#author("2019-06-03T20:43:47+09:00","","")
| | | |CENTER:&size(20){朝鮮半島の歴史};&size(6){(東アジア-朝鮮-先史時代)};||h
|1945|||朝鮮が南北に分割占領される&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''連合軍軍政期''&size(6){(東アジア-朝鮮-連合軍軍政期)};||
|1945|||''1945.08''ソビエト連邦が日本に宣戦布告し、朝鮮半島東北部に侵攻トルーマン大統領が「連合国一般命令を」ソビエト連邦に通告し同意させる(北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することの内容)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.08.15''第二次世界大戦で大日本帝国敗北朝鮮半島での日本の植民地支配終了、連合軍の管轄になる(北緯38度線以北をソビエト連邦軍が、同以南をアメリカ軍が管轄)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.08.15''日本はポツダム宣言の受諾管轄はアメリカ軍とソビエト連邦軍になる&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.09''ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸し翌日、朝鮮総督府が降伏文書に調印するアメリカが在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を設置&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.09.06''民族主義者、呂運亨らにより「朝鮮建国準備委員会」の結成全国人民代表大会で臨時政府の樹立を決定し「朝鮮人民共和国」を興す&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.10''米政府による「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」の否定北朝鮮共産党臨時人民委員会が樹立&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.11.20''第一回全国人民委員会代表者会議(人民共和国による)をソウルで開く&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.12''モスクワ協定(米・英・ソ三国外相会議)において、信託統治期間を5年間とし、朝鮮における民主的な臨時政府樹立のために米・英・ソ・中の4大国が朝鮮を信託統治し、その準備を米ソ共同委員会で行うとした&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945.12.19''米軍政府がソウルの人民共和国政庁を急襲し、解体を宣告する同じ頃、北朝鮮でもソビエト連邦軍の規制が始まり「北朝鮮共産党」に改組され、党首を金日成とする(統一戦線的な北半部の建国の動きを、ソビエト連邦型の共産党独裁政権作りに変質させる)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945年''かわって米ソ両大国が進駐し、38度線を境に国土が分断されることになった。&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945年8月18日''停戦命令、しかしソビエト連邦は新侵攻を止めず、マッカーサーは、北緯38度線までソビエト連邦軍の駐留を認める。&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''1945年9月8日''米軍仁川上陸ジョンホッジ中将朝鮮の開放を謳いつつ、日韓の対立を煽る。しかし、開放せず3年間、軍政を敷く。&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||COLOR(green):終戦。ポツダム宣言受諾&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||解放、大韓民国[1945年~]&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||八・一五民族光復(朝鮮解放)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||*1945年第二次世界大戦終戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。これにより、朝鮮半島は解放された。&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||現代*1945年第二次世界大戦での日本の敗戦により、朝鮮半島は解放され、かわって米ソ両大国が進駐し、38度線を境に国土が分断されることになった。&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||現代社会?(1945~)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||光復第二次世界大戦での日本の敗戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。%%これにより、朝鮮半島は植民地支配から解放された%%。&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||在日朝鮮人を乗せ青森から釜山に向かった浮島丸爆沈.原因不明&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||日本の植民地支配からの開放。&br;呂運亨ら建国準備委員会を結成&br;モスクワで三国外相会議開催&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||COLOR(blue):8.15光復COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|>|>|''1945年~1948年:アメリカ(非独立)←←←ココも重要!''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1945|||''%%解放、%%大韓民国[1945年~]''&br;日本の降伏により、朝鮮は%%植民地支配から解放されたが、%%北緯38度線を境界としてアメリカとソビエト連邦に分割統治され、国土は南北に分断された。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1945|8|15|8・15光復.日本の降伏により%%植民地%%支配から開放&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1946|||''1946.05''米ソ共同委員会は無期休会となり、38度線の無許可越境を禁止する&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1946|||RIGHT:COLOR(green):日本国憲法公布''1946''&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1946|||第一次米ソ共同委員会開催.朝鮮統治について合意みず決裂&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1946|||北朝鮮臨時人民委員会構成.金日成を委員長に選任http://www.0o0d.com/img/flags/16/North-Korea.png&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1946|||COLOR(blue):第一次米ソ共同委員会開催COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1947|||''1947.02''北朝鮮人民委員会の樹立(北朝鮮のみの事実上の単独政府)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1947|||''1947.05''米ソ共同委員会が再開されるも調整がつかず、米が国連総会に審議を持ち込む、そこで、国連監視のもとで1948年3月までに南北統一選挙を実施し、政府を樹立すると云う米案が採択されたが、ソビエト連邦はモスクワ協定を無視したことを批判し、米ソ両軍の撤退と朝鮮人による自主的政権作りに委ねることを提案&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1947|||国連総会で国連監視下の朝鮮総選挙案採択&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1947|||国連韓国委員団構成.ソビエト連邦が入北を拒否,北韓での選挙不可能となる&size(6){(東アジア-朝鮮、日本-)};||
|1947|||COLOR(blue):国連韓国委員団%%構成%%組織されるCOLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、日本-)};||
|1947|||COLOR(red):南北朝鮮の成立南部に大韓民国、北部に朝鮮民主主義人民共和国が成立。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|||朝鮮が大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分裂&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1948|||COLOR(red):朝鮮民主主義人民共和国の成立(首相金日成)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1948|>|>|''大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1948|>|>|''軍事独裁政権誕生''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1948|>|>|''済州島4.3事件7万人虐殺→→大量の韓国人が日本に密入国''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1948|||COLOR(red):大韓民国の成立(大統領李承晩)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||''1948.02.26''アメリカは国連小総会の開催を提案し、南朝鮮だけで政権作りのための「単独選挙」案を採択する&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||''1948.04.03''済州島四・三事件(~10反政府闘争)が起こり、多数の済州島民が日本に密入国する(35,000~40,000人追放および処刑)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||''1948.08.15''辛うじて過半数を確保した右派勢力は、李承晩を初代大統領に選出し、大韓民国政府の樹立が宣布される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||COLOR(blue):李承晩政権…第三代大統領(1948~1960)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||大韓民国成立、朝鮮民主主義人民共和国成立、「ハングル専用法」成立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||5・10南韓単独の総選挙実施&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||済州島人民蜂起。大韓民国樹立。朝鮮民主主義人民共和国樹立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||済州島暴動.南朝鮮単独選挙に反対する島民の武装闘争&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||人民共和国,北韓単独政府樹立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||COLOR(blue):大韓民国政府樹立.李承晩大統領就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||COLOR(blue):5.10総選挙実施COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||COLOR(blue):大韓民国政府樹立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|||''1948''国連臨時朝鮮委員会が派遣されるも、北朝鮮人民委員会は入国を拒否する&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|||''北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)(1948~)''&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|||''1948.09''北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣布、初代首相に金日成、副首相に朴憲永が就任する&br;''1948.09.09''朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣布初代首相に金日成、副首相に朴憲永が就任する&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|||''1948.09.02''北朝鮮で南北双方の代議員572名による最高人民会議が開催され、すでに4月に採択されていた憲法を正式に制定&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|||''韓国政府の樹立''1945年8月15日に韓国は日本の統治から解放されました。