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応永の外寇

応永の外寇

李氏朝鮮の初期の1419年(応永26年・15世紀)に「倭寇」の被害に悩む李氏朝鮮が、その根拠地とみなした「対馬」。朝鮮は「倭寇」征伐ということで、200隻以上の軍船と1万7000くらいの兵士で「対馬」に侵攻して襲撃している。朝鮮軍は一般民衆の船舶を奪う、民家を焼き払う、104人の民衆を「虐殺」するなど非道の限りを尽くすが結果的には「宗氏(対馬を支配した大名)」と「九州探題(室町幕府の職名)」の兵士により撃退され、巨済島に全面撤退した。「倭寇(わこう)」は時代によってメンバーの国籍は様々。日本人もいたし、支那人や高麗人や仏郎機人(フランキ。ポルトガル人・スペイン人)も多かった。