消し去られる朝鮮半島の日本府 任那
消し去られる朝鮮半島の日本府 任那
~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書
(2011.6.6)
ちなみにNTTドコモがイメキャラ使用する韓国アイドル KARA(から)の名前の由来ですが、これは加羅(から)から来ています。
かつて古代日本は朝鮮半島を領有し、その地域は任那(みまな)と呼ばれていました。日本が朝鮮半島を領有していた事実は、日本書紀はもちろん三国志などにも記録されています。
このことは1980年代まで日本の学校でも定説として教えられていたのですが、古代 朝鮮半島に日本領などなかったとする朝鮮捏造史観の押し付け教育が始まって以後、教えられなくなってしまってます。なので今の30代以下の殆どの方が、この歴史的事実を知りません。
古代の朝鮮半島に日本領なんてなく、まとまってない地域があっただけというのが朝鮮側の歴史観であり、その地域のことを捏造 朝鮮史観では加羅(から)や伽耶(かや)と呼んでいます。
つまり、KARA=加羅とは、かつての日本領 任那と呼ばれる地域の、朝鮮半島に日本領なんてなかったとする韓国側の呼称。
奴らが日本へ強力にプッシュする、朝鮮アイドル KARAのネーミングには、このように極めて政治的、朝鮮捏造史観を日本に定着させる教育上の狙いなど、深い意味があります。
日本では今後、朝鮮半島を任那半島とでも呼んでいったほうがいいですね。
加えてオホーツク海は北日本海、東シナ海は南日本海、いっそのこと太平洋も東日本海とでも呼んでいいくらいでしょう ^^)
次はこちらから、MIMANA=みまな(任那)というアイドルでも送り込みましょっか。
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(戻る) (2011.5.16)
このところ古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を強くPRしてますが、そんな昔のことなんて、どうだってよさそうに言ってくる人が多いのに、案の定という感を覚えます。
恐らく、古代日本が朝鮮半島に領有していた任那にこれほど触れたサイトは他の保守系サイトにはなかったよう思うし、偽装右翼にとって、この話はとっても痛いはずだからです。もちろん朝鮮系エセ右翼のみならず、今では正確な古代日本史が教えられていない日本人も非常に増え、ことの重要性もわからない多くの天然工作員が生まれてしまっている模様。
そもそも古代日本のルーツを侵されることは、日本民族の存立に関わってきます。わかる人にはわかるでしょうが、このことは枝葉末節的な南京大虐殺や従軍慰安婦等の戦争責任問題等より遥かに重要であり、奴らは古代日本と朝鮮半島の歴史、つまり日本のルーツを壊すことに最大限、力を注いでいます。
そして日本のルーツを奪われるということは、ズバリ、天皇を奪われることにも直結します。奴らは天皇まで狙っているんです。
いくら日本国内で「朝鮮人は最低だ!」とか騒いでも、それだけでは国際的に見ても何の効力もありません。
しかし、古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を強くアピールし、このことが日本及び世界に向けて再度広まることは、現代日本における歴史教育はもちろん、国際的に見ても、いろんな意味で日本の正当性を主張することにつながり、奴ら朝鮮人の捏造史観も完全に論破できるようなります。
このところ任那に関する記事を書き続けて、古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を教えられていない、知らない方が如何に多いか、あらためてよくわかりました。しかし20数年前まで、このことは定説として教えられていたんです。ここに無関心でいることは、完全に奴らへの敗北につながります。
これらのことから、奴らが歴史教育で本当に目をつけられたくないところ、古代日本史の重要性が見えてきました。
変な風にやたら日本はスゴイとか騒いでる偽装右翼の目的が、何となくわかってきたのです。それだけでは日本人がマスターベーション的にやってるだけで、奴らにとっては痛くも痒くもありません。子供たちへの教育にも関係なく、これでは今の子供たちに対して何もやってないに等しいです。
しかし、朝鮮半島に日本府 任那があった歴史に触れられると、奴らにとっても対岸の火事では済みません。子供たちの教科書にだって大きく関わってきます。
このことに気づいたのは、実は私もつい最近です。
日本府 任那を日本史に取り返さないとマジやばいよ!
すべては朝鮮由来!? 教科書での“渡来人=朝鮮人”マンセーも深刻!
韓国で初めて万博が開催された時(大田EXPO1993)、私は初めて韓国へ取材で行きました。その時は、あるイベントで知り合った韓国人の紹介で、梨花女子大という日本のお茶の水女子大のような韓国の名門大学の日本語を専攻していた学生を、経費も安くなりそうに思って通訳スタッフとして採用しました。もちろん当時の私は今のような嫌韓的感情は持ってなかったし、日本人を嫌ってる韓国人がこれほど多いことなんて知りませんでした。ソウルのカラオケパブで私は日本語の歌を堂々と歌ってきましたが、普通の韓国人が日本人に持つ感情を知っていたなら、そんなこと恐らくしなかったでしょう。
通訳の卵だった学生の彼女に、私が朝鮮半島で古代日本が領有していた任那の話に触れた時、彼女が言うには韓国ではそういう風に教えられておらず、伽耶(かや)と呼ばれる当時はまだまとまっていない地域があっただけと教えられてると言われました。
私が“伽耶(かや)”という名称を初めて聞いたのはその時です。“伽耶(かや)”は今の日本では加羅として教えられ、韓国どころか今や日本の学校教育でも日本府 任那とは教えられていません。
しかし伽耶とは、あくまで現代の韓国人が名づけた名称であり、考古学上の文献に“加耶”という文字は一切出てきません。
朝鮮半島内の一部地域が当時の日本 倭国の一部(任那)であったことは、日本書紀はもちろん、中国の三国志にも記載されてます。
Tatsuyaさんが、中学生のお子さんの社会の教科書を調べてくださいました。
以下は現代日本の教科書からの引用。
新編 新しい社会 歴史 (東京書籍) より
(日本の中学校の半分は、東京書籍の歴史教科書を採用しています)
【古代までの日本】
1 文明のおこりと日本の成り立ち
大王の時代 中国・朝鮮との交流
大和政権は、百済や、小国が分立していた加羅(任那)地方の国々と結んで、高句麗や新羅と戦いました。
この通り、日本が領有していた日本府 任那を教えないどころか、さらに史実と逆に、日本が新羅らを攻撃して脅かしたような記述になってます。実際は古代日本人が住んでいた地域を唐・新羅連合軍に滅ぼされてます。
次に渡来人についての記述。
【大陸文化を伝えた渡来人】
朝鮮の諸国との交流がさかんになると、朝鮮半島から日本列島に、一族でまとまって移り住む人々が増えました。
こうした渡来人は、鉄製の農具を広め、かんがい用の大きなため池をつくる技術のほか、かたい質の土器(須恵器)や高級な絹織物をつくる技術を伝えました。
渡来人はまた、漢字を伝えて、朝廷の記録や外国への手紙の作成にあたるなど、財政や
政治でも活躍しました。
漢字とともに、儒教の書物も伝えられました。
6世紀半ばに仏教を日本に伝えたのも渡来人でした。
この通り「渡来人マンセー!」、まるですべてが朝鮮人から伝わったように、完全に朝鮮人を褒め称えてます。
既に韓国では、古代において韓国人が日本本土に渡っていくつかの地域を支配したとまで教えられてます。いずれ日本でも、朝鮮人が海を渡って天皇となり、日本を支配したと表立って言われだすでしょう。日本の朝鮮系右翼は今でもそう信じてますし。
そして、最後に「現代の日本と世界」についての記述。
第7章 現代の日本と世界 2 国際社会と日本 これからの日本と世界
【世界の一体化と日本の役割】
世界の一体化が進むなかで、日本がどのように生きていくのか、これが21世紀の大きな課題となっています。
日本国民として、同時に国際社会に生きる人間(地球市民)として、よりよい社会づくりを考えていきましょう。
この通り、今の教科書は完全に、子供たちを日本人でなく “地球市民 = 地球人” に洗脳するためのツールと化してます。
今の日本の歴史教育が如何にひどいものであるか、よくおわかりでしょう。小さな頃からこんな風に教わってきた私より下の世代では何の違和感も持たないでしょうが、私から上の方々だと、違和感どころか大変驚かれるはずです。
近代の自虐史観からの脱却も大切ではありますが、それより最重視すべきはルーツとなる古代日本史です。正しい日本人の歴史を取り返さなければなりません。それと、“子供の地球人化”を防がなければなりません。
お子さんお孫さんをお持ちの方は、至急、子供の教科書をチェックして、歴史観を修正させましょう。子供の教育は親がするしかないんです。 (続く)
これら歪んだ朝鮮史観のプロパガンダを図っていたのが朝日新聞であったこと、さらには古代の朝鮮半島内に倭国(日本)が支配していた地域があったことを示す、日本にしかない前方後円墳や日本原産でしかないヒスイが半島内の遺跡から出土していることも、ここに詳しく書いてます。
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こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに
~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?
