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西・南アジア史(年表)

西・南アジア史(年表) にしみなみあじあしねんぴょう
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西・南アジア史(年表)
にしみなみあじあしねんぴょう

BC6750ころ北イラクで最初の村落文化(ジャルモ文化)
BC3500ころ最古の絵文字出現
BC3000ころシュメール都市文明誕生
BC2800ころシュメール初期王朝時代に入る
BC2500ころウルなど繁栄
BC2350ころラガシュのウルカギナの社会改革
BC2350ころサルゴン1世、アッカド王朝創始
BC2350~1700インドでインダス文明生、展。インダス川流域のハラッパー、モヘンジョ・ダーロを代表とする都市文明が栄え、インド西岸を下って、グジャラート地方にまで影響が及んだ。前2000紀中ごろ急速に滅亡
BC2060ころウルナンムがウル第3王朝を創始、ウルのジッグラト再建
BC1830ころバビロン第1王朝始まる
BC1792ハムラビ即位(~前1750)。バビロニアを統一、ハムラビ法典
BC1750エジプト第二中間期に入る
BC1630ころヒッタイトのハットゥシリ1世、ハットゥシャに建都
BC1530ころバビロン第1王朝滅亡
BC1500ころアーリア人、インドのパンジャーブ地方に進出、牧畜、農業を主とした生活を営む
BC1490ころトゥトメス3世アジア遠征
BC1200ころインドで『リグ・ベーダ』その他のベーダ
BC1180ころヒッタイト帝国滅亡
BC1010ころフェニキア都市繁栄
BC1000ころダビデがイスラエル王になる
BC1000ころアーリア人、インドのガンジス川上流ヒマラヤ山脈麓の地に進出し、開拓を始める
BC1000ころインドで鉄器の使用始まる
BC1000ころインドで灰色彩文土器の使用
BC928イスラエル王国、南北に分裂
BC800ころインドでブラーフマナ文献
BC735ころエクバタナにメディア
BC721イスラエル王国滅亡
BC721アッシリアのサルゴン2世即位(~前705)
BC700ころアケメネス家ペルシアに興る
BC671アッシリア軍エジプトへ侵入
BC625ナボポラサル、バビロンにバビロニア帝国を興す
BC612メディア・バビロニア連合軍ニネベを破壊
BC610アッシリア帝国滅亡
BC605カルケミシェの戦いでバビロニア軍、エジプト軍を破る
BC605バビロニアのネブカドネザル2世即位(~前562)、バビロンの繁栄。イシュタル門、空中庭園、ジッグラトの建設
BC600ころインドのガンジス川・ジャムナ川両流域に多数の部族国家が分立。マガダ国、コーサラ国が特に強盛となる。コーサラ国王はプラセーナジット
BC597ネブカドネザル2世エルサレム攻撃(第一次バビロン捕囚)
BC586ユダ王国滅亡(第二次バビロン捕囚)
BC559ペルシア王キロス2世即位(~前529)
BC545ころこのころ仏教の祖釈迦、ジャイナ教の祖マハービーラらが出て、しい宗教活動活化。ビンビサーラ王も仏教に帰依したと伝えられる
BC543ころインド、マガダ国のビンビサーラ王即位(~前491ころ)、ラージャグリハに都す
BC539キロス2世ナボニドスを討ちバビロニア滅亡。ペルシア帝国
BC525ペルシアのカンビセス2世、エジプトを征服。エジプト第27王朝始まる
BC522ペルシアのダリウス1世即位(~前486)。首都ペルセポリスの建設に着手
BC500ころインドでウパニシャッド文献
BC491ころマガダ国のアジャータシャトル王即位(~前459ころ)し、コーサラ国その他を滅ぼし、ガンジス川流域地方を統一
BC450アテネのペリクレス、ペルシアと和す(カリアスの和約)
BC401ペルシアのアルタクセルクセス2世の弟、小キロスの反乱。クナクサの戦いで破れ、ギリシア人の「一万人の退却」行われる(アナバシス)
BC359アルタクセルクセス3世即位(~前338)。国威一次回復
BC341アルタクセルクセス3世、エジプト征服
BC333アレクサンドロス大王、イッソスの戦いでペルシアのダリウス3世を敗走せしめる
BC332アレクサンドロス大王、エジプトを征服
BC331ガウガメラの戦いでアレクサンドロス大王に敗れ、ペルシア帝国滅亡
BC327マケドニア王国のアレクサンドロス大王、インダス川流域地方に侵入(~前325)
このころガンジス川流域のマガダ国ではナンダ朝のダナ・ナンダ支配
BC317ころチャンドラグプタ、マガダ国のナンダ朝を倒しマウリヤ朝を創始。パンジャーブ地方からマケドニアの残存勢力も駆逐
このころマウリヤ朝宰カウティリヤの『アルタ・シャーストラ』
このころセレウコス朝(シリア王国)の使者メガステネスの『インド誌』
BC312セレウコス朝立(~前64)
BC301イプソスの戦いでセレウコス1世がアンティゴノス1世を破る
BC274プトレマイオス2世シリアと争い、フェニキア、小アジア沿岸を獲得(~前271)(第一次シリア戦争)
BC268ころマウリヤ朝のアショカ王即位(~前232ころ)、マウリヤ朝の最盛期。アショカ王、摩崖法勅を王国辺境の各地に刻ませる。また石柱法勅を北インド各地に建てる。西北はカンダハール、西はグジャラートのギルナール、東はオリッサ、南はカルナータカのブラフマギリに及ぶ。半島南端にはチョーラ朝などの王国が存在
BC260第二次シリア戦争(~前255)
BC256バクトリア王国(大夏)独立
BC250ころペロッソス『バビロニア誌』
BC247イランでアルサケス1世、パルティアを興す
BC246第三次シリア戦争(~前241)。プトレマイオス3世、メソポタミアを征服
BC220第四次シリア戦争(~前217)
BC202第五次シリア戦争(~前200)で、プトレマイオス朝、シリア、パレスチナを失う
BC188アンティオコス3世、ローマに敗北、小アジアを失う
BC185ころマウリヤ朝の部将プッシャミトラ、マウリヤ朝を倒してシュンガ朝を創始
BC185ころマトゥラ、ウジャインなどの各地に独立の王国
BC175ころ西北インドにギリシア系のバクトリア王国進出。メナンドロス王、パンジャーブ、シンドを支配、さらに北インドにも進出
BC171ころパルティアのミトリダテス1世即位(~前138ころ)
BC167ユダヤ人、セレウコス朝アンティオコス4世の政策に反抗し、マカベア戦争起こる(~前142)
BC142ユダヤ人、ハスモン王朝樹立
BC133ペルガモン王国、ローマに遺贈さる
BC129ころパルティアの都クテシフォン建設さる
BC123パルティアでミトリダテス2世即位(~前88)。王国最盛期を迎える
インドで前1世紀ごろからアジャンタ石窟の開掘始まる
BC88第一次ミトリダテス戦争(~前84)。小アジア、ポントスの王ミトリダテス6世、ローマに叛く
BC83第二次ミトリダテス戦争(~前81)
BC80ころカーンバ朝、シュンガ朝に代るが、諸国の分立状態深まる
このころオリッサ地方にカリンガ国のカーラベーラ王が出て、南北インドに進出
このころデカン地方でサータバーハナ朝(アンドラ朝)強大となる
このころ西北インドにサカ人、パルティア人が侵入し、多数の小国が形分立する
BC74第三次ミトリダテス戦争(~前64)
BC63ローマのポンペイウス、セレウコス朝(シリア王国)を滅ぼす
BC53パルティア軍、ローマのクラッスス(前115ころ~)を敗死させる(カルラエの戦い)
BC37ヘロデ、ユダヤ王となる
BC36パルティア軍、ローマのアントニウスを破る
BC4ヘロデ大王没(前73?―)
30イエス・キリスト刑死す
30ころクジュラ・カドフィセス、ガンダーラ地方に進出、クシャン朝の礎をつくる
このころパルティアでゾロアスター教典結集
66ネロ、パルティアと和す
66第一次ユダヤ戦争(~70)
70ティトゥスによりエルサレム破壊される
90ころクシャン朝のカドフィセス(2世)、北インドに進出、マトゥラを中心とする
105シリアにパルミラ王国興る
106アラビアのナバテア、ローマに併合
106ころサータバーハナ朝のガウタミープトラ・シャータカルニ王、勢力を伸張
110パルミラ、ローマに併合さる
117ローマ、メソポタミアを放棄
130ころクシャン朝のカニシカ王、ペシャワルに都して最盛期を実現。ガンダーラ、マトゥラに美術栄える
132第二次ユダヤ戦争(~135)
150ころサカ人のルドラダーマンがマルワ、グジャラートを支配
162パルティア、ローマと争う(~165)
174ころサータバーハナ朝のシュリー・ヤジュニャ・シャータカルニ王勢力を回復するが、彼の死後サータバーハナ朝衰える
