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インドネシアと日本軍

インドネシアと日本軍
投稿日: 2009年9月24日 投稿者: nkurashige
▼MADIUNの駅エグゼクティブクラスの待合室でBIMAを待っていた時、売店に雑誌があったのでぱらぱら見ていたら日本軍の将校らしき男が右手を振り上げている1枚の写真に釘付けになった。しかしよく見ると後の旗は日章旗ではなくインドネシア国旗(=PUTIH MERAH)だし袖についているワッペンは月星のイスラムマークだ。独立時の思い出と言うタイトルがついているだけで
詳しい説はない。しかし持っている刀はどう見ても日本刀だ。気になったのでイスラムのブブカを被っていた売り子の女性に「これは日本軍か、インドネシア軍か」と聞くと「もちろんインドネシア軍よ、刀はサムライの象徴、でもこれは独立当時の軍服で今ははこんなではないけど」とのこと。本当に独立当時のインドネシア軍の将校はこんな軍服を着ていたのだろうか。日本軍はジャワを占領すると現地人からなるジャワ防義勇軍(PETA)を組織しオランダ軍の再進攻に備えた。昔ジャワやスマトラを旅していると戦争中はPETAの一員だったと言う男によく出会った。PETAは日本軍投降後、日本軍の一部と共同で独立戦争の中核になり武器は日本軍のものを使ったのだが軍服も流用していたのか。
▼インドネシアの独立日は1945年8月17日、しかしこの日はスカルノの独立宣言が出されただけで直ぐにオランダとの独立戦争に入るのだがこの独立宣言の年号が皇紀で記されていることは知られている。17-8-05の05は皇紀2605年の意味だ。日本ではもう誰も知らない皇紀がインドネシアではこの独立宣言とともに永遠に残っているのも興味深い。そう言えばオランダ時代首都名バタビアをジャカルタ(JAYA CARTA 繁栄の都)と改名したのも日本軍政当局だったし、機関車の形式を動輪をベースにCとかDとか呼ぶ日本国鉄式に改変したのも日本だった・・・・・