(2011.7.15) (始めから)
今のように何でもかんでも朝鮮由来みたいな歴史観が日本で教育されるようなったのは、1980年代に始まり、90年代に入れば、気づかぬうち、その捏造史観教育工作がほぼ完了されてたように思います。
そして、その発端となったのが、北朝鮮の歴史学者 金錫亭(キムソクヒョン)がこれまでの日本における歴史観と真逆の歴史観を主張したことに始まり、それを大々的に日本へ広めたのが朝日新聞であったこと、私は書いてます。
もともと私の世代まで、古代朝鮮半島において、日本は任那(みまな)をはじめとする支配地域を持っていたと教えられていたし、すべての文化が朝鮮半島から渡ってきたといった今のような教え方はされていませんでした。古代日本が朝鮮半島南部を支配していたというのは常識だったんです。
南京大虐殺や従軍慰安婦なんて話もありませんでした。
当時の日本における教科書の記述は以下の通り。
写真は当時の日本の中学校の教科書 (画像クリックで拡大)
1972年版 中経出版『日本の歩みと世界』(監修:豊田武)より
(以下、この教科書の記述より)
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4世紀の後半になると、大和朝廷は、朝鮮半島に勢力を広げた。そのころの朝鮮半島には、北に高句麗、その南に新羅と百済が国を建てていた。大和朝廷は、まとまりの遅れていた南の任那をおさえ、そこを足場に、一時、百済・新羅を従えて高句麗と戦った。
いっぽう、5世紀には、中国が南と北とに分かれた(南北朝時代)。大和朝廷は、朝鮮半島南部における日本の立場を認めてもらおうとして、南の王朝にたびたび使いを送った。
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1990年代以降の歴史教育を受けて育った世代からすれば、きっと目から鱗の内容でしょう。その後の白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に、倭・百済連合軍が敗れるまで、日本は朝鮮半島内に多大な勢力圏を持っていたのです。
つまり当時の朝鮮半島南部の多くの地域は、日本の支配下にあったということ。。
当時、任那はもちろん百済の王や官僚だって、日本人(倭人)が多数を占めていたわけ。
しかし、その後はどんな風に教えられるようなったか。
以下は小学館の『日本歴史館』(1993年発行)という分厚いカラー図鑑の記述から。手元に今の歴史教科書がありませんので、うちにある歴史書からの引用です。
************************************************************** [#e1d8e416]
倭は朝鮮半島内での対立構造によって、その援助が強く期待されることが多く、積極的にその対立に関わった。およそ6世紀の初めまで、そうした構造は維持される。
倭国はそのような関係のもとで、伽耶の南部諸国および百済から先進の文化・技術を入手し、その見返りとして兵力を提供した。そうした出兵で、朝鮮半島内の抗争に巻き込まれることになるが、およそ支配を及ぼすような関係ではなかった。
・・・日本では『日本書紀』の記事のままに伽耶諸国を“任那”ということもあるが、それは本来の正しい用法ではなく、伽耶の一国(金官国)の別の呼び方にすぎない。
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この通り、倭国が朝鮮半島に支配を及ぼしていたどころか、進んでいた半島の技術を入手するため倭国が兵力を提供したとか、それまでの日本における歴史観から180度転換のムチャクチャな論説がなされています。
正に朝鮮学者 金錫亭(キムソクヒョン)の主張そのままなわけで、今の教科書はどこもこれに倣っています。こんな内容で今の日本の歴史教育では子供たちに教えられているわけです。
そもそも、“朝鮮半島から先進の文化・技術を入手するため”なんてことのために、その見返りとして国民の命を献上してまで海を隔てた半島にまで膨大な兵力を提供する・・・そんな非現実的、バカなこと、絶対にありえません!