197セレウキアとクテシフォン、ローマ軍に占領さる
209パルティア王アルタバヌス5世即位(~226)
225ころアーンドラ地方にイクシュバーラ朝興る
225ころこのころからサータバーハナ朝の支配弱まり、アービーラ朝、チュートゥ朝が独立。デカン北部にはバーカータカ朝
226アルダシール、パルティアを破る。ササン朝ペルシアを創建
230ササン朝、ゾロアスター教を国教とする
231ササン朝、ローマと対戦(~232)。アルメニアを獲得
242ササン朝のシャープール1世即位(~273)
このころローマ、メソポタミアを再征服(~243)
このころマニの布教始まる
244シャープール1世、ローマと和す。メソポタミアとアルメニアを得る
260シャープール1世の軍、エデッサ付近の戦いで、ローマ皇帝ウァレリアヌスを捕える
267パルミラの女王ゼノビア、独立をはかる
275ころバーカータカ朝のプラバラセーナ王、勢力を拡張。この後同王朝はデカン最大の勢力になる
277マニ処刑。マニ教禁止さる
297ササン朝、メソポタミアをローマに割譲
309ササン朝シャープール2世即位(~379)
320北インドで、チャンドラグプタ1世、グプタ朝を創始
330ころグプタ朝のサムドラグプタ王即位(~376ころ)。中央インドをも支配し、南インドにも遠征、パッラバ朝を破り、バーカータカ朝と婚姻関係を結ぶ
337シャープール2世、ローマと開戦(~350)
350シャープール2世、ニシビスを包囲。ローマ軍敗退
376チャンドラグプタ2世即位(~414ころ)。マルワ、グジャラート地方のサカ人のクシャトラパを滅ぼす。グプタ朝下に古典サンスクリット文化栄える。カーリダーサの『シャクンタラー』
389ササン朝とローマ、いわゆるアルメニアを分割
401法顕、インドに来る(~410)
5世紀初め、西北インドにクシャン人のキダーラ朝興る
409ササン朝ヤズドガルド1世、キリスト教の信仰を認める
414ころグプタ朝のクマーラグプタ1世即位(~455ころ)。この時代にナーランダーの仏教僧院建立。グプタ式仏像造られる
421ササン朝、ビザンティン帝国と交戦
422バフラム5世、ビザンティンと和約、キリスト教信仰を再認
425ころササン朝にエフタルが侵入し始める
455ころグプタ朝のスカンダグプタ王即位(~470ころ)。この王の死後グプタ朝は衰退を始める
475ころバーカータカ朝の傍系王統であるハリシェーナ、勢力を北方に伸ばす
484ササン朝のペーローズ、エフタルとの戦いで敗死
488ササン朝のカバード1世即位(~531)
498ササン朝に内乱起り、カバード1世、エフタルのもとに亡命
500ころ西北インドよりエフタル人が侵入。トラマーナ、ミヒラクラ父子の時代に中央インドを支配
501カバード1世再び実権をにぎる
518カバード1世、北に使者派遣
524カバード1世、ビザンティンと戦いを再開(~532)
531ササン朝でホスロー1世、即位(~579)。ササン朝の黄時代
540ホスロー1世、ビザンティンと戦い、アンティオキアを占領
543ころグプタ朝衰亡し、ガンジス川流域にマウカリ朝、ビハールに後期グプタ朝、グジャラートにマイトラッカ朝などが分立
543ころデカン地方ではプラケーシン1世(~566)、カダンバ朝から独立して、チャールキヤ朝を興す。バーダーミに都を置く
550ころササン朝領内でネストリウス派の勢力拡大
553ホスロー1世、西に使節派遣
562ホスロー1世、ビザンティンと和平条約を結ぶ
570ころメッカでムハンマド(マホメット)誕生
576ホスロー1世、イエメンを征服。ササン朝の版図最大となる
590ホスロー2世即位(~628)
6世紀末、南インドでシンハビシュヌがカラブラの勢力を破り、パッラバ朝を再興。パーンディヤ朝もカドゥンゴーン、マーラバルマン父子の下に復興。この両国とチャールキヤ朝がセイロン(スリランカ)をも巻き込んで抗争を繰返す
603ホスロー2世、ビザンティンと戦う
606北インドにハルシャバルダナ王即位(~647)。ガンジス流域を支配し、グジャラートを征服。南下してチャールキヤ朝と戦う
610ムハンマドが初めて神の啓示を受ける
614コスロー2世、ダマスカス、エルサレムを攻略
622ムハンマド、メディナへ移る(ヒジュラ)。イスラム暦
628天文学者ブラフマーグプタ『ブラフマー・スプタ・シッダーンタ』を著す。
630ムハンマド、メッカを征服
632ムハンマド死し、アブー・バクル、初代カリフとなる
637イスラム軍クテシフォンを占領(カーディーシーヤの戦い)
641イスラム軍、エジプトを征服(~642)
641ササン朝軍、イスラム軍に大敗(ニハーベンドの戦い)
642パッラバ朝のナラシンハバルマン1世、チャールキヤ朝の首都バーダーミを陥す。チャールキヤのプラケーシン2世(609ころ―)敗死
643の使者王玄策、ハルシャバルダナ王の下に来る
651ころコーランが聖典として結集される
651ササン朝ペルシア滅亡
661ウマイヤ朝創設(~750)
673義浄、インドに来る(~685)
681イスラム軍、北アフリカを征服し、大西洋岸に達する
683メッカで反ウマイヤ家のカリフ権力が興り、イスラム世界が分裂
692ウマイヤ家のカリフ、アブデル・マレク、イスラム世界を再統一
697行政用語のアラビア語化始まる
710イスラム軍、イベリア半島に上陸
711イスラム軍、インドに侵攻
717ウマイヤ家のウマル2世、カリフ位につき税制改革に着手
730ころラージャスタンにプラティハーラ朝興り、北インドに進出
740ころチャールキヤ朝のビクラマーディティヤ2世、アラブ勢力の南下を阻止。パッラバ朝の首都カンチプラムを攻撃
747アッバース家が武装蜂起
749クーファでサッファーフがカリフ位就任を宣言(アッバース朝の立)
750ウマイヤ朝軍がアッバース朝軍に大敗(ザーブ川の戦い)。9か月後にウマイヤ朝滅亡
このころアッバース朝のジャービル・ビン・ハイヤーン、錬術を研究―硝酸、硫酸、王水の製法を知る
750ころゴーパーラ、ビハール・ベンガル地方にパーラ朝を創始
753ころチャールキヤ朝倒れ、ラーシュトラクータ朝興る
このころエローラのカイラーサナータ寺院開掘される
754マンスールがカリフ位に就き伯父のアブドゥッラーをナシービーの戦いで破る。アッバース朝創業の功臣を排除して、カリフの独裁権を確立
756イベリア半島に後ウマイヤ朝が立。首都はコルドバ
766バグダードの建設完了。アッバース朝の首都となる
ハールーン・アッラシードの治下(786~809)でアッバース朝が最盛期を迎える
770ころパーラ朝のダルマパーラ(護法)、プラティーハーラ、ラーシュトラクータを抑え勢力を拡大
792ラーシュトラクータ朝のゴービンダ3世即位(~814)。この時代に北はプラティーハーラ朝の首都カナウジまで占領
821ホラサーンにターヒル朝
827ムゥタジラ派神学の公認。正統派神学がこれを弾圧(~848)
830バグダードに知恵の館が創立
833ムータシムがカリフの位に就く。トルコ人奴隷兵親隊を組織
836サマッラーを建設して遷都
このころトルコ人奴隷兵団の将軍が権力をふるい、カリフ権力が衰える
このころイベリア半島でキリスト教徒の反乱が次ぐ
836プラティーハーラ朝のボージャ1世即位(~890ころ)。同朝はこの時代に最盛期を迎える
850ころチョーラ朝、南インドに興る
860ころパーラ朝、衰退に向かう
862パッラバ朝とセイロン、パーンディヤ朝の首都マドゥライを陥す。パーンディヤのシュリー・パッラバ王死去
867ころイランにサッファール朝が興る
868エジプトにトゥルーン朝が興る
869南イラクでザンジュの乱(~883)
873サッファール朝がホラサーンを併合、ターヒル朝滅亡
875中央アジアにサーマーン朝興る
877トゥルーン朝、シリアを併合
880パッラバ朝、チョーラ朝の連合軍、パーンディヤ朝を破る。パーンディヤ朝弱体化
884アッバース朝、サマッラーから再びバグダードに遷都する
885プラティーハーラ朝のマヘンドラパーラ即位(~910ころ)。プラティハーラの全盛期
890ころカルマット派がかくれ館をクーファに造り、地下政治運動の拠点とする
897チョーラ朝のアーディティヤ1世、主家にあたるパッラバ朝を倒す
900サーマーン朝、ホラサーンを併合
このころサーマーン朝治下のブハラとサマルカンドが、文化の一大中心地に達。同地に近代ペルシア語復活
902カルマット派の反乱(~906)
905アッバース朝が再びシリア、エジプトを直接統治する