しかし38度線を境に南韓(韓国)と北韓(北朝鮮)に分断され、南北はアメリカとソビエト連邦の臨時的な軍事統治下に置かれることになりました。1948年5月10日に国連の支援の下、韓国では大統領選挙が行われ李承晩が大統領に当選しました。そして同年8月15日、韓国政府の樹立を知らせる公式宣言が発表されました。一方1946年2月、北韓は金日成を中心とした北朝鮮人民委員会を組織し、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を樹立しました。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948||>|''金日成体制(1948~1994)''&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|8||アメリカ占領下の南部、李承晩(???)がCOLOR(red):大韓民国(韓国)の成立COLOR(black):を宣言。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1948|8||李承晩(???)が大韓民国(韓国)の成立を宣言、これに対抗して9月には、金日成(???)が朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の成立を宣言する。間もなく、米ソ両軍は朝鮮半島から撤収し、韓国・北朝鮮の双方はそれぞれの路線で国としての体裁を整えていくことになる。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|8|15|08・15 大韓民国樹立&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1948|9||大韓民国(韓国)の成立COLOR(black):を宣言に対抗してソビエト連邦占領下の北部、金日成(???)がCOLOR(red):朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の成立COLOR(black):を宣言する。間もなく、米ソ両軍は朝鮮半島から撤収し、韓国・北朝鮮の双方はそれぞれの路線で国としての体裁を整えていくことになる。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1948|9|9|朝鮮民主主義共和国樹立&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1949|||''1949.06''統一した共和国建設を指導する朝鮮労働党の結成&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1949|||''1949.02''ソビエト連邦軍撤退後の北朝鮮では、武器・弾薬の供与、軍事顧問の指導を受け朝鮮人民軍が創設される「2ヵ年経済計画」「技術・借款協定」の締結&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1949|6||北朝鮮、朝鮮労働党の成立(金日成が中央委員長に就任)、朝鮮戦争後、金日成が朴憲永などを粛清&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1950|||朝鮮戦争の勃発(~1953)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1950|>|>|''保導連盟事件30万人虐殺''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1950|>|>|''朝鮮戦争400万人死亡→→大量の韓国人が日本に密入国''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1950|||''1950.01.07''米政府は中国革命不介入の態度を表明し、一週間後、国務長官のアチリンは米防衛線内に台湾と韓国は含まれて居ない旨を発言するまた中国軍から朝鮮人歴戦部隊が共和国人民軍に編入され、ソビエト連邦が大規模な軍事援助を約束したことにより「南部解放」を決断する&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950.02''中ソ両国の友好同盟・相互援助条約の締結&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950.04''平壌に派遣されたソビエト連邦軍事顧問団は金日成に「先制打撃作戦計画」を渡す&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950.06.25''朝鮮戦争の勃発(人民軍各師団が38度線を越え大挙して南下を開始する)戦争勃発から2ヶ月で韓国の大半は共和国人民軍の勢力下に入る&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950.07.07''国連安保理事会において、国連軍の編成が決定&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950.09.15''韓国西岸の仁川に上陸作戦を敢行し、成功する&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950.10.01''国連軍司令官マッカーサーは、国連軍の38度線突破を指令する攻勢を転じた国連軍は北進を続け、中朝国境の鴨緑江に迫る勢いを見せる(此の時点でスターリンは共和国の亡命政権を中国東北部に樹立することを中国指導部に打診していた)中国は共和国人民軍を支援して、100万の中国人民軍を派遣&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950年末''対韓援助が削除され、韓国経済は破綻の様相を呈する&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||米韓相互防衛条約&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||北韓共産軍の南侵により朝鮮戦争勃発(6・25戦争)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||COLOR(blue):6.25戦争COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|||''1950.05.30''韓国総選挙結果で李承晩与党勢力の大敗朝鮮戦争(韓国では「韓国動乱」、北朝鮮では「祖国解放戦争」と呼ばれる内戦)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1950|||''1950年''米国が自らの国防政策における太平洋地域における防衛ラインに韓国を含めなかったことが、北朝鮮の誤解を招き、北朝鮮は、ソビエト連邦のスターリン、中国毛沢東の合意をとりつけて、38度線を突破、韓国への侵攻を決行した。朝鮮戦争勃発である。劣勢に立たされていた韓国であったが、マッカーサーの仁川上陸作戦が成功し、大規模な反攻で首都ソウルを奪還すると、戦闘は膠着状態に陥る。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1950|||''1950年6月25日''COLOR(blue):6・25戦争こうしてにらみ合いが続く中、ついに北朝鮮軍が砲撃を開始!朝鮮戦争が始まります。当初は、北朝鮮が圧倒的に有利に戦線を進めていましたが、アメリカを中心とした国連軍が韓国軍を支援、北は中国が支援しやがて戦局は硬直状態となります。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1950|||''韓国戦争(1950ー1953)''1950年6月25日の明け方、北韓は38度線を越え南への侵攻を強行し南北を武力をもって統一しようとしました。これを受け、共産主義勢力から韓国を守るためダグラス・マッカーサー国連軍最高指令官の指揮の下、世界16カ国からの軍事的支援が投入されました。一方、中国とソビエト連邦は北韓に軍事的支援を行ないました。戦争は3年間続き、1953年7月27日にDMZに位置する板門店で休戦協定が結ばれ終戦となりました。戦争は韓半島を荒廃させただけでなく、南北間の敵対感情を高め、統一をより一層難しいものにしました。''朝鮮戦争の原因''朝鮮半島は現在でも韓国と北朝鮮と同じ民族でありながら38度線を挟んで対峙しています。このような事態となった原因はどこにあったのでしょう?朝鮮半島は1910年に日本による韓国併合%%によって日本の植民地となりました%%されました。しかし、その日本が第二次世界大戦に破れ、朝鮮半島の統治権を放棄します。ちょっと時代が前後しますが、第二次世界大戦の末期。ソビエト連邦は日本に宣戦布告して満州や朝鮮半島の北部に侵攻していました。まぁ、ソビエト連邦は以前から南下政策といって南へ南へ領土を広げていく戦略を抱いてのですが、日露戦争に事実上敗北するなどして日本に朝鮮半島も満州も取られてしまっていたのですね。しかし、日本が戦争に負けそうなのを見て、これはチャンス!となった訳です。しか~し!アメリカがそれを黙ってみているわけもありません。アメリカはソビエト連邦が単独で朝鮮半島を占領することに危機感を抱き38度線にて分割することを提示しソビエト連邦もそれを認めます。そして、日本は第二次世界大戦に敗北。アメリカ、ソビエト連邦はそのまま軍を滞在させ事実上の支配を続けていくのです。これが、現在も続く朝鮮半島を北と南に別けた原因ですね。その後、アメリカとソビエト連邦の間で冷戦が始まります。大国同士のにらみ合い状態です。すると、朝鮮半島では北と南で別々に選挙を行って別々の国家を樹立することになります。北の代表はニュースなどで知っているでしょう。金日成(キムイルソン)です。南は?李承晩(イスンマン)です。こちらも竹島問題などを調べていくと必ず出てくる名前ですね。詳しくは竹島問題にて。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1950|||米国が自らの国防政策における太平洋地域における防衛ラインに韓国を含めなかったことが、北朝鮮の誤解を招き、北朝鮮は、ソビエト連邦のスターリン、中国毛沢東の合意をとりつけて、38度線を突破、韓国への侵攻を決行した。朝鮮戦争勃発である。劣勢に立たされていた韓国であったが、マッカーサーの仁川上陸作戦が成功し、大規模な反攻で首都ソウルを奪還すると、戦闘は膠着状態に陥る。1951年、ソビエト連邦の提案で、板門店で休戦協定が締結され、双方多大な犠牲を払った3年間にわたる戦争が休戦を迎えることになった。だが、現在でも未だに戦争中であり、それが休戦しているに過ぎない、という状態は、依然として継続しているのである。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1950|||朝鮮戦争6月 北朝鮮が38度線を越えて南に侵攻。朝鮮戦争勃発。1951休戦会議、1953板門店で休戦協定。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1950|6||6・25戦争(朝鮮戦争)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1950|6|25|朝鮮戦争勃発&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1951|>|>|''国民防衛軍事件10万人虐殺''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1951|>|>|''居昌事件8500人虐殺''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1951|||''1951''ソビエト連邦の提案で、板門店で休戦協定が締結され、双方多大な犠牲を払った3年間にわたる戦争が休戦を迎えることになった。だが、現在でも未だに戦争中であり、それが休戦しているに過ぎない、という状態は、依然として継続しているのである。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1951|||''1951.01.04''ソウルが再び、中朝連合軍に占領される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1951|||''1951.04.11''強硬論を主張するマッカーサーは国連軍司令官を解任され、その後戦況は膠着状態に入る&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1951|||''1951.07.10''休戦交渉の開始&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1951|||RIGHT:COLOR(green):サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約調印''1951''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1951|||人民軍、再度ソウルを制圧。国連軍ソウルを奪還&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1951|||朝鮮戦争勃発。北朝鮮軍南攻、国連軍仁川へ上陸。中国人民志願軍参戦。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1951|7|10|朝鮮休戦会談開催(以後、断続的に会談が行われ53・07・27休戦協定に調印)&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1952|||''1952.01''「海洋主権宣言」を発表し、李承晩ラインの制定(参:竹島問題)右派の一部を結集して新与党自由党を結成する&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1952|||''1952.02''日韓会談、始まる&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1952|||平和線宣言&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1952|||COLOR(blue):平和線宣言COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1952|8|15|08・15 大韓民国樹立&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1952|9|9|朝鮮民主主義共和国樹立&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1953|||朝鮮休戦協定&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1953|||朝鮮戦争休戦&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1953|||米韓相互防衛条約の調印&size(6){(東アジア-朝鮮、アメリカ-)};||
