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14-Nov-2004
昨日、今日(11月13日、14日)と、(財)大学セミナーハウス...
同館館長の荻上紘一さんのご厚意で招いていただいたものです。
今日は、それを簡単にですがレポートしたいと思います。
このセミナーは、3つのテーマにしたがって、古田氏がまず講...
まず、1日目。
最初のテーマは「国引き伝説と出雲王朝」。古田氏の講演は、...
しかし、「国引き」をめぐる、壮大な解釈は、(知ってはいた...
…で、このセミナーのコーディネーターでもある荻上さんのお図...
古田氏は、講演の最後に、「天照大神とスサノヲが姉弟で、大...
要するに、天照大神とスサノヲが姉弟であるという「格付け」...
それは、スサノヲを天照大神より格下の乱暴者とするための作...
私は、この「改作」の時期を「国譲り」及び「天孫降臨」の直...
これは、古田氏によれば、「改作」の時期は、それよりもっと...
後から考えてみれば、もし、古田氏の言うとおりであれば、天...
また、隠岐島の八幡浩二さんからは、隠岐の黒曜石についての...
次に、当初の予定を変更して、古田氏の最近の研究「トーマス...
松本さんのそれは、「ロシアに渡った浄土真宗僧の太田覚眠は...
要するに、覚眠は、娼婦との付き合いの中で、一種の「癒し(...
そして、古田氏によれば、イエスもまた、サロメ(銀の皿の人...
なるほど、ここで言っている「癒し」とは、性的な意味でもな...
ちょうど、高級官僚が SM クラブに通うのと同じように、「面...
(別に、SM クラブに行く高級官僚の気持ちが分かる、というわ...
また、「トーマス福音書」には、人間イエスの「人間くささ」...
イエスの読解に関しては、柄谷行人氏が田川健三氏『イエスと...
これについては、別に述べる機会があれば、述べてみたいと思...
1日目のセッションはここまでで、夕食・懇親会となりました。
懇親会では、古田氏のお孫さん、古田氏が松本深志高校教諭だ...
そして、2日目。
次のテーマは「天孫降臨と九州王朝」。古田氏の講演は、多岐...
ここでも私は、質問の機会を与えていただき、例の「倭国と日...
修行が足りませんね(苦笑)。
ところで、ここで、古田氏は興味深い新説を話してくださいま...
それは、(言っていいのかな?)「磐井の乱=継体の乱は、な...
詳しい説明は、後々古田氏が書かれるでしょうから、ここでは...
これで、「倭国と日本」の最大の留保であった「百済本紀の記...
まぁ、古田氏が発表されたものを読んでから、考えることにし...
次に、「古代日本の国際交流」。ここでは、古田氏は、例の「...
これは、私も好きなテーマであり、「海のロマン」と題した今...
最後に、古田氏が事前に参加者から寄せられた質問に、すべて...
私は、最近の私自身のテーマである、「単一民族神話批判と天...
これについては、後々、じっくり述べさせていただきたいと思...
古田さんは、2日間ほとんどしゃべりっぱなしで、周りが心配す...
お疲れ様でした。
また、横田さんにも久しぶりにお会いすることが出来、貴重な...
最後に、荻上さん、それから、広報の伴さん、本当にお疲れ様...
07-Nov-2004
今日は、『魏志倭人伝』の行路記事を、文面の味わいを重視し...
まず、私は、現代中国語を知っているわけではありません。知...
ましてや、話したり聞いたりすることは、なおさら出来ないわ...
とはいえ、漢文の味わいのようなものは、理解できるつもりで...
中野雅弘さんが、掲示板で、次のようなことを挙げてください...
中国語は、基本的には動詞を中心として、その左に主語と...
左の主語と称する話題の対象となる主語は、それこそ自明...
こうしたことは、実は、我々中国語を話せない日本人もよく理...
つまり、漢語熟語です。
単純にいえば、漢文の一部を日本語の一部として使用している...
(極端な例を挙げると分かり易いので)「人面魚」は「魚」で...
「在日米軍」は「米軍」ですが、「日米軍」なんてのがあった...
「和牛」は「牛の種類」、「国産牛」は「国内で生産された牛...
「従軍記者」は「軍の一部」ではなく、「軍医」は「軍の一部...
こうした単語の構成は、漢文の一部を用いているのであり、こ...
前者は動詞をそれぞれ含んでおり(「在」「産」「従」)、そ...
後者は単に名詞をつなぎ合わせたものであり、形成された語の...
そう考えてみれば、中野さんが「動詞を中心」とおっしゃった...
もちろん、日本語の中の漢字熟語には、「日本の流儀で」作ら...
ちなみに、日本語では、漢語を含め、外来語は、決まって「名...
「従軍する」「従軍の」「ビッグな」「サボる」などなどです。
さて、魏志倭人伝に戻りましょう。
従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪...
行路記事を中心に、一万二千里の部分までを引用しておきまし...
句点(「。」)ごとに、一つずつ見ていきましょう。
従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪...
動詞を全部抜き出すと、
「従」「至」、「循」「水行」、「歴」、「南」「東」、...
となります。最初の「従郡至倭」は、「郡を出発して倭に着く...
しかし、ここで文章が終わった、と言うことではなくて、まだ...
以降の文は、この「従郡至倭」を主題とした行路文である、と...
次に、「水行」ですが、「水」は「行」を修飾しており、この...
各々「循海岸」は次の「水行」に係っており、「歴韓国」は「...
つまり、「水行」と「乍南乍東」という行路を、地形的に説明...
ですから、「海岸に沿った後水行した」「韓国を訪れた後南や...
次の「到其北岸狗邪韓国」は、「其北岸」と「狗邪韓国」は同...
「循海岸水行」から「狗邪韓国」までの文を受けて「七千余里...
ここで一旦区切ってもよいようです。中華書局は区切っていま...
さて、次の、「始度一海」ですが、これは、「始めて一海を度...
当然、前を受けて、「一海を度る」その渡海の距離が千余里で...
この点は、中野さんも同じように読んでいるようです。
私もそれでいいと思います。
で、「至対海国」と続くのですから、「千余里」の後、至る、...
中野さんは、「時系列」と言う言葉を使われましたが、仰ると...
又南渡一海千余里、名曰瀚海、至一大国、…。又渡一海、千...
この「一大国」「末盧国」の過程は、対海国と同様であり、千...
このことは、一大国の前に「瀚海」の記述があることからも確...
東南陸行五百里、到伊都国、…。
これも、なるほど、中野さんの仰るように、「東南陸行」を受...
その後、「伊都国」に到るわけです。
しかし、ここの場合は、ニュアンスの違いがあっても、微妙な...
まぁ、今は、そういった味わいを大事にして読んでいますので...
東南至奴国百里、…。
ここの表示は、また、異なります。先に「東南」の方向で次に...
ここには、「行」という動詞がありません。
これをよく考えて見ましょう。
古田武彦氏は、この違いを「実地に行き至ったか」という観点...
川村明氏も、同様のことを漢書から言っています。
私も、基本的にこの解釈でよい、と考えますが、「実地に」と...
また、「有」という語を用いた場合との区別がつきません。
「東南有奴国百里」(これなら「東南百里、有奴国」とか「有...
これでしたら、確実に、奴国までの百里は、地図上の話をして...
(「在」との違いは、読者にとって既知か未知かによる。「有...
ですから、これとも微妙に違う、と考えておいたほうがいいで...
古田氏の挙げた、「四至」の例と、川村氏の挙げた「動詞の先...
其在周成、管、蔡不静、懲難念功、乃使邵康公賜斉太公履...
これは、曹操が魏公になる時の献帝の詔の一節です。ここで言...
ですから、もちろん、「実地に行くこと」ではないのですが、...
中心地(あえて、曖昧に言うべきだと思いますが)から、見て...
(「斉」の中心地がどこか、などという野暮なことを言うべき...
次に、川村氏の挙げた漢書の例を見てみましょう。
川村氏の説明を聞きます。
20 且末國、王治且末城。
去長安六千八百二十里。…。
(1) 西北至都護治所二千二百五十八里。
北接尉犂。
(2) 南至小宛可三日行。…。
西通精絶二千里。(同、同頁)
21 小宛國、王治扞零城。
去長安七千二百一十里。…。
(1) 西北至都護治所二千五百五十八里。
東與[女若]羌接、辟南不當道。(同、同頁)
(用例、以下略―河西注)
…また、20(2)の「南至小宛可三日行」も、小宛国まで実際...
つまり、ここでも、「至」は、「実際に行ってしまう」という...
「南至小宛国」と「西通精絶」とは共に「且末国から南」「且...
古田氏や川村氏の言う「実際に行く」という表現は、このよう...
そして、このほうが、厳密に言えば、正しいだろうと思います。
ですから、「東南至奴国百里」は、「行路に含めない傍線行程...
ここで言う、「傍線行程」とは、しかしながら、「魏使は奴国...
そうではなく、今の行路記事上、「起点が動かない」という意...
次の、
東行至不弥国百里、…。
の「起点」は、「奴国」に移動しているのではなく、「伊都国...
さらに、ここには「行」がありますから、次の
南至投馬国、水行二十日、…。南至邪馬壹国、女王之所都、...
は、共に「不弥国」を「起点」とするのです。
「投馬国」のほうは、「行」がありませんから、これは「起点...
(ちなみに、「水行二十日」とか「水行十日」という時の「行...
漢書でも、「三日行」とかと表示していますが、「起点」の問...
さて、これは、「日本語」としてもよく考えてみる必要があり...
「東行至不弥国」を「東へ行けば、不弥国に至る」と読みたく...
ここでいう「行けば(或いは「行くと」)」は、仮定の意味を...
ですが、漢書・魏志の例でも分かるように、「行」がある場合...
「行くと」なら、幾分、仮定の意味は弱まりますが、ここはや...
さて、次に、「南至邪馬壹国、女王之所都、水行十日、陸行一...
ここは「(不弥国から)南へ、邪馬壹国に至る。(邪馬壹国は...
これは、中野さんのご意見に賛成です。
もう少し、発展させてみると、ここまで、「距離」の表示は、...
「七千里」は「(郡から)循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到...
「千里」はそれぞれ「度一海」を、「五百里」は「東南陸行」...
「百里」は、「(伊都国から)東行至不弥国」をです。
中野さんが「路」を付けてみたらよい、と仰っていましたが、...
ですから、「水行二十日」は「(不弥国から)南至投馬国」の...
次に「水行十日、陸行一月」は、どうでしょうか。
これは、「(不弥国から)南至邪馬壹国」の「路」を指してい...
「女王の都する所」という一句によって、「郡より倭に至る」...
その後、「次有…」と次々に国名を列挙します。
これは、「有」の語が示すように、地図上の話になります。
ちょうど、目的地である「女王之所都」に到達してから、残り...
そうして、倭国を俯瞰し終わった後、総里程「一万二千里」を...
なるほど、中野さんが、「邪馬壹国の記述は、この記事のまだ...
16-Oct-2004
掲示板で、激しい議論を展開中ですが、その中で、私は一つの...
それをここで述べてみたいと思います。
問題になるのは、「対海国」「一大国」の「半周」という解釈...
古田氏の立論に拠れば、この「半周」の行程は、「陸路」と見...
私もその立場で考えてきました。
しかし、なるほど、宮津さんの言うように、「船で島を訪れて...
私は、これに対して、「陳寿の机上の算法のことであり、実際...
この反論も、私にとって、十分、合理性のある説明だと考えて...
とはいえ、「不自然だ」という論者に対して、説得的であるか...
さて、今回、じっくり考えてみると、この「対海国」「一大国...
古田氏は、「対海国」の記事中に「土地は山険しく、深林多く...
もちろん、「対海国」「一大国」に到達した、ということは、...
しかし、実際には、停泊した港から、島を巡り、停泊した港か...
ところが、この場合、実際に地図に描いてみれば分かりますが...
対海国通過の経路
一大国通過の経路
地図中で、青く示した部分が、それぞれの「渡海千里」部分で...
どこに泊まるか、が問題になりますが、それぞれ、「厳原」「...
で、当然ですが、「対海国」まで「度一海千里」なのですから...
そうすれば、「対馬の島の目前まで来て、港に着くために島を...
また、もし、浅茅湾のどこかに寄航したなら、次の「一大国」...
いきなり「浅茅湾」から、南に海を渡れない、のですから。
実際に考えてみれば、この「半周」という行程は、「水行」と...
「一大国」に関しても同じです。
陳寿は、狗邪韓国→対海国→一大国→末盧国の行路を(四分方向で...
そのような理解をしたとき、先述来の図
<図>半周読法とは「島を半周するように二辺を通過する」と...
は、よく理解できるものとなるかと思います。
これは、「半周する」という読解に対して、「そんな読みは不...
こう解釈すると、より「実地に即した」解釈であり、「半周」...
03-Oct-2004
掲示板で様々な方と意見の交換をさせていただいていますが、...
それは、私が「同語反復」或いは「循環論法」と批判するよう...
私がどういった論法に対してそのような言い方をするのかと言...
A であると私は見なしたから、この文献は B と読むべきであり...
この場合、結局、文献を B と読むことの根拠は、A であり、A ...
そうしてみると、結局、文献を経由したように見えて、「私は ...
それを私は批判します。
これが「同語反復」、「循環論法」と、私が言う事態です。
しかしながら、誰もが、こうしたことを「知っていて」行なっ...
「そう信じている」と言ってもいいですが。
では、何故、このような事態を招いてしまうのでしょうか。
それは、古代史に対する論者の「思考方法」に原因がある、と...
私は、古代史の「方法」にこだわらなければならない、と思っ...
何も改まって言うことではありませんけれど、ね。
その方法とは、史料に基づくこと、という一点に尽きます。
歴史の登場人物は、当然のことながら、ほとんどの場合、既に...
卑弥呼にせよ、織田信長にせよ、ね。
まぁ、これが明治維新の登場人物ともなれば、かすかに覚えて...
ですから、私たちは、歴史の登場人物を全く知らない。
何から得るのか、と言えば、それが「史料」からなのであり、...
逆に言えば、私たちは、史料しか知らない。
私たちの目の前にあるのは、史料だけであり、古代の大地が目...