909ファーティマ朝が北アフリカに興る
912アブドゥル・ラフマーン3世即位(~961)。後ウマイヤ朝が最盛期を迎える
このころアッバース朝で官僚制度が極度に達し、カリフ位は名目的なものになる
928タバリスターンにズィヤール朝が興る
929モスルにハムダーン朝が興る。同朝の保護下で文芸、学問が展する
929アブドゥル・ラフマーン3世がカリフと称す。シーア派のファーティマ朝の君主もカリフと称しており、アッバース朝カリフとあわせて3人のカリフが並存
932ブワイフ朝が西部イランに興る
935エジプトにイフシード朝興る
936アミール・アル・ウラマー職(アッバース朝首都の事実上の支配者)の創設
10世紀後半中央アジアにカラ・ハン朝が立(~12世紀前半ころ)
945ハムダーン朝の分家がシリアで独立した王朝を開く
946ブワイフ朝、バグダードを占領
949ラーシュトラクータ朝のクリシュナ3世、チョーラ朝のパラーンタカを破る。チョーラ朝の勢力縮小
950中央インドにチャンデーラ、カラチュリ、パラマーラの諸王朝強大となる。グジャラートにはチャールキヤ朝(ソーランキー)、ラージャスターンにはチャーハマーナなどのラージプート諸王朝が分立
956歴史・地理学者マスウーディー没
959クルディスターンにハサンワイフ朝の
960ころカラ・ハン朝の君主がイスラム教に改宗
1012チョーラ朝のラージャブンドラ1世即位(~1044)。この前後の時代チョーラ朝の全盛期。南インドから、北はデカンを支配し、ベンガル、ガンジス流域にも進出。南はセイロンをも支配。文化も栄え、タンジャブールのラージャラージェシュワラ寺などの壮大な建築物造られる
1016マフムードがサマルカンド、ブハラを攻略
1019プラティーハーラ朝、マフムードに攻められ滅亡
1023アレッポにミルダース朝立。ファーティマ朝と争う
1025ペルシアの詩人フィルダウシー没(904/901~)
1025チョーラ朝、ジャワのシュリービジャヤ国に遠征。インド洋全域の貿易を掌握、さらに中国にも使節を送る
1026ガズナ朝のマフムード、ソムナートのヒンドゥー寺院を略奪
このころアル・ピールーニーの『インドの史誌』
1027セルジューク・トルコ(セルジューク朝)がガズナ朝と戦う
1030ファーティマ朝のイブン・アル・ハイサム(アルハーゼン)、光の反射、屈折、目の構造などを研究
1034セルジューク・トルコがホラサーンで自立
1038セルジューク・トルコがネイシャーブールを占領してセルジューク朝を興す
1043西北からのムスリムの侵略に対抗して、北インドのラージプート諸王が連合
1043デカンに後期チャールキヤ朝のソーメーシュワラ1世即位(~1068)、チョーラ朝と抗争を繰返す
11世紀中ころカラ・ハン朝東西に分裂
1055セルジューク朝、バグダードを占領
1058セルジューク朝のトゥグリル・ベクがスルタンと称する
1067バグダードにニザーミーヤ学院の設立
1071ころセルジューク朝、エルサレムを占領
1071セルジューク朝、ビザンティン軍を破り、小アジアに進出(マラズギルトの戦い)
1072セルジューク朝、マリク・シャーが即位(~1092)し、最盛期を迎える
1076デカン地方の後期チャールキヤ朝の、ビクラマーディティヤ王即位(~1126)、チョーラ朝と抗争
1077小アジアにルーム・セルジューク朝立。小アジアのトルコ化進む
1078アンドラ地方に東ガンガ朝のアナンタバルマン・チョーダガンガ王即位(~1150)
1079ジャラーイル暦の制定
1081説話集『カターサリットサーガラ』
1092セルジューク朝の宰ニザーム・アルムルク(1018~)が、イスマーイール派の手で暗殺される
1095セーナ朝のビジャヤ・セーナ即位(~1158)、ベンガル地方に支配を確立
1098十字軍がアンティオキアを攻略。アンティオキア候領の立。対十字軍戦争始まる
1110チョーラ朝クローットゥンガ1世の検地
1111神秘主義思想家ガザーリー(アルガゼル)没(1058~)
このころセルジューク朝が分裂を重ね、各地で小君主が争う
1126後期チャールキヤ朝、ビクラマーディティヤ王没。この後同王朝は分裂を始め、カーカティーヤ朝プローラ2世(~1158)が独立
1127ザンギー朝、上イラクに
1130北アフリカにムワッヒド朝が興る
1131ころペルシアの詩人ウマル・アル・ハイヤーミー没(1048ころ~)
1137南インドのバクティ信仰の源となったラーマーヌジャ没(1017~)
1137ホイサラ朝のビシュヌバルダナ、後期チャールキヤ朝からの独立の儀式
1144ザンギー朝がエデッサ十字軍伯領を滅ぼす
1146チョーラ朝のラージャラージャ2世即位(~1173)
1148アフガニスタンにゴール朝勃興
1149ころインドの歴史書『ラージャタランギニー』
1157セルジューク朝、イランで力を失う
1171サラディン、ファーティマ朝を滅ぼす。アイユーブ朝創建
1173ホイサラ朝のバッラーラ2世即位(~1220)
1174アイユーブ朝、シリアに進出
1175ゴール朝のムハンマド、パンジャーブ地方に侵入
1180アッバース朝のカリフ、ナーシル即位。首都でカリフの指導力を取りもどす
1185デカン北部のヤーダバ朝、ピッラマ5世の下に独立
1186ゴール朝、ガズナ朝を倒す
1187サラディン、エルサレム王国を滅ぼす
1192サラディン、第3回十字軍と和約
1192北インド、チョウハーン朝のプリトビー・ラージ、ゴール朝のムハンマドに敗る
1193ゴール朝の部将、クトゥブッディーン・アイバク、デリーを占領
1194ホラズム・シャー朝、バグダードに進出
1206ゴール朝のムハンマド死し、クトゥブッディーン・アイバク、デリーで独立して奴隷王朝を創始。これ以後、北インド一帯、ムスリムの支配下に入る
1210奴隷王朝のイレトゥミシュ即位(~1236)
1211ヤーダバ朝、シンガナ王即位(1247)。同朝全盛期を迎える
1216南インドのパーンディヤ朝でマーラバルマン・スンダラ即位(~1238)。同朝強大となる
1220十字軍、カイロを焼く
1229十字軍、再びエルサレムを支配(~1244)
1230グラナダにナスル朝興る
1231ホイサラ朝のナラシンハ2世、パーンディヤ朝を破り、チョーラ朝の王を復位させる
1233イレトゥミシュ、マルワ地方に侵入
1241モンゴル軍、北インドに侵入
1243ルーム・セルジューク朝、モンゴル軍の支配下に入る
1251カスティーリャ王国、イベリア半島からナスル朝を除くすべてのイスラム勢力を駆逐
1256アサシン派(暗殺者教団)、モンゴル軍に敗れ、滅ぶ
1258モンゴル軍のフラグ、バグダードを征服。アッバース朝滅ぶ。イル・ハン国の
1261グラナダのアルハンブラ宮殿建設される
1262パーンディヤ朝のジャタバルマン王、ホイサラ朝のソーメーシュワラ王を敗死させる
1266奴隷王朝のバルバン即位(~1287)
1279パーンディヤ朝、ホイサラ、チョーラ王朝連合軍を破る
1290ジャラールッディーン・フィーローズ、ハルジー朝創建
1294イル・ハン国で紙幣を
1295イル・ハン国のガザン・ハン、中央集権化とイスラム化に着手
1296ハルジー朝のアラーウッディーン・ムハムンド即位(~1316)。この王の時北インドから南下し、マルワ、ラージャスターン、グジャラートを征服
1299イル・ハン国、シリアに侵攻
1299小アジアでオスマン家自立
1307オスマン家のオスマン1世、独立を宣言
1307ハルジー朝の部将マリク・カーフル、ヤーダバ朝を倒す
1308イル・ハン国、ルーム・セルジューク朝を滅ぼす
1310マリク・カーフル、カーカティーヤ朝、パーンディヤ朝、ホイサラ朝の諸王朝を征服(~1311)。
1310ムスリムの支配、南インドにまで及ぶ
1313イランにムザッファル朝興る
1318イル・ハン国の宰歴史家ラシード・ウッディーン没(1247~)
1320ギヤースッディーン、デリーでトゥグルク朝創建(~1413)
1330オスマン帝国が、ビザンティン勢力を小アジアから追放
1334イブン・バットゥータ、デリーに滞在(~1343)
1336イル・ハン国分裂し弱体化
1336イラクにジャラーイル朝興る
1336ハリハラ1世、南インドにビジャヤナガル王国を創始。ヒンドゥー政権の復活
1346西アジア、エジプトでペストの大流行
1347アラーウッディーン・バフマン・シャー、トゥグルク朝から自立して、デカンにバフマン朝を創始(~1520ころ)
1357オスマン帝国がゲリボルを占領、ヨーロッパ侵攻の足場を築く
1360オスマン帝国軍、ワラキア急襲
1364オスマン帝国軍、ヨーロッパ連合軍を撃破
