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15-Dec-2002
今日は、久しぶりに「意味」について考えて見ます。
「考えてみる」とはいっても、おそらく「新しいお話」にはな...
ここまでの「まとめ」という色合いになるかと思います。
まぁ、軽くお読みください^^
まず、何度も申し上げてきました、意味に関するひとつの視点...
「意味は聞き手が決めるものである」
これですね。
これは、まさにこのとおり、だと思っています。
ですが、あまりこればかりを強調すると、もうひとつの重要な...
それは、「言葉」の「目的」といいますか、そもそもどうして...
このように言いますと、何か「本来性」とか「目的」とか、所...
ですが、少なくとも、「言葉」に課せられた使命を、忘れては...
それは、「伝達」です。
よく、言葉とは「記述、あるいは自己の表現」なのか「コミュ...
なぜなら、「記述」もまた、「伝達」を目的としているからで...
要するに人は誰かに何かを伝えたいから、「言葉」を発するの...
「誰か」は、「他人」かもしれませんし、「自分自身」かもし...
「何か」は、自分の気持ちかもしれませんし、科学的な論述な...
とにかく、言葉を発するからには、「誰か」に伝わり、そして...
たとえ、「独り言」であっても、必ず「聞き手」がいるのです。
(ウチの「独り言」も、当然、読者を想定しているわけですね...
例えば、「明日、7時に○○駅」なんていうメモ書きでも、「読...
もちろん、「明日の自分」でしょう。
ですから、「言葉」の意味は「聞き手」が決めるのですが、必...
という、実に当たり前の話なのですが、この点を忘れるわけに...
「意味は聞き手が決めるものである」
という、記号学的な、そして現代的な発想を推し進めていくと...
「人はあらゆるものに意味を見出さなくてはいられない」
「人間とは意味という病に侵された存在」
といった、記号学的なテーゼは、もちろん重要ですが、それと...
ここまで進めてきますと、柄谷行人や立川健二などの言う「教...
さて、「話す」という行為、或いは「書く」という行為には、...
これによって、デリダの言う「差延(deferance)」は生じるのだ...
つまり、「最初の読者は必ず作者である」ということです。
言い換えると、「最初に意味を決めるのは作者」ということに...
ここで、「作者」に特権的な「地位」が誕生するきっかけがあ...
このことを確認しておきましょう。
そして、「聴く立場」に戻ります。
「意味を決めるのは聞き手」なのですが、そもそもの「言葉の...
もちろん、それは常に成功を収めるのではなく、往々にして失...
失敗することで、「他者」という、私たちにとって重要な概念...
レヴィナスに言わせれば、「他者を自己に取り込む」作業に他...
また、「話し手」と「聞き手」が「意味」を共有する為には、...
もちろん、愛し合う恋人同士なら、二人だけのルールがあって...
まさに「ツーといえばカー」もしくは「阿吽」なわけです。
それでもやはり「慣習」とか「規則」はあって、彼らもそれに...
さて、そのような「慣習」や「規則」を共有する中で、特権的...
それは、スチュアート・ホールのいう「オーディエンス」の有...
「これこれはこういう意味である」という、強力なルールによ...
(そして「文学作品」でかつて強力なルールとなったのは「作...
そのルール自体には、なんら「本来的」「根源的」「本質的」...
でもその「拘束」があるからこそ、「話し手」と「聞き手」は...
さて、「歴史(史実の探究)の方法」というテーマに進みまし...
私たちは、例えば『三国志』の「予想された読者」「語られる...
ですから、私たちの流儀といいますか「規則」や「慣習」で、...
もちろん、「歴史」のもうひとつの仕事―史実への評価―という...
それとこれとは話が別です。
私たちは例えば『三国志』は、陳寿のルールで読まなくてはな...
これは、以前もお話したとおりですね。
そして、陳寿のルールで読む為のひとつとして、私は「用例調...
もちろん、その方法にまったく問題がないわけではありません。
用法の弁別の為の最善の方法も、いまだ見出してはおりません。
「対照言語学」「言語類型論」「生成文法」なども参考になる...
もちろん「計量言語学」や「計量文体論」も。
ここらあたりが、「来年の課題」ですね。
17-Nov-2002
今回は、「用例調査」という方法について考えて見ます。
用例調査といえば、古田氏の『「邪馬台国」はなかった』での...
今日は、この「方法」の持つ意味といいますか、意義といいま...
どうして「用例調査」を行うのか。
「用例調査」によって何がわかるのか。
何はわからないのか。
つまり、そういったことですね。
これを私なりに考えてみたいと思うのです。
まず、古田氏が初めに行った「壹」と「臺」の調査ですが、こ...
(何もこの方法は古田氏とその影響を受けた人々だけが行って...
さて、「壹」と「臺」の用例調査は他と何が違うのかといいま...
全『三国志』のテクストの中には、全部で86個の「壹」と58個...
このうち、「邪馬壹国」1例、「壹与」3例を除くと、「壹」→「...
すなわち、「邪馬壹国」の「壹」を「臺」に偶然書き誤ったと...
当時、「字形が似ているから偶然書き誤ったのだろう」という...
そういえば、MM3210さんのHPで確率を計算しておられましたね。
こういうわけですから、古田氏のこの調査は、純粋に記述統計...
次に、用例調査というか、用法調査とでも言うべきものがあり...
これは、私もよく行います。
最近では隋書の「達」の用法を調査しましたね。
あの結果はまだ事情があってUpしていないのですが。
これを調査するということの意味をここでは考えてみたい、と...
「何を調査したいのか」
まず、これを明らかにしておきましょう。
ことばには、「使い方」というものが存在します。
以前から何度も申し上げていますとおり、「意味は読み手が決...
なぜなら、私は「作者」と共通の時代認識・常識・知識・慣習...
ですから、私は必ずしも「作者」と共通の「言葉の使い方」を...
多くの場合には、ある程度共通しているものですが、少なくと...
従って、「作者」の用法を知る必要がある。
現代の私の用法ではなく、当時の「作者の用法」を、です。
その為のひとつの方法として、同一作品の中の用法を調べ、そ...
さて、ここで問題があります。
それは、「用例調査」を行っているのは、あくまで「現代の私...
結局のところ、一つ一つの用例を解釈し、分類しているのは、...
ここで、「現代の私」の知識が入り込む恐れがあります。
そういえば、森博達氏が『日本書紀の謎を解く』の中で、日本...
まさに、この点が問題なのです。
従って、私たちは、用法の区分に明確な基準を設けるべく、そ...
今のところ、最善の方法はわかりません。
計量言語学における「語彙統計」が参考になりそうですが、こ...
何よりも、計量言語学は「はじめから意味を承知している」の...
「何を意味しているか」という問いに答える手段ではありませ...
私は「用例調査」という方法をよく使いますが、「肝心なとこ...
ほとんどの場合は、それでも何とか、それなりの結論を得られ...
これが、今の私にとってのひとつの課題だと思っています。
09-Nov-2002
今日は、MM3210氏の「邪馬台国ファンを惑わす誤り―2.古田武...
古田氏は、『「邪馬台国」はなかった』において、魏志倭人伝...
MM3210氏は、この点への批判を述べています。
MM3210氏の論点は、つまるところ以下の点にあります。
(1)魏が帯方郡を平定したのは公孫淵誅殺【後】である(「...
(2)公孫淵が誅殺されたのは景初2年8月23日である(「...
従って、景初二年六月の段階で、倭国が魏の帯方郡へ使者を送...
だから、古田氏の説は誤りである、というわけです。
では、上記1,2の論点について、関連する史料を挙げ、確認...
(1) (景初元年)秋七月丁卯、司徒陳矯薨ず。孫権、将朱...
(2) (景初)二年春正月、太尉司馬宣王に詔して、衆を帥...
(3) (景初二年八月)丙寅、司馬宣王、公孫淵を襄平に囲...
(4) (景初)三年春正月丁亥、太尉宣王、還りて河内に至...
(5) 帝、曰く「往還、幾日か」(司馬宣王)対えて曰く「...
(6) 景初元年、乃ち、幽州刺史毋丘倹等を遣わし、璽書を...
(7) 公孫淵、逆し、倹と戦う。不利にして、引き還る。明...
(8) 而るに公孫淵、父祖三世に仍りて遼東を有す。天子其...
(9) 景初二年、太尉司馬宣王、衆を率い公孫淵を討つ。宮...
(10) 景初中、明帝密かに帯方太守劉[日斤]・楽浪太守鮮于...
(11) 景初二年六月、倭女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣...
まず、帝紀を見て見ましょう。1では、公孫淵が反旗を翻し、...
それに続き、2で司馬懿が公孫淵討伐に出発したのが、翌年正...
その後、4で洛陽に凱旋したのが景初三年正月のようです。
大まかな経緯は、以上のようで間違いないと考えられます。
ちなみに、5の史料は三国志ではありませんが、注に引用され...
実際に帝紀の上でもほぼ同様な期間です。参考にはなるでしょ...
おおよそ、MM3210氏もこの点においては、同じ見方といってい...
さて、問題の帯方郡制定ですが、これらの文面からは何ともい...
古田氏の指摘のように、10の韓伝の記述からは、緊迫した情...
「完全制圧」が公孫淵誅殺の前だとは、この記述からはいえま...
さて、MM3210氏の理路は、先に示したとおりだと認識していま...
かなり「インテンショナル」というか、古田氏の「故意」を主...
古田氏が「太平の史家」と批判した、まさに同じ理路です。
古田氏の読解にも確かに誤解が含まれています。
司馬懿が洛陽に戻ったのは、ご指摘のとおり、景初三年正月で...
おそらくは、帝紀の八月の項からの類推なのでしょう。
MM3210氏のいうような「故意」であるかどうかは、私にはわか...
もしも、古田氏の「故意」を主張することによって、古田氏に...
「故意」を主張するにしては、その「証拠」も少ない。
おそらく善意に解すれば、「誤解」程度のものでさえも、悪意...
もしも、古田氏が「故意」に司馬懿の凱旋を八月に「読み違え...
実際のところ、別に、影響は無いのです。
それなのに、わざわざ・・・。
古田氏はなんという無益なウソをつくのでしょう。
「六月において大勢は決していた」についても、同様で、「大...
ですが、そうでなければ、「戦中遣使」という概念が成立しな...
MM3210氏の言うとおり、六月時点では大勢が決していないので...
まぁ、あまりこの点ばかりを指摘しても、議論は前に進みませ...
「公孫淵誅殺後でなければ、倭国は帯方郡を通じて魏へ遣使で...
私は、公孫淵誅殺前であっても、帯方郡経由で魏へ遣使するこ...
私の理解では、古田氏の言う「戦中遣使」説が、この帯方郡制...
公孫淵健在中は倭国が魏の帯方郡へ使者を送ることはできない...
そうでなくてはそういう理路は成立できない。
ですが、帯方郡や楽浪郡は、公孫淵に従って魏に抵抗しようと...
劉[日斤]にしても劉夏にしても、少なくとも景初中の帯方郡太...
(そのことによって、「激動の人生」を歩むことになったのか...
その中での「戦中遣使」は、大いにありうるだろうと思います。
勘違いしていただいては困るのは、「景初二年」というのは、...
この文面が間違いである、と主張したいのであれば、「景初二...
ですが、文面どおりに理解しているだけの古田氏や私にとって...
この点、あくまで『三国志』に基づいて、古代史を研究する私...
(『三国志』に間違いがない、と主張したいのではありません)
20-Oct-2002
今日は、「虚構言語行為論」について考えたいと思います。
「虚構の言述(fictional discouse)」とは、つまり、小説や物...
私たちは、何かを発言するとき、必ず何かの行為を行っていま...
「約束」や「命令」などは、そのわかりやすい例ですが、たと...
このような見方によってJ.L.オースティンは、「言語行為論」...
そのオースティンも「虚構の言述」に関しては、差し当たって...
オースティンに拠れば、「虚構の言述」(小説を「書く」行為...
これを「記述的言語」もしくは「日常的言語」と「詩的言語」...
この際、P.ヴァレリーやマラルメ等は、はっきりと「詩的言語...
さて、オースティンの後継者であるJ.R.サールは、この「虚構...
まず、サールは「虚構の言述」に対する次の立場を批判します。
それは、「虚構の言述は、小説を「書く」あるいは「物語る」...
この立場に従えば、たとえば「私は彼を覚えている」という文...
文の意味と行為は「関数関係」にあると見るのが、サールの根...
もしも「フィクションとノン・フィクションでは、文の意味が...
これに対し、サールは、虚構の言述における「主張」は「偽装...
「私は彼を覚えている」という文章がフィクションの中で使わ...
ところが、これには問題があります。
野家啓一は、サールのこの主張は、結局フィクションとノン・...
なるほど、サールは、確かに「フィクションの言述」と「ノン...
つまり、文面だけでは「フィクションとノン・フィクションは...
だとすれば、サールが「発話者の意図」に還元してしまった「...
さて、その野家は、「虚構言語行為」は、「引用」という特徴...
古典的な「物語」や口承伝承がそうであるように、「昔々ある...
「引用」の場合には、「引用者」はその内容についての何の責...
同じように、小説の場合も、基本的には、「引用」という形で...
もちろん、現代の前衛的な小説の冒頭が、引用で始まるなどと...
しかし、この野家の主張も残念ながら、サールと同じ「背理」...
その「前衛的な」小説をフィクションたらしめているのは何か...
次に、G.ジュネットは、虚構の言述について、これは複数の言...
「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」とい...
言い換えると、作者は「私はこの文面で持って虚構的に『昔々...
なるほど、この説も説得力を持ちます。
ですが、おそらく、サールの反駁を免れないでしょう。
この主張によっても、「フィクション用の意味」と「ノン・フ...
さて、サールはフィクションとノン・フィクションの間に文体...
一方、野家は、典型的な「物語」には、「引用」という文体的...
要するに、「引用」が本来で、今の小説はその発展型である、...
ここで、意味に関する重要な視点を思い出したいと思います。
「意味は聞き手が決めるものである」
これです。
「虚構が虚構として成立する為には、聞き手によって虚構と見...
のです。
ひとつ、興味深い事例を挙げましょう。
「1938年10月30日、夕刻8時ごろ、アメリカのコロンビア放...
これは、社会心理学で「群集心理」の「パニック現象」の典型...
心理学の教科書には大抵載っているでしょう。
(実際、学生時代の教科書からの引用です)
ここで注目すべきなのは、このパニック現象の真の原因です。
つまり、「虚構が虚構として聞かれなかった」ということなの...
サールも野家も、この視点を欠いているように思えます。
典型的な物語が「昔々あるところに」で始まるのは、語り手の...
聞き手に、それが「虚構である」と理解させる為なのです。
そして、コロンビア放送の例のように、小説の場合、それを伝...
私たちは普通、小説は始めから「これは小説だ」とわかって読...
始めから「小説を読む」という行為を、十分承知の上で行って...
そうさせるのは、「作者の名前」や「作品の評判」「出版社」...
P.ブルデューや、S.シュミットの文学現象という問題意識が重...
さて、なぜ私がこのような問題を考え出したのか、をお話しま...
それは、もちろん、『日本書紀』です。
ここまでの話を踏まえれば、『日本書紀』は、「虚構」という...
むしろ、「虚偽」なのでしょうか。
一方、神話は、どうなのでしょうか。
「虚構」にくくれるもの、くくれないものの両方があるような...
結局のところ、「虚構言語行為論」から、『日本書紀』に迫ろ...
まぁ、しかし、「虚構言語行為論」。
これも、なかなかに興味深いものだと思います。
06-Oct-2002
今回は、上野千鶴子、そして野家啓一の歴史観を批判したいと...
まず、上野千鶴子は、フェミニズム活動の中心的な一人として...
彼女は、所謂ポストモダン的な視点から、(西尾幹二や藤岡信也...
所謂実証主義が、いかに「政治的・権力的・男性中心主義・西...
これは、ポストモダンのひとつの大きな潮流でした。
歴史のプロット化やメタ・ヒストリーを主唱するヘイドン・ホ...
スピヴァックやサイードなどは、「ポストコロニアル(「植民地...
また、ブローデルの歴史観も、地中海の民衆の生活に深く入り...
同じように、ウォーラーステインの世界システム論も、そもそ...
このように、私たちの素朴な歴史観の中に根付く、「政治的・...
上野の批判も、基本的には同じ流れの上に立つものと見ること...
さて、上野は、「実証主義」が「文書至上主義」に陥っている...
これはつまり、所謂「自由主義史観」論者が、「従軍慰安婦強...
「公文書がない」=「十分な証拠能力がない」という論理が「文...
これは、もっともなことです。
「従軍慰安婦問題」には、「当事者の証言」があります。
ハッキリ言うと、私たちのように「史料に渇望した」古代史の...
ふむ。
私は今まで自分のことを「実証主義者」だと思っていましたが...
彼女の言う「実証主義者」は、この「喉から手が出るほどほし...
いささか、シニカルな言い方になりますが、彼女は「敵」を見...
彼女の敵は「普通の実証主義者」ではなく、「三流の実証主義...
この意味で、彼女が吉見や鈴木を標的にしたのは、正しいとは...
また、「実証主義」そのものを否定しようと試みたことは、彼...
彼女は、「従軍慰安婦の当事者の証言」を何の批判的・客観的...
そうだとすれば、逆に、上野千鶴子という「政治的活動家(客観...
もはや彼女は「歴史」だとか「事実」だとか、そういうことを...
やや、挑発的になりました。
もちろん、彼女がそのように考えているとは思いません。
要するに、彼女の敵は、「実証主義を貫徹できない実証主義者...
もちろん、「実証主義者」の中にも「公文書中心主義」「西欧...
(ここに、古田武彦の言う「天皇家中心主義」を加える必要もあ...
上野は「当事者の証言」を重視します。
これは、何も「実証主義」に反する概念ではなく、むしろ、「...
オーラル・ヒストリーとは、「実証主義」のためにある言葉な...
まずはこのことを確認しておきましょう。
次に、野家啓一です。
彼は、アーサー・ダントの「物語論」に従い、「物語行為」を...
人が何かを「物語る」のは、人間にとって非常に重要な行為で...
(同じように「科学」の持つ「物語性」も彼の視野に入っていま...
彼に言わせれば、「客観的な事実」という意味の「史実」を語...
もっとも、彼が最大の標的にしているのは、ヘーゲルの歴史哲...
「素朴な実証主義」はその標的にはなっていませんが、「客観...
もちろん、日本の戦後史学はマルクス主義的な歴史観を「発展...
むしろ、クローチェやコリングウッド、E.H.カーが言うように...
この営み自体を否定しようというつもりはありません。
野家の指摘も興味深いものです。
ですが、私は、「だからどうした」という反問を抑えることが...
「開き直り」では、どうも、ないようです。
つまり、野家に限らず、「客観性」への懐疑的な態度は、あく...
自らを「客観的」と信じていた無邪気な「理性」への反駁では...
要するに、Y=1/Xという式を発見して、「だからYは0には絶対に...
ですが、だからといって「Yを限りなく0に近づけようとする試...
「客観的な事実」「本来的な事実」は無いんだ、というポスト...
私の「根拠のない信念」は、「客観性を目指すこと」に他なり...
さて、いつかもお話したことがありますが、歴史には二つの仕...
ひとつは「史実の探究」。
もうひとつは「史実への評価」です。
私が「客観性」を目指すのは、あくまで「史実の探究」です。
野家の「物語論」を始めとして、この「区別」が必ずしもはっ...
その理由のひとつに、所謂「歴史哲学」や「歴史の方法論」を...
ハッキリ言うと、「史実の探究」が見るからに困難な状況にあ...
「史料」に飢えることを知らず、「史料」に飽きる、飽食の時...
ですから、「評価」が歴史家にとって大事な仕事である、と考...
もちろん、古代史に関しても、「評価」こそが歴史家の仕事だ...