これは、当然のことです。
しかしながら、私たちは、つい、ひとつのことを忘れてしまう。
私たちが論じる対象は、確かに「古代史」というジャンルに属...
しかしながら、私が話す相手は、常に現代の人物であり、私は...
古代史論者は、常に現代の人間である、ということです。
この言い方は誤解を招く恐れもありますね。
例えば、本居宣長は、近世の人物であり、近世史の論者から言...
しかし、宣長も、古代に関しては、私たちと同程度に無知であ...
彼も、卑弥呼には会ったこともなければ、卑弥呼を知る人物に...
例えば、太安万侶に関しても、卑弥呼に関して言えば、私たち...
私たちよりも豊富な史料を目にすることは出来たかもしれませ...
そうしたことを含めた意味で、私たちが議論の際に相手にする...
自分自身も含めて、ね。
だから、私たちは、常に、無知な私たちが、「古代史」につい...
そして、それは、史料に結び付いていなければならない。
「つまり、この史料のこの部分から、私はそう考える」
これが、私が問う「根拠」です。
この妥当性、合理性を議論するのが、「古代史」に関する議論...
それ以外のものは何も無い。
よくある間違いは、ここで言う「根拠」を、古代の大地に、或...
陳寿でも、太安万侶でもかまいませんが、ある記述があるとき...
「これこれ、こういう事情があったから、私は A だと考える」...
完全に、古代に身をおいてしまう。
自分が古代に関して無知な現代人であることを忘れて、古代に...
このとき、「私は A だと考える。だからこの文献は B と読む...
私は、ここで「A に根拠は無いではないか」と問うわけですが...
つまり、その論者は本当に「古代の時代背景」が揺ぎ無い事実...
ですが、それは、想像に過ぎません。
私が「根拠」を問うとき、それは常に現代人に対して、何故そ...
ですから、そのような人物―もちろん、自分自身も含めて―がい...
こうした点が、「同語反復」という事態を招くのだろうと思い...
そして、大抵は、その論者自身が、自らの陥っている事態に気...
問われるべきは、常に「方法」であり、「古代史の世界」では...
19-Sep-2004
お久しぶりです。
今回は、掲示板で、巫女さんからご指摘のあった、人口の問題...
巫女さんは、「邪馬台国」畿内説の根拠として、鬼頭宏氏によ...
鬼頭宏「明治以前日本の地域人口」『上智経済論集』41巻1...
によると、弥生時代の人口は、
東北:3万3千
関東:9万9千
中部:16万
近畿:10万
中国地方:6万6千
四国:3万
九州:10万5千
同じく奈良時代には、(このころ、1戸あたり平均10人程度)
東北:28万(~2万8千戸)
関東:78万(~7万8千戸)
中部:86万(~8万6千戸)
近畿:96万(~9万6千戸)
中国地方:79万(~7万9千戸)
四国:28万(~2万8千戸)
九州:56万(~5万6千戸)
(もとは地域をもっと細分化してあって、東奥羽・西奥羽...
北陸・東山・東海・畿内・畿内周辺・山陰・山陽・四国...
なっていたのを、地域をまとめ合わせて加算した。)
邪馬台国時代の人口は、奈良時代と弥生時代の間のはずだ...
九州だけで7万戸は無理です。
ちなみに九州北半部だけで7万なんてのならば、なおさら無...
まず、この推計について、解説しておきましょう。
弥生時代の推計に関しては、以下の方法がとられています。
1.各時代・各地域の遺跡の分布状況を調べる。
2.基礎の人口として奈良時代(八世紀)の人口推計を用いる。
3.関東地方のデータから基礎となる集落規模を推定する。
4.関東地方の八世紀の人口推計から、集落あたりの人口を算...
5.この関東地方の集落あたり人口から、各時代・地域の比率...
要するに、遺跡数から地域ごとの比率及び時代ごとの比率をを...
鬼頭氏自身も考慮していますが、この方法には限界があり、一...
たとえば九州と関東では地理的条件の違いから、九州のほうが...
さて、このデータは、こういうものです。
これ自身、一つの方法として、もちろん、限界もあるのは誰も...
問題は、このデータを「畿内説」の根拠に挙げる巫女さんの側...
これが「畿内説」の根拠になるのでしょうか。
>邪馬台国時代の人口は、奈良時代と弥生時代の間のはずだか...
>九州だけで7万戸は無理です。
と言いますが、同じことを近畿に対しても言うことの出来る、...
この推計では、弥生時代の全人口は、59万4千人とされてい...
「つぎに三世紀の邪馬台国時代の人口についてであるが、『魏...
と言っており、鬼頭氏自身も、この差異についてこれ以上言及...
私の考えでは、そういう疑いは、むしろ順序が逆であり、推計...
それは、「歴史人口学」そのものの成立に関わる問題です。
文献及び考古学的出土事実が第一資料であり、推計はあくまで...
もちろん、鬼頭氏はそのことを知っているからこそ、まかり間...
(一般的な倭人伝不信論に配慮して、計算式の修正までは踏み...
そういうわけで、これを「畿内説」の根拠にしようという巫女...
結び付けるには、もう少し、慎重な議論を必要とするのだろう...
30-Jul-2004
お久しぶりです。
最近、少し、行き詰ってます…。
まぁ、とは言ってもそんなに切羽詰った話じゃありませんけど...
さて、今、私が興味を持っているのは、「国家」についての議...
大きなテーマですね。
私も、何度か独り言で、取り上げたことはあります。
いくつかの視点があります。
一つは古田武彦の「国家」観について。
私は、古田の国家観は、彼自身が思っている以上に、重要なも...
「豪族と王朝」の問題…、「国家の基準」問題。
これは、古田の国家観の特徴と、私が勝手に思っているもので...
「古代史の論点」における、私の議論が中座してしまっている...
これについては、おそらく、古田武彦だけを論じていても仕方...
所謂「戦後歴史学」の主要な論者を対象にしていかなければ、...
同時に、「国家」というのは、非常に大きな影響がある問題で...
右といわず左といわず、あらゆる思想家を相手にしなければな...
近代史、世界史、哲学といった論者と向き合うことも必要でし...
まずは、戦後歴史学から考えることにしましょう。
まだ、何もまとまりませんが、ここで、それを少しずつでも述...
戦後の、「科学的」な歴史学者は、皆、こういいます。
「何を以って国家と言うのか、その基準が大事だ」と。
例えば、「邪馬台国」を以って「国家」というような論者は、...
「邪馬台国」が「国家」である、と主張したければ、「邪馬台...
これは、一見、尤もな意見であるように聞こえます。
しかし、この議論は、実は奇妙なのです。
「邪馬台国」は「国」とあるから、「国」だ。
という素朴な主張を何故否定しなければならないのでしょう。
それは、現在の、何らかの国家観を以って、当時の国を判断す...
津田左右吉は、「概念」を歴史学に持ち込むことを拒否しまし...
このことは、多くの戦後の歴史家を困惑させました。
一般に彼のこうした発言は、「マルクス主義」への反発による...
彼の主張が「象徴天皇制」の源泉となったこともあり、彼の「...
井上光貞は、「自分は津田史学の亜流と言われてもいい」と言...
今の議論に接続させて言えば、「国家」という概念を持ち込む...
津田が言うのは、史料批判上の問題です。
史料に基づいて「国家」を論じるならば、史料に基づいて「国...
だから、現在の概念によって史料を解するべきではない、とい...
それは、実は、マックス・ヴェーバーも警戒していることでし...
社会学が「客観性」を維持する為には、その概念の限界を知る...
もちろん、このことは、一般にも理解はされているでしょうけ...
(これは、「戦後史学が誤っている」と言いたいのではありま...
国家の基準、ですが、所謂「マルクス主義」の論者からは、エ...
これはこれとして、歴史学としては有意義なことでしょう。
それは事実です。
しかし、例えば、石母田正は、「アジア的生産様式」を見出し...
何から概念を抽出し、何に適用していくのか。
このことを忘れてはならないでしょう。
そうした意味では、古田武彦が、「縄文には縄文の国家があり...
ここに「意義」があります。
ふむ。
やはり、まとまりませんね。
まぁ、今日のところはこの辺で。
13-Jun-2004
最近、皇太子殿下の「発言」が世間を騒がせています。
私は、彼の言い分を聞いて、彼の生の訴えを聞いたような気持...
そう言えば、私が小学生の時、昭和天皇が亡くなりました。
あの時、昭和天皇の容体が、刻一刻とニュース速報として流さ...
その時、私たち子供の間では、「皇族は可哀想だ」ということ...
「結婚」の話題についてもそうです。
子供であった私の目には、彼らが、普通に生活できないことを...
確かに、今でも、皇族の「発言」は全て宮内庁の役人が考えた...
今、日本で一番「権利」を剥奪され、「自由」から遠いところ...
そうしたわけで、今回の皇太子殿下の発言は、血の通ったもの...
さて、こうした皇太子殿下の「発言」を受けて、俄かに「女性...
皇太子妃殿下の「ストレス」の原因が、「お世継ぎ」問題にあ...
これについて、私は、過去にも「独り言」を述べたことがあり...
今は、これについても多少考えも深まりましたし、もう一度、...
まず、「皇室典範」には、男性だけが天皇になれる、とありま...
これが、「女性天皇」が今の制度ではありえない所以なのです...
これの何が問題なのでしょうか。
たとえば、こういうことです。
今、皇族の女性が、誰かと結婚した場合(仮に「鈴木さん」と...
ですから、皇族を離れ、「野に下る」ことになります。
当然、彼女の子は、「鈴木さん家の子」であり、「皇族」では...
だから、「彼女」にも「その子」にも、皇位継承権は無い、と...
このあたりに、「女性天皇」の難しさがあります。
過去の「女性天皇」は、ほとんどが前の天皇の「皇后」か「母...
(この言い方は多少問題があるかもしれません。しかし、少な...
少なくとも今の「皇位継承」に関して、もっとも重要なのは、...
ですから、それを取っ払ってしまえばいいじゃないか、生物学...
その際、「夫婦別姓」とか、「男女平等」とか、そういう如何...
ですが、そういう論者は、実は、何も考えていない。
「天皇」とは、何かと言うことを。
今の、家族制度上の「血統」を継ぐものでなければ、天皇には...
それは、単に新しい家族制度を作っただけのことであり、たっ...
ですから、実は何も考えていない。
こう問うて見ましょう。
では、「女性天皇」の夫に、皇位継承権が無いのはなぜか。
これを認めないのは、単に「血統」を家族制度の従来のものか...
もし、これを認めるなら、どんな一般人にも「皇位継承権」を...
それなら、「選挙」で決めますか?
これを、「愚かな極論」である、と感じる人は、是非、「なぜ...
私は、天皇家の「神秘性」を剥ぐことを問題にしたいのではな...
問題は、こうした「神秘性」を見ることをせずに、その「神秘...
「女性天皇」を認めるべきだ、と主張する論者は、どういうわ...
ですが、実は、「神秘性」は、こうした論者によって、守られ...
そういうわけで、まだまだ「天皇制」は、安泰のようです。
これを「安堵」と釈るか、「皮肉」と釈るかは、読んだ方にお...
05-Jun-2004
今日は、古代史を少し離れ、「自己責任」について、改めて考...
「自己責任」なる言葉は、もちろん、最近の流行でもあります...
個々の議論はさておき、私は、彼らの家族が、なぜ責められな...
さて、先日、イラクでもうひとつ悲しい事件がありました。
ジャーナリストの橋田信介さんと小川功太郎さんが襲撃を受け...
しかしながら、橋田さんの奥様(幸子さん)の毅然として気丈...
橋田さんは、確かに、ずっと戦争ジャーナリズムに携わってお...
奥様も、それを認識しており、覚悟を決めていたのだなぁと、...
橋田さんは、「人質事件」で「自己責任」が云々されていたこ...
それは、「危険は覚悟のうえ」ということでした。
まさに、そうした「覚悟」を、橋田さんの奥様は、体現されて...
そしてこれが、彼らの「自己責任」ということなのでしょう。
そうしてみると、「人質事件」で語られていた「自己責任」と...
どこから議論はおかしくなってしまったのでしょうか。
それを考えておく必要があります。
やはり、「あれ」はおかしかった。橋田さんが身をもってそれ...
さて、まず、違いを見出しておかなければならないのは、「家...
これは、あえて指摘するまでも無いのかもしれません。
もちろん、状況は違います。
あの場面での、「家族」の、あの言動は、家族として当然のこ...
ですが、「家族」がああ言ってしまったがために、おかしな「...
「自己責任」論は、「家族」の言動に対する反発であることは...
しかし、私は、どうしても、どちらの言い分にも、納得するこ...
それは、おそらく、「言った内容」ではなく「言った口」が問...
ところで、お金を貸し借りした際、絶対に争わない為の心構え…...
「借金は必ず返す」でしょうか。それとも「貸した金のことは...
どちらも半分当っていて、半分はずれています。
「借金は必ず返すべきだ」と貸したほうが言うことも、「貸し...
人は「倫理」と言うとき、全ての当事者に、「公平な」命題を...
負債者と債権者は、同じ立場ではありません。
ですから、負債者と債権者に一律に課せられるような「倫理」...
負債者は「借金は必ず返すべきだ」と言うべきですし、債権者...
「自己責任」論では、「国家の責務」と「個人の自由」が争わ...
しかし、知らず知らずのうちに「家族」は「国家の責務」を求...
これが、争いの原因なのです。
どちらも、言っている内容は正しい。なのに、反発を招く。
それは、「日本人特有の判官贔屓」でも、「安っぽい感情論」...
これが、「自己責任」があらぬ方向へ流れてしまった、原因な...
しかし、最後に強調しておかなければなりません。
「あれ」は、関わった全ての人々が、きっと、自らの意思で、...
「後悔先に立たず」とは、「先見の明がないことを歎く言葉」...
「あのときああしていればよかった」という後悔は、常に後か...
その事実を簡明に語っているのだといったほうがいいでしょう。
「反省」は、もちろん、あらゆる人々にとって(もちろん私に...
それは、ことが起ってしまった後に、初めて為される。そうい...
ですから、「彼ら」には、これに「懲りず」に、是非、彼らの...
休日は家でのうのうと古代史の思索にふけっているような輩に...