1365バフマン朝とビジャヤナガル王国、クリシュナ川を国境とする協定を結ぶ
1365オスマン帝国、エディルネを占領して首都を遷す
1370ティームール、西トルキスタンの支配者となる
1373ビザンティン皇帝、オスマン帝国に和を求めて臣従
1378イランに黒羊朝と白羊朝が
1378バフマン朝に王位をめぐる内紛起こる
1380コンカン地方、ゴア、ビジャヤナガル王国領となる
1382エジプトのバフリー・マムルーク朝滅び、ブルジー・マムルーク朝興る(~1517)
1387ティームール、ムッザファル朝を滅ぼす
1389オスマン帝国軍、コソボでヨーロッパ連合軍に大勝。ブルガリア全土を支配下に置く(コソボの戦い)
1390ころトゥグルク朝の支配力弱まり、ハーンデーシュ、ジョウンプル、マルワ、グジャラート地方に独立のムスリム政権が誕生
1394オスマン帝国、ブルガリア併合
1394オスマン帝国バヤジト1世初めてスルタンと称す
1556ムガル帝国、アクバル即位(~1605)
1565オスマン帝国海軍、マルタを攻撃して失敗
1565ビジャヤナガル王国、ターリコータの戦いで、デカン・ムスリム諸王国連合軍に敗れ、衰退。その後、南インド各地にはナーヤカと呼ばれる小領主が、分裂割拠
1571オスマン帝国、キプロスをベネチアより奪う
1571レパントの海戦で、オスマン帝国海軍、ヨーロッパ連合艦隊に敗れる
1571オスマン帝国、ハフス朝を滅ぼしチュニジアを併合
1573アクバル、グジャラートを征服
1573トーダル・マル検地を実施
1576アクバル、ベンガルを征服
1580オスマン帝国、イギリス商人に恩恵的特権貿易を許す
1581イギリス、レパント貿易会社の設立
1585アクバル、カブールを征服。さらにカシミールも征服(1586)
1587オスマン帝国、再びイラクを征服
1588サファビー朝、アッバース1世即位(~1629)。同朝最盛期を迎える
このころエスファハーンに王宮、官衙が建設され、サファビー朝の首都として栄える
1591アクバル、シンドを征服
1592アクバル、オリッサを征服
1599中央アジアのブハラにブハラ・ハン国アストラハン朝立(~1920)
1600アクバル、デカンのアフマドナガル王国を攻撃、首都を陥す
1601アクバル、ハーンデーシュを征服
1603サファビー朝、オスマン帝国よりタブリーズ奪回
1605アクバル没(1542~)。ジャハーンギール即位(~1627)。この機にアフマドナガル王国、宰マリク・アンバールの下に勢力を回復し、検地を行う。この検地はデカン地方の地税制度の模範となる
1612オスマン帝国、オランダに恩恵貿易を許す
1612オスマン帝国、オーストリアを攻撃
1612イギリス東インド会社、スーラトに商館を置く
1620サファビー朝のアッバース1世がウズベク人に大敗
1622サファビー朝、ポルトガルよりホルムズ島を奪う。ポルトガル勢力、マスカットに退く
1630オスマン帝国、イラン西部のハマダンを攻略
1630オスマン帝国、南アラビアより撤退
1633ムガル帝国のシャー・ジャハーン、アフマドナガル王国を滅ぼす
1636アウランゼーブ、デカンの太守となる
1638オスマン帝国、再びバグダードを奪い、イラクを最終的に併合
1639サファビー朝とオスマン帝国間にズハーブの和議
1643タージ・マハル廟完
1644マラータ王国の祖シバージー、ビジャープール王国からの独立をめざし、プーナ辺の一二谷地方の小領主層を臣下に組織し始める
1645オスマン帝国、ベネチアと戦う(~1664)
1647シバージー、トールナー城を取る
1649ビジャヤナガル王国滅亡
1650アラビア半島からポルトガルの勢力一掃さる
1653シバージー、スワラージュヤ(マラータ本領)を確立して、事実上独立国になる
1656オスマン帝国でメフメト・キョプリュリュが大宰となる。キョプリュリュ家執政時代に入る
1658ムガルのアウランゼーブ、兄弟を破って即位(~1707)
1659シバージー、ビジャープール王国軍をワーイに破る
1660イスタンブールに大火災。市街の半分を焼く
1661ポルトガル、ボンベイをイギリスに譲る
1666オスマン帝国、ウクライナをめぐりポーランドと戦う(~1672)
1669オスマン帝国、ベネチアよりクレタ島を奪う
1674シバージー、即位の儀式を行い、マラータ王国
1675シク教主テーグ・バハードゥル処刑さる。このころ北インド各地にジャート農民の反抗激化(シク教徒の大半はジャート農民)
1677オスマン帝国軍、ウクライナに侵攻
1680シバージー没(1627/1630~)。サンブージー、跡を継ぐ
1681オスマン帝国、ロシアと休戦協約を結んでウクライナ侵攻を断念
1682アウランゼーブ、デカン征服にのり出し、ビジャープール王国(1686)、ゴルコンダ王国(1687)を滅ぼす
1683オスマン帝国、ウィーン包囲に失敗
1687オスマン帝国、神聖同盟にハンガリーを渡す
1689アウランゼーブ、サンブージーを殺害。マラータ王国、ラージャラーム王国王の下にゲリラ戦を行いつつ、徐々に勢力を回復
1697オスマン帝国軍、ゼンタの戦いで神聖同盟軍に大敗。99年カルロウィッツ条約締結
1703オスマン帝国でアフメット3世即位(~1730)。チューリップ時代始まる
1707アウランゼーブ没(1618~)。バハードゥル・シャー、兄弟を倒して即位(~1712)
1709北インドでバンダの指揮下にシク教徒軍、サルヒンド地方を占領
1710オスマン帝国、再びロシアと戦う(~1711)
1710コーカンド・ハン国の立(~1876)
1713バーラージー・ビシュワナート、マラータ王国の初代宰になる。これ以後、マラータの実権は徐々に宰に移る
1722アフガン人、サファビー朝の首都エスファハーンを陥す。同朝、事実上滅ぶ
1724オスマン帝国軍とロシア軍、イランに侵入。領土を分割
1724ムガル帝国領デカン太守ニザーム・ムルク、アワド太守サアーダト・ハーン事実上独立。ムガル帝国解体傾向顕著
1728イスタンブールでトルコ最初の印刷所創設
1729イラン人ナーディル・クリーがイスファハーンからアフガン人を駆逐
1730イスタンブールでアルバニア人パトローナ・ハリルの反乱
1736ナーディル・クリー、イランの支配権を回復し、ナーディル・シャーと称す。アフシャール朝立(~1795)
1739オスマン帝国がオーストリアとベオグラード条約、ロシアとコンスタンティノープル条約を結ぶ
1739ナーディル・シャー、デリーを略奪。ムガル帝国完全に弱体化す
1744第一次カルナータカ戦争。これを含め3回にわたり、イギリス・フランスが南インドを舞台に抗争
1745ワッハーブ派の祖イブン・ワッハーブが中央アラビアのサウド家と結ぶ
1746サウド家、リヤド領主と戦う(ワッハーブ運動の始)
1747ナーディル・シャー暗殺さる(1688)。イランは分裂
1750南部イランでザンド朝興る
1750ムガル帝国、アフガンの攻勢に面し、マラータ王国の援助を求む
このころバーラトプルのジャート王国、スーラジ・マルの下に強大となる
1757イギリス、ベンガル地方の支配権掌握(プラッシーの戦い)
1761マラータ軍を主力とするインド軍、アフガン軍に敗れる(パーニーパットの戦い)
1761南インドで、ハイダル・アリー、マイソールの王位を奪う
1764イギリス、ベンガル、アワド両太守軍を破る(バクサルの戦い)
1765イギリス、ベンガル、オリッサ、ビハールの徴税権(ディーワーニー)を認めさせる
1765シク領主連合、パンジャーブ支配権を確立
1767第一次マイソール戦争
このころシク領主層北インドに割拠
1771クリミア半島、ロシアの手に陥る
1773ワッハーブ軍リヤドを占領
1774対ロシア戦に敗れ、オスマン帝国、クチュク・カイナルジ条約を結ぶ
1775ザンド朝のカリーム・ハーン、バスラのイギリス商館を襲う
1775第一次マラータ戦争(~1782)
1777オスマン帝国で行政改革
1779ザンド朝カリーム・ハーン没。同朝分裂す
1779イランでカージャール朝興る(~1925)
1780第二次マイソール戦争(~1784)
1782イギリスとシンデー家との間にサルバイ条約。イギリス占領地を返還
1782マイソールのハイダル・アリー没(1722~)。ティープー・スルタンが跡を継ぐ
1784マラータ王国のマハーダジー・シンディア、ムガル帝国の支配権を掌握
1784ティープー・スルタン、イギリスとマンガロール条約を結び、戦争終結
1789オスマン帝国でセリム3世即位(~1806)。体制開始
