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アフリカ欧州中東西・南アジア北・東・東南アジアオセアニア北米・中南米追加
-500004万~5万年前アボリジニー、オーストラリアへ渡来編集
-16000中国、口店に山頂洞人の存在編集
-7000ジャルモ期(メソポタミア)農耕開始、定住村落の編集
-6750北イラクで最初の村落文化(ジャルモ文化)編集
-5000~4500ころナイル川流域で最初の村落文化(ファイユームA、ターサ文化)ハッスナ・サマッラー期(メソポタミア)潅漑農耕の開始、日干しれんが造の建築(ハッスナ遺跡)。エジプトにファイユームA文化、メリムデ文化、ターサ文化、農耕の開始BC5000ころ黄河中流域に彩陶文化(仰韶文化)興る編集
-4500ハラフ期(メソポタミア)神殿の出現(テル・ハラフ)編集
-4000ウバイド期(メソポタミア)大神殿の編集
-4000年紀上エジプトにバダリ文化、アムラー文化、ゲルゼー文化編集
-3500最古の絵文字出現最古の絵文字出現編集
-3400ウルク期(メソポタミア)都市形、文字の、円筒印章・銅器(青銅器)の使用編集
-3100ヒエログリフ出現編集
-3000メネスによるエジプト統一、第1王朝始まるギリシアのクレタ島、初期青銅器時代に入る(~前2000ころ)シュメール都市文誕生BC3000ころ朝鮮半島の櫛目文土器文化興るインドネシア方面からメラネシアへ移住編集
-2800メソポタミア初期王朝時代始まるシュメール初期王朝時代に入る編集
-2700エジプトで太陽暦を使用編集
-2650~ウルク第1王朝ギルガメシュの治世(ギルガメシュ物語)編集
-2650エジプト古王国時代始まる編集
-2635エジプト第3王朝ジョセル、階段ピラミッドを建築編集
-2578第4王朝スネフル、方錘形ピラミッドを建築編集
-2553クフ、最大のピラミッドを建築編集
-2550エジプト第4王朝のクフ、カフラ、メンカウラの諸王、ギゼーにピラミッド建設編集
-2500ウルなど繁栄編集
-2371サルゴン1世、シュメール都市国家を征服、アッカド王朝建設(B.C.2350ころ)編集
-2350ラガシュのウルカギナの社会改革編集
-2350サルゴン1世、アッカド王朝創始編集
-2350~1700インドでインダス文生、展。インダス川流域のハラッパー、モヘンジョ・ダーロを代表とする都市文が栄え、インド西岸を下って、グジャラート地方にまで影響が及んだ。前2000紀中ごろ急速に滅亡編集
-2263第6王朝崩壊、エジプト第一中間期始まる編集
-2200エジプト第一中間期に入る編集
-2160テーベに第11王朝興り、エジプト中王国時代に入る編集
-2150アッカド王朝滅亡編集
-2133第9・10と第11王朝並立、エジプト二分編集
-2060ウルナンム、シュメールを再統一、ウル第3王朝創始、ウルナンム法典編纂ウルナンムがウル第3王朝を創始、ウルのジッグラト再建編集
-2040メントゥホテプ2世、エジプトを再統一、中王国時代始まる。ヒッタイト人、小アジアに定住編集
-2000ギリシア人(アカイア人)、ギリシア本土(ヘラス)に南下BC2000ころ黄河中・下流域、彩陶文化より黒陶文化(竜山文化)へ移行アジア大陸、ニューギニアから西部ミクロネシアへ移住編集
-2000▽このころクレタ島、中期青銅器時代に入る(~前1600ころ)編集
-1860エジプト第12王朝のセンウスレト3世、国土再統一編集
-1830アモリ人、バビロン第1王朝創始バビロン第1王朝始まる編集
-1814アッシリアの対外征服活動始まる編集
-1792ハムラビ王即位、ハムラビ法典編纂ハムラビ即位(~前1750)。バビロニアを統一、ハムラビ法典編集
-1785第12王朝崩壊、エジプト第二中間期始まる編集