陰ながら応援したい、というのが今の素直な気持ちです。
31-May-2004
先日(5/30)、歴研の大会に参加してきました。
簡単にですが、ご報告です。
今回の「報告」は、「古代史部会」と「アジア前近代史部会」...
二つは、王権論という点で共通のテーマを持っており、各々の...
まず、河内報告のほうは、権力とそれを支えるイデオロギー論...
倭の五王時代の「世界観」は、中国を中心にしており、したが...
その後、隋代には倭王は「天子」を称しますが、この頃には、...
次に、律令以降、天皇は「現神」となり、「アメ」は「皇祖」...
こうした河内報告は、一つ一つの論点を見ていくと、それほど...
この取り組みの方向性は、非常に興味深いものだと思います。
しかし、例えば、「天下」をキーワードと見なし、そこから「...
この点において、例えば『出雲風土記』の「所造天下之大神」...
次の山田報告は、今まで中国史における皇帝権力の議論が、皇...
これは、日本古代史における「ミヤケ」「部民」といった、天...
なるほど、確かにこの点においては日本古代史には多くの研究...
日本古代史、中国古代史の両側面から、互いに論じ合っていく...
ちなみに、例によって(?)、「懇親会」にはしっかり参加し...
鈴木靖民さん、吉村武彦さんと言った方々と(直接お話は出来...
発表者の河内さんとは、少しだけお話しすることが出来ました...
30-Apr-2004
先日、ねたろうさんから、音価推定についての質問を受けまし...
私自身もうろ覚えであり、多少の誤解もありましたので、少し...
さて、「奴」を「な」と読むことについてですが、論点は二つ...
一つは、簡単に言えば、中国語では「奴」は何と発音されてい...
もう一つは、『魏志倭人伝』の「奴国」は、日本語では何とい...
これは、区別しなければなりません。
第一の中国語の音価推定の問題からじっくり見てみましょう。
まず、中国語音韻は次のような体系から考えられます。
1.現代中国語(北京・広東などで異なる音韻体系)
2.切韻体系(魏晋南北朝から隋唐の所謂「中古音」)
3.詩経体系(『詩経』から推定される所謂「上古音」)
もちろん、細かく見ていけば、当然、唐の頃に大きな音価の変...
更に、日本の呉音・漢音・唐音・宋音などを考慮に入れれば、...
今問題となるのは、「中古音」と「上古音」です。
中古音は、『切韻』系列の韻書から導き出される音韻体系です。
(ここで「音韻」「音価」という語について、私なりの解釈を...
韻書から、声母・韻母・声調が導き出されます。これによって...
そして、上古音は、『詩経』に収められた詩の韻によって導き...
ここで、よくある間違いを指摘しておかなければなりません。
上古音・中古音というのは、あくまで現代の学者の、とりあえ...
今言ったように、中古音は『切韻』(の系列の韻書)に、上古...
間違ってはいけないのは、これを歴史的実体と思ってはいけま...
あくまで言語学上の、認識論上措定される対象なのだと言うこ...
当然ながら、言語は同じ時代でも地域によって異なりますし、...
おそらく『詩経』と『切韻』の間には違いがあり、別々の体系...
理論的対象と、歴史的実体は、区別しておかなければなりませ...
さて、前置きが長くなりましたが、問題の「奴」は、中古音で...
ところがこの〔模〕韻は、他の中古音の〔麻〕韻や〔魚〕韻と...
この音価が、様々な理由から[a]であろうと推定されています。...
したがって、「奴」は、日本語で近い音で言うなら、中古音な...
(このことと、同じ中古音でも南方系では「の」、北方系では...
さて、次に『魏志倭人伝』の「奴」を何と読むか、という問題。
これを考える為には、いろいろ複雑なのです。
まず第一に、これを音訳した人が、中国人なのか、日本人なの...
中国人であれば、中国語の音韻体系をそのまま適用するという...
当然、日本人なら日本語の呉音や漢音といった体系が適用でき...
森博達氏は、中国人による音訳と見ているようです。
少なくとも中国語の、しかも中古音の体系を踏まえていると見...
しかし、ここからが重要です。
では、「奴」は何と読むのか。
ここから言えば「の」である、というべきでしょう。
しかし、森氏は、違うことを言い出します。
「奴国」は「那の津」の「な」に比定されるから、ここでは「...
したがって、これを「な」と読むのであれば、この「奴」だけ...
と言うのです。
順番を間違えてはいけません。
「奴」は上古音である→「奴」は「な」と読む
ではなく、
「奴」は「な」と読む→「奴」は上古音である
という順序なのです。
これを逆転させることは出来ません。
これを間違えるのは、論理上、あまりに初歩的なミスであるの...
私が「重要なポイントは、「奴」を「な」と読む根拠は、まず...
(森氏以前に「上古音」を持ち出した論者はいますが、彼らが...
ふむ。
非常にややこしい問題を多く含みますが、私なりに整理すると...
18-Apr-2004
今回は、歴史学の方法について、また、考えてみようと思いま...
よく、歴史学の方法は、検察官や探偵の仕事と比較されます。
なるほど、確かに、似ている気もします。
物的証拠、状況証拠、証言を集めて、過去の事実を明らかにす...
ですから、推理小説の名探偵が「邪馬台国」の謎に挑む、なん...
この点を踏まえて、これら検察の仕事や、名探偵の仕事を少し...
まず、検察の仕事ですが、確かに同じようにして様々な証拠を...
しかし、大事な点は、それが事実であると認められるかどうか...
どんなに検察が重要な証拠だといっても、裁判官がその証拠能...
ですから、弁護側は様々な戦術で、これを決定不能な方向にも...
それが裁判です。
裁判官の決定に対しては、それが裁判のシステム上決められた...
裁判官の決定は、強大な権力によってはじめて為されるもので...
(三権の一角を担う)
この「権力」の問題なくして、検察の仕事を語るわけには行き...
検察も弁護士も、法というシステムに組み込まれた一つだから...
そうしてみると、推理小説などの名探偵の仕事にも、不可欠な...
それは、作者という権力による決定です。
具体的には、名探偵の推理を跡付ける為の、具体的な展開が、...
「助手や依頼人が感心する」「犯人が自白する」「都合よく決...
この中のどれ一つとして行われないまま、推理小説が終わって...
こうして、必ず、推理小説の最後には、作者によって、名探偵...
それは、作者の「神のような権力」によって行なわれます。
これはこれで、詳細に検討してみると面白いのかもしれません...
ところで、歴史学においてはどうでしょうか。
ある学説が、一つの学説として、まさに「認められる」必要の...
フォイアアーベントは、科学的真理を決定するのはプロパガン...
ニーチェは、「真理への意志は権力への意志である」と言いま...
(このようなことは、西洋の大物哲学者の大仰な言説を持ち出...
私は、「真実は一つ」とか「何処から見ても山は山」みたいな...
それはそれとして、私の信条としては、そのとおりだと思って...
よく「古田説はなぜ受け入れられないのか」という問いを、古...
多くの場合、「学界の退廃・腐敗」といったような見方や、「...
それはあまりに無邪気で純真無垢な見方だと言ってもいいのか...
無邪気とか純真とか無垢とかという言葉を私は決していい意味...
そもそも、彼らの本質が本当にそのようなものであるかどうか...
本当にそこまでガキではないだろう、と言いたい。
ですから、それは、おそらく、事実から目をそらすような行為...
この言い方は、多少酷かもしれません。
しかし、その意味では、プロパガンダに精を出す安本美典のほ...
「古田説はなぜ受け入れられないのか」という問いの回答は、...
しかしながら、私は、「誰もが思わずうなずいてしまうような...
それは、根拠のない信念に過ぎません。
ですが、私は、そのことには、何の躊躇もしないでしょう。
そこで「うろたえる」というまさにそのことが、「根拠がなけ...
私は、学問には「ルール」だけが必要だ、と言ったことがあり...
そこで言う「ルール」とは、「誰もが思わずうなずいてしまう...
「数字」を使うのも、「形式」を使うのも、「観念」や「理論...
「誰が見ても、考えても同じであるようなもの」のことを「客...
それが学問の「ルール」だと思っています。
しかしながら、「誰が見ても同じ」であるかどうかは、「客観...
そこで「政治力」が働きます。
ですが、たとえ、「建前」だけであっても、「誰が見ても同じ...
その「ルール」が守られている限り、学問はどこまでいっても...
そのために必要なら、数値化もしますし、形式化もしますし、...
それだけのことです。
あまり、堅苦しく考えるのは、好きではありません。
私が歴史をやるのは、「楽しいから」であり、「娯楽」に過ぎ...
それでいいのだ。(笑)
17-Apr-2004
人質事件は、この一週間で随分と動きました。
事件の経過はもちろんですが、世論も随分変わったものだと思...
先週の独り言で、私は、「彼らが無事助かって帰国すれば、そ...
「自己責任」という言葉が、政府関係者からもマスコミでも大...
政府からそれが出るのは、先週も言ったとおり、自衛隊派遣の...
しかし、「無謀な雪山登山」に喩える例をよく聞きますが、そ...
なぜなら「雪山」は自然ですが、「イラク」は国――要するに人...
もちろん、「雪山」だろうと「イラク」だろうと、救出後の「...
そういった感情的な非難は、マスコミ論や大衆の心理といった...
当然ながら、それとは少し次元を異にする批判も存在します。
今、私が関心があるのは、そちらのほうです。
人質となった3人と、それから新たに拉致されたという2人は...
大きく、「慈善事業家」と「ジャーナリスト」とに分けられる...
私は、彼らの活動を直接取材したわけではありませんし、マス...
今井紀明氏などは、「フリー・ライター」という肩書きですが...
とはいえ、「ジャーナリスト」の多くは、「イラク」の実情を...
それでも、大局的に見て、このような認識で大過ないだろうと...
批判の中には、彼らのこうした活動を制限するような議論があ...
先に言ったような「感情論」も、最終的にそのようなものを招...
しかしながら、例えば、ジャーナリズムは、政府とは一歩距離...
所謂「イラク戦争」の最中も、バグダッドには多くのジャーナ...
従軍記者は、(軍事的必要は理解しつつも)報道内容が制限さ...
ですから、今の「イラク」にジャーナリストが「勝手に」入り...
それを失えば、ジャーナリズムは、「文春出版差し止め」以上...
今は、そのことにあまり目が向けられていない気がします。
或いは、それを失うことは無い、とタカをくくっているのでし...
NGO の活動は、その名(非政府組織=NonGovernmental Organiz...
ですから、彼らの活動が、政府の活動(「イラク」なら「自衛...
個人のボランティア活動家も、おそらくは、同じような理想を...
それを制限することそれ自身は、「身の危険」という文字通り...
こういえば、「今はそんな状況ではない」という声が上がるか...
しかし、おそらく彼/彼女らに言わせれば、そうであるからこ...
今回の人質解放の理由に、彼らの活動内容を評価したことが挙...
ともかく、今回の事件は、「自衛隊」議論が、「派遣」の側に...
たとえ、一人一人の発言が、それ自身としては、決して「派遣...
もう一度申し上げますが、私のこの「発言」が、結果として、...
10-Apr-2004
大きな事件がおきてしまいました。イラクで日本人が拘束され...
もちろん、人命のかかった事態であり、軽はずみには何かを申...
あらかじめ、申し上げておきますが、今回の彼ら――ムジャヒデ...
人質となった三人の無事を祈る気持ちは、私も替わるところは...
それに、私は、何らかの政治的主張をここで展開したいのでも...
私が注目しているのは、彼らテロリストの言動ではなく、国内...
とは言っても、私が目にしえた人々――つまり、テレビによく出...
今回の事件を以て、「だから自衛隊を撤退すべきだ」という人...
自衛隊の派遣の為に今回の事件がおきた、と見なす論者がいま...
私の見たところでは、NGO やその他のボランティア活動を積極...
彼らの言うところは、「日本はこれまで特別に扱われてきた。...
その際、自衛隊が撤退すれば、彼らが帰ってくる、という担保...
一方、「だから自衛隊が行かなければいけないのだ」という論...
そもそも、「自衛隊は戦争に行くのではない。人道復興支援に...
今は、何より人質の人命が優先されるべき時ですから、表立っ...
しかし、彼らが無事助かって帰国すれば、そして今の緊迫感が...
「どうして、あんな危険な状況なのに、あんな危険な場所へ行...
それは、自衛隊派遣のロジックの延長線上にあります。
おおよそ、論理とは、そういうものです。
私が、私自身としては、事実を単に「見た」つもりで、このよ...
いや、見てしまう人がいるかもしれません。
それは、一面では正しいのかもしれません。私が、一人の人間...
今回の人質事件の対応は、あくまで、人命を尊重した上で、「...
「自衛隊派遣」という国家の政策を、そこで云々すること自体...
ですから、素人の私が述べるべきことはないように思います。
ちょうど、誘拐事件の対応について、云々するだけの技量がな...
(もちろん、これについても、述べることがあるかもしれませ...
このテロは、彼らの思惑とは逆に、自衛隊を撤退させにくくし...
今の危険な情勢――特に、今、自衛隊は、情勢悪化を受け駐屯地...
なるほど、この指摘は的を射ています。
そこから考えれば、「人命の為に自衛隊を撤退させよ」と声高...
現実には、論理は、その「位置」あるいは「状況」によって、...
それを計算した上で発言することが、「政治力」だとすれば、...
何ももたらさないのかもしれません。
しかしながら、「人命」を言いながら、無自覚的に、何かを運...
戦前の議論が、もちろん、制限されていたとはいえ、軍国主義...
むしろ、人道主義者や女性解放論者などの言説が、結果的に、...
政治力は、論理とは別のところで働きます。
論理的には決定不可能であることを、政治力が決定する、とい...
問題は、それを「論理の力である」と誤解することです。
ナショナリズムにせよ、今回の問題にせよ、それを容易に混同...
自衛隊派遣/撤退は、論理的には、どちらでもよい(どちらに...
それを決定するのは、政治力なのだ、と言ってもいいでしょう。
それにしても、(何でもいいから)人質の三人が無事解放され...
1-Mar-2004
昨日、一昨日 (2/28-2/29) と考古文化研究会の第一回研修旅行...
それを簡単にですがご報告したいと思います。
まず、一日目。
はじめに鬼ノ城に向かいました。非常に眺めがよく、吉備の平...