|1953|||''1953''いったん休戦となりますが、これはあくまで休戦。実は半世紀以上たった現在でも戦争は続いているのです。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||''1953''国際協力局(ICA)により年2~3億ドルの援助を受ける&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||休戦協定&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||韓国,第一次通貨改革実施&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||朝鮮戦争休戦協定調停&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||板門店で休戦協定調印(米・朝・ソの三国.韓国は反対).38度線で分断&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||COLOR(blue):休戦協定調印COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||COLOR(blue):第一次通貨改革実施COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1953|||''1953.08''北朝鮮、共和国の戦後復興計画として、労働党第6回中央委員会で決定、農業協同化事業が開始&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1953|7|27|板門店で停戦協定が調印(韓国政府は不出席)され、現在の軍事境界線の布敷をみる朝鮮戦争の犠牲者共和国人民軍戦死者508,000負傷者10万人中国軍死傷者約50万人韓国軍死傷者約99万人米軍39万7千人その他国連軍29万9千人民間人200万人以上離散家族1000万人&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1954|||''1954''李承晩政府は反共産主義政策を掲げその後1960年、学生たちの反政府運動である4・19革命により李承晩政府は倒れました。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1954|||''韓国戦争後(1954ー現在)''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1954|||北朝鮮,戦後経済復旧3ヵ年計画&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1955|||韓米余剰農産物協定に締結&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1956|||''1956.04''北朝鮮、朝鮮労働党第3回大会開催&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1956|||''1956.08''北朝鮮、ソビエト連邦派のパク・チャンオク、延安派のチェ・ジャンイクなどが金日成に粛清される&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1957|||韓国,ウリマル(国語)大辞典完刊&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1957|||COLOR(blue):ウリマル(国語)大辞典%%完刊%%完成COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1957|||北朝鮮,第一次5ヵ年計画(~1960年)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1958|||''1958.08''北朝鮮、社会主義制度の確立をみる&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1958|10||北朝鮮、中国軍、共和国より完全撤退&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1959|||第一次在日朝鮮人帰国船新潟出航.&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1959|||''1959.08''北朝鮮、日朝両国の赤十字組織で在日朝鮮人帰還協定が結ばれ、帰還事業が始まる帰還者196049,036人196122,801人19623,497人&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1960|||COLOR(blue):''尹?善政権…第四代大統領(1960~1963)''&br;この時期は議院内閣制のため、実質的な権力は首相の張勉にあった国家再建最高会議(軍政)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1960|||''1960''四月革命で李承晩政権の崩壊&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1960|||''1960年''COLOR(blue):4・19革命&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1960|||4・19義挙.正・副大統領選の不正糾弾運動.李承晩政権倒れる&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1960|||四・一九学生革命、李承晩大統領退陣&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1960|||民主党張勉内閣による韓国第二共和国樹立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1960|||COLOR(blue):4.19義挙COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1960|||COLOR(blue):張勉内閣成立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||韓国でクーデター&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||''1961.07''軍部のクーデターにより南北統一運動を押さえ込み、軍事政権の登場&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||''1961''COLOR(blue):5・16軍事政変&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||5・16軍事革命.朴正熙を中心とした反共軍事政権誕生&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||KCIA設立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||五・一六軍事クーデター、朴正熙政権掌握&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||COLOR(blue):5.16軍事政変COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1961|||''1961.09''北朝鮮、朝鮮労働党第4回大会開催&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1961|||北朝鮮,第一次7ヵ年計画(~1970年)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1962|||''1962年''COLOR(blue):経済開発5ヵ年計画の始まり&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1962|||韓国,公用年号,西紀に変更&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1962|||韓国,第一次経済開発5ヵ年計画(~1966)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1962|||金鐘泌情報部長と大平外相の会談で(「金・大平メモ」)で財産請求権問題決着&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1962|||COLOR(blue):第一次経済開発5カ年計画(-1966)COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1962|||COLOR(blue):公用年号、西紀に変更COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1962|||''1962年''北朝鮮、(キューバ危機:ケネディによる強硬路線にソビエト連邦弱腰になる)共和国政府はソビエト連邦の弱腰を厳しく批判し、之に対する報復としてソビエト連邦からの援助を差し止められる&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮、ソ連-)};||
|1963|||''1963年''大統領に当選した朴正煕大統領は、17年間に及ぶ独裁統治を行ないました。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1963|||第三共和国樹立.朴正熙大統領就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1963|||朴正熙大統領当選&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1963|||COLOR(blue):朴正煕内閣成立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1963|10||COLOR(blue):''朴正煕政権…第五代大統領(1963~1979)''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1964|||韓国,メートル制実施&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1964|||COLOR(blue):メートル法実施COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||''1965.02''日韓基本条約の仮調印(1965.06正式調印)内容:無償3億ドル、有償2億ドルを日本が韓国に供与し戦後処理を終わらす&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||''1965.08''ベトナム戦争にアメリカ合衆国と共に参戦与党共和党単独で日韓条約を批准(日韓国交の正常化)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||''1965年''日韓基本条約が締結され、ようやく、韓国と日本との国交が回復し、韓国を朝鮮半島の唯一の合法的政府とした。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||RIGHT:COLOR(green):日韓基本条約調印''1965''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||日韓条約成立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||韓国軍のベトナム派兵開始&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||韓日協定調印.日韓漁業協定も付随して調印.対日屈辱外交への反対運動激化&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||日韓基本条約調印。ベトナム派兵を閣議決定。