1790第三次マイソール戦争。イギリス、ハイデラバード、マラータとともにティープー・スルタンを攻める
1793イギリス、ベンガルに永代ザミーンダーリー制導入
1794カージャール朝、ザンド朝を滅ぼし、イラン全土を統一
1794マハーダジー・シンディア没。この後マラータ諸侯間の抗争激化し、弱体化進行
1798フランス軍、エジプトに上陸。翌年、ロゼッタ石
1798ハイデラバードのニザーム、イギリスと軍事保護条約を結ぶ
1798オマーンのスルタン、イギリス東インド会社と友好条約を結ぶ
1799カージャール朝、ホラサーンを征服
1799第四次マイソール戦争。ティープー・スルタン敗死(1750~)し、マイソール分割さる
1801アワド王国、領土の一部をイギリスに割譲
1801第四次マイソール戦争の結果、マドラス地方イギリス領に
1801ランジート・シング、シク王国創設を宣言
1802第二次マラータ戦争(~1805)。この結果、シンデー家はブンデルカンド地方、北インド各地を、ナーグプルのボーンスラ家はクタック地方をイギリスに割譲
1804イラン、ロシアと戦う(~1813)
1807オスマン帝国のセリム3世廃位させられ、体制崩壊
1809シク王国のランジート・シング、イギリスとアムリッツァル条約を結ぶ。サトレジ川以南のシク領主層はイギリスの勢力圏に入りシク勢力は後退
1812オスマン帝国、ロシアに敗れ、領土を割譲
1812カージャール朝、ロシアに大敗
1813イラン、ロシアに北方領土を割譲
1813イギリス東インド会社特許状を更
1814ネパール戦争(~1816)。この結果ネパール王国はカシミール他を放棄して縮小
1816イラン軍、アフガニスタンに侵攻
1817第三次マラータ戦争(~1818)の結果、ペーシュワー(宰)政権滅亡。他のマラータ諸侯もイギリスの従属国化し、シク王国以外の独立国はインドになくなる
1818エジプト軍、ワッハーブ王国を滅ぼす
1818西インドにビール人の反抗(~1819)
1820ペルシア湾岸の土侯国、イギリスと和平条約を結ぶ
1823第二次ワッハーブ王国興る
1824第一次ビルマ戦争で、イギリス敗北の報伝わり、北インド各地で農民反乱広がる
1825イギリス、ジャート王国の首都バーラトプルを陥す
1825西部インドにコーリー人の反乱
1826ロシア、トルコ・イランと開戦
1826オスマン帝国、イェニ・チェリ(親軍団)を廃し、軍をつくる
190510-16インド、ベンガル分割実施。これに対し、国民会議派ベナレス大会でスワデーシーの提起、ボンベイでは綿工業労働者のストライキ激化す
19068-5イラン国王、憲法布の詔勅をし、議会開設に同意。10 第一議会の召集
190612-28インド、国民会議派カルカッタ大会でスワラージ、スワデーシーの呼びかけ
190712-29カラチでインド・ムスリム連盟第1回大会。インド各地でヒンドゥー教徒とムスリム衝突
19087-13オスマン帝国で青年トルコ党が武装蜂起。7-24 革命が功し、スルタンが憲法復活を承認。12-17 第1回議会開催
19087-22ティラクに騒擾罪で6年の禁錮刑。これに対し、ボンベイの労働者、商店員らの大ストライキ
19092オスマン帝国で統一進歩党内閣の
1909この年、アングロ・パーシャ(イラニアン)石油会社設立
19095-25イギリス、インド参事会法(モーリー‐ミントー改革)可決。11-15 施行
19119-28オスマン帝国、イタリアとイタリア・トルコ戦争を始める(~12・10-18)
191112-12ベンガル分割の撤廃と首都をカルカッタからデリーへ移すことを宣言
1911インドでこの年、タタ鉄鋼会社生産開始
191312-10インドの詩人タゴール、アジア人最初のノーベル文学賞受賞
191411-14オスマン帝国、第一次世界大戦に参戦。全イスラム教徒に聖戦(ジハード)の呼びかけ
19153-19インド防法施行。イギリス、インドの民族運動弾圧を強める
191510-24イギリス、メッカのフサインにアラブ王国の独立を約束(フサイン‐マクマホン協定)
19166-10フサイン、反オスマン帝国の旗あげ。7-7 メッカのオスマン帝国軍を降す
191612-26インド、国民会議派とインド・ムスリム連盟、ラクナウで協定を結ぶ
191810-30オスマン帝国、連合軍と休戦
19193-18インド、ローラット法施行し、民族運動の弾圧強化
19194-6インドでガンディーを指導者とする第一次サティヤーグラハ運動開始
19194-13インドでイギリス軍による住民大量虐殺(アムリッツァル事件)
191912-23インド統治法(モンタギュー‐チェルムズフォード改革)施行
19204-19イギリスのイラク・パレスチナ・ヨルダン、フランスのシリア委任統治決定
19208-10セーブル条約調印。ケマル・アタチュルク反対し、オスマン帝国内戦
192010-31全インド労働組合会議創立
1920インドでこの年、トルコ支持の反英闘争(キラーファト運動)開始
19212-21イランでレザー・シャー、クーデターに
19218-21インド、マラバル地方にモープラーの反乱起こる
19219-16オスマン帝国軍、アダパザルでギリシア軍を撃破
19222-4インドで民衆蜂起して警察隊を襲撃(チャウリチャウラ事件)
19222-11ガンディー、サティヤーグラハ運動停止を指令
192211-1ケマルがトルコの全権を掌握。スルタン制を廃す。オスマン帝国滅亡
19237-24トルコ、連合国とローザンヌ条約調印
192310-29トルコ、共和国宣言
192312-21ネパール完全独立
19243-3トルコでカリフ制廃止
192512-31イラン議会、カージャール朝の国王を廃し、レザー・シャーを国王に推戴
192512インド、インド共産党創建
19261-8アラビアのイブン・サウド、フサインの勢力を排除しヒジャーズ王となる
19264-25イランのレザー・シャーが即位。パフラビー朝の
192711インド統治に関するサイモン委員会設置
19282サイモン委員会インド着。これを機に反英運動再び激化。ラージパト・ラーイ(1865~)弾圧により没
19284-9トルコ、イスラム教を国教とする憲法条項廃止
192811-3トルコ、アラビア文字を廃し、ローマ字採用
192812インド、全インド労農党結
19293インドで多数の共産主義者弾圧さる
192910-31インドにイギリスが円卓会議提案
19301-26インドで第二次サティヤーグラハ運動、反英闘争高揚
19304インドで、ガックァール・ハンの指導下に赤シャツ隊(千人隊)、ペシャワル市掌握
193011-12第1回イギリス・インド円卓会議開催
19313-4ガンディー・アーウィン協定締結
19321-4インド、国民会議派非合法化され、約8万人投獄さる
19329-22サウド家、サウジアラビア王国と称す
193210イラク王国独立
19338トルコ国際連盟に参加
193311インド共産党中央委員会開催。党再建さる
19341トルコ、工業開五か年計画を実施
19349-18ガンディー、国民会議派からの引退を声明
19353-21ペルシア、国号をイランとする
19358-2インド統治法改正。自治的州政府の設置と州議会選挙制度の導入
19364-11全インド農民会議結
19364-25パレスチナでアラブ高等委員会の開催。ユダヤ人の入植に反対するアラブの暴動激化
19372インド、州議会選挙の実施。7 国民会議派8州で内閣組織
19379-8汎アラブ会議でユダヤ人のパレスチナ移民中止を要求
193811-10ケマル・アタチュルク没(1881~)
19391イラン横断鉄道開通
19395-17イギリスがパレスチナ白書。ユダヤ人の移民を制限。パレスチナ国家樹立を
19399-3インド総督リンスゴー、インドの大戦参加を
193910インド、国民会議派が三五年統治法に反対して州内閣から全員辞職
19403-1国民会議派、サティヤーグラハを決議
19403-23インド・ムスリム連盟、ラホール決議でパキスタンの分離独立要求
19418-25イギリス、ソ連両軍、イランに侵攻。9-9 両軍イランを分割支配
19428-8国民会議派「インドを出てゆけ」決議の採択を確定、翌日弾圧をうける
19438レバノン共和国独立
19439-9イラン、対独宣戦布告
194310-21チャンドラ・ボース、インド国民軍を結。シンガポールで自由インド仮政府を樹立
19441-1シリア共和国独立
19452-23トルコ、対日宣戦布告
19453-1イラン、対日宣戦布告
19453-22カイロでアラブ連盟の結