-1750ヒクソス人デルタに侵入、エジプトを支配。ウマと鉄をもたらすヒッタイト建国エジプト第二中間期に入る編集
-1730ヒクソス人、エジプト第15王朝創始、その宗主権下テーベに第17王朝編集
-1630ヒッタイトのハットゥシリ1世、ハットゥシャに建都編集
-1600クレタ島、後期青銅器時代に入る(~前1100ころ)編集
-1580アフメス、ヒクソスを追放し第18王朝を興すアフメス1世、第18王朝創始、ヒクソスを駆逐してエジプト王国時代始まる編集
-1530ヒッタイト、バビロン第1王朝を滅ぼすバビロン第1王朝滅亡編集
-1500アーリア人、インドのパンジャーブ地方に進出、牧畜、農業を主とした生活を営む編集
-1490エジプトのトゥトメス3世、シリア、パレスチナ征服トゥトメス3世アジア遠征編集
-1400ギリシア、ミケーネ文栄える(エーゲ文B.C.14世紀中ごろヒッタイト、シリアに進出、ミタンニ王国滅亡編集
-1375イクナートン宗教改革、アマルナ時代アメンヘテプ4世、宗教改革実施、イク・ン・アトン(イクナートン)と改名編集
-1365アッシリア、ミタンニから自立編集
-1363ツタンカーメン即位(~前1354ころ)編集
-1343トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)の「信仰復興」編集
-1306ラムセス1世、エジプト第19王朝創始編集
-1300ギリシア人、エーゲ海・小アジア西岸に植民活動B.C.13世紀末アッシリア、バビロニアに進出BC1300ころ中国、の盤庚が都を現在の河南省小屯村に遷す(墟)編集
-1286ラムセス2世、ヒッタイト軍とシリアのカデシュで戦うラムセス2世、カデシュでヒッタイトと戦う編集
-1280モーセなどの出エジプト編集
-1200ヘブライ人のエジプト脱出、アラム人、フェニキア人の小国家繁栄、「海の民」活動盛んインドで『リグ・ベーダ』その他のベーダ編集
-1180ヒッタイト帝国滅亡編集
-1150バビロン第3王朝(カッシート朝)滅亡編集
-1100ギリシア人の一派ドーリス人、ギリシア本土に侵入編集
-1080第20王朝崩壊、エジプトの衰退始まる(末期王朝時代)編集
-1070BC1070~1060ころ武王が紂王を討ってを滅ぼし、周王朝を創始(~前256)編集
-1020サウル、ヘブライ王国(イスラエル王国)建設編集
-1010フェニキア都市繁栄編集
-1000イタリア半島にインド・ヨーロッパ語族のイタリア人が侵入・定住ヘブライ王国にダビデ即位(~B.C.960ころ)ダビデがイスラエル王になるBC1000ころ朝鮮半島の無文土器文化始まるフィジー方面から、西部ポリネシアのサモア諸島、トンガへ移住編集
-1000▽このころエトルリア人もイタリア半島に来住かアーリア人、インドのガンジス川上流ヒマラヤ山脈麓の地に進出し、開拓を始める編集
-1000インドで鉄器の使用始まる編集
-1000インドで灰色彩文土器の使用編集
-960ヘブライ王国にソロモン即位(~B.C.922ころ)編集
-928ヘブライ王国、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂イスラエル王国、南北に分裂編集
-841BC841の王が国人に追放され、共和時代始まる編集
-835ウラルトゥ王国編集
-827BC827宣王が即位してが復興編集
-814カルタゴ建設される編集
-800ギリシア人の地中海進出始まる(南イタリアほか)インドでブラーフマナ文献編集
-776ギリシアで第1回オリンピア競技開催編集
-771BC771犬戎が幽王を殺し西周が滅亡編集
-770BC770平王が洛邑にを復興(東周)、春秋戦国時代始まる編集
-753ローマの建国(伝承による)編集