ちなみにこの本の古代史の執筆者 現:京都教育大学名誉教授 和田 萃(あつむ)
1944年、満州国遼陽市生まれ。生後間もなく日本に移り、奈良県磯城郡田原本町で育つ。京都大学文学部卒業、日本古代史の専門家とされてるらしい。その筋では権威があるのでしょう。
きっと今では、この種の反日自虐 左翼 売国奴 歴史学者というのがゴロゴロいるんでしょうね。
この種の売国歴史学者の名前、情報ご提供いただければ、売国奴 歴史学者列伝として、どんどん追記していきたいと思います。
南京大虐殺や従軍慰安婦問題より前に、すべてが朝鮮由来とされる朝鮮従属の現代日本の歴史観、こっちの方が何百倍も重大です。
カギは近代史より、古代史にあります。
何より守るべきは、古代日本、古代朝鮮半島における倭国の先人たちが支配した地域。
日本人のルーツ、ここを守らないと、日本人は奴らにそれこそ根こそぎ奪われます。
このこと、ぜひ政治家や関係機関など、みなさまからも各所へご進言いただければと思います。
日本の面影
尚、和田萃は、上田正昭という歴史学者の門下だそう。上田は韓国から勲章までもらってるね。
【以下、Wikiより 2011.7.16現在】
上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日 - )は兵庫県出身の日本の歴史学者。
京都大学名誉教授、大阪女子大学名誉教授、西北大学名誉教授。勲二等瑞宝章。修交勲章崇禮章(韓国から)。
門下生に千田稔(国際日本文化研究センター名誉教授)、和田萃(京都教育大学名誉教授)、井上満郎(京都産業大学教授)、灘本昌久(京都産業大学教授)、田中俊明(滋賀県立大学教授)などがいる。
教科書に竹島を記述することについては「するべきでない」と発言。
八木晃介、水野直樹らと一緒に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人となっている。
(続く)
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(続き)◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人
戦後の歴史教育を捨てよう。
歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表
(2016.6.19)
皆様、いつもありがとうございます、
実は戦前の国史(日本史)資料をいろいろ集めました。まずは今日は、その中から戦前の歴史学習で使用されていた年表とシンプルな概略文を一つ、公開します。
単に人名や年号、事件の名前等だけ、膨大な項目を覚えても、有機的につながった歴史を学べない今の学校における歴史教育というのは、いくら学んでも何も身につきません。あれではいくら勉強して憶えても何もやってないに等しいんです。戦前の歴史教育は、そのような細かな事項名だけをやたら覚えたりするのでなく、実在の事件や人物等、それがどういったプロセスを経ていったか、その判断の仕方などに重点が置かれてます。
まずは年表。
「高等小学国史 附図」年表(昭和十三年一月十五日発行:立川文明堂)より
そして下記は、昔の歴史年表にある国史概略文、そのままの内容です。
「小学 国史絵巻年表」より(監修:中村孝也 昭和十一年三月一日発行:学習社)
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時代の発展
この文を、繰り返し読んで、国史の各時代がどのように発展して来たかを考えてください。
神代(かみよ・じんだい)
神代の昔、天照大神は、天孫ニニギノミコトに向かい、
「この国は、わが子孫の王(きみ)たるべき地なり、汝(なんじ)皇孫(こうそん)ゆきて治めよ。皇位の盛なること、天地と共にきはまりなかるべし。 」
と仰せられた。わが国の基(もとい)は、この時定まった。ニニギノミコトは、この神勅をいただき、三種の神器をささげて、日向にお下りになられた。それから三代の間、その地に居られた。これまでを神代と申し上げる。
大和時代
神武天皇は、日向から大和においでになり、樫原宮(かしわらのみや)で天皇の御位におつきになられた。この年がわが国の紀元元年である。その後、崇神天皇は四方に将軍を遣わされ、垂仁天皇は天照大神を伊勢にまつりたてまつり、日本武尊(やまとたけるのみこと)は熊襲(くまそ)や蝦夷(えぞ)を征伐せられ、神功皇后は朝鮮半島の諸国を従えたまい、應神天皇の御代には儒教が伝わり、欽明天皇の御代には仏教が伝わり、推古天皇の御代には聖徳太子が立派な政治をなされ、孝徳天皇の御代には大化の新政が行われ、天智天皇の御代には、都を近江にうつされたけれど、後、まもなくまた大和へ還られた。この長い間を大和時代といい、わが国は、外国の文化を取り入れて、健やかに成長してきた。
奈良時代
元明天皇が平城京(奈良の都)におうつりになってから、凡そ七代七十余年の間は、文化の華の美しく咲き匂うたときで、これを奈良時代という。聖武天皇・光明皇后は篤く仏教を信ぜられ、大きな寺々が沢山つくられた。
平安時代
桓武天皇に居たり、都を山城(やましろ)の平安京にうつされたが、それより凡そ四百年程の間を、平安時代という。その初めの間は、朝廷の御威徳が広く行きわたり、蝦夷も平定せられて皇化に浴したが、中頃から藤原氏の一族が摂政・関白となって政治を運用し、栄華に耽り、その末頃には、世の中が乱れて、保元の乱や平治の乱が起こり、平氏が一時権勢を振るったけれど永くは続かず、やがて源氏に滅ぼされてしまった。
鎌倉時代
源頼朝は平氏を滅ぼして後、征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉に幕府を開いて、七百年にわたる武家政治を開いた。しかし、僅かに三代で亡び、北條氏が執権として勢力を振るった。北條氏には義時・高時のような逆臣もあったが、泰時・時頼のように民政に力を盡したものや、時宗のように元寇を撃破した英雄もあった。
建武中興 及び 吉野時代
武家政治は、わが国体の本義に悖っているから、後醍醐天皇は、天皇親政の正しき御代にひきかえそうと思召され、鎌倉幕府を倒して建武中興を成し遂げられた。しかし足利尊氏が叛いたので、中興の政治は永く続かず、天皇は吉野に幸(みゆき)せられた。それより五十七年の間を吉野時代といっている。楠木正成・同 正行・新田義貞・名和長年・北畠親房・菊池武光などは、この間に出た忠臣である。
室町時代
吉野時代の次に足利義満が京都の室町の幕府で政治を取ってから、凡そ百八十年間を室町時代という。この間は戦乱が多く、中にも應仁の乱後は、天下が麻のように乱れ、群雄が四方に割拠して争ったから、これを戦国時代という。武田信玄・上杉謙信・北條氏康・毛利元就などは、その中でも名高い英雄である。
安土桃山時代
戦国諸雄の中、織田信長は、まず京都に入り、皇室を尊びたてまつり、四方を平定したが、事業半ばにして斃れた。豊臣秀吉は、その後を受けついで全く国内を平定し、更に明国を征伐しようとして兵を朝鮮に出し、国威を海外に輝かした。信長は近江の安土に居り、秀吉は山城の伏見(後の桃山)に居たから、この間を安土桃山時代という。
江戸時代
徳川家康は秀吉の薨(こう)じた後、関原の役で石田三成を斃し、江戸に幕府を開いた。それより十五代二百六十五年の間を江戸時代といい、外国との交際を狭くし、国内は泰平を楽しみ、産業は発達し、学問・芸術は進歩し、国力が養われた。殊に国学や、国史や、儒教や、神道などが学ばれて、天皇を中心にいただくわが国体の本義が明らかになり、その上、諸外国から開国を促され、ついに江戸幕府は倒れ、武家政治が滅びて大政復古となった。
現代
明治維新は現代の黎明(よあけ)であった。それより六十余年の間、明治天皇・大正天皇・今上天皇陛下の御威徳の下にあって、わが国運は隆々として盛(さかん)になり、領土は広まり、富は増し、学問は進み、国威は全世界に発揚された。私共はこの立派な国史を顧みて、ますます忠君報国の心を堅くするのである。
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今の日本史で教えられてる内容との大きな違い、おわかりでしょうか。
