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朱蒙

しゅ もう 【朱蒙】 ○
高句麗建国の始祖とされる伝説上の人物。東明聖王。

東明聖王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/07 14:40 UTC 版)

(朱蒙 から転送)

東明聖王(とうめいせいおう、(紀前58年 - 紀前19年)は、高句麗の初代(在位:紀前37年 - 紀前19年)とされる指導者であり、東明王とも呼ばれる。姓は高、諱は朱蒙(しゅもう、チュモン)または鄒牟(すうむ、추모、チュモ)、衆解(しゅうかい、중해、チュンヘ)とされる[1]。扶余の蛙王(きんあおう)の庶子とされる。扶余の7人の王子と対立し、卒本(ジョルボン 寧省本渓市桓仁)に亡命して高句麗を建国、初代指導者となった。 [2]。

高句麗王(初代:前37年 - 前19年)