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【世界史】第2回 先史時代② 〜文化から文明へ

【世界史】第2回 先史時代② 〜文化から文明へ

カテゴリ:

   世界史
   先史・古代

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1.文化から文明への歩み

 前回までで旧石器時代の人類の歩みを振り返ってきました。今日は、その後の時代の話から。中学時代に習ったとは思うのですが、旧石器時代から新石器時代へと移り変わっていきますね。まずはその間のお話を簡単に。中石器時代と呼ばれる時代の話です。約1万年前に気候が暖かくなってくると、寒い環境に適していた大型獣のマンモスやトナカイなどがいなくなってしまいました(あるいは別の土地へと移り住んでいきました)。代わりに私たち人類の祖先は、小型のイノシシや鹿などまたは魚介類などを主食にするようになったのです。そのころに新しい自然環境にもきちんと対応できた人たちは、新しい生活様式を生み出していきました。細石器に代表されるような打製石器と磨製石器の中間のような石器を使用していたので、中石器時代と呼びます。

 今,お話ししたように旧石器時代石器時代とは、ずばり打製石器と磨製石器という使用していた石器の違いで区分されています。中石器時代以降、私たちの祖先は磨いて加工した石器を使用するになります。約1万年前に地球は氷期が終わり、気候が大きく変動し、人と呼ばれる私たちの祖先はその気候変動に対応して生きてゆかなければなりませんでした。りの動物たちを狩猟して生きてゆくだけでは生活が不安定です。そこで約9000年ほど前の西アジアで、麦の栽培やヤギ・牛・羊などの飼育を始めた人々が出てきたのです。栽培と飼育すなわち「農業」を人類が始めた瞬間でした。このことにより人類は環境への適応能力が飛躍的に向上し、たな生活様式を手に入れていきます。難しく言うと、狩猟・採集中心の獲得経済から農耕・牧畜中心の生産経済への転換を遂げたのです。
 
 この当時の遺跡としてはメソポタミア地方のイェリコが有名です(メソポタミアだけでなく東南アジア等他の地域でも農耕文化が古くから芽生えていたようで、農業の起源については諸説あります)。イェリコでは、麦を栽培していたようで、現在でいう石製の杵や臼があったり、パン焼き炉があったりとなかなか本格的です。ヤギや牛なども飼われ、このイェリコの文化はヨーロッパやアジア各地に広がっていくのです(他にはイラクのジェルモ遺跡が挙げられます。ジェルモ遺跡からは数十の家の跡が見つかっていて、小集落が形されていたことがわかっています)。

 農業が普及していった結果、人々は各地を転々とする必要はなくなります。集落を形し、織物や土器をつくり、先ほど紹介した磨製石器を使用して生活するようになりました。そして、このような初期農耕文化は人々の形する社会のあり方も変えていくことになります。
  特に、水を確保するための灌漑(かんがい)農業が始まると、多くの人々が定住し生活をするようになります。多くの人が生活できる分の食料が確保できるからですね。さらには、人の食べる量以上に章力を生産できるようになっていく。余ってしまった農産物(余剰生産物)が生するようになっていきます。そして、ここが大きな分岐点となります。ここからは少し想像力を働かさなければなりません。一緒に考えてみましょう。

○生産物が余るとどうなる?・・・人手が足りている状態になる。つまりは働かなくてもいい人がでてくる。
○働かない人とはどんな人?・・・農作業をせずに別のことをする人となる
○別のこととは具体的にどんなことをする?・・・人々をまとめる役目をしたり、農作物の豊作を願う(祈祷する)ことを行ったりする専門職(神官)になっていく

 このような過程を経て、人々の中で階級化が起こります。特に厳しい自然環境に住む人々にとっては、自然を動かす神秘的な力への深い信仰が生まれていったために神官にはしだいに力が集まるようになるわけです。力を持つ支配者階級や重労働を強いられる奴隷階級といった身分差も徐々に見られるようになりました。そこには資産を持つ者と持たざる(すなわち貧富の差)も生まれます。この階級差や貧富の差が生まれてきた社会はやがて都市国家を形します。多くの人々が国家という枠のなかで生きていくようになったのです。素朴な狩猟・採集生活を行っていた「文化」から精神的にも物質的にも豊かな「文明」へと人間の社会は展を遂げた時期とも言えます。

 特に多くの都市国家が生まれ、文明が栄えたのは、ナイル川、ティグリス川とユーフラテス川、インダス川、黄河と長江など大河の流域です(おくれてアメリカ大陸にも文明が生まれました)。この大河流域に共通するのは、雨があまり降らない地域でありながら近くに大河があるので水があるということ。しかし、大河が氾濫する怖さもあるので工夫しなければならない。こういった地域で生きていくために人々は集まり協力しました。勤勉な人々が集まって協力し、新しい技術や社会を築いたのです。一方で、例えば熱帯の人々は自然に恵まれていたのでそうする必要がなかったのかもしれません。集まって高度な文明を生まなくても生存していける環境だったので、古代において文明は発達しなかったのだと推測できます。

 さて、各文明では商業が展し、政治も支配者によって行われるようになっていきます。こうした中、必要に応じて生まれたのが文字でした。政治にしろ商業にしろ、記録する必要性が生じてきますからね。文字が生まれた、ここからの人類の歩みを歴史時代と言います。

2.人類の分化
 さあ、「先史時代」で最後の項目となるところです。人類は進化の過程で世界各地に分散していきました。そのなかで話す言葉も違ってくるし、生活習慣も異なってくるようになりました。また、皮膚の色や髪の色などの身体的な特徴も異なるようになってきました。今日の私たちは、こういった分化を人種や民族という区分けでそれぞれを区別するようにしています。
 まず、人種とは、先ほど言ったように身長・頭形・皮膚の色や目の色といった身体の 特徴をあげて分類する概念です。以前は白色人種(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)、黒色人種(ネグロイド)という肌の色での分類がなされていますが、あまり適切な分け方とは言えません(差別意識にもつながりますし)。
 他方で、言語や宗教などの文化的特徴によって、人類を民族と分けることもあります。また、聞き慣れない言葉でしょうが「語族」という言葉もあるのです。これは共通の言語からうまれた同系統の言語グループを指しています。聞き慣れないでしょうが、覚えてくると便利です。

さて、次回はいよいよ具体的に各文明を紹介していく時間です。オリエントの文明を見ていきたいと思います。本日はここまで。