「史料の探究」「史実の探究」は、文献屋の仕事だ、というわ...
要するに、彼ら(ヘーゲルにしてもランケにしてもベルンハイム...
この点は、私たちが歴史の方法を考える上で見落としてはなら...
22-Sep-2002
「文献批判について」第7回ですね。
予告どおり「テクストとテクストの影響について」です。
まずは、主にジュリア・クリステヴァの「間テクスト性」の概...
クリステヴァは、ソシュール、バフチン、フロイトのテクスト...
彼女は「間テクスト性(l'Intertextulite)」について、「あら...
すでにバフチンは、テクストの「多声性」「ポリフォニー」「...
これを受け、クリステヴァは、テクストが(たとえどんなに自己...
しかし、これは、伝統的な文学批評の方法とは少し異なります。
テクストがテクストに及ぼす影響、というと、つい、「先行す...
「後続のテクスト」が「先行するテクスト」の読解を変形する...
つまり、『魏志倭人伝』に影響を及ぼすのは『漢書』や『史記...
「意味を決めるのは読者」と、私はこれまで繰り返してきまし...
「読者」が「意味」を「決める(生成する)」過程において、「...
これがクリステヴァの強調する「間テクスト性」でした。
クリステヴァの問題意識は、ハッキリと「読者の立場=聴く立場...
この点、土田知則『現代文学理論』では、誤解があるように見...
土田は、「間テクスト性」の審級として、デーレンバックの理...
一般的な間テクスト性・・・作者Aのテクストaと作者Bのテク...
制限的な間テクスト性・・・作者Aのテクストaと同作者のテク...
自己的な間テクスト性・・・作者Aのテクストaとテクストa'の...
という3つを挙げましたが、これは「作者の立場」と「読者の立...
もちろん、このような概念自体は必要です。
しかし、これはクリステヴァの問題意識とは違うのだという気...
「読む立場」に立った「間テクスト性」の議論は、バーバラ・...
こういった、「読む立場」からの「間テクスト性」の問題は、...
我々は意識する/しないに関わらず、あるテクストの読みにおい...
特に、『魏志倭人伝』に対する『記紀』の影響、もしくは、「...
これが「間テクスト性」の問題の第1点です。
次に、先ほど批判した「作者の立場」に立つことにしましょう。
ここでは、土田知則=デーレンバックの審級が、意味を持ちます。
しかし、この点は、実は伝統的な実証主義の精神によって、か...
例えば、『日本書紀』における先行テクストの影響(例えば、『...
『魏志倭人伝』に対する『魏略』などもそのひとつでしょうか。
ですが、我々は「作者」つまり「書くこと」について、もうひ...
それは、「我々は書くと同時に読む」ということです。
もしくは「作品の最初の読者は作者である」と言い換えてもい...
この作用によって、土田=デーレンバックの言う第3の審級、も...
他ならぬ『日本書紀』が『日本書紀』に影響を及ぼす、という...
ましてや、『日本書紀』は個人の著作ではありません。
より複雑な「内的差異」を持つテクストであろう事は容易に想...
この差異を「著者」の違いに真っ直ぐに還元することは、以上...
同一の著者であっても差異が生じることは大いにありうること...
これが、「間テクスト性」の問題の第2点。
さらに、「作者は、作者であると同時に読者である」という点...
「書くこと」に作者の知識が影響を及ぼすことは容易に想像で...
そして、その「知識」が他のテクストによってもたらされたこ...
ですが、作者にとっては、その「他のテクストの読み」が、す...
単純な「誤読」で片付けられるもの(例えば、范曄の『魏志倭人...
また、その読解によるテクストが、もとのテクストよりも大き...
『後漢書』の范曄による『魏志倭人伝』読解が、『魏志倭人伝...
さて、最後に「メタフィクション」もしくは「パロディ」研究...
これは、「作者の立場」からの「間テクスト性」研究に大きな...
所謂「狭義のメタフィクション」「パロディ」は、「引用」「...
これらの研究は、例えば、『日本書紀』研究においてもなされ...
他にも中国側史書の多くが先行する史書の「模倣」もしくは「...
ここで重要なのは、「パロディ」における「読者の役割」です。
「パロディ」が「パロディ」として成り立つ為には、「読者」...
「読者」は、「パロディ」として「テクスト」を読むと同時に...
そして、「パロディ作品」が「もとのテクストのパロディであ...
これは、何も「大々的なパロディ作品」のことを言っているの...
例えば、万葉集において、同じような文句が、歌として現れま...
『日本書紀』が『芸文類聚』の文を採ったことに、どのような...
単に「修飾」の為、というだけの評価しか下せないのでは、実...
こういった点への配慮は、もちろん、今までの「記紀研究」に...
改めて重要性を痛感している、というところです。
・・・やっと、「古代史」の話に戻ってこれましたね。
今後は、更に「文献批判の方法」を詰めていきたいと思います。
では。
16-Sep-2002
「文献批判について」第6回です。
今回は、「知識」というものについて、考えて見ます。
今まで、私は「読む」という行為、「書く」という行為が各々...
ここで言う「知識」とは、非常に広範な概念だと思ってくださ...
「慣習」「経験」「常識」「他者の目」「価値判断」「類推」...
私は今、ブルデューの「ハビトゥス」、ホールの「オーディエ...
要するに、純粋に自己の内部にある(と見なされている)個人的...
そして、この「知識」は、読むことによって「変容」します。
あるときは新たな発見として、あるときは既有知識を補強する...
肝心なことは、「読む」ことによって起こる「変容」は、「書...
「意味は読み手が決める」のです。
むしろ、書き手とは反対の意見を強めることもあります。
いずれにせよ、「読む」ことによって、知識は変容するのです。
つまり、「読む」ことには「知識」が関わり、そして、「読む...
こういう両方の関係があります。
さて、「知識」は、どのようにして形成されていくのでしょう...
ひとつには、今申し上げたとおり、「読む」もしくは「聞く」...
他には、「見る」「味わう」「嗅ぐ」「体験する」などが考え...
しかし、もうひとつあります。
「書く」「話す」ことです。
私たちは、「書く」ときに、必ず、「読んで」います。
もしくは、「聞いて」います。
これを行わないと、「書け」ないのです。
まず、自分の書いたことを読んでいないと、自分の文章の誤り...
これは、「モニタリング機能」といって、必ず自身の作り出す...
もちろん、「推敲」といわれるチェックも行われます。
ですから、「書く」には必ず「読む」が含まれるといっていい...
ここで、「自らの文章を読む」という作業でも、知識の変容は...
よく「書くことで思考が深まる」といいますが、つまり、そう...
こう書いてくると、デリダの言う「差延(deferance)」なる概念...
つまり、「人の知識は書いている間にも変容する」のですから...
問題意識がハッキリしたり、ちょっとだけ問題に対する「温度...
(余談ですが、よく「一人で愚痴って最後には一人で納得するこ...
そしてその「変容」は必ず「書いた」後に起こるのですから、...
この「差異」+「遅延」の概念がデリダの言う「差延」でした。
さて、私たちは常に何かを見ています。何かを聞いています。...
これらすべてが「知識の変容」に関わるのだとすれば、「知識...
すでに言語に対してはそのような見方がされています。
ソシュールは、「通時態」という概念により、これを表現しま...
また、サピアは「ドリフト」という概念により、これを示しま...
いずれも、「言語は常に変化する。一定の形をとどめているこ...
これは当然ながら(言語=思考という極端な言語相対性仮説に拠...
このような「知識変容のダイナミズム」を所謂「ポスト構造主...
ですから、そのような見地から、クリステヴァの「間テクスト...
「間テクスト性」とは、つまり、「他のテクストがあるテクス...
これについては、また述べることにします。
さて、「思考」についても、少し考えて見ます。
ズバリ言うと「考えることは自分に話すこと」です。
もちろん、視覚的な思考というものは存在しています。
心理学的にも多くの実験により確かめられています。
それを否定はしません。
結局は何かを「イメージする」ということは、「頭の中で」同...
たとえば「イメージトレーニング」も同様です。
訓練をすると、「イメージする」ことによって、運動神経・筋...
(「運動準備」という状態に神経をさらすことによって、実際に...
そして、私たちにとって、たいていの経験は言語を伴って記憶...
とくに、冷静に、論理的にものを考えようとすれば、「言語」...
こう考えると、思考(内言)は、常に「対話的」でなければなら...
また、「考える為には二人でなければならない」といったヴァ...
(「『私が』『私に』話すのである以上、前の『私』は後の『私...
ですが、先ほども申し上げたとおり、「書く」「話す」という...
要するにヴァレリーの言う「内的差異」は、結局はデリダの言...
ふむ。
「古代史」の話からはだいぶそれました。
次は本当に、ここまでのお話を踏まえての「史料批判」の方法...
お題目を決めておきます。
「テクストとテクストの影響について」です。
お楽しみに(笑)。
08-Sep-2002
昨日今日(2002.9.7~9.8)と、西さんトコの「考古文化研究会」...
・・・というわけで、旅日記風に書いてみたいと思います。
2002.9.7
朝、9:00に神奈川県大和市の自宅より出発。
10:36発の新幹線「のぞみ」にて、京都へ。
12:37、京都に到着。ここから近鉄に乗り換え、奈良県橿原に向...
西さんとの待ち合わせは、14:00。
ここまでは、予定通り。順調だけど、天気予報で降水確率50%と...
近鉄西大寺駅で、橿原線に乗り換え。
しばらくすると、予報どおりの雨。しかも、大雨。
・・・とおもったら、この雨はすぐに止んで、日差しがさして...
変な天気。
待ち合わせていた「八木駅」に到着。
西さんの携帯に連絡する。ちょっとすれ違ったりしてるうちに...
西さんご夫婦と合流し、早速、西さんの車で移動。
この雨だから、古墳めぐりの予定を変更して、資料館に案内し...
「田原本町郷土資料展示室」(「中央体育館」内)に到着。
有名な唐子・鍵遺跡の展示を行っている。
西さんの解説つきで、展示を閲覧。土器の編年の見わけ方など...
また、展示では何も書いていなかったが、西さんに拠れば、「...
見ている間に雨が上がった。
おまけ:展示室の方も、親切な方で、たっぷり「解説」してい...
次に、「桜井市埋蔵文化財センター」へ。
須恵器の古いものの見わけ方を、西さんの奥さんから教えても...
雨も上がったことだし、箸墓を見る。
車でぐるっと回りながら、見た。その後、車を停めて、全体を...
実は、私、箸墓見たの初めてなのです。
ふむ、思った以上に、木が生い茂って、何もない感じなのね・...
近くの「ホケノ山」に移動。
ホケノ山古墳の上に登って、三輪山→箸墓を180度見渡す。
三輪山、ホケノ山、箸墓・・・。
西さんが興味深いお話をしてくれた。
でも、ここではひみつ(笑)。
今度は、「金屋の石仏」。
でも、「石仏」は今回の目的ではなく、目的は、石仏のあるお...
肥後ピンク石の石棺の蓋が、「転がって」いた。
こんなところに、無造作に。
西さんから、肥後ピンク石の摂関のお話を聞いた。
肥後ピンク石の石棺はいくつか例があるけれど、本場の肥後に...
でも明らかに九州の工人の手によるものだという。
「製品」を九州から持ってきた・・・らしい。
詳しくは、西さんが書いているからそちらを参考。
いろいろ想像が掻き立てられるけど、慎重に調べないと、ね。
面白い話に発展しそうな感じはする。
西さんの論考をもう一回読んでみようっと。
1日目はこれで終わり。
・・・なわけはなく、飲みに行った。
例によって、飲みすぎる。
2002.9.8
6:30起床。
頭痛。やっぱり飲みすぎましたね。
7:30朝食。
8:30出発。
あ、ちなみに、西さんとは同じホテルに泊まってました。
西さんが私に合わせてくれたのです。
で、西さんと一緒にタクシーで出発。
橿原考古学研究所付属博物館に到着。
物怪守屋さんに会った。
で、河上邦彦さんの講演。
なんでも、河上さん、同博物館の館長になって、「営業」も気...
ま、どこ行っても仕事は大変なものです。
河上さんの講演の内容は、「條ウル神古墳と巨勢谷について」。
スライドを使って、発掘の裏話から、未発表情報まで、楽しい...
12:00に講演は終わり。
西さんに誘われ、河上さんや研究会のスタッフの昼食会にお邪...
ほとんど河上さんの独演状態。
ざっくばらんな気さくな方で、楽しい昼食でした。
「まずいビールの飲み方」から「南朝文化の影響について」ま...
あっという間に15:00。
ここでお開きとなり、西さんたちと別れ、帰途につく。
西さん、ありがとうございました。
さて、これで終わらなかったのです。
帰りの新幹線「のぞみ」が、なぜか静岡に停車。
「あれ?」と思っていると、アナウンスが。
「富士川付近で大雨の為、しばらく運転を見合わせます」
結局、1時間37分遅れで新横浜に到着。
参った・・・。
ふぅ、というわけですので、もう寝ます。
おやすみなさい。
01-Sep-2002
今日も、「文献批判とは」です。もう5回目ですね。
ここまで、20世紀の思想界の状況をざっとですが、見てきまし...
そろそろ、「本業(?)」である、「古代史」のほうへ向って...
はじめに、いつかの図を見ていただきたいと思います。
図参照
この図は、書くこと、そして読むことを一般的な通信モデルを...
実は、すでに似たような図がたくさんあることを知りました。
たとえば、ブルデューは、「ハビトゥス」という概念を用いて...
また、ヤコブソンは、かわにしの図において「テキスト」とさ...
参考としてあげておきます。
図参照
さて、この図において、著者と読者の知識の違いによって、意...
この点をより深く分析してみます。
まず、「意味」とは何でしょうか。
これについては、意味=言及(指示)対象説(意味はそれが指示す...
私は、これらの全てが(意味の一部を言い表しているという意味...
最近注目されるスペルベル&ウィルソンによる「関連性理論」に...
それは、意味は聞き手にとってより重要な、興味を惹く効果を...
「昨日の地震で学校がつぶれた」の意味は、
地震により学校の建物が倒壊した。
学校の経営が行き詰まっており、昨日の地震で(何らかの)...
の、いずれもありえます。この場合、聞き手が「地震があった...
だから、1)の解釈を採ります。もしかしたら、「地震があった...
実は、同じようなことをすでにブルームフィールドが述べてい...
なんにせよ見かけは重要でない物事が、ヨリ重要な物事と...
さて、この立場を突き詰めてみると、結局、このようにいえま...
「意味は聞き手が決めるものである」。
したがって、多くの言語学者が、意識する/しないに関わらず...
これに対し、たとえば、柄谷行人はウィトゲンシュタインの言...
また、立川健二も「誘惑する立場」として、「聴く立場」に対...
彼らの主張は、「意味は聞き手が決めるものである」という概...
また、ウィトゲンシュタインは「意味は聞き手が決めるもので...
(ここらへんは、あくまで「かわにしによる理解」によって、「...
反対に、話し手の立場を強調するのが、「言語行為論」だと、...
その担い手はオースティンやサールです。
オースティンは、全ての発言は、「行為遂行的だ」と言います。
これは、例えば、「わたしは明日9時に会社に行く」と発言した...
また、「危ない」と道路で叫んだら、おそらく、道路を横断し...
そういう意味で、全ての発言は、何らかの行為を含むのです。
端的な例は、「約束」です。
「明日の5時に○○で会いましょう」という、ありふれた約束は、...
まず、この発言は相手に聞かれなくては「約束」として成立し...
これは当たり前ですね。
次に、これは、相手が「約束」として受け取らなくては、「約...
(あまり遠まわしなプロポーズでは、相手が結婚の約束と受け取...
また、この発言をしたからには、少なくとも「明日の5時に○○に...
ところが、仮にこの意思を持たなかったとしたら・・・。
翌日の5時に○○に彼が現れなければ、「約束違反」として彼は責...
そのときに彼が「昨日はああ言ったが、そんな意思はなかった...
それでも、「約束違反」は「約束違反」です。彼の言い訳は通...
これが言葉の持つ威力というものです。
本人の意思とは無関係に、発した瞬間に、威力を持つ、という...
さて、「約束」には、それこそ「お約束」の決まり文句が付き...
それは、自他共に確実に「約束」であることを認識する為に、...
オースティンは、これを慣習として、重視しました。
わたしは、単なる言葉のほかにも、「指きり」や「婚約指輪」...
この慣習は、なにも「約束」という限られた行為にのみ存在す...
オースティンに拠れば、これは行為遂行的発言において、非常...
結局は、話し手と聞き手が、意思の疎通を行う際に、共通の慣...
(ウィトゲンシュタインに言わせれば、それが言語ゲームの規則...
また、現代語用論(pragmatics)の中心をなす、グライスは、次...
発話の内容が発話者にとって何らかの意味があること。
発話の相手がその発話に何らかの意味があることを了承す...
相手がその意味を了承すること。
これらのことを、発話者は了解している必要があるというので...
この「再帰的」な関係は、重要だと思います。
つまり、「発言をするからには、自分にとって意味があること...
実際はそんなに難しいことではありません。
いつもやっているのですから。
現に、わたしも今、それを考慮して、この文章を組み立ててい...
整理しましょう。
もう一度、例の図を見てください。
ここで、必要なのは、
<著者(話し手)から見ると>
1)発話の内容が発話者にとって何らかの意味があること。
2)発話の相手がその発話に何らかの意味があることを了承する...
3)相手がその意味を了承すること。
<読者(聞き手)から見ると>
話し手が以上のことを考慮して発した言葉であることを認識し...
ということになるかと思います。
ここで、もうひとつの概念を追加したいと思います。
ホールの「オーディエンス」という概念です。
これは、主に社会学で、マスコミ研究・大衆文化研究などで使...
文字通り、「聴衆」です。
マスコミにしても、著作物にしても、「読み手」はたくさん存...
ここが通常の言語学が対象とする「会話」とは違う点です。
もちろん、送り手は、同じようにして、メッセージを送ります。
ところが、受け手は一人ではないのですから、そこに様々な解...
当然、受け手は、それぞれに、それぞれにとって「意味のある...
そうすると、受け手は受け手同士で、「解釈のぶつかり合い」...
これはこのままジェンダー・エスニシティといった、ポストモ...
(この問題は、カルチュラル・スタディーズという、ホールを中...
「古代史となんの関係があるんだ」と思った方、いらっしゃい...
でも、よく考えてみると、「史料を読む」という、「歴史学」...
この点をよく踏まえたうえで、なおかつ、「大衆化されたポス...
端的に言うと、私は「読者であることをやめなければならない...
まぁ、続きは、またの機会に・・・。
25-Aug-2002
今日は「文献批判とは―第4回」です。
先日は、記号学・構造主義から、ポストモダニズムまでお話し...
まぁ、あの説明でよくわかったかどうか、不安ですが…。
なんにせよ、「よくわからん」とかでも、広い意味で興味をも...
そして、私の説明の間違い、もしくは、鋭い批判やツッコミな...
さて、今回は、そのポストモダニズム批判に転じたいと思いま...
この批判の急先鋒は、マルクス主義文学批評家にして、哲学者...
彼は、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコー、ジル・ドゥル...
イーグルトンには、『文学とは何か』という、構造主義批判に...
さて、イーグルトンに拠れば、ポストモダニズムは、1980年代...
私の理解により、私の言葉で説明してみたいと思います。
たとえば、デリダが行ったのは、「形而上学批判」ですが、こ...
哲学は、物事の様々な問題を捉え、考えてきました。何によっ...
「人間とは何か」「国家とは何か」「歴史とは何か」「世界と...
これらの問いを発し、考え、解決するのは「理性」であり「知...
そして、哲学は、「知の体系」として確立していきます。
もちろん、考える主体と客体についての考察がないわけではな...
