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09-Nov-2003
今日は、まぁ、どうでもいいようなお話です。
私は、歴史家の論文や著書を読んでいて、いつも、疑問に思う...
それは、「敬称」です。
当然のように「~氏は、これこれの考えを示した」とか「私は○...
場合によっては、「博士」とか「先生」といった敬称(称号?...
特に、古い学者(論文)ほど、このような傾向が強いという印...
もちろん、それが「悪い」というつもりはありません。
先人に敬意を払う、という気持ちの顕れですし、敬称を略した...
ただ、ね。
私は、個人的に、どうにも「体の悪さ」を感じてしまうのです。
例えば、陳寿。
私は、彼に「敬称」を付した論文を一度も見たことがありませ...
さらに、「古代史」の論文中で、「藤原氏」「蘇我氏」とあれ...
決して、「藤原鎌足」に敬称をつけたものではありません。
「古田氏」とか「井上氏」と私が言ったときに、おそらく「古...
微妙なところでは、既に、「津田左右吉」や「那珂通世」「内...
「本居宣長」なら、もう敬称はいらないかな、とか、ね。
そういうことを考えてしまうと、どうにも、「敬称」というの...
そういったわけで、私は「(まがりなりにも)論文」という体...
悩んでしまうのが面倒くさいから。
普通に、「独り言」のレベルなら、常識的な範囲で使いますが...
さて、この「常識的な範囲」を私なりにじっくり見直してみる...
例えば、私は、掲示板では、投稿してくれた相手の方に対して...
「氏」というのも控え、「さん」を使います。
それは、「響き」や「ニュアンス」を考慮したうえでの使用な...
(「氏」や「様」じゃ堅苦しすぎるし、もっと気軽な、会話体...
以前、川村明さんとの論争で、「論文」体で、反論を書いた際...
どうにもいたたまれない気がしました。
それで、あの論文のタイトルには「氏」が入り、その紹介文に...
なぜだろうか、と考えて見ましょう。
どうやら、私が「川村さん」を知っているから、のようです。
「知っている」とはいっても、私は直接お会いしたことはあり...
まぁ、この点については、「電子媒体を通じたコミュニケーシ...
要は、私が川村さんを知っているという点が、「敬称略」にた...
そういわれてみれば、先ほどの「津田左右吉」「那珂通世」「...
実際には、私の生まれる前に亡くなっており、私とは、時代を...
それでも、実際に津田左右吉を知る多くの人物を一応は「知っ...
直接ではないにしろ。
私は、最初、「生きているかどうか」が「敬称略」の分かれ目...
ところが、「井上光貞」も「坂本太郎」も、既に故人です。
中には、ね。正直、今生きてるのかわからない、という人もい...
だから、これは、決定打ではない。
論述の「対象」と、論述の「別意見」とでは、扱いが違う、と...
ですが、私は「本居氏」として『古事記伝』を引用して『古事...
(もちろん、江戸時代文献ならありますけど、ね)
やはり、「知っている」かどうかという点が、有力なようです。
もっと言えば、「現代性」の問題でしょうか。
ふむ。
とはいっても、現ニューヨークヤンキースの松井秀喜外野手の...
これもまた、再考を要するのでしょうか、ね。
難しいですね。
20-Oct-2003
随分、お久しぶりになってしまいましたね。
今日は、「至」という語について、考えてみたいと思います。
私自身の最近の思考の傾向がそうなのですが、今回も果たして...
さて、今、問題にしようとしているのは、『魏志倭人伝』にお...
すでにご存知かとは思いますが、古田武彦氏は、『魏志倭人伝...
先行動詞(「行」とか「渡」とか)の有無によって、「主線行...
ここから、古田氏の読解のひとつのキーポイントでもある、奴...
この「至」の問題に関しては、例えば、榎和雄氏が語順に着目...
ここでは、川村明氏の議論を取り上げてみましょう(「『漢書...
川村氏は、漢書西域伝の用法を調べ上げました。
その結果、漢書においても、「先行動詞の有無」による意味の...
さらに、「先行動詞を含む至」を「前置詞的な用法」と見なし...
なぜなら、「先行動詞」によって「至」の意味が重複するから...
「~まで」という意味に取っておくほうがいいのでは無いか、...
これは、私も一理あると思います(この際、「漢文読み下しの...
結果的には、川村氏の調査結果は、古田氏の説を補強するもの...
古田氏、川村氏に共通する見解は、「先行動詞を伴わない「至...
これをじっくり吟味してみましょう。
先行動詞を伴う場合、その構文は、実際にその地へ行ったこと...
さらに、先行動詞を伴わない場合、その構文は実際にその地へ...
すると、「至」には「いたる」という意味が無い、という恐る...
誤解を避ける為に言いましょう。
私は、「だから古田=川村見解は間違っているんだ」と言いたい...
我々は、つい、漢字の意味を「知っている」と思ってしまいま...
それは、「訓」があるからです。
川村氏の議論の仕方に問題があるとすれば、それは、川村氏は...
実際、「自~至…」という構文は、"from ~ to …"という意味だ...
「~から…まで」という用法は、一般的に認められているのです。
だから、「いたる」という訓にこだわる必要はない。
古代史の史料を読む場合には、漢文との「対峙」は避けて通れ...
(もちろん、伝統的な訓読の方法が間違っている、と言いたい...
さて、実は、「至」の問題は、これだけに留まらないのです。
「実際にその地に進んだか」とは、いったい、どういうことな...
「誰が」なのでしょうか。
陳寿が…でしょうか。
それなら、先行動詞を伴っていても、陳寿は、倭国に到着して...
「報告書」を書いた誰かでしょうけれども、文面からそれを読...
文面上は、『魏志倭人伝』と例えば「帝紀」とで「報告者」が...
それを「勝手に」補ってしまうわけには行かないでしょう。
そもそも、あったかどうかすらわからない「報告書」を勝手に...
これは、「歴史書の語り手」という問題と絡んできます。
陳寿は、倭人伝以外にも、例えば、陳寿が実際にあったことの...
それはさておき、今の「至」の問題に戻りましょう。
「至」主体が、陳寿でもなく、「報告者」を想定することも、...
よく「歴史の叙述」は、「物語」とともに、「一人称の小説」...
例えば、バンヴェニストは、それをイストワール/ディスクー...
「歴史の叙述」は、物語の結末や世界の全てを知り尽くした全...
(さらにフランス語の場合、「単純過去」という形式がその特...
当然ながら、この『三国志』も、そういう視点で描かれていま...
「何年に誰が何をした」という記述があるとき、陳寿は、実際...
だから、この記述の裏には、「…という状況を想像してほしい」...
ジュネットは、これを「虚構世界の構築」として、こういった...
(「虚構」という単語に必要以上に反応してはいけません。笑)
そう考えてくると、この問題は、「物語論」の範疇に属してい...
よく、歴史記述とは物語ることだ、と言います。
それは、決して、「虚構を語ることだ」という意味ではありま...
むしろ、「虚構を語ること」こそ「歴史を語ること」のひとつ...
この「意味論」は、なかなかに難しそうです。
ひとつの策としては、ああいった「行路記事」の場合、実際に...
ふむ。
どうなんでしょうね。
24-Aug-2003
今日は、「皇位」について考えてみたいと思います。
ご承知のとおり、記紀には、神武天皇以来、推古天皇或いは持...
この「皇位」というものを、曖昧なまま残しておくことは、古...
現に、学者といわずアマチュアといわず、多数の論者がこぞっ...
特に、天皇の架空性を主張する時、この問題に微妙な影を落と...
これを明らかにしたいと思うのです。
あえて、極論から始めましょう。
もしも、「皇位」というものが、「世襲」だけに重点を置いた...
持統→天智→舒明→高坂王→敏達→欽明→継体→彦主人王→乎非王→...
事実は異なります。それは、つまり、血縁関係以外の、実際の...
つまり、「皇位」は、事後的に、彼らの親に対して与えられた...
(崇神から、神武へ至る系譜はむしろ、事後的に崇神の親を「...
ただし、間違ってはいけません。
それは、必ずしも「神聖不可侵」のものである必要はありませ...
「皇位」という言葉に、何か「特別なもの」を感じるのであれ...
ですから、あえて、この「逆なでするような言葉」を使ってお...
さて、「皇位」を問題にする場合、「事後的に」記紀が正統と...
これもまた、重要な認識を隠蔽してしまいます。
そういった論者は、おそらく、記紀が認める「条件」をおおよ...
全国統一の、あるいは、ある地域を統一した、そこまでい...
それがゆえに、継体の前代は、「どこの馬の骨とも知れぬ」彦...
継体は武烈の「支配領域」を「継承」したのだ、と。
こういうわけです。
この意見は尤もです。
ですが、この意見は、「系譜の造作」説とは、明らかに矛盾し...
たとえば、応神という天皇は、古代史の中でも、「系譜の造作...
井上光貞を筆頭に、多数の論者が、応神の系譜を疑います。
いわく、応神は、実は、崇神の系統とは無関係で、事実は外部...
「婿入り前」の応神は、どういう立場だったんでしょう。
「系譜の造作」説からは、応神の父・仲哀を否定します。
いったい、仲哀の「何」を否定したのでしょうか。
諸説のあるところでしょう。
「存在」そのもの?
ならば、次の問いに移らなければなりません。
なら、応神の父は誰なんだ、と。
こう問い直してもいいでしょう。
応神の父はどういう人物なのか、と。
仲哀の「地位」を否定しても、ことは同じです。
「実は、応神の父はなんでもない普通の人物だった」
こういうことになります。
まぁ、有力者ではあったのでしょうね。
すくなくとも先ほど示したような、一定の領域の支配者ではな...
この認識であれば、先の「条件」を満たしてはいないでしょう。
ですから、先の「条件」を「記紀に記載される条件」として規...
この「条件」を取り除く時、そこに現われる困難は、先ほど申...
「継体」を「武烈」に接続する意味を得られない。
もしも、応神の父を、あるいは、「即位前の応神」を、何らか...
応神の父(彼も「どこかの支配者」だった)と応神を区別する...
というよりも、ことさら、それを「造作」として処理しなけれ...
この点に関する、徹底した考察が何としても必要なのです。
誤解を避ける為に言っておきましょう。
私は、全ての造作説は、「天皇家中心主義」の産物のように見...
記紀に言う「天皇」が、実際のところ、実際の権力を持ってい...
そして、新たに「天皇にふさわしい人物」を探してきて、「真...
と、見えます。
これに関しては、種々の反論もあるでしょうし、詳細な検討が...
事実は、こうです。
記紀の主張する「天皇」が実際の権力を持っているかどうか、...
すなわち、「天皇」と名づけられた人物が実はただの平凡な人...