-750エジプトにヌビア人による第25王朝興る『イリアス』『オデュッセイア』の作者ホメロス在世と伝えられる編集
-745アッシリア帝国時代の始まり編集
-735エクバタナにメディア編集
-725ギリシアのスパルタ、メッセニア征服編集
-722BC722この年より『春秋』の記述始まる(~前481)編集
-721イスラエル王国滅亡イスラエル王国滅亡編集
-721アッシリアのサルゴン2世即位(~前705)編集
-715メディア王国編集
-713ウラルトゥ王国滅亡編集
-700メディア王国の下にアケメネス朝ペルシア立(ペルシア帝国)アケメネス家ペルシアに興る編集
-700B.C.7世紀末エジプトのネコ2世、フェニキア人にアフリカ大陸を航させる。ゾロアスター教編集
-679BC679の分家曲沃の武公が王に侯として認められる編集
-671アッシリア軍エジプトへ侵入エサルハッドン、下エジプト征服アッシリア軍エジプトへ侵入編集
-663エジプト、プサメティコス1世、サイスに第26王朝を興す。アッシリア軍追放アッシュール・バニパル、テーベを占領編集
-651BC651葵丘の会での桓公の覇業が完編集
-639エラム王国滅亡編集
-638BC638の襄公を破る〔襄の仁〕編集
-632BC632の文公がを破り覇者となる編集
-627BC627の襄公がの繆公を破る編集
-625バビロニア王国ナボポラサル、バビロンにバビロニア帝国を興す編集
-623BC623が西方で覇を唱える編集
-621ギリシア、最古の文法ドラコンの法典制定編集
-621▽このころギリシアの植民運動盛ん編集
-612メディア・バビロニア連合軍ニネベを破壊編集
-610アッシリア帝国滅亡アッシリア帝国滅亡編集
-605カルケミシェの戦いでバビロニア軍、エジプト軍を破るカルケミシェの戦いでバビロニア軍、エジプト軍を破る編集
-605バビロニアのネブカドネザル2世即位(~前562)、バビロンの繁栄。イシュタル門、空中庭園、ジッグラトの建設編集
-600タレス、こはくの摩擦電気、磁気現象などを見(ギリシア科学の始)インドのガンジス川・ジャムナ川両流域に多数の部族国家が分立。マガダ国、コーサラ国が特に強盛となる。コーサラ国王はプラセーナジット編集
-597第一次バビロン捕囚ネブカドネザル2世エルサレム攻撃(第一次バビロン捕囚)BC597の荘王がを破り覇者となる編集
-594/593ギリシアのアテネでソロンの改革編集
-590BC590で丘甲の制が定められる編集
-586ユダ王国滅亡、第二次バビロン捕囚ユダ王国滅亡(第二次バビロン捕囚)編集
-575BC575を破る編集
-561ペイシストラトス、アテネの僭主となる編集
-559ペルシア王キロス2世即位(~前529)編集
-556BC556で晏嬰が大夫となる編集
-549メディア王国滅亡編集
-545このころ仏教の祖釈迦、ジャイナ教の祖マハービーラらが出て、しい宗教活動活化。ビンビサーラ王も仏教に帰依したと伝えられる編集
-543インド、マガダ国のビンビサーラ王即位(~前491ころ)、ラージャグリハに都す編集
-539バビロニア王国滅亡キロス2世ナボニドスを討ちバビロニア滅亡。ペルシア帝国編集
-536BC536で子産が中国最初の文法を作る編集
-530ギリシアのピタゴラス、南イタリアで活躍編集
-525ペルシアのカンビセス2世、エジプトを征服。エジプト第27王朝始まるペルシア帝国のカンビセス2世、エジプトを征服、オリエントの統一ペルシアのカンビセス2世、エジプトを征服。エジプト第27王朝始まる編集
-522ペルシアにダリウス1世即位(~B.C.486)ペルシアのダリウス1世即位(~前486)。首都ペルセポリスの建設に着手編集
-509ローマ王政倒れ、共和政となる(伝承による)編集