この「知の体系」に疑問を持つものがいました。
それが、ニーチェであり、ハイデガーであり、デリダです。
ここで、デリダは「脱構築」という考えを提示して、現前性の...
「脱構築」で行おうとしているのは、哲学者たちの記述がいか...
このような次第ですから、デリダの問題意識は、決して単純な...
もう、これ以上突っ込まれても私には説明できません(笑)。
また、フーコーは、エピステーメという概念によって、「権力...
ドゥルーズは、形而上学的な樹形図(tree)構造の概念に対し、...
ツリー構造という言い方をするとわかりやすい方もいるかと思...
たとえば、生物の進化の樹形図とか、チョムスキー的な文法の...
これに対し、リゾームとは、任意のある一点が別の任意の一点...
もちろん、構造そのものが問題・・・というよりは、むしろ、...
彼らの考えを積極的に取り入れることで、「大衆化されたポス...
たとえば、「脱構築」「現前の形而上学」「知の権力」「エピ...
その結果、ポストモダニズムは以下のスローガンとも言えるテ...
反本質主義(anti-essentialsm):たとえば、ジェンダー(社...
客観的言説の否定:全ての言説は、あらゆる価値判断に影...
政治性、権力への関心:言説の持つ権力構造に注目し、あ...
これらは、「批判勢力」として存在する分には、それほど問題...
ですが、ひとたび、隆盛すれば様々な弊害を生むことになりま...
たとえば、1の概念は、それ自体としては重要な概念です。ま...
ですがひとたび「全てのものは反本質的(社会により構築された...
なぜなら、この発言は「全てのものは反本質的という本質を持...
また、形而上学はだめだ、とか、真理などない、とか、中心を...
この2項対立は、まさにデリダの批判した「現前の形而上学」の...
さて、本筋の話に入ります。
歴史学の方法とは、というテーマです。
そもそも私が統計学→言語学→文学理論→哲学と旅をしてきたのは...
もっと切実には、「日本書紀をどう読んだらいいのか」という...
今後、少しずつ、私の考えを述べていきたいと思います。
とりあえず、今日はここまでにしておきましょうか。
では。
18-Aug-2002
今日も「文献批判とは―第3回」です。
今日は、20世紀になって発展してきた哲学・思想的状況を見て...
なぜ、そんなことをするのか、というと、当然ですが、史料と...
私も、ここ数ヶ月の間で学び取ったことを、少しずつですが、...
しばらく、お付き合いくださいませ。
さて、20世紀の思想状況を反映する言葉として、「言語論的転...
伝統的な経験論、観念論の哲学体系は、観念と実在、あるいは...
これに対し、フッサールの現象学に代表されるように、実在・...
目の前にあるりんごは、本当に目の前に実在しているかは知ら...
こういう考え方です。
このような次第で、哲学の記述の対象は、観念から(精神の表...
これが、第1の意味での「言語論的転回」です。
その後、スイスのソシュールという言語学者が、画期的な言語...
ソシュール以前の言語観は「言語名称目録観」あるいは「博物...
どのようなものかというと、「世界には先に意味があり、それ...
「ワンワンと吠える人間に飼いならされた動物」という意味・...
ソシュールはそうではなくて、「イヌ」という言葉を使うよう...
つまり、こういうことです。
「イヌ」と「オオカミ」の違いは、「イヌ」と「オオカミ」が...
このことによって、言語学は飛躍的に発展しました。
また、この考え方は、言葉に限らず、「記号」という概念とし...
これを「記号論」と呼びます。
ソシュールは「記号」について、構造的な理解を進めました。
まず記号(シーニュ、sign)には、記号表現(シニフィアン、s...
これは、言葉と実物の関係では決してなく、あくまで心的なも...
このシーニュは、言語システムを構成する重要な要素です。
ここで重要なのですが、この言語システムは、シーニュの総和...
シーニュの単体は実体を持つものではなく、他のシーニュとの...
このような「差異のシステム」として言語構造を形作ったのが...
さて、このような「差異のシステム」「関係のシステム」とい...
このように、物事の構造を捉えようとする試みは、主にフラン...
レヴィ=ストロースは、「構造人類学」という学問を打ち立てま...
他にジャック・ラカンは「精神分析」で、ヤコブソンは「音韻...
また、ロラン・バルトは「物語の構造分析」を行ったし、アル...
それぞれ重要な人物なのですが、いずれお話したいと思います。
実は構造主義という潮流には、もうひとつの概念が内在してい...
これがポスト構造主義という概念で、構造主義の作り出す構造...
なんのこっちゃとお思いかもしれません。
私も理解した限りで説明させていただきます。
そもそもソシュールは言語研究の持つ二つの側面を提示してい...
「共時態」「通時態」と言われるもので、よく「記述的」「歴...
「ぱっと見」「ぱっと聞き」はそんな感じだと思ってください。
詳しく言うと、言語というのは長い時間の流れで見ると、すこ...
ですが、わたしたちは自分の使っている言語が変化していると...
言語はすこしずつ、しかし常に変化します。使っている本人も...
この「ある人が使っている(変化していない)言語」について...
「長いスパンで変化していく言語」を研究するのが「通時態」。
ということです。
構造主義はこの「共時態」研究に対応するものです。
ポスト構造主義は「通時態」研究に対応します。「ポスト」な...
(この名称はアメリカがフランスからこの潮流を輸入した際に...
ですから、ラカンもバルトもポスト構造主義者とも呼ばれます。
このポスト構造主義の影響を受け、デリダ・オースティン・ク...
彼らの影響を受け、社会学などの人文系の学問で、認識論の転...
これが、第2の「言語論的転回」です。
「読むという行為、書くという行為は、社会的・個人的価値観...
「ジェンダー(社会的に構築される性、「男らしさ」「女らし...
といった点に注意を払うのが、「言語派」「ポスト・モダン」...
これにより、社会学をはじめとする人文系学問は、様々な認識...
歴史学も例外ではありません。
このような歴史学の認識論の転換を求める論者に上野千鶴子、...
彼らについては、またお話します。
今日はここまで!!
あ、「かわにしの、かわにしによる、かわにしのための用語集...
暫定公開しておきます。よろしければ、ご覧ください。
04-Aug-2002
今日は、「文献批判とは―第2回」です。
何回まで続くかわかりません(笑)。
今回は、「歴史の史料とは」ということで、考えてみます。
ラングロア&セニョボスは、『歴史学研究入門』という本のな...
「歴史は史料で作られる。史料とは、むかしの人間が残した思...
これは、近代実証主義歴史学における根本的概念といっていい...
「歴史」というのは、つまり「史料」なのです。
さて、ラングロア&セニョボスは、史料について以下のように...
(1)直接的な体験・・・今日地震がおきた、とか、昨日の天...
(2)間接的な伝達・・・自分の目では見ていないけれども、...
(2.1)物理的史料・・・地震の残骸やNYテロの残骸、アフ...
(2.2)精神的史料・・・歴史書や日記、手記、碑文、手紙...
大方、このような分類で、たしかに、正しいでしょう。
所謂文献史学が対象とするのは、2.2の精神的史料です。
さて、これもさらに細分化することが出来ます。
(編年史、日記・・・という分類もありますが、今は、私なり...
(2.2.1)「過去に起こった事実」の記述を意図している...
(2.2.2)「過去に起こった事実」の記述を意図していな...
このような分類です。
「過去に起こった事実」というのは、読んでのとおりで、どん...
つまり、日記・歴史書・新聞などの事件報道などです。
また、より厳密に考えれば、「現在の出来事」も同じであると...
なぜなら、「今」という概念は、私たちの通常の意味では一定...
1秒前でも一瞬でも刹那でも、過去は過去、というわけです。
また、書いた本人が体験したか否か、によって更に下位区分が...
(2.2.1.1)書き手が体験したもの
(2.2.1.2)書き手は体験していないもの
さて、過去に起こった事実の記述を意図していないものとは、...
これは当然、小説や詩などの文学作品や、あるいは、論文や演...
ほかには、命令書や立て札・荷札などもこの類のものでしょう。
しかし、論文にしてもエッセイにしても、手紙にしても、「過...
ですから、ひとつの文書の中でも、この区分は分かれるのだと...
最初のセンテンスは2.2.1に、次のセンテンスは2.2....
さて、「過去の事実を記述する意図が無い」ものは、歴史資料...
そんなことはありません。
当然ながら、そこには、史料として価値のある記述が含まれて...
むしろ、「直接史料」として価値があると見ることも可能です。
(古田武彦が『万葉集』の歌に価値を見出すように)
どのような部分に含まれるのかといえば、たとえば、「漱石」...
どうしたって、当時の時代背景が私たちの前に浮かんできます。
漱石にしても鴎外にしても、歴史事実の記述をする意図は無く...
私たちが「歴史」を感じるのは、どんなときでしょうか。
テレビドラマの再放送を見て、「歴史」を感じたことはありま...
たとえば、主人公の使っている携帯電話が異常に大きく感じた...
「黒電話」や「ガチャガチャ回すチャンネルのテレビ」や、「...
(いまに、「分厚いテレビ」もその仲間入り・・・でしょうか...
もうすこし、突っ込んで言うと、この文章も、おそらく何十年...
なぜなら、「携帯電話が異常に大きく感じ」る背景には、「200...
このような現象が起こるのは、先日の「モデル」が関わります。
あの図で「著者の知識」と「読者の知識」のギャップ・・・そ...
理論的には、ミハイル・バフチンのディアローグ(対話)主義...
さて、今回は、「形而上学的」に分類を行ってみました。
しかし、実は、「歴史史料」は、もう少し、深く考えてみよう...
「体験する/しない」の区分は・・・とか、「書く/読む」と...
とりあえず、今日はここまで!
23-Jul-2002
今日は、「文献批判とは」ということで考えてみようと思いま...
実は、ここのところ、「日本書紀に立ち向かうための方法」を...
まず、「文献批判」ということは、対象とするのは「文献(テ...
「テキスト」ということは、つまり、「文字で書かれた情報」...
すなわち、極論をすれば、「文字を媒介としたコミュニケーシ...
「文献」の著者は、「何か」を伝えたくて、書いたのです。読...
さて、認知心理学の知見に拠れば、「読み」も「書き」も本質...
「こうして書き手は読み手の理解過程をシミュレートしな...
と、いうことができます。
少し、言い換えると、我々は、「読み」という作業においても...
ところが、たとえば「読み手」によって、知識に違いがあれば...
では、これを「歴史学の史料」に当てはめて見ましょう。
たとえば、陳寿(三世紀中国)の『三国志』を考えてみればよ...
当然ながら、陳寿は、「読み手」の知識を予想しながら、『三...
ですが、予想する「読み手」というのは、あくまで同時代の同...
これは、想像のつく事だと思います。いくらなんでも「二十一...
また、「読み手」である我々は、当然「三世紀の中国人」とま...
ある部分では、「三世紀の中国人」の知らない知識を有してい...
「書き手」の想定したものと「読み手」のそれでは、ギャップ...
これを図示すると、このようになります。
図参照
さて、我々は今、何を知ろうとしているのかといえば、究極的...
従って、当然ながら、まず「テキスト→読者」間において、「知...
つまり、「テキスト」には、何が書かれているのか、というこ...
このための方法は、実は、いくつかすでに存在しています。
たとえば、「計量的(今まで「統計的」と言ってきましたが、...
また、「構造主義的な文学理論」も参考になるでしょう(直接...
他にも言語学的な諸理論が有用なのかもしれません。
その後、「著者→テキスト」間で、「知識」によって、付加・削...
こちらについては、「書く」という作業について、より認識を...
これを詰めることによって、より良い方法論が考え出せるのだ...
ま、のんびりやりやしょう(笑)。
29-Jun-2002
最近、「統計学」「認知心理学」「言語学」などに少し寄り道...
そういった中で、少し考えたことを、お話します。
1.文献(テキスト)に対するときの標本・母集団の関係につ...
文献研究に統計学を適用するということは、文献史料の一部を...
一般的な社会統計調査や実験結果とは、少し違います。
その前に、「標本」と「母集団」について、少し説明しておき...
「統計」という言葉のイメージと馴染みやすい例を挙げましょ...
たとえば、「日本人全体の何らかのデータ」を調査したいと思...
「収入はどのくらいか」とか「家族は何人」とか「恋愛観」や...
本当に「正確な」データを収集するとすれば、当然ながら、「...
ですが、実際問題として、それは不可能ですので、「無作為」...
この場合、「日本人」全体が「母集団」で、「抽出された百人...
・・・で、この「標本」を基にして、平均(平均とは、データ...
もちろん、本当に調べたいデータの一部分を取ってきているわ...
ですが、ちゃんと抽出さえ行えば、だいたい一致するといって...
一般的には標本の数を増やせば、かなり一致すると見て差し支...
さて、では、今度は古田氏が行った、「魏志倭人伝の「壹」の...
この場合、「母集団」は何でしょうか。
古田氏は、「母集団」は、「魏志倭人伝全体に現れた全ての「...
だから、これは全数調査だ、と。
誰だったか忘れましたが、これに対し、これは「標本」だと、...
歴史上存在した全ての版本の「壹」が母集団だ、というわけで...
要は、母集団の設定の仕方が、非常に難しいのです。
たとえば、「隋書の「達」」の用例調査を行った場合、その「...
これは、「全数調査」にあたるでしょうか。
用例調査を行う意味を考えると、つまり、隋書執筆当時に使わ...
さらに、言葉の使い方の「個人差」や、文章の種類(歴史書と...
そうすると、「母集団」は、「隋書執筆者が隋書(のような書...
これは、「隋書」に実際に現れた「達」の数と一致する、とい...
そのように見なすとすれば、これは「全数調査」だと言い得る...
ですが、言語学では、「隋書執筆者が隋書(のような書物)を...
そうすると、「隋書」に実際に現れた「達」は「標本」だ、と...
ですが、この場合、注意すべきことは、この「標本」の抽出は...
このような点は、非常に微妙な問題をはらみます。
十分注意が必要です。
2.切断の効果
たとえば、こういう調査結果があります。
大学入試時の成績と、大学入学後の成績には相関関係は無い、...
これは正しい議論でしょうか。
実は、そうではありません。
「大学入学後の成績」は、実際のところ、「大学入試時の成績...
もしも、「大学に不合格の人が、同じ教育を受けた場合の成績...
「大学入学後の成績」は、決して、「大学入試時の成績」と同...
それを、統計学的には「切断の効果」と言ったりしますが、こ...
たとえば、調べたわけではありませんが、『漢書』の中で、皇...
多分、無理です。
なぜなら、『漢書』という歴史書に「没年齢」が載るとすれば...
従って、ここでも、「切断の効果」を気にする必要があるので...
こういう間違いは、しやすいものです。
これも十分注意が必要でしょう。
3.統計学の方法
さて、そうすると、文献資料というのは、統計にとって、かな...
とくに、標本抽出の作業が、容易ではない。
「母集団」の設定の仕方を慎重に行い、「切断の効果」を十分...
おそらく、そうなると、「正規分布」を必要とする推定・検定...
ですから、「ノンパラメトリック法」が重視されるべきなのか...
回帰分析や多変量解析も、微妙な方法です。
なぜなら、それは、「多数の標本抽出によって正規分布が十分...
ふむ。
今のところ、こんな感じに考えています。
また、そのうち、まとまったお話が出来るかもしれません。
今日のところはこの辺で。
1-Jun-2002
今日は、今後の研究のひとつの指針について、書きたいと思い...
・・・と、言うと、何か大事のようですが、まぁ、今もってい...
時間が掛かりそうなことなので、予め「ぶっちゃけ」てしまお...
さて、先日もお話したとおり、「九州王朝説」を抜きにして記...
なぜなら、すでに、「九州王朝説抜き」という研究は多数あり...
とはいえ、そういう中へ、なんの「方位磁針」も持たずに踏み...
森博達氏は、『日本書紀の謎を解く』の中で、書紀を「森」に...
森氏の場合、方位磁針となったのは、音韻論でした。
これと、書紀の区分論とを組み合わせ、「森」を歩く。
これは大事なことだと思います。
付け加えれば、古田氏はまさに、「九州王朝」を方位磁針にし...
森氏の研究には、なぜ価値があるのか。それは、出発点が徹底...
記紀歌謡の仮名を抜き出し、それを分類するという、一種地味...
小川清彦氏の暦日研究も、同じ意味で、重要なのです。
「古代史ブーム」と言われる中で、よく、いきなり大きな「世...
アマチュア論者の陥りやすい困った点なのですが、実は、それ...
でも、本当に「実証的」で「客観的」な研究成果というのは、...
「ささやかな発見」に見えるものです。
西さんが「文献史学は、絵筆で絵を描くようなもので、考古学...
少なくとも、そういう研究は大事だと思います。
さて、私は、かつて「心理学」をかじったことがあります。
本当に「ちょっとかじった」程度ですが。
その中で、「統計学」というものを学びました。
実は、「数理統計学」という学問の、かなりの部分で、「心理...
心理学実験の効果の検定や、標本調査・因子分析などです。
そういうわけですから、「心理学」を勉強する際には「統計学...
「統計学」を「歴史学」に利用した例としては、古代史では安...
(実は、彼は心理学者でもあります。学生時代の統計の教科書...
安本美典・本田正久『因子分析法』は、その名のとおり、因子...
安本氏は、統計学を駆使して、「古代の天皇の在位年数は十年...
私はその結論には疑問を持っていますが、彼の方法自体には、...
彼の方法について、多くの反論がありましたが、私の目から見...
私は、統計学上の方法を、記紀批判に応用できないか、と考え...
もちろん、そのような試みは決して少なくは無かった。
少なくは無かったけれども、注目はされなかった。
むしろ、「あやしい」と見られがちだった。
それは、確固とした、「方法論」として確立できなかったため...
歴史学、特に文献研究に「統計学」を応用することは、世論調...
それなりに、「歴史学」「文献史学」に適合する形の「統計理...
「借り物の統計学」のまま、文献にぶつかっても、「戦う」こ...
・・・大きなテーマですね。
だから、予め「ぶっちゃけて」しまおうと思ったわけです。
こっそり研究して、一気に発表してみんなを驚かす・・・なー...
というわけで、まずは、「統計学マスター」を目指さなくては...
これとは別に、世界的な「統計学の歴史学への適用」の実際を...
情報をお持ちの方がおられましたら、よろしくお願いします。
21-May-2002
今日は、「九州王朝説と記紀」について、です。
古田氏が、「九州王朝説」という概念を提出したのは、古田氏...
これは、第一著『「邪馬台国」はなかった』を受けて、魏志倭...
ここで貫かれていたのは、「中国側同時代文献から後代文献で...
思えば、松下見林に始まり、それまでの歴史家たちは、「記紀...
だからこそ、多くの矛盾を、中国側の誤りとして処理しえたの...
ところが、津田左右吉氏以降、記紀をも疑うのが主流となった。
しかし、それでも記紀は主要文献であり続けたのです。
記紀を一切無視し、中国側文献だけに拠ったとき、どのような...
これが、「九州王朝説」論者の立つべき基本認識だと思ってい...
もちろん、『失われた九州王朝』という本の中では、記紀につ...
ですが、古田氏の「九州王朝説」の骨組みは、あくまで、前半...
私はそのように理解しています。
だから、私は古田氏の「九州王朝説」を要約して「九州王朝と...
それまでの諸説の矛盾を洗い出し、記紀と中国文献を「切り離...
これが基本認識だと思っています。
決して「記紀の解釈」から生まれた説ではない、ということで...
さて、古田氏は記紀に対しても多くの見解を提示しています。
第三著『盗まれた神話』はその基礎となるものです。
ですが、古田氏は『盗まれた神話』の時点では、もうすでに「...
基本的には「九州王朝説の立場から、記紀はこのように解釈し...
それを提示したものです。
決して、記紀の史料批判の中から「九州王朝説」という帰結を...