という事実を過不足無く受け入れなければなりません。
その際、「代りの人物」を記紀の中に発見しなければならない...
所詮、記紀は、「天皇家の歴史」を記す書物です。
「日本の全てを網羅する」つもりは、毛頭ない史料なのです。
むしろ、これが「日本の全て」だ、という主張なのです。
これを忘れてはいけません。
ふむ。
体系的な叙述、というわけにはいきませんでしたね。
私も少しずつ整理したいとは思います。
ですが、いまのところ、以上のように考えています。
29-Jul-2003
久しぶりの独り言です。
イラク戦争が「終結」して、三ヶ月になりますね。
ですが、まだまだ、戦闘は続いているようです。
「フセイン元大統領勢力の残党」がアメリカ軍をねらってテロ...
私は、この状況を見ると、歴史の一つの姿、といいますか、歴...
それを感じずにはいられません。
例えば、唐は618年の成立です。
(義寧二年五月)是の日、上、位を大唐に遜る。隋書、恭...
実際は、この時点では、唐の天下統一というには、程遠い状況...
さかのぼると、大業十三年(617)七月に、李淵は、挙兵し、十...
このとき、隋の煬帝は健在でしたが、李淵は一方的に、煬帝を...
翌年、配下の宇文化及に殺されるまでは、実際は、煬帝の勢力...
その宇文化及は、煬帝殺害後、秦王浩を立てます。
また、洛陽にいた王世充は、越王[イ同]を立てて李淵と激しく...
この時期が、「義寧二年」という時期です。
この後も高祖李淵の武徳年間は、群雄割拠の時代が続きました。
ですが、我々は、「618年に隋が滅亡、唐が成立」と、さもある...
歴史書が、そのように語るからです。
宇文化及の勢力や王世充の勢力は、「残党」もしくは「反乱勢...
ですが、実際は、それぞれが、それぞれの大義をいだいて、戦...
その点では、李淵も変わりがありません。
話を、21世紀のイラクに戻しましょう。
フセインは、大統領を辞任したつもりはあるのでしょうか。
無いでしょうね。
アメリカ軍が一方的に、彼を「元大統領」にしたのです。
イラクの、反米組織が、必ずしも一枚岩というわけでは無いで...
マスコミが、アメリカ軍の「残党狩り」という言葉を使うのを...
アメリカが五月一日に、一方的に戦闘の終結を宣言しただけの...
それまでは、正規軍だったんじゃないの、と。
まぁ、これが、歴史の語り口なんだなぁ、と思います。
25-May-2003
今日は、「春秋の筆法」について、考えてみたいと思います。
といいますのは、最近、アマチュア古代史ファン(まぁ、私も...
そこでは、「春秋の筆法」は一種の「暗号の手法」と見なされ...
私はこの傾向に、疑問を感じます。
そこで、今日はこの点に関して、じっくり考えてみたいと思う...
さて、まずは、辞書的な意味を拾っておきましょう。
「孔子が作ったと言われる春秋に見られるような、間接の...
「〔「春秋」が些事をとりあげて、大局への関係を説く論...
『春秋』という歴史書は、大変、簡潔なものです。
しかし、「経書」の一に数えられる如く、そこには、孔子の鋭...
こういった点が特に「春秋の筆法」として、一般的に使われて...
(私自身、いまだ「勉強中」であって、「辞書的な意味」を超...
その一方で、このような「筆法」が論じられることがあります。
たとえば、君主の死亡記事です。
冬十有一月壬辰公薨春秋、隠公、十一年
夏四月丙子公薨于斉春秋、桓公、十八年
八月癸未公薨于路寝春秋、荘公、三十二年
こういった表現はあまりに簡潔ですが、よく言われるように、...
壬辰、羽父、賊をして[宀/爲]氏に公を弑さしむ。桓公を立...
とあるように、実際は、謀殺だったようです。この事実が、『...
この見方は正しいでしょう。
ですが、これはこれだけのことだ、と言うべきでしょう。
決して「暗号的な表現」と見なすべきではない。
同じような表現は、日本の風土記にもあります。
俄かにして官軍動発し、襲わんと欲する間、勢の勝たざる...
これは、筑紫君磐井の滅亡を言っています。
「終」という表現ですが、記紀で明らかなとおり、物部麁鹿火...
こういったものは、決して特殊なものではなく、所謂「婉曲表...
私は、(まだまだ展望に過ぎませんが)もう少し違った見方が...
中国古典的修辞学とでも言いましょうか。
要するに、このような「婉曲表現」「大義名分用語」といった...
「周の武王、殷の乱を平らぐ」のような語法。
どんな外交使節の到来も「貢献」「朝貢」とするような語法。
「賊」「寇」という語の用法。
これらを総括するような、修辞体系です。
西洋修辞学が、メタファー(隠喩)を中心とした体系であるの...
これも、興味深いものですね。
それはさておき、「暗号的表現」を探して止まない史家は(「...
サドは牢獄に長くいるうちに、いわば暗号神経症とでもい...
まずは、暗号が含まれていることの徹底した証明が先、なので...
いきなり解読からはじめたら、サド公爵と同じです。
同じ「神経症」にかかっている史家が、あまりに多いのでは無...
05-May-2003
お久しぶりです。
この一年程、わたしは、寄り道というか、旅というか、とにか...
そろそろ、復帰(?)を考えないと、このまま、戻れなくなっ...
さて、現在、わたしは、次のような二つの方向性を考えていま...
一つは、「計量的手法」を含めた、「客観的な文献批判の方法...
そもそも、わたしはこれを目指していました。
ですが、正直言って、ほとんど何も得ていません。
初期の構造主義がそうであったように、この作業自体の「不可...
「意味は聞き手が決めるものである」
という、重要な視点を手にしたときから、この「絶望感」はぬ...
ですが、いつかも申し上げたとおり、だからといって、「客観...
「人は必ず死ぬ。だから一生懸命生きる」みたいな。
こういう「根拠のない信念」、わりと好きです(笑)。
まぁ、それは冗談として、歴史学という学問が意義あるもので...
今わたしが把握している方法、たとえば、「用法調査」や「構...
もちろん、より精度を上げていく努力は、欠かすことが出来な...
次に、「歴史家のテクストを読む」こと。
わたしは、同時にこうも思うようになりました。
「記紀や魏志倭人伝は、すでに読みつくされている。これ以上...
だから、わたしは「わたし独自の方法」を探して「旅」に出た...
その「独自の(客観的な)方法」は、残念ながら、今のところ...
そこで、「歴史家のテクストを読む」という方法に切り替えて...
いいかえれば、われわれの対象は、言語に対する一般的な...
古代史も、大方、同じ状況では無いでしょうか。
「邪馬壹国はどこにあったのか」「大和朝廷はいつ日本を統一...
こういった問いは、飽きるほどたてられた筈です。文献史学は...
相も変わらず、「記紀」や「魏志倭人伝」にすがるほかないの...
ここまで、氾濫し続けてきた「古代像」に新たな一枚を付け加...
…「意味は聞き手が決める」のです。
「記紀」「魏志倭人伝」その他の資料の「意味」は、それこそ...
まさに、それを、今まで「実演」してきたのです。
ですから、わたしは、「文献批判」の主な対象を「歴史家のテ...
津田左右吉、本居宣長、江上波夫、内藤湖南、白鳥庫吉、喜田...
彼らのテクストを積極的に読み替えていくこと、これによって...
(もちろん、その視点=始点=支点から、「客観的な方法」によ...
それに、わたし個人的には、「言語理論」「哲学」的な関心も...
こちらの「探究」も、ひっそり、続けていきたいと思います。
ひとまず、長かった「旅」は、ここで終わりにします。
(すぐにまた別の「旅」に出る…と、詩的に表現できなくもない...
あ、ちなみに、この「独り言」は、今後も、わたしの「独り言...
つまり、よりまとまりがなくなる…ってこと??
まぁ、気長に見てやってください(笑)
23-Mar-2003
今回は、「国家」について、考えて見ます。
もちろん、非常に難しいテーマではあります。
ここでイキナリ結論にたどり着こう等という気はありません。
そのことを予めご承知置きいただきたいと思います。
さて、一般に、「国家論」というと、古くはプラトンから、ロ...
ですが、私が今、「国家」について論じたいと思うのは、少し...
あくまで、「古代史の探究」に必要だからです。
なぜ必要なのか。というお話は、実は1年ほど前にすでにこの「...
古田氏の「九州王朝」をはじめ、多く存在する「地域国家」論。
そして、「国家の発生」史の問題。
これらを考える上で、どうしても必要なのです。
とはいえ、例えば「ナショナリズム」の観点からも、「日本人...
ですが、例えば「プラトン」のそれは、あくまで「国家とはい...
「歴史修正主義」論者もまた、同じ立場に立っています。
(今、話題の「ネオコン(neo conservative、新保守主義)」...
私は、そういうことに興味があるのではないのです。
はっきり言って、そんなものはどうでもいい。
(こんな台詞は、「国民」として、誉められた台詞ではありま...
まぁ、少なくとも、今の私の問題意識にとって、これらの立場...
(「ナショナリズム」が私という人間の「アイデンティティ」...
「国家」を論じるには、しかし、現代の「国家論」とりわけ、...
この視点は、私の考えでは、「ジェンダー」というキーワード...
私は、「男」です。「成人」です。「若僧」です。「日本人」...
これら全てが私という「アイデンティティ」を形成します。
ジェンダーもナショナリズムもエスニシティも、結局は、この...
ユングの言葉を使えば、「ペルソナ」ということが出来るのか...
私は、今この瞬間は、「独り言」の著者、という「役割」を担...
(あえて言えば、「ペルソナ」という概念の持つ「本当では無...
この「アイデンティティ(自己同一性)」は、「他者性」とい...
語り始めると長くなってしまうのですが、「私」が「私」を自...
この点については、私などが語るよりも、レヴィナスやサルト...
そして、柄谷行人や立川健二の主張にも耳を傾けるべきです。
さて、「ジェンダー」の問題に戻りましょう。
私たちは、このように、多くの「社会的役割」を担わされてい...
この「社会的役割」。特に、「性別」は、いかにも、「生まれ...
ところが、そんなものはなんら「根源的」「本質的」な根拠は...
同じように、「人種」「民族」「部族」「国民性」・・・いずれも...
フーコーは、これを「権力」の問題として、言葉の中に見出し...
所謂「ディスクールの(権)力」問題です。
視点を少し変えましょう。
私たちは多くの「社会的役割」を担わされている、と言いまし...
しかし、この言い方は正確では無いかもしれません。
ヴァレリーは、「考える為にはふたりでなければならない」と...
「私」という概念が成立するには、「あなた」という概念が同...
そうして、「私」という概念は、コミュニケーションなしには...