-508/507アテネでクレイステネスの民主改革編集
-500イオニア植民市のポリスがペルシアに反抗〔イオニアの反乱〕、ペルシア戦争始まる(~前450/449)ペルシア戦争始まるインドでウパニシャッド文献編集
-496BC496王勾践が王闔閭を破り、の戦いが始まる編集
-494ローマの平民(プレブス)、聖山に退去、護民官制立〔聖山事件〕BC494会稽山で王夫差が勾践を破る編集
-492ペルシア軍、第1回ギリシア遠征編集
-491マガダ国のアジャータシャトル王即位(~前459ころ)し、コーサラ国その他を滅ぼし、ガンジス川流域地方を統一編集
-490マラトンの戦いでギリシア軍がペルシア軍を破る〔ペルシア戦争〕ペルシア軍、第2回ギリシア遠征編集
-482BC482黄池の会で夫差が覇者となる編集
-480テルモピレーの戦いでスパルタ王レオニダス戦死。サラミスの海戦でアテネのテミストクレスの艦隊がクセルクセス1世の率いるペルシア軍を破る〔ペルシア戦争〕サラミスの海戦編集
-479プラタイアイの戦いでギリシア軍がペルシア軍を破る〔ペルシア戦争〕BC479孔子没(前552/551―)編集
-477ギリシア、デロス同盟結編集
-473BC473勾践が夫差を破りが滅亡編集
-453BC453陽の戦いで知伯を滅ぼし、を三分、戦国時代が実質的に始まる編集
-451ローマ、十二表法編集
-450アテネのペリクレス、ペルシアと和す(カリアスの和約)編集
-449ペルシア戦争終結編集
-443ペリクレスの執政(~前429)、アテネの全盛期編集
-431ギリシアでペロポネソス戦争始まる(~前404)編集
-420ギリシアのデモクリトス、原子論を体系づける編集
-415アテネ軍シチリア島に遠征、敗北(~前413)編集
-404アテネ、スパルタに降伏し、ペロポネソス戦争終結エジプト第28王朝立、ペルシアより自立編集
-403▽このころ中国で鉄製農具の使用が始まる編集
-403BC403が諸侯となり戦国時代始まる編集
-401ペルシアのアルタクセルクセス2世の弟、小キロスの反乱。クナクサの戦いで破れ、ギリシア人の「一万人の退却」行われる(アナバシス)編集
-400ヒポクラテス、ギリシア医学を大編集
-399ギリシアの哲学者ソクラテス没(前470/469~)編集
-396ローマ、南エトルリアのウェイイ占領編集
-395コリント、アテネ、テーベなどがペルシアの援助をうけ、同盟してスパルタと戦う〔コリント戦争(~前386)〕編集
-390ケルト人のローマ侵略編集
-386コリント戦争終結し、小アジア、ペルシアの支配下に〔アンタルキダスの条約〕で田氏が国を奪う編集
-371レウクトラの戦いで、スパルタ破れ、テーベがギリシアの覇権を握る編集
-367ローマ、リキニウス‐セクスティウス法制定され、貴族・平民の身分闘争一段落編集
-362ギリシア、マンティネイアの戦いでエパミノンダス戦死、テーベ覇権を失う編集
-359アルタクセルクセス3世即位(~前338)。国威一次回復で商鞅の第一次改革始まる編集
-350が咸陽に遷都。商鞅の第二次改革が始まる編集
-347ギリシアの哲学者プラトン没(前427~)編集
-343エジプト第30王朝終わるローマ人とサムニウム人との戦争(~前341、第2回前328~前304、第3回前298~前291)編集
-341アルタクセルクセス3世、エジプト征服ペルシアのエジプト再征服アルタクセルクセス3世、エジプト征服馬陵の戦いでに大勝編集
-340ローマ、ラティウムを制圧編集
-338ギリシア、カイロネイアの戦いでマケドニアに破れる商鞅処刑される編集
-336アレクサンドロス(大王)即位(~B.C.323)編集
-334ギリシア、アレクサンドロス(大王)の東征開始編集
-333アレクサンドロス大王、イッソスの戦いでペルシアのダリウス3世を敗走せしめるの合従策が功するという編集