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1965|||COLOR(blue):韓日協定調印COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1966|||韓米行政協定調印&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1966|||COLOR(blue):韓米行政協定調印COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1967|||5・3大統領選挙&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1967|||韓国,第二次経済開発五ヵ年計画&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1967|||五・三選挙で朴正熙大統領再選&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1967|||COLOR(blue):5.3大統領選挙COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1967|||COLOR(blue):6.8国会議員選挙COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1967|||COLOR(blue):第二次経済開発5カ年計画COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1967|||北朝鮮,主体(チュチェ)思想を党の唯一思想体系とする&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1967|6|8|6・8国会議員選挙&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||''1968.01''青瓦台襲撃未遂事件(北の対南工作による韓国大統領府の襲撃)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||1・21事態.北の武装工作隊31人,ソウル市で交戦&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||韓国,国民教育憲章宣布&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||顕忠門国立墓地の朴大統領暗殺未遂事件.爆弾仕掛け中に爆発&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||武装ゲリラソウルに侵入。プエブロ号事件&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||COLOR(blue):1.21事態COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||COLOR(blue):国民教育憲章宣布COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1968|||''1968.01''北朝鮮、プエブロ号事件(アメリカ海軍の環境調査艦プエブロが、領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け拘束され、板門店での会談でアメリカは北朝鮮の用意した、スパイ活動を認める謝罪文章に調印プエブロ号の船体は返還されず、反米宣伝に利用)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1968|||北朝鮮,米国の情報艦艇プエプロ号を拿捕&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1968|||北朝鮮特殊部隊による大統領官邸襲撃未遂事件&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1969|||大統領三選のための憲法改憲を強行&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||''1970.11''朝鮮労働党第5回大会開催&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||''1970年''COLOR(blue):セマウル運動提唱朴正煕大統領が推進したセマウル運動(1970年に始まった全国民的近代化運動)により韓国は大きく発展し、経済発展のための体系的な管理統制による輸出の増大など数々の成果を残しました。しかし、相次ぐ民主化運動と政権の延長に反対する市民たちが増える中、&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||RIGHT:COLOR(green):大阪万国博覧会''1970''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||セマウル運動が始まる&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||韓国,セマウル(新しい村)運動開始.農漁村の生活改善,所得の増大を計る&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||京釜高速道路開通.全国が一日生活圏に入る&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||COLOR(blue):セマウル%%(新しい村)%%運動%%開始%%始まるCOLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||COLOR(blue):京釜高速国道開通COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1970|||''1970年代''COLOR(blue):セマウル運動提唱韓国の経済力が伸長し、このことが北朝鮮の危機感を増大させ、日本人拉致問題をはじめ、多くの問題が発生する。しかし、今日に至るまで、何らの解決をみないままである。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1970|||*1970年代韓国の経済力が伸長し、このことが北朝鮮の危機感を増大させ、日本人拉致問題をはじめ、多くの問題が発生する。しかし、今日に至るまで、何らの解決をみないままである。&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1971|||4・27大統領選挙&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1971|||5・25国会議員選挙&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1971|||四・二七選挙で朴正煕、金大中に辛勝&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1971|||COLOR(blue):4.27大統領選挙COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1971|||COLOR(blue):5.25国会議員選挙COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1971|||北朝鮮,第一次6ヵ年計画(~1976年)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1972|||''1972.04''金日成の祝賀行事の中で「主体思想」を共産主義の指導思想とする(主体思想:どのような難局に直面しても国家意思に忠実な国民)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||''1972.07''南北共同声明の発表(南北間で内政面での相互不干渉の確認)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||''1972.10''維新体制(維新憲法:独裁政権の強化)を構築&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||''1972.12''「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」が制定・発布される国家主席に金日成、首都がソウルから平壌に移る&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||''1972年''COLOR(blue):10月維新&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||10月維新.大統領の終身執権を可能にする&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||''1972.07.04''南北は韓半島の統一に関する共同協議書に署名して以降、1998年には韓国人の金剛山観光の許可や、2000年と2007年の2度に渡り開催された南北首脳会談などを通し、南北間の平和共存および統一に向けた努力を続けています。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||RIGHT:COLOR(green):沖縄返還''1972''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||韓国,第三次経済開発五ヵ年計画(~1976)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||韓国,第四共和国樹立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||社会主義憲法制定.金日成国家主席となる.首都を平壌とする.&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||南北共同声明。維新憲法成立。朴正煕大統領四選。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||南北赤十字会談.離散家族探し協議&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||COLOR(blue):第三次経済開発5カ年計画(-1976)COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||COLOR(blue):7.4南北共同声明COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||COLOR(blue):南北赤十字会談COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||COLOR(blue):10月維新COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1972|||''1972.07''北朝鮮と同時に南北共同声明(七・四共同声明)の発表&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1972|7|4|7・4南北共同声明.自立的平和的に民族的統一をはかることで合意&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1973|||''1973''金日成の後継者問題が浮上し、金正日が政治の表舞台に出始める&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1973|||''1973.03''「三大革命」思想・技術・文化の推進を決定するも、外貨準備がなく、70年代半ばになると対外債務の不履行が国際問題となり、共和国の在外公館が麻薬取引や武器輸出により外貨獲得が発覚し、各国で共和国外交官の退去命令が出される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1973|||''1973.08''金大中、中央情報部により東京から拉致される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1973|||RIGHT:COLOR(green):石油ショック''1973''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1973|||金大中事件.金大中氏東京から拉致されソウルで解放&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1973|||COLOR(blue):6.23平和統一宣言COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1973|6||6・23平和統一宣言&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1974|||''1974.04''民青学連事件が発生(学生運動への弾圧が強まる)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1974|||''1974.08''大統領、狙撃事件&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1974|||在日朝鮮人青年文世光による朴大統領狙撃事件.陸夫人死亡&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1974|||文正光事件。陸英修大統領夫人死亡。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1974|||COLOR(blue):北韓%%地下トンネル%%の洞窟発見COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1974|||非武装地帯南側に,北朝鮮側からの地下トンネル発見&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1975|>|>|''ベトナム戦争で4万人以上の非戦闘員を殺戮及び10万人以上の女性を強姦''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1975|||''1975.05''大統領緊急措置第9号を布告し、反政府活動を全面禁止&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1975|||大統領緊急処置の九号発表&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1975|||COLOR(blue):大統領緊急措置9号発表COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1975|11|17|ユンソナ、タレント&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国、日本-)};||