つまり、「言語」の問題圏に立ち帰ってくることになるのです。
ここで、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」やオースティ...
いつかもお話しましたが、「意味を決めるのは聞き手」である...
ですが、この「慣習」は、始めからそこにあるような代物では...
例えば、聞いたこともない言葉を話す外国人の中にひとり入っ...
私が何も日本語を知らないとしたら、あなたがどんなに、
「そこの本をとって!」
と叫んでも、私はきょとんとしているでしょう。
それでも、表情や動作から、なんとか「意味」を見つけ出し、...
ですが「そこの本をとって!」という文の構成、単語の一つ一...
わたしは、「sokonohonwototte!」という音節が一つの単語で、...
反対に、
「本!」
と叫んだとしたら・・・。
私はまたしてもちゃんと本を渡すことが出来るかもしれません。
ですが、今度は「hon!」という音節は、「本を自分のところへ...
要するに、そうやって、「意味」は、コミュニケーションが成...
(この例は、「わたしが(始めから存在する)規則を、正しく...
「たとえば、私が、ある言葉の「意味」を知っているかどうか...
ですから、この意味で、「規則」よりも「慣習」という言葉の...
そして、「私」と「慣習」を共有しないもの、「私」とは異質...
そして、「余所者」であり、「外人」であり、「異民族」なの...
このような視点から、私たちは、「共同体」(それは、「家」...
もう一つの視点に移ります。
マルクスの「交通」という概念、そして、ソシュールの「交通...
「<交通>を特権化するという問題意識は、まず第一に、あらゆ...
とあるように、「共同体」もまた、人々のコミュニケーション...
「共同体」などという「実体」がそこにあるのではないのです。
あくまでそこにあるのは、人々の絶え間ない交通であり、コミ...
そうして、それは、「事後的に仕立て上げられていく」のです。
次に、ソシュールもまた、「交通」という概念を用いました。
彼によれば、「言語」には、郷土の力と交通の力というふたつ...
郷土の力とは、「共同体」の内部で、「ラング」が固定化して...
つまり、「慣習」が固定化して、差異が明確になっていく、特...
交通の力とは、「共同体」同士の交通によって、「慣習」が流...
この二つの原理が絶えず闘うのだと言います。
ソシュールはあくまで、言語に関して、このような視点を提出...
最後に、共同体のレベルについてです。
よく「家」→「村」→「都市」→「国」→「帝国」などというよう...
そのようなものは、関係の問題であって、「実体」はないので...
あるのは、人や物の「交通」だけです。
私は、「個人」であり、「河西家の一員」であり、「企業の一...
このように、結局のところ、そういう「階層構造」は、あくま...
ですから、「地域国家」とか「統一国家」とか、「国家」と認...
歴史を見るうえで、例えば、近畿天皇家の支配体制だけを見て...
現在はそのように考えています。
02-Mar-2003
今日は「固有名詞」について考えてみたいと思います。
といっても、「哲学的」な話ではありません。
「固有名詞の翻訳不可能性」について、考えてみたいと思うの...
一般的に、「固有名詞」を他の言語に翻訳することはありませ...
反対に、"John"や"Tom"も「ジョン」や「トム」と文字だけが「...
決して、「河西」を"River-west"などと訳したりはしないので...
(もちろん、どんな「概念」もそうですが、「固有名詞」にも...
この「翻訳不可能」という視点ですが、私は、正直言って、欧...
もちろん、ぜんぜん間違ってる!などというつもりは無いので...
なるほど、例えば、英語とフランス語、ドイツ語の間で起こる...
例えば、"John"(英),"Jean"(仏),"Hans"(独)は、同じ名...
ところが、日本や朝鮮に目を移すと、別の状況が見えてきます。
日本の現在の総理大臣は「小泉純一郎」ですね。「こいずみじ...
例えば、彼がアメリカで報道されてみましょう。
当然、"Koizumi"(コイズミ)と発音されます(「日本語」の響...
次に、韓国ならどうでしょう。
やはり、「コイズミ」と発音されるでしょう。
文字はどうでしょう。
詳しくは知らないのですが、「ハングル」で書かれると思いま...
そのへんの事情は「北」も同じです。
反対に、韓国の新大統領・盧武鉉さんは、日本ではこのように...
マスコミ各社によって違いがあるようではあります。
中にはカタカナだけ(「イ」さんとか「キム」さんとか)の表...
中国の場合はどうでしょう。
ほとんどの場合、人名はそのまま表記されます。
長々と書いてきましたが、これって不思議なことじゃありませ...
そういえば私たちも、例えば「毛沢東」はこう表記して「モウ...
「マオツォトン」(であってるかどうかしりませんが)とは読...
かつては「金日成」も「キンニッセイ」と読んで、「キムイル...
要するに、「漢字」という共通の「文字」と共通ではない「読...
それに、中国人からすると、「小泉純一郎」という文面から「...
「北京」を「ペキン」、「盧大統領」を「ノ」と読むのとは少...
なぜなら、訓だからです。
訓というのは、つまり、和漢の翻訳のひとつです。
「山」という漢字の「意味」を取り出し、それと対応する「や...
反対に「やま」と表記する為に、対応する「山」という漢字を...
これは、単語のレベルでの「翻訳」に他なりません。
では、「小泉純一郎」。
…あれ?
「こ(接頭辞で小さいことを示す)=小」+「いずみ(水の沸...
翻訳してません?
ちょうど、「河西」を"River-west"と「訳」すように…。
この言い方は、順序が正しくないのかもしれません。
おそらく、倭語の名前も、当初は「翻訳」されずに、表記され...
「卑弥呼」や「伊邪那岐」などがその例です。
それが少しずつ「訓」を織り交ぜるようになった。
地名・人名・神名を問わずです。
古事記の時点ではかなりの人名が訓交じりですし、日本書紀は...
旧唐書の人名も、「訓」交じりです。
この人名の翻訳、という作業は、中国語に精通するだけではだ...
日本語に精通していなければなりません。
日本書紀は、地名や人名の表記方法が、かなり「特殊」です。
ほとんどが「訓」を用いています。
「宇佐」を「菟狭」、「邇邇芸」を「瓊瓊杵」(「瓊」は音ケ...
中国語によって倭語の音を表現する「表音」とは、意味合いが...
「菟狭」と書かれても、中国人は「ウサ」と読めません。
遠回りしてきましたが、この視点は記紀の成立にも、重要な示...
08-Feb-2003
今日は、先週の石上氏の議論を受けて、私なりに「史料」もし...
まず初めに、私たちは、私たちの研究対象である「文献」とは...
私たちは「文献」の中の、主に文字を読み取ります。時には、...
そこから、「歴史」というものに迫ろうと試みています。
さて、「文字」とは、どういうものでしょうか。
私たちが目にしているもの―「本に印刷された文字」や「紙に筆...
ですが、私たちはそこに「シミ」や「点の集まり」以上の何か...
そして、それを「意味がある」或いは「意味する」と言います。
「文字」(より抽象度を上げれば、「記号(sign)」もしくは「...
これは何も「文字」に限ったことではありません。
「声」も結局は「空気の振動」に過ぎません。
それでも、私たちはそこに「別の」意味を見出しては、情報と...
「赤いもの」を見て、「情熱」や「血」や「闘争」や「止まれ...
それは、ちょうど、野ウサギが茂みのざわめきを耳にして身を...
このような視点は、「記号学(semiology/semiologie)」もしく...
私たちは、「文字」に対して、このような視点から出発する必...
さて、今、『古事記』を読もうと思います。
先週の繰り返しになりますが、「かわにし所蔵岩波文庫本」は...
この「かわにし所蔵本」も、突き詰めてしまえば、「インクの...
そこに、私のつけた「鉛筆の汚れ」や「インクのシミ」が加わ...
(この際、もしこの本を古本屋に売ろうとした場合、私がつけ...
私たちは、しかしながら、「インクのシミ」を読むのではあり...
その「インクのシミ」の形状や配列に関する「ルール」を適用...
そしてその「ルール」を適用した時に取得できる情報によって...
(厳密には、「差異」もある)
そうして「同定」されるものが、『古事記』という「文献」で...
これに基づいて、私たちは、共通の情報として、『古事記』に...
これが、「現物としての書物」と「文献」の違いです。
「シミ」のつき具合や、補修の後から、「現物としての書物」...
「文献」に含まれる情報を対象とするのが「文献学」と言える...
もちろん、この区別は、実際にはそれほど明確なものではあり...
『古事記』は幸いにして、著者がハッキリしています。
ですから、その著者によって、最初の1冊の『古事記』が書かれ...
そしてこの書を写した本は、同じく『古事記』という「文献」...
その「写し」の繰り返しによって、『古事記』は今も私たちの...
ちょうど、漱石や鴎外の「作品」と同じように、出発点がハッ...
これは、幸いなことではあります。
『源平盛衰記』が『平家物語』の異本に過ぎない、という話が...
『古事記』にしても、太安万侶から現代に到るまで、まったく...
このように、「文献」にも歴史があり、それも掬い上げること...
ところで、中世・近世の資料の中には、「○○を抄出して写した...
たとえば、「如是院年代記」は、「三国一覧合運」を抄写した...
これなど、「写本」の一種なのか、新たな「文献」の誕生なの...
そのような例は、実はたくさんあります。
ですから、「石上史料学」と「文献学」の境界は、やはり曖昧...
これは、「文献生成」の過程を追う研究にとって、重要です。
また、太安万侶は、彼自身の頭の中から、『古事記』をひねり...
多くの「先行史料」を利用して、作り上げたであろうことは、...
この過程、「文献生成」を追うことが、私たちにとって、重要...
整理します。
まず、「現物としての本」と「文献」の区別が必要です。
私たちは、「文献」を主な活動領域に選んでいます。
次に、「文献」研究のアプローチの仕方はいくつかあります。
ひとつは、「文献」構造の研究。或いは、「文献」から「歴史...
これが、「歴史学」の骨子ではあります。
ふたつは、「文献」の歴史の研究。或いは、「文献の考古学」...
文献自体がたどってきた「歴史」を探究する必要があります。
これは、私たちの「読み」に深く関わります。
クリステヴァの言うように、後続の文献の先行文献への影響力...
私たちが目にすることが出来るのは、あくまで、そこまでの「...
外山滋比古氏の『古典論』などで考えられている「古典化」の...
また、カルチュラル・スタディーズが注目する「正典化」も同...
次に「文献生成」研究。
太安万侶の参照した史料を推測する試みです。
特に、後代史書に頼らざるを得ない古代史にとっては、重要な...
クリステヴァが言う「全てのテクストは他のテクストの引用、...
(クリステヴァ自身の問題意識は、むしろ「聞き手(読者)」...
