊毛の織物のほか、粘土板でつ...
されたが、その文字は現在であっても解明されていないインダ...
紀元前1500年ごろ、インド=ヨーロッパ語族の遊牧民である...
部に進入し、部族社会を築いて、雷や火などの自然の神を崇拝...
「リグ=ヴェーダ」をうみだした。
紀元前1000年ごろには、アーリア人は西北からガンジス川流...
かわって鉄器を用いて森を開墾したり、木製の犂(すき)を生...
アーリア人は移動した土地で先住民と同化していく過程でヴ...
インダス文明とその都市
身分観念を生み出していった。ヴァルナ制度は、バラモンとよ...
王族や武士であるクシャトリア、農民や商人であるバイシャ、...
で、武士以下の人々はバラモンの力によって救われると信じる...
このヴァルナ制度はのちに、他の身分の集団の者と結婚した...
ようになった。
紀元前6世紀ごろ、部落社会がくずれはじめ、王の権力が強くな...
その中でマガダ国という国が強力な国となり、クシャトリアが社...
異なる新しい宗教が生まれてきた。
紀元前500年ごろ、シャカ族の王子であったガウタマ=シッタ...
批判し、仏の前では人は平等であり、バラモンの力に頼らなくて...
広めていった。
紀元前4世紀には、マケドニアのアレクサンドロス大王がイン...
感じるようになり、紀元前3世紀にアショーカ王がインド半島の...
仏教の経典を編集させて、仏教をセイロン島(現在のスリランカ)...
していった。セイロン島に伝わった仏教は上座部(小乗)仏教と...
1世紀になると、クシャーナ族がインダス川流域にクシャーナ...
も栄え、中央アジアからガンジス川中流域まで支配した。
カニシカ王は仏教を保護し、都のあったガンダーラ地方を中心...
を発展させていった。さらにアレクサンドロス大王の遠征によ...
ギリシャ彫刻の技法で仏像などがつくられ、ガンダーラ美術と...
になった。ガンダーラ美術はシルクロードを経て中国・朝鮮、さ...
4世紀にクプタ朝がおこると、再びバラモンが重んじられ、バ...
クリット語が公用語化された。
また、シヴァ神などの多くの神々を信仰する多神教であり、現...
土台となっているヒンズー教が、カースト制度とともに社会に...
は天文学や哲学を発展させ、十進法やゼロの概念を発明した。
ガンダーラの仏像
写真:東京国立博物館
2.中国の文明
紀元前6000年までには、黄河の流域ではアワなどの
雑穀が、また長江の流域では稲を中心とする農業が行
われていた。
紀元前5000年紀には黄河中流域で、彩文土器とよばれ
る彩陶文化が生まれ、長江の中流や下流でも水田施設
をもつ集落の存在が明らかにされた。
紀元前3000年紀には、集落が大きくなり、小さな国が
形成され、青銅器文化が始まっていた。
紀元前2000年紀には、現在確認できる最古の王朝で
ある殷という王朝国家が成立した。殷の都のあとである
殷墟からは王の墓をはじめ、占いなどに使われた甲骨
文字が刻まれた亀の甲や牛の骨などや青銅器が発見
された。甲骨文字は漢字のもととなった。
殷の時代の中国
●…殷文化の地域
殷に服属していた周という王朝が紀元前11世紀に殷を滅ぼし...
した。周王は一族やてがらのあった家臣を諸侯として、土地(...
な統治体制を封建体制という。
周は紀元前8世紀ごろから衰え、各地の諸侯が実力をもち、約...
前半となる紀元前5世紀末までを春秋時代、秦に統一されるまで...
春秋時代の中期以降から、鉄製の農具や牛耕が普及し、農業...
となり、氏族の統制が弱くなっていった。
さらに、戦国時代になると、周の王を無視して自分を王と名...
の七雄とよばれる7つの強国がたちならぶようになった。各国と...
貨幣が用いられるようになり、富める商人も現れた。
周の世襲的な身分制度が崩れると、個人の実力を重視する実...
有能な人材の登用が行われるようになった。特に、政治に役立...
最も影響を与えたのが、春秋時代末期にあらわれた孔子を祖と...
孔子は、親に対する「孝」など身近な家族の中の道徳に社会...
中におよぼしていけば理想的な社会ができるとした。
孔子の言行を記録した「論語」は後世にも影響を与え、孟子...