|1976|||''1976.03''尹譜善・金大中らが発表した「三・一民主救国宣言」を決起として全面的な反政府運動へと発展する&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1976|||''1976.08''板門店において共和国警備兵により、米兵2名殺害される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1976|||板門店蛮行事件.ポプラ下枝伐採をめぐり米将校が殺害&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1976|||板門店蛮行事件について,金日成主席遺憾の意表明&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1976|||COLOR(blue):板門店%%うさぎ%%斧蛮行事件COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||''1977''「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」における国家の公式理念が、マルクス・レーニン主義から主体思想に変更される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||''1977.03''カーター米大統領、在韓米軍の撤退を匂わす&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||韓国,技能オリンピック世界制覇&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||韓国,輸出100億ドル達成&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||韓国登頂隊,エベレスト登頂成功&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||非武装地帯の北側に迷い込んだ米軍ヘリコプター撃墜&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||COLOR(blue):技能オリンピック世界制覇COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||COLOR(blue):第四次経済開発五カ年計画(-1981)COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||COLOR(blue):韓国登%%頂%%はん隊、エベレスト登%%頂%%はん成功COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1977|||COLOR(blue):輸出100億ドル達成COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1978|||''1978''1978年から始まった第2次オイルショックは、輸出産業に不振を極め、経済全体に波及して深刻な不況に見舞われる&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1978|||RIGHT:COLOR(green):日中平和友好条約調印''1978''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1978|||韓国,自然保護憲章宣布&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1978|||COLOR(blue):自然保護憲章宣布COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1978|||北朝鮮,第二次7ヵ年計画(~1984年)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1979|>|>|''軍出身の大統領政権誕生''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1979|||COLOR(blue):韓国の朴大統領射殺&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||COLOR(blue):''崔圭夏政権…第十代大統領(1979~1980)''&br;''1979.12''粛軍クーデター&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||''1979.10''釜山で反政府運動が始まり、鳥山などに拡大(10.18朴政権は非常戒厳令を発動)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||''1979.10.26''朴正煕暗殺事件(朴大統領、夕食中に同席した中央情報部長に射殺される)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||''1979年''朴正煕大統領は暗殺されてしまいました。聖水大橋を架けるが、1994年崩壊&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||10・26事態.KCIA部長の金載圭に朴正熙暗殺&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||YH労組事件。朴正煕大統領射殺事件、全斗煥ら粛軍クーデターで実権を掌握&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||全斗煥,軍事クーデターで実権を掌握&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||朴正煕暗殺&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1979|||COLOR(blue):10.26事態COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|>|>|''光州事件2000人虐殺''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1980|||韓国で光州事件&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||''全斗煥政権…第十一代・十二代大統領(1980~1988)''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||''1980.05''光州事件(光州民主化運動)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||''1980.10''朝鮮労働党第6回大会開催&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||''1980年''COLOR(blue):5・18民主化運動その後、政権を握った全斗煥大統領は、前大統領の統治方式を引き継ぎ権威主義的な体制を維持しました。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||光州事件(光州民主抗争)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||光州事件&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||光州民主化運動.戒厳軍の介入で鎮圧.多数の死者を出す&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||COLOR(blue):5.18光州民主化運動COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1980|||北朝鮮,党大会で金正日書記を党ナンバー2に選任&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1981|||1986年アジア大会ソウル開催決定&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||1988年オリンピックソウル開催決定&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||韓国,世界技能オリンピック四連覇&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||韓国,輸出200億ドル達成&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||COLOR(blue):全斗煥大統領就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||民主正義党の全斗煥大統領第五共和国樹立.&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||COLOR(blue):全斗煥政府成立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||COLOR(blue):世界技能オリンピック四連覇COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||COLOR(blue):1988年オリンピックソウル開催決定COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||COLOR(blue):1986年アジア大会ソウル開催決定COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1981|||COLOR(blue):輸出200億ドル達成COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1982|||韓国政府,日本に歴史教科書歪曲内容是正を要求&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1982|||日韓で教科書問題起こる&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1982|||COLOR(blue):政府、日本に歴史教科書歪曲内容訂正を要求COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||ビルマ(ミャンマー)アウンサン廟での全斗煥大統領暗殺未遂事件&size(6){(東アジア-ミャンマー、朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||''1983.10''ラングーン事件(ビルマの首都ラングーンで共和国工作員による全斗煥大統領の爆弾テロ未遂)韓国、共和国との国交を断絶する&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||KBS,離散家族さがしテレビ生放送&size(6){(テレビ)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||大韓航空(KAL)機撃墜惨事.日本北方のソビエト連邦領空でソビエト連邦戦闘機に撃墜&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||離散家族運動。大韓航空機撃墜事件。ラングーン事件&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||COLOR(blue):KAL機撃墜惨事COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||COLOR(blue):アウンサン事件COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1983|||COLOR(blue):KBS、離散家族さがしテレビ生放送COLOR(blue):国史年表&size(6){(テレビ、国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1984|||''1984.09''韓国政府、共和国政府からの水害救援物資送付の申し入れを受け入れる&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1984|||''1984.11''板門店で、第一回南北経済会談の実現&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1984|||RIGHT:COLOR(green):全斗煥大統領、日本来日''1984''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1984|||韓国,ロサンゼルスオリンピックで総合順位10位&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1984|||COLOR(blue):ロサンゼルスオリンピックで総合順位10位を占めるCOLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1984|||北朝鮮,韓国への水害援助&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1985|||''1985.07''ソウルオリンピックのボイコット方針を改める(1985年以降、貿易実績は増勢に転ずるも累積債務に苦しみ、ソビエト連邦などへの労働力輸出も行われる)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1985|||南北経済会談。赤十字会談。