-332アレクサンドロス大王、エジプトを征服シリア、パレスチナ、エジプトがアレクサンドロス支配下に入るアレクサンドロス大王、エジプトを征服編集
-331アレクサンドリア市の建設始まるガウガメラの戦いでアレクサンドロス大王に敗れ、ペルシア帝国滅亡編集
-330アケメネス朝ペルシア(ペルシア帝国)滅亡編集
-328張儀がとなる編集
-327マケドニア王国のアレクサンドロス大王、インダス川流域地方に侵入(~前325)編集
-327このころガンジス川流域のマガダ国ではナンダ朝のダナ・ナンダ支配編集
-323アレクサンドロス(大王)没(前356~)編集
-322ギリシアの哲学者アリストテレス没(前384~)編集
-317チャンドラグプタ、マガダ国のナンダ朝を倒しマウリヤ朝を創始。パンジャーブ地方からマケドニアの残存勢力も駆逐編集
-317このころマウリヤ朝宰カウティリヤの『アルタ・シャーストラ』編集
-317このころセレウコス朝(シリア王国)の使者メガステネスの『インド誌』編集
-312ローマでアッピア街道建設開始セレウコス朝立(~前64)編集
-307が胡服騎射戦術を採用編集
-305/4エジプトでプトレマイオス1世即位(~前283/2)。プトレマイオス朝立(~前30)/304プトレマイオス朝エジプト建国(~B.C.30)編集
-301イプソスの戦いでセレウコス1世がアンティゴノス1世を破る編集
-300ギリシアでユークリッド幾何学完セレウコス朝シリア(シリア王国)建国(~B.C.63)編集
-300シリア、メガステネスをインドに派遣編集
-300B.C.3世紀中ごろヘレニズム文栄える。アレクサンドリア全盛期編集
-288が西帝、が東帝と称するがまもなく号を廃す編集
-287ローマ、ホルテンシウス法制定、身分闘争終わる編集
-284の楽毅がに深く侵入編集
-280ギリシアでアカイア同盟結編集
-280エペイロス王ピロス、南イタリアに侵入編集
-278屈原没(前340?―)編集
-276ヘレニズム3王国確立編集
-274プトレマイオス2世シリアと争い、フェニキア、小アジア沿岸を獲得〔第一次シリア戦争(~前271)〕プトレマイオス2世シリアと争い、フェニキア、小アジア沿岸を獲得(~前271)(第一次シリア戦争)編集
-272ローマ、タレントゥムを占領し、イタリア半島を統一編集
-271/270ギリシア、エピクロス学派の祖エピクロス没(前342/341)編集
-268マウリヤ朝のアショカ王即位(~前232ころ)、マウリヤ朝の最盛期。アショカ王、摩崖法勅を王国辺境の各地に刻ませる。また石柱法勅を北インド各地に建てる。西北はカンダハール、西はグジャラートのギルナール、東はオリッサ、南はカルナータカのブラフマギリに及ぶ。半島南端にはチョーラ朝などの王国が存在編集
-264ローマ・カルタゴ間に第一ポエニ戦争始まる(~前241)編集
-263ストア学派の祖ゼノン(キプロスの)没(前335ころ~)編集
-260第二次シリア戦争(~前255)第二次シリア戦争(~前255)長平の戦いでを大破編集
-256バクトリア王国(大夏)独立を滅ぼす編集
-250ギリシアのアルキメデス、てこの原理、浮力の原理をペロッソス『バビロニア誌』編集
-247パルティア王国イランでアルサケス1世、パルティアを興す王政(後の始皇帝)の即位編集
-246マネトー、『エジプト史』を著す第三次シリア戦争(~前241)。プトレマイオス3世、メソポタミアを征服編集
-246第三次シリア戦争(~前241)。プトレマイオス3世、メソポタミアを征服編集
-241第一ポエニ戦争終わり、シチリア、ローマの属州(プロウィンキア)となるペルガモン王国独立編集
-237で呂不韋の失脚と李斯の登用編集
-230を滅ぼし、以後六国の国々を次々に滅ぼす編集