『盗まれた神話』の構成からも、古田氏の立場は明らかです。
「第一章 謎にみちた二書」で記紀の持つ矛盾点・疑問点を提示...
こういう構成です。
「盗用説」という、あるいは「古田氏の説の代名詞」とも、見...
もちろん、私が言うまでも無く、古田氏にとっても、これは当...
論理的には、このような「構成」を持つのが「九州王朝説」で...
ですから、記紀に対するときの古田氏は、時に主観主義に走り...
特に「盗用説」は、九州王朝側の史書が残されていない以上、...
証明不可能、だが事実。
これは、「造作説」が陥った甘いワナでした。
また、「盗用説」による解釈を進めていって、それによって「...
むしろ、「今まで謎とされてきたところに、九州王朝という視...
少なくとも、古田氏はそういう立場で『盗まれた神話』を書い...
古田氏は、基本的には、この作業を重視してきたのでした。
「一つの仮説を立て、それが多くの現象(歴史学では史料事実...
もっとも、最近の『壬申大乱』あたりでは、もはやすっかり、...
このような「九州王朝説と記紀」の関係ですが、私は、もう一...
古田氏の「九州王朝説」の、もうひとつの功績として、「天皇...
この点を重視して、あくまで記紀を中心に、「記紀だけから言...
「九州王朝説から見た記紀への解釈」と「記紀自身の史料批判...
まぁ、こうやって「書いてみる」と、何てことは無い話ですね...
最近、改めてそのように思った・・・ということです。
09-May-2002
最近、ほうぼうで、森博達氏『古代音韻と日本書紀の成立』『...
特に、意図があってのことではなく、まぁ、たまたま、なので...
私は、両研究については、5~6年ほど前、古代史に興味を持...
そんなことはさておき、最近になって、ようやく、というか、...
古田氏は、わりと、冷めた、というか、あまり関心を払った様...
私は始め、
「これは画期的な研究だ。でも、九州王朝説を抜きにして、研...
どこかで、九州王朝説の観点からの解釈を導入せざるを得ない...
と思っていました。
ちょうど、古田氏も似たような見解だったようです。
最近は、むしろ逆に、
「九州王朝説は、森氏や小川氏の研究を抜きにしては、限界が...
と思い始めています。
「盗用説」です。
もしも、両研究が示すごとく、雄略紀以前が、八世紀にほど近...
「九州王朝史書を近畿天皇家が盗用した」
という仮説は、成り立たないのです。
もしくは、非常に成り立ちにくい。
また、以前、川村明氏との間で、「推古紀の十二年のずれ」問...
川村氏はくしくも、森氏の所説を引いておられましたが(川村...
それは、「推古紀は正しく元嘉暦である」ということです。
暦は「十二年」ずれていないのです。
これも、ひとつの史料事実として(以前唱えた自説に大変不利...
ただ、まだ、いろいろな可能性が考えられる段階です。
たとえば、
・推古紀の原史料は、干支で年月を示しただけのもので、あと...
→だとすると、雄略紀以降も、後のいずれかの段階で、暦が割り...
→九州王朝側史料は元嘉暦、近畿天皇家側は干支ということも、...
→推古朝の金石文では、干支だけの表示が、一般的です。(法皇...
などです。
こういった点は、「ずれ」以前に、「日本書紀の成立過程」を...
もちろん、「景行九州遠征」などに関しても、見直す必要があ...
私が提示した「欽明紀」も、再検討を要します。
ただ、私は、「盗用説はもうだめだ」と思っているのではない...
まだそこまでは踏み込んでいません。
なぜなら、森氏の研究の基礎は「万葉仮名」であり、小川氏の...
そして、あくまで「日本書紀編纂過程」に対する、見解である...
「ネタ本としての九州王朝史書の盗用」という可能性もまた、...
これはむしろ当然なのかもしれません。
古くから、「日本書紀は芸文類聚などによる修飾が多い」とさ...
古田氏は近年、「盗用=文面どおり、九州王朝史料」と見なす...
森氏の研究に関しても、やはり「α群は中国人の手による」と見...
これは、大きなテーマです。
今まで以上に、慎重にひとつひとつ吟味していきたいと思いま...
03-May-2002
今日は、「知」の続報です。
といっても、まだ、問題を整理しているだけですが。
まず、「知」の用例ですが、漢字としての「知」の意味として...
【知】
しる。
言葉として口から発し得る心内の認識。
知、詞也。从口矢。説文
心える。みとめる。認知する。
さとる。感づく。覚識する。
見わける。弁別する。
おぼえる。記憶する。
きく。聞きしる。
見る。見てしる。
したしむ。まじはる。
あらはれる。
つかさどる。治める。とりしまる。
知、主也。<字彙>
乾、知大始。<易経、繁辞上>
子産、其将知政矣。<左氏春秋、襄公、二十六年...
三年而知鄭国之政也。<呂覧、長見>知、猶為也...
左伝、襄二十六年、公孫揮曰、子産、其将知政矣...
しらす。しらしめる。告げる。
しらせ。しらせること。
しること。
しる所の多いこと。
ちゑ。
しりあひ。交友。
まじはり。交游。
もてなし。あしらひ。
欲。むさぼる心。
たぐひ。たぐふ。あひかた。
病いえる。
知事。
諸橋大漢和辞典
さて、「つかさどる」の用例ですが、少し吟味したいと思いま...
左氏春秋の例です。
ここに登場する「子産」という人物、彼は、鄭の宰相(大夫?...
ここのお話は、鄭伯が、(宰相として国政を預かる前の)子産...
結局は鄭伯に説得され、受けるのですが、このやりとりを聞い...
「子産は、きっと政治をつかさどる人物になるだろう」という...
ですから、これは必ずしも「王として支配する」の用例では無...
ちょうど、「聴」にもおなじような用法があります(聴政)。
これも、「摂政」などと同じように、「王に代わって政務を担...
(もっとも、鄭は伯爵の国ですので、「伯」に代わって・・・...
通俗編に載せる、「魏了翁」の説明が、参考になるでしょう。
「知初国」も、漢字としての用例は、この「つかさどる」の用...
次に、「古語」としての意味を見てみます。
【しる】(知・領)
対象を支配下のものにする。
土地や国を治める。
那賀美古夜、都毘邇斯良牟登、加理波古牟良斯。
(汝が御子や、終にしらむと、雁は卵生(む)ら...
土地を領有する。
葛城乃、高間草野、早知而、標指益乎、今悔拭。
(葛城の、高間の草野、はや知りて、標(しめ)...
(他に、伊勢物語第一段の例もあります)
対象を意識の中のものにする。
知覚する。
阿摩[イ襄]霧、箇留[小宛]等売、異[口多]儺介麼...
(天飛(あまだ)む、軽嬢子(かるをとめ)、甚...
認識する。
烏麼野始[イ爾]、倭例烏比岐例底、制始比騰能、...
(小林に、我を引入て、せし人の、面も知らず、...
さとる。
白珠者、人爾不所知、不知友縦、雖不知、吾之知...
(白珠は、人に知らえず、知らずともよし、知ら...
角川古語大辞典
さて、1の用法のうち、ロの用法は、漢字としての「知」に近...
「王の支配」ではないという点です。
問題は、仁徳記の用法です。
同じような用例として、以下のようなものもあります。
不念乎、思常云者、天地之、神祇毛知寒、邑礼左変。
(念はずを、思ふと云ふは、天地の、神祇も知らさむ、邑...
今所知、久邇乃京爾、妹二不相、久成、行而早見奈。
(今知らす、久邇の京に、妹に相はず、久しくなりぬ、行...
「しらす」と尊敬の接尾語がついていますが、同じです。
そして、古事記の「日継を知る」という用法。
これらがポイントになるだろうと思っています。
んー、やや中途半端ですが・・・今のところ、こんな感じに考...
(Vtecさん(の依拠した辞書)では、「占有・領有」が原義で...
「知識として得る」の用法のほうが新しい・・・という史料状...
28-Apr-2002
先日、Satoshiさんから、二編の論文を送っていただきました。
1つは古賀達也「盗まれた降臨神話」(古田史学会報No.48)。
もう1つは伊東義彰「『神武が来た道』について」(古田史学...
まず、古賀氏の論文では、古事記の「神武東征」説話のうち、...
以下の点を根拠に挙げています。
1)神武の呼び名
神武記では、神武は3通りの呼び名で描かれています。
「神倭伊波礼毘古命」「天神御子」「天皇」です。
このうち、「神倭伊波礼毘古」は、東征説話のうち、熊野以前...
ここまでの部分は古田武彦氏が、論じたとおり、当時の説話と...
(『盗まれた神話』他参照)
「天皇」は橿原宮での「即位」以降の説話に現れます。
ですが、「天神御子」が突如として現ることに、古賀氏は疑問...
そこで、「天神御子」が他にどのように使われているか検証す...
したがって、神武記の「天神御子」も「邇邇芸」のことである...
簡単に言うと、こういうことです。
2)「吉野河の河尻」
次に、古賀氏は、熊野以降の「天神御子」説話部分は、前後の...
そのひとつが、「吉野河の河尻」問題です。
まぁ、本居宣長以来、ずっと指摘されてきたことではあります。
東征のルートからいえば、吉野川の上流に出るはずなのに、「...
というわけです。
ここで、古田氏の『壬申大乱』の説(吉野=佐賀県)を取り上...
また、熊野で「天照大神」や「健御雷神」という「天孫降臨当...
さて、私の疑問を書きたいと思います。
1)について。
私は、これは、本当にそうかなあというのが、率直な感想です。
なぜなら、「天神御子」の古事記自体での用例は決して多くな...
そこには、2群あります。
1)神代記で「邇邇芸」を指す用例
2)神武記で「神武」を指す用例
このふたつです。
前者と後者の関係は、厳密には不明です。
いくらでも、可能性があります。
たとえば、
・神武は自らを「邇邇芸」の再来と位置づけ、自称した・・・。
・神武東征の結果、近畿天皇家は、神武を「邇邇芸」と同等に...
などです。
古賀氏の挙げた「盗用説」もそのひとつの可能性に過ぎません。
これは古賀氏に限ったことではありませんが、可能性をひとつ...
(それにもまして、「解釈はいくらでも可能だから・・・」と...
古賀氏にとって、必要なのは、他の可能性に対する徹底的な検...
私が、今思いついた程度の可能性に対しての検証は、最低水準...
(私は今そんなに「奇想天外」な可能性を考えたつもりはあり...
要するに古賀氏の挙げた論点から、本当に、「盗用説」しかあ...
もう少し、吟味が必要なのだという気がします。
・・・と、これを踏まえて、伊東論文に目を向けると、早速「...
私も、「河尻」について少し考えて見ますと、まず、「河尻」...
確かに、なんとなく「下流」のような気もしますが、「河口」...
日中の感覚の違いなのかもしれませんが。
伊東氏が模索していたように、吉野川上流域に「河尻」と呼ば...
あと、Satoshiさんからは、和田高明「大和朝廷の成立」(『古...
(今のところ、読む限り、「諡号」の盗用ではなくて、存在そ...
2-Apr-2002
今回は、「ハツクニシラス」番外編です。
実は、「ハツクニシラス考」を書き上げる際に、気がついてい...
それは、「しる(しらす)」の語義です。
現在、われわれは、「しる」という言葉を、「統治する」の意...
では、古代では、どうだったのでしょうか。
実は、それが、あまり「明らか」とは言えないようなのです。
調べてみたのですが、ハッキリ明記されているもの(「しる」...
あるとしても、その出典は記紀であって、「同語反復」となり...
「所知初国」を「はつくにしらす」と言われても、ねぇ。
「知」という漢語には「統治」の意味はないわけです。
じゃぁ、「しる」という倭語にはあるのか、というと、わから...
たとえば、「治天下」を「あめのしたしらしめしき」と読むこ...
じゃぁ、「治」を「しる」と読むのか?というと、その出典は...
むしろ、「ハツクニシラス」や「所知日継」が出典であるのか...
古事記です。
記紀前後の言葉にはこういった問題は常につきまとっていて、...
それにしても「所知初国」の意味を「はつくにを統治した」と...
ちなみに、ちょっとこわいような話ですが、「知」の意味には...
<知>
ある領地を任され支配する。・・・「知行」「知事」
むむむ。
18-Mar-2002
久しぶりの「独り言」です。
今回も、時事ネタです。
最近、時事ネタ比率が大きくなってるような…。
それはさておき、例の鈴木宗男議員の関係で、話題に上ること...
「北方領土」とは、基本的には国後・色丹・択捉・歯舞の四島...
そういう領域です。
で、所謂「領土問題」に当るわけですが、日本は「武力」を持...
血生臭い解決ではなく、友好的な解決を迎えることが出来れば...
そのために、宗男さんも「努力」なさったのだろう、と思いま...
まぁ、宗男さんのやってきたことは、言ってみれば、自民党政...
それはさておき、「北方領土」問題の発端は、1951(昭和26)...
このとき、日本は「千島列島」を放棄しました。
この千島列島は、1875(明治8)年の樺太・千島交換条約によっ...
ですが、ここで「千島列島」といっている中には、例の四島は...
四島はそれ以前から日本の領土、というのが日本の主張です。
だから、サンフランシスコでも放棄していないのだ、と。
樺太と言えば、間宮林蔵が有名ですが、四島には最上徳内とい...
樺太は1854(安政元)年の日露和新条約で、日露の国境が確定...
で、だから、本来は日本の土地だ、という主張は、よくわかり...
でも、ね。
よくよく考えてみれば、「本来」ってどういうことでしょう。
所謂「日本民族(倭人)」は、本来、樺太や四島はおろか、北...
住んでいたのはアイヌです。
そう言えば、宗男さんが「北方領土返還は日本民族の悲願」と...
彼の言う「日本民族」って、何でしょう。
アイヌをも含めてでしょうか、それともアイヌは含まないので...
(「日本は単一民族国家だ」とつい言ってしまいますが、これ...
含めるなら、それはそれで、アイヌの方はどう思うのでしょう...
それはわかりませんが、少なくとも「倭人」は「本来の住人で...
ロシア人と、本質的には一緒です。
さて、北方四島には、既に多くのロシア人の方々が、長い間生...
「北方領土返還」と言っても、彼等を追い出すことが、本当に...
彼等の中には、既にあの土地で生まれ育ち、唯一の故郷だとい...
一方には、あの土地を故郷としている日本人もいる。
難しいですね。
10-Jan-2002
2002年の1回目は、「理屈」のお話です。
抽象論になるので、気軽に読んでください。
近年(といっても、10年以上前から、そうだと思いますが)、...
これはこれとして、非常に重要なことだと思います。
ですが、こと「古代史」に関しては、それ以前に、「地方」と...
なぜなら、それらが形成されていく時期を対象にしているから...
勿論、そのようなことは、早くから考慮されていて、有名な「...
少しだけ、研究史を紐解いて見ましょう。
(私もただいま「勉強中」の身で、或は誤解があるかもしれま...
まず、近代の日本古代史において、「国家形成」を論じる上で...
マルクス・エンゲルス(と対にして言いますが、「国家形成」...
階級闘争と革命を経て、国家が発展していくと言う、アレです。
古代史は、まさにその「国家形成」の段階として、注目されて...
先の「ムラからクニ」というのは、階級の発生と「国家形成」...
稲作や金属器の普及がその要因であると教科書で教わった記憶...
これが戦後の古代史の通説でした。
ただ、現在では、律令国家として成立した八世紀をもって、「...
「大化改新」や「近江令」などをその前史として見るのです。
また、考古学の目覚しい成果により、縄文時代に対する見方が...
以前のように「平和で争いの無い狩猟生活」を想定することは...
ですが、このように、「発展の段階」によって「国家」かどう...
極論をすると、「独自の力で自国を防衛できる」段階を「国家...
また、いわゆる「国家」以前の共同体の間や内部では、「紛争...
我々にとって重要なのは、むしろそういう「関係」や「しくみ...
さて、「地域国家」という言葉があります。
これは、門脇貞二氏がよく使っている言葉ですが、いわゆる「...
門脇氏は早くから出雲や吉備などにおいて、「国家」と呼び得...
その出雲や吉備などが「地域国家」というわけです。
(個々の議論に関しては、疑問もありますが、ここでは省略し...
門脇氏は、「国家」に関して次のような基準を設けています。
1)王権とその支配機構を持っていること
2)独自の支配領域を持っていること
3)それぞれの支配理念あるいは独自の文化を持っていること
これを満たせば、「国家」と呼んでもいいのではないか、とい...
また、出雲にしても吉備にしても大和にしても筑紫にしても、...
(最近の著書では『古代日本の「地域王国」と「ヤマト王国」...
また、古田武彦氏は、「王朝」について何度か定義を試みてい...
(これは以前の「独り言」-原田実氏の『幻想の多元的古代』の...
<王朝の定義>(古田武彦「邪馬壹国論争(上)」による)
1)一つの領域が一定の文化特徴を共有する政治的な文明圏を...
2)そのなかで質量ともにもっとも集中して、政治的な文化特...
3)それがその圏内の焦点、すなわち王朝の存在を示す。
原田氏は、この定義が極めて「考古学の成果」に基づいた定義...
ここで古田氏が「王朝」の語を用いているのも、それほど厳格...
古田氏が中国側文献の記載に基づき、九州王朝という概念を生...
勿論、「国家」をどう考えるか、という問題に対してです。
古田氏は、中国側史料から九州王朝と言う概念を創出した際、...
少なくとも古田氏には、「中国側が(卑弥呼や五王、多利思北...
勿論、このような「倭国統一の王者」という見方は何も古田氏...
ですから、「卑弥呼や五王、多利思北孤は、九州に本拠を置い...
この点、他ならぬ古田氏自身も、「近畿天皇家一元史観」と自...
さて、少し現代に目を向けてみましょう。
「国家」を語る上で興味深い「素材」があります。
一つは台湾です。
台湾は、「国家」ではありません。
なぜでしょうか。
理由は簡単です。
中華人民共和国は勿論のこと、むしろ「国際社会」が認めてい...
ところが、門脇氏の提起したような項目を見てみましょう。
いずれも一応、満たしているとは思いませんか。
1)王権とその支配機構を持っていること
2)独自の支配領域を持っていること
3)それぞれの支配理念あるいは独自の文化を持っていること
勿論、「王政」ではないのですが、台湾は台湾独自の統治機構...
支配理念も、中華人民共和国のそれとは、異なっています。
台湾という地域を冷静に分析すれば、誰であっても同じような...
でも台湾は「国家」ではない。
台湾だけに限った話ではありません。
そういう「地域」は今も数多く存在しています。
何が言いたいのかと言えば、つまるところ、「国際社会」の目...
今、二つの対照的な「地域国家」を挙げてみたいと思います。
一つは「九州王朝」。
古田氏の分析通り、卑弥呼や倭の五王、多利思北孤が、九州に...
これと同じ時期に、例えば近畿に王者があったとしても、彼に...
ですから、古田氏がこの点を強調するのは、当然のことだと考...
「関係」と言っても、それは単なる「支配・従属」関係だけで...
「対立」や「反発」「抵抗」、或は「妥協」や「連携」などの...
もう一つは「蝦夷」です。
現代の古代史においても、蝦夷をれっきとした「国家」と見な...
なぜでしょうか。
先の門脇氏の項目を考慮しても、やはり、蝦夷はれっきとした...
さらには、中国側からも「蝦夷国」<新唐書など>として「国...
ところが記紀や続日本紀は、蝦夷を国家とは認めません。
このことが、当時の「日本」と「蝦夷」という「両国」の関係...
話が散漫になってしまいましたが、要するに、色々複雑な問題...
何を以って「統一」なのか、とか。
これも、例えば「北海道」や「沖縄」に支配が及ばない八世紀...
「日本人とは何ぞや」という問いも、同じような問題をはらん...
考え出したらキリは無いのですが、たまにはこういうことも考...
