大韓帝国時代
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朝鮮半島の歴史(東アジア-朝鮮-先史時代) | ||||
1896 | 1896山県・ロバノフ協定(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 1896年大院君、隠居。「独立新聞」創刊独立協会設立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 1896年露館播遷高宗、暗殺を恐れロシア公使館に逃げ込む。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 俄館播遷.親露派により国王をロシア公使館へ移す(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 義兵が起こる 露館播遷 独立協会設立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 山県・ロバノフ協定(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 徐載弼,アメリカより帰国し「独立新聞」発刊(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 太陽暦採用(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 独立協会を設立.独立門を建てる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 義兵が起こる 露館播遷 独立協会設立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 俄館播遷国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 「独立新聞」発刊国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1896 | 独立協会の設立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1897 | 下関条約により清の属国から開放される←←←ココ重要!(よいこの正しい半島歴史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1897 | 1897大韓帝国の成立(皇帝独裁による国家的独立)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1897 | 大韓帝国の設立.内外に自主国家であることを宣言(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1897 | 大韓帝国樹立(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1897 | 一方、弱体化してきた朝廷では王妃がロシアに近づき親露政策をとることになったが、これにより、王妃は朝鮮人と日本人の手で惨殺される。更に王は、これに恐怖を感じ、王権は、失墜する。朝鮮は日本とロシアとの勢力争いの場となってしまった。1897年、朝鮮は国号を大韓帝国と改称する。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1897 | 国号を大韓帝国に改める(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1897 | 大韓帝国の成立(皇帝独裁による国家的独立)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1897 | 大韓帝国(1897~1910[日本の保護国の時期1905~1910])(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1897 | 大韓帝国樹立 一方、弱体化してきた朝廷では王妃がロシアに近づき親露政策をとることになったが、これにより、王妃は朝鮮人と日本人の手で惨殺される。更に王は、これに恐怖を感じ、王権は、失墜する。朝鮮は日本とロシアとの勢力争いの場となってしまった。1897年、朝鮮は国号を大韓帝国と改称する。 日清戦争(1894~1895)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める(財政基盤の脆弱性により借款がうまくゆかず、各地で抗争が起きる) 大韓帝国成立一方、弱体化してきた朝廷では王妃がロシアに近づき親露政策をとることになったが、これにより、王妃は朝鮮人と日本人の手で惨殺される。更に王は、これに恐怖を感じ、王権は、失墜する。朝鮮は日本とロシアとの勢力争いの場となってしまった。日本はロシアの南進を防ぐべく、朝鮮半島の近代化を進めた 大韓帝国の設立.内外に自主国家であることを宣言http://www.0o0d.com/img/flags/16/Korean-Empire.png 国号を大韓帝国に改める&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓帝国-)}; | |||
1897 | 大韓帝国の設立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1898 | 釜下鉄道会社設立 独立協会,万民共同会開催.ロシアの侵略策動を糾弾し自主国権運動展開 1898独立教会、官民共同会を開き国政改革を求めるも、土地改革構想を提示しえず、農民層を陣営に取り込めず失敗し、守旧派の弾圧を受け解散する 万民共同会開催「皇城新聞」創刊朝鮮は国号を大韓帝国と改称する。閔妃を明成皇后に祭り上げる。親露派が親日派を圧倒。 大院君、死去。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1898 | 万民共同会開催国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1899 | 1899年京仁線開通 外国人の手により京仁線開通. 利運社,通運社などの陸運会社設立(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1899 | 京仁線開通国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1900 | しかし、19世紀に入ると東アジアでは激動の時代となります。アヘン戦争などによる清の国力低下。フランスやアメリカも朝鮮を狙い始め、また日本も朝鮮に国交を強く要求します。しかし、朝鮮は清による冊封体制の下にあることを理由に日本との国交を拒否し、日本と朝鮮との間では対立が激しくなっていくのです。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1900 | 韓国の歴史http://www.0o0d.com/img/flags/16/Korean-Empire.png&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓帝国-)}; | |||
1900 | 1900京仁鉄道の開通 1900年(明治33年)日英露独墺伊仏英、八ヶ国連合軍出兵。 1900年、漢江に1100mの鉄橋を架ける。 1900年4月露清密約、満州全域に露軍駐留。 大韓共同郵船会社,仁川輪船株式会社,海西鉄鉱会社設立 万国郵便連合加入(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1900 | 万国郵便連合加入国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1901 | 1901貨幣条令を公布し、金本位制を採用 1901年北京議定書(日本は駐留権)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1902 | 1902(日英同盟の締結)、日本の第一銀行、朝鮮国内で銀行券を発行(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1902 | ソウル・仁川間長距離電話開通 日英同盟成立 1902(日英同盟の締結)、日本の第一銀行、朝鮮国内で銀行券を発行 1902年1月30日桂太郎首相、ロシアに満韓交換論を提示。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1902 | 日英同盟成立1902http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓帝国-)}; | |||
