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漢委奴国王(Historical)

九州王朝(Historical)

2.委奴国王

志賀島の印はその出土地点・印文(「委奴国王」)から、かつて博多湾岸に存在した奴国王が、後漢の光武帝から建武中二年(57)に授与されたものとされてきた。しかし、この「委奴国王」の印文の読み(「の委(わ)の奴(な)の国王」と三段に区切る読み方)は正しくない。中国古代の印文を検証すると、そのルールは以下のようだ。

   漢帰義胡長銅印駝鈕、大谷大学禿庵文庫現蔵『中国古印図録』(以下「大谷大学現蔵」と略す)
   魏烏丸率善佰長二百蘭亭斉古印収蔵
   魏鮮卑率善仟長銅印駝鈕、大谷大学現蔵
   晋匈奴率善佰長銅印駝鈕、大谷大学現蔵
   晋烏丸帰義侯銅印駝鈕、大谷大学現蔵
   晋帰義羌王銅印塗金兎鈕、常延年『集古印譜』

これらを見れば、明らかに、「二段国名」である。つまり、「授与する側(中国側国号)+授与される側(部族名)」である。中国の天子が夷蛮の長に印を与えるというのは、与える側()と与えられる側(夷蛮の長)の二者の直接の統属関係を示すものだから、これは当然である。したがって、志賀島の印を「の委の奴の国王」などと三段に区切って読むのは正しくない。ただ、このような例は有る。

   漢匈奴悪適尸逐王銅印駝鈕、大谷大学現蔵

これは、「匈奴の悪適尸逐の王」と三段に見える。だが、実際は、「悪適尸逐王」という匈奴の王号であって、三段国名ではない。また、かりにこれを「三段国名」と見なしても、この印は銅印である。銅印は中小国家の王や夷蛮の小君長などに与えられる。(それらも、この例以外は二段国名である)一方、印はそれより格上、夷蛮の地域の中心的王者(と中国側が見なした者)に与えられる。だから、印は特に、AのBのCなどという三段服属の国に与えられるような代物ではないのである。したがって、志賀島の印はやはり、二段国名である。また、『漢書』に王莽のの時代の用例が有る。

   故印文曰く『匈奴単于璽』と。莽更えて曰く『新匈奴単于章』漢書、匈奴伝

かつて、匈奴を兄弟国と扱い、印文には「」を冠しなかった。統属関係を表現しない為だ。そして、「璽」という最高の印を送った。これに対し、王莽は、「」を冠した上、「璽」を「章」に代えた。これによって、匈奴との確執が生じたと言う。

   新匈奴単于章新・王莽
   漢委奴国王漢・光武帝

光武帝は王莽と同じく「」を冠した。統属関係を明らかにする為だ。その一方、匈奴との間で問題になった「章」字はカットしたものと思われる。光武帝の印は印だから、人たちの国を統括する王者に、その印を与えたと見なすほかない。この匈奴と委奴には共通点と違点が有る。

   「匈奴」は漢や新にとって夷蛮中最大の存在だった。これと比肩する形で「委奴」の国王と記されている。
   「倭人百余国」の大部族の長として遇せられているのだ。(共通点)
   「匈奴」は漢や新にとって、友好的というよりも、脅威となるべき最大の敵だった。「匈」(たけだけしい)の字面はまさにその性格をあらわした文字である。一方、「委奴」ははじめから漢に服属してきた。漢にとってはもっとも友好的な一大部族である。「委」(従順な)という字面はその性格をあらわしている。中国の北と東に位置する両部族は漢にとって対照的な位置を占めていたのである。(相違点)

「委奴」を「いと」と読み、人伝の「伊都」に当てる説がある。だが、これは人伝の以下の記述から不可だ。

   伊都国…世世王有るも、皆女王国に統属す

伊都国王は、代々女王国に服属してきたのである。(A属Bは常に「AがBに属す」の意味である)人伝の冒頭で

   倭人…山島に依りて国邑を為す。旧百余国。漢の時朝見する者有り。今、使訳通ずる所三十国。

と言っているが、この「の時朝見する者有り」とは、具体的には「光武帝の印授与」(57)と「倭国王帥升」(157)である。旧-今は、当然代(以前)から代であり、「世世」と言った場合、この各時代を含む、と見なさざるを得ない。当然、伊都国は代も邪馬壹国に服属してきたのである。「委の奴国王」読みも、人伝により否定される。人伝には

   女王
   伊都国王
   狗奴国王

の三人の王しか記されていない。「奴国王」など存在しないのである。

以上によって得られる帰結は以下である。

   金印の印文は「漢の委奴の国王」という二段読みしかない。
   「委奴」を「伊都」と見なすことは出来ない。魏志倭人伝による限り、「伊都」が一世紀は中心国だったという痕跡は認められないからだ。
   「委奴」を「やまと」と見なすことは出来ない。出土地点が志賀島だからだ。
   「委奴」は「倭人」の意味である。それは、博多湾岸の王者を倭人の長と見なして、光武帝が与えたものだ。その直接の後身は「卑弥呼の女王国」である。