40年ぶりに故郷訪問団がソウルとピョンヤンを訪問&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1985|||南北代表151名の離散家族故郷訪問団が,ソウルと平壌を相互に交換訪問&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1985|||COLOR(blue):南北故郷訪問団相互交流COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1986|||ソウル・アジア競技大会開催&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1986|||金浦空港で爆弾テロ発生&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1986|||COLOR(blue):ソウル、アジア競技大会COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||''1987.01''第3次7ヵ年計画(事実上最後の経済開発計画)の遂行に着手(1993年に未完遂で終わる) &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||''1987.06''六月抗争 六月抗争 (野党統一民主党と在野の反政府勢力が合同し、民主憲法国民運動本部を結成し政府と全面対決の姿勢を示す) 六・二九民主化宣言(米国政府圧力による政権への牽制など) 1.反共体制を維持しながら、軍政から民政への移行をする 2.共和国を孤立させながら、韓国主導の統一を実現する 3.大統領直選制の導入 4.金大中ら政治犯の釈放 5.基本的人権や言論の自由の保障 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||''1987年''COLOR(blue):6月民衆抗争 全斗煥大統領は全国的に起こった大規模民主抗争により、政権から退きました。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||真由美事件 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||COLOR(blue):13代大統領選挙.盧泰愚選出&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||ソウル大生、朴鍾哲拷問拉致事件。六・二九民主化宣言&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||ビルマ近海での大韓航空機爆破事件.北のスパイとして男女二人逮捕&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|||COLOR(blue):%%6.29民主化宣言%%6月民主抗争COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|6||6・29宣言.新しい民主憲法公布,大統領直接選制宣言&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|11||大韓航空機事件の発生 (中東への出稼ぎ労働者たちを乗せた大韓航空機がミャンマー領海上空で、共和国工作員により爆破され、犯人として金賢姫が逮捕され、機体は消息不明のまま捜索が打ち切られる)&size(6){(東アジア-ミャンマー、朝鮮、大韓民国-)};||
|1987|12||''1987.12''大統領選挙で盧泰愚政権の誕生 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||COLOR(blue):''盧泰愚政権…第十三代大統領(1988~1993)''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||''1988.09''ソウル五輪の開催 内政面で苦境に立った盧大統領は、国際政局の中で積極策をとり、北方外交を展開する &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||''1988年''COLOR(blue):ソウルオリンピック 盧泰愚政府はソウルオリンピックを成功裏に開催し、順調に政権をスタートさせました。 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||韓国,13代国会議員選挙&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||韓国,ハングル綴字法告示&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||韓国,第六共和国出帆&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||韓国,貿易高1000億ドル突破.世界十大貿易圏の仲間入りを果たす&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||COLOR(blue):ハングル綴字法告示COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||COLOR(blue):盧泰愚政府成立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||COLOR(blue):第24回ソウルオリンピック%%大会%%COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1988|||第24回ソウルオリンピック大会開催.北朝鮮不参加&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1988|9|17|ソウルオリンピック&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1989|||''1989.06''平壌で世界青年学生祭典を開催 (この開催のために多額の経費を投じ、共和国の財政事情の悪化に拍車をかける) &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1989|||''1989.09''「南北交流協力に関する基本方針」の発表 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1989|||韓国政府,ハンガリー,ポーランドなど東欧圏国家と修好&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1989|||朝鮮王朝最後の皇太子妃方子死去&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1989|||COLOR(blue):ハンガリー、ポーランドなど東欧圏国家と修好COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1990|||''1990.09''ソビエト連邦と国交復興 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1990|||ソウルで第一回南北首相会談開催&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1990|||韓国政府,ソビエト連邦と国交樹立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1990|||COLOR(blue):ソビエト連邦と国交樹立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||''1991.09''国連加盟(大韓民国と同時加盟) &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||''1991.12''国連開発計画の指導に従い、豆満江下流域を「自由経済貿易地帯」にする &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||''1991年''COLOR(blue):南北韓の国連同時加盟 そして、国連への加入を果たしました。 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||金正日書記,軍最高司令官に就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||第6回世界青少年サッカー選手権大会に南北単一チームで参加&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||南・北韓,国連同時加入&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||COLOR(blue):南・北韓国連同時%%加入%%加盟COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1991|||''1991.09''国連加盟(北朝鮮と同時加盟) 「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」「和解と不可侵および交流協力に関する合意書」の発表 ブッシュ米大統領、核兵器削減計画の発表(韓国から核兵器の撤去) &size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1991|||韓国、北朝鮮、国連同時加入 &size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1992|||''1992.01''国際原子力機関(IAEA)の核査察協定に調印 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1992|||''1992.02''南北首相会議で南北合意書・非核化共同宣言の発効 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1992|||''1992.10''「外国人投資法」 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1992|||COLOR(blue):''1992.12''金泳三(民自党)大統領に就任 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1992|||韓国政府,中国と国交樹立&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1992|||COLOR(blue):中国と国交樹立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1992|||IAEA査察団,北朝鮮の寧辺の核施設を査察&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1992|8||中国と国交の復興 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|>|>|''初の文民政権誕生 ←←←韓国は民主化してまだたった17年の発展途上国''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1993|||COLOR(blue):''金泳三政権…第十四代大統領(1993~1998)''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||''1993.01''「自由経済貿易地帯法」の制定 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||''1993年''金泳三政府は、金融取引時に実名を使用するようにする金融実名制を新たに施行し、これは当時は大々的な改革でした。  &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||金正日書記を国防委員長に選出&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||大田世界博覧会開催&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||COLOR(blue):金泳三政府成立COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||COLOR(blue):大田エキスポCOLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||COLOR(blue):金融実名制実施COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1993|||''1993.03''北朝鮮、核不拡散条約の脱退 &size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1994|||''1994''核危機が発生(米国の対北戦争を水際で回避) &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1994|||漢江の聖水大橋崩壊&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1994|||金日成主席死去.82歳&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1994|||世界卓球選手権大会に南北統一チーム参加&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1994|||COLOR(blue):北韓、金日成死亡COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1994|||COLOR(blue):政府組織改編COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1994|||北朝鮮の金日成主席死去&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1994|||''1994.07.08''北朝鮮、金日成死去 &size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1995|||''1995''全斗煥、盧泰愚を光州事件などに関して訴追 &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1995|||ソウル,三豊百貨店崩壊.