ちなみにこの監修者の中村孝也氏は、これでもバリバリの皇国史観とは異なるタイプの歴史学者だったようですが、それでもGHQ占領による保守系教育者の総公職追放により、教壇を去られた一人です。
まずは日本の紀元にかかわる、古代における縄文時代・弥生時代というのはGHQ占領期に唯物的な左翼学者に創作されたデタラメの歴史。「ウソも百回言えば本当になる」を地でいって実現させたのが戦後の歴史教育であるわけで、縄文だの弥生だの、そんな時代は日本には元々存在しないし、縄文人だの弥生人だのは捏造された言葉です。天皇以前に邪馬台国が支配してたなんてのもとんでもない話。神武帝による建国後を大和時代とし、それより前は正しくは“神代”なのです。日本人のルーツ、天皇に関わるこの“神代”を歴史教育に復活させねばなりません。もちろんここの読者は、正しくは「神代なんだよ」って子供たちに教えてあげてくださいね。
また、上の年表には神代における日本武尊(やまとたける)の活躍や神功皇后の朝鮮征伐、朝鮮半島の日本府 任那の滅亡など、今の日本史では教えられなくなった日本書紀や古事記にある事柄についてもしっかり記載されてます。そしてもちろん、年表の通り当時の年号表記はすべて皇紀○○年なのです。これら日本の歴史の基本が、GHQ占領後にすべて書き換えられました。
そして建武中興以後の、今では南北朝時代なんてされてる頃も正しくは「吉野時代」。足利尊氏は後醍醐天皇に叛いた逆賊、足利氏の立てた北朝と呼ばれるところの正当性は存しません。楠木正成・正行の父子、そして新田義貞などの忠臣たちが、日本人の美徳の象徴として、戦前の教育ではとにかく大きく扱われています。
また豊臣秀吉の朝鮮出兵についても、国威を輝かせたものとして触れられてます。
今日は、まずは年表と概略文でしたが、集めた戦前の教材等を引き続きいろいろ公開していくつもりですので、ぜひ保存、周りにも広めてくださいね。いずれも貴重な資料となりますので、その意義は大きいと思ってます。今の日本人がこれまで勉強してきた歴史を見直していく上で、グダグダと文章を並べるよりも具体的資料の提示で反論余地もありませんし、一目瞭然ですから。
今まで学んだものを捨て、真の歴史を勉強しなおしていきましょうね。学習中の方は教科書を捨てるわけにもいかないでしょう……けれどそれらは受験のため、と割り切ってそれらとは全く別の歴史を学んでいく必要があります。
前に比べて少なくなったとはいえ、それでもここにはかなりの方が今でも見に来られてるし、その中に、ある程度の方がおられれば大きな影響及んでいくこともあるかもしれない。命絶えても思いをつないできた日本人のこれまでの歴史、魂を信じて。
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(2016.1.23)
昨日、で紹介しましたが(詳しくは右画像クリック)、明治天皇の信頼が厚く、教育勅語に大きな影響を与えた儒学者 元田永孚(もとだながさね)が明治天皇の勅命を受けて作成した勅撰修身書『幼学綱要』にある、伊企難のエピソード挿絵です。『幼学綱要』については、またいつか詳しく取り上げたいと思ってます。
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(2012.10.23)
ここで紹介の『国語副読本』や戦前の道徳教育『尋常 小学修身書』をずっと子供に読ませてましたが、小学校高学年向けにまで進んでくると、ちょっと一年生には厳しくなってきたので、もっぱら今は『日本人を育む 小学国語読本 低学年用』(詳しくは右写真クリック。高学年用もあります)という本を子供に毎朝、読ませてます。これには日本の昔話から日本神話、平家物語のような古典、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のような近代文学までいろんなお話が収録されていて、しかも全文フリガナ付きなので子供だけで声を出して読み進めることだって出来るし、親にとっても非常にありがたいです。国生みの部分は話がハシ折られて物足りないところもあるのですが、日本神話は他の絵本や本で補足すればよいでしょう。
この本は日本人的な感性を育めそうな材料がいろいろちりばめられていて、平易で短い文章だし、別に小学生に限らず、中高生とかに入門用で読ませるにもなかなかよさそうです。
今日はこの本にある、古代当時の日本と新羅の生々しい関係が伺えるエピソードをご紹介します。
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新羅と戦った古代日本軍の将 【伊企難(いきな)】 (『日本書紀』より)
欽明天皇の二十三年、日本が新羅を攻めた時のことです。
伊企難は大へん勇敢な武士でしたが、不幸にも捕虜となり、新羅の大将の面前に引き立てられました。
「その方、もし褌(ふんどし)をはずし、尻を日本に向けて、日本の大将! わが尻を食らえ! と叫んだら許してつかわそう」
と言われました。伊企難は、
「よろしい! 申しましょう!」
と、早速尻をまくって、新羅の大将の方に尻を向けて、
「新羅の大将! わが尻を食らえ!」
と二度も三度も大声で叫びましたから、伊企難はとうとう殺されてしまいました。
************************************************************* [#n1df54ae]
私は最初、内容も知らず何気なしに子供に読んでもらっていたのですが、話の重さを知って感動のあまり涙がこぼれそうになりました・・・
「いいぞ、いいぞ、偉いぞ、イキナ。これが本物の日本人、日本男児だー! おのれ、憎っくき新羅、朝鮮めー!」って思いでいっぱいに・・・
これこそ本物の歴史、忘れてならない、古代日本人の新羅(今の朝鮮系)への思ひなんですよ!
正史とされる『日本書紀』に記載、こういう凄く大事なことを教えない現代日本の学校教育というのは犯罪的なんですよ。
私も含めてですが、日本人が自国の歴史を知らなさすぎるってこと、思い知りました?
偉大な先人の思ひにつながることが出来ましたか? 日本人は古代史、日本のルーツをシッカリ守りましょう!
(尚、欽明23年は西暦562年、任那(みまな)が新羅に滅された年であり、欽明天皇は最後まで任那復興を夢見ながら亡くなりました。)
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(戻る) (2011.5.14)
古代において、日本は朝鮮半島の一部を領有し、当時の半島にはたくさんの日本人が住んでいました。
古代 日本人が住んでいた日本文化圏といえた地域は日本本土のみならず、朝鮮半島でも日本府 任那(みまな)を中心に、当時の親日国 倭人の支配していた百済にまで及びます。
そして、任那と百済は、当時の大国 唐と朝鮮人の国 新羅の連合軍によって滅ばされ、その後、朝鮮半島は新羅に占領されることとなります。
そして更には、唐・新羅の連合軍が日本本土にまで侵攻してくる恐れがあったため、日本(倭国)を守ろうとした当時の古代日本人の遺跡が九州にはたくさん残っています。
私は九州生まれで、実家の近くには古代日本の外交舞台となっていた広大な大宰府政庁跡はじめ、当時の日本を取り巻く状況を生々しく語る史跡がたくさんあります。もっと古い吉野ヶ里遺跡など、数多くの遺跡も残されてます。
九州に大宰府政庁が置かれたのは7世紀初め(日本書紀)。当時、朝鮮半島内にいた日本人は、唐と手を結んだ新羅の侵略に追い詰められます。白村江の戦い(663年)において、百済・倭国連合軍と唐・新羅連合軍は陸・海に亘って激しい会戦を繰り広げますが、倭国(日本)は敗れ、百済も滅びます。日本は翌664年(天智4年)、筑紫・壱岐・対馬に防人を置き、大宰府から約1.5kmの場所に防衛戦としての土塁、長大な「水城(みずき)」も築きました。
朝鮮半島から命からがら日本本土に逃げ延びた古代日本人は、その後も残忍な唐・新羅連合軍の脅威に怯え、防波堤となる九州にたくさんの防衛線を張ったのです。
古代日本人がシナ・朝鮮人に抱いていた感情、日本人は決して忘れてはなりません。先人の築いた防衛拠点は、後の元寇ではもちろん、そのまま現代日本の国防にも通じているように思えます。