よく考えてみると、これらはそれほど「突飛」なものではない...
「実証主義歴史学」の一般的な意識とそれほどかけ離れたもの...
「文献生成」「文献の考古学」いずれも、非常に興味深い問題...
今日はこの辺で。
02-Feb-2003
あっという間に2月ですね。
さて、今日は、石上英一氏『日本古代史料学』(東京大学出版...
この書は、「文献史学が文字資料だけをその対象としてきたこ...
まず、彼は、史料を史料体としてモデル化します。
史料体┬┬メッセージ――┬文字
││ └図像
│└付加メッセージ┬文字
│ └図像
├搬送体―――――┬素材
│ ├形状
│ └メッセージ定着媒体
└様態
この図式のうち、メッセージには文字資料と図像資料とがあり...
搬送体とは、音声言語の伝達モデルで言うところの「音」や「...
メッセージはそれ自体では伝達されず、メッセージを搬送する...
様態とは、わかりやすく言うと、「400字詰の原稿用紙には...
そうして、ヤコブソンのモデルを用いて、この史料体の伝達を...
コンテクスト(史料体の関説対象を包含する歴史状況)
メッセージ(史料体)
(接触―史料体と同時に行われる音声言語・身...
発信者―――――――――――――――――――――――――受信者
接触(史料体の授受・提示)
コード(言語規則・書式等)
歴史資料というものは、言語学や文学の対象と異なり、一般的...
また、メッセージも、多くの受信者が新たに発信者となって、...
この点には注意が必要です。
それに、このモデルは、石上氏自身も言うとおり、「原史料」...
古代史の対象の場合、多くは、写本・模写・編纂物といった、...
このような史料については、様々な角度からの検討が必要だと...
私もそのとおりだと思います。
この点を踏まえたうえで、彼の「古代史料テクスト構造」につ...
石上氏は、古代史料テクストについて、「テクスト生成過程状...
あらゆるテクストは、一時に生成されるのではなく、後代から...
これが、歴史資料の特徴でもあるでしょう。
その上で、以下の構造を提出します。
1.追記構造
これは、テクストが一旦成立した後、時間を隔てて、次々に追...
追記の仕方によって、以下の下位区分があります。
1-1.単純追記
これは、テクストの後ろに、次々に追記していく形のものです。
一般的な日記や記録などがまさにそうです。
(この「独り言」は、ちょうど逆の形式ですね)
1-2.塊状追記
これは、「売券」の構造です。
日付や制度変更に伴う記載の変更など、文字列を塊として、挿...
1-3.分散追記(訂正・認定型)
これは、あるテクストに対する、校異校正などのように、既存...
分散追記のもう一つの型(説明型)との違いは、往々にしてテク...
1-4.分散追記(説明型)
これは、注釈などのように、あるテクストに対し、説明を追加...
もちろん、場合によっては、テクストの質が変わることもあり...
2.派生構造
これは、あるテクストと同内容のテクストが複数生成されるよ...
たとえば、大宝律令などは、施行時に全国の官司・国郡にその...
また、今でも、伝票など帳票類はカーボンコピーを同時に生成...
あくまでも、石上氏の研究対象は、「原史料」です。
物質的な分析を中心に据えているはずです。
ですが、メッセージ内容の構造や生成過程と混同している部分...
私は以下のように考えます。
今、私が手にしている『古事記』(岩波文庫)の物質としての...
たとえば、ここには、私自身の「書き込み」があります。
この「書き込み」の時期は複数です。
昔つけた「読み仮名」の類もあれば、「倭」を検索した時の傍...
同じ岩波・倉野憲司校注の『古事記』でも、岩波古典文学大系...
それに、同じ文庫本でも、版の違いによるテクストの違いがあ...
私の「書き込み」が入っているのは、世界で「ここ」にある一...
私の持っている『万葉集』(岩波文庫)は、古本屋で買いまし...
中には、前の人の「書き込み」があります。
(これはこれで味わい深いものです)
仮に「かわにし所蔵岩波文庫本」とでも言っておきましょうか...
このことと、「古事記真福寺本」とは、無関係では在りません。
真福寺本にも、同様な「書き込み」の類があります。
虫食いや破損の修正箇所や補強箇所もあるでしょう。
署名も違うし、状態も、それらに関して言えば、世界に同じも...
「古事記真福寺本」という一写本に限って、物質的に検討する...
同じように、「売券」や「書簡」などの原史料であれば、なお...
これと、メッセージ内容の構造とを混同すべきでは在りません。
つまり、我々は、『古事記』の内容の生成過程をも、視野に入...
ふむ。
石上氏の研究を大いに参考にして、私も少し整理したほうがい...
26-Jan-2003
あけましておめでとうございます(笑)。
2003年、一発目の「独り言」です。
昨年の後半は、かなり寄り道をしてきました。
まぁ、私にとっては、有意義なものであったろう、とは思って...
今後はその実践の為に、どうしたらいいのか、という点に的を...
今回は、その第1回として、「物語論」について、考えてみたい...
「物語論(ナラトロジー、narratologie)」の中心人物の一人...
1.物語言説(レシ、recit)・・・これは、物語の「言説」、つ...
2.物語内容(イストワール、histoire)・・・これは、語られる...
3.物語行為(ナラシオン、narration)・・・これは、「物語る...
この三つの概念を分類し、「物語論」とは、「物語言説」と「...
我々、文献を研究するものも、物語のテクストをも、その対象...
物語論には、現在、いくつかの流れがあるといわれています。
ひとつは、「物語行為」を中心とした研究。あるいは「虚構言...
「フィクションをフィクションたらしめているのは、何か」と...
また、全ての「歴史言説」は「物語る」行為だ、とする、アー...
「物語る」あるいは「語る」という行為を中心にすえた研究で...
私は、この視点から、記紀に迫ろうと目論見ましたが、失敗に...
むしろ、「虚構言語行為」とは、何であろうか、という点に、...
「ジョーク」と「ウソ」の間にあるものは何だろうか、という...
聞き手が、(話し手の意図どおり)「ジョーク」「フィクショ...
成立しなかった場合、「ウソツキ」になります。
逆に、話し手にその意図がないにも拘らず、聞き手が「ジョー...
この場合は、要するに「信じられない話」「ウソのような本当...
ですから、「聞き手」が非常に大きな役割を果たすのが、「物...
文面だけでは、「フィクションとノンフィクション」、「ジョ...
次に、「物語言説」の研究。
これは、「物語言説」そのものを研究する立場です。小説の技...
狭い意味での「ナラトロジー」は、これを指します。
最後に、「物語の構造分析」。
この研究は、「構造主義」が一大旋風を巻き起こした、1960年...
まず、プロップの『昔話の形態学』(初版1928年)が、1958年...
ちょうど、レヴィ=ストロースの神話研究が注目されていたさな...
A.J.グレマス、ブレモン、トドロフ、そしてロラン・バルトと...
まず、ソシュール以来の言語学が参考にされます。
そうして、「物語は一つの文である」というテーゼのもとに、...
文が、「動作主」と「行為」によって成るのと同様に、物語の...
そのいずれもプロップの手によって既に土台が築かれていまし...
まず、「行為」については、プロップは、その研究対象である...
いくつかを挙げると、
1.誰かの不在
8.敵対者による加害、あるいは主人公側の何らかの欠如
10.敵対者への対抗開始
11.主人公の出立
16.闘い
18.勝利
20.主人公が帰途につく
23.主人公の知られざる帰還
24.ニセ主人公の不当な要求
28.ニセ主人公の正体露見
29.主人公の変身
30.ニセ主人公・敵対者の処罰
31.主人公の結婚・即位
などです。(番号はプロップの挙げた番号に従っています)
プロップは「ロシアの魔法昔話」を対象にこの研究を行いまし...
例えば、「オイディプス王」や「オデュッセイア」などは、見...
これが、「機能分析」です。
バルトは、さらにこの「機能」を分類して、話の筋を決める「...
また、話の筋には直接関係しないが読者に重要な情報を与える...
バルトは、「核」の直接的な役割よりも、「触媒」のはぐらか...
この「核」や「触媒」の流れを追う分析を、バルトは「シーク...
また、ブレモンは、プロップの「決定論的(結末は常に決まっ...
次に、「動作主」についてです。こちらもプロップの分析が出...
プロップによって、物語の基本構成要素としての「機能」とい...
プロップに拠れば、主人公・敵対者・王女・贈与者・助手・派...
これは、登場人物の「人格」ではなく、物語において果たす役...
はからずも、スーリオは『二十万の演劇状況』で、演劇の役に...
これを受けて、グレマスは6つの「行為項」を定めました。
主体/客体
送り手/受け手
敵対者/援助者
この六つです。
これら行為項の役割を分析することで、物語の構造が見えてく...
ロラン・バルトは、「天使との格闘」で、『旧約聖書』「創世...
ヤコブが川を渡り、そのとき、「天使」と格闘して勝ち、イス...
ここで、彼は彼自身の提出する「シークエンス分析」を行いま...
そして、「機能分析」「行為項分析」を行い、この話は紛れも...
(彼は歴史家ではありません。あくまで、プロップの分析(全...
この話は、「神の敗北」「トリックを使ったほうが負ける」と...
そして、「行為項分析」によって、彼は以下のように分析しま...
主体=ヤコブ/客体=河の通過
送り手=神/受け手=ヤコブ
敵対者=神/援助者=ヤコブ
そうして、主体と受け手が同じなのは、珍しいことだが、送り...
もっとも、バルトは、このような構成そのものよりも、テクス...
如何にしてテクストは複数の読解可能性を生み出し、意味決定...
テクストは如何に意味を「散布」していくのか。
という点に興味を持っていたのです。
従って、「テクストの構造そのものが意味を決める」立場に近...
それはともかく、これらの分析は私たちにとっても重要であろ...
(これによって、「物語」としての構造を見出したとしても、...
たとえ史実であっても、「物語的」な語り口で語られることが...
試みに、神武東征説話を「行為項分析」にかけてみましょう。
主体=神武/客体=大和(東)の土地
送り手=神武/受け手=神武
敵対者=長髄彦や国津神、土蜘蛛/援助者=ニギハヤヒや天津神
といったところでしょうか。
主体は問題ないでしょう。客体は土地です。(行為項は人間で...
送り手、すなわち東の土地を目指せと主体を送り出すのは、神...
受け手、すなわち東の土地を手にするのは、これまた神武自身...
敵対者・援助者は問題ないですね。
主体・送り手・受け手が同一という、かなり変わった構造をし...
神武が自らの意思で自らの欲する土地を手にする。
という、「独善的」な構造を持っているといえるでしょう。
他の説話も分析にかけて、比較してみると、興味深い結果が得...
