後趙
[三] 五胡十六国の一つ
(三一九‐三五一)。匈奴系羯(けつ)族の石勒の建てた国。鄴(河北省磁県)を都としたが、漢人の冉閔(ぜんびん)に滅ぼされた。後趙。
中国,五胡十六国の一つ。
後趙ともいう。羯(けつ)族の石勒(せきろく)ははじめ前趙に臣属していたが,前趙の混乱に乗じ華北地方東半部を蚕食して趙王国を建て,前趙を併呑して330年(建平1)帝位についた。後趙は鄴(ぎよう)(河南省安陽県)を首都としてほぼ華北全土を領有し,第3代石虎のとき匈奴系国家として最盛期にあった。しかし宗室内部の権力争いが国家を解体にみちびき,石虎の死後内乱状態となり,350年(青竜1)石虎の養子冉閔(ぜんびん)に政権を奪われた。
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b.後趙
これに対して部将の石勒(せきろく)も別に趙を建国,東西に分裂した。
(319年―350年)。石勒が前趙から分かれて建国。329年前趙を滅ぼし,華北の大半を領有したが,漢人の将軍冉閔(ぜんびん)に国を奪われた。
→関連項目漢|邯鄲遺跡|春秋戦国時代
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世界大百科事典 第2版の解説