1902 | ソウル・仁川間に長距離電話開通国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1903 | ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避(よいこの正しい半島歴史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1903 | YMCA発足(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1903 | 遂安金鉱合資会社設立(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1903 | YMCA発足国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | *1904年日露戦争勃発。日本側の勝利に終る。翌年、第二次日韓協約締結。日本の一連の責任者伊藤博文は、朝鮮の保護国化を推進し、日本政府の早期併合論に反対を唱えていた。しかし、1909年朝鮮の民族主義運動であった安重根(???)によって暗殺されるや、決定的に韓国併合に進んで行った。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 1904.02.09日露戦争の始まり、日本、ソウルを制圧し、日韓議定書の調印(朝鮮の内政干渉、軍の駐留権、土地収容権などの確保)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 1904.08.22第一次日韓協約の締結、(日本人による財政顧問・外交顧問の登用、外交交渉における日本政府の事前協議など)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 1904.02.08日英同盟締結。日露戦争勃発。高宗、中立宣言。日本側の勝利に終る。日韓議定書、韓国内での日本の軍事行動の自由を保障。翌年、第二次日韓協約締結。日本の一連の責任者伊藤博文は、朝鮮の保護国化を推進し、日本政府の早期併合論に反対を唱えていた。しかし、1909年朝鮮の民族主義運動であった安重根によって暗殺されるや、決定的に韓国併合に進んで行った。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 1904年8月23日第一次日韓協約を結ぶ。韓国財政、外交顧問に日本の推薦者を置く。外交案件は事前にに日本と協議。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 1904年京釜線竣工(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 1904年一進会は日韓合邦運動を開始。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 日露戦争が起こる1904http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓帝国-)}; | |||
1904 | 韓日議定書締結.日本による顧問政治始まる(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 京釜線竣工(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 親日御用団体,一進会設立.日本の政策を支持する運動を展開(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 第一次日韓協約締結(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 日露戦争(~1905)が起こる。 第一次日露協約調印。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 韓日議定書を締結国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1904 | 京釜線竣工国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905年~1945年:日本(保護国、併合)(よいこの正しい半島歴史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1905 | 日本の保護国の時期1905~1910(東アジア-朝鮮、大韓帝国-日本の保護国) | |||
1905 | 1905.07高宗のロシア帝国への密使が発覚する、桂・タフト協定(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905.08(第二回日英同盟の締結)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905.11.17第二次日韓協約の締結(日本の保護国となる)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905.11.17第二次日韓協約を結ぶ。韓国は外交権を日本に譲渡、日本の保護国となる。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905年7月高宗のロシア帝国への密使が発覚する。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905年乙巳条線(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905年ポーツマス条約日本の韓国における優越権を認める。日露両軍を満州から撤退する。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 日露講和条約(ポーツマス条約)締結1905http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓帝国-)}; | |||
1905 | 保護条約、乙巳条約(第2次日韓協約)調印(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 関釜連絡船航路就航.現在,関釜フェリーとして運行(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 第二次日韓協約(乙巳条約).日本の強制的な保護条約(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 第二次日韓協約調印(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 東学の第3代教主孫秉熙,天道教創始(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 日本,竹島(独島)の占有権を公示(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 乙巳条約国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 天道教創立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1905 | 1905年8月日英同盟改定。イギリスが日本の韓国保護国化を承認。(東アジア-朝鮮、大韓帝国、イギリス、日本-) | |||
1905 | 7 | 29 | 桂・タフト協定 首相:桂太郎とタフト(アメリカ)による協定。日本はアメリカのフィリピン支配権を認める。アメリカは日本の大韓帝国支配権を認める。(東アジア-朝鮮、大韓帝国、アメリカ、日本-明治時代) | |
1905 | 9 | 日露講和条約(ポーツマス条約)、注:それぞれにフィリピンとインドに対する支配を承認することを引き換えに、朝鮮に対する保護権確立を米・英・露に認めさせた(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | ||
1906 | 日本、統監府を設置(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1906 | 1906.02韓国統監府の設置(統監に伊藤博文が赴任)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1906 | 1906年漢城に韓国統監府設置。初代統監に伊藤博文。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1906 | 大韓自強会結成.愛国運動開始(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1906 | 統監府設置.日本人次官が韓国内政全般を取り仕切る(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1906 | 日本、韓国統監府を設置(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1906 | 統監府設置国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 1907.04~愛国啓蒙運動の活動が起こる、国債報償運動(日本からの借款を募金により返済すると云う)が起こる(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 1907.06高宗によるハーグ密使事件(オランダのハーグで開催された第二回万国平和会議の失敗)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 1907年国債報償運動(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 1907年6月ハーグ密使事件。オランダのハーグで開かれた第2回ハーグ平和会議に朝鮮(大韓帝国)の高宗皇帝が密使を送る。この事件で統監伊藤博文は皇帝に抗議。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 1907年7月19日高宗皇帝、息子の純宗に譲位。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 1907年7月第三次日韓協約。内政権が日本の管轄下に入る。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 1907年8月1日韓国軍の解散が定められる。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | ハーグ特使派遣.日本との条約無効を国内外に宣言しようとしたが失敗(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | ハーグ密使事件、高宗退位 第三次日韓協約調印(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 安昌浩,新民会設立.多様な反日活動を続ける(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 高宗皇帝退位.純宗王位に就く(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 国債報償運動(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 朝鮮軍隊解散(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 日本,保安法,新聞紙法などの弾圧法規により啓蒙運動を圧迫(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 国債報償運動 | |||