七世紀から八世紀の築城である、とのことで、同じ時代には「...
そうしたことから、「吉備大宰」の「石川王」との関係も考え...
しかしながら、地元では「温羅(うら)」伝説との絡みで語ら...
この伝説もなかなか興味深いものです。
それはさておき、道が険しかった・・・。
ここが間違いなく「堅固な山城」であるということを身をもっ...
次に楯築墳丘墓へ。ここでは、この遺跡の発掘者でもある近藤...
また、楯築神社(楯衝宮)の御神体である弧帯石も、普段は見...
見るからに不思議な石で、楯築の丘上の立石と相まって、かつ...
それから、近藤氏とともに鯉喰神社墳丘墓へ。ここも楯築同様...
楯築、鯉喰ともに、先の「温羅」伝説との関係を持っています。
もっとも、こちらは弥生墳丘墓で、鬼ノ城は七世紀ですから、...
それにしても、鬼ノ城があったところは、弥生時代でも、一つ...
もちろん、それ以前に、「温羅」が中世の、中世的な説話に過...
さて、その後、作山古墳を見、ホテル(国民宿舎)へ。
ここで高橋護氏の「講演」を聞きました。と言っても、既にお...
高橋氏の「作山の被葬者は倭王である」という指摘は、興味深...
ただ、「巨大さ」から「大王クラス」と見、だから「倭王」と...
もちろん、吉備と大和或いは河内の関係、というのは一方的な...
二日目。
こうもり塚、江崎古墳と、吉備独特の横穴式石室を見ました。
それから、宮山墳丘墓群、三笠山古墳、天望台古墳へ。
宮山墳丘墓が、前方後円墳の祖形である、という西さんの指摘...
埴輪もそうですが、吉備から近畿への伝播、という方向性は、...
また、吉備では、土器を中心とした編年がかなり進んでおり、...
近畿の考古学編年というか、考古学の全体に対しては、私も同...
そして、造山古墳、千足古墳へ。
造山の頂上には、長持式石棺があり、これが肥後の鴨籠古墳と...
また、近くの千足古墳も、肥後とのかかわりが指摘されていま...
二日間の研修旅行は、非常に中身が濃く、まだまだ書き足りな...
(特に個人的なエピソードまで語ったら、それこそ書ききれま...
私としては、 THE 古墳 NET 首長さんや、市民の古代研究会・...
また、西森さん、中岡さん、水井さん、そしてもちろん西さん...
22-Feb-2004
今日は、「私は何故歴史をやるのか」を考えてみたいと思いま...
何を改まって・・・と思われるかもしれませんね。
まぁ、深い意味は無いのですが、「歴史」という学問について...
よく「歴史とは」という形で、この学問について考えるという...
ベルンハイム『歴史とは何ぞや』、E.H.カー『歴史とは何か』...
しかし、こういう問い方はおそらく不毛なのです。
そもそも私にとって、学問などというものは娯楽であり、道楽...
ですから、「歴史とは何か」と問われても、私には、「歴史は...
このように問うのは、実は、「歴史という学問には一体どうい...
ですが、それは、「野球」とは何か、「野球というスポーツに...
もし、そのように問えば、答えは決まっています。
「野球を通じてチームワークの大切さを学ぶんだ」とか「野球...
本気でそんなことの為に野球少年が目を輝かせているわけが無...
歴史についても同じことが言えます。
歴史とは、物語ることだ、とよく言います。
最近では、それを逆手にとって、だから「客観的な歴史はあり...
ですが、そういう論者こそ、実は転倒しているのです。
それは、その論者が「客観的な歴史」なるものを、それまでい...
ようやく、「客観性」というものが、いかに難しいことである...
歴史は勝者の側から書かれる、だとか、立場が違えば歴史の叙...
「勝てば官軍」という言葉があります。
今更「客観的な歴史」の難しさを説くような論者は、この言葉...
さて、物語る、ということの意味は、文字通り受け取るべきで...
虚構としての小説や物語や映画や叙事詩があります。
それと史実としての歴史書やドキュメンタリーや報道との間に...
読者や受け手が、それを虚構として受け取るか、史実として受...
文学理論家や一部の哲学者のように、虚構を特権視すべき謂わ...
ですから、「歴史を学ぶ意味は、過去の事実から教訓を学び取...
「それは虚構からでも学べるのだ」と。
史実としての三国志や戦国時代、その他の様々な人間模様、そ...
ですが、それは、例えば『三国志演義』や『スターウォーズ』...
これらの作品が古今東西に関わらず、人間を描き出している以...
そういう意味では、歴史も映画も小説も、変わることは無い。
「娯楽作品だから」というのは、ただの言い訳です。
歴史を娯楽として楽しむことは、いけないことなのでしょうか。
現に多くの人がそうやって楽しんでいます。
もし、史実と虚構の間に差をつけるとすれば、ちょうど、スポ...
ですが、スポーツを題材にした虚構も、楽しく、感動し、涙で...
歴史の法則を学ぶんだ、という論者がいるかもしれません。
また、現在の原因としての過去を知るんだという論者がいるか...
そのように言うことは、おおよそ転倒していると言うべきでし...
何をか―原因と結果をです。
長くなるのであまり詳しくは申し上げられませんが、今、私は...
それは、歴史を「見る」という立場です。
たとえば、「国家」とは何かを予め決めておいて、古代のいつ...
ですが、それは、原因と結果を取り違えているのだと言わざる...
彼らが共通して言うのは、むしろ、逆です。
古代をじっくり「見る」ことによって、そこから「国家」の概...
それが大事なのだと思います。
現代から過去を見るのではなく、過去から現代を見るのだ、と...
文献学者としてのニーチェは、そのことを強調していたのだと...
うん、やはり取り留めのない話になってしまいましたね。
まぁ、このへんで。
07-Feb-2004
今日は、前回の続きです。
というよりは、私自身が常々思っていた、今の古代史「業界」...
さて、「邪馬台国」がどこにあったか、という議論ですが、そ...
そういった中で、また新たな「邪馬台国」論を産出しよう、と...
言い方を換えると、今「邪馬台国」の候補地が百あって、自分...
もし、単に百一個目を追加して、自分も「邪馬台国」論者の仲...
今でこそ、幸いにして、「邪馬台国」そのものが流行としては...
これは、何も私が今始めて指摘したようなことでは、さらさら...
私は、新たに「邪馬台国」論を唱えるということは、つまり、...
一つの論説を唱えるということは、他の対立する論説を否定す...
だから、唱えてはだめだ、と言いたいのではありません。
むしろ、逆です。
「邪馬台国」候補地が百を超える、と私は言いました。
そういう状況を、何も不思議に感じない、という神経のほうが...
「邪馬台国」論を唱える為には、他の説との徹底的な対決を避...
一つの宿痾は、まさに、対決の回避にあると言っていいでしょ...
他説を批判することをしない論者というものは、自説を批判す...
本当の意味で、批判的に他説も自説もじっくり検討していない...
他者から自説に対する指摘を受ければ、それを「中傷」としか...
それに、対立する説に対して、「私を信じなさい」「あなたは...
それが、今のアマチュア論者の陥っている、「病」なのだと思...
正直に申し上げますと、今回の宮津論文は、もちろん、こうい...
重症の患者は、何人か知っていますが、宮津さんは、はるかに...
ですが、他説への批判を回避してしまっている、という点に、...
私が予め挙げておいた論点のいずれに対しても、また、各個の...
ですから、私が批判しようにも、私自身の意見というよりも、...
よく「アマチュアだから」という言い訳を聞きます。
少し考えて見ましょう。
私は、「学問」というものは、例えば野球やサッカーなどのス...
そこには、「ルール」がある。
いいえ、ルールだけが重要なのです。
小さな子供の頃、空き地や広場のようなところで、「あっちの...
おんなじようにサッカーもやりましたね。近くの家の門の幅を...
(よい子はあぶないから道路で遊ぶのはやめましょう。笑)
別に立派な施設や、そろいのユニフォームや、高等な技術は要...
野球もサッカーも、そうやって遊ぶ子供のほうが、本当の楽し...
それはさておき、野球にもサッカーにもプロがいますし、草野...
では、アマチュアの「野球選手」は、「アマチュアだから」と...
しません。
ルールを壊してしまえば、「野球」そのものが楽しくなくなっ...
学問も同じです。
プロ(つまりアカデミックな学者)であろうとアマチュアであ...
理由は簡単です。
「楽しくなくなる」からです。
「能力が無い」という言葉もよく耳にします。
謙遜の辞なら結構ですが、本当にそう思っているとしたら、せ...
他説に対して、「ここが納得できない」とか「こうは考えられ...
それが出来ないはずが無いでしょう、と私は言いたい。
剛速球や、ホームランを放つには、もちろんそれなりの鍛錬と...
今や、インターネットで、どんな素人でも、自分の意見を公に...
そういう意味の手軽さは、我々にとって歓迎すべきことですし...
小さな子供が、どんなに幼稚であっても、野球やサッカーのル...
そう思います。
01-Feb-2004
随分、お久しぶりになってしまいました。独り言です。
今回は、宮津徳也氏の「邪馬台国」論についてです。(http://...
宮津氏からは、今回の公開に先駆けて、メールでいくつかの意...
それらを踏まえつつ、意見を述べさせていただきたいと思いま...
さて、宮津氏は、その論の冒頭に、古田氏による「邪馬壹国」...
帯方郡から邪馬壹国までの旅程距離の算出に島の大きさを...
水行十日陸行一月を郡から女王国までの総日程とするのは...
投馬国は女王国以北に位置しない
この三点について、私は宮津氏に対し、既にメールで意見を述...
それを以下に記します。
-----Original Message-----
From: KAWANISHI Yoshihiro [mailto:y-kawanishi@pop06.o...
Sent: Monday, January 05, 2004 10:21 PM
To: 'Vtec'
Subject: RE: 新春歓喜
1.対馬や壱岐の面積から辺の長さまで距離に加えるのは...
この点については、古田氏の言うところを代弁すると、「...
「部分里程の総和=総里程」という等式は、古田氏にとっ...
ですから、「無理がある」と言えば、「じゃぁ、どうやれ...
そうでない限り建設的に議論は進まないでしょう。
2.水行十日陸行1月を郡から女王国の総日程と見るのは...
これは、私も実は、そのように感じてもいます。
しかしながら、「日程」である以上、「里程」とは別に考...
(2001年4月12日の独り言(…Historicalの一発目!)を参...
私は…いまだに答えが見つかってません(汗)。
3.投馬国は女王国以北になっていない。
「「投馬国」を南九州とすると、「女王国」より、ずっと...
しかし、これも、原文脈に対する、「粗放な読み方」にも...
これが、古田氏の主張である以上、これを踏まえた上で、...
私は、この部分に関しては、古田氏の解釈で、問題ないの...
(この読解に関しては、古田氏より前に、井上光貞氏も同...
以来、「邪馬台国」九州説では、わりと受け入れられてい...
これらに対し、宮津氏の論考は、その答えを用意できているの...
一つずつ見ていきましょう。
1.について。
これは、宮津氏の論考を読んでも、何も回答が示されていない...
ですから「予言」どおり、古田氏から当然出てくるであろう「...
というより、既にこの議論に対する反論は、古田氏自身が示し...
これに対して、”漢文の文脈上、「水行十日陸行一月」を、...
では問おう。”「水行十日陸行一月」を部分行程にした場合...
井上氏の依拠された榎一雄説の場合、「陸行一月」を「千...
(中略)
いずれにおいても、「わたしの漢文理解からいえば『水行...
これに対し、学問研究のとるべき王道、それは、万人の首...
奥野正男氏は、「対海国・一大国」について、それぞれ一...
八百余里―伊都国→邪馬台国
を「部分」として加算され、これを付加すると、”区間里程...
だが、これは変だ。なぜなら、右の「伊都国→邪馬台国」間...
これでは、計算が合うのが当たり前。およそ、合わないは...
以上に尽きます。
宮津氏が「千三百里」を「不弥国→邪馬壹国」間の距離と判定し...
実は、古田氏の主張するところを言葉を換えて述べるなら、「...
私は率直に申し上げて、この命題は自明であるかどうか、判断...
迷うと言うことは、「自明」ではないのでしょうね(笑)。
しかしながら、この点を反論しなくては、古田氏への反論とし...
先のメールでは、この点が必ずしも、明確ではなかったのかも...
ですが、私はそのように考えています。
(この点については、私自身の解読には達していませんので、...
2.について。
結果的に宮津氏の読解は、これら「日程」を「里程」と同様に...
3.について。
新たな論点はありません。
さて、それ以外に、宮津氏の今回示されたテーマについていく...
1.陸行一月→一日の改定について。
これは、古田氏以前に逆戻りですね。戻るのは結構ですが、こ...
また、『隋書』を持ち出していますが、『隋書』は『隋書』で...
2.伊都国王について。
伊都国と邪馬壹国とが覇権を争っていた、とは、興味深い考察...
「世世王有るも皆女王に統属す」と言っているのですから、代...
それを別様に、考えるのは、何か別の資料的根拠を、徹底して...
これこれこういうわけであるから、魏志のこの記事は訂正しな...
3.委奴国について。
これは王道ですね。
ですから、古田氏から提出されているさまざまな議論に反論す...
全体的に言って、もちろん、宮津氏に限ったことではないので...
古田氏の『「邪馬台国」はなかった』の前半分は、他説との「...
現在の、乱立する「邪馬台国」論に対して、慎重に、考証とし...
私は、(すでに三品彰英氏の『邪馬台国研究総覧』で指摘され...
別に私は高度なことを言っているのではありません。
我々は、既に多くの説を知っている。にも関わらず、どの説に...
ならば、それまでの説のどこが納得できないのか、それまでの...
それを述べることは、最低限のマナーだと思います。
別に、高度な技術や、高尚な議論を用意する必要はありません。
「知らない」ものは「知らない」でもいいし、「素人には理解...
(様々な説に一生懸命言及しようとしている論者に対してなら...
「ああ、たまたま知らなかったんだな」といって、読んだ方が...
繰り返します。
これは、古代史「業界」全体の問題だと思います。
「私の邪馬台国論」大いに結構ですが、この点に配慮を欠いて...