今日はこの辺で。
終了行:
[[独り言(Historical)]]
#menu(menu_Historical)
09-Nov-2003
今日は、まぁ、どうでもいいようなお話です。
私は、歴史家の論文や著書を読んでいて、いつも、疑問に思う...
それは、「敬称」です。
当然のように「~氏は、これこれの考えを示した」とか「私は○...
場合によっては、「博士」とか「先生」といった敬称(称号?...
特に、古い学者(論文)ほど、このような傾向が強いという印...
もちろん、それが「悪い」というつもりはありません。
先人に敬意を払う、という気持ちの顕れですし、敬称を略した...
ただ、ね。
私は、個人的に、どうにも「体の悪さ」を感じてしまうのです。
例えば、陳寿。
私は、彼に「敬称」を付した論文を一度も見たことがありませ...
さらに、「古代史」の論文中で、「藤原氏」「蘇我氏」とあれ...
決して、「藤原鎌足」に敬称をつけたものではありません。
「古田氏」とか「井上氏」と私が言ったときに、おそらく「古...
微妙なところでは、既に、「津田左右吉」や「那珂通世」「内...
「本居宣長」なら、もう敬称はいらないかな、とか、ね。
そういうことを考えてしまうと、どうにも、「敬称」というの...
そういったわけで、私は「(まがりなりにも)論文」という体...
悩んでしまうのが面倒くさいから。
普通に、「独り言」のレベルなら、常識的な範囲で使いますが...
さて、この「常識的な範囲」を私なりにじっくり見直してみる...
例えば、私は、掲示板では、投稿してくれた相手の方に対して...
「氏」というのも控え、「さん」を使います。
それは、「響き」や「ニュアンス」を考慮したうえでの使用な...
(「氏」や「様」じゃ堅苦しすぎるし、もっと気軽な、会話体...
以前、川村明さんとの論争で、「論文」体で、反論を書いた際...
どうにもいたたまれない気がしました。
それで、あの論文のタイトルには「氏」が入り、その紹介文に...
なぜだろうか、と考えて見ましょう。
どうやら、私が「川村さん」を知っているから、のようです。
「知っている」とはいっても、私は直接お会いしたことはあり...
まぁ、この点については、「電子媒体を通じたコミュニケーシ...
要は、私が川村さんを知っているという点が、「敬称略」にた...
そういわれてみれば、先ほどの「津田左右吉」「那珂通世」「...
実際には、私の生まれる前に亡くなっており、私とは、時代を...
それでも、実際に津田左右吉を知る多くの人物を一応は「知っ...
直接ではないにしろ。
私は、最初、「生きているかどうか」が「敬称略」の分かれ目...
ところが、「井上光貞」も「坂本太郎」も、既に故人です。
中には、ね。正直、今生きてるのかわからない、という人もい...
だから、これは、決定打ではない。
論述の「対象」と、論述の「別意見」とでは、扱いが違う、と...
ですが、私は「本居氏」として『古事記伝』を引用して『古事...
(もちろん、江戸時代文献ならありますけど、ね)
やはり、「知っている」かどうかという点が、有力なようです。
もっと言えば、「現代性」の問題でしょうか。
ふむ。
とはいっても、現ニューヨークヤンキースの松井秀喜外野手の...
これもまた、再考を要するのでしょうか、ね。
難しいですね。
20-Oct-2003
随分、お久しぶりになってしまいましたね。
今日は、「至」という語について、考えてみたいと思います。
私自身の最近の思考の傾向がそうなのですが、今回も果たして...
さて、今、問題にしようとしているのは、『魏志倭人伝』にお...
すでにご存知かとは思いますが、古田武彦氏は、『魏志倭人伝...
先行動詞(「行」とか「渡」とか)の有無によって、「主線行...
ここから、古田氏の読解のひとつのキーポイントでもある、奴...
この「至」の問題に関しては、例えば、榎和雄氏が語順に着目...
ここでは、川村明氏の議論を取り上げてみましょう(「『漢書...
川村氏は、漢書西域伝の用法を調べ上げました。
その結果、漢書においても、「先行動詞の有無」による意味の...
さらに、「先行動詞を含む至」を「前置詞的な用法」と見なし...
なぜなら、「先行動詞」によって「至」の意味が重複するから...
「~まで」という意味に取っておくほうがいいのでは無いか、...
これは、私も一理あると思います(この際、「漢文読み下しの...
結果的には、川村氏の調査結果は、古田氏の説を補強するもの...
古田氏、川村氏に共通する見解は、「先行動詞を伴わない「至...
これをじっくり吟味してみましょう。
先行動詞を伴う場合、その構文は、実際にその地へ行ったこと...
さらに、先行動詞を伴わない場合、その構文は実際にその地へ...
すると、「至」には「いたる」という意味が無い、という恐る...
誤解を避ける為に言いましょう。
私は、「だから古田=川村見解は間違っているんだ」と言いたい...
我々は、つい、漢字の意味を「知っている」と思ってしまいま...
それは、「訓」があるからです。
川村氏の議論の仕方に問題があるとすれば、それは、川村氏は...
実際、「自~至…」という構文は、"from ~ to …"という意味だ...
「~から…まで」という用法は、一般的に認められているのです。
だから、「いたる」という訓にこだわる必要はない。
古代史の史料を読む場合には、漢文との「対峙」は避けて通れ...
(もちろん、伝統的な訓読の方法が間違っている、と言いたい...
さて、実は、「至」の問題は、これだけに留まらないのです。
「実際にその地に進んだか」とは、いったい、どういうことな...
「誰が」なのでしょうか。
陳寿が…でしょうか。
それなら、先行動詞を伴っていても、陳寿は、倭国に到着して...
「報告書」を書いた誰かでしょうけれども、文面からそれを読...
文面上は、『魏志倭人伝』と例えば「帝紀」とで「報告者」が...
それを「勝手に」補ってしまうわけには行かないでしょう。
そもそも、あったかどうかすらわからない「報告書」を勝手に...
これは、「歴史書の語り手」という問題と絡んできます。
陳寿は、倭人伝以外にも、例えば、陳寿が実際にあったことの...
それはさておき、今の「至」の問題に戻りましょう。
「至」主体が、陳寿でもなく、「報告者」を想定することも、...
よく「歴史の叙述」は、「物語」とともに、「一人称の小説」...
例えば、バンヴェニストは、それをイストワール/ディスクー...
「歴史の叙述」は、物語の結末や世界の全てを知り尽くした全...
(さらにフランス語の場合、「単純過去」という形式がその特...
当然ながら、この『三国志』も、そういう視点で描かれていま...
「何年に誰が何をした」という記述があるとき、陳寿は、実際...
だから、この記述の裏には、「…という状況を想像してほしい」...
ジュネットは、これを「虚構世界の構築」として、こういった...
(「虚構」という単語に必要以上に反応してはいけません。笑)
そう考えてくると、この問題は、「物語論」の範疇に属してい...
よく、歴史記述とは物語ることだ、と言います。
それは、決して、「虚構を語ることだ」という意味ではありま...
むしろ、「虚構を語ること」こそ「歴史を語ること」のひとつ...
この「意味論」は、なかなかに難しそうです。
ひとつの策としては、ああいった「行路記事」の場合、実際に...
ふむ。
どうなんでしょうね。
24-Aug-2003
今日は、「皇位」について考えてみたいと思います。
ご承知のとおり、記紀には、神武天皇以来、推古天皇或いは持...
この「皇位」というものを、曖昧なまま残しておくことは、古...
現に、学者といわずアマチュアといわず、多数の論者がこぞっ...
特に、天皇の架空性を主張する時、この問題に微妙な影を落と...
これを明らかにしたいと思うのです。
あえて、極論から始めましょう。
もしも、「皇位」というものが、「世襲」だけに重点を置いた...
持統→天智→舒明→高坂王→敏達→欽明→継体→彦主人王→乎非王→...
事実は異なります。それは、つまり、血縁関係以外の、実際の...
つまり、「皇位」は、事後的に、彼らの親に対して与えられた...
(崇神から、神武へ至る系譜はむしろ、事後的に崇神の親を「...
ただし、間違ってはいけません。
それは、必ずしも「神聖不可侵」のものである必要はありませ...
「皇位」という言葉に、何か「特別なもの」を感じるのであれ...
ですから、あえて、この「逆なでするような言葉」を使ってお...
さて、「皇位」を問題にする場合、「事後的に」記紀が正統と...
これもまた、重要な認識を隠蔽してしまいます。
そういった論者は、おそらく、記紀が認める「条件」をおおよ...
全国統一の、あるいは、ある地域を統一した、そこまでい...
それがゆえに、継体の前代は、「どこの馬の骨とも知れぬ」彦...
継体は武烈の「支配領域」を「継承」したのだ、と。
こういうわけです。
この意見は尤もです。
ですが、この意見は、「系譜の造作」説とは、明らかに矛盾し...
たとえば、応神という天皇は、古代史の中でも、「系譜の造作...
井上光貞を筆頭に、多数の論者が、応神の系譜を疑います。
いわく、応神は、実は、崇神の系統とは無関係で、事実は外部...
「婿入り前」の応神は、どういう立場だったんでしょう。
「系譜の造作」説からは、応神の父・仲哀を否定します。
いったい、仲哀の「何」を否定したのでしょうか。
諸説のあるところでしょう。
「存在」そのもの?
ならば、次の問いに移らなければなりません。
なら、応神の父は誰なんだ、と。
こう問い直してもいいでしょう。
応神の父はどういう人物なのか、と。
仲哀の「地位」を否定しても、ことは同じです。
「実は、応神の父はなんでもない普通の人物だった」
こういうことになります。
まぁ、有力者ではあったのでしょうね。
すくなくとも先ほど示したような、一定の領域の支配者ではな...
この認識であれば、先の「条件」を満たしてはいないでしょう。
ですから、先の「条件」を「記紀に記載される条件」として規...
この「条件」を取り除く時、そこに現われる困難は、先ほど申...
「継体」を「武烈」に接続する意味を得られない。
もしも、応神の父を、あるいは、「即位前の応神」を、何らか...
応神の父(彼も「どこかの支配者」だった)と応神を区別する...
というよりも、ことさら、それを「造作」として処理しなけれ...
この点に関する、徹底した考察が何としても必要なのです。
誤解を避ける為に言っておきましょう。
私は、全ての造作説は、「天皇家中心主義」の産物のように見...
記紀に言う「天皇」が、実際のところ、実際の権力を持ってい...
そして、新たに「天皇にふさわしい人物」を探してきて、「真...
と、見えます。
これに関しては、種々の反論もあるでしょうし、詳細な検討が...
事実は、こうです。
記紀の主張する「天皇」が実際の権力を持っているかどうか、...
すなわち、「天皇」と名づけられた人物が実はただの平凡な人...