1907 | ハーグ特使派遣国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 高宗皇帝退位国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 軍隊解散国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 新民会設立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1907 | 7 | 高宗が退位し、純宗が即位、第三次日韓協約の締結(内政権の日本管轄、一大隊を残して韓国軍の解体)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | ||
1907 | 8 | 抗日義兵抗争(~1915)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | ||
1908 | 義兵,ソウル近郊まて進行,日本軍の反撃で撤退(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1908 | 義兵、ソウル進攻作戦国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 安重根が伊藤博文を殺害(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 1909.09韓国銀行の設立(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 1909.10統監伊藤博文がハルビン駅にて、愛国啓蒙運動の義兵(安重根)に暗殺される、朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 1909年12月4日一進会は韓国皇帝・曾禰荒助統監・李完用総理大臣に対して、日韓合邦に関する上奏文と請願書を提出し、合邦声明書を国民に配布。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 1909年安重根義士の義挙(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 1909年韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。 伊藤博文「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ。」 朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)。(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 安重根,ハルピン駅で伊藤博文射殺.翌年旅順で処刑http://www.0o0d.com/img/flags/16/Korean-Empire.png&size(6){(東アジア-朝鮮、大韓帝国-)}; | |||
1909 | 安重根がハルピン駅で伊藤博文を射殺(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 日本,安奉線の鉄道敷設権を手に入れるため,清と間島を交換(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 日本、清と間島を安奉線と交換国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 安重根、伊藤博文処断国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1909 | 羅喆、大?教創始国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、大韓帝国-) | |||
1910 | ||||
1910 | ||||
1910 | ||||
1910 | 1910合邦条約を締結。一進会の李容九、宋秉畯などが併合に関する各種の請願書や声明文を発表。(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910.03土地調査事業の推進(土地所有権・地価・地形など)国有地は東洋拓殖株式会社などの日本人地主に多く払い下げられる終了した時点(1918)では水田65%、畑43%が小作地となり農民の77%が小作農・自作農となる1910年代には、本格的な産業政策の展開が見られなかったので、土地を失った農民は中国国境の豆満江・鴨緑江を越えた間島(現、延辺朝鮮族自治州など)に毎年2~3万人の移住が続き、40万人近い朝鮮人が在住していた1920年代には、日本に4万人程度、またロシア領沿海州・中国・アメリカなどに移民(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910.07憲兵警察制度の発足集会取締り令の公布(政治結社・報道の規制)(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910.08日韓併合条約の締結(大日本帝国に併合され、京城に朝鮮総督府の設置)(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 日韓併合 日本はロシアの南進を防ぐべく、朝鮮半島の近代化を進めた | |||
1910 | 併合後李容九は「日本にだまされた」と述べたと伝えられる。(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 併合直後一進会は他の団体とともに解散を命じられた。(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 日本帝国の植民地時代(日帝時代)[1910~1945年](東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 「東医宝鑑」完成(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910年日帝の国権侵奪(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 会社令発令.朝鮮人会社の設立を抑制(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 日韓併合条約調印http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮-)}; | |||
1910 | 国権剥奪国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910韓国併合(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-明治時代) | |||
1910 | 韓国併合・日帝時代(1910ー1945) 日本統治時代(日帝強占期)1876年、朝鮮王朝は日本から門戸を開放するよう強要され、1910年に日本により併合されました。そして、1945年に日本が降伏するまでの間、韓国は日本の統治を受け続けました。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910日韓併合条約を締結し、大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。いわゆる日帝時代、日本は全朝鮮を統治する朝鮮総督府を設置した。文盲率90%(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910.08.28(明治42年)日本側から韓国政府へ「条約案」を提示。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910.08.22李完用総理大臣と寺内正毅統監との間で「韓国併合に関す条約」が締結。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910.08.08「条約案」が韓国閣議を通過。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 日韓併合(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 併合10年後旧一進会会員から同会の顧問だった日本側リーダーの杉山茂丸に対して、「併合の結果は日韓国民の聞に著しい差別をもたらすものであり、無差別平等の対等合邦ではなかった」と、その責任を問う問責状が送付されている。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 韓国併合(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | *1910年日韓併合条約締結。韓国は朝鮮と改称され、日本の | |||
1910 | 「韓国併合に関する条約」調印。日韓併合。朝鮮総督府設置(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。 | |||
1910 | 韓国併合の歴史日清戦争では、清に朝鮮の独立を認めさせ、 |