や日本にも伝えられた。
彩陶土器
殷時代の石彫
殷・周時代の青銅器
春秋時代の青銅器
戦国時代の青銅器 漢時代の青銅器 後漢時代の青銅器
写真:東京国立博物館
戦国の七雄であった秦が紀元前221年に中国を統一し、王は皇...
始皇帝となった。
始皇帝は、国を36(のちに48)の郡に分け、そのもとに県を...
管理に治めさせる郡県制を行い、中央集権化をすすめた。
さらに、文字や貨幣、ものさし・ます・はかりなどの度量衡...
の統制も行った。
中国北方のモンゴル高原に、匈奴(きょうど)とよばれる遊...
万里の長城
写真:TAGSANさん
「写真素材 フォトライブラリー」
に侵入してきたので、始皇帝は万里の長城を築き、その侵入を...
しかし、民衆は長城や陵墓などの土木工事に加え、戦争や重...
り、秦は統一してからわずか15年で滅んだ。
秦が滅亡してから、庶民出身の劉邦と名門出身の項羽がそれ...
して漢王朝をたて、高祖の位についた。
高祖は長安に都をたて、紀元前2世紀後半の武帝のときに、北...
ベトナム中部、東方は朝鮮北部まで支配し、楽浪郡などの4つの...
しかし、領土の拡大とともに財政が悪化し、塩・鉄・酒など...
行ったが失敗し、武帝の死後はその外戚が実権を握って新とい...
新は実情とあわない政治や改革を行ったので、まもなく倒れ...
光武帝となった。これ以降の漢を後漢といい、以前の漢を前漢...
政治を行った。
漢の時代には製紙技術が改良され、木や竹に書かれていた文...
は書物がつくられるようになった。重要な書物として、武帝の...
班固がまとめた「漢書」が代表的である。「漢書」の巻28の地...
南朝宋の時代につくられた歴史書「後漢書」の東夷伝には、倭...
が残されている。
◆漢書・地理志
それ楽浪海中に倭人あり。分れて百余国となる。歳時をもっ...
◆後漢書・東夷伝
建武中元二年(57年)、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人...
光武、賜ふに印綬をもってす。
また漢の時代には、絹織物や漆器・
陶器などの手工業が発達し、それに
ともない商業もさかんになっていった。
前漢の武帝が中央アジアを支配する
と、砂漠のオアシス都市をむすんで西
アジアやインドへの交通路が開け、
この交通路をシルクロード(絹の道)
とよび、絹織物がローマ帝国まで運ば
れ、馬やぶどうなどが中国にもたらさ
れた。インドでおこった仏教は1世紀ご
ろにこの道を通って中国に伝わった。
2世紀ごろの世界とシルクロード
後漢は、こののち官僚と側近との争いや、張角を指導者とす...
軍事集団が割拠し、220年、後漢は滅んだ。
3.南北アメリカ大陸の古代文明
氷河時代、ベーリング海峡とアジアは地続き
であった。このため、モンゴロイド系と考えられ
る人々が移住し、のちにヨーロッパの人々から
はインディオまたはインディアンとよばれ、アメ
リカ大陸の先住民となった。
インディアンたちは北アメリカで狩猟と採集を
中心とする文化を発展させていった。
また中央アメリカのメキシコ高原や南アメリカ
のアンデス高地では紀元前2000年紀からトウ
モロコシなどを栽培する農耕文化が発展して
いった。
メキシコ湾岸で、紀元前1000年ごろまでに
はオルメカ文明が成立し、4世紀から9世紀に
かけては中央アメリカのユカタン半島でマヤの
都市国家が栄えた。マヤ文明は二十進法や、
暦・絵文字、ピラミッド状の建築物など独自な
文明を発達させた。 アメリカの古代文明
メキシコ高原では、紀元前2世紀にテオティワカン文明が
生まれ、そこに12世紀にアステカ人が進出し、ピラミッド型
の神殿や絵文字を発達させ、14世紀にはテノテチティトラン
を首都とする王国をたてた。
紀元前1000年ごろ、アンデス高地北部にチャビン文化が
成立し、その後はいろいろな王国があらわれ、15世紀後半
にエクアドルからチリにかけてインカ帝国があらわれた。
インカ帝国は、石造建築に優れ、マチュ=ピチュの遺跡を
マチュ=ピチュの遺跡
写真:ゆきんこさん、Sakakiさん
「写真素材 フォトライブラリー」
残した。また灌漑施設による農業も行われていたが、文字はな...
古代のアメリカ文明は、金・銀・青銅器など金属器は使用し...
馬や車もなかったのが特徴である。
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