という事実を過不足無く受け入れなければなりません。
その際、「代りの人物」を記紀の中に発見しなければならない...
所詮、記紀は、「天皇家の歴史」を記す書物です。
「日本の全てを網羅する」つもりは、毛頭ない史料なのです。
むしろ、これが「日本の全て」だ、という主張なのです。
これを忘れてはいけません。
ふむ。
体系的な叙述、というわけにはいきませんでしたね。
私も少しずつ整理したいとは思います。
ですが、いまのところ、以上のように考えています。
29-Jul-2003
久しぶりの独り言です。
イラク戦争が「終結」して、三ヶ月になりますね。
ですが、まだまだ、戦闘は続いているようです。
「フセイン元大統領勢力の残党」がアメリカ軍をねらってテロ...
私は、この状況を見ると、歴史の一つの姿、といいますか、歴...
それを感じずにはいられません。
例えば、唐は618年の成立です。
(義寧二年五月)是の日、上、位を大唐に遜る。隋書、恭...
実際は、この時点では、唐の天下統一というには、程遠い状況...
さかのぼると、大業十三年(617)七月に、李淵は、挙兵し、十...
このとき、隋の煬帝は健在でしたが、李淵は一方的に、煬帝を...
翌年、配下の宇文化及に殺されるまでは、実際は、煬帝の勢力...
その宇文化及は、煬帝殺害後、秦王浩を立てます。
また、洛陽にいた王世充は、越王[イ同]を立てて李淵と激しく...
この時期が、「義寧二年」という時期です。
この後も高祖李淵の武徳年間は、群雄割拠の時代が続きました。
ですが、我々は、「618年に隋が滅亡、唐が成立」と、さもある...
歴史書が、そのように語るからです。
宇文化及の勢力や王世充の勢力は、「残党」もしくは「反乱勢...
ですが、実際は、それぞれが、それぞれの大義をいだいて、戦...
その点では、李淵も変わりがありません。
話を、21世紀のイラクに戻しましょう。
フセインは、大統領を辞任したつもりはあるのでしょうか。
無いでしょうね。
アメリカ軍が一方的に、彼を「元大統領」にしたのです。
イラクの、反米組織が、必ずしも一枚岩というわけでは無いで...
マスコミが、アメリカ軍の「残党狩り」という言葉を使うのを...
アメリカが五月一日に、一方的に戦闘の終結を宣言しただけの...
それまでは、正規軍だったんじゃないの、と。
まぁ、これが、歴史の語り口なんだなぁ、と思います。
25-May-2003
今日は、「春秋の筆法」について、考えてみたいと思います。
といいますのは、最近、アマチュア古代史ファン(まぁ、私も...
そこでは、「春秋の筆法」は一種の「暗号の手法」と見なされ...
私はこの傾向に、疑問を感じます。
そこで、今日はこの点に関して、じっくり考えてみたいと思う...
さて、まずは、辞書的な意味を拾っておきましょう。
「孔子が作ったと言われる春秋に見られるような、間接の...
「〔「春秋」が些事をとりあげて、大局への関係を説く論...
『春秋』という歴史書は、大変、簡潔なものです。
しかし、「経書」の一に数えられる如く、そこには、孔子の鋭...
こういった点が特に「春秋の筆法」として、一般的に使われて...
(私自身、いまだ「勉強中」であって、「辞書的な意味」を超...
その一方で、このような「筆法」が論じられることがあります。
たとえば、君主の死亡記事です。
冬十有一月壬辰公薨春秋、隠公、十一年
夏四月丙子公薨于斉春秋、桓公、十八年
八月癸未公薨于路寝春秋、荘公、三十二年
こういった表現はあまりに簡潔ですが、よく言われるように、...
壬辰、羽父、賊をして[宀/爲]氏に公を弑さしむ。桓公を立...
とあるように、実際は、謀殺だったようです。この事実が、『...
この見方は正しいでしょう。
ですが、これはこれだけのことだ、と言うべきでしょう。
決して「暗号的な表現」と見なすべきではない。
同じような表現は、日本の風土記にもあります。
俄かにして官軍動発し、襲わんと欲する間、勢の勝たざる...
これは、筑紫君磐井の滅亡を言っています。
「終」という表現ですが、記紀で明らかなとおり、物部麁鹿火...
こういったものは、決して特殊なものではなく、所謂「婉曲表...
私は、(まだまだ展望に過ぎませんが)もう少し違った見方が...
中国古典的修辞学とでも言いましょうか。
要するに、このような「婉曲表現」「大義名分用語」といった...
「周の武王、殷の乱を平らぐ」のような語法。
どんな外交使節の到来も「貢献」「朝貢」とするような語法。
「賊」「寇」という語の用法。
これらを総括するような、修辞体系です。
西洋修辞学が、メタファー(隠喩)を中心とした体系であるの...
これも、興味深いものですね。
それはさておき、「暗号的表現」を探して止まない史家は(「...
サドは牢獄に長くいるうちに、いわば暗号神経症とでもい...
まずは、暗号が含まれていることの徹底した証明が先、なので...
いきなり解読からはじめたら、サド公爵と同じです。
同じ「神経症」にかかっている史家が、あまりに多いのでは無...
05-May-2003
お久しぶりです。
この一年程、わたしは、寄り道というか、旅というか、とにか...
そろそろ、復帰(?)を考えないと、このまま、戻れなくなっ...
さて、現在、わたしは、次のような二つの方向性を考えていま...
一つは、「計量的手法」を含めた、「客観的な文献批判の方法...
そもそも、わたしはこれを目指していました。
ですが、正直言って、ほとんど何も得ていません。
初期の構造主義がそうであったように、この作業自体の「不可...
「意味は聞き手が決めるものである」
という、重要な視点を手にしたときから、この「絶望感」はぬ...
ですが、いつかも申し上げたとおり、だからといって、「客観...
「人は必ず死ぬ。だから一生懸命生きる」みたいな。
こういう「根拠のない信念」、わりと好きです(笑)。
まぁ、それは冗談として、歴史学という学問が意義あるもので...
今わたしが把握している方法、たとえば、「用法調査」や「構...
もちろん、より精度を上げていく努力は、欠かすことが出来な...
次に、「歴史家のテクストを読む」こと。
わたしは、同時にこうも思うようになりました。
「記紀や魏志倭人伝は、すでに読みつくされている。これ以上...
だから、わたしは「わたし独自の方法」を探して「旅」に出た...
その「独自の(客観的な)方法」は、残念ながら、今のところ...
そこで、「歴史家のテクストを読む」という方法に切り替えて...
いいかえれば、われわれの対象は、言語に対する一般的な...
古代史も、大方、同じ状況では無いでしょうか。
「邪馬壹国はどこにあったのか」「大和朝廷はいつ日本を統一...
こういった問いは、飽きるほどたてられた筈です。文献史学は...
相も変わらず、「記紀」や「魏志倭人伝」にすがるほかないの...
ここまで、氾濫し続けてきた「古代像」に新たな一枚を付け加...
…「意味は聞き手が決める」のです。
「記紀」「魏志倭人伝」その他の資料の「意味」は、それこそ...
まさに、それを、今まで「実演」してきたのです。
ですから、わたしは、「文献批判」の主な対象を「歴史家のテ...
津田左右吉、本居宣長、江上波夫、内藤湖南、白鳥庫吉、喜田...
彼らのテクストを積極的に読み替えていくこと、これによって...
(もちろん、その視点=始点=支点から、「客観的な方法」によ...
それに、わたし個人的には、「言語理論」「哲学」的な関心も...
こちらの「探究」も、ひっそり、続けていきたいと思います。
ひとまず、長かった「旅」は、ここで終わりにします。
(すぐにまた別の「旅」に出る…と、詩的に表現できなくもない...
あ、ちなみに、この「独り言」は、今後も、わたしの「独り言...
つまり、よりまとまりがなくなる…ってこと??
まぁ、気長に見てやってください(笑)
23-Mar-2003
今回は、「国家」について、考えて見ます。
もちろん、非常に難しいテーマではあります。
ここでイキナリ結論にたどり着こう等という気はありません。
そのことを予めご承知置きいただきたいと思います。
さて、一般に、「国家論」というと、古くはプラトンから、ロ...
ですが、私が今、「国家」について論じたいと思うのは、少し...
あくまで、「古代史の探究」に必要だからです。
なぜ必要なのか。というお話は、実は1年ほど前にすでにこの「...
古田氏の「九州王朝」をはじめ、多く存在する「地域国家」論。
そして、「国家の発生」史の問題。
これらを考える上で、どうしても必要なのです。
とはいえ、例えば「ナショナリズム」の観点からも、「日本人...
ですが、例えば「プラトン」のそれは、あくまで「国家とはい...
「歴史修正主義」論者もまた、同じ立場に立っています。
(今、話題の「ネオコン(neo conservative、新保守主義)」...
私は、そういうことに興味があるのではないのです。
はっきり言って、そんなものはどうでもいい。
(こんな台詞は、「国民」として、誉められた台詞ではありま...
まぁ、少なくとも、今の私の問題意識にとって、これらの立場...
(「ナショナリズム」が私という人間の「アイデンティティ」...
「国家」を論じるには、しかし、現代の「国家論」とりわけ、...
この視点は、私の考えでは、「ジェンダー」というキーワード...
私は、「男」です。「成人」です。「若僧」です。「日本人」...
これら全てが私という「アイデンティティ」を形成します。
ジェンダーもナショナリズムもエスニシティも、結局は、この...
ユングの言葉を使えば、「ペルソナ」ということが出来るのか...
私は、今この瞬間は、「独り言」の著者、という「役割」を担...
(あえて言えば、「ペルソナ」という概念の持つ「本当では無...
この「アイデンティティ(自己同一性)」は、「他者性」とい...
語り始めると長くなってしまうのですが、「私」が「私」を自...
この点については、私などが語るよりも、レヴィナスやサルト...
そして、柄谷行人や立川健二の主張にも耳を傾けるべきです。
さて、「ジェンダー」の問題に戻りましょう。
私たちは、このように、多くの「社会的役割」を担わされてい...
この「社会的役割」。特に、「性別」は、いかにも、「生まれ...
ところが、そんなものはなんら「根源的」「本質的」な根拠は...
同じように、「人種」「民族」「部族」「国民性」・・・いずれも...
フーコーは、これを「権力」の問題として、言葉の中に見出し...
所謂「ディスクールの(権)力」問題です。
視点を少し変えましょう。
私たちは多くの「社会的役割」を担わされている、と言いまし...
しかし、この言い方は正確では無いかもしれません。
ヴァレリーは、「考える為にはふたりでなければならない」と...
「私」という概念が成立するには、「あなた」という概念が同...