高度経済成長時代の手抜き工事が原因&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1995|||旧朝鮮総督府建物解体開始(~1997)&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1995|||大邸市内の地下鉄工事の最中ガス爆発発生&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1995|||朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)発足&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1995|||COLOR(blue):地方自治制実施COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1995|||COLOR(blue):旧総督府建物解体(-1996)COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1995|||COLOR(blue):韓国、国連安保理非常任理事国に選ばれるCOLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1996|||韓国東岸で北朝鮮潜水艦発見&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1996|||北朝鮮,潜水艦事件への謝罪発表&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1997|>|>|''アジア通貨危機・国家財政崩壊によりIMFと日本に土下座し莫大な資金援助をおねだり(まだ半分も返済していない)''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|1997|||アジア通貨危機''1997''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1997|||2002年ワールドカップサッカー韓日共同開催決定&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1997|||金正日書記が,朝鮮労働党の総書記に就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1997|||大韓航空機爆破事件の犯人,金賢姫結婚&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1997||>|''金正日体制(1997~現在)''&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1997|||北朝鮮高官黄長燁,韓国へ亡命&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1997|||北朝鮮日本人妻,第一次訪日&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1998|||''1998年''大統領に就任した金大中大統領は、1997年に起きたIMF金融危機の克服に全力を尽くし、また2002年にFIFAワールドカップを成功裏に誘致しました。北韓に対しては太陽政策を行ない、金大中大統領はこの功績が認められ2000年にノーベル平和賞を受賞しました。  &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1998|||金正日,国家国防委員長に推戴.国家主席は金日成一人として廃止&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1998|||金大中大統領,日本大衆文化の段階的開放処置発令&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1998|||金大中大統領就任.対北韓包容政策表明&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1998|||COLOR(blue):金大中政府%%出帆%%スタートCOLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1998|||''金大中政権…第十五代大統領(1998~2003)''&br; 太陽政策(北朝鮮宥和政策)を開始 金正日との初の南北首脳会談を行う(2000年6月) 日本大衆文化開放を開始&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1998|||韓国の現代グループ,北朝鮮の金剛山観光開始&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1998|||北朝鮮の潜水艇,韓国東海岸で発見.乗組員全員死亡&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1998|||北朝鮮の東部沿岸からミサイル発射.日本上空を越え三陸沖に落下&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1999|||ソウルで,南北両チームによる「統一バスケットボール競技」開催&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1999|||南北労働者サッカー大会,平壌で開催&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|1999|||韓国西海の北方領海を北朝鮮警備艇が侵犯.韓国海軍と交戦となり退却&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|1999|||世界陸上女子マラソンで,北朝鮮のチョン・ソンオク金メダル獲得.共和国英雄の称号授与&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2000|||シドニー五輪の入場行進、統一旗を掲げアリランのメロディに合わせ南北選手団同時行進&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2000|||日本語歌謡曲全面解禁第一弾として、チャゲ&飛鳥コンサートソウル公演&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2000|||COLOR(blue):南北首脳会議COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2000|||COLOR(blue):6.15南北共同宣言COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2000|||COLOR(blue):アジア・ヨーロッパ首脳会議(ASEM開催)COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2000|||初の南北朝鮮首脳会談&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2000|||''2000年''北朝鮮、韓国の金大中大統領との初めての南北首脳会談を実施。6.15南北共同宣言を発表 &size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2000|||韓国と北朝鮮の離散家族200人、ソウルと平壌で相互に親族と再会&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2000|||韓国の金大中大統領,南北朝鮮の対話が評価され,ノーベル平和賞受賞&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2000|||南北朝鮮分断後初の首脳会談平壌で開催。金正日総書記イメージ変える&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2001|||金正男(金正日総書記の長男)の日本密入国騒動&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2001|||仁川国際空港が開港&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2001|||DMZ内北朝鮮の哨所から韓国軍境界哨所に向かって銃撃。韓国軍が対応射撃&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2002|||''2002''日韓共催サッカーワールドカップ&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||サッカーのワールドカップ開催  &size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||サッカーW杯日韓同時開催。韓国4強進出&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||韓国第16代大統領に、新千年民主党(民主党)の盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が当選&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||金正日総書記、日本の小泉総理と平壌で首脳会談、日本人拉致や不審船の行為を認める&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||西海・延坪(ヨンピョン)島西方海上で、南北海軍の間で交戦&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||COLOR(blue):韓日ワールドカップ開催COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||COLOR(blue):第14回釜山アジア競技大会開催COLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2002|||''2002''北朝鮮、小泉純一郎首相が平壌を訪問、日朝平壌宣言。日本人拉致の事実を認めて拉致被害者5名を日本に帰国させる &size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2002|||釜山で開催のアジア大会に北朝鮮参加。北の美女軍団韓国男性を骨抜きにする&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2002|||北朝鮮,IAEA査察団を国外退去,核施設稼動準備はじめる&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2002|||日本と韓国共同開催のサッカーワールドカップ開催&size(6){(日本-日本、朝鮮、韓国-平成)};||
|2002|10|19|北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国。 &size(6){(日本-日本、朝鮮、北朝鮮-)};||
|2002|12|19|COLOR(blue):''盧武鉉政権…第十六代大統領(2003~)''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2003|||''2003''盧武玄政権は、国民の政治参加こそが政治を行なう上で核心的な役割を果たすという参与政府を目指しました。若く改革的な新しい人事政策と過去の権威主義の清算、市民社会の成長などは盧武玄大統領の代表的な成果であると評価されています。また盧武玄政権中には、第2回南北首脳会談も行なわれました。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2003|||大邱地下鉄放火事件。死者約200人を数える惨劇になる。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2003|||COLOR(blue):廬武鉉政府スタートCOLOR(blue):国史年表&size(6){(国史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2003|||北朝鮮が核開発表明、日米中韓などで6カ国協議&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2004|||''2004.04''総選挙でウリ党圧勝。国民、弾劾拒否の意思を示す&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2004|||金正日総書記の夫人、高英姫が死亡&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2004|||国会が盧武鉉大統領に対する弾劾訴追可決。憲法裁判所、弾劾訴追を棄却&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2004|||平安北道、龍川駅で大規模爆発事故が発生&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2004|||盧武鉉大統領の弾劾訴追が国会で可決&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2004|||''2004''日本人拉致被害者の遺骨を返還、日本側が遺骨の正式調査を行い、他人の遺骨だと発表するが、北朝鮮側はこれに反発(北朝鮮)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2004|||''2004.12''日本からの人道支援の残りの15万5000トンが停止される(北朝鮮)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2004|3||''2004.03''国会が盧武鉉大統領に対する弾劾訴追を可決。高建が大統領職務を代行&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2004|5||''2004.05''憲法裁判所、弾劾訴追を棄却。