19459-19イギリスのアトリー首、インドに完全自治を与えることを約束
194512-12アゼルバイジャン共和国、ソ連の援助でイランから分離独立
19462-18ボンベイでインド水兵の反乱
19463-22トランスヨルダン王国独立
19469-2インド、ネルーが臨時政府を組閣
194611-15インドのベンガルで小作料減免を求めるテバガ運動始まる
19471-29国際連合がパレスチナ分割案を決議。12-17 アラブ連盟が分割の武力阻止を声明
19476-3国民会議派、インド・ムスリム連盟に、マウントバッテンの裁定提示
19478-15インド・パキスタン分離独立
19481-30ガンディー(1869~)暗殺さる
19482-4セイロン(スリランカ)独立
19485-14イスラエル共和国独立宣言
19485-16アラブ諸国がイスラエル攻撃開始
19489-2インド軍、ハイデラバード藩王国を併合
19491-1カシミール問題をめぐる印パ戦争停止
19492-24イスラエル・エジプトが休戦
19495-11イスラエル国連加盟
19501-26インド憲法効。インド共和国
19506-17アラブ集団安全保障条約調印
19511-16インド、ウッタル・プラデシュ州で土地改革法立。その後、各州で土地改革法
19513-15イラン議会、石油国有化法案を可決
19515-1イラン、アングロ・イラニアン石油会社の施設を接収
19522-24インド、第1回総選挙終わり、国民会議派勝利
19538-19イランに国王派のクーデター。石油国有化政策後退
19538中央アフリカ連邦結
195312-2インド、ソ連5か年通商条約締結
19542-6カシミール制憲議会、インド帰属を声明
19542-13アメリカ、パキスタンに軍事援助決定
19544-28コロンボ会議開催
19545-14カシミールにインド憲法適用
19548-5イラン、国際石油合弁会社と協定調印。イギリスとの石油紛争解決
195411-9インド、ネルーが「社会主義型社会」を提案
195412-28~29コロンボ5か国首脳会議開催
19552-24トルコとイラン、バグダード条約に調印
19553-18インド・カンボジア平和五原則を確認
19563-23パキスタン憲法
19568-29アメリカからインドへのPL480農産物輸入協定
195610-29イスラエル軍、エジプトに侵入し、第二次中東戦争(スエズ戦争)勃
195611-1インド、言語別州再編
19572-24インド、第2回総選挙。ネルー内閣足。ケララ州に共産党州政府
195712-26アジア・アフリカ諸国民連帯会議カイロで開催
19582-1シリアとエジプト合併し、アラブ連合共和国
19586-15インドで港湾労働者ストライキ。非常事態宣言
19587-14イラクで軍部クーデター。王制を廃し共和制
195810-27パキスタン大統領にアユーブ・ハーン
19594-3インド、ダライ・ラマの亡命を受け入れる
19596インド、ケララで共産党州政府に対する攻撃激化
19597-31大統領ケララ州政府を解任し、直接統治
19608-16キプロス共和国独立。
19619-28シリアで反ナセルのクーデター
19619-29シリア、アラブ連合共和国から離脱
196112-15フルシチョフ、インド訪問
196112-18インド、ポルトガル領ゴアを解放
19627-21インドと中国、チベット国境で交戦。10-20 中印国境紛争激化
19631-14インド、国境紛争に関するコロンボ提案受諾
19632-8イラクでバース党のクーデター。大統領にアレフ就任
19642-6キプロスでギリシア系とトルコ系の住民の衝突(キプロス紛争始まる)
19645-27ネルー没(1889~)。後継首シャストリ
19649-11インド・ソビエト軍事援助協定締結
196410-31インド共産党(マルクス主義者)CPIM綱領を決定し、共産党左右に分裂
19654-9インド・パキスタン交戦
19659-6インド、パキスタン国境に侵入。印・パ国境紛争再燃
19661-4インド・パキスタン首脳、タシケントで会談。1-10 共同声明
19661-11インド、シャストリ首急死(1904~)、1-19 インディラ・ガンディー首に就任
19672-15インド、第4回総選挙、多数の州議会で会議派後退
19673インドの西ベンガル州で農民の武装蜂起
19676-5第三次中東戦争始まる。6-7 イスラエル軍、シナイ半島を制圧。6-11 停戦
19679-8中国と、インド、チベットの国境で交戦
196711-30南イエメン人民共和国独立
196812-25アラブ・ゲリラ、イスラエル旅客機を襲撃。12-28 イスラエル軍、ベイルート空港に報復攻撃
19692-21パキスタン大統領アユーブ・ハーン、引退声明
19693-31パキスタン、ヤヒヤー・ハーンが大統領に就任
19694-23レバノン内戦始まる
19697-16インド、デザイ蔵解任。国民会議派内の分裂深刻化。11-12 会議派、ガンディー派と長老派に分裂
19705-27セイロンでバンダラナイケ夫人首に就任
19709-17ヨルダン内戦始まり、政府軍、ゲリラの拠点を総攻撃。9-27 内戦収拾のカイロ協定調印
197011-12東パキスタンを襲ったサイクロンで死者17万人
19713-1インド、第5回総選挙。ガンディー派会議派大勝利
19713-25パキスタン東西対立激化、内戦状態となる
19716-20インド・パキスタン交戦
19717-13ヨルダン政府軍、ゲリラ勢力を再攻撃。7-18 ゲリラ全面崩壊
19718-14バーレーン独立
19719-1カタール独立
19719-2アラブ連合共和国、シリア、リビア3国、アラブ共和国連邦を結
197112-4インド・パキスタン全面戦争
197112-6インド、東パキスタンの独立承認
19721-12東パキスタンにラーマン内閣立。バングラデシュ
197310-6第四次中東戦争始まる
197310-17中東産油国、価格引上げと生産削減を表(オイル・ショック)
197310-24エジプト・イスラエル停戦
19745-18インド最初の核実験
19747-4インド、シッキムを併合
19747-15キプロスでギリシア人将校のクーデター
19747-20トルコ軍キプロスに侵攻。-22 停戦
19756-12インド、ガンディー首の選挙違反に有罪判決
19756-26インド全土に非常事態宣言
19758-15バングラデシュで軍事クーデター。ラーマン大統領(1920~)殺害される
19765-1レバノン内戦激化
19767-4イスラエル軍、パレスチナ・ゲリラの乗っ取りに対してエンテベ空港で奇襲決行、人質を救出
197610-18レバノンの全面停戦協定立(11-10 シリア軍を中核としたアラブ平和維持軍、レバノンへ進駐)
19773-7パキスタンで民政下初の総選挙、パキスタン人民党圧勝(~30 ブット内閣足)
19773-21インド総選挙で国民会議派大敗、ガンディー首落選(~24 デサイ内閣立)
19775-1トルコ、イスタンブールのメーデーで、警察と極左グループが銃撃戦、35人死亡
19775-17イスラエル総選挙。建国以来政権党だった労働党が敗北(6-20 ベギンが率いる右派連合リクードを中心とする内閣立)
19777-5パキスタンで軍部によるクーデター、ブット政権倒れる
197712-2トリポリで、リビア、シリア、アルジェリア、南イエメン、イラク、PLOのアラブ強硬派首脳会議(~5 反サダトの共同宣言)
19781-7イランのコムで反政府デモ、イラン革命の
19782-18キプロスで開催中のアジア・アフリカ人民連帯機構代表者会議の会場に武装ゲリラ侵入、エジプト人書記長を射殺(~19 エジプト軍が人質救出を強行、キプロス軍と銃撃戦 -22 エジプト、キプロスと断交)
19784-27アフガニスタンで軍部によるクーデター、ダウド大統領死亡(~30 国家首にタラキー、国名をアフガニスタン民主共和国と改称)
19786-24北イエメンのガシュミ大統領暗殺、南北イエメンの統一協議頓挫
19786-26南イエメンで政変、ルバイ大統領銃殺、親ソ派が実権掌握
19789-5エジプトのサダト大統領、イスラエルのベギン首アメリカのカーター大統領による中東和平3国首脳会談(~17 サダト・ベギン両首脳、3か月以内に単独平和条約締結のキャンプ・デービッド合意)
19789-16イランで大地震、死者2万5000人
197810-27サダト大統領とベギン首にノーベル平和賞
197812-26イラン、テヘランを中心に王制打倒のデモ(~28 市街戦。原油生産全面停止)