そうして、「私」という概念は、コミュニケーションなしには...
つまり、「言語」の問題圏に立ち帰ってくることになるのです。
ここで、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」やオースティ...
いつかもお話しましたが、「意味を決めるのは聞き手」である...
ですが、この「慣習」は、始めからそこにあるような代物では...
例えば、聞いたこともない言葉を話す外国人の中にひとり入っ...
私が何も日本語を知らないとしたら、あなたがどんなに、
「そこの本をとって!」
と叫んでも、私はきょとんとしているでしょう。
それでも、表情や動作から、なんとか「意味」を見つけ出し、...
ですが「そこの本をとって!」という文の構成、単語の一つ一...
わたしは、「sokonohonwototte!」という音節が一つの単語で、...
反対に、
「本!」
と叫んだとしたら・・・。
私はまたしてもちゃんと本を渡すことが出来るかもしれません。
ですが、今度は「hon!」という音節は、「本を自分のところへ...
要するに、そうやって、「意味」は、コミュニケーションが成...
(この例は、「わたしが(始めから存在する)規則を、正しく...
「たとえば、私が、ある言葉の「意味」を知っているかどうか...
ですから、この意味で、「規則」よりも「慣習」という言葉の...
そして、「私」と「慣習」を共有しないもの、「私」とは異質...
そして、「余所者」であり、「外人」であり、「異民族」なの...
このような視点から、私たちは、「共同体」(それは、「家」...
もう一つの視点に移ります。
マルクスの「交通」という概念、そして、ソシュールの「交通...
「<交通>を特権化するという問題意識は、まず第一に、あらゆ...
とあるように、「共同体」もまた、人々のコミュニケーション...
「共同体」などという「実体」がそこにあるのではないのです。
あくまでそこにあるのは、人々の絶え間ない交通であり、コミ...
そうして、それは、「事後的に仕立て上げられていく」のです。
次に、ソシュールもまた、「交通」という概念を用いました。
彼によれば、「言語」には、郷土の力と交通の力というふたつ...
郷土の力とは、「共同体」の内部で、「ラング」が固定化して...
つまり、「慣習」が固定化して、差異が明確になっていく、特...
交通の力とは、「共同体」同士の交通によって、「慣習」が流...
この二つの原理が絶えず闘うのだと言います。
ソシュールはあくまで、言語に関して、このような視点を提出...
最後に、共同体のレベルについてです。
よく「家」→「村」→「都市」→「国」→「帝国」などというよう...
そのようなものは、関係の問題であって、「実体」はないので...
あるのは、人や物の「交通」だけです。
私は、「個人」であり、「河西家の一員」であり、「企業の一...
このように、結局のところ、そういう「階層構造」は、あくま...
ですから、「地域国家」とか「統一国家」とか、「国家」と認...
歴史を見るうえで、例えば、近畿天皇家の支配体制だけを見て...
現在はそのように考えています。
02-Mar-2003
今日は「固有名詞」について考えてみたいと思います。
といっても、「哲学的」な話ではありません。
「固有名詞の翻訳不可能性」について、考えてみたいと思うの...
一般的に、「固有名詞」を他の言語に翻訳することはありませ...
反対に、"John"や"Tom"も「ジョン」や「トム」と文字だけが「...
決して、「河西」を"River-west"などと訳したりはしないので...
(もちろん、どんな「概念」もそうですが、「固有名詞」にも...
この「翻訳不可能」という視点ですが、私は、正直言って、欧...
もちろん、ぜんぜん間違ってる!などというつもりは無いので...
なるほど、例えば、英語とフランス語、ドイツ語の間で起こる...
例えば、"John"(英),"Jean"(仏),"Hans"(独)は、同じ名...
ところが、日本や朝鮮に目を移すと、別の状況が見えてきます。
日本の現在の総理大臣は「小泉純一郎」ですね。「こいずみじ...
例えば、彼がアメリカで報道されてみましょう。
当然、"Koizumi"(コイズミ)と発音されます(「日本語」の響...
次に、韓国ならどうでしょう。
やはり、「コイズミ」と発音されるでしょう。
文字はどうでしょう。
詳しくは知らないのですが、「ハングル」で書かれると思いま...
そのへんの事情は「北」も同じです。
反対に、韓国の新大統領・盧武鉉さんは、日本ではこのように...
マスコミ各社によって違いがあるようではあります。
中にはカタカナだけ(「イ」さんとか「キム」さんとか)の表...
中国の場合はどうでしょう。
ほとんどの場合、人名はそのまま表記されます。
長々と書いてきましたが、これって不思議なことじゃありませ...
そういえば私たちも、例えば「毛沢東」はこう表記して「モウ...
「マオツォトン」(であってるかどうかしりませんが)とは読...
かつては「金日成」も「キンニッセイ」と読んで、「キムイル...
要するに、「漢字」という共通の「文字」と共通ではない「読...
それに、中国人からすると、「小泉純一郎」という文面から「...
「北京」を「ペキン」、「盧大統領」を「ノ」と読むのとは少...
なぜなら、訓だからです。
訓というのは、つまり、和漢の翻訳のひとつです。
「山」という漢字の「意味」を取り出し、それと対応する「や...
反対に「やま」と表記する為に、対応する「山」という漢字を...
これは、単語のレベルでの「翻訳」に他なりません。
では、「小泉純一郎」。
…あれ?
「こ(接頭辞で小さいことを示す)=小」+「いずみ(水の沸...
翻訳してません?
ちょうど、「河西」を"River-west"と「訳」すように…。
この言い方は、順序が正しくないのかもしれません。
おそらく、倭語の名前も、当初は「翻訳」されずに、表記され...
「卑弥呼」や「伊邪那岐」などがその例です。
それが少しずつ「訓」を織り交ぜるようになった。
地名・人名・神名を問わずです。
古事記の時点ではかなりの人名が訓交じりですし、日本書紀は...
旧唐書の人名も、「訓」交じりです。
この人名の翻訳、という作業は、中国語に精通するだけではだ...
日本語に精通していなければなりません。
日本書紀は、地名や人名の表記方法が、かなり「特殊」です。
ほとんどが「訓」を用いています。
「宇佐」を「菟狭」、「邇邇芸」を「瓊瓊杵」(「瓊」は音ケ...
中国語によって倭語の音を表現する「表音」とは、意味合いが...
「菟狭」と書かれても、中国人は「ウサ」と読めません。
遠回りしてきましたが、この視点は記紀の成立にも、重要な示...
08-Feb-2003
今日は、先週の石上氏の議論を受けて、私なりに「史料」もし...
まず初めに、私たちは、私たちの研究対象である「文献」とは...
私たちは「文献」の中の、主に文字を読み取ります。時には、...
そこから、「歴史」というものに迫ろうと試みています。
さて、「文字」とは、どういうものでしょうか。
私たちが目にしているもの―「本に印刷された文字」や「紙に筆...
ですが、私たちはそこに「シミ」や「点の集まり」以上の何か...
そして、それを「意味がある」或いは「意味する」と言います。
「文字」(より抽象度を上げれば、「記号(sign)」もしくは「...
これは何も「文字」に限ったことではありません。
「声」も結局は「空気の振動」に過ぎません。
それでも、私たちはそこに「別の」意味を見出しては、情報と...
「赤いもの」を見て、「情熱」や「血」や「闘争」や「止まれ...
それは、ちょうど、野ウサギが茂みのざわめきを耳にして身を...
このような視点は、「記号学(semiology/semiologie)」もしく...
私たちは、「文字」に対して、このような視点から出発する必...
さて、今、『古事記』を読もうと思います。
先週の繰り返しになりますが、「かわにし所蔵岩波文庫本」は...
この「かわにし所蔵本」も、突き詰めてしまえば、「インクの...
そこに、私のつけた「鉛筆の汚れ」や「インクのシミ」が加わ...
(この際、もしこの本を古本屋に売ろうとした場合、私がつけ...
私たちは、しかしながら、「インクのシミ」を読むのではあり...
その「インクのシミ」の形状や配列に関する「ルール」を適用...
そしてその「ルール」を適用した時に取得できる情報によって...
(厳密には、「差異」もある)
そうして「同定」されるものが、『古事記』という「文献」で...
これに基づいて、私たちは、共通の情報として、『古事記』に...
これが、「現物としての書物」と「文献」の違いです。
「シミ」のつき具合や、補修の後から、「現物としての書物」...
「文献」に含まれる情報を対象とするのが「文献学」と言える...
もちろん、この区別は、実際にはそれほど明確なものではあり...
『古事記』は幸いにして、著者がハッキリしています。
ですから、その著者によって、最初の1冊の『古事記』が書かれ...
そしてこの書を写した本は、同じく『古事記』という「文献」...
その「写し」の繰り返しによって、『古事記』は今も私たちの...
ちょうど、漱石や鴎外の「作品」と同じように、出発点がハッ...
これは、幸いなことではあります。
『源平盛衰記』が『平家物語』の異本に過ぎない、という話が...
『古事記』にしても、太安万侶から現代に到るまで、まったく...
このように、「文献」にも歴史があり、それも掬い上げること...
ところで、中世・近世の資料の中には、「○○を抄出して写した...
たとえば、「如是院年代記」は、「三国一覧合運」を抄写した...
これなど、「写本」の一種なのか、新たな「文献」の誕生なの...
そのような例は、実はたくさんあります。
ですから、「石上史料学」と「文献学」の境界は、やはり曖昧...
これは、「文献生成」の過程を追う研究にとって、重要です。
また、太安万侶は、彼自身の頭の中から、『古事記』をひねり...
多くの「先行史料」を利用して、作り上げたであろうことは、...
この過程、「文献生成」を追うことが、私たちにとって、重要...
整理します。
まず、「現物としての本」と「文献」の区別が必要です。
私たちは、「文献」を主な活動領域に選んでいます。
次に、「文献」研究のアプローチの仕方はいくつかあります。
ひとつは、「文献」構造の研究。或いは、「文献」から「歴史...
これが、「歴史学」の骨子ではあります。
ふたつは、「文献」の歴史の研究。或いは、「文献の考古学」...
文献自体がたどってきた「歴史」を探究する必要があります。
これは、私たちの「読み」に深く関わります。
クリステヴァの言うように、後続の文献の先行文献への影響力...
私たちが目にすることが出来るのは、あくまで、そこまでの「...
外山滋比古氏の『古典論』などで考えられている「古典化」の...
また、カルチュラル・スタディーズが注目する「正典化」も同...
次に「文献生成」研究。
太安万侶の参照した史料を推測する試みです。
特に、後代史書に頼らざるを得ない古代史にとっては、重要な...
クリステヴァが言う「全てのテクストは他のテクストの引用、...
(クリステヴァ自身の問題意識は、むしろ「聞き手(読者)」...