あえて苦言を呈させていただきました。
終了行:
[[独り言(Historical)]]
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14-Nov-2004
昨日、今日(11月13日、14日)と、(財)大学セミナーハウス...
同館館長の荻上紘一さんのご厚意で招いていただいたものです。
今日は、それを簡単にですがレポートしたいと思います。
このセミナーは、3つのテーマにしたがって、古田氏がまず講...
まず、1日目。
最初のテーマは「国引き伝説と出雲王朝」。古田氏の講演は、...
しかし、「国引き」をめぐる、壮大な解釈は、(知ってはいた...
…で、このセミナーのコーディネーターでもある荻上さんのお図...
古田氏は、講演の最後に、「天照大神とスサノヲが姉弟で、大...
要するに、天照大神とスサノヲが姉弟であるという「格付け」...
それは、スサノヲを天照大神より格下の乱暴者とするための作...
私は、この「改作」の時期を「国譲り」及び「天孫降臨」の直...
これは、古田氏によれば、「改作」の時期は、それよりもっと...
後から考えてみれば、もし、古田氏の言うとおりであれば、天...
また、隠岐島の八幡浩二さんからは、隠岐の黒曜石についての...
次に、当初の予定を変更して、古田氏の最近の研究「トーマス...
松本さんのそれは、「ロシアに渡った浄土真宗僧の太田覚眠は...
要するに、覚眠は、娼婦との付き合いの中で、一種の「癒し(...
そして、古田氏によれば、イエスもまた、サロメ(銀の皿の人...
なるほど、ここで言っている「癒し」とは、性的な意味でもな...
ちょうど、高級官僚が SM クラブに通うのと同じように、「面...
(別に、SM クラブに行く高級官僚の気持ちが分かる、というわ...
また、「トーマス福音書」には、人間イエスの「人間くささ」...
イエスの読解に関しては、柄谷行人氏が田川健三氏『イエスと...
これについては、別に述べる機会があれば、述べてみたいと思...
1日目のセッションはここまでで、夕食・懇親会となりました。
懇親会では、古田氏のお孫さん、古田氏が松本深志高校教諭だ...
そして、2日目。
次のテーマは「天孫降臨と九州王朝」。古田氏の講演は、多岐...
ここでも私は、質問の機会を与えていただき、例の「倭国と日...
修行が足りませんね(苦笑)。
ところで、ここで、古田氏は興味深い新説を話してくださいま...
それは、(言っていいのかな?)「磐井の乱=継体の乱は、な...
詳しい説明は、後々古田氏が書かれるでしょうから、ここでは...
これで、「倭国と日本」の最大の留保であった「百済本紀の記...
まぁ、古田氏が発表されたものを読んでから、考えることにし...
次に、「古代日本の国際交流」。ここでは、古田氏は、例の「...
これは、私も好きなテーマであり、「海のロマン」と題した今...
最後に、古田氏が事前に参加者から寄せられた質問に、すべて...
私は、最近の私自身のテーマである、「単一民族神話批判と天...
これについては、後々、じっくり述べさせていただきたいと思...
古田さんは、2日間ほとんどしゃべりっぱなしで、周りが心配す...
お疲れ様でした。
また、横田さんにも久しぶりにお会いすることが出来、貴重な...
最後に、荻上さん、それから、広報の伴さん、本当にお疲れ様...
07-Nov-2004
今日は、『魏志倭人伝』の行路記事を、文面の味わいを重視し...
まず、私は、現代中国語を知っているわけではありません。知...
ましてや、話したり聞いたりすることは、なおさら出来ないわ...
とはいえ、漢文の味わいのようなものは、理解できるつもりで...
中野雅弘さんが、掲示板で、次のようなことを挙げてください...
中国語は、基本的には動詞を中心として、その左に主語と...
左の主語と称する話題の対象となる主語は、それこそ自明...
こうしたことは、実は、我々中国語を話せない日本人もよく理...
つまり、漢語熟語です。
単純にいえば、漢文の一部を日本語の一部として使用している...
(極端な例を挙げると分かり易いので)「人面魚」は「魚」で...
「在日米軍」は「米軍」ですが、「日米軍」なんてのがあった...
「和牛」は「牛の種類」、「国産牛」は「国内で生産された牛...
「従軍記者」は「軍の一部」ではなく、「軍医」は「軍の一部...
こうした単語の構成は、漢文の一部を用いているのであり、こ...
前者は動詞をそれぞれ含んでおり(「在」「産」「従」)、そ...
後者は単に名詞をつなぎ合わせたものであり、形成された語の...
そう考えてみれば、中野さんが「動詞を中心」とおっしゃった...
もちろん、日本語の中の漢字熟語には、「日本の流儀で」作ら...
ちなみに、日本語では、漢語を含め、外来語は、決まって「名...
「従軍する」「従軍の」「ビッグな」「サボる」などなどです。
さて、魏志倭人伝に戻りましょう。
従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪...
行路記事を中心に、一万二千里の部分までを引用しておきまし...
句点(「。」)ごとに、一つずつ見ていきましょう。
従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪...
動詞を全部抜き出すと、
「従」「至」、「循」「水行」、「歴」、「南」「東」、...
となります。最初の「従郡至倭」は、「郡を出発して倭に着く...
しかし、ここで文章が終わった、と言うことではなくて、まだ...
以降の文は、この「従郡至倭」を主題とした行路文である、と...
次に、「水行」ですが、「水」は「行」を修飾しており、この...
各々「循海岸」は次の「水行」に係っており、「歴韓国」は「...
つまり、「水行」と「乍南乍東」という行路を、地形的に説明...
ですから、「海岸に沿った後水行した」「韓国を訪れた後南や...
次の「到其北岸狗邪韓国」は、「其北岸」と「狗邪韓国」は同...
「循海岸水行」から「狗邪韓国」までの文を受けて「七千余里...
ここで一旦区切ってもよいようです。中華書局は区切っていま...
さて、次の、「始度一海」ですが、これは、「始めて一海を度...
当然、前を受けて、「一海を度る」その渡海の距離が千余里で...
この点は、中野さんも同じように読んでいるようです。
私もそれでいいと思います。
で、「至対海国」と続くのですから、「千余里」の後、至る、...
中野さんは、「時系列」と言う言葉を使われましたが、仰ると...
又南渡一海千余里、名曰瀚海、至一大国、…。又渡一海、千...
この「一大国」「末盧国」の過程は、対海国と同様であり、千...
このことは、一大国の前に「瀚海」の記述があることからも確...
東南陸行五百里、到伊都国、…。
これも、なるほど、中野さんの仰るように、「東南陸行」を受...
その後、「伊都国」に到るわけです。
しかし、ここの場合は、ニュアンスの違いがあっても、微妙な...
まぁ、今は、そういった味わいを大事にして読んでいますので...
東南至奴国百里、…。
ここの表示は、また、異なります。先に「東南」の方向で次に...
ここには、「行」という動詞がありません。
これをよく考えて見ましょう。
古田武彦氏は、この違いを「実地に行き至ったか」という観点...
川村明氏も、同様のことを漢書から言っています。
私も、基本的にこの解釈でよい、と考えますが、「実地に」と...
また、「有」という語を用いた場合との区別がつきません。
「東南有奴国百里」(これなら「東南百里、有奴国」とか「有...
これでしたら、確実に、奴国までの百里は、地図上の話をして...
(「在」との違いは、読者にとって既知か未知かによる。「有...
ですから、これとも微妙に違う、と考えておいたほうがいいで...
古田氏の挙げた、「四至」の例と、川村氏の挙げた「動詞の先...
其在周成、管、蔡不静、懲難念功、乃使邵康公賜斉太公履...
これは、曹操が魏公になる時の献帝の詔の一節です。ここで言...
ですから、もちろん、「実地に行くこと」ではないのですが、...
中心地(あえて、曖昧に言うべきだと思いますが)から、見て...
(「斉」の中心地がどこか、などという野暮なことを言うべき...
次に、川村氏の挙げた漢書の例を見てみましょう。
川村氏の説明を聞きます。
20 且末國、王治且末城。
去長安六千八百二十里。…。
(1) 西北至都護治所二千二百五十八里。
北接尉犂。
(2) 南至小宛可三日行。…。
西通精絶二千里。(同、同頁)
21 小宛國、王治扞零城。
去長安七千二百一十里。…。
(1) 西北至都護治所二千五百五十八里。
東與[女若]羌接、辟南不當道。(同、同頁)
(用例、以下略―河西注)
…また、20(2)の「南至小宛可三日行」も、小宛国まで実際...
つまり、ここでも、「至」は、「実際に行ってしまう」という...
「南至小宛国」と「西通精絶」とは共に「且末国から南」「且...
古田氏や川村氏の言う「実際に行く」という表現は、このよう...
そして、このほうが、厳密に言えば、正しいだろうと思います。
ですから、「東南至奴国百里」は、「行路に含めない傍線行程...
ここで言う、「傍線行程」とは、しかしながら、「魏使は奴国...
そうではなく、今の行路記事上、「起点が動かない」という意...
次の、
東行至不弥国百里、…。
の「起点」は、「奴国」に移動しているのではなく、「伊都国...
さらに、ここには「行」がありますから、次の
南至投馬国、水行二十日、…。南至邪馬壹国、女王之所都、...
は、共に「不弥国」を「起点」とするのです。
「投馬国」のほうは、「行」がありませんから、これは「起点...
(ちなみに、「水行二十日」とか「水行十日」という時の「行...
漢書でも、「三日行」とかと表示していますが、「起点」の問...
さて、これは、「日本語」としてもよく考えてみる必要があり...
「東行至不弥国」を「東へ行けば、不弥国に至る」と読みたく...
ここでいう「行けば(或いは「行くと」)」は、仮定の意味を...
ですが、漢書・魏志の例でも分かるように、「行」がある場合...
「行くと」なら、幾分、仮定の意味は弱まりますが、ここはや...
さて、次に、「南至邪馬壹国、女王之所都、水行十日、陸行一...
ここは「(不弥国から)南へ、邪馬壹国に至る。(邪馬壹国は...
これは、中野さんのご意見に賛成です。
もう少し、発展させてみると、ここまで、「距離」の表示は、...
「七千里」は「(郡から)循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到...
「千里」はそれぞれ「度一海」を、「五百里」は「東南陸行」...
「百里」は、「(伊都国から)東行至不弥国」をです。
中野さんが「路」を付けてみたらよい、と仰っていましたが、...
ですから、「水行二十日」は「(不弥国から)南至投馬国」の...
次に「水行十日、陸行一月」は、どうでしょうか。
これは、「(不弥国から)南至邪馬壹国」の「路」を指してい...
「女王の都する所」という一句によって、「郡より倭に至る」...
その後、「次有…」と次々に国名を列挙します。
これは、「有」の語が示すように、地図上の話になります。
ちょうど、目的地である「女王之所都」に到達してから、残り...
そうして、倭国を俯瞰し終わった後、総里程「一万二千里」を...
なるほど、中野さんが、「邪馬壹国の記述は、この記事のまだ...
16-Oct-2004
掲示板で、激しい議論を展開中ですが、その中で、私は一つの...
それをここで述べてみたいと思います。
問題になるのは、「対海国」「一大国」の「半周」という解釈...
古田氏の立論に拠れば、この「半周」の行程は、「陸路」と見...
私もその立場で考えてきました。
しかし、なるほど、宮津さんの言うように、「船で島を訪れて...
私は、これに対して、「陳寿の机上の算法のことであり、実際...
この反論も、私にとって、十分、合理性のある説明だと考えて...
とはいえ、「不自然だ」という論者に対して、説得的であるか...
さて、今回、じっくり考えてみると、この「対海国」「一大国...
古田氏は、「対海国」の記事中に「土地は山険しく、深林多く...
もちろん、「対海国」「一大国」に到達した、ということは、...
しかし、実際には、停泊した港から、島を巡り、停泊した港か...
ところが、この場合、実際に地図に描いてみれば分かりますが...
対海国通過の経路
一大国通過の経路
地図中で、青く示した部分が、それぞれの「渡海千里」部分で...
どこに泊まるか、が問題になりますが、それぞれ、「厳原」「...
で、当然ですが、「対海国」まで「度一海千里」なのですから...
そうすれば、「対馬の島の目前まで来て、港に着くために島を...
また、もし、浅茅湾のどこかに寄航したなら、次の「一大国」...
いきなり「浅茅湾」から、南に海を渡れない、のですから。
実際に考えてみれば、この「半周」という行程は、「水行」と...
「一大国」に関しても同じです。
陳寿は、狗邪韓国→対海国→一大国→末盧国の行路を(四分方向で...
そのような理解をしたとき、先述来の図
<図>半周読法とは「島を半周するように二辺を通過する」と...
は、よく理解できるものとなるかと思います。
これは、「半周する」という読解に対して、「そんな読みは不...
こう解釈すると、より「実地に即した」解釈であり、「半周」...
03-Oct-2004
掲示板で様々な方と意見の交換をさせていただいていますが、...
それは、私が「同語反復」或いは「循環論法」と批判するよう...
私がどういった論法に対してそのような言い方をするのかと言...
A であると私は見なしたから、この文献は B と読むべきであり...
この場合、結局、文献を B と読むことの根拠は、A であり、A ...
そうしてみると、結局、文献を経由したように見えて、「私は ...
それを私は批判します。
これが「同語反復」、「循環論法」と、私が言う事態です。
しかしながら、誰もが、こうしたことを「知っていて」行なっ...
「そう信じている」と言ってもいいですが。
では、何故、このような事態を招いてしまうのでしょうか。
それは、古代史に対する論者の「思考方法」に原因がある、と...
私は、古代史の「方法」にこだわらなければならない、と思っ...
何も改まって言うことではありませんけれど、ね。
その方法とは、史料に基づくこと、という一点に尽きます。
歴史の登場人物は、当然のことながら、ほとんどの場合、既に...
卑弥呼にせよ、織田信長にせよ、ね。
まぁ、これが明治維新の登場人物ともなれば、かすかに覚えて...
ですから、私たちは、歴史の登場人物を全く知らない。
何から得るのか、と言えば、それが「史料」からなのであり、...
逆に言えば、私たちは、史料しか知らない。
私たちの目の前にあるのは、史料だけであり、古代の大地が目...