海を渡ってきた日本人を今では渡来人(帰化人)などと呼んで、奴らはすべての文化が朝鮮から渡ってきたような主張をしてますが、もともと渡って来た彼らは朝鮮半島に住んでいた当時の日本人。
奴らは日本のルーツを根こそぎ奪おうとしています。われわれ日本人はそれに対抗するため、日本本土のみならず朝鮮半島内にいた先人たちの残した日本のルーツを守らなければなりません。
朝鮮人を身近に感じる必要はないでしょうが、日本が領有し、多くの古代日本人が住んでいた朝鮮半島を、日本人はもっと身近に感じなければなりません。日本府 任那を歴史教育に復活させましょう。
日本が領有していた朝鮮半島を侵略し、歴史の歪曲・捏造まで図る奴らへ、徹底した対抗意識を持ってください。
やたら朝鮮半島への嫌悪感を持たせ、「朝鮮には手を出すな」と騒いで日本本土と半島の境界意識を煽ろうとするのは、古代日本が半島を領有していた事実から目を逸らさせるための、奴ら朝鮮系エセ右翼の攪乱戦略です。奴らが守ろうとしているのは、日本ではなく朝鮮半島、それにまんまと乗せられないでください。
(続く)
博多の方から太宰府市に入ってまもなく、道路や線路を横切って木立に覆われた丘が続きます。それが664年、唐・新羅の侵攻に備えて築かれた防衛施設 水城、いわば日本版 万里の長城。今も水城跡に咲いては散る“桜花” 、美しい。
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(2016.11.16)
こちらの戦前の歴史学習書をよく見ればおわかりですが、スサノオ尊は朝鮮にも渡っていたことが古事記にはしっかり記されているのです。それほど古代日本人にとって朝鮮半島とは身近な存在だったのです。
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(2013.4.14)
今の日本の学校教育はもちろん、古代史関連を見てると、「朝鮮半島からの渡来人(帰化人)が伝えた」、「仏教が渡来人から伝わった」、「朝鮮からの渡来人が建築技術を伝えた」など、「渡来人が・・・」「帰化人が・・・」「朝鮮から」……ウンザリするほど出てきますが、これら全部デタラメ。
渡来人がー(帰化人がー)、朝鮮から、百済から・・・その種の論説、TV番組、ドラマ、歴史書など、全部朝鮮に買収されたパッパラパー捏造史観です。「朝鮮からの渡来人が・・・」とか言ってたら、「こいつパッパラパーだ」と思ってください。
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(2012.3.3)
まず、奴ら朝鮮人は日本に文化を伝えたのがすべて朝鮮人だと主張してます。しかし、それは全くの間違いで、当時は日本人が朝鮮半島南部に住んでいたのだから、その日本人が今の日本本土に渡って一部の文化を伝えていたにすぎないということ(というより海を隔てた日本人同士で文化交流していた)。任那をはじめとする古代の朝鮮半島南部は当時の日本(倭国)の領土だったわけで、住んでいたのも日本人。任那はもちろん、百済だって日本文化圏でした。
あの一帯では日本にしかない前方後円墳がたくさん見つかってるんですよ。
朝鮮半島南部に日本人が住んでいた状態は、白村江の戦い(663年)で、日本(倭国)が唐・新羅軍に敗れるまで続いていました。
社会科(歴史)で「帰化人(渡来人)が文化を伝えた」なんて習ってきたもの、実は朝鮮半島に住んでいた日本人が本土に渡ってきたにすぎません。それを帰化人・渡来人なんて教えていたところが、そもそもの大間違いなんです。
今の英国のように、海を隔てたアイルランド北部もイギリス領であって、住んでるのも当然イギリス人であるのと同じ。発想を転換してくださいね。
古代では朝鮮半島の一部は日本であり、もちろん住んでるのも日本人だった。要するに古代日本人は、海の向こうも日本だという認識だったんです。
このことを広め、子供たちにも教えてあげていってください。これだけで、日本文化はすべて朝鮮由来だとする奴らの暴論だってすべて論破できます。
だから日本版レコンキスタ、いわゆる国土回復運動というものをするとするなら、当時の朝鮮半島南部の倭国領(任那)だった地域に住む今の朝鮮人にはとっとと出てってもらって、その一帯は日本に帰してもらうべきと主張するぐらいが、歴史を顧みた、本来あるべき日本人の主張といえるでしょう。それが奴ら朝鮮人に占領され、すべてを強奪された、朝鮮半島に住んでいた偉大な日本の先人たちの気持ちに立ったものであるはず。
日本人ご先祖様の悔しい無念な思いを偲び、これに関する一連のエントリーを読まれた上で、皆様によく考えていただきたいです。
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(2011.5.6) (始めから)
朝鮮半島の一部を古代 日本が領有していた歴史的事実(任那)、もっと国内外で主張し、広めなければなりません。
日本人と朝鮮人を同化させる気なんてサラサラありませんが、保守や右翼を装ってる人たちに「そもそも朝鮮半島なんかを併合したのが間違いだった!」等、やたら朝鮮人との区別意識や朝鮮半島との境界意識を持たせて騒いでる連中がネット上にとても多いことに、大変な違和感を覚えます。
大日本帝国を肯定的に見る日本人なら、半島を併合したのが間違いだったとか、そういう発想はあまりしないはず。「アメリカと戦争したのが間違いだった」といった発想はしても、「朝鮮併合が間違いだった」とかいう発想、日本人なら普通するでしょうか? 台湾は吸収してよかったが、朝鮮はすべきでなかった・・・こんな風な発想する連中って、ちょっと奇異に感じませんか?
「朝鮮に関わるな!」等、熱心に福沢諭吉や本田総一郎らの話まで持ち出して無闇やたらと騒ぎ立てる人々からは、古代日本が朝鮮半島を領有していた歴史的事実から遠ざけようとしているフシが感ぜられます。奴らは朝鮮系右翼なんですから、表向き日本を守るフリして、実は奴らが守ってるのは朝鮮人や朝鮮半島。奴らは日本へガンガン手を出してるのに、日本人には「朝鮮へ手を出すな!」、奴らの思惑通り日本人が半島に全く手を出そうとしないのなら、それで喜ぶのは、日本人より寧ろ半島人の方ですよね。
確かに本田氏の言う通り、パクりが得意な朝鮮人ですから、奴らへの工業技術等の供与には最大限注意を払うべきですが、本気で朝鮮とは一切関わるな、朝鮮には手を出すなと思ってる日本人がおられるなら、奴らの術中に嵌ってマインド・コントロールされてる可能性が高いと思ってください。
奴ら朝鮮人は、日本をわがものにしようとしていて、実際にそれが既に現実化しつつある最中。対するやられっぱなしの日本人の方には「朝鮮人とは関わるな!」では、やっぱりおかしいのです。逆に奴らとどう対処するか、シッカリ考えなければならないはず。
確かに朝鮮とは関わらない方がいい部分もあるでしょうが、少なくとも私は、乗っ取られた竹島のような事例があれば、諍いを恐れず、ただちに「韓国に戦争を仕掛けてでも取り返せ!」と思うのが、まっとうな日本人の感覚だと思います。
日本人は朝鮮にもっと入り込んでいき(再び併合するとかそんなことでなく)、本来、日本人が半島を手中、配下に収めなければならないのに、今は全く逆の窮地に陥ってますよね。戦争で負けたわけでなくとも、これは完璧な敗北なんです。
尚、古代当時の朝鮮は、西側の中国人と半島にまで勢力を持つ東側の日本人のせめぎ合いの影響下にありました。
朝鮮から日本に技術が渡ってきたなんてのは、筋違いで、当時から日本本土に加えて朝鮮半島の一部を日本は領有してました。
だから朝鮮半島から技術が伝わったどころか、むしろ日本の方が当時の半島に中国と並んで文化的な影響を与えていたということ。
それゆえ朝鮮に残っている文化のルーツは日本にあるものの方が多いわけで、事実は奴らの主張とは正反対。
朝鮮半島内にあった親日国 百済の最古の寺院仏閣は6世紀からで、日本における仏教文化の起こりはじめも、ほぼ同時期で大差ありません。
平成に入ってから特に1990年代以降、国内の殆どの中学・高校で朝鮮半島にあった日本府 任那が教えられなくなったのではないかと思います。
恐らく30代半ば以下の方だと、朝鮮半島に日本府 任那があったなんて、知らない人ばかりではないでしょうか?