終了行:
[[独り言(Historical)]]
#menu(menu_Historical)
15-Dec-2002
今日は、久しぶりに「意味」について考えて見ます。
「考えてみる」とはいっても、おそらく「新しいお話」にはな...
ここまでの「まとめ」という色合いになるかと思います。
まぁ、軽くお読みください^^
まず、何度も申し上げてきました、意味に関するひとつの視点...
「意味は聞き手が決めるものである」
これですね。
これは、まさにこのとおり、だと思っています。
ですが、あまりこればかりを強調すると、もうひとつの重要な...
それは、「言葉」の「目的」といいますか、そもそもどうして...
このように言いますと、何か「本来性」とか「目的」とか、所...
ですが、少なくとも、「言葉」に課せられた使命を、忘れては...
それは、「伝達」です。
よく、言葉とは「記述、あるいは自己の表現」なのか「コミュ...
なぜなら、「記述」もまた、「伝達」を目的としているからで...
要するに人は誰かに何かを伝えたいから、「言葉」を発するの...
「誰か」は、「他人」かもしれませんし、「自分自身」かもし...
「何か」は、自分の気持ちかもしれませんし、科学的な論述な...
とにかく、言葉を発するからには、「誰か」に伝わり、そして...
たとえ、「独り言」であっても、必ず「聞き手」がいるのです。
(ウチの「独り言」も、当然、読者を想定しているわけですね...
例えば、「明日、7時に○○駅」なんていうメモ書きでも、「読...
もちろん、「明日の自分」でしょう。
ですから、「言葉」の意味は「聞き手」が決めるのですが、必...
という、実に当たり前の話なのですが、この点を忘れるわけに...
「意味は聞き手が決めるものである」
という、記号学的な、そして現代的な発想を推し進めていくと...
「人はあらゆるものに意味を見出さなくてはいられない」
「人間とは意味という病に侵された存在」
といった、記号学的なテーゼは、もちろん重要ですが、それと...
ここまで進めてきますと、柄谷行人や立川健二などの言う「教...
さて、「話す」という行為、或いは「書く」という行為には、...
これによって、デリダの言う「差延(deferance)」は生じるのだ...
つまり、「最初の読者は必ず作者である」ということです。
言い換えると、「最初に意味を決めるのは作者」ということに...
ここで、「作者」に特権的な「地位」が誕生するきっかけがあ...
このことを確認しておきましょう。
そして、「聴く立場」に戻ります。
「意味を決めるのは聞き手」なのですが、そもそもの「言葉の...
もちろん、それは常に成功を収めるのではなく、往々にして失...
失敗することで、「他者」という、私たちにとって重要な概念...
レヴィナスに言わせれば、「他者を自己に取り込む」作業に他...
また、「話し手」と「聞き手」が「意味」を共有する為には、...
もちろん、愛し合う恋人同士なら、二人だけのルールがあって...
まさに「ツーといえばカー」もしくは「阿吽」なわけです。
それでもやはり「慣習」とか「規則」はあって、彼らもそれに...
さて、そのような「慣習」や「規則」を共有する中で、特権的...
それは、スチュアート・ホールのいう「オーディエンス」の有...
「これこれはこういう意味である」という、強力なルールによ...
(そして「文学作品」でかつて強力なルールとなったのは「作...
そのルール自体には、なんら「本来的」「根源的」「本質的」...
でもその「拘束」があるからこそ、「話し手」と「聞き手」は...
さて、「歴史(史実の探究)の方法」というテーマに進みまし...
私たちは、例えば『三国志』の「予想された読者」「語られる...
ですから、私たちの流儀といいますか「規則」や「慣習」で、...
もちろん、「歴史」のもうひとつの仕事―史実への評価―という...
それとこれとは話が別です。
私たちは例えば『三国志』は、陳寿のルールで読まなくてはな...
これは、以前もお話したとおりですね。
そして、陳寿のルールで読む為のひとつとして、私は「用例調...
もちろん、その方法にまったく問題がないわけではありません。
用法の弁別の為の最善の方法も、いまだ見出してはおりません。
「対照言語学」「言語類型論」「生成文法」なども参考になる...
もちろん「計量言語学」や「計量文体論」も。
ここらあたりが、「来年の課題」ですね。
17-Nov-2002
今回は、「用例調査」という方法について考えて見ます。
用例調査といえば、古田氏の『「邪馬台国」はなかった』での...
今日は、この「方法」の持つ意味といいますか、意義といいま...
どうして「用例調査」を行うのか。
「用例調査」によって何がわかるのか。
何はわからないのか。
つまり、そういったことですね。
これを私なりに考えてみたいと思うのです。
まず、古田氏が初めに行った「壹」と「臺」の調査ですが、こ...
(何もこの方法は古田氏とその影響を受けた人々だけが行って...
さて、「壹」と「臺」の用例調査は他と何が違うのかといいま...
全『三国志』のテクストの中には、全部で86個の「壹」と58個...
このうち、「邪馬壹国」1例、「壹与」3例を除くと、「壹」→「...
すなわち、「邪馬壹国」の「壹」を「臺」に偶然書き誤ったと...
当時、「字形が似ているから偶然書き誤ったのだろう」という...
そういえば、MM3210さんのHPで確率を計算しておられましたね。
こういうわけですから、古田氏のこの調査は、純粋に記述統計...
次に、用例調査というか、用法調査とでも言うべきものがあり...
これは、私もよく行います。
最近では隋書の「達」の用法を調査しましたね。
あの結果はまだ事情があってUpしていないのですが。
これを調査するということの意味をここでは考えてみたい、と...
「何を調査したいのか」
まず、これを明らかにしておきましょう。
ことばには、「使い方」というものが存在します。
以前から何度も申し上げていますとおり、「意味は読み手が決...
なぜなら、私は「作者」と共通の時代認識・常識・知識・慣習...
ですから、私は必ずしも「作者」と共通の「言葉の使い方」を...
多くの場合には、ある程度共通しているものですが、少なくと...
従って、「作者」の用法を知る必要がある。
現代の私の用法ではなく、当時の「作者の用法」を、です。
その為のひとつの方法として、同一作品の中の用法を調べ、そ...
さて、ここで問題があります。
それは、「用例調査」を行っているのは、あくまで「現代の私...
結局のところ、一つ一つの用例を解釈し、分類しているのは、...
ここで、「現代の私」の知識が入り込む恐れがあります。
そういえば、森博達氏が『日本書紀の謎を解く』の中で、日本...
まさに、この点が問題なのです。
従って、私たちは、用法の区分に明確な基準を設けるべく、そ...
今のところ、最善の方法はわかりません。
計量言語学における「語彙統計」が参考になりそうですが、こ...
何よりも、計量言語学は「はじめから意味を承知している」の...
「何を意味しているか」という問いに答える手段ではありませ...
私は「用例調査」という方法をよく使いますが、「肝心なとこ...
ほとんどの場合は、それでも何とか、それなりの結論を得られ...
これが、今の私にとってのひとつの課題だと思っています。
09-Nov-2002
今日は、MM3210氏の「邪馬台国ファンを惑わす誤り―2.古田武...
古田氏は、『「邪馬台国」はなかった』において、魏志倭人伝...
MM3210氏は、この点への批判を述べています。
MM3210氏の論点は、つまるところ以下の点にあります。
(1)魏が帯方郡を平定したのは公孫淵誅殺【後】である(「...
(2)公孫淵が誅殺されたのは景初2年8月23日である(「...
従って、景初二年六月の段階で、倭国が魏の帯方郡へ使者を送...
だから、古田氏の説は誤りである、というわけです。
では、上記1,2の論点について、関連する史料を挙げ、確認...
(1) (景初元年)秋七月丁卯、司徒陳矯薨ず。孫権、将朱...
(2) (景初)二年春正月、太尉司馬宣王に詔して、衆を帥...
(3) (景初二年八月)丙寅、司馬宣王、公孫淵を襄平に囲...
(4) (景初)三年春正月丁亥、太尉宣王、還りて河内に至...
(5) 帝、曰く「往還、幾日か」(司馬宣王)対えて曰く「...
(6) 景初元年、乃ち、幽州刺史毋丘倹等を遣わし、璽書を...
(7) 公孫淵、逆し、倹と戦う。不利にして、引き還る。明...
(8) 而るに公孫淵、父祖三世に仍りて遼東を有す。天子其...
(9) 景初二年、太尉司馬宣王、衆を率い公孫淵を討つ。宮...
(10) 景初中、明帝密かに帯方太守劉[日斤]・楽浪太守鮮于...
(11) 景初二年六月、倭女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣...
まず、帝紀を見て見ましょう。1では、公孫淵が反旗を翻し、...
それに続き、2で司馬懿が公孫淵討伐に出発したのが、翌年正...
その後、4で洛陽に凱旋したのが景初三年正月のようです。
大まかな経緯は、以上のようで間違いないと考えられます。
ちなみに、5の史料は三国志ではありませんが、注に引用され...
実際に帝紀の上でもほぼ同様な期間です。参考にはなるでしょ...
おおよそ、MM3210氏もこの点においては、同じ見方といってい...
さて、問題の帯方郡制定ですが、これらの文面からは何ともい...
古田氏の指摘のように、10の韓伝の記述からは、緊迫した情...
「完全制圧」が公孫淵誅殺の前だとは、この記述からはいえま...
さて、MM3210氏の理路は、先に示したとおりだと認識していま...
かなり「インテンショナル」というか、古田氏の「故意」を主...
古田氏が「太平の史家」と批判した、まさに同じ理路です。
古田氏の読解にも確かに誤解が含まれています。
司馬懿が洛陽に戻ったのは、ご指摘のとおり、景初三年正月で...
おそらくは、帝紀の八月の項からの類推なのでしょう。
MM3210氏のいうような「故意」であるかどうかは、私にはわか...
もしも、古田氏の「故意」を主張することによって、古田氏に...
「故意」を主張するにしては、その「証拠」も少ない。
おそらく善意に解すれば、「誤解」程度のものでさえも、悪意...
もしも、古田氏が「故意」に司馬懿の凱旋を八月に「読み違え...
実際のところ、別に、影響は無いのです。
それなのに、わざわざ・・・。
古田氏はなんという無益なウソをつくのでしょう。
「六月において大勢は決していた」についても、同様で、「大...
ですが、そうでなければ、「戦中遣使」という概念が成立しな...
MM3210氏の言うとおり、六月時点では大勢が決していないので...
まぁ、あまりこの点ばかりを指摘しても、議論は前に進みませ...
「公孫淵誅殺後でなければ、倭国は帯方郡を通じて魏へ遣使で...
私は、公孫淵誅殺前であっても、帯方郡経由で魏へ遣使するこ...
私の理解では、古田氏の言う「戦中遣使」説が、この帯方郡制...
公孫淵健在中は倭国が魏の帯方郡へ使者を送ることはできない...
そうでなくてはそういう理路は成立できない。
ですが、帯方郡や楽浪郡は、公孫淵に従って魏に抵抗しようと...
劉[日斤]にしても劉夏にしても、少なくとも景初中の帯方郡太...
(そのことによって、「激動の人生」を歩むことになったのか...
その中での「戦中遣使」は、大いにありうるだろうと思います。
勘違いしていただいては困るのは、「景初二年」というのは、...
この文面が間違いである、と主張したいのであれば、「景初二...
ですが、文面どおりに理解しているだけの古田氏や私にとって...
この点、あくまで『三国志』に基づいて、古代史を研究する私...
(『三国志』に間違いがない、と主張したいのではありません)
20-Oct-2002
今日は、「虚構言語行為論」について考えたいと思います。
「虚構の言述(fictional discouse)」とは、つまり、小説や物...
私たちは、何かを発言するとき、必ず何かの行為を行っていま...
「約束」や「命令」などは、そのわかりやすい例ですが、たと...
このような見方によってJ.L.オースティンは、「言語行為論」...
そのオースティンも「虚構の言述」に関しては、差し当たって...
オースティンに拠れば、「虚構の言述」(小説を「書く」行為...
これを「記述的言語」もしくは「日常的言語」と「詩的言語」...
この際、P.ヴァレリーやマラルメ等は、はっきりと「詩的言語...
さて、オースティンの後継者であるJ.R.サールは、この「虚構...
まず、サールは「虚構の言述」に対する次の立場を批判します。
それは、「虚構の言述は、小説を「書く」あるいは「物語る」...
この立場に従えば、たとえば「私は彼を覚えている」という文...
文の意味と行為は「関数関係」にあると見るのが、サールの根...
もしも「フィクションとノン・フィクションでは、文の意味が...
これに対し、サールは、虚構の言述における「主張」は「偽装...
「私は彼を覚えている」という文章がフィクションの中で使わ...
ところが、これには問題があります。
野家啓一は、サールのこの主張は、結局フィクションとノン・...
なるほど、サールは、確かに「フィクションの言述」と「ノン...
つまり、文面だけでは「フィクションとノン・フィクションは...
だとすれば、サールが「発話者の意図」に還元してしまった「...
さて、その野家は、「虚構言語行為」は、「引用」という特徴...
古典的な「物語」や口承伝承がそうであるように、「昔々ある...
「引用」の場合には、「引用者」はその内容についての何の責...
同じように、小説の場合も、基本的には、「引用」という形で...
もちろん、現代の前衛的な小説の冒頭が、引用で始まるなどと...
しかし、この野家の主張も残念ながら、サールと同じ「背理」...
その「前衛的な」小説をフィクションたらしめているのは何か...
次に、G.ジュネットは、虚構の言述について、これは複数の言...
「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」とい...
言い換えると、作者は「私はこの文面で持って虚構的に『昔々...
なるほど、この説も説得力を持ちます。
ですが、おそらく、サールの反駁を免れないでしょう。
この主張によっても、「フィクション用の意味」と「ノン・フ...
さて、サールはフィクションとノン・フィクションの間に文体...
一方、野家は、典型的な「物語」には、「引用」という文体的...
要するに、「引用」が本来で、今の小説はその発展型である、...
ここで、意味に関する重要な視点を思い出したいと思います。
「意味は聞き手が決めるものである」
これです。
「虚構が虚構として成立する為には、聞き手によって虚構と見...
のです。
ひとつ、興味深い事例を挙げましょう。
「1938年10月30日、夕刻8時ごろ、アメリカのコロンビア放...
これは、社会心理学で「群集心理」の「パニック現象」の典型...
心理学の教科書には大抵載っているでしょう。
(実際、学生時代の教科書からの引用です)
ここで注目すべきなのは、このパニック現象の真の原因です。
つまり、「虚構が虚構として聞かれなかった」ということなの...
サールも野家も、この視点を欠いているように思えます。
典型的な物語が「昔々あるところに」で始まるのは、語り手の...
聞き手に、それが「虚構である」と理解させる為なのです。
そして、コロンビア放送の例のように、小説の場合、それを伝...
私たちは普通、小説は始めから「これは小説だ」とわかって読...
始めから「小説を読む」という行為を、十分承知の上で行って...
そうさせるのは、「作者の名前」や「作品の評判」「出版社」...
P.ブルデューや、S.シュミットの文学現象という問題意識が重...
さて、なぜ私がこのような問題を考え出したのか、をお話しま...
それは、もちろん、『日本書紀』です。
ここまでの話を踏まえれば、『日本書紀』は、「虚構」という...
むしろ、「虚偽」なのでしょうか。
一方、神話は、どうなのでしょうか。
「虚構」にくくれるもの、くくれないものの両方があるような...
結局のところ、「虚構言語行為論」から、『日本書紀』に迫ろ...
まぁ、しかし、「虚構言語行為論」。
これも、なかなかに興味深いものだと思います。
06-Oct-2002
今回は、上野千鶴子、そして野家啓一の歴史観を批判したいと...
まず、上野千鶴子は、フェミニズム活動の中心的な一人として...
彼女は、所謂ポストモダン的な視点から、(西尾幹二や藤岡信也...
所謂実証主義が、いかに「政治的・権力的・男性中心主義・西...
これは、ポストモダンのひとつの大きな潮流でした。
歴史のプロット化やメタ・ヒストリーを主唱するヘイドン・ホ...
スピヴァックやサイードなどは、「ポストコロニアル(「植民地...
また、ブローデルの歴史観も、地中海の民衆の生活に深く入り...
同じように、ウォーラーステインの世界システム論も、そもそ...
このように、私たちの素朴な歴史観の中に根付く、「政治的・...
上野の批判も、基本的には同じ流れの上に立つものと見ること...
さて、上野は、「実証主義」が「文書至上主義」に陥っている...
これはつまり、所謂「自由主義史観」論者が、「従軍慰安婦強...
「公文書がない」=「十分な証拠能力がない」という論理が「文...
これは、もっともなことです。
「従軍慰安婦問題」には、「当事者の証言」があります。
ハッキリ言うと、私たちのように「史料に渇望した」古代史の...
ふむ。
私は今まで自分のことを「実証主義者」だと思っていましたが...
彼女の言う「実証主義者」は、この「喉から手が出るほどほし...
いささか、シニカルな言い方になりますが、彼女は「敵」を見...
彼女の敵は「普通の実証主義者」ではなく、「三流の実証主義...
この意味で、彼女が吉見や鈴木を標的にしたのは、正しいとは...
また、「実証主義」そのものを否定しようと試みたことは、彼...
彼女は、「従軍慰安婦の当事者の証言」を何の批判的・客観的...
そうだとすれば、逆に、上野千鶴子という「政治的活動家(客観...
もはや彼女は「歴史」だとか「事実」だとか、そういうことを...
やや、挑発的になりました。
もちろん、彼女がそのように考えているとは思いません。
要するに、彼女の敵は、「実証主義を貫徹できない実証主義者...
もちろん、「実証主義者」の中にも「公文書中心主義」「西欧...
(ここに、古田武彦の言う「天皇家中心主義」を加える必要もあ...
上野は「当事者の証言」を重視します。
これは、何も「実証主義」に反する概念ではなく、むしろ、「...
オーラル・ヒストリーとは、「実証主義」のためにある言葉な...
まずはこのことを確認しておきましょう。
次に、野家啓一です。
彼は、アーサー・ダントの「物語論」に従い、「物語行為」を...
人が何かを「物語る」のは、人間にとって非常に重要な行為で...
(同じように「科学」の持つ「物語性」も彼の視野に入っていま...
彼に言わせれば、「客観的な事実」という意味の「史実」を語...
もっとも、彼が最大の標的にしているのは、ヘーゲルの歴史哲...
「素朴な実証主義」はその標的にはなっていませんが、「客観...
もちろん、日本の戦後史学はマルクス主義的な歴史観を「発展...
むしろ、クローチェやコリングウッド、E.H.カーが言うように...
この営み自体を否定しようというつもりはありません。
野家の指摘も興味深いものです。
ですが、私は、「だからどうした」という反問を抑えることが...
「開き直り」では、どうも、ないようです。
つまり、野家に限らず、「客観性」への懐疑的な態度は、あく...
自らを「客観的」と信じていた無邪気な「理性」への反駁では...
要するに、Y=1/Xという式を発見して、「だからYは0には絶対に...
ですが、だからといって「Yを限りなく0に近づけようとする試...
「客観的な事実」「本来的な事実」は無いんだ、というポスト...
私の「根拠のない信念」は、「客観性を目指すこと」に他なり...
さて、いつかもお話したことがありますが、歴史には二つの仕...
ひとつは「史実の探究」。
もうひとつは「史実への評価」です。
私が「客観性」を目指すのは、あくまで「史実の探究」です。
野家の「物語論」を始めとして、この「区別」が必ずしもはっ...
その理由のひとつに、所謂「歴史哲学」や「歴史の方法論」を...
ハッキリ言うと、「史実の探究」が見るからに困難な状況にあ...
「史料」に飢えることを知らず、「史料」に飽きる、飽食の時...
ですから、「評価」が歴史家にとって大事な仕事である、と考...
もちろん、古代史に関しても、「評価」こそが歴史家の仕事だ...