よく考えてみると、これらはそれほど「突飛」なものではない...
「実証主義歴史学」の一般的な意識とそれほどかけ離れたもの...
「文献生成」「文献の考古学」いずれも、非常に興味深い問題...
今日はこの辺で。
02-Feb-2003
あっという間に2月ですね。
さて、今日は、石上英一氏『日本古代史料学』(東京大学出版...
この書は、「文献史学が文字資料だけをその対象としてきたこ...
まず、彼は、史料を史料体としてモデル化します。
史料体┬┬メッセージ――┬文字
││ └図像
│└付加メッセージ┬文字
│ └図像
├搬送体―――――┬素材
│ ├形状
│ └メッセージ定着媒体
└様態
この図式のうち、メッセージには文字資料と図像資料とがあり...
搬送体とは、音声言語の伝達モデルで言うところの「音」や「...
メッセージはそれ自体では伝達されず、メッセージを搬送する...
様態とは、わかりやすく言うと、「400字詰の原稿用紙には...
そうして、ヤコブソンのモデルを用いて、この史料体の伝達を...
コンテクスト(史料体の関説対象を包含する歴史状況)
メッセージ(史料体)
(接触―史料体と同時に行われる音声言語・身...
発信者―――――――――――――――――――――――――受信者
接触(史料体の授受・提示)
コード(言語規則・書式等)
歴史資料というものは、言語学や文学の対象と異なり、一般的...
また、メッセージも、多くの受信者が新たに発信者となって、...
この点には注意が必要です。
それに、このモデルは、石上氏自身も言うとおり、「原史料」...
古代史の対象の場合、多くは、写本・模写・編纂物といった、...
このような史料については、様々な角度からの検討が必要だと...
私もそのとおりだと思います。
この点を踏まえたうえで、彼の「古代史料テクスト構造」につ...
石上氏は、古代史料テクストについて、「テクスト生成過程状...
あらゆるテクストは、一時に生成されるのではなく、後代から...
これが、歴史資料の特徴でもあるでしょう。
その上で、以下の構造を提出します。
1.追記構造
これは、テクストが一旦成立した後、時間を隔てて、次々に追...
追記の仕方によって、以下の下位区分があります。
1-1.単純追記
これは、テクストの後ろに、次々に追記していく形のものです。
一般的な日記や記録などがまさにそうです。
(この「独り言」は、ちょうど逆の形式ですね)
1-2.塊状追記
これは、「売券」の構造です。
日付や制度変更に伴う記載の変更など、文字列を塊として、挿...
1-3.分散追記(訂正・認定型)
これは、あるテクストに対する、校異校正などのように、既存...
分散追記のもう一つの型(説明型)との違いは、往々にしてテク...
1-4.分散追記(説明型)
これは、注釈などのように、あるテクストに対し、説明を追加...
もちろん、場合によっては、テクストの質が変わることもあり...
2.派生構造
これは、あるテクストと同内容のテクストが複数生成されるよ...
たとえば、大宝律令などは、施行時に全国の官司・国郡にその...
また、今でも、伝票など帳票類はカーボンコピーを同時に生成...
あくまでも、石上氏の研究対象は、「原史料」です。
物質的な分析を中心に据えているはずです。
ですが、メッセージ内容の構造や生成過程と混同している部分...
私は以下のように考えます。
今、私が手にしている『古事記』(岩波文庫)の物質としての...
たとえば、ここには、私自身の「書き込み」があります。
この「書き込み」の時期は複数です。
昔つけた「読み仮名」の類もあれば、「倭」を検索した時の傍...
同じ岩波・倉野憲司校注の『古事記』でも、岩波古典文学大系...
それに、同じ文庫本でも、版の違いによるテクストの違いがあ...
私の「書き込み」が入っているのは、世界で「ここ」にある一...
私の持っている『万葉集』(岩波文庫)は、古本屋で買いまし...
中には、前の人の「書き込み」があります。
(これはこれで味わい深いものです)
仮に「かわにし所蔵岩波文庫本」とでも言っておきましょうか...
このことと、「古事記真福寺本」とは、無関係では在りません。
真福寺本にも、同様な「書き込み」の類があります。
虫食いや破損の修正箇所や補強箇所もあるでしょう。
署名も違うし、状態も、それらに関して言えば、世界に同じも...
「古事記真福寺本」という一写本に限って、物質的に検討する...
同じように、「売券」や「書簡」などの原史料であれば、なお...
これと、メッセージ内容の構造とを混同すべきでは在りません。
つまり、我々は、『古事記』の内容の生成過程をも、視野に入...
ふむ。
石上氏の研究を大いに参考にして、私も少し整理したほうがい...
26-Jan-2003
あけましておめでとうございます(笑)。
2003年、一発目の「独り言」です。
昨年の後半は、かなり寄り道をしてきました。
まぁ、私にとっては、有意義なものであったろう、とは思って...
今後はその実践の為に、どうしたらいいのか、という点に的を...
今回は、その第1回として、「物語論」について、考えてみたい...
「物語論(ナラトロジー、narratologie)」の中心人物の一人...
1.物語言説(レシ、recit)・・・これは、物語の「言説」、つ...
2.物語内容(イストワール、histoire)・・・これは、語られる...
3.物語行為(ナラシオン、narration)・・・これは、「物語る...
この三つの概念を分類し、「物語論」とは、「物語言説」と「...
我々、文献を研究するものも、物語のテクストをも、その対象...
物語論には、現在、いくつかの流れがあるといわれています。
ひとつは、「物語行為」を中心とした研究。あるいは「虚構言...
「フィクションをフィクションたらしめているのは、何か」と...
また、全ての「歴史言説」は「物語る」行為だ、とする、アー...
「物語る」あるいは「語る」という行為を中心にすえた研究で...
私は、この視点から、記紀に迫ろうと目論見ましたが、失敗に...
むしろ、「虚構言語行為」とは、何であろうか、という点に、...
「ジョーク」と「ウソ」の間にあるものは何だろうか、という...
聞き手が、(話し手の意図どおり)「ジョーク」「フィクショ...
成立しなかった場合、「ウソツキ」になります。
逆に、話し手にその意図がないにも拘らず、聞き手が「ジョー...
この場合は、要するに「信じられない話」「ウソのような本当...
ですから、「聞き手」が非常に大きな役割を果たすのが、「物...
文面だけでは、「フィクションとノンフィクション」、「ジョ...
次に、「物語言説」の研究。
これは、「物語言説」そのものを研究する立場です。小説の技...
狭い意味での「ナラトロジー」は、これを指します。
最後に、「物語の構造分析」。
この研究は、「構造主義」が一大旋風を巻き起こした、1960年...
まず、プロップの『昔話の形態学』(初版1928年)が、1958年...
ちょうど、レヴィ=ストロースの神話研究が注目されていたさな...
A.J.グレマス、ブレモン、トドロフ、そしてロラン・バルトと...
まず、ソシュール以来の言語学が参考にされます。
そうして、「物語は一つの文である」というテーゼのもとに、...
文が、「動作主」と「行為」によって成るのと同様に、物語の...
そのいずれもプロップの手によって既に土台が築かれていまし...
まず、「行為」については、プロップは、その研究対象である...
いくつかを挙げると、
1.誰かの不在
8.敵対者による加害、あるいは主人公側の何らかの欠如
10.敵対者への対抗開始
11.主人公の出立
16.闘い
18.勝利
20.主人公が帰途につく
23.主人公の知られざる帰還
24.ニセ主人公の不当な要求
28.ニセ主人公の正体露見
29.主人公の変身
30.ニセ主人公・敵対者の処罰
31.主人公の結婚・即位
などです。(番号はプロップの挙げた番号に従っています)
プロップは「ロシアの魔法昔話」を対象にこの研究を行いまし...
例えば、「オイディプス王」や「オデュッセイア」などは、見...
これが、「機能分析」です。
バルトは、さらにこの「機能」を分類して、話の筋を決める「...
また、話の筋には直接関係しないが読者に重要な情報を与える...
バルトは、「核」の直接的な役割よりも、「触媒」のはぐらか...
この「核」や「触媒」の流れを追う分析を、バルトは「シーク...
また、ブレモンは、プロップの「決定論的(結末は常に決まっ...
次に、「動作主」についてです。こちらもプロップの分析が出...
プロップによって、物語の基本構成要素としての「機能」とい...
プロップに拠れば、主人公・敵対者・王女・贈与者・助手・派...
これは、登場人物の「人格」ではなく、物語において果たす役...
はからずも、スーリオは『二十万の演劇状況』で、演劇の役に...
これを受けて、グレマスは6つの「行為項」を定めました。
主体/客体
送り手/受け手
敵対者/援助者
この六つです。
これら行為項の役割を分析することで、物語の構造が見えてく...
ロラン・バルトは、「天使との格闘」で、『旧約聖書』「創世...
ヤコブが川を渡り、そのとき、「天使」と格闘して勝ち、イス...
ここで、彼は彼自身の提出する「シークエンス分析」を行いま...
そして、「機能分析」「行為項分析」を行い、この話は紛れも...
(彼は歴史家ではありません。あくまで、プロップの分析(全...
この話は、「神の敗北」「トリックを使ったほうが負ける」と...
そして、「行為項分析」によって、彼は以下のように分析しま...
主体=ヤコブ/客体=河の通過
送り手=神/受け手=ヤコブ
敵対者=神/援助者=ヤコブ
そうして、主体と受け手が同じなのは、珍しいことだが、送り...
もっとも、バルトは、このような構成そのものよりも、テクス...
如何にしてテクストは複数の読解可能性を生み出し、意味決定...
テクストは如何に意味を「散布」していくのか。
という点に興味を持っていたのです。
従って、「テクストの構造そのものが意味を決める」立場に近...
それはともかく、これらの分析は私たちにとっても重要であろ...
(これによって、「物語」としての構造を見出したとしても、...
たとえ史実であっても、「物語的」な語り口で語られることが...
試みに、神武東征説話を「行為項分析」にかけてみましょう。
主体=神武/客体=大和(東)の土地
送り手=神武/受け手=神武
敵対者=長髄彦や国津神、土蜘蛛/援助者=ニギハヤヒや天津神
といったところでしょうか。
主体は問題ないでしょう。客体は土地です。(行為項は人間で...
送り手、すなわち東の土地を目指せと主体を送り出すのは、神...
受け手、すなわち東の土地を手にするのは、これまた神武自身...
敵対者・援助者は問題ないですね。
主体・送り手・受け手が同一という、かなり変わった構造をし...
神武が自らの意思で自らの欲する土地を手にする。
という、「独善的」な構造を持っているといえるでしょう。
他の説話も分析にかけて、比較してみると、興味深い結果が得...
今日はこの辺で。
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