古代 東アジアには日中の二大文化圏があった
左の図は五世紀中ごろの日本(倭国)と朝鮮半島(任那は日本領)。画像クリックで当時の周辺地域や年表が見れます。
朝鮮人はもちろん戦後教育を受けた日本人は、東アジアの歴史観を概ね中国一極で見てしまいます。地政学的に日本より中国に近い朝鮮経由ですべてが日本に伝わったと奴らは主張してくるわけですが、古代の東アジアの実態は全く異なり、実際は当時から中国と日本の強大な二国が存在していたということ。朝鮮は、高度な文明を持った日中両国の間にあったにすぎず、朝鮮人は古代からその二国の影響下にあったわけです。百済だって日系人の支配した国。
奴らがよく言う、「渡来人が」、「渡来人から」日本に伝えられたとか言う話も、実は朝鮮半島に住んでいた日本人から伝わってきたにすぎません。だから“渡来人”という言葉だって、奴らの洗脳工作の一環と思ってください。
古代における日本を取り巻く環境、発想を転換しましょう。古代から東アジアには中国文化圏と日本文化圏が存在していて、当時から日本は大国だったということ。文化は朝鮮人から伝わったのでなく、日本本土および朝鮮半島南部の領域一帯に住む日本人が既に古代から高度な文明を持っていたということです。
だから先祖を大切にしなさいと、よく言われるんですよ。先祖、そしてルーツを大切にしましょう。守るべきはルーツです。
奴らは日本をルーツ丸ごと奪おうとしているのに、こっちはそこに目がいかず、こんなにすごい日本人がいたとか言っては、触れるのは近代の枝葉末節的なところばかり。もちろん、近代~戦後の話も大切ではありますが、もっとルーツに目を向けないようでは、それだけで日本人は、奴らの戦略に完全に負けてるんです。奴らの攪乱戦法の術中に嵌ってるわけ。
日本人なら先祖を大切に。そしてルーツを守ってください! (続く)
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(2015.2.5)
ナチス映画『意志の勝利』と、マイケル・ジャクソン『ヒストリー』PVの比較映像
Triumph of the Will & History Nazi films & Micheal Jackson
ヒトラーに共感を示したデヴィッド・ボウイがかつて冷遇されていたことにココで触れましたが、ボウイに限らず、マイケル・ジャクソンも、内心ではヒトラーへの大変な崇敬の思いを抱いていたのでしょう。
『意志の勝利』(1934・詳しくは右画像クリック)は、女優出身の女流監督 レニ・リーフェンシュタールが、彼女の映画に感銘を受けたヒトラーの依頼を受けて制作した、第6回ナチス党大会の記録映画。整然とした美しい行進、隊列の映像美は海外でも高く評価され、1935年のヴェネツィア・ビエンナーレでは金メダル、1937年のパリ万博でグランプリを獲得している(もちろんこの評価は戦後さんざんなものとされ、リーフェンシュタールも犯罪者同然の扱いを受ける)。
デヴィッド・ボウイやマイケル・ジャクソンに限らず、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーもこの映画を熱心に見ていたという。このビデオの最後に「ボクはユダヤの社会の中で生きている」と言うマイケル、その本心はどこにあるでしょうね。
リーフェンシュタールは、多くの日本人選手も登場するベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア(民族の祭典/美の祭典)』(1938)も監督し、これも後のドキュメンタリーに多大な影響を与えた傑作とされています(詳しくは右画像クリック)。
『意志の勝利』には、後に作られた冷酷で滑稽な独裁者のイメージのヒトラーではなく、とてもカッコいいヒトラーがいます。ヒトラーと言われただけで、独裁だの軍国だのファシズムだの、そんな発想しか思いつかなくさせられてることこそ洗脳の極み。
ヒトラーを持ち出しただけで、とたんにチョビ髭とチャップリンのようなコミカルな振舞を見せてヒトラーを貶めたり、ヒトラーの演説に熱狂する民衆が危険なもののように見せる、奴らのプロパガンダ手法の繰り返し。
欧米では日本でフェミ批判がタブー視されてるのと同じく、ヒトラーを擁護しただけで社会的に抹殺されます。なぜ奴らがこれほど必死になってマスコミらと全力を挙げて社会的、世界的な統制をかけているのか、よく考えてみましょう。
もちろん、ヒトラーのやったことはいいことばかりではないだろうけど、ヒトラーの真実に触れさせないため、世界的にいったいどれだけの圧力がかけられているとお思いですか?
デヴィッド・ボウイやマイケル・ジャクソンのような天才たちと同じように、一度でもいいからそこのところをよく考えていただきたいものです。
亡きマイケルと同じように、貴方も一度、ヒトラーと真剣に対話してみませんか!?