これは、当然のことです。
しかしながら、私たちは、つい、ひとつのことを忘れてしまう。
私たちが論じる対象は、確かに「古代史」というジャンルに属...
しかしながら、私が話す相手は、常に現代の人物であり、私は...
古代史論者は、常に現代の人間である、ということです。
この言い方は誤解を招く恐れもありますね。
例えば、本居宣長は、近世の人物であり、近世史の論者から言...
しかし、宣長も、古代に関しては、私たちと同程度に無知であ...
彼も、卑弥呼には会ったこともなければ、卑弥呼を知る人物に...
例えば、太安万侶に関しても、卑弥呼に関して言えば、私たち...
私たちよりも豊富な史料を目にすることは出来たかもしれませ...
そうしたことを含めた意味で、私たちが議論の際に相手にする...
自分自身も含めて、ね。
だから、私たちは、常に、無知な私たちが、「古代史」につい...
そして、それは、史料に結び付いていなければならない。
「つまり、この史料のこの部分から、私はそう考える」
これが、私が問う「根拠」です。
この妥当性、合理性を議論するのが、「古代史」に関する議論...
それ以外のものは何も無い。
よくある間違いは、ここで言う「根拠」を、古代の大地に、或...
陳寿でも、太安万侶でもかまいませんが、ある記述があるとき...
「これこれ、こういう事情があったから、私は A だと考える」...
完全に、古代に身をおいてしまう。
自分が古代に関して無知な現代人であることを忘れて、古代に...
このとき、「私は A だと考える。だからこの文献は B と読む...
私は、ここで「A に根拠は無いではないか」と問うわけですが...
つまり、その論者は本当に「古代の時代背景」が揺ぎ無い事実...
ですが、それは、想像に過ぎません。
私が「根拠」を問うとき、それは常に現代人に対して、何故そ...
ですから、そのような人物―もちろん、自分自身も含めて―がい...
こうした点が、「同語反復」という事態を招くのだろうと思い...
そして、大抵は、その論者自身が、自らの陥っている事態に気...
問われるべきは、常に「方法」であり、「古代史の世界」では...
19-Sep-2004
お久しぶりです。
今回は、掲示板で、巫女さんからご指摘のあった、人口の問題...
巫女さんは、「邪馬台国」畿内説の根拠として、鬼頭宏氏によ...
鬼頭宏「明治以前日本の地域人口」『上智経済論集』41巻1...
によると、弥生時代の人口は、
東北:3万3千
関東:9万9千
中部:16万
近畿:10万
中国地方:6万6千
四国:3万
九州:10万5千
同じく奈良時代には、(このころ、1戸あたり平均10人程度)
東北:28万(~2万8千戸)
関東:78万(~7万8千戸)
中部:86万(~8万6千戸)
近畿:96万(~9万6千戸)
中国地方:79万(~7万9千戸)
四国:28万(~2万8千戸)
九州:56万(~5万6千戸)
(もとは地域をもっと細分化してあって、東奥羽・西奥羽...
北陸・東山・東海・畿内・畿内周辺・山陰・山陽・四国...
なっていたのを、地域をまとめ合わせて加算した。)
邪馬台国時代の人口は、奈良時代と弥生時代の間のはずだ...
九州だけで7万戸は無理です。
ちなみに九州北半部だけで7万なんてのならば、なおさら無...
まず、この推計について、解説しておきましょう。
弥生時代の推計に関しては、以下の方法がとられています。
1.各時代・各地域の遺跡の分布状況を調べる。
2.基礎の人口として奈良時代(八世紀)の人口推計を用いる。
3.関東地方のデータから基礎となる集落規模を推定する。
4.関東地方の八世紀の人口推計から、集落あたりの人口を算...
5.この関東地方の集落あたり人口から、各時代・地域の比率...
要するに、遺跡数から地域ごとの比率及び時代ごとの比率をを...
鬼頭氏自身も考慮していますが、この方法には限界があり、一...
たとえば九州と関東では地理的条件の違いから、九州のほうが...
さて、このデータは、こういうものです。
これ自身、一つの方法として、もちろん、限界もあるのは誰も...
問題は、このデータを「畿内説」の根拠に挙げる巫女さんの側...
これが「畿内説」の根拠になるのでしょうか。
>邪馬台国時代の人口は、奈良時代と弥生時代の間のはずだか...
>九州だけで7万戸は無理です。
と言いますが、同じことを近畿に対しても言うことの出来る、...
この推計では、弥生時代の全人口は、59万4千人とされてい...
「つぎに三世紀の邪馬台国時代の人口についてであるが、『魏...
と言っており、鬼頭氏自身も、この差異についてこれ以上言及...
私の考えでは、そういう疑いは、むしろ順序が逆であり、推計...
それは、「歴史人口学」そのものの成立に関わる問題です。
文献及び考古学的出土事実が第一資料であり、推計はあくまで...
もちろん、鬼頭氏はそのことを知っているからこそ、まかり間...
(一般的な倭人伝不信論に配慮して、計算式の修正までは踏み...
そういうわけで、これを「畿内説」の根拠にしようという巫女...
結び付けるには、もう少し、慎重な議論を必要とするのだろう...
30-Jul-2004
お久しぶりです。
最近、少し、行き詰ってます…。
まぁ、とは言ってもそんなに切羽詰った話じゃありませんけど...
さて、今、私が興味を持っているのは、「国家」についての議...
大きなテーマですね。
私も、何度か独り言で、取り上げたことはあります。
いくつかの視点があります。
一つは古田武彦の「国家」観について。
私は、古田の国家観は、彼自身が思っている以上に、重要なも...
「豪族と王朝」の問題…、「国家の基準」問題。
これは、古田の国家観の特徴と、私が勝手に思っているもので...
「古代史の論点」における、私の議論が中座してしまっている...
これについては、おそらく、古田武彦だけを論じていても仕方...
所謂「戦後歴史学」の主要な論者を対象にしていかなければ、...
同時に、「国家」というのは、非常に大きな影響がある問題で...
右といわず左といわず、あらゆる思想家を相手にしなければな...
近代史、世界史、哲学といった論者と向き合うことも必要でし...
まずは、戦後歴史学から考えることにしましょう。
まだ、何もまとまりませんが、ここで、それを少しずつでも述...
戦後の、「科学的」な歴史学者は、皆、こういいます。
「何を以って国家と言うのか、その基準が大事だ」と。
例えば、「邪馬台国」を以って「国家」というような論者は、...
「邪馬台国」が「国家」である、と主張したければ、「邪馬台...
これは、一見、尤もな意見であるように聞こえます。
しかし、この議論は、実は奇妙なのです。
「邪馬台国」は「国」とあるから、「国」だ。
という素朴な主張を何故否定しなければならないのでしょう。
それは、現在の、何らかの国家観を以って、当時の国を判断す...
津田左右吉は、「概念」を歴史学に持ち込むことを拒否しまし...
このことは、多くの戦後の歴史家を困惑させました。
一般に彼のこうした発言は、「マルクス主義」への反発による...
彼の主張が「象徴天皇制」の源泉となったこともあり、彼の「...
井上光貞は、「自分は津田史学の亜流と言われてもいい」と言...
今の議論に接続させて言えば、「国家」という概念を持ち込む...
津田が言うのは、史料批判上の問題です。
史料に基づいて「国家」を論じるならば、史料に基づいて「国...
だから、現在の概念によって史料を解するべきではない、とい...
それは、実は、マックス・ヴェーバーも警戒していることでし...
社会学が「客観性」を維持する為には、その概念の限界を知る...
もちろん、このことは、一般にも理解はされているでしょうけ...
(これは、「戦後史学が誤っている」と言いたいのではありま...
国家の基準、ですが、所謂「マルクス主義」の論者からは、エ...
これはこれとして、歴史学としては有意義なことでしょう。
それは事実です。
しかし、例えば、石母田正は、「アジア的生産様式」を見出し...
何から概念を抽出し、何に適用していくのか。
このことを忘れてはならないでしょう。
そうした意味では、古田武彦が、「縄文には縄文の国家があり...
ここに「意義」があります。
ふむ。
やはり、まとまりませんね。
まぁ、今日のところはこの辺で。
13-Jun-2004
最近、皇太子殿下の「発言」が世間を騒がせています。
私は、彼の言い分を聞いて、彼の生の訴えを聞いたような気持...
そう言えば、私が小学生の時、昭和天皇が亡くなりました。
あの時、昭和天皇の容体が、刻一刻とニュース速報として流さ...
その時、私たち子供の間では、「皇族は可哀想だ」ということ...
「結婚」の話題についてもそうです。
子供であった私の目には、彼らが、普通に生活できないことを...
確かに、今でも、皇族の「発言」は全て宮内庁の役人が考えた...
今、日本で一番「権利」を剥奪され、「自由」から遠いところ...
そうしたわけで、今回の皇太子殿下の発言は、血の通ったもの...
さて、こうした皇太子殿下の「発言」を受けて、俄かに「女性...
皇太子妃殿下の「ストレス」の原因が、「お世継ぎ」問題にあ...
これについて、私は、過去にも「独り言」を述べたことがあり...
今は、これについても多少考えも深まりましたし、もう一度、...
まず、「皇室典範」には、男性だけが天皇になれる、とありま...
これが、「女性天皇」が今の制度ではありえない所以なのです...
これの何が問題なのでしょうか。
たとえば、こういうことです。
今、皇族の女性が、誰かと結婚した場合(仮に「鈴木さん」と...
ですから、皇族を離れ、「野に下る」ことになります。
当然、彼女の子は、「鈴木さん家の子」であり、「皇族」では...
だから、「彼女」にも「その子」にも、皇位継承権は無い、と...
このあたりに、「女性天皇」の難しさがあります。
過去の「女性天皇」は、ほとんどが前の天皇の「皇后」か「母...
(この言い方は多少問題があるかもしれません。しかし、少な...
少なくとも今の「皇位継承」に関して、もっとも重要なのは、...
ですから、それを取っ払ってしまえばいいじゃないか、生物学...
その際、「夫婦別姓」とか、「男女平等」とか、そういう如何...
ですが、そういう論者は、実は、何も考えていない。
「天皇」とは、何かと言うことを。
今の、家族制度上の「血統」を継ぐものでなければ、天皇には...
それは、単に新しい家族制度を作っただけのことであり、たっ...
ですから、実は何も考えていない。
こう問うて見ましょう。
では、「女性天皇」の夫に、皇位継承権が無いのはなぜか。
これを認めないのは、単に「血統」を家族制度の従来のものか...
もし、これを認めるなら、どんな一般人にも「皇位継承権」を...
それなら、「選挙」で決めますか?
これを、「愚かな極論」である、と感じる人は、是非、「なぜ...
私は、天皇家の「神秘性」を剥ぐことを問題にしたいのではな...
問題は、こうした「神秘性」を見ることをせずに、その「神秘...
「女性天皇」を認めるべきだ、と主張する論者は、どういうわ...
ですが、実は、「神秘性」は、こうした論者によって、守られ...
そういうわけで、まだまだ「天皇制」は、安泰のようです。
これを「安堵」と釈るか、「皮肉」と釈るかは、読んだ方にお...
05-Jun-2004
今日は、古代史を少し離れ、「自己責任」について、改めて考...
「自己責任」なる言葉は、もちろん、最近の流行でもあります...
個々の議論はさておき、私は、彼らの家族が、なぜ責められな...
さて、先日、イラクでもうひとつ悲しい事件がありました。
ジャーナリストの橋田信介さんと小川功太郎さんが襲撃を受け...
しかしながら、橋田さんの奥様(幸子さん)の毅然として気丈...
橋田さんは、確かに、ずっと戦争ジャーナリズムに携わってお...
奥様も、それを認識しており、覚悟を決めていたのだなぁと、...
橋田さんは、「人質事件」で「自己責任」が云々されていたこ...
それは、「危険は覚悟のうえ」ということでした。
まさに、そうした「覚悟」を、橋田さんの奥様は、体現されて...
そしてこれが、彼らの「自己責任」ということなのでしょう。
そうしてみると、「人質事件」で語られていた「自己責任」と...
どこから議論はおかしくなってしまったのでしょうか。
それを考えておく必要があります。
やはり、「あれ」はおかしかった。橋田さんが身をもってそれ...
さて、まず、違いを見出しておかなければならないのは、「家...
これは、あえて指摘するまでも無いのかもしれません。
もちろん、状況は違います。
あの場面での、「家族」の、あの言動は、家族として当然のこ...
ですが、「家族」がああ言ってしまったがために、おかしな「...
「自己責任」論は、「家族」の言動に対する反発であることは...
しかし、私は、どうしても、どちらの言い分にも、納得するこ...
それは、おそらく、「言った内容」ではなく「言った口」が問...
ところで、お金を貸し借りした際、絶対に争わない為の心構え…...
「借金は必ず返す」でしょうか。それとも「貸した金のことは...
どちらも半分当っていて、半分はずれています。
「借金は必ず返すべきだ」と貸したほうが言うことも、「貸し...
人は「倫理」と言うとき、全ての当事者に、「公平な」命題を...
負債者と債権者は、同じ立場ではありません。
ですから、負債者と債権者に一律に課せられるような「倫理」...
負債者は「借金は必ず返すべきだ」と言うべきですし、債権者...
「自己責任」論では、「国家の責務」と「個人の自由」が争わ...
しかし、知らず知らずのうちに「家族」は「国家の責務」を求...
これが、争いの原因なのです。
どちらも、言っている内容は正しい。なのに、反発を招く。
それは、「日本人特有の判官贔屓」でも、「安っぽい感情論」...
これが、「自己責任」があらぬ方向へ流れてしまった、原因な...
しかし、最後に強調しておかなければなりません。
「あれ」は、関わった全ての人々が、きっと、自らの意思で、...
「後悔先に立たず」とは、「先見の明がないことを歎く言葉」...
「あのときああしていればよかった」という後悔は、常に後か...
その事実を簡明に語っているのだといったほうがいいでしょう。
「反省」は、もちろん、あらゆる人々にとって(もちろん私に...
それは、ことが起ってしまった後に、初めて為される。そうい...
ですから、「彼ら」には、これに「懲りず」に、是非、彼らの...
休日は家でのうのうと古代史の思索にふけっているような輩に...