19791-16イランのパーレビ国王、エジプトへ亡命
19792-1イランのシーア派指導者ホメイニ、国外追放から15年ぶりにテヘランに帰着(~11 イラン革命勢力、勝利宣言 4-1イスラム共和国足)
19794-4パキスタン前大統領ブットの死刑執行
19797-16イラクのフセイン革命評議会副議長、大統領に就任
197911-4イランで、テヘランのアメリカ大使館をイスラム系学生らが占拠、外交官ら60人を人質にパーレビ前国王の引き渡しを要求
197912-27アフガニスタンでクーデター、革命評議会議長アミン処刑、後任に副議長カルマル。ソ連が軍事介入
19801-3インドで総選挙、インディラ・ガンディー派が圧勝
19801-4ソ連軍がアフガニスタンの首都カブールをはじめ主要都市を制圧
19801-25イラン初の大統領選、バニサドル経済・財政が当選
19804-7イランとアメリカが国交断絶
19809-12トルコで軍事クーデター、エブレン参謀総長が大統領に
19809-22イラン・イラク戦争勃
19811-20イラン、テヘランのアメリカ大使館の人質52人を444日ぶりに解放
19815-30バングラデシュのラーマン大統領、反乱軍に暗殺される
19816-7イスラエル軍機がイラクの原子炉を爆撃
19816-22イランのバニサドル大統領、親西欧を理由に解任される
19818-30イラン首府で爆弾が爆、ラジャイ大統領、バホナール首ら死亡
198110-2イランで大統領選、ホメイニ側近のハメネイ当選
198112-9インドと中国の国境交渉が19年ぶりに再開
198112-14イスラエルが、占領下のゴラン高原の併合を決定
19823-24バングラデシュでクーデター、エルシャド陸軍参謀長が全権掌握(~27 チョードリ最高裁判事を大統領に任命)
19824-25イスラエルがシナイ半島全域をエジプトに返還
19826-3駐英イスラエル大使がロンドンでパレスチナゲリラに狙撃され重傷(~6 報復に、イスラエル軍が南部レバノンに侵入、ゲリラ基地占領)
19827-12イラン・イラク両軍、バスラ地区で激しい戦闘
19828-16パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長、ベイルートからの撤退を声明
19828-23レバノン大統領選でキリスト教右派のバシール・ジェマイエル当選(9-14 暗殺される。9-23兄のアミン・ジェマイエルが大統領就任)
19829-6モロッコで第12回アラブ首脳会議。パレスチナ国家樹立とイスラエルの生存権を事実上認める「フェス憲章」を採択
19829-16西ベイルートのパレスチナ難民キャンプで親イスラエルのキリスト教右派民兵が住民約1500人を無差別に虐殺
19832-19インド、アッサム州住民が、バングラデシュから流入したベンガル人の集落を襲撃、3000人以上を虐殺
19833-2イラク軍がイランの油田を爆撃、ペルシャ湾に原油が流出し、湾岸諸国に深刻な影響
19834-18レバノンで、ベイルートのアメリカ大使館爆破、死者・行方不明者90人
19835-25トルコ軍が、イラクの承認のもとにイラク領内でクルド人蜂起勢力と戦闘
19836-4PLOのアラファト議長派と反アラファト派がレバノンのベカー高原で武力衝突(~24 シリア、アラファト議長を国外追放)
19837-25スリランカ各地で、ヒンズー教系タミルと仏教系シンハラによる暴動
19839-15イスラエルのベギン首辞任(10-10 シャミル内閣足)
19839-26レバノン内戦停戦協定
198310-22イラクが、イランのバンダルホメイニ港に通じるペルシャ湾の全ての通路に機雷を敷設と
19842-5レバノン、ワザン内閣総辞職(4-30 イスラム教スンニ派のカラミ首による挙国一致内閣立)
19842-12イラク空軍が、イラン・ジャパン石油化学(IJPC)の建設現場を爆撃
19843-7国際赤十字が、イラン・イラク戦争でイラク軍が毒ガスを使用したと非難
19845-17インドのボンベイでイスラム教徒とヒンズー教徒が衝突、221人死亡
19846-3インド、パンジャブ州で自治権拡大を要求するシク教徒の反乱(~5 政府軍との銃撃戦で500人以上が死亡)
19849-13イスラエルで、労働党のペレス首による挙国一致内閣
198410-31インドのインディラ・ガンディー首、シーク教徒に暗殺される。長男ラジブ・ガンディーが後継首
19852-23PLOのアラファト議長とヨルダンのフセイン国王、中東和平への共同行動で合意
19855-20イスラエルが、日本赤軍の岡本公三を、パレスチナゲリラとの捕虜交換で釈放
19855-25バングラデシュ南部海岸地帯に大型サイクロン襲来、死者・行方不明者約5万人
19856-14シーア派イスラム教徒がアテネアメリカ旅客機を乗っ取り、イスラエルにアラブ人捕虜釈放を要求(7-3 イスラエル、捕虜300人を釈放)
198510-1イスラエル、チュニジアのPLO本部を空爆
198512-28シリアのダマスカスで、レバノンの3軍事組織が内戦終結協定に調印
19861-13南イエメンで軍部のクーデター(2-8 ムハマド大統領罷免、親ソ派のアルアッタス首が大統領就任、以後内戦状態に)
19864-10非合法のパキスタン人民党の総裁代行ブットが、亡命先のイギリスから帰国
19865-3スリランカの空港で、タミルによる旅客機爆破テロ、日本人2人を含む21人死亡
19867-28ソ連のゴルバチョフ党書記長、アフガニスタンからの部分撤兵を表明(10-15 撤兵開始)
19868-5ジュネーブでのOPEC(石油輸出国機構)総会で、イラクを除く12か国が、石油価格の大暴落に対処して減産することで合意(10-29 サウジアラビアがヤマニ石油を解任)
19871-9イラン軍が南部国境をえイラン領内に進撃、戦闘
19874-20アルジェでのパレスチナ民族評議会に反主流派も出席し、PLO4年ぶりに再統一
19874-21スリランカのコロンボでタミルゲリラによる爆弾テロ、150人死亡
19876-1レバノンのカラミ首、爆弾テロで死亡
19877-31サウジアラビアのメッカで、反米デモのイラン人巡礼者と警察が衝突、死傷者約1000人
198710-15イランがリベリア船籍のアメリカのタンカーをミサイルで攻撃(~19 アメリカ海軍がイランの海上石油基地を攻撃)
198712-19ガザ地区でパレスチナ人の反イスラエル蜂起(インティファーダ)拡大
19882-29イラクがテヘランを初めてミサイル攻撃
19885-15ソ連軍、アフガニスタンから第1次撤兵開始(8-15 完了)
19888-17パキスタン空軍機が爆事故、ハク大統領死亡
19888-20イラン・イラク戦争、7年11カ月ぶりに停戦
198811-15パレスチナ民族評議会がパレスチナ独立国家の樹立を宣言
198811-16パキスタン、11年ぶりの全党参加総選挙、野党の人民党圧勝(12-1 人民党総裁ブットが首就任)
198812-13アラファトPLO議長、国連総会で演説、国家としてのイスラエルの存在を初めて認める
198812-19ガンディー、インド首として34年ぶりに中国訪問
198812-22イスラエル、保守連合リクードと労働党の連立によるシャミル内閣
19892-14イランのホメイニ師、マホメットを侮辱したとして『悪魔の詩』の著者ラシュディに死刑宣告
19892-15ソ連軍、アフガニスタン進攻から9年2か月ぶりに撤退完了
19896-4イランのホメイニ師死去(~4 ハメネイ大統領が最高指導者に)
19897-16ガンディー、インド首として29年ぶりにパキスタンを訪問
19897-28イラン大統領選、現実路線のラフサンジャニ国会議長が当選
198911-22レバノンのムアワド大統領暗殺される
198911-22インド総選挙で国民会議派が大敗(~29 ガンディー首退陣。12-2 シン就任)
19904-6ネパールで民主化要求デモ、死傷者数百人(~8 国王、複数政党制の導入表明)
19905-22南北イエメンが統一
19906-21イランで大地震、5万人死亡
19908-2イラク軍がクウェート侵攻
19909-14クウェートのフランス・オランダ・カナダ・ベルギー大使館にイラク軍が乱入、武官等を連行
199010-24パキスタンで総選挙、保守派勝利、ブット派大敗
199010-31レバノンで、イスラム軍事組織アマルとヒズボッラーが停戦合意
19911-17多国籍軍がイラクを空爆、湾岸戦争開始
19912-24湾岸戦争、地上戦へ(~26 多国籍軍がクウェート市内を完全解放)