「史料の探究」「史実の探究」は、文献屋の仕事だ、というわ...
要するに、彼ら(ヘーゲルにしてもランケにしてもベルンハイム...
この点は、私たちが歴史の方法を考える上で見落としてはなら...
22-Sep-2002
「文献批判について」第7回ですね。
予告どおり「テクストとテクストの影響について」です。
まずは、主にジュリア・クリステヴァの「間テクスト性」の概...
クリステヴァは、ソシュール、バフチン、フロイトのテクスト...
彼女は「間テクスト性(l'Intertextulite)」について、「あら...
すでにバフチンは、テクストの「多声性」「ポリフォニー」「...
これを受け、クリステヴァは、テクストが(たとえどんなに自己...
しかし、これは、伝統的な文学批評の方法とは少し異なります。
テクストがテクストに及ぼす影響、というと、つい、「先行す...
「後続のテクスト」が「先行するテクスト」の読解を変形する...
つまり、『魏志倭人伝』に影響を及ぼすのは『漢書』や『史記...
「意味を決めるのは読者」と、私はこれまで繰り返してきまし...
「読者」が「意味」を「決める(生成する)」過程において、「...
これがクリステヴァの強調する「間テクスト性」でした。
クリステヴァの問題意識は、ハッキリと「読者の立場=聴く立場...
この点、土田知則『現代文学理論』では、誤解があるように見...
土田は、「間テクスト性」の審級として、デーレンバックの理...
一般的な間テクスト性・・・作者Aのテクストaと作者Bのテク...
制限的な間テクスト性・・・作者Aのテクストaと同作者のテク...
自己的な間テクスト性・・・作者Aのテクストaとテクストa'の...
という3つを挙げましたが、これは「作者の立場」と「読者の立...
もちろん、このような概念自体は必要です。
しかし、これはクリステヴァの問題意識とは違うのだという気...
「読む立場」に立った「間テクスト性」の議論は、バーバラ・...
こういった、「読む立場」からの「間テクスト性」の問題は、...
我々は意識する/しないに関わらず、あるテクストの読みにおい...
特に、『魏志倭人伝』に対する『記紀』の影響、もしくは、「...
これが「間テクスト性」の問題の第1点です。
次に、先ほど批判した「作者の立場」に立つことにしましょう。
ここでは、土田知則=デーレンバックの審級が、意味を持ちます。
しかし、この点は、実は伝統的な実証主義の精神によって、か...
例えば、『日本書紀』における先行テクストの影響(例えば、『...
『魏志倭人伝』に対する『魏略』などもそのひとつでしょうか。
ですが、我々は「作者」つまり「書くこと」について、もうひ...
それは、「我々は書くと同時に読む」ということです。
もしくは「作品の最初の読者は作者である」と言い換えてもい...
この作用によって、土田=デーレンバックの言う第3の審級、も...
他ならぬ『日本書紀』が『日本書紀』に影響を及ぼす、という...
ましてや、『日本書紀』は個人の著作ではありません。
より複雑な「内的差異」を持つテクストであろう事は容易に想...
この差異を「著者」の違いに真っ直ぐに還元することは、以上...
同一の著者であっても差異が生じることは大いにありうること...
これが、「間テクスト性」の問題の第2点。
さらに、「作者は、作者であると同時に読者である」という点...
「書くこと」に作者の知識が影響を及ぼすことは容易に想像で...
そして、その「知識」が他のテクストによってもたらされたこ...
ですが、作者にとっては、その「他のテクストの読み」が、す...
単純な「誤読」で片付けられるもの(例えば、范曄の『魏志倭人...
また、その読解によるテクストが、もとのテクストよりも大き...
『後漢書』の范曄による『魏志倭人伝』読解が、『魏志倭人伝...
さて、最後に「メタフィクション」もしくは「パロディ」研究...
これは、「作者の立場」からの「間テクスト性」研究に大きな...
所謂「狭義のメタフィクション」「パロディ」は、「引用」「...
これらの研究は、例えば、『日本書紀』研究においてもなされ...
他にも中国側史書の多くが先行する史書の「模倣」もしくは「...
ここで重要なのは、「パロディ」における「読者の役割」です。
「パロディ」が「パロディ」として成り立つ為には、「読者」...
「読者」は、「パロディ」として「テクスト」を読むと同時に...
そして、「パロディ作品」が「もとのテクストのパロディであ...
これは、何も「大々的なパロディ作品」のことを言っているの...
例えば、万葉集において、同じような文句が、歌として現れま...
『日本書紀』が『芸文類聚』の文を採ったことに、どのような...
単に「修飾」の為、というだけの評価しか下せないのでは、実...
こういった点への配慮は、もちろん、今までの「記紀研究」に...
改めて重要性を痛感している、というところです。
・・・やっと、「古代史」の話に戻ってこれましたね。
今後は、更に「文献批判の方法」を詰めていきたいと思います。
では。
16-Sep-2002
「文献批判について」第6回です。
今回は、「知識」というものについて、考えて見ます。
今まで、私は「読む」という行為、「書く」という行為が各々...
ここで言う「知識」とは、非常に広範な概念だと思ってくださ...
「慣習」「経験」「常識」「他者の目」「価値判断」「類推」...
私は今、ブルデューの「ハビトゥス」、ホールの「オーディエ...
要するに、純粋に自己の内部にある(と見なされている)個人的...
そして、この「知識」は、読むことによって「変容」します。
あるときは新たな発見として、あるときは既有知識を補強する...
肝心なことは、「読む」ことによって起こる「変容」は、「書...
「意味は読み手が決める」のです。
むしろ、書き手とは反対の意見を強めることもあります。
いずれにせよ、「読む」ことによって、知識は変容するのです。
つまり、「読む」ことには「知識」が関わり、そして、「読む...
こういう両方の関係があります。
さて、「知識」は、どのようにして形成されていくのでしょう...
ひとつには、今申し上げたとおり、「読む」もしくは「聞く」...
他には、「見る」「味わう」「嗅ぐ」「体験する」などが考え...
しかし、もうひとつあります。
「書く」「話す」ことです。
私たちは、「書く」ときに、必ず、「読んで」います。
もしくは、「聞いて」います。
これを行わないと、「書け」ないのです。
まず、自分の書いたことを読んでいないと、自分の文章の誤り...
これは、「モニタリング機能」といって、必ず自身の作り出す...
もちろん、「推敲」といわれるチェックも行われます。
ですから、「書く」には必ず「読む」が含まれるといっていい...
ここで、「自らの文章を読む」という作業でも、知識の変容は...
よく「書くことで思考が深まる」といいますが、つまり、そう...
こう書いてくると、デリダの言う「差延(deferance)」なる概念...
つまり、「人の知識は書いている間にも変容する」のですから...
問題意識がハッキリしたり、ちょっとだけ問題に対する「温度...
(余談ですが、よく「一人で愚痴って最後には一人で納得するこ...
そしてその「変容」は必ず「書いた」後に起こるのですから、...
この「差異」+「遅延」の概念がデリダの言う「差延」でした。
さて、私たちは常に何かを見ています。何かを聞いています。...
これらすべてが「知識の変容」に関わるのだとすれば、「知識...
すでに言語に対してはそのような見方がされています。
ソシュールは、「通時態」という概念により、これを表現しま...
また、サピアは「ドリフト」という概念により、これを示しま...
いずれも、「言語は常に変化する。一定の形をとどめているこ...
これは当然ながら(言語=思考という極端な言語相対性仮説に拠...
このような「知識変容のダイナミズム」を所謂「ポスト構造主...
ですから、そのような見地から、クリステヴァの「間テクスト...
「間テクスト性」とは、つまり、「他のテクストがあるテクス...
これについては、また述べることにします。
さて、「思考」についても、少し考えて見ます。
ズバリ言うと「考えることは自分に話すこと」です。
もちろん、視覚的な思考というものは存在しています。
心理学的にも多くの実験により確かめられています。
それを否定はしません。
結局は何かを「イメージする」ということは、「頭の中で」同...
たとえば「イメージトレーニング」も同様です。
訓練をすると、「イメージする」ことによって、運動神経・筋...
(「運動準備」という状態に神経をさらすことによって、実際に...
そして、私たちにとって、たいていの経験は言語を伴って記憶...
とくに、冷静に、論理的にものを考えようとすれば、「言語」...
こう考えると、思考(内言)は、常に「対話的」でなければなら...
また、「考える為には二人でなければならない」といったヴァ...
(「『私が』『私に』話すのである以上、前の『私』は後の『私...
ですが、先ほども申し上げたとおり、「書く」「話す」という...
要するにヴァレリーの言う「内的差異」は、結局はデリダの言...
ふむ。
「古代史」の話からはだいぶそれました。
次は本当に、ここまでのお話を踏まえての「史料批判」の方法...
お題目を決めておきます。
「テクストとテクストの影響について」です。
お楽しみに(笑)。
08-Sep-2002
昨日今日(2002.9.7~9.8)と、西さんトコの「考古文化研究会」...
・・・というわけで、旅日記風に書いてみたいと思います。
2002.9.7
朝、9:00に神奈川県大和市の自宅より出発。
10:36発の新幹線「のぞみ」にて、京都へ。
12:37、京都に到着。ここから近鉄に乗り換え、奈良県橿原に向...
西さんとの待ち合わせは、14:00。
ここまでは、予定通り。順調だけど、天気予報で降水確率50%と...
近鉄西大寺駅で、橿原線に乗り換え。
しばらくすると、予報どおりの雨。しかも、大雨。
・・・とおもったら、この雨はすぐに止んで、日差しがさして...
変な天気。
待ち合わせていた「八木駅」に到着。
西さんの携帯に連絡する。ちょっとすれ違ったりしてるうちに...
西さんご夫婦と合流し、早速、西さんの車で移動。
この雨だから、古墳めぐりの予定を変更して、資料館に案内し...
「田原本町郷土資料展示室」(「中央体育館」内)に到着。
有名な唐子・鍵遺跡の展示を行っている。
西さんの解説つきで、展示を閲覧。土器の編年の見わけ方など...
また、展示では何も書いていなかったが、西さんに拠れば、「...
見ている間に雨が上がった。
おまけ:展示室の方も、親切な方で、たっぷり「解説」してい...
次に、「桜井市埋蔵文化財センター」へ。
須恵器の古いものの見わけ方を、西さんの奥さんから教えても...
雨も上がったことだし、箸墓を見る。
車でぐるっと回りながら、見た。その後、車を停めて、全体を...
実は、私、箸墓見たの初めてなのです。
ふむ、思った以上に、木が生い茂って、何もない感じなのね・...
近くの「ホケノ山」に移動。
ホケノ山古墳の上に登って、三輪山→箸墓を180度見渡す。
三輪山、ホケノ山、箸墓・・・。
西さんが興味深いお話をしてくれた。
でも、ここではひみつ(笑)。
今度は、「金屋の石仏」。
でも、「石仏」は今回の目的ではなく、目的は、石仏のあるお...
肥後ピンク石の石棺の蓋が、「転がって」いた。
こんなところに、無造作に。
西さんから、肥後ピンク石の摂関のお話を聞いた。
肥後ピンク石の石棺はいくつか例があるけれど、本場の肥後に...
でも明らかに九州の工人の手によるものだという。
「製品」を九州から持ってきた・・・らしい。
詳しくは、西さんが書いているからそちらを参考。
いろいろ想像が掻き立てられるけど、慎重に調べないと、ね。
面白い話に発展しそうな感じはする。
西さんの論考をもう一回読んでみようっと。
1日目はこれで終わり。
・・・なわけはなく、飲みに行った。
例によって、飲みすぎる。
2002.9.8
6:30起床。
頭痛。やっぱり飲みすぎましたね。
7:30朝食。
8:30出発。
あ、ちなみに、西さんとは同じホテルに泊まってました。
西さんが私に合わせてくれたのです。
で、西さんと一緒にタクシーで出発。
橿原考古学研究所付属博物館に到着。
物怪守屋さんに会った。
で、河上邦彦さんの講演。
なんでも、河上さん、同博物館の館長になって、「営業」も気...
ま、どこ行っても仕事は大変なものです。
河上さんの講演の内容は、「條ウル神古墳と巨勢谷について」。
スライドを使って、発掘の裏話から、未発表情報まで、楽しい...
12:00に講演は終わり。
西さんに誘われ、河上さんや研究会のスタッフの昼食会にお邪...
ほとんど河上さんの独演状態。
ざっくばらんな気さくな方で、楽しい昼食でした。
「まずいビールの飲み方」から「南朝文化の影響について」ま...
あっという間に15:00。
ここでお開きとなり、西さんたちと別れ、帰途につく。
西さん、ありがとうございました。
さて、これで終わらなかったのです。
帰りの新幹線「のぞみ」が、なぜか静岡に停車。
「あれ?」と思っていると、アナウンスが。
「富士川付近で大雨の為、しばらく運転を見合わせます」
結局、1時間37分遅れで新横浜に到着。
参った・・・。
ふぅ、というわけですので、もう寝ます。
おやすみなさい。
01-Sep-2002
今日も、「文献批判とは」です。もう5回目ですね。
ここまで、20世紀の思想界の状況をざっとですが、見てきまし...
そろそろ、「本業(?)」である、「古代史」のほうへ向って...
はじめに、いつかの図を見ていただきたいと思います。
図参照
この図は、書くこと、そして読むことを一般的な通信モデルを...
実は、すでに似たような図がたくさんあることを知りました。
たとえば、ブルデューは、「ハビトゥス」という概念を用いて...
また、ヤコブソンは、かわにしの図において「テキスト」とさ...
参考としてあげておきます。
図参照
さて、この図において、著者と読者の知識の違いによって、意...
この点をより深く分析してみます。
まず、「意味」とは何でしょうか。
これについては、意味=言及(指示)対象説(意味はそれが指示す...
私は、これらの全てが(意味の一部を言い表しているという意味...
最近注目されるスペルベル&ウィルソンによる「関連性理論」に...
それは、意味は聞き手にとってより重要な、興味を惹く効果を...
「昨日の地震で学校がつぶれた」の意味は、
地震により学校の建物が倒壊した。
学校の経営が行き詰まっており、昨日の地震で(何らかの)...
の、いずれもありえます。この場合、聞き手が「地震があった...
だから、1)の解釈を採ります。もしかしたら、「地震があった...
実は、同じようなことをすでにブルームフィールドが述べてい...
なんにせよ見かけは重要でない物事が、ヨリ重要な物事と...
さて、この立場を突き詰めてみると、結局、このようにいえま...
「意味は聞き手が決めるものである」。
したがって、多くの言語学者が、意識する/しないに関わらず...
これに対し、たとえば、柄谷行人はウィトゲンシュタインの言...
また、立川健二も「誘惑する立場」として、「聴く立場」に対...
彼らの主張は、「意味は聞き手が決めるものである」という概...
また、ウィトゲンシュタインは「意味は聞き手が決めるもので...
(ここらへんは、あくまで「かわにしによる理解」によって、「...
反対に、話し手の立場を強調するのが、「言語行為論」だと、...
その担い手はオースティンやサールです。
オースティンは、全ての発言は、「行為遂行的だ」と言います。
これは、例えば、「わたしは明日9時に会社に行く」と発言した...
また、「危ない」と道路で叫んだら、おそらく、道路を横断し...
そういう意味で、全ての発言は、何らかの行為を含むのです。
端的な例は、「約束」です。
「明日の5時に○○で会いましょう」という、ありふれた約束は、...
まず、この発言は相手に聞かれなくては「約束」として成立し...
これは当たり前ですね。
次に、これは、相手が「約束」として受け取らなくては、「約...
(あまり遠まわしなプロポーズでは、相手が結婚の約束と受け取...
また、この発言をしたからには、少なくとも「明日の5時に○○に...
ところが、仮にこの意思を持たなかったとしたら・・・。
翌日の5時に○○に彼が現れなければ、「約束違反」として彼は責...
そのときに彼が「昨日はああ言ったが、そんな意思はなかった...
それでも、「約束違反」は「約束違反」です。彼の言い訳は通...
これが言葉の持つ威力というものです。
本人の意思とは無関係に、発した瞬間に、威力を持つ、という...
さて、「約束」には、それこそ「お約束」の決まり文句が付き...
それは、自他共に確実に「約束」であることを認識する為に、...
オースティンは、これを慣習として、重視しました。
わたしは、単なる言葉のほかにも、「指きり」や「婚約指輪」...
この慣習は、なにも「約束」という限られた行為にのみ存在す...
オースティンに拠れば、これは行為遂行的発言において、非常...
結局は、話し手と聞き手が、意思の疎通を行う際に、共通の慣...
(ウィトゲンシュタインに言わせれば、それが言語ゲームの規則...
また、現代語用論(pragmatics)の中心をなす、グライスは、次...
発話の内容が発話者にとって何らかの意味があること。
発話の相手がその発話に何らかの意味があることを了承す...
相手がその意味を了承すること。
これらのことを、発話者は了解している必要があるというので...
この「再帰的」な関係は、重要だと思います。
つまり、「発言をするからには、自分にとって意味があること...
実際はそんなに難しいことではありません。
いつもやっているのですから。
現に、わたしも今、それを考慮して、この文章を組み立ててい...
整理しましょう。
もう一度、例の図を見てください。
ここで、必要なのは、
<著者(話し手)から見ると>
1)発話の内容が発話者にとって何らかの意味があること。
2)発話の相手がその発話に何らかの意味があることを了承する...
3)相手がその意味を了承すること。
<読者(聞き手)から見ると>
話し手が以上のことを考慮して発した言葉であることを認識し...
ということになるかと思います。
ここで、もうひとつの概念を追加したいと思います。
ホールの「オーディエンス」という概念です。
これは、主に社会学で、マスコミ研究・大衆文化研究などで使...
文字通り、「聴衆」です。
マスコミにしても、著作物にしても、「読み手」はたくさん存...
ここが通常の言語学が対象とする「会話」とは違う点です。
もちろん、送り手は、同じようにして、メッセージを送ります。
ところが、受け手は一人ではないのですから、そこに様々な解...
当然、受け手は、それぞれに、それぞれにとって「意味のある...
そうすると、受け手は受け手同士で、「解釈のぶつかり合い」...
これはこのままジェンダー・エスニシティといった、ポストモ...
(この問題は、カルチュラル・スタディーズという、ホールを中...
「古代史となんの関係があるんだ」と思った方、いらっしゃい...
でも、よく考えてみると、「史料を読む」という、「歴史学」...
この点をよく踏まえたうえで、なおかつ、「大衆化されたポス...
端的に言うと、私は「読者であることをやめなければならない...
まぁ、続きは、またの機会に・・・。
25-Aug-2002
今日は「文献批判とは―第4回」です。
先日は、記号学・構造主義から、ポストモダニズムまでお話し...
まぁ、あの説明でよくわかったかどうか、不安ですが…。
なんにせよ、「よくわからん」とかでも、広い意味で興味をも...
そして、私の説明の間違い、もしくは、鋭い批判やツッコミな...
さて、今回は、そのポストモダニズム批判に転じたいと思いま...
この批判の急先鋒は、マルクス主義文学批評家にして、哲学者...
彼は、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコー、ジル・ドゥル...
イーグルトンには、『文学とは何か』という、構造主義批判に...
さて、イーグルトンに拠れば、ポストモダニズムは、1980年代...
私の理解により、私の言葉で説明してみたいと思います。
たとえば、デリダが行ったのは、「形而上学批判」ですが、こ...
哲学は、物事の様々な問題を捉え、考えてきました。何によっ...
「人間とは何か」「国家とは何か」「歴史とは何か」「世界と...
これらの問いを発し、考え、解決するのは「理性」であり「知...
そして、哲学は、「知の体系」として確立していきます。
もちろん、考える主体と客体についての考察がないわけではな...