デヴィッド・ボウイ 『ブルー・ジーン』(1984)
Blue Jean - David Bowie 詳しくは右画像クリック
世界的に成功した『レッツ・ダンス』直後の大ヒット曲。グラム・ロックと呼ばれていた初期のボウイを彷彿させる派手なファッションと、ただのPVに収まらない二役のボウイによる面白いストーリーが展開されます。ボウイの研ぎ澄まされた美意識は、ナチスの映画の影響あってこそでしょう。
チャールズ・チャップリン 『独裁者』より 「床屋のヒゲ剃り」
The Great Dictator (1940) 詳しくは右画像クリック
ブラームス ハンバリー舞曲第5番が使用された、この有名なシーンはヒトラーと関係ありませんが、当時の米国はまだ参戦していなかったにも関わらず、ユダヤ人であるチャップリンがヒトラーを“独裁者”としてコケにしたプロパガンダ映画。ユダヤ、米国の激しい反ヒトラー/ナチス・キャンペーンはこの頃から始まる。日本を挑発して戦争を仕組んだルーズベルトももちろんユダヤ人。チャップリン初のトーキー映画だが、当時のドイツと友好関係にあった日本では戦後1960年まで公開されなかった。
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(2016.1.13)
デヴィッド・ボウイも亡くなり(ハフィントン・ポスト 2016.1.12)、かつてのポピュラーミュージックの大御所たちがどんどん消えていく21世紀。マスコミ ゴリ押しによるものでなく、“本物”であった彼らがいなくなったあと、残るのはナリフリ構わず必死になって、貧相なクズ芸術で金儲けに奔走する屑マスコミや音楽産業だけになっていきます。有害なマスコミが「流行りだ」と垂れ流すものでなく、古典などとにかく過去のものに目を向けていきましょう。
『ダンシング・イン・ザ・ストリート』 詳しくは右画像クリック
Dancing In The Street - David Bowie & Mick Jagger(1985)
出演もしたチャリティコンサート LIVE AID(1985)でミック・ジャガーと共演のこのPVが初公開されて大ヒットしたカバー曲。ボウイ 38歳、ミック 41歳、ファンでさえも老いてきたと思ってた当時のボウイの元気な姿が見れて、世界中のファンには大変なプレゼントになったと思います。オリジナルはマーサ&ザ・バンデラス(1964・視聴はコチラ)。
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秋篠宮家 眞子様のご結婚が話題ですが、お相手 小室圭さんの顔への個人的な好き嫌いなど思うことはいろいろありますが、眞子内親王殿下ご本人がこの結婚で幸せを目指されるというなら別にそれはかまいません。ただ、それよりかねてからの不安材料……そもそも今の秋篠宮家として出て来られてる人々というのは本物なのか…… 東宮の愛子様の明らかなニセモノが出回ってることを考えると、荒唐無稽と思われようが、本物の秋篠宮家は拉致されていて、今出てきている人々はすべてニセモノだってことは大いにあり得るわけで。秋篠宮家スリ替わり説、ネットにはいろいろと出回ってますが、以下のこと、信じようと信じまいが、ご自身の感性だけでご判断を。
秋篠宮殿下は元々とても品のいいお顔立ちで、その高貴なオーラととっても印象的な大きな目をお持ちでしたのに、少し前に「天皇にも定年制が必要だ」という発言をされたり、佳子様のICUに入られてからのアイドル風の写真が出回ったりしたあたりから、なんだかおかしな雰囲気になってきた。学習院が左翼に乗っ取られているのは理解できますが、だからといってミッション系のICUなんかに入ったのを手放しで喜んで持ち上げてるなんてのは明らかにおかしいし、ICUに行ったことで佳子様を持ち上げてたネットのその辺にウジャウジャいる連中というのはアッチ系か、少なくともまともな日本人じゃない。
現 秋篠宮殿下、一家はニセモノ!? その変わり果てたお姿
右の比較写真なんか見ればよくわかりますが、かつての秋篠宮様は白髪がとてもお似合いでしたが、今出てきてる秋篠宮様はその髪が黒く染められ、顔立ちから雰囲気までまるで別人のよう。そしてこの人には、あの豊かだった表情も魅力的な目もない。とても似合ってた白髪だったのにわざわざそれを染めるのもおかしいし、染めたなら根元だけは白髪がすぐに生えてくるはずなのに、それが全然見えない……これは染めたのではなく、もともと地毛が黒い人物としか思えないし、であれば今の秋篠宮殿下として登場してる人物は本人ではない。ここで縄文文化を見に行った秋篠宮家と称する一家というのも恐らくまるごとニセモノなのでしょうし、「カワイー!」と出回ってた、ICUに行ってるという佳子様のアイドル風写真もニセモノ。尚、昔の私は人からの邪気や霊性を感じることなんてまるで出来ませんでしたが、今ではそういうのも現実の人々や写真から感じることが出来るようになりました(と、思い込んでる)。
私は顔の専門家でもなんでもないので科学的な見地から言うつもりもないし、単なる直感ですが、前から見た顔というのは整形とかで似せることは出来るけど、横から見た顔というのはそれが難しいのではないかと思う。つい先日の大法要での写真、秋篠宮とされる人の横顔を見て頂きたい。特にニセモノだと確信できたのが下右の写真(クリックで拡大)。秋篠宮様の横顔って、絶対こんなんではなかった! そう思いません? 私には明らかに別人にしか見えない。横顔が似てる人ってのは結構よくいて、横から見たら知る人に似てても、前から見たら全然違う人だったってケースは皆様にもよくあることだと思いますが、横顔からしてそれまであったイメージと全然違うというのであれば、もはや本人ではないとしか考えられない。であれば、もちろんこの同席の紀子妃殿下もニセモノ。
とにかく今、秋篠宮として出てきてる人物というのは、この頃の秋篠宮様とはまったくの別人です。今のカルト政府なら拉致なんて何の罪悪感もなしにやってみせることでしょう。ご本人たちはいずこ…… 悠仁様も暗殺され、まるごと皇室がスリ替えられることも、今の凶悪カルトに乗っ取られた政府ならやりかねない! (手遅れでないなら)早く救い出さなきゃ大変!!
ちなみに私自身、元から髪がキレイだったことでは自信あったけど、一時ブロンドに染めてたこともありましたが今はもちろん染めてないし、実は歳の割に白髪がかなり多くなってしまったのですが、それでもその白髪が私には似合ってる感じもあるので一切染めていません。
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(2016.9.15)
悠仁さま、縄文文化を体験 秋篠宮ご夫妻と新潟訪問
ここの読者でしたら、この光景がどれだけ恐ろしいものであるかおわかりでしょう。見るもおぞましい、身震いされるほど。
戦前なら処罰ものの逆賊共産主義史観に過ぎなかった、(神武天皇なんかいないとする)皇統否定の縄文・弥生等の現代日本のデタラメ歴史学。
秋篠宮家、うちの子と同じ10歳になられました悠仁殿下ですが、朝日新聞の左翼教育に先導されて何をやられてるのでしょう。
悠仁様、「これが縄文土器かぁ」なんて言ってる場合ではないのです。神武帝建国までの時代、正しくは神代です。縄文時代や弥生時代なんて左翼の捏造語。邪馬台国だの卑弥呼だのも。
古事記・日本神話否定、捏造の縄文・弥生文化とされる物なんかに殿下がお触れに……(絶句) もはや今の天皇、ご皇族の方々というのは、神武帝により日本が建国されたことすらお忘れなのでしょうか。そうであるなら、もはや救いようないほどゆゆしき事態です。自分が何者であるかすら忘れ去られてる。フランス革命で幼くして死んだ(殺された)ルイ十七世、その末期は、劣悪な環境が続き、自分が王子、事実上の王であることすら忘れ去っていた状況でもありました。悠仁様がそんな暗愚に……
既に天皇家、皇室の周りはアッチ系ばかり。政界がそうなってるのだから当前ですね。政府にしろ宮内庁にしろ売国奴や左翼でいっぱい。陛下の取り巻きも、およそ本来の日本人の歴史観など持ちもしない左翼洗脳集団しかいません。そんな反日売国奴に取り囲まれた皇室の現状、何の人事権も持たず、大切な皇子達への自前教育すら施せない今の陛下……