陰ながら応援したい、というのが今の素直な気持ちです。
31-May-2004
先日(5/30)、歴研の大会に参加してきました。
簡単にですが、ご報告です。
今回の「報告」は、「古代史部会」と「アジア前近代史部会」...
二つは、王権論という点で共通のテーマを持っており、各々の...
まず、河内報告のほうは、権力とそれを支えるイデオロギー論...
倭の五王時代の「世界観」は、中国を中心にしており、したが...
その後、隋代には倭王は「天子」を称しますが、この頃には、...
次に、律令以降、天皇は「現神」となり、「アメ」は「皇祖」...
こうした河内報告は、一つ一つの論点を見ていくと、それほど...
この取り組みの方向性は、非常に興味深いものだと思います。
しかし、例えば、「天下」をキーワードと見なし、そこから「...
この点において、例えば『出雲風土記』の「所造天下之大神」...
次の山田報告は、今まで中国史における皇帝権力の議論が、皇...
これは、日本古代史における「ミヤケ」「部民」といった、天...
なるほど、確かにこの点においては日本古代史には多くの研究...
日本古代史、中国古代史の両側面から、互いに論じ合っていく...
ちなみに、例によって(?)、「懇親会」にはしっかり参加し...
鈴木靖民さん、吉村武彦さんと言った方々と(直接お話は出来...
発表者の河内さんとは、少しだけお話しすることが出来ました...
30-Apr-2004
先日、ねたろうさんから、音価推定についての質問を受けまし...
私自身もうろ覚えであり、多少の誤解もありましたので、少し...
さて、「奴」を「な」と読むことについてですが、論点は二つ...
一つは、簡単に言えば、中国語では「奴」は何と発音されてい...
もう一つは、『魏志倭人伝』の「奴国」は、日本語では何とい...
これは、区別しなければなりません。
第一の中国語の音価推定の問題からじっくり見てみましょう。
まず、中国語音韻は次のような体系から考えられます。
1.現代中国語(北京・広東などで異なる音韻体系)
2.切韻体系(魏晋南北朝から隋唐の所謂「中古音」)
3.詩経体系(『詩経』から推定される所謂「上古音」)
もちろん、細かく見ていけば、当然、唐の頃に大きな音価の変...
更に、日本の呉音・漢音・唐音・宋音などを考慮に入れれば、...
今問題となるのは、「中古音」と「上古音」です。
中古音は、『切韻』系列の韻書から導き出される音韻体系です。
(ここで「音韻」「音価」という語について、私なりの解釈を...
韻書から、声母・韻母・声調が導き出されます。これによって...
そして、上古音は、『詩経』に収められた詩の韻によって導き...
ここで、よくある間違いを指摘しておかなければなりません。
上古音・中古音というのは、あくまで現代の学者の、とりあえ...
今言ったように、中古音は『切韻』(の系列の韻書)に、上古...
間違ってはいけないのは、これを歴史的実体と思ってはいけま...
あくまで言語学上の、認識論上措定される対象なのだと言うこ...
当然ながら、言語は同じ時代でも地域によって異なりますし、...
おそらく『詩経』と『切韻』の間には違いがあり、別々の体系...
理論的対象と、歴史的実体は、区別しておかなければなりませ...
さて、前置きが長くなりましたが、問題の「奴」は、中古音で...
ところがこの〔模〕韻は、他の中古音の〔麻〕韻や〔魚〕韻と...
この音価が、様々な理由から[a]であろうと推定されています。...
したがって、「奴」は、日本語で近い音で言うなら、中古音な...
(このことと、同じ中古音でも南方系では「の」、北方系では...
さて、次に『魏志倭人伝』の「奴」を何と読むか、という問題。
これを考える為には、いろいろ複雑なのです。
まず第一に、これを音訳した人が、中国人なのか、日本人なの...
中国人であれば、中国語の音韻体系をそのまま適用するという...
当然、日本人なら日本語の呉音や漢音といった体系が適用でき...
森博達氏は、中国人による音訳と見ているようです。
少なくとも中国語の、しかも中古音の体系を踏まえていると見...
しかし、ここからが重要です。
では、「奴」は何と読むのか。
ここから言えば「の」である、というべきでしょう。
しかし、森氏は、違うことを言い出します。
「奴国」は「那の津」の「な」に比定されるから、ここでは「...
したがって、これを「な」と読むのであれば、この「奴」だけ...
と言うのです。
順番を間違えてはいけません。
「奴」は上古音である→「奴」は「な」と読む
ではなく、
「奴」は「な」と読む→「奴」は上古音である
という順序なのです。
これを逆転させることは出来ません。
これを間違えるのは、論理上、あまりに初歩的なミスであるの...
私が「重要なポイントは、「奴」を「な」と読む根拠は、まず...
(森氏以前に「上古音」を持ち出した論者はいますが、彼らが...
ふむ。
非常にややこしい問題を多く含みますが、私なりに整理すると...
18-Apr-2004
今回は、歴史学の方法について、また、考えてみようと思いま...
よく、歴史学の方法は、検察官や探偵の仕事と比較されます。
なるほど、確かに、似ている気もします。
物的証拠、状況証拠、証言を集めて、過去の事実を明らかにす...
ですから、推理小説の名探偵が「邪馬台国」の謎に挑む、なん...
この点を踏まえて、これら検察の仕事や、名探偵の仕事を少し...
まず、検察の仕事ですが、確かに同じようにして様々な証拠を...
しかし、大事な点は、それが事実であると認められるかどうか...
どんなに検察が重要な証拠だといっても、裁判官がその証拠能...
ですから、弁護側は様々な戦術で、これを決定不能な方向にも...
それが裁判です。
裁判官の決定に対しては、それが裁判のシステム上決められた...
裁判官の決定は、強大な権力によってはじめて為されるもので...
(三権の一角を担う)
この「権力」の問題なくして、検察の仕事を語るわけには行き...
検察も弁護士も、法というシステムに組み込まれた一つだから...
そうしてみると、推理小説などの名探偵の仕事にも、不可欠な...
それは、作者という権力による決定です。
具体的には、名探偵の推理を跡付ける為の、具体的な展開が、...
「助手や依頼人が感心する」「犯人が自白する」「都合よく決...
この中のどれ一つとして行われないまま、推理小説が終わって...
こうして、必ず、推理小説の最後には、作者によって、名探偵...
それは、作者の「神のような権力」によって行なわれます。
これはこれで、詳細に検討してみると面白いのかもしれません...
ところで、歴史学においてはどうでしょうか。
ある学説が、一つの学説として、まさに「認められる」必要の...
フォイアアーベントは、科学的真理を決定するのはプロパガン...
ニーチェは、「真理への意志は権力への意志である」と言いま...
(このようなことは、西洋の大物哲学者の大仰な言説を持ち出...
私は、「真実は一つ」とか「何処から見ても山は山」みたいな...
それはそれとして、私の信条としては、そのとおりだと思って...
よく「古田説はなぜ受け入れられないのか」という問いを、古...
多くの場合、「学界の退廃・腐敗」といったような見方や、「...
それはあまりに無邪気で純真無垢な見方だと言ってもいいのか...
無邪気とか純真とか無垢とかという言葉を私は決していい意味...
そもそも、彼らの本質が本当にそのようなものであるかどうか...
本当にそこまでガキではないだろう、と言いたい。
ですから、それは、おそらく、事実から目をそらすような行為...
この言い方は、多少酷かもしれません。
しかし、その意味では、プロパガンダに精を出す安本美典のほ...
「古田説はなぜ受け入れられないのか」という問いの回答は、...
しかしながら、私は、「誰もが思わずうなずいてしまうような...
それは、根拠のない信念に過ぎません。
ですが、私は、そのことには、何の躊躇もしないでしょう。
そこで「うろたえる」というまさにそのことが、「根拠がなけ...
私は、学問には「ルール」だけが必要だ、と言ったことがあり...
そこで言う「ルール」とは、「誰もが思わずうなずいてしまう...
「数字」を使うのも、「形式」を使うのも、「観念」や「理論...
「誰が見ても、考えても同じであるようなもの」のことを「客...
それが学問の「ルール」だと思っています。
しかしながら、「誰が見ても同じ」であるかどうかは、「客観...
そこで「政治力」が働きます。
ですが、たとえ、「建前」だけであっても、「誰が見ても同じ...
その「ルール」が守られている限り、学問はどこまでいっても...
そのために必要なら、数値化もしますし、形式化もしますし、...
それだけのことです。
あまり、堅苦しく考えるのは、好きではありません。
私が歴史をやるのは、「楽しいから」であり、「娯楽」に過ぎ...
それでいいのだ。(笑)
17-Apr-2004
人質事件は、この一週間で随分と動きました。
事件の経過はもちろんですが、世論も随分変わったものだと思...
先週の独り言で、私は、「彼らが無事助かって帰国すれば、そ...
「自己責任」という言葉が、政府関係者からもマスコミでも大...
政府からそれが出るのは、先週も言ったとおり、自衛隊派遣の...
しかし、「無謀な雪山登山」に喩える例をよく聞きますが、そ...
なぜなら「雪山」は自然ですが、「イラク」は国――要するに人...
もちろん、「雪山」だろうと「イラク」だろうと、救出後の「...
そういった感情的な非難は、マスコミ論や大衆の心理といった...
当然ながら、それとは少し次元を異にする批判も存在します。
今、私が関心があるのは、そちらのほうです。
人質となった3人と、それから新たに拉致されたという2人は...
大きく、「慈善事業家」と「ジャーナリスト」とに分けられる...
私は、彼らの活動を直接取材したわけではありませんし、マス...
今井紀明氏などは、「フリー・ライター」という肩書きですが...
とはいえ、「ジャーナリスト」の多くは、「イラク」の実情を...
それでも、大局的に見て、このような認識で大過ないだろうと...
批判の中には、彼らのこうした活動を制限するような議論があ...
先に言ったような「感情論」も、最終的にそのようなものを招...
しかしながら、例えば、ジャーナリズムは、政府とは一歩距離...
所謂「イラク戦争」の最中も、バグダッドには多くのジャーナ...
従軍記者は、(軍事的必要は理解しつつも)報道内容が制限さ...
ですから、今の「イラク」にジャーナリストが「勝手に」入り...
それを失えば、ジャーナリズムは、「文春出版差し止め」以上...
今は、そのことにあまり目が向けられていない気がします。
或いは、それを失うことは無い、とタカをくくっているのでし...
NGO の活動は、その名(非政府組織=NonGovernmental Organiz...
ですから、彼らの活動が、政府の活動(「イラク」なら「自衛...
個人のボランティア活動家も、おそらくは、同じような理想を...
それを制限することそれ自身は、「身の危険」という文字通り...
こういえば、「今はそんな状況ではない」という声が上がるか...
しかし、おそらく彼/彼女らに言わせれば、そうであるからこ...
今回の人質解放の理由に、彼らの活動内容を評価したことが挙...
ともかく、今回の事件は、「自衛隊」議論が、「派遣」の側に...
たとえ、一人一人の発言が、それ自身としては、決して「派遣...
もう一度申し上げますが、私のこの「発言」が、結果として、...
10-Apr-2004
大きな事件がおきてしまいました。イラクで日本人が拘束され...
もちろん、人命のかかった事態であり、軽はずみには何かを申...
あらかじめ、申し上げておきますが、今回の彼ら――ムジャヒデ...
人質となった三人の無事を祈る気持ちは、私も替わるところは...
それに、私は、何らかの政治的主張をここで展開したいのでも...
私が注目しているのは、彼らテロリストの言動ではなく、国内...
とは言っても、私が目にしえた人々――つまり、テレビによく出...
今回の事件を以て、「だから自衛隊を撤退すべきだ」という人...
自衛隊の派遣の為に今回の事件がおきた、と見なす論者がいま...
私の見たところでは、NGO やその他のボランティア活動を積極...
彼らの言うところは、「日本はこれまで特別に扱われてきた。...
その際、自衛隊が撤退すれば、彼らが帰ってくる、という担保...
一方、「だから自衛隊が行かなければいけないのだ」という論...
そもそも、「自衛隊は戦争に行くのではない。人道復興支援に...
今は、何より人質の人命が優先されるべき時ですから、表立っ...
しかし、彼らが無事助かって帰国すれば、そして今の緊迫感が...
「どうして、あんな危険な状況なのに、あんな危険な場所へ行...
それは、自衛隊派遣のロジックの延長線上にあります。
おおよそ、論理とは、そういうものです。
私が、私自身としては、事実を単に「見た」つもりで、このよ...
いや、見てしまう人がいるかもしれません。
それは、一面では正しいのかもしれません。私が、一人の人間...
今回の人質事件の対応は、あくまで、人命を尊重した上で、「...
「自衛隊派遣」という国家の政策を、そこで云々すること自体...
ですから、素人の私が述べるべきことはないように思います。
ちょうど、誘拐事件の対応について、云々するだけの技量がな...
(もちろん、これについても、述べることがあるかもしれませ...
このテロは、彼らの思惑とは逆に、自衛隊を撤退させにくくし...
今の危険な情勢――特に、今、自衛隊は、情勢悪化を受け駐屯地...
なるほど、この指摘は的を射ています。
そこから考えれば、「人命の為に自衛隊を撤退させよ」と声高...
現実には、論理は、その「位置」あるいは「状況」によって、...
それを計算した上で発言することが、「政治力」だとすれば、...
何ももたらさないのかもしれません。
しかしながら、「人命」を言いながら、無自覚的に、何かを運...
戦前の議論が、もちろん、制限されていたとはいえ、軍国主義...
むしろ、人道主義者や女性解放論者などの言説が、結果的に、...
政治力は、論理とは別のところで働きます。
論理的には決定不可能であることを、政治力が決定する、とい...
問題は、それを「論理の力である」と誤解することです。
ナショナリズムにせよ、今回の問題にせよ、それを容易に混同...
自衛隊派遣/撤退は、論理的には、どちらでもよい(どちらに...
それを決定するのは、政治力なのだ、と言ってもいいでしょう。
それにしても、(何でもいいから)人質の三人が無事解放され...
1-Mar-2004
昨日、一昨日 (2/28-2/29) と考古文化研究会の第一回研修旅行...
それを簡単にですがご報告したいと思います。
まず、一日目。
はじめに鬼ノ城に向かいました。非常に眺めがよく、吉備の平...