この「知の体系」に疑問を持つものがいました。
それが、ニーチェであり、ハイデガーであり、デリダです。
ここで、デリダは「脱構築」という考えを提示して、現前性の...
「脱構築」で行おうとしているのは、哲学者たちの記述がいか...
このような次第ですから、デリダの問題意識は、決して単純な...
もう、これ以上突っ込まれても私には説明できません(笑)。
また、フーコーは、エピステーメという概念によって、「権力...
ドゥルーズは、形而上学的な樹形図(tree)構造の概念に対し、...
ツリー構造という言い方をするとわかりやすい方もいるかと思...
たとえば、生物の進化の樹形図とか、チョムスキー的な文法の...
これに対し、リゾームとは、任意のある一点が別の任意の一点...
もちろん、構造そのものが問題・・・というよりは、むしろ、...
彼らの考えを積極的に取り入れることで、「大衆化されたポス...
たとえば、「脱構築」「現前の形而上学」「知の権力」「エピ...
その結果、ポストモダニズムは以下のスローガンとも言えるテ...
反本質主義(anti-essentialsm):たとえば、ジェンダー(社...
客観的言説の否定:全ての言説は、あらゆる価値判断に影...
政治性、権力への関心:言説の持つ権力構造に注目し、あ...
これらは、「批判勢力」として存在する分には、それほど問題...
ですが、ひとたび、隆盛すれば様々な弊害を生むことになりま...
たとえば、1の概念は、それ自体としては重要な概念です。ま...
ですがひとたび「全てのものは反本質的(社会により構築された...
なぜなら、この発言は「全てのものは反本質的という本質を持...
また、形而上学はだめだ、とか、真理などない、とか、中心を...
この2項対立は、まさにデリダの批判した「現前の形而上学」の...
さて、本筋の話に入ります。
歴史学の方法とは、というテーマです。
そもそも私が統計学→言語学→文学理論→哲学と旅をしてきたのは...
もっと切実には、「日本書紀をどう読んだらいいのか」という...
今後、少しずつ、私の考えを述べていきたいと思います。
とりあえず、今日はここまでにしておきましょうか。
では。
18-Aug-2002
今日も「文献批判とは―第3回」です。
今日は、20世紀になって発展してきた哲学・思想的状況を見て...
なぜ、そんなことをするのか、というと、当然ですが、史料と...
私も、ここ数ヶ月の間で学び取ったことを、少しずつですが、...
しばらく、お付き合いくださいませ。
さて、20世紀の思想状況を反映する言葉として、「言語論的転...
伝統的な経験論、観念論の哲学体系は、観念と実在、あるいは...
これに対し、フッサールの現象学に代表されるように、実在・...
目の前にあるりんごは、本当に目の前に実在しているかは知ら...
こういう考え方です。
このような次第で、哲学の記述の対象は、観念から(精神の表...
これが、第1の意味での「言語論的転回」です。
その後、スイスのソシュールという言語学者が、画期的な言語...
ソシュール以前の言語観は「言語名称目録観」あるいは「博物...
どのようなものかというと、「世界には先に意味があり、それ...
「ワンワンと吠える人間に飼いならされた動物」という意味・...
ソシュールはそうではなくて、「イヌ」という言葉を使うよう...
つまり、こういうことです。
「イヌ」と「オオカミ」の違いは、「イヌ」と「オオカミ」が...
このことによって、言語学は飛躍的に発展しました。
また、この考え方は、言葉に限らず、「記号」という概念とし...
これを「記号論」と呼びます。
ソシュールは「記号」について、構造的な理解を進めました。
まず記号(シーニュ、sign)には、記号表現(シニフィアン、s...
これは、言葉と実物の関係では決してなく、あくまで心的なも...
このシーニュは、言語システムを構成する重要な要素です。
ここで重要なのですが、この言語システムは、シーニュの総和...
シーニュの単体は実体を持つものではなく、他のシーニュとの...
このような「差異のシステム」として言語構造を形作ったのが...
さて、このような「差異のシステム」「関係のシステム」とい...
このように、物事の構造を捉えようとする試みは、主にフラン...
レヴィ=ストロースは、「構造人類学」という学問を打ち立てま...
他にジャック・ラカンは「精神分析」で、ヤコブソンは「音韻...
また、ロラン・バルトは「物語の構造分析」を行ったし、アル...
それぞれ重要な人物なのですが、いずれお話したいと思います。
実は構造主義という潮流には、もうひとつの概念が内在してい...
これがポスト構造主義という概念で、構造主義の作り出す構造...
なんのこっちゃとお思いかもしれません。
私も理解した限りで説明させていただきます。
そもそもソシュールは言語研究の持つ二つの側面を提示してい...
「共時態」「通時態」と言われるもので、よく「記述的」「歴...
「ぱっと見」「ぱっと聞き」はそんな感じだと思ってください。
詳しく言うと、言語というのは長い時間の流れで見ると、すこ...
ですが、わたしたちは自分の使っている言語が変化していると...
言語はすこしずつ、しかし常に変化します。使っている本人も...
この「ある人が使っている(変化していない)言語」について...
「長いスパンで変化していく言語」を研究するのが「通時態」。
ということです。
構造主義はこの「共時態」研究に対応するものです。
ポスト構造主義は「通時態」研究に対応します。「ポスト」な...
(この名称はアメリカがフランスからこの潮流を輸入した際に...
ですから、ラカンもバルトもポスト構造主義者とも呼ばれます。
このポスト構造主義の影響を受け、デリダ・オースティン・ク...
彼らの影響を受け、社会学などの人文系の学問で、認識論の転...
これが、第2の「言語論的転回」です。
「読むという行為、書くという行為は、社会的・個人的価値観...
「ジェンダー(社会的に構築される性、「男らしさ」「女らし...
といった点に注意を払うのが、「言語派」「ポスト・モダン」...
これにより、社会学をはじめとする人文系学問は、様々な認識...
歴史学も例外ではありません。
このような歴史学の認識論の転換を求める論者に上野千鶴子、...
彼らについては、またお話します。
今日はここまで!!
あ、「かわにしの、かわにしによる、かわにしのための用語集...
暫定公開しておきます。よろしければ、ご覧ください。
04-Aug-2002
今日は、「文献批判とは―第2回」です。
何回まで続くかわかりません(笑)。
今回は、「歴史の史料とは」ということで、考えてみます。
ラングロア&セニョボスは、『歴史学研究入門』という本のな...
「歴史は史料で作られる。史料とは、むかしの人間が残した思...
これは、近代実証主義歴史学における根本的概念といっていい...
「歴史」というのは、つまり「史料」なのです。
さて、ラングロア&セニョボスは、史料について以下のように...
(1)直接的な体験・・・今日地震がおきた、とか、昨日の天...
(2)間接的な伝達・・・自分の目では見ていないけれども、...
(2.1)物理的史料・・・地震の残骸やNYテロの残骸、アフ...
(2.2)精神的史料・・・歴史書や日記、手記、碑文、手紙...
大方、このような分類で、たしかに、正しいでしょう。
所謂文献史学が対象とするのは、2.2の精神的史料です。
さて、これもさらに細分化することが出来ます。
(編年史、日記・・・という分類もありますが、今は、私なり...
(2.2.1)「過去に起こった事実」の記述を意図している...
(2.2.2)「過去に起こった事実」の記述を意図していな...
このような分類です。
「過去に起こった事実」というのは、読んでのとおりで、どん...
つまり、日記・歴史書・新聞などの事件報道などです。
また、より厳密に考えれば、「現在の出来事」も同じであると...
なぜなら、「今」という概念は、私たちの通常の意味では一定...
1秒前でも一瞬でも刹那でも、過去は過去、というわけです。
また、書いた本人が体験したか否か、によって更に下位区分が...
(2.2.1.1)書き手が体験したもの
(2.2.1.2)書き手は体験していないもの
さて、過去に起こった事実の記述を意図していないものとは、...
これは当然、小説や詩などの文学作品や、あるいは、論文や演...
ほかには、命令書や立て札・荷札などもこの類のものでしょう。
しかし、論文にしてもエッセイにしても、手紙にしても、「過...
ですから、ひとつの文書の中でも、この区分は分かれるのだと...
最初のセンテンスは2.2.1に、次のセンテンスは2.2....
さて、「過去の事実を記述する意図が無い」ものは、歴史資料...
そんなことはありません。
当然ながら、そこには、史料として価値のある記述が含まれて...
むしろ、「直接史料」として価値があると見ることも可能です。
(古田武彦が『万葉集』の歌に価値を見出すように)
どのような部分に含まれるのかといえば、たとえば、「漱石」...
どうしたって、当時の時代背景が私たちの前に浮かんできます。
漱石にしても鴎外にしても、歴史事実の記述をする意図は無く...
私たちが「歴史」を感じるのは、どんなときでしょうか。
テレビドラマの再放送を見て、「歴史」を感じたことはありま...
たとえば、主人公の使っている携帯電話が異常に大きく感じた...
「黒電話」や「ガチャガチャ回すチャンネルのテレビ」や、「...
(いまに、「分厚いテレビ」もその仲間入り・・・でしょうか...
もうすこし、突っ込んで言うと、この文章も、おそらく何十年...
なぜなら、「携帯電話が異常に大きく感じ」る背景には、「200...
このような現象が起こるのは、先日の「モデル」が関わります。
あの図で「著者の知識」と「読者の知識」のギャップ・・・そ...
理論的には、ミハイル・バフチンのディアローグ(対話)主義...
さて、今回は、「形而上学的」に分類を行ってみました。
しかし、実は、「歴史史料」は、もう少し、深く考えてみよう...
「体験する/しない」の区分は・・・とか、「書く/読む」と...
とりあえず、今日はここまで!
23-Jul-2002
今日は、「文献批判とは」ということで考えてみようと思いま...
実は、ここのところ、「日本書紀に立ち向かうための方法」を...
まず、「文献批判」ということは、対象とするのは「文献(テ...
「テキスト」ということは、つまり、「文字で書かれた情報」...
すなわち、極論をすれば、「文字を媒介としたコミュニケーシ...
「文献」の著者は、「何か」を伝えたくて、書いたのです。読...
さて、認知心理学の知見に拠れば、「読み」も「書き」も本質...
「こうして書き手は読み手の理解過程をシミュレートしな...
と、いうことができます。
少し、言い換えると、我々は、「読み」という作業においても...
ところが、たとえば「読み手」によって、知識に違いがあれば...
では、これを「歴史学の史料」に当てはめて見ましょう。
たとえば、陳寿(三世紀中国)の『三国志』を考えてみればよ...
当然ながら、陳寿は、「読み手」の知識を予想しながら、『三...
ですが、予想する「読み手」というのは、あくまで同時代の同...
これは、想像のつく事だと思います。いくらなんでも「二十一...
また、「読み手」である我々は、当然「三世紀の中国人」とま...
ある部分では、「三世紀の中国人」の知らない知識を有してい...
「書き手」の想定したものと「読み手」のそれでは、ギャップ...
これを図示すると、このようになります。
図参照
さて、我々は今、何を知ろうとしているのかといえば、究極的...
従って、当然ながら、まず「テキスト→読者」間において、「知...
つまり、「テキスト」には、何が書かれているのか、というこ...
このための方法は、実は、いくつかすでに存在しています。
たとえば、「計量的(今まで「統計的」と言ってきましたが、...
また、「構造主義的な文学理論」も参考になるでしょう(直接...
他にも言語学的な諸理論が有用なのかもしれません。
その後、「著者→テキスト」間で、「知識」によって、付加・削...
こちらについては、「書く」という作業について、より認識を...
これを詰めることによって、より良い方法論が考え出せるのだ...
ま、のんびりやりやしょう(笑)。
29-Jun-2002
最近、「統計学」「認知心理学」「言語学」などに少し寄り道...
そういった中で、少し考えたことを、お話します。
1.文献(テキスト)に対するときの標本・母集団の関係につ...
文献研究に統計学を適用するということは、文献史料の一部を...
一般的な社会統計調査や実験結果とは、少し違います。
その前に、「標本」と「母集団」について、少し説明しておき...
「統計」という言葉のイメージと馴染みやすい例を挙げましょ...
たとえば、「日本人全体の何らかのデータ」を調査したいと思...
「収入はどのくらいか」とか「家族は何人」とか「恋愛観」や...
本当に「正確な」データを収集するとすれば、当然ながら、「...
ですが、実際問題として、それは不可能ですので、「無作為」...
この場合、「日本人」全体が「母集団」で、「抽出された百人...
・・・で、この「標本」を基にして、平均(平均とは、データ...
もちろん、本当に調べたいデータの一部分を取ってきているわ...
ですが、ちゃんと抽出さえ行えば、だいたい一致するといって...
一般的には標本の数を増やせば、かなり一致すると見て差し支...
さて、では、今度は古田氏が行った、「魏志倭人伝の「壹」の...
この場合、「母集団」は何でしょうか。
古田氏は、「母集団」は、「魏志倭人伝全体に現れた全ての「...
だから、これは全数調査だ、と。
誰だったか忘れましたが、これに対し、これは「標本」だと、...
歴史上存在した全ての版本の「壹」が母集団だ、というわけで...
要は、母集団の設定の仕方が、非常に難しいのです。
たとえば、「隋書の「達」」の用例調査を行った場合、その「...
これは、「全数調査」にあたるでしょうか。
用例調査を行う意味を考えると、つまり、隋書執筆当時に使わ...
さらに、言葉の使い方の「個人差」や、文章の種類(歴史書と...
そうすると、「母集団」は、「隋書執筆者が隋書(のような書...
これは、「隋書」に実際に現れた「達」の数と一致する、とい...
そのように見なすとすれば、これは「全数調査」だと言い得る...
ですが、言語学では、「隋書執筆者が隋書(のような書物)を...
そうすると、「隋書」に実際に現れた「達」は「標本」だ、と...
ですが、この場合、注意すべきことは、この「標本」の抽出は...
このような点は、非常に微妙な問題をはらみます。
十分注意が必要です。
2.切断の効果
たとえば、こういう調査結果があります。
大学入試時の成績と、大学入学後の成績には相関関係は無い、...
これは正しい議論でしょうか。
実は、そうではありません。
「大学入学後の成績」は、実際のところ、「大学入試時の成績...
もしも、「大学に不合格の人が、同じ教育を受けた場合の成績...
「大学入学後の成績」は、決して、「大学入試時の成績」と同...
それを、統計学的には「切断の効果」と言ったりしますが、こ...
たとえば、調べたわけではありませんが、『漢書』の中で、皇...
多分、無理です。
なぜなら、『漢書』という歴史書に「没年齢」が載るとすれば...
従って、ここでも、「切断の効果」を気にする必要があるので...
こういう間違いは、しやすいものです。
これも十分注意が必要でしょう。
3.統計学の方法
さて、そうすると、文献資料というのは、統計にとって、かな...
とくに、標本抽出の作業が、容易ではない。
「母集団」の設定の仕方を慎重に行い、「切断の効果」を十分...
おそらく、そうなると、「正規分布」を必要とする推定・検定...
ですから、「ノンパラメトリック法」が重視されるべきなのか...
回帰分析や多変量解析も、微妙な方法です。
なぜなら、それは、「多数の標本抽出によって正規分布が十分...
ふむ。
今のところ、こんな感じに考えています。
また、そのうち、まとまったお話が出来るかもしれません。
今日のところはこの辺で。
1-Jun-2002
今日は、今後の研究のひとつの指針について、書きたいと思い...
・・・と、言うと、何か大事のようですが、まぁ、今もってい...
時間が掛かりそうなことなので、予め「ぶっちゃけ」てしまお...
さて、先日もお話したとおり、「九州王朝説」を抜きにして記...
なぜなら、すでに、「九州王朝説抜き」という研究は多数あり...
とはいえ、そういう中へ、なんの「方位磁針」も持たずに踏み...
森博達氏は、『日本書紀の謎を解く』の中で、書紀を「森」に...
森氏の場合、方位磁針となったのは、音韻論でした。
これと、書紀の区分論とを組み合わせ、「森」を歩く。
これは大事なことだと思います。
付け加えれば、古田氏はまさに、「九州王朝」を方位磁針にし...
森氏の研究には、なぜ価値があるのか。それは、出発点が徹底...
記紀歌謡の仮名を抜き出し、それを分類するという、一種地味...
小川清彦氏の暦日研究も、同じ意味で、重要なのです。
「古代史ブーム」と言われる中で、よく、いきなり大きな「世...
アマチュア論者の陥りやすい困った点なのですが、実は、それ...
でも、本当に「実証的」で「客観的」な研究成果というのは、...
「ささやかな発見」に見えるものです。
西さんが「文献史学は、絵筆で絵を描くようなもので、考古学...
少なくとも、そういう研究は大事だと思います。
さて、私は、かつて「心理学」をかじったことがあります。
本当に「ちょっとかじった」程度ですが。
その中で、「統計学」というものを学びました。
実は、「数理統計学」という学問の、かなりの部分で、「心理...
心理学実験の効果の検定や、標本調査・因子分析などです。
そういうわけですから、「心理学」を勉強する際には「統計学...
「統計学」を「歴史学」に利用した例としては、古代史では安...
(実は、彼は心理学者でもあります。学生時代の統計の教科書...
安本美典・本田正久『因子分析法』は、その名のとおり、因子...
安本氏は、統計学を駆使して、「古代の天皇の在位年数は十年...
私はその結論には疑問を持っていますが、彼の方法自体には、...
彼の方法について、多くの反論がありましたが、私の目から見...
私は、統計学上の方法を、記紀批判に応用できないか、と考え...
もちろん、そのような試みは決して少なくは無かった。
少なくは無かったけれども、注目はされなかった。
むしろ、「あやしい」と見られがちだった。
それは、確固とした、「方法論」として確立できなかったため...
歴史学、特に文献研究に「統計学」を応用することは、世論調...
それなりに、「歴史学」「文献史学」に適合する形の「統計理...
「借り物の統計学」のまま、文献にぶつかっても、「戦う」こ...
・・・大きなテーマですね。
だから、予め「ぶっちゃけて」しまおうと思ったわけです。
こっそり研究して、一気に発表してみんなを驚かす・・・なー...
というわけで、まずは、「統計学マスター」を目指さなくては...
これとは別に、世界的な「統計学の歴史学への適用」の実際を...
情報をお持ちの方がおられましたら、よろしくお願いします。
21-May-2002
今日は、「九州王朝説と記紀」について、です。
古田氏が、「九州王朝説」という概念を提出したのは、古田氏...
これは、第一著『「邪馬台国」はなかった』を受けて、魏志倭...
ここで貫かれていたのは、「中国側同時代文献から後代文献で...
思えば、松下見林に始まり、それまでの歴史家たちは、「記紀...
だからこそ、多くの矛盾を、中国側の誤りとして処理しえたの...
ところが、津田左右吉氏以降、記紀をも疑うのが主流となった。
しかし、それでも記紀は主要文献であり続けたのです。
記紀を一切無視し、中国側文献だけに拠ったとき、どのような...
これが、「九州王朝説」論者の立つべき基本認識だと思ってい...
もちろん、『失われた九州王朝』という本の中では、記紀につ...
ですが、古田氏の「九州王朝説」の骨組みは、あくまで、前半...
私はそのように理解しています。
だから、私は古田氏の「九州王朝説」を要約して「九州王朝と...
それまでの諸説の矛盾を洗い出し、記紀と中国文献を「切り離...
これが基本認識だと思っています。
決して「記紀の解釈」から生まれた説ではない、ということで...
さて、古田氏は記紀に対しても多くの見解を提示しています。
第三著『盗まれた神話』はその基礎となるものです。
ですが、古田氏は『盗まれた神話』の時点では、もうすでに「...
基本的には「九州王朝説の立場から、記紀はこのように解釈し...
それを提示したものです。
決して、記紀の史料批判の中から「九州王朝説」という帰結を...