19912-28バングラデシュで総選挙、第一党となったBNPの総裁ジアが初の女性首
19915-21インドのラジブ・ガンディー、暗殺される
19924-16アフガニスタンのナジブラ大統領失脚
199212-27イラク南部の飛行禁止区域を飛行中のイラク機を、アメリカ軍機が撃墜
19933-7アフガニスタン和平会議で、アフガン・ゲリラ8派が合意文書に調印
19937-25レバノン南部でイスラエル軍が、イスラム原理主義組織ヒズボッラー(ヒズボラ)の武装ゲリラを攻撃
19939-13アメリカのワシントンで、イスラエルのラビン首とPLOのアラファト議長、パレスチナ人による暫定自治の宣言書に共同調印
199310-19パキスタンでブットが首に復帰
19941-30イスラエルがバチカンと国交樹立
19945-4イエメン、内戦に(~21 旧南イエメンが独立を宣言)
19947-7イエメン内戦、旧北イエメンが勝利宣言
199410-14PLOのアラファト議長、イスラエルのラビン首とペレス外にノーベル平和賞
199410-26イスラエルとヨルダンが平和条約に調印
19952-13アフガニスタンで武装勢力タリバンが7州を制圧(3-19 ラバニ大統領派の部隊が首都近郊でタリバンを駆逐)
19959-28イスラエルとPLO、パレスチナ自治拡大協定に調印
199511-4イスラエルのラビン首、暗殺される
19963-3エルサレムで爆弾テロ(~4 テルアビブでも。いずれもイスラム原理主義組織ハマスが犯行声明)
19965-9インドで総選挙、国民会議派敗北
19965-29イスラエルの首選挙、現職ペレス首敗れ、右派のネタニヤフが当選
19968-31イラク軍がクルド人地区に進攻
19969-27アフガニスタンの反政府勢力タリバン、カブールを攻略。ラバニ政権崩壊、ナジブラ大統領は処刑される
199611-5パキスタンのブット首、解任される
199612-10イラク、国連との合意により原油輸出を再開
19971-15イスラエルのネタニヤフ首とパレスチナのアラファトPLO議長が会談、ヨルダン川西岸ヘブロンからのイスラエル軍撤退で合意
19972-4パキスタンの総選挙で、シャリフ率いるイスラム教徒連盟圧勝、ブット前首のパキスタン人民党大敗
19972-17レバノン当局が、岡本公三ら日本赤軍幹部5人と支援者3人を身柄拘束
19975-10イラン東部でM7.1の地震、死者1500人
19975-24イラン大統領選で、西欧文化の受け入れに寛容なハタミが穏健・急進両派の支持を受けて当選
19977-17インド大統領選で、ナラヤナン副大統領が、被差別カースト出身者として初めて大統領に
19978-12イランのハタミ大統領、1979年のイラン革命以来初の女性副大統領起用を表明
19981-7トルコ・イスラエル海軍が、アメリカ海軍と初の合同演習
19981-8イランのハタミ大統領、アメリカのTVインタビューで、対米関係改善に前向きの姿勢を示唆
19981-20中東和平プロセス打開のため、アメリカのクリントン大統領がイスラエルのネタニヤフ首と会談(~22 クリントン、パレスチナのアラファト議長とも会談)
19982-4アフガニスタン東北部でM6.1の地震、約4000人が死亡
19982-23イラクが、国連による大量破壊兵器の査察実施を受け入れ、。3月、国連大量破壊兵器査察団がイラク大統領施設に初の立ち入り査察開始
19985-10イスラエル、ヨルダン川西岸からのイスラエル軍追加撤退に関するアメリカ調停案を拒否
19985-11インドが24年ぶりの地下核実験。5-28インドに対抗しパキスタンが初の核実験実施、印パ関係緊張
19986-23イラクが1991年の湾岸戦争前に、神経ガスVXをミサイル弾頭に充填していたと、アメリカ政府が断定。イラク政府は否定、米英両軍がイラクを攻撃
19992-7ヨルダン国王フセイン死去
19995-17イスラエル首選で労働党党首のバラクが当選
20006-10シリアのアサド大統領が死去(7-17 アサド前大統領の次男、バッシャール・アサドが後継の大統領に就任)
20007-11アメリカ・メリーランド州のキャンプ・デービッド(大統領公用別邸)で、クリントン大統領、パレスチナのアラファト議長、イスラエルのバラク首が会談(~25 エルサレムの帰属問題について)
20012-6イスラエル首選でリクード党首のシャロンが当選
200110-7アメリカ同時多テロの容疑者ビンラディンの身柄引き渡しを拒否したアフガニスタン(タリバン政権)に対し、アメリカが報復攻撃を開始(12-22 アフガニスタン暫定行政機構足)
20026-20アフガニスタン大統領に暫定行政機構議長のカルザイが就任
200211-18トルコの首に公正展党(AKP)のギュルが就任
20033-20アメリカ、イギリス両軍がイラクのフセイン政権を倒して大量破壊兵器を解除するという理由で、イラクを武力攻撃(イラク戦争。4-10 首都バグダードを制圧)
200312-13イラク、ティクリート郊外でアメリカ軍によりフセイン大統領拘束
20041-4アフガニスタンで憲法採択
20045-13インド総選挙で国民会議派が勝利、バジパイ率いるインド人民党は敗れ、5-22にマンモハン・シンが首に就任
20046-28イラクを占領統治していた連合国暫定当局(CPA)からイラク暫定政権へ主権移譲
20047-1イラクのフセイン大統領ら旧政権幹部を裁く特別法廷が開かれ司法手続きが始まるが、フセインは犯罪容疑を否認
200410-9アフガニスタンで初の大統領選挙実施、カルザイが当選
200411-11アラファトPLO議長、入院先のパリの病院にて死去、後任としてアッバスがPLO議長に就任
200412-24アフガニスタンで正式な政権が
200412-26インドネシアのスマトラ島沖を震源域とするスマトラ島沖地震・津波が生、Mw(モーメントマグニチュード)9.3の巨大地震と大規模な津波は、広くインド洋上および辺の国々(インドネシア、スリランカ、インド、タイ、東アフリカ諸国、マレーシア、モルジブなど)に甚大な被害をもたらし、死者・行方不明者は30万人を超える
20051-9アラファトの後任としてパレスチナ自治政府長官(Rais)にアッバスが選出され就任
20051-30イラク国民議会選挙が行われ、シーア派が議席の過半数を占める
20052-8イスラエルのシャロン首とパレスチナ代表のアッバスが、エジプトのシャルムエルシェイクで初の首脳会談
20054-7イラク国民議会の選出により、クルド人指導者タラバニがイラク移行政府の大統領に就任
20054-25レバノンに29年間駐留していたシリア軍が撤退
20058-3イラン、アフマディネジャドが大統領に就任
20059-12イスラエルがガザ地区から撤退を完了
200510-8カシミール地方を中心とする広い地域(パキスタン、インド、アフガニスタンなど)でM7.6の強い地震「パキスタン大地震」が生、死者7万人以上の甚大な被害をもたらす
200511-9ヨルダンの首都アンマンで、連続爆破テロが生(三つのホテルでほぼ同時に自爆テロが起きた)、死者50人以上、負傷者多数、事後イラク・アルカイダ機構が犯行声明
20062-22イラク中部のイスラム教シーア派の聖廟(せいびょう)が爆破される
20067-11インド、ムンバイの駅や列車で連続爆事件生、180人以上が死亡
20067-12レバノンのイスラム教シーア派系武装勢力ヒズボッラーが、イスラエル軍兵士を拉致したことにより、イスラエル軍がレバノン領内へ侵攻
200610-13バングラデシュの経済学者ユヌスがグラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞
200611-5イラク高等法廷、人道に対する罪でフセインに死刑判決、12-30死刑執行
200612-23国連安全保障理事会、イランの核開をめぐる安保理制裁決議を全会一致で採択
20073-24国連安保理、イランの核開をめぐる追加制裁決議を全会一致で採択
200710-18パキスタンのベーナジール・ブットが、亡命先のアラブ首長国連邦のドバイから8年ぶりに帰国、政治活動を再開
200711-15バングラデシュ、大型サイクロン「シドル」の直撃を受け、被害甚大
200711-28~29パキスタンのムシャラフ大統領、長く兼任した陸軍参謀長を辞任し軍籍を離脱、文民として大統領に就任
200712-27パキスタンのブット、暗殺される
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例