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タイ国王の「友好の絆」忘れるな

タイ国王の「友好の絆」忘れるな ジャーナリスト・井上和彦

 タイのプミポン国王が10月、88歳で逝去した。70年前の1946(昭和21)年に即位。日本の戦没者へひとかたならぬ思いを寄せ、皇室との深い関係を築いてきた国王だけに、惜しまれてならない。日本がアジアに果たす役割を高く評価し、日本を支持してきたのがタイである。両国がいかに親密な関係にあったかを、現代史から探ってみたい。

 ≪列強のアジア進出に共に戦う≫

 《日本国及「タイ」国ハ互ノ独立及主権ノ尊重ノ基礎ニ於テ両国間ニ同盟ヲ設定ス》。昭和16年12月に締結された「日泰攻守同盟条約」(日タイ軍事同盟)の第1条である。その立過程では、日本軍のタイ進駐が先行したため両軍の間で小規模な戦闘もあったが、条約締結後は同盟国として大東亜戦争を戦った。タイ政府は、翌年1月に米英に対して宣戦布告し連合軍と戦闘状態に入っている。しかし、こうした事実は今ではほとんど忘れられているようだ。

 大東亜戦争前夜、アジア全域は欧米列強の植民地であり、独立国は日本とタイだけだった。欧米列強の侵略を阻止・追放するには日本とタイが共闘することが不可欠であり、つまり日タイ同盟は「最後の防波堤」だったのである。

 タイは同盟締結前から日本を支持してきた。満州国をいち早く承認し、満州国をめぐる問題についてリットン調査団が提出した報告書の同意確認でも、42カ国が賛したなかで棄権票を投じている。

 またタイは、日本がABCD包囲網で兵糧攻めにあっていたとき、生ゴムと綿を日本に供給した。この決断をしたのが当時のピブン首だった。同盟が締結されるや、ピブン首中国国民党の蒋介石に対して「同じアジア人として日本と和を結び、米英の帝国主義的植民地政策を駆逐すべきである」という勧告の電報を打っている。(『アジアに生きる大東亜戦争』展転社)

 ≪「身を殺して仁をなした日本」≫

 タイ国民の中には、同国に進駐した日本軍を「占領軍」とみなした人もいたようだ。しかし、後に首となるククリット・プラモード氏は、自らが主幹を務めたサイヤム・ラット紙に戦後、次のように書き記している。

 《日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである》

 タイには『クーカム』というドラマがある。戦時下の日本海軍士官とタイ人女性の恋愛小説(邦題『メナムの残照』)をもとに1970年にテレビドラマ化されて以来何度もリメークされ、映画化されている。もし日本軍とタイの人々との関係が良好でなければ、このようなドラマが制作されることはなかっただろう。

 防面でも戦前からタイには日本から兵器供与が行われていた。タイの注を受け、潜水艦4隻を含む多くの戦闘艦が日本で建造された。昭和12年に横須賀で建造されたメークロン号などはその後長くタイ海軍で使われ、いまも完全な姿で保存されている。また戦時中、一式戦闘機「隼」や九五式軽戦車なども供与されていた。

 だが昭和20年8月15日、日本は無条件降伏した。このときタイは速やかに日本との同盟を破棄し、締結した協定をすべて無効とする行動に出た。タイが王室と独立を保ち続けるためには苦渋の選択だったに違いない。

 ≪靖国神社に鎮魂の誠をささげた≫

 連合軍はタイに戦犯裁判の実施を通告した。タイは自国が独自に裁判を行うとして、ピブンら10人を逮捕・抑留した。しかし翌年3月、“戦争犯罪人”の処分に関する法律は無効であるとして全員を釈放している。(前掲書)

 それから約10年を経た昭和30年、戦時中タイ駐屯軍司令官だった中村明人中将がタイに招待され、国民から大きな歓迎を受けた。タイの人々が日本へ寄せていた思いの表れだった。

 昭和38年5月、プミポン国王が来日し、天皇陛下と会見した。プミポン国王は靖国神社参拝を希望したというが、日本の外務省が難色を示したため、代わって中村中将が参拝した。社報『靖國』(38年7月号)に掲載された中村中将の手記によれば、NHKホールで開かれた歓迎音楽会の休憩時間にプミポン国王が中村中将を別席に招き、靖国神社と千鳥ケ淵墓苑に参拝してもらいたいとの意向を伝えたのだという。

 同年6月4日にはプミポン国王からの生花が神前に供えられ、鎮魂の誠がささげられた。この日のことは『靖國神社百年史』にも記されている。

 プミポン国王は日本との関係を重視し、戦没者に対しても敬意の念を忘れなかった。現代に生きる日本人は、プミポン国王が守り続けた両国友好の絆を維持していかなければならないだろう。(ジャーナリスト・井上和彦 いのうえ かずひこ)