『盗まれた神話』の構成からも、古田氏の立場は明らかです。
「第一章 謎にみちた二書」で記紀の持つ矛盾点・疑問点を提示...
こういう構成です。
「盗用説」という、あるいは「古田氏の説の代名詞」とも、見...
もちろん、私が言うまでも無く、古田氏にとっても、これは当...
論理的には、このような「構成」を持つのが「九州王朝説」で...
ですから、記紀に対するときの古田氏は、時に主観主義に走り...
特に「盗用説」は、九州王朝側の史書が残されていない以上、...
証明不可能、だが事実。
これは、「造作説」が陥った甘いワナでした。
また、「盗用説」による解釈を進めていって、それによって「...
むしろ、「今まで謎とされてきたところに、九州王朝という視...
少なくとも、古田氏はそういう立場で『盗まれた神話』を書い...
古田氏は、基本的には、この作業を重視してきたのでした。
「一つの仮説を立て、それが多くの現象(歴史学では史料事実...
もっとも、最近の『壬申大乱』あたりでは、もはやすっかり、...
このような「九州王朝説と記紀」の関係ですが、私は、もう一...
古田氏の「九州王朝説」の、もうひとつの功績として、「天皇...
この点を重視して、あくまで記紀を中心に、「記紀だけから言...
「九州王朝説から見た記紀への解釈」と「記紀自身の史料批判...
まぁ、こうやって「書いてみる」と、何てことは無い話ですね...
最近、改めてそのように思った・・・ということです。
09-May-2002
最近、ほうぼうで、森博達氏『古代音韻と日本書紀の成立』『...
特に、意図があってのことではなく、まぁ、たまたま、なので...
私は、両研究については、5~6年ほど前、古代史に興味を持...
そんなことはさておき、最近になって、ようやく、というか、...
古田氏は、わりと、冷めた、というか、あまり関心を払った様...
私は始め、
「これは画期的な研究だ。でも、九州王朝説を抜きにして、研...
どこかで、九州王朝説の観点からの解釈を導入せざるを得ない...
と思っていました。
ちょうど、古田氏も似たような見解だったようです。
最近は、むしろ逆に、
「九州王朝説は、森氏や小川氏の研究を抜きにしては、限界が...
と思い始めています。
「盗用説」です。
もしも、両研究が示すごとく、雄略紀以前が、八世紀にほど近...
「九州王朝史書を近畿天皇家が盗用した」
という仮説は、成り立たないのです。
もしくは、非常に成り立ちにくい。
また、以前、川村明氏との間で、「推古紀の十二年のずれ」問...
川村氏はくしくも、森氏の所説を引いておられましたが(川村...
それは、「推古紀は正しく元嘉暦である」ということです。
暦は「十二年」ずれていないのです。
これも、ひとつの史料事実として(以前唱えた自説に大変不利...
ただ、まだ、いろいろな可能性が考えられる段階です。
たとえば、
・推古紀の原史料は、干支で年月を示しただけのもので、あと...
→だとすると、雄略紀以降も、後のいずれかの段階で、暦が割り...
→九州王朝側史料は元嘉暦、近畿天皇家側は干支ということも、...
→推古朝の金石文では、干支だけの表示が、一般的です。(法皇...
などです。
こういった点は、「ずれ」以前に、「日本書紀の成立過程」を...
もちろん、「景行九州遠征」などに関しても、見直す必要があ...
私が提示した「欽明紀」も、再検討を要します。
ただ、私は、「盗用説はもうだめだ」と思っているのではない...
まだそこまでは踏み込んでいません。
なぜなら、森氏の研究の基礎は「万葉仮名」であり、小川氏の...
そして、あくまで「日本書紀編纂過程」に対する、見解である...
「ネタ本としての九州王朝史書の盗用」という可能性もまた、...
これはむしろ当然なのかもしれません。
古くから、「日本書紀は芸文類聚などによる修飾が多い」とさ...
古田氏は近年、「盗用=文面どおり、九州王朝史料」と見なす...
森氏の研究に関しても、やはり「α群は中国人の手による」と見...
これは、大きなテーマです。
今まで以上に、慎重にひとつひとつ吟味していきたいと思いま...
03-May-2002
今日は、「知」の続報です。
といっても、まだ、問題を整理しているだけですが。
まず、「知」の用例ですが、漢字としての「知」の意味として...
【知】
しる。
言葉として口から発し得る心内の認識。
知、詞也。从口矢。説文
心える。みとめる。認知する。
さとる。感づく。覚識する。
見わける。弁別する。
おぼえる。記憶する。
きく。聞きしる。
見る。見てしる。
したしむ。まじはる。
あらはれる。
つかさどる。治める。とりしまる。
知、主也。<字彙>
乾、知大始。<易経、繁辞上>
子産、其将知政矣。<左氏春秋、襄公、二十六年...
三年而知鄭国之政也。<呂覧、長見>知、猶為也...
左伝、襄二十六年、公孫揮曰、子産、其将知政矣...
しらす。しらしめる。告げる。
しらせ。しらせること。
しること。
しる所の多いこと。
ちゑ。
しりあひ。交友。
まじはり。交游。
もてなし。あしらひ。
欲。むさぼる心。
たぐひ。たぐふ。あひかた。
病いえる。
知事。
諸橋大漢和辞典
さて、「つかさどる」の用例ですが、少し吟味したいと思いま...
左氏春秋の例です。
ここに登場する「子産」という人物、彼は、鄭の宰相(大夫?...
ここのお話は、鄭伯が、(宰相として国政を預かる前の)子産...
結局は鄭伯に説得され、受けるのですが、このやりとりを聞い...
「子産は、きっと政治をつかさどる人物になるだろう」という...
ですから、これは必ずしも「王として支配する」の用例では無...
ちょうど、「聴」にもおなじような用法があります(聴政)。
これも、「摂政」などと同じように、「王に代わって政務を担...
(もっとも、鄭は伯爵の国ですので、「伯」に代わって・・・...
通俗編に載せる、「魏了翁」の説明が、参考になるでしょう。
「知初国」も、漢字としての用例は、この「つかさどる」の用...
次に、「古語」としての意味を見てみます。
【しる】(知・領)
対象を支配下のものにする。
土地や国を治める。
那賀美古夜、都毘邇斯良牟登、加理波古牟良斯。
(汝が御子や、終にしらむと、雁は卵生(む)ら...
土地を領有する。
葛城乃、高間草野、早知而、標指益乎、今悔拭。
(葛城の、高間の草野、はや知りて、標(しめ)...
(他に、伊勢物語第一段の例もあります)
対象を意識の中のものにする。
知覚する。
阿摩[イ襄]霧、箇留[小宛]等売、異[口多]儺介麼...
(天飛(あまだ)む、軽嬢子(かるをとめ)、甚...
認識する。
烏麼野始[イ爾]、倭例烏比岐例底、制始比騰能、...
(小林に、我を引入て、せし人の、面も知らず、...
さとる。
白珠者、人爾不所知、不知友縦、雖不知、吾之知...
(白珠は、人に知らえず、知らずともよし、知ら...
角川古語大辞典
さて、1の用法のうち、ロの用法は、漢字としての「知」に近...
「王の支配」ではないという点です。
問題は、仁徳記の用法です。
同じような用例として、以下のようなものもあります。
不念乎、思常云者、天地之、神祇毛知寒、邑礼左変。
(念はずを、思ふと云ふは、天地の、神祇も知らさむ、邑...
今所知、久邇乃京爾、妹二不相、久成、行而早見奈。
(今知らす、久邇の京に、妹に相はず、久しくなりぬ、行...
「しらす」と尊敬の接尾語がついていますが、同じです。
そして、古事記の「日継を知る」という用法。
これらがポイントになるだろうと思っています。
んー、やや中途半端ですが・・・今のところ、こんな感じに考...
(Vtecさん(の依拠した辞書)では、「占有・領有」が原義で...
「知識として得る」の用法のほうが新しい・・・という史料状...
28-Apr-2002
先日、Satoshiさんから、二編の論文を送っていただきました。
1つは古賀達也「盗まれた降臨神話」(古田史学会報No.48)。
もう1つは伊東義彰「『神武が来た道』について」(古田史学...
まず、古賀氏の論文では、古事記の「神武東征」説話のうち、...
以下の点を根拠に挙げています。
1)神武の呼び名
神武記では、神武は3通りの呼び名で描かれています。
「神倭伊波礼毘古命」「天神御子」「天皇」です。
このうち、「神倭伊波礼毘古」は、東征説話のうち、熊野以前...
ここまでの部分は古田武彦氏が、論じたとおり、当時の説話と...
(『盗まれた神話』他参照)
「天皇」は橿原宮での「即位」以降の説話に現れます。
ですが、「天神御子」が突如として現ることに、古賀氏は疑問...
そこで、「天神御子」が他にどのように使われているか検証す...
したがって、神武記の「天神御子」も「邇邇芸」のことである...
簡単に言うと、こういうことです。
2)「吉野河の河尻」
次に、古賀氏は、熊野以降の「天神御子」説話部分は、前後の...
そのひとつが、「吉野河の河尻」問題です。
まぁ、本居宣長以来、ずっと指摘されてきたことではあります。
東征のルートからいえば、吉野川の上流に出るはずなのに、「...
というわけです。
ここで、古田氏の『壬申大乱』の説(吉野=佐賀県)を取り上...
また、熊野で「天照大神」や「健御雷神」という「天孫降臨当...
さて、私の疑問を書きたいと思います。
1)について。
私は、これは、本当にそうかなあというのが、率直な感想です。
なぜなら、「天神御子」の古事記自体での用例は決して多くな...
そこには、2群あります。
1)神代記で「邇邇芸」を指す用例
2)神武記で「神武」を指す用例
このふたつです。
前者と後者の関係は、厳密には不明です。
いくらでも、可能性があります。
たとえば、
・神武は自らを「邇邇芸」の再来と位置づけ、自称した・・・。
・神武東征の結果、近畿天皇家は、神武を「邇邇芸」と同等に...
などです。
古賀氏の挙げた「盗用説」もそのひとつの可能性に過ぎません。
これは古賀氏に限ったことではありませんが、可能性をひとつ...
(それにもまして、「解釈はいくらでも可能だから・・・」と...
古賀氏にとって、必要なのは、他の可能性に対する徹底的な検...
私が、今思いついた程度の可能性に対しての検証は、最低水準...
(私は今そんなに「奇想天外」な可能性を考えたつもりはあり...
要するに古賀氏の挙げた論点から、本当に、「盗用説」しかあ...
もう少し、吟味が必要なのだという気がします。
・・・と、これを踏まえて、伊東論文に目を向けると、早速「...
私も、「河尻」について少し考えて見ますと、まず、「河尻」...
確かに、なんとなく「下流」のような気もしますが、「河口」...
日中の感覚の違いなのかもしれませんが。
伊東氏が模索していたように、吉野川上流域に「河尻」と呼ば...
あと、Satoshiさんからは、和田高明「大和朝廷の成立」(『古...
(今のところ、読む限り、「諡号」の盗用ではなくて、存在そ...
2-Apr-2002
今回は、「ハツクニシラス」番外編です。
実は、「ハツクニシラス考」を書き上げる際に、気がついてい...
それは、「しる(しらす)」の語義です。
現在、われわれは、「しる」という言葉を、「統治する」の意...
では、古代では、どうだったのでしょうか。
実は、それが、あまり「明らか」とは言えないようなのです。
調べてみたのですが、ハッキリ明記されているもの(「しる」...
あるとしても、その出典は記紀であって、「同語反復」となり...
「所知初国」を「はつくにしらす」と言われても、ねぇ。
「知」という漢語には「統治」の意味はないわけです。
じゃぁ、「しる」という倭語にはあるのか、というと、わから...
たとえば、「治天下」を「あめのしたしらしめしき」と読むこ...
じゃぁ、「治」を「しる」と読むのか?というと、その出典は...
むしろ、「ハツクニシラス」や「所知日継」が出典であるのか...
古事記です。
記紀前後の言葉にはこういった問題は常につきまとっていて、...
それにしても「所知初国」の意味を「はつくにを統治した」と...
ちなみに、ちょっとこわいような話ですが、「知」の意味には...
<知>
ある領地を任され支配する。・・・「知行」「知事」
むむむ。
18-Mar-2002
久しぶりの「独り言」です。
今回も、時事ネタです。
最近、時事ネタ比率が大きくなってるような…。
それはさておき、例の鈴木宗男議員の関係で、話題に上ること...
「北方領土」とは、基本的には国後・色丹・択捉・歯舞の四島...
そういう領域です。
で、所謂「領土問題」に当るわけですが、日本は「武力」を持...
血生臭い解決ではなく、友好的な解決を迎えることが出来れば...
そのために、宗男さんも「努力」なさったのだろう、と思いま...
まぁ、宗男さんのやってきたことは、言ってみれば、自民党政...
それはさておき、「北方領土」問題の発端は、1951(昭和26)...
このとき、日本は「千島列島」を放棄しました。
この千島列島は、1875(明治8)年の樺太・千島交換条約によっ...
ですが、ここで「千島列島」といっている中には、例の四島は...
四島はそれ以前から日本の領土、というのが日本の主張です。
だから、サンフランシスコでも放棄していないのだ、と。
樺太と言えば、間宮林蔵が有名ですが、四島には最上徳内とい...
樺太は1854(安政元)年の日露和新条約で、日露の国境が確定...
で、だから、本来は日本の土地だ、という主張は、よくわかり...
でも、ね。
よくよく考えてみれば、「本来」ってどういうことでしょう。
所謂「日本民族(倭人)」は、本来、樺太や四島はおろか、北...
住んでいたのはアイヌです。
そう言えば、宗男さんが「北方領土返還は日本民族の悲願」と...
彼の言う「日本民族」って、何でしょう。
アイヌをも含めてでしょうか、それともアイヌは含まないので...
(「日本は単一民族国家だ」とつい言ってしまいますが、これ...
含めるなら、それはそれで、アイヌの方はどう思うのでしょう...
それはわかりませんが、少なくとも「倭人」は「本来の住人で...
ロシア人と、本質的には一緒です。
さて、北方四島には、既に多くのロシア人の方々が、長い間生...
「北方領土返還」と言っても、彼等を追い出すことが、本当に...
彼等の中には、既にあの土地で生まれ育ち、唯一の故郷だとい...
一方には、あの土地を故郷としている日本人もいる。
難しいですね。
10-Jan-2002
2002年の1回目は、「理屈」のお話です。
抽象論になるので、気軽に読んでください。
近年(といっても、10年以上前から、そうだと思いますが)、...
これはこれとして、非常に重要なことだと思います。
ですが、こと「古代史」に関しては、それ以前に、「地方」と...
なぜなら、それらが形成されていく時期を対象にしているから...
勿論、そのようなことは、早くから考慮されていて、有名な「...
少しだけ、研究史を紐解いて見ましょう。
(私もただいま「勉強中」の身で、或は誤解があるかもしれま...
まず、近代の日本古代史において、「国家形成」を論じる上で...
マルクス・エンゲルス(と対にして言いますが、「国家形成」...
階級闘争と革命を経て、国家が発展していくと言う、アレです。
古代史は、まさにその「国家形成」の段階として、注目されて...
先の「ムラからクニ」というのは、階級の発生と「国家形成」...
稲作や金属器の普及がその要因であると教科書で教わった記憶...
これが戦後の古代史の通説でした。
ただ、現在では、律令国家として成立した八世紀をもって、「...
「大化改新」や「近江令」などをその前史として見るのです。
また、考古学の目覚しい成果により、縄文時代に対する見方が...
以前のように「平和で争いの無い狩猟生活」を想定することは...
ですが、このように、「発展の段階」によって「国家」かどう...
極論をすると、「独自の力で自国を防衛できる」段階を「国家...
また、いわゆる「国家」以前の共同体の間や内部では、「紛争...
我々にとって重要なのは、むしろそういう「関係」や「しくみ...
さて、「地域国家」という言葉があります。
これは、門脇貞二氏がよく使っている言葉ですが、いわゆる「...
門脇氏は早くから出雲や吉備などにおいて、「国家」と呼び得...
その出雲や吉備などが「地域国家」というわけです。
(個々の議論に関しては、疑問もありますが、ここでは省略し...
門脇氏は、「国家」に関して次のような基準を設けています。
1)王権とその支配機構を持っていること
2)独自の支配領域を持っていること
3)それぞれの支配理念あるいは独自の文化を持っていること
これを満たせば、「国家」と呼んでもいいのではないか、とい...
また、出雲にしても吉備にしても大和にしても筑紫にしても、...
(最近の著書では『古代日本の「地域王国」と「ヤマト王国」...
また、古田武彦氏は、「王朝」について何度か定義を試みてい...
(これは以前の「独り言」-原田実氏の『幻想の多元的古代』の...
<王朝の定義>(古田武彦「邪馬壹国論争(上)」による)
1)一つの領域が一定の文化特徴を共有する政治的な文明圏を...
2)そのなかで質量ともにもっとも集中して、政治的な文化特...
3)それがその圏内の焦点、すなわち王朝の存在を示す。
原田氏は、この定義が極めて「考古学の成果」に基づいた定義...
ここで古田氏が「王朝」の語を用いているのも、それほど厳格...
古田氏が中国側文献の記載に基づき、九州王朝という概念を生...
勿論、「国家」をどう考えるか、という問題に対してです。
古田氏は、中国側史料から九州王朝と言う概念を創出した際、...
少なくとも古田氏には、「中国側が(卑弥呼や五王、多利思北...
勿論、このような「倭国統一の王者」という見方は何も古田氏...
ですから、「卑弥呼や五王、多利思北孤は、九州に本拠を置い...
この点、他ならぬ古田氏自身も、「近畿天皇家一元史観」と自...
さて、少し現代に目を向けてみましょう。
「国家」を語る上で興味深い「素材」があります。
一つは台湾です。
台湾は、「国家」ではありません。
なぜでしょうか。
理由は簡単です。
中華人民共和国は勿論のこと、むしろ「国際社会」が認めてい...
ところが、門脇氏の提起したような項目を見てみましょう。
いずれも一応、満たしているとは思いませんか。
1)王権とその支配機構を持っていること
2)独自の支配領域を持っていること
3)それぞれの支配理念あるいは独自の文化を持っていること
勿論、「王政」ではないのですが、台湾は台湾独自の統治機構...
支配理念も、中華人民共和国のそれとは、異なっています。
台湾という地域を冷静に分析すれば、誰であっても同じような...
でも台湾は「国家」ではない。
台湾だけに限った話ではありません。
そういう「地域」は今も数多く存在しています。
何が言いたいのかと言えば、つまるところ、「国際社会」の目...
今、二つの対照的な「地域国家」を挙げてみたいと思います。
一つは「九州王朝」。
古田氏の分析通り、卑弥呼や倭の五王、多利思北孤が、九州に...
これと同じ時期に、例えば近畿に王者があったとしても、彼に...
ですから、古田氏がこの点を強調するのは、当然のことだと考...
「関係」と言っても、それは単なる「支配・従属」関係だけで...
「対立」や「反発」「抵抗」、或は「妥協」や「連携」などの...
もう一つは「蝦夷」です。
現代の古代史においても、蝦夷をれっきとした「国家」と見な...
なぜでしょうか。
先の門脇氏の項目を考慮しても、やはり、蝦夷はれっきとした...
さらには、中国側からも「蝦夷国」<新唐書など>として「国...
ところが記紀や続日本紀は、蝦夷を国家とは認めません。
このことが、当時の「日本」と「蝦夷」という「両国」の関係...
話が散漫になってしまいましたが、要するに、色々複雑な問題...
何を以って「統一」なのか、とか。
これも、例えば「北海道」や「沖縄」に支配が及ばない八世紀...
「日本人とは何ぞや」という問いも、同じような問題をはらん...
考え出したらキリは無いのですが、たまにはこういうことも考...
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