盧武鉉が大統領職に復帰&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2005|||韓国・黄禹錫(ファン・ウソク)教授、ES細胞論文ねつ造&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2005|||北朝鮮,核兵器製造・保有を公式に認める&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2005|2||核兵器製造・保有を公式に認める(北朝鮮)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2006|||盧武鉉政権がFTA締結に向けた交渉を開始&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2006|||北朝鮮,テポドン2を含むミサイル7発を発射。日本海に着弾&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2006|||北朝鮮,地下核実験を実施&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2006|7||北朝鮮、日本海にミサイル発射&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2006|7||国連安全保障理事会が決議第1695号を採択&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2006|7||日本海に向けてミサイルを7発発射(7発とも日本海に着弾)(北朝鮮)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2006|10||北朝鮮、核実験を実施&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2006|10||''2006.10''「核実験成功」を宣言、国連安全保障理事会が決議第1718号を採択(北朝鮮)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2007|||韓国第17代大統領選、李明博候補が圧勝。10年ぶりに右派執権へ移動&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2007|||京義線:開城工団行き南北貨物列車が56年ぶりに定期開通&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2007|||半世紀ぶりの南北縦断鉄道試運転&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2007|||COLOR(blue):李明博大統領就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2007|||盧武鉉大統領、歩いて軍事境界線を越え北韓入りし、金正日総書記と南北首脳会談&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2007|10||南北朝鮮首脳会談&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2008|>|>|''再び国家財政崩壊によりIMFおかわりするも却下(リーマン破綻の引き金を引いた)''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|2008|||韓国の「国宝1号」崇礼門(南大門)、放火で焼失し廃墟と化す&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2008|||金剛山で韓国人観光客が北側の軍境界線を越え銃撃され死亡&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2008|||盧武鉉元大統領死去。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2008|||COLOR(blue):''李明博政権…第十七代大統領(2008~)''&br;2008年韓国の第17代大統領に就任した李明博大統領は、変化と実用をモットーに公企業の民営化、自由貿易協定(FTA)などを積極的に推進しました。2012年現在までにG20首脳会議、核安全保障サミットなど重要な国際的行事を成功裏に開催しました。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2008|||“韓国へ偽装脱北”北朝鮮の30代女スパイ摘発、軍部関係者も逮捕&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2009|||盧武鉉前韓国大統領、親族の不正資金疑惑で批判を受けたことを苦に自殺&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2009||| LINK 縄文と古代文明を探求しよう! ≫ NHKスペシャル「日本と朝鮮半島2000年」第2回放映(2009年6月17日付)&size(6){(東アジア-朝鮮、百済-)};||
|2009|||LINK 縄文と古代文明を探求しよう! ≫ NHKスペシャル「日本と朝鮮半島2000年」第2回放映(2009年6月17日付)&size(6){(東アジア-朝鮮、百済-)};||
|2009|||北朝鮮、2006年に続いて2回目の地下核実験を実施&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2009|||北朝鮮,ミサイル発射。日本上空を通過し太平洋に落下&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2010|>|>|''負債は国内総生産(GDP)の370%、長期対外債務が過去最大の2500億ドル超。危機に備え国際基金構想 各国が外貨準備拠出、韓国が打診するも日本、中国は軒並みスルー(大爆)''&size(6){(よいこの正しい半島歴史年表)};&size(6){(東アジア-朝鮮-)};||
|2010|||RIGHT:COLOR(green):尖閣諸島中国漁船衝突事件''2010年''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2010|||韓国の哨戒艦が黄海上で沈没。多国籍調査チームが北韓潜水艦の魚雷攻撃に因ると発表&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2010|||軍事訓練中の韓国領延坪島へ北韓軍が砲撃。韓国軍も対応射撃を行う&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2010|||北の後継者とみられる金正恩が人民軍大将、党中央軍事委員会副委員長に選任される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2011|||2011年12月一方、北韓は、17年間政権を握っていた金正日の死去後、その息子の金正恩が権力を継承しました。&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2011|||''金正恩、朝鮮人民軍最高司令官に就任''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2011|||金正日(69)死去。現地指導中の急病によると発表されたが、平壌官邸での死亡説が有力&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2011|||金正恩(28)が金正日の死去で空席となったポストの一つ朝鮮人民軍最高司令官に就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2012|||2012年COLOR(green):李明博大統領、竹島に上陸&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2012|||韓国大統領選、朴槿恵(パククネ)(60)が勝利し、史上初の女性大統領に選出される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2012|||金正恩が国防委員会第一委員長に就任し、党・国家・軍の三権を握る最高指導者となる&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2012|||金正恩は党の第一書記に推戴され、政治局常務委員・中央軍事委員会委員長にも就任&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2012|||李明博、韓国の歴代大統領として初めて竹島(独島)へ上陸http://www.0o0d.com/img/flags/16/South-Korea.png&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2012|||【LINK】&br; LINK 水.土壌.心の汚染や、アジア太平洋の利権を現場で考え真実を伝える ≫ 朝鮮半島南部の前方後円墳&任那日本府&ヒスイ製勾玉は糸魚川のみ産地(2012年3月17日付)&size(6){(東アジア-朝鮮、百済-)};||
|2012|||北朝鮮、今年2回目の長距離ミサイル打ち上げ、物体(人工衛星?)を軌道投入に成功するhttp://www.0o0d.com/img/flags/16/North-Korea.png&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2012|||北朝鮮、人工衛星と称するミサイル打ち上げを実施するが、軌道投入に失敗http://www.0o0d.com/img/flags/16/North-Korea.png&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2013|||RIGHT:COLOR(green):2020年オリンピックの開催地が東京に決定する''2013年''&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2013|||金正恩第1書記の叔父の、張成沢・国防委員会副委員長が公開処刑される&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2013|||LINK News U.S. 中国・韓国・在日朝鮮人崩壊ニュース ≫ 韓国人「日本人は百済系だからウリ達と兄弟ニダ!!」 ← バカ 今の韓国人は百済とは何の関係もなし!!!!! そもそも日本は百済を統治する立場に!!!!! 劣等遺伝子民族は真の歴史を知り発狂憤死すべきである!!!! 2ch「天皇が半島の子孫なら、なぜ『日王』などと呼ぶのか。嘘と妄想と手のひら返しを繰り返しすぎだろ」(2013年5月1日付)&br; このサイトのコメントとして、次の記述がある。太字は、当サイト管理人による。&br; 『★現天皇のゆかり発言で有名になった桓武天皇の母親の高野新笠の系図&br; 武寧王[461年日本生まれ第25代百済王(在位501-523年)]&br; 純陀太子在日1世(日本に人質に)&br; 斯我君在日2世&br; 法師君在日3世&br; 雄蘇利紀君在日4世&br; 和史宇奈羅在日5世(和氏に改名して日本に帰化)&br; 和史粟勝在日6世&br; 和史浄足在日7世&br; 和史武助在日8世&br; 和史乙継在日9世(娘を天皇家に嫁がせて高野姓を賜る)&br; 高野朝臣新笠在日10世―桓武天皇[第50代天皇(在位781-806年)]&br; ・・・つまり桓武天皇の母親の高野新笠は10代前に渡来し、6代前に日本に帰化した百済系10世なのです。&br; 彼女の百済系の割合は1/(2^10)=0.00098。パーセントにすると0.098%となります。&br; 逆に日本系の割合は99.902%で、血筋から見ても帰化している事から見ても正真正銘の日本人です。&br; ましてや125代の今上天皇との関係は「0」と言って差し支えありません。&br; また「百済≠韓国」である事も強調しておきます。&br; さらに「武寧王の父の東城王は日本(倭)からやって来た」と韓国の古文書に書かれている事も付け加えておきます。&br; そして桓武天皇が即位したのは781年・・・つまり660年百済滅亡の121年後なのです。百済の政治的な関わりは「0」です。』&size(6){(東アジア-朝鮮、百済-)};||
|2013|||韓米合同軍事演習を口実に北朝鮮が韓国人の開城工業団地出入りを統制、5か月間閉鎖となる&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2013|||北朝鮮が3回目となる地下核実験を成功裏に実施したと発表&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-)};||
|2013|2||COLOR(blue):''朴槿恵政権…第十八代大統領(2013~)''&br;COLOR(black):朴槿恵(パククネ)が韓国の大統領となる&size(6){(東アジア-朝鮮-平成)};||
|2013|6|28|COLOR(green):朴槿恵大統領、国賓として中国を訪問&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2013|11||朴槿恵が告げ口外交(おばさん外交)をはじめる&size(6){(東アジア-朝鮮-平成)};||
|2014|4||2014年4月COLOR(green):世越号沈没事故&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2016|||COLOR(green):朴槿恵大統領弾劾訴追案が国会で可決 日韓三大歴史問題&br;・創氏改名・・・強制では断じてない&br;・慰安婦・・・・戦地売春婦&br;・強制連行・・・徴用令?&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓民国-)};||
|2017|9|3|北朝鮮が核実験を行う(6回目)&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-平成)};||
|2017|12|2|北朝鮮は火星15の試射によりアメリカ全土を攻撃可能となる&size(6){(東アジア-朝鮮、北朝鮮-平成)};||
|2018|4|27|南北首脳会談 - 韓国と北朝鮮による首脳会談&size(6){(東アジア-朝鮮、韓国、北朝鮮-平成)};||

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