-221を滅ぼして中国統一を完、最初の帝国を建てる編集
-220第四次シリア戦争(~前217)第四次シリア戦争(~前217)編集
-219軍、ベトナムに侵攻編集
-218第二ポエニ戦争始まる(~前201)編集
-216カンネーの戦いでローマ軍敗北編集
-215第一マケドニア戦争始まる(~前205)編集
-214、南を攻撃編集
-214万里の長城建設開始編集
-213焚書坑儒(~212)編集
-210始皇帝没(前259―)編集
-210勝・広の乱起こる。劉邦・項羽らの挙兵編集
-209匈奴の冒頓が単于と称する編集
-208セレウコス朝アンティオコス3世、インド遠征(~B.C.206年)編集
-207子嬰が劉邦に降り、滅ぶ編集
-207建国し、中国南部とインドシナ東北部を支配編集
-202第五次シリア戦争(~前200)で、プトレマイオス朝、シリア、パレスチナを失うザマの戦いでスキピオ(大)、ハンニバルを破る(翌年第二ポエニ戦争終結)第五次シリア戦争(~前200)で、プトレマイオス朝、シリア、パレスチナを失う垓下の戦いに項羽敗北。劉邦が王朝創立(~後8)編集
-200ローマ・マケドニア間に第二マケドニア戦争開始(~前197)高祖(劉邦)匈奴に平城(大同)で敗北編集
-198アンティオコス3世、シリア、パレスチナ遠征編集
-197キノスファライの決戦で、マケドニア、ローマに敗れる編集
-196ローマの将軍フラミニヌス、全ギリシアの自由を宣言編集
-195▽このころ氏朝鮮が編集
-195で、呂后の専制始まる編集
-195高祖没(前256/247―)編集
-188アンティオコス3世、ローマに敗北、小アジアを失う編集
-185マウリヤ朝の部将プッシャミトラ、マウリヤ朝を倒してシュンガ朝を創始編集
-185マトゥラ、ウジャインなどの各地に独立の王国編集
-183/182ハンニバル没編集
-180呂后没し、呂氏族誅される〔呂氏の乱〕編集
-175西北インドにギリシア系のバクトリア王国進出。メナンドロス王、パンジャーブ、シンドを支配、さらに北インドにも進出編集
-171第三マケドニア戦争始まる(~前168)パルティアのミトリダテス1世即位(~前138ころ)編集
-168ピドナの戦いでローマ、マケドニアを破り、属領とする編集
-167ユダヤ人、セレウコス朝アンティオコス4世の政策に反抗し、マカベア戦争起こる(~前142)編集
-154七国の乱起こり、の諸侯支配が強力になる編集
-149第三ポエニ戦争(~前146)、第四マケドニア戦争(~前148)始まる編集
-146カルタゴ滅亡しアフリカ、ローマの属州となる。ローマ、コリントを破壊編集
-142ユダヤ人、ハスモン王朝樹立編集
-141ユダヤ独立を回復(ユダヤ人)。パルティア、バビロニアを併合武帝即位(~前87)。、中央集権体制確立に向かう編集
-140ヒッパルコス、ギリシア天文学を大編集
-139の張騫が西域に出(~前126)編集
-136武帝、五経博士設置編集
-135シチリアの奴隷反乱(~前132)編集
-133ローマでグラックス兄弟の改革(~前123)ペルガモンのアリストニコス、対ローマ反乱(~B.C.130)ペルガモン王国、ローマに遺贈さる匈奴との和平関係破れる編集
-129パルティアの都クテシフォン建設さる編集
-123パルティアでミトリダテス2世即位(~前88)。王国最盛期を迎える編集
-123インドで前1世紀ごろからアジャンタ石窟の開掘始まる編集
-121の霍去病が河西の匈奴を破り、その地に4郡を置く編集
-120ポントス王国にミトリダテス6世即位(~B.C.63)、反ローマ政策編集
-119、五銖銭を鋳造編集
-119で、塩鉄専売の開始編集
-119張騫再び西域に赴く編集
-117司馬如没(前179―)編集