七世紀から八世紀の築城である、とのことで、同じ時代には「...
そうしたことから、「吉備大宰」の「石川王」との関係も考え...
しかしながら、地元では「温羅(うら)」伝説との絡みで語ら...
この伝説もなかなか興味深いものです。
それはさておき、道が険しかった・・・。
ここが間違いなく「堅固な山城」であるということを身をもっ...
次に楯築墳丘墓へ。ここでは、この遺跡の発掘者でもある近藤...
また、楯築神社(楯衝宮)の御神体である弧帯石も、普段は見...
見るからに不思議な石で、楯築の丘上の立石と相まって、かつ...
それから、近藤氏とともに鯉喰神社墳丘墓へ。ここも楯築同様...
楯築、鯉喰ともに、先の「温羅」伝説との関係を持っています。
もっとも、こちらは弥生墳丘墓で、鬼ノ城は七世紀ですから、...
それにしても、鬼ノ城があったところは、弥生時代でも、一つ...
もちろん、それ以前に、「温羅」が中世の、中世的な説話に過...
さて、その後、作山古墳を見、ホテル(国民宿舎)へ。
ここで高橋護氏の「講演」を聞きました。と言っても、既にお...
高橋氏の「作山の被葬者は倭王である」という指摘は、興味深...
ただ、「巨大さ」から「大王クラス」と見、だから「倭王」と...
もちろん、吉備と大和或いは河内の関係、というのは一方的な...
二日目。
こうもり塚、江崎古墳と、吉備独特の横穴式石室を見ました。
それから、宮山墳丘墓群、三笠山古墳、天望台古墳へ。
宮山墳丘墓が、前方後円墳の祖形である、という西さんの指摘...
埴輪もそうですが、吉備から近畿への伝播、という方向性は、...
また、吉備では、土器を中心とした編年がかなり進んでおり、...
近畿の考古学編年というか、考古学の全体に対しては、私も同...
そして、造山古墳、千足古墳へ。
造山の頂上には、長持式石棺があり、これが肥後の鴨籠古墳と...
また、近くの千足古墳も、肥後とのかかわりが指摘されていま...
二日間の研修旅行は、非常に中身が濃く、まだまだ書き足りな...
(特に個人的なエピソードまで語ったら、それこそ書ききれま...
私としては、 THE 古墳 NET 首長さんや、市民の古代研究会・...
また、西森さん、中岡さん、水井さん、そしてもちろん西さん...
22-Feb-2004
今日は、「私は何故歴史をやるのか」を考えてみたいと思いま...
何を改まって・・・と思われるかもしれませんね。
まぁ、深い意味は無いのですが、「歴史」という学問について...
よく「歴史とは」という形で、この学問について考えるという...
ベルンハイム『歴史とは何ぞや』、E.H.カー『歴史とは何か』...
しかし、こういう問い方はおそらく不毛なのです。
そもそも私にとって、学問などというものは娯楽であり、道楽...
ですから、「歴史とは何か」と問われても、私には、「歴史は...
このように問うのは、実は、「歴史という学問には一体どうい...
ですが、それは、「野球」とは何か、「野球というスポーツに...
もし、そのように問えば、答えは決まっています。
「野球を通じてチームワークの大切さを学ぶんだ」とか「野球...
本気でそんなことの為に野球少年が目を輝かせているわけが無...
歴史についても同じことが言えます。
歴史とは、物語ることだ、とよく言います。
最近では、それを逆手にとって、だから「客観的な歴史はあり...
ですが、そういう論者こそ、実は転倒しているのです。
それは、その論者が「客観的な歴史」なるものを、それまでい...
ようやく、「客観性」というものが、いかに難しいことである...
歴史は勝者の側から書かれる、だとか、立場が違えば歴史の叙...
「勝てば官軍」という言葉があります。
今更「客観的な歴史」の難しさを説くような論者は、この言葉...
さて、物語る、ということの意味は、文字通り受け取るべきで...
虚構としての小説や物語や映画や叙事詩があります。
それと史実としての歴史書やドキュメンタリーや報道との間に...
読者や受け手が、それを虚構として受け取るか、史実として受...
文学理論家や一部の哲学者のように、虚構を特権視すべき謂わ...
ですから、「歴史を学ぶ意味は、過去の事実から教訓を学び取...
「それは虚構からでも学べるのだ」と。
史実としての三国志や戦国時代、その他の様々な人間模様、そ...
ですが、それは、例えば『三国志演義』や『スターウォーズ』...
これらの作品が古今東西に関わらず、人間を描き出している以...
そういう意味では、歴史も映画も小説も、変わることは無い。
「娯楽作品だから」というのは、ただの言い訳です。
歴史を娯楽として楽しむことは、いけないことなのでしょうか。
現に多くの人がそうやって楽しんでいます。
もし、史実と虚構の間に差をつけるとすれば、ちょうど、スポ...
ですが、スポーツを題材にした虚構も、楽しく、感動し、涙で...
歴史の法則を学ぶんだ、という論者がいるかもしれません。
また、現在の原因としての過去を知るんだという論者がいるか...
そのように言うことは、おおよそ転倒していると言うべきでし...
何をか―原因と結果をです。
長くなるのであまり詳しくは申し上げられませんが、今、私は...
それは、歴史を「見る」という立場です。
たとえば、「国家」とは何かを予め決めておいて、古代のいつ...
ですが、それは、原因と結果を取り違えているのだと言わざる...
彼らが共通して言うのは、むしろ、逆です。
古代をじっくり「見る」ことによって、そこから「国家」の概...
それが大事なのだと思います。
現代から過去を見るのではなく、過去から現代を見るのだ、と...
文献学者としてのニーチェは、そのことを強調していたのだと...
うん、やはり取り留めのない話になってしまいましたね。
まぁ、このへんで。
07-Feb-2004
今日は、前回の続きです。
というよりは、私自身が常々思っていた、今の古代史「業界」...
さて、「邪馬台国」がどこにあったか、という議論ですが、そ...
そういった中で、また新たな「邪馬台国」論を産出しよう、と...
言い方を換えると、今「邪馬台国」の候補地が百あって、自分...
もし、単に百一個目を追加して、自分も「邪馬台国」論者の仲...
今でこそ、幸いにして、「邪馬台国」そのものが流行としては...
これは、何も私が今始めて指摘したようなことでは、さらさら...
私は、新たに「邪馬台国」論を唱えるということは、つまり、...
一つの論説を唱えるということは、他の対立する論説を否定す...
だから、唱えてはだめだ、と言いたいのではありません。
むしろ、逆です。
「邪馬台国」候補地が百を超える、と私は言いました。
そういう状況を、何も不思議に感じない、という神経のほうが...
「邪馬台国」論を唱える為には、他の説との徹底的な対決を避...
一つの宿痾は、まさに、対決の回避にあると言っていいでしょ...
他説を批判することをしない論者というものは、自説を批判す...
本当の意味で、批判的に他説も自説もじっくり検討していない...
他者から自説に対する指摘を受ければ、それを「中傷」としか...
それに、対立する説に対して、「私を信じなさい」「あなたは...
それが、今のアマチュア論者の陥っている、「病」なのだと思...
正直に申し上げますと、今回の宮津論文は、もちろん、こうい...
重症の患者は、何人か知っていますが、宮津さんは、はるかに...
ですが、他説への批判を回避してしまっている、という点に、...
私が予め挙げておいた論点のいずれに対しても、また、各個の...
ですから、私が批判しようにも、私自身の意見というよりも、...
よく「アマチュアだから」という言い訳を聞きます。
少し考えて見ましょう。
私は、「学問」というものは、例えば野球やサッカーなどのス...
そこには、「ルール」がある。
いいえ、ルールだけが重要なのです。
小さな子供の頃、空き地や広場のようなところで、「あっちの...
おんなじようにサッカーもやりましたね。近くの家の門の幅を...
(よい子はあぶないから道路で遊ぶのはやめましょう。笑)
別に立派な施設や、そろいのユニフォームや、高等な技術は要...
野球もサッカーも、そうやって遊ぶ子供のほうが、本当の楽し...
それはさておき、野球にもサッカーにもプロがいますし、草野...
では、アマチュアの「野球選手」は、「アマチュアだから」と...
しません。
ルールを壊してしまえば、「野球」そのものが楽しくなくなっ...
学問も同じです。
プロ(つまりアカデミックな学者)であろうとアマチュアであ...
理由は簡単です。
「楽しくなくなる」からです。
「能力が無い」という言葉もよく耳にします。
謙遜の辞なら結構ですが、本当にそう思っているとしたら、せ...
他説に対して、「ここが納得できない」とか「こうは考えられ...
それが出来ないはずが無いでしょう、と私は言いたい。
剛速球や、ホームランを放つには、もちろんそれなりの鍛錬と...
今や、インターネットで、どんな素人でも、自分の意見を公に...
そういう意味の手軽さは、我々にとって歓迎すべきことですし...
小さな子供が、どんなに幼稚であっても、野球やサッカーのル...
そう思います。
01-Feb-2004
随分、お久しぶりになってしまいました。独り言です。
今回は、宮津徳也氏の「邪馬台国」論についてです。(http://...
宮津氏からは、今回の公開に先駆けて、メールでいくつかの意...
それらを踏まえつつ、意見を述べさせていただきたいと思いま...
さて、宮津氏は、その論の冒頭に、古田氏による「邪馬壹国」...
帯方郡から邪馬壹国までの旅程距離の算出に島の大きさを...
水行十日陸行一月を郡から女王国までの総日程とするのは...
投馬国は女王国以北に位置しない
この三点について、私は宮津氏に対し、既にメールで意見を述...
それを以下に記します。
-----Original Message-----
From: KAWANISHI Yoshihiro [mailto:y-kawanishi@pop06.o...
Sent: Monday, January 05, 2004 10:21 PM
To: 'Vtec'
Subject: RE: 新春歓喜
1.対馬や壱岐の面積から辺の長さまで距離に加えるのは...
この点については、古田氏の言うところを代弁すると、「...
「部分里程の総和=総里程」という等式は、古田氏にとっ...
ですから、「無理がある」と言えば、「じゃぁ、どうやれ...
そうでない限り建設的に議論は進まないでしょう。
2.水行十日陸行1月を郡から女王国の総日程と見るのは...
これは、私も実は、そのように感じてもいます。
しかしながら、「日程」である以上、「里程」とは別に考...
(2001年4月12日の独り言(…Historicalの一発目!)を参...
私は…いまだに答えが見つかってません(汗)。
3.投馬国は女王国以北になっていない。
「「投馬国」を南九州とすると、「女王国」より、ずっと...
しかし、これも、原文脈に対する、「粗放な読み方」にも...
これが、古田氏の主張である以上、これを踏まえた上で、...
私は、この部分に関しては、古田氏の解釈で、問題ないの...
(この読解に関しては、古田氏より前に、井上光貞氏も同...
以来、「邪馬台国」九州説では、わりと受け入れられてい...
これらに対し、宮津氏の論考は、その答えを用意できているの...
一つずつ見ていきましょう。
1.について。
これは、宮津氏の論考を読んでも、何も回答が示されていない...
ですから「予言」どおり、古田氏から当然出てくるであろう「...
というより、既にこの議論に対する反論は、古田氏自身が示し...
これに対して、”漢文の文脈上、「水行十日陸行一月」を、...
では問おう。”「水行十日陸行一月」を部分行程にした場合...
井上氏の依拠された榎一雄説の場合、「陸行一月」を「千...
(中略)
いずれにおいても、「わたしの漢文理解からいえば『水行...
これに対し、学問研究のとるべき王道、それは、万人の首...
奥野正男氏は、「対海国・一大国」について、それぞれ一...
八百余里―伊都国→邪馬台国
を「部分」として加算され、これを付加すると、”区間里程...
だが、これは変だ。なぜなら、右の「伊都国→邪馬台国」間...
これでは、計算が合うのが当たり前。およそ、合わないは...
以上に尽きます。
宮津氏が「千三百里」を「不弥国→邪馬壹国」間の距離と判定し...
実は、古田氏の主張するところを言葉を換えて述べるなら、「...
私は率直に申し上げて、この命題は自明であるかどうか、判断...
迷うと言うことは、「自明」ではないのでしょうね(笑)。
しかしながら、この点を反論しなくては、古田氏への反論とし...
先のメールでは、この点が必ずしも、明確ではなかったのかも...
ですが、私はそのように考えています。
(この点については、私自身の解読には達していませんので、...
2.について。
結果的に宮津氏の読解は、これら「日程」を「里程」と同様に...
3.について。
新たな論点はありません。
さて、それ以外に、宮津氏の今回示されたテーマについていく...
1.陸行一月→一日の改定について。
これは、古田氏以前に逆戻りですね。戻るのは結構ですが、こ...
また、『隋書』を持ち出していますが、『隋書』は『隋書』で...
2.伊都国王について。
伊都国と邪馬壹国とが覇権を争っていた、とは、興味深い考察...
「世世王有るも皆女王に統属す」と言っているのですから、代...
それを別様に、考えるのは、何か別の資料的根拠を、徹底して...
これこれこういうわけであるから、魏志のこの記事は訂正しな...
3.委奴国について。
これは王道ですね。
ですから、古田氏から提出されているさまざまな議論に反論す...
全体的に言って、もちろん、宮津氏に限ったことではないので...
古田氏の『「邪馬台国」はなかった』の前半分は、他説との「...
現在の、乱立する「邪馬台国」論に対して、慎重に、考証とし...
私は、(すでに三品彰英氏の『邪馬台国研究総覧』で指摘され...
別に私は高度なことを言っているのではありません。
我々は、既に多くの説を知っている。にも関わらず、どの説に...
ならば、それまでの説のどこが納得できないのか、それまでの...
それを述べることは、最低限のマナーだと思います。
別に、高度な技術や、高尚な議論を用意する必要はありません。
「知らない」ものは「知らない」でもいいし、「素人には理解...
(様々な説に一生懸命言及しようとしている論者に対してなら...
「ああ、たまたま知らなかったんだな」といって、読んだ方が...
繰り返します。
これは、古代史「業界」全体の問題だと思います。
「私の邪馬台国論」大いに結構ですが、この点に配慮を欠いて...
あえて苦言を呈させていただきました。
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