一刻も早く陛下を取り戻さないと、このままでは大変なことになっていきます。
誰かが陛下に国難を伝え、ろくでもない取り巻きから取り返し、陛下を覚醒させねばなりません。これを放置しておくのは、皇室がアッチ系や左翼の象徴として利用されていくだけです。今の皇室というのは、実は囚人同様の飼い殺し状態なのです。公務だ慰問だなどと、しょうもない用事ばかり作ってアチコチ連れ回し、その様子をひけらかし愛国ぶって「天皇陛下万歳」なんて騒いでる連中にこそ、本物の左翼が潜んでいます。「打倒 天皇制!」なんて騒いでる連中は攪乱用の劇団左翼であり、本体は別にいます。共産党がダミーで第一共産党こそ自民党であるように。
既にアッチ系に取り囲まれ身動き取れない状態の陛下と皇室、いつ梯子を外されて殺されても不思議ない状況。
今の政府や法律なんて、全部デタラメに設立された悪しきまがい物ばかり。本物の保守派、右翼なら、陛下を取り返し、陛下の権威を守り、日本を建国しなおすことにより、真の保守革命が実現できるのです。腐りきった舶来民主主義、選挙ごっこ、象徴天皇制なんて捨てましょう。陛下を奪取し、こちらこそ正当な日本国であることを宣言、もちろん今の日本国憲法だって政府も軍隊も警察も無効宣言、陛下の元に集まってこそ有効なものとする。今の日本人は忘れてますが、歴史的に見ても、陛下を取り込んで陛下の支持を得た方が、官軍で正当なのです。旧幕府にしろ現行政府にしろ、陛下の勅命一つで、官軍にも賊軍にもなしえることが出来る、これこそ日本の歴史、皇紀二千七百年の伝統に基づいた本物の考え方です。この発想が今の日本人にはまず出来ない。陛下が「政府を討て」「自衛隊を討て」「警察を討て」……この言葉一つで現政権は賊軍になるのです。
反発者は国を割ろうとするでしょう。でも、すめらぎの国を愛する日本人なら、どっちに行くかは決まりきったことでしょう。
そういう意味で、この域に三島由紀夫は到達してなかったわけで、彼は自衛隊なんかにクーデター促すのでなく、皇居に参じて陛下へ直談判で、政権打倒の勅命下さいと申し出るべきだったのです。帝(みかど)の勅命さえ賜れば、三島らは一人でも官軍。三島がその行動なし、遂げられず腹切れば、日本人も陛下もその時、覚醒出来てたかもしれませんのに。
三島は自衛隊なんかでなく、皇居へ行き
「陛下、お救いに参りました」
「朕は別に囚われてはおらぬぞ」
「何を仰せられます。陛下は反日売国奴に取り囲まれ、いつ殺されても不思議ない状況なのですよ。それに今の日本は宮内庁はおろか、政府も役人も裁判所も警察も……どこもかしこも反日左翼や外国人に乗っ取られて大変な状況なのでございます。皇紀二千六百年、未曽有の国難に窮した今こそ、陛下のお力が必要なのです。何としてもお連れさせていただきます。来ないならここで腹を切ります。」
せっかくの命、どうせなら、こんな風に命がけで陛下を取り戻しにいくべきだったのです。
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(2012.8.7)
あの戦争について、日本が幕末から続いた『百年戦争』を戦ってきた帰結であるという考え方があって、これは『大東亜戦争肯定論』(1964・林房雄)という著作が元になってます。
【欧米・白人 対 アジアの日本一極】、宿命的ともいえる百年戦争という概念、これには私も大いに賛同できるのですが、この本では、よくある保守風・右派風サイトにあるように日本がアジアや有色人種解放のため戦ったのだとして、あの戦争を肯定的にとらえてる側面があります。短絡的な右派が、他のアジア諸国などに日本が感謝されてるからと日本マンセーになってしまう論拠になってるわけで、そこは私と大いに異なります。
あの戦争は明治維新の頃から始まっていた百年戦争の帰結。
しかし100年前から日本が世界の一角を占めるほど強大化することまで白人たちが予測していたかというとそれは違うと思うし、日本人が力を持てたのは日本人自身の手によるものであり、日本があそこまで大きくなって扱いにくくなってしまったのは、白人たちにとってもやっぱり誤算だったのでしょう。
日本人の中には、戦前から日本人は既に白人たちと同等で彼らの仲間入りしてると勘違いしてた人が多そうですが、やはりそれは間違ってると思うし、決して白人たちは今だって日本人を仲間とは見なしていないと思います。
物議を醸しそうだけど、いつかはやってみたかった調査(投票)があります。
もしも日本が先に原爆を開発していたなら、米国へ原爆投下することに日本人がどう判断していたか。
左翼や反米的な右派層はアメリカの原爆投下を非難するわけでしょうが、当時は日本でも原爆開発をやっていて、日本の原爆研究費は当時の金額で約2000万円。
アメリカのマンハッタン計画(原爆開発)では約12万人の科学者・技術者が動員され、加えて約22億ドル(約103億4千万円、当時の1ドル=4.7円)が投入されてました。要するに3桁違ってたってこと。
もしも日本が米国より先に原爆完成してたら、どうすべきと思う?
あの戦争については開戦したこと自体が負けに等しかったのでしょう。
よく言われるように、追い込まれた日本は本当にやむなく開戦するしかなかったのか。
勝つか負けるかでなく、たとえ勝てなくとも負けないための策が何かなかったか・・・石油が禁輸されたからとかよく言われるけど、そうされない策を日本が取れなかったのはやはり(外交上の)失敗が存在していたからとも言えるわけで、2・26事件で殺された高橋是清が生きていれば、戦争は、米国との開戦は避けられたと思うし。
だからといって戦争となったからには何としても勝たなきゃいけなかったわけで、そんな中で、もしも日本が戦争中に原爆を先に開発していたというなら、もちろん私は躊躇なく、アメリカが降伏するまで原爆を落としまくることに賛同したように思います。
そうなるとアメリカ人が多数死んでしまってたわけだけど、それは日本を守るためやむなしと考えるだろうし、それは私が世界市民でなく、やっぱり日本人だからであって、逆に私がアメリカ人に生まれていたなら日本が降伏するまで原爆を落としまくれと、もちろん当時の状況ならなっていたよう感じます。
現実には2発の原爆をアメリカに落とされて日本は降伏したわけですが、アメリカに徹底的にやり返せるものならやり返したい・・・だけどそれをやっても死んだ者が戻るわけでもなく、きっと空しいだろう・・・そういう当時の日本人の決して一筋縄ではいかない複雑な心情、『サイボーグ009』のこの作品などに非常によく表れてます。
「米国の空襲や原爆投下は国際法違反だ!」、「ソ連は条約を破った!」とか安っぽいヒューマニズム掲げるのでなく、大体、生きるか死ぬかの戦争やってる中で道理を求めるというのもナンセンス。
国際法だの条約だのそんなものを信用して、中途半端な日本的な道徳意識から抜け切れられず、価値観の異なる外国人、世界相手にそんな甘っちょろいこと言ってるから、欧米・アングロサクソンに敗北したともいえるわけで(詳しくはマキアベリズムをご参照)。
生きるか死ぬか・・・死ぬというのは命だけあれば、国だけあればいいというのでなく、伝統や文化を殺されるのも民族として死に等しいわけ。
日本は空襲や原爆投下こそされたけど本土侵攻まではされなかった。ドイツなんかは首都ベルリンの中枢部まで戦車が侵攻し、それこそ街は壊滅、貴重な文化遺産だって全滅、略奪され、女子供は蹂躙されていった。当時のドイツの惨状はロッセリーニのネオ・リアリスモ三部作を締めくくる、実際に戦後廃墟と化していたベルリンをロケに撮られた映画『ドイツ零年』(1948)なんか見れば痛々しくてならないし(ドキュメンタリータッチだがフィクション)、あんなのに比べれば日本はまだマシだったのかもしれないとさえ思えるくらい。
あと、日本人が有色人種だから原爆を落とされたという説もあるけど、ドイツ降伏時はアメリカでもまだ原爆が完成していなかったわけで、もちろんドイツだって細々と原爆開発はやっていたし、もしもアメリカがもっと早く原爆を開発していたら、当然ドイツに落としていたと私は思う。もともと米英は、ドイツに先んじられるのを恐れて原爆開発を急いでもいたわけで。