-115で、均輸法の施行編集
-111北アフリカでユグルタ戦争始まる(~前105)、南を攻めベトナム直接支配を始める編集
-110で、平準法の施行編集
-108氏朝鮮を滅ぼし4郡を置く編集
-107ローマでマリウスの軍制改革編集
-104、太初暦を採用編集
-104の李広利の大宛(フェルガナ)遠征(前102に再征)編集
-102マリウス、ゲルマンのテウトニ人を破る編集
-101マリウス、ゲルマンのキンブリ人を破る編集
-99の李陵、匈奴に降る編集
-98で、酒の専売始まる編集
-91同盟市戦争でイタリアの同盟市がローマに離反(~前88)史記編集
-91巫蠱の乱起こり、戻太子ら殺される編集
-88ローマでマリウスとスラの内乱(~前82)ミトリダテス戦争勃(~B.C.63)第一次ミトリダテス戦争(~前84)。小アジア、ポントスの王ミトリダテス6世、ローマに叛く編集
-87▽このころ司馬遷没(前145/前135―)編集
-87武帝没(前156―)。霍光が昭帝を補佐編集
-86で、代田法の施行編集
-83第二次ミトリダテス戦争(~前81)編集
-82スラの独裁(~前79)編集
-81、塩鉄専売に関し塩鉄会議開催編集
-80カーンバ朝、シュンガ朝に代るが、諸国の分立状態深まる霍光が実権を握る編集
-80このころオリッサ地方にカリンガ国のカーラベーラ王が出て、南北インドに進出編集
-80このころデカン地方でサータバーハナ朝(アンドラ朝)強大となる編集
-80このころ西北インドにサカ人、パルティア人が侵入し、多数の小国が形分立する編集
-74第三次ミトリダテス戦争(~前64)編集
-73ローマでスパルタクスの蜂起(~前71)編集
-68霍光没し、前66年霍氏族誅編集
-63セレウコス朝(シリア王国)滅亡ローマのポンペイウス、セレウコス朝(シリア王国)を滅ぼす編集
-60ローマ、第1回三頭政治(カエサル、ポンペイウス、クラッスス)始まる、西域都護を設置編集
-58カエサル、ガリア征服(~前50)編集
-54匈奴に内紛、東西に対立。呼邪単于がに入朝編集
-53パルティア軍、ローマのクラッスス(前115ころ~)を敗死させる(カルラエの戦い)編集
-51、五経整備のため石渠閣会議を開催編集
-49カエサル、老院(ローマ)との内乱に突入編集
-48ファルサロスの戦いでカエサル、ポンペイウス軍を破る。ポンペイウス(前106~)暗殺編集
-47クレオパトラ7世の独裁開始編集
-46ローマ、ユリウス暦制定編集
-45カエサル、終身のディクタトルとなる編集
-44カエサル(前100~)暗殺される編集
-43ローマ、第2回三頭政治(オクタウィアヌス(アウグストゥス)、アントニウス、レピドゥス)始まる編集
-42フィリッピの戦いでオクタウィアヌス、アントニウスがブルートゥスを破る編集
-40で、郡国制が廃止される編集
-37ヘロデ(大王)、ユダヤ王となる(~B.C.4)ヘロデ、ユダヤ王となる朝鮮に高句麗が勃興編集
-36パルティア軍、ローマのアントニウスを破る編集
-31アクティウムの海戦で、オクタウィアヌス、クレオパトラとアントニウス連合軍を破るアクティウムの海戦でクレオパトラ、アントニウス連合軍敗北編集
-30クレオパトラ(前69―)自殺、プトレマイオス朝滅亡プトレマイオス朝滅亡編集
-27オクタウィアヌス、アウグストゥスの尊称を受ける(ローマ帝政の始)編集
-19ローマの叙事詩人ウェルギリウス没(前70~)編集
-7?イエス・キリスト生誕で、最初の限田法公布編集
-4ヘロデ大王没(前73?―)編集
-2このころ、中国に仏教が伝わる(中国仏教初伝説の一つによる)編集
-1で、王莽が大司馬大将軍となり実